第五話 成瀬の接近
成瀬に盗撮がバレた、その翌日。
「おはよう、小鳥遊!」
「…………」
昨日までまともに話したこともなかった男が、登校してきたオレを見つけるなり、朝一番から満面の笑みでやってきた。
「……おはよう」
「ああ! 小鳥遊も朝、早いんだな」
「まあ、それなりに」
成瀬はオレの机の前まで来ると、変わらずにこやかな笑みを浮かべている。
オレはそんな成瀬の顔を、改めて眺めた。
盗撮がバレたときは社会的に死ぬかと思ったが、成瀬がまるで気にしていないのはありがたい。昨日は焦りもあり、こうして真正面からゆっくり顔を見る余裕などなかった。
(……いいな、間近でこの顔見れるの)
屈託なく、親しげに笑う顔。
表情には出さないが、気分が上がる。
「どうした、小鳥遊?」
「いや。顔見てた」
「そうか! 存分に見るといい!」
成瀬はさらに嬉しそうに笑った。
「……朝からすごいな、お前」
「ん? 何がだ?」
「なんでもない」
「そうか! ところで、昨日は無事に帰れたか?」
「帰れたよ」
「そうか、それはなによりだ!」
満足そうに頷く成瀬を見ながら、昨日の出来事を思い返す。
勝手に後をつけ、写真まで撮っていたことが本人にバレたのだ。
普通なら、今日から避けられていてもおかしくない。
だというのに、成瀬には気まずそうな様子など微塵もなかった。
「そうだ、小鳥遊。昨日の写真なんだが──」
「成瀬。その話、ここでするな」
「む?」
周囲へ目を向ければ、朝の教室にはすでに多くのクラスメイトがいる。
成瀬本人には知られてしまったが、勝手に後をつけて写真を撮っていたことまで、他の人間に知られたいとは思わない。
普通に白い目で見られる。
「……あのこと、他の奴には言わないでくれ」
「そうなのか?」
「ああ、頼む」
「分かった!」
理由を尋ねることもなく、成瀬はあっさり頷いた。
「小鳥遊が嫌なら言わないぞ!」
「……ありがとな」
「礼には及ばん!」
妙に堂々としているが、どうやら本当に黙っていてくれるらしい。
「お、なになに〜?」
そこへ、間延びした声が割り込んだ。
「ナル君が小鳥遊君にちょっかいかけてんじゃ〜ん」
「ミツカ!」
振り返れば、小林光果と一ノ瀬巡が立っていた。
小林は興味深そうにオレと成瀬を見比べ、その隣では一ノ瀬もわずかに首を傾げている。
「そういえば昨日の帰り際にも、小鳥遊君の名前出してたよねぇ?」
「ああ!」
「昨日まで全然話してなかったのに、いつの間に仲良くなったの〜?」
「仲良く……?」
「そうだな! 昨日からだ!」
「成瀬」
「なんだ?」
「お前の中ではもう仲良くなったことになってるのか」
「違うのか?」
「…………」
そんな真っ直ぐな顔で聞かれても困る。
「で、何きっかけ〜?」
「それはだな──」
答えかけた成瀬が、ぴたりと止まった。
オレを見て、何かを思い出したように口を閉じる。
「駄目らしいから、それは言えないな!」
思わず額を押さえた。
「お前、言い方ってもんがあるだろ」
「だが、言ってはいけないんだろう?」
「そうだけど、あきらか怪しい感じに聞こえるだろ」
「そうか? 事実を言っただけなんだが……」
そんなオレたちのやりとりを、小林は興味深そうに眺めている。
「へ〜? 小鳥遊君に仲良くなった理由を言わないでって言われたんだ〜?」
「ああ!」
「ふ〜ん……」
小林の目が、オレへ向く。
一ノ瀬も何か引っかかったのか、同じようにこちらを見ていた。
「……何」
「べっつに〜?」
小林はにこりと笑う。
それ以上は何も聞いてこなかったものの、その視線はしばらくオレから離れなかった。
◇◇◇
朝の一件から、数時間後。
昼休みを告げるチャイムが鳴ると、オレは財布を持って席を立った。
「小鳥遊!」
「……何」
呼ばれて振り返れば、成瀬が弁当箱を手に立っていた。
「昼飯か?」
「そうだけど」
「どこへ行くんだ?」
「購買」
「そうか! 俺も行こう!」
「…………」
オレは成瀬の手元を見る。
「お前、弁当あるだろ」
「ああ!」
「じゃあ、なんで来るんだよ」
「俺も飲み物を買う予定だ。それに、せっかくだから小鳥遊と一緒に行こうと思ってな」
「……そう」
断る理由もない。
オレが歩き出すと、成瀬も当然のようについてきた。
◇
購買で昼食を買い終えると、成瀬は近くの自動販売機で無糖のレモン炭酸を買った。
オレはそれを見て、少しだけ眉を寄せる。
「それ、美味いの?」
「美味いぞ!」
「無糖だろ?」
「ああ! さっぱりしていて、昼飯にも合う!」
「へえ……」
オレは炭酸なら、コーラやサイダーのような甘いものを選ぶことが多い。
わざわざ砂糖の入っていない炭酸を買おうと思ったことはなかった。
「小鳥遊は飲まないのか?」
「炭酸は飲むけど……、だいたい甘いやつだからな」
「そうなのか! なら一口飲んでみるか?」
「いや、今はいい」
「そうか!」
考えてみれば、自動販売機の前にいる成瀬を見たことは何度もあったし、何かを飲んでいるところだって見ている。けれど、見ていたのは飲み物ではなく、そのときの成瀬の顔ばかりだった。何を飲んでいたのかは覚えていない。
「小鳥遊!」
「ん?」
「せっかくだから、一緒に食べよう!」
「……いいけど」
「今日は日差しが暖かいから、外で食べよう!」
そう言って、成瀬は中庭の方へ歩き出す。
昨日までまともに話したこともなかったとは思えない距離の詰め方だった。
◇◇◇
中庭にあるベンチに、二人並んで腰を下ろした。
春の日差しは柔らかく、風もそれほど冷たくない。
オレが購買で買ったパンの袋を開ける隣で、成瀬も弁当箱の蓋を開けた。
「よし! いただきます!」
成瀬は手を合わせると、さっそく弁当を食べ始めた。
「それ、親にでも作ってもらってんの?」
「ああ、いつも母さんがお弁当を作ってくれるんだ」
「へえ」
「小鳥遊はいつも購買なのか?」
「大体」
「弁当は?」
「親が忙しいから、昼飯代だけもらってる」
「そうなのか」
「別に購買で困ってないし」
「確かに種類も多いし、美味しそうだしな!」
成瀬はそう言うと、弁当から唐揚げを一つ摘まんで口へ入れた。
途端に、その顔が明るくなる。
「…………」
「ん?」
「いや」
オレはパンを齧りながら、成瀬の顔を見る。
(なんか、美味しそうな顔して食べるな)
「成瀬」
「なんだ?」
「唐揚げ好きなのか?」
「ああ! 好きだぞ!」
「やっぱり」
「分かりやすかったか?」
「食ったとき、美味しそうな顔してたから」
「そうか!」
成瀬は嬉しそうに笑った。
「母さんの唐揚げは特に美味いんだ!」
「へえ」
「あと卵焼き! 弁当にいつも入っていてな。昔から食べてるから、なんだか安心するんだ!」
「良かったな」
「小鳥遊は、卵焼きは甘い方が好きか? それとも塩? だし?」
「……さあ?」
「ん? 普段、卵焼きは食べないのか?」
成瀬が不思議そうにこちらを見る。
「食べるが……、味を意識して食ったことない」
「そうなのか……」
成瀬は少し考えてから、自分の弁当へ視線を落とした。
「なら、食べてみるか?」
「え?」
「うちのは甘いぞ!」
弁当箱の蓋へ卵焼きを一つ取り分け、オレへ差し出す。
「いいのか?」
「ああ! 美味いから食べてみろ!」
「……じゃあ遠慮なく。さんきゅ」
受け取った卵焼きを口へ入れると、柔らかな卵の中にしっかりと甘さを感じた。
「……甘い」
「だろう!」
「うまいな」
「そうだろう!」
なぜか成瀬が得意げに胸を張る。
「お前が作ったわけじゃないだろ」
「母さんが褒められたんだから、俺も嬉しい!」
「……そう」
唐揚げが好き。
卵焼きは甘い方が好き。
母親の料理が好きで、それを褒められると自分のことのように喜ぶ。
普段飲んでいるのは、無糖のレモン炭酸。
一年も見ていたのに、どれも知らなかった。
まあ、中身に興味はそこまでなかったからしょうがない……のか?
改めて、隣にいる成瀬へ目を向けた。
近い。まじで近い。
いつもなら離れた場所から、あるいは望遠レンズ越しに見ていた顔が、すぐ隣にある。
睫毛も、目元も、肌も。
何の障害物もなく、はっきり見える。
「…………」
「小鳥遊?」
「…………」
「どうした?」
成瀬が、オレの顔の前で手を振る。
「……金、払った方がいいか?」
「何に!?」
成瀬が目を丸くした。
「顔」
「顔?」
「こんな近くで見てていいのかと思って。成瀬の掲載されてる雑誌なら金払って見てるから」
成瀬はしばらくオレを見つめた。
やがて、胸を張る。
「小鳥遊!」
「何」
「俺の顔を見るのに金はいらないぞ!」
「そうか」
「ああ! 好きなだけ見るといい!」
「じゃあ見る」
「うむ!」
許可が出たので、見る。
やはり近くで見ても格好いい。
むしろ、今まで分からなかった細かなところまで見える分、遠くから見るよりいいかもしれない。
「小鳥遊は、本当に俺の顔が好きなんだな!」
「好きだよ」
「そうか!」
成瀬は満足そうに笑う。




