11 もう子供じゃない2
イーリスの加護によって、一本の矢が少女の足を貫いた。
「大丈夫!?」
イーリスは倒れ込んだ少女に駆け寄ると、その体を抱きかかえようと膝をつく。しかし、痛みで少女がもがいたのを見て、伸ばした手をギリギリのところで止めた。反射的とはいえイーリスが殴られてしまったら、再び加護が発動してしまうからだ。
か細いふくらはぎに刺さった矢からじわじわと血が流れだす。
少女は溺れているかのように呼吸を速め、顔は段々と青くなっていく。
助けを求めようとイーリスが顔を上げると、共に遊んでいたであろう子供たちの凍り付いた視線とぶつかった。
開きかけた喉が、塞がった。
イーリスは治癒魔法を使えない。この少女をイーリスは助けられない。
「イーリス様の魔法はまだまだ発展途上ですから」、そう言ったニコラスの顔が脳裏によぎる。
本当にその通りだ。そして、ニコラスに助けてほしいと願う自分を情けなく思った。
「イーリス様……!」
かすれた声がイーリスの名前を呼ぶ。見上げると、大粒の涙を流す女性が立っていた。
「この子の母親ですか?」
女性は一度うなずくと崩れるように座り込み、髪のかかる額を地面に押し付けた。
「イーリス様、申し訳ございません。娘がご無礼を」
地面をえぐるように、さらに女性は額をこすりつける。
「どうか、どうか…… お許しください……!」
目前の丸くなって震える体に、イーリスはただただ困惑した。
少女が「お母さん、助けて」と手を伸ばす。母親の体はビクッと反応したが、顔を上げることはなく。娘に口を閉じろと言わんばかりに、首を横に振った。
悪いのはイーリスなのに、どうして謝られる必要があるのだろうか。
復興作業に勤しんでいた人々が心配そうに集まってくる。だがこの惨状を目撃すると、すぐに足は止まった。
少女に刺さった矢を一目見て、イーリスの加護が発動したのだと理解したのだろう。
やはりイーリスには近づいてはいけないと、そう思ったに違いない。
どうしていいのかわからなかった。頭の中が真っ白だった。
外に出なければこんなことには……
「助けて……」
イーリスがそうこぼした時、周囲から驚いたように歓声が上がった。
「部屋にいらっしゃらないのでもしやと思ったら、こんなところに」
古めかしいローブをなびかせ、ニコラスが颯爽と人だかりを抜けてくる。
「イーリス様、後は私にお任せください」
「ニコラス……!」
包み込むようなニコラスの笑顔を見て、イーリスの瞳から必死にこらえていた涙が溢れ出した。
「すぐに終わりますからね」
ニコラスは少女に駆け寄り、刺さった矢を処理して患部に治癒魔法を施す。まるで何事もなかったように、傷口は塞がっていった。
少女は目を丸くしながら自身のふくらはぎをさする。立ち上がると、確かめるようにその場でジャンプした。
「もう痛くない!」
頬を濡らしていた雫が大きく跳ねる。少女は笑顔を浮かべ、母親に抱きついた。
「ありがとうございます、ニコラス様」
膝の上に乗った娘を、母親が宝物のように抱きしめる。水分を含んだ土が、安堵して緩んだ頬に張り付いていた。
「さぁ、イーリス様。今日はもう帰りましょう」
「ニコラス…… わたし、わたし……」
「大丈夫です。私がついております」
差し伸べられたニコラスの手に、イーリスは泣きじゃくりながら自身の手を重ねた。
「えっ……?」
ふいに、イーリスの体が地面を離れる。自身の背中と膝裏に、硬くもどこか柔らかい二本の腕の気配。
ニコラスに抱きかかえられているような姿勢だが、実際に手は触れていない。彼の魔法でイーリスは宙に浮いている。相手から触られなければ、加護が発動することはない。
イーリスの頬に触れる、走った後のような少し荒い吐息。ニコラスの体に触れる半身から、彼の体温を確かに感じた。
イーリスの心臓がドキリと跳ねる。ほんの少し手を伸ばせば、ニコラスの顔がそこにある。
「顔を伏せておいてください。イリステラ家の令嬢が、泣き顔を晒してはいけません」
交わった視線から逃れるように、自身の顔をニコラスの腹部に押し当てた。
イーリスのすすり泣く声を、灰色のローブが受け止めてくれている。
♢♢♢
家に着くまでのことはよく覚えていない。
イーリスは逃げるようにして自身の部屋に飛び込んだ。
外は真昼なのに部屋は薄暗い。開けて出ていったはずの部屋のカーテンは、なぜか閉まっていた。
「お帰り、イーリス」
誰もいないはずのイーリスの聖域に、アドマンドの背中がある。机の上には、ニコラスからプレゼントされた木箱が、口を開けたまま置かれていた。
誰にも見つからぬよう、引き出しの奥の奥に隠していたはずなのに。
アドマンドがゆっくりとイーリスの方を向く。そして手に取った杖を指差した。
「これはなんだ?」
眉をひそめ、アドマンドは問いかける。その眼差しは、溺愛する愛娘に向けるものとしては酷く冷たいものだった。
イーリスはアドマンドの指先を辿る。指し示しているのは杖の持ち手に描かれた漆黒の獅子。
隣国、サハンカ王国の国章だった。




