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第一話 はじまり

 開け放たれた窓から、春の風が教室へと吹き込んでくる。

 白いカーテンがふわりと膨らみ、窓の外では柔らかな陽射しを浴びた木々の葉が揺れていた。


 昼休みを迎えた教室は、あちらこちらから話し声が聞こえて賑やかだ。


 そんな窓際の席で、一人の男子生徒が鏡を覗き込んでいた。

 手にしているのは、鞄にも収まりやすい薄型のスクエアミラー。

 そこに映っているのは、ラフにセンターで分けられた黒髪と、すっきりと整った顔立ち。


 窓から吹き込んだ風が、さらりと前髪を揺らす。


「おっと」


 男子生徒──成瀬貴俊(なるせ たかとし)は指先で髪を整えると、改めて鏡を覗き込んだ。


 正面。

 少し右へ傾ける。

 続いて左。


 うん。どこから見ても、実にいい。


 しばし自分の顔を眺めたあと、ぱたん、とスクエアミラーを閉じ、満足げに口元を緩めた。


「今日の俺もかっこよすぎるな」


 そして当然のように、近くにいた二人へ顔を向ける。


「そうだろ? 二人とも?」


「はいはい、ナル君かっこいいね〜」


「そうだね」


「…………」


 返事はあった。

 あったのだが。


 一人は自分の爪を眺め、もう一人はスマートフォンを操作している。

 二人とも、こちらを見てすらいない。


「適当すぎないか?」


 不満を訴えると、爪を眺めていた女子生徒──小林光果(こばやし みつか)が、ようやく顔を上げた。


 胸下まで伸びたミルクティーベージュの髪が、ふわりと揺れる。

 その合間には、ストロベリーカラーのハイライトが覗いていた。


「え〜? だってナル君、いつもかっこいいじゃ〜ん」


「それはそうだが、今日の俺は今日しか見られないんだぞ?」


「はいはいそうだね〜」


「また適当だな、ミツカ!」


「あ、そうだ」


 光果は思い出したように、胸元でパチンと両手を合わせた。


「こないだの雑誌見たよ〜。ナル君、めっちゃギラついてたね」


「おお! 見てくれたのか!」


「うんうん。付録が欲しかったからついでにね〜」


「俺はついでなのか!? ……それにしても、ふむ。ギラつくとは……?」


 俺は顎に手を添えた。


 ギラつく。


 その言葉を頭の中でじっくりと噛み砕く。

 やがて、はっと目を見開いた。


「なるほど分かった! 太陽のように燦然と輝かしかったという意味だな!」


「ん〜? まあ、そんな感じ〜」


「ふふ、そうだろう!」


 俺は満足げに頷いた。


「あれは夏に向けてのファッションを見せるためのモデルを受けていてな。まさしく夏の太陽を感じるように意識して撮影を受けたのだ」


 そして光果へ、にこやかな笑みを向けた。


「さすが分かっているな、ミツカ!」


「そこまで考えてなかったけどね〜」


 隣から、冷静な声が飛んできた。


「ただギラついてるって言っただけでしょ」


「メグルまで何を言う! 結果として俺の表現が伝わったのだから同じことだ!」


 スマートフォンからようやく顔を上げた女子生徒──一ノ瀬巡(いちのせ めぐる)は、呆れたような目を向けてくる。

 肩まで伸びた黒髪の内側から、ライトブルーのインナーカラーが覗いた。前髪のないワンレンと切れ長の目元も相まって、涼しげな印象の少女だ。


「相変わらずポジティブだね、ナル君」


「ふふ、褒めても何も出ないぞ?」


「褒めてない」


「そうなのか?」


 思っていた返事とは異なったため首を傾げた俺だったが、ふと光果の手元へ視線を落とした。


「ところでミツカ、そのネイルは新しいものだな?」


「ん? あ、分かる〜?」


 光果が嬉しそうに両手を広げる。

 爪先を彩っているのは、鮮やかな赤い色合いのネイルだった。


「もちろんだ。確かその色は、ミツカの推しのメンカラだったか?」


「そ〜そ〜」


「……だが、前に見せてくれた色より少し明るすぎないか?」


「そうなんだよね〜」


 光果は自分の爪を眺めながら、困ったように眉を下げた。


「少し暗いところでやったせいかな〜? もうちょっと落ち着いた色にしたかったんだけどね〜」


「なるほど」


 俺も改めて光果の爪を見る。


「だが、これはこれで可愛いな! 明るい色がミツカの雰囲気によく合っている」


「ほんと〜?」


「ああ。それに、このリボンがワンポイントになっているのもいい。髪につけているリボンとお揃いだな」


「え、そこまで気づいた?」


「当然だろう?」


「ナル君、そういうのほんとよく気づくよね」


 巡が感心したように言う。


「ふふ、見る目には自信があるからな!」


「自分も含めて?」


「もちろんだ!」


「だよね〜」


 光果がくすくすと笑う。


 そのときだった。


「……ん?」


 ふと、視線を感じた。


 俺は何気なく教室を見渡す。


 モデルという仕事柄、人から見られることには慣れている。

 撮影中はもちろん、街中を歩いているときでさえ、誰かの視線を感じることは珍しくない。

 だからこそ、自分に向けられる視線には少々敏感だった。


 そして今も。


「…………」


 少し離れた席に座る男子生徒と目が合った。


 短く切られたアッシュグレーの髪。

 三白眼気味の鋭い目元も相まって、どこか近寄りがたい雰囲気を纏っている。


 今年、同じクラスになった生徒だ。


 名前は──まだ覚えていない。


 目が合ったのも束の間、男子生徒はすっと顔を逸らした。


「……?」


 俺は小さく首を傾げる。


(また俺を見ていたな?)


 実は、これが初めてではない。

 新しいクラスになってからというもの、時折こうして彼から視線を感じていた。


 授業中。

 休み時間。

 廊下ですれ違ったときにも、何度かあった気がする。


(ふむ……)


 どうやら、かなり熱心に見られているらしい。

 俺は少し考え──すぐに思い立った。


(まあ、俺はかっこいいからな。自然と惹きつけられてしまうのだろう)


 それなら仕方がない。

 むしろ、見る目がある。


「ナル君、どしたの〜?」


 光果に呼ばれ、俺は二人へ顔を戻した。


「いや、なんでもない!」


 そう答えると、先ほどまで感じていた視線のことなど、すぐに頭の片隅へ追いやった。

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