第二話 シャッター音
それから数日後。
次の授業へ向かうため、俺は廊下を歩いていた。
休み時間ということもあり、廊下には多くの生徒が行き交っている。
そのとき。
──カシャ。
「ん?」
聞き慣れた音に、俺は足を止めた。
カメラのシャッター音だ。
モデルという仕事をしている以上、聞き間違えるはずもない。
学校で耳にすることも、以前からときおりあった。
ただ──最近は、妙に近い。
「…………?」
俺は振り返ったが、誰もいない。
誰か写真でも撮っていたのだろうか。
少し気にはなったものの、授業の時間も迫っている。
再び前を向き、その場を後にした。
だが。
──カシャ。
翌日も。
──カシャ。
その翌日も。
休み時間に廊下を歩くたび、同じような音を耳にした。
「……う〜む」
三度目ともなれば、さすがの俺も首を傾げる。
(やはり、聞き間違いではないな)
だが、振り返っても撮影者らしき人物は見当たらない。
(まあ、いいか)
何を撮っているのかは知らないが、誰かが写真を撮ること自体は珍しくない。
そうしているうちに、いちいち足を止めなくなっていった。
そんなある日の放課後。
「ん?」
教室を出ようとしたときに、足元に黒いものが落ちていることに気づいた。
拾い上げてみれば、二つ折りになったパスケースだった。
「誰かの落とし物か」
定期券や生徒証をまとめて入れられるタイプらしい。
持ち主を確認するため、透明なポケットへ目を向ける。
そこに収められた生徒証には、一人の男子生徒の顔写真と名前が記されていた。
「小鳥遊結弦……」
どこかで見た顔だ。
少し考えて、すぐに思い当たる。
「ああ、あいつか!」
アッシュグレーの短い髪に、鋭い目つき。
最近、何度かこちらを見ていたクラスメイトだ。
「小鳥遊というのか」
これで持ち主は分かった。
まだ教室にいるだろうか。
そう思いながらパスケースを持ち直し──ふと、反対側の透明なポケットへ目が留まった。
「ん?」
一枚の写真が入っている。
誰の写真だろうと何気なく覗き込んだ俺は驚いた。
「…………おお」
艶やかな黒髪。
すっと通った鼻筋。
美しく整った輪郭。
窓から差し込む陽の光を受けた横顔は、写真だというのに思わず目を奪われるほど完成されている。
(なんて美しい横顔なんだ!)
いや、待て。
この完璧な横顔には、見覚えがある。
「俺だ!」
思わず声が出た。
俺はパスケースを顔の高さまで持ち上げ、まじまじと写真を見る。
やはり、自分だ。
しかも雑誌や広告に掲載された写真ではない。
制服姿で昇降口から外を眺めている、俺自身も見覚えのない一枚だった。
「いつ撮ったんだ……?」
しばらく写真を眺めていたが、やがて疑問に思う。
(なぜ、小鳥遊が自分の写真を持っているのだろうか)
「ふむ……」
考えてみるが、答えは出ない。
そこで俺は顔を上げた。
「ミツカ!」
「ん〜?」
帰り支度をしていた光果が振り返る。
「一つ聞きたいことがあるんだが」
「なに〜?」
俺は手にしたパスケースを光果には見せないまま、尋ねた。
「パスケースや生徒手帳に、自分以外の写真を入れるものなのか?」
「え〜? やるやる〜!」
「そうなのか?」
「うん。ほら、アタシも入れてるよ〜」
光果は鞄の中から自分の生徒手帳を取り出した。
開いて、俺へと差し出す。
「じゃ〜ん」
「おお……」
透明なポケットに収まっていたのは、光果の推しアイドルの写真だった。
周囲にはハートや星のシール、きらきらと光るラインストーン。以前教えてくれた推しのメンバーカラーに合わせたのか、赤を基調に可愛らしくデコレーションされている。
「ずいぶんと華やかだな」
「可愛いでしょ〜?」
「ああ! ミツカらしくていいな」
「でしょ〜」
満足そうに笑う光果から、俺は再び手元のパスケースへ視線を戻した。
こちらは何の飾りもない。
ただ、自分の写真が一枚入っているだけだ。
「……ときにミツカ」
「ん?」
「こういった装飾をしない場合もあるのか?」
「そりゃ人によるんじゃない〜? 写真だけ入れてる子もいると思うよ〜」
「なるほど」
俺は頷いた。
小鳥遊は、最近よく自分を見ていた。
そして、生徒手帳には自分の写真。
さらに光果によれば、生徒手帳に推しの写真を入れて持ち歩くこともあるという。
「…………」
俺はもう一度、写真に写っている自分の横顔を見つめた。
そして。
「なるほど、そういうことか!」
「なにが〜?」
「いや、なんでもない! ありがとう、ミツカ!」
「どういたしまして〜?」
光果はよく分からないまま、返事を返した。
それに対し、俺は満足げに頷く。
どうやら小鳥遊結弦は──
(俺のファンらしい!)
そうと分かれば、最近やけに視線を感じていたことにも納得がいく。
「……おっと、そうだった」
今はそんなことを考えている場合ではない。
改めて手元のパスケースへ目を落とす。
生徒証のほかに、透明なポケットには定期券も収まっていた。
「これは早く返してやらないとな」
これがなければ、帰りの電車に乗るときに困るだろう。
そう思い、教室を見回した。
「小鳥遊は……もういないのか?」
「小鳥遊君なら、さっき出てったよ〜」
「そうか!」
ならば、急げばまだ追いつけるかもしれない。
「では、俺も帰る! 二人とも、また明日!」
「は〜い。またね〜」
「また明日」
ひらひらと手を振るミツカとメグルに別れを告げ、俺は教室を飛び出した。
急いで昇降口へ向かい、校門を出る。
「……いた!」
少し先に、見覚えのあるアッシュグレーの頭が見えた。
「小鳥遊!」
呼びかけるが、聞こえていないのか振り返らない。
「仕方ない、追いかけるか!」
そのまま後を追っていると、小鳥遊は駅とは違う方向へ曲がり、一軒の大型量販店へ入っていった。
「買い物か?」
俺も続いて店内へ入る。
そして小鳥遊を見つけたのは、写真のプリントサービスを行っている一角だった。
プリント機の前に立ち、次々と出てくる写真を手に取っている。
(写真を印刷しに来たのか)
どうやら、ここへ寄るために駅とは違う方向へ向かったらしい。
俺はようやく追いついた小鳥遊へと近づいていく。
「小鳥遊!」
「──っ!?」
今度はしっかり届いたらしい。
小鳥遊が勢いよく振り返る。
「な、成瀬……!?」
「よかった、ようやく追いついた!」
「なんで、ここに……」
「お前に渡したいものがあってな!」
「俺に……?」
「ああ!」
俺が手にしていたパスケースを見せようとした、そのときだった。
小鳥遊の手から、抱えていた写真が滑り落ちる。
「あっ」
ばさばさばさっ、と。
何十枚もの写真が床一面に散らばった。
「…………」
「…………」
二人の間に、沈黙が落ちる。
「おっと、大丈夫か?」
俺は足元へ落ちた一枚を拾おうとして──動きを止めた。
「…………ん?」
写真には、見覚えのある顔が写っていた。
しゃがみ込み、その一枚を拾い上げる。
「これは……俺だな」
隣に落ちている写真へ目を向ける。
「これも俺だ」
さらに、その隣。
「これも……」
見渡す。
床に散らばっているのは、教室にいる自分。
廊下を歩く自分。
友人と話している自分。
窓の外を眺めている自分。
すべて、成瀬貴俊の写真だった。
俺は立ち尽くしている小鳥遊の方へと、ゆっくりと顔を上げた。
「小鳥遊、この写真……」
もう一度、足元を見る。
その中の一枚に目が留まった。
移動教室で使う教科書を抱え、廊下を歩いている自分。
そして、俺の脳裏に、ここ数日何度も耳にしていた音が蘇った。
──カシャ。
「…………もしや」
写真を見る。
小鳥遊を見る。
また写真を見る。
「あのシャッター音、お前だったのか!」
「…………」




