第十六話 デコ
放課後。
オレは駅の窓口で、定期券の更新手続きをしていた。
「学生証をお願いします」
「あ、はい」
鞄から二つ折りのパスケースを取り出す。
定期券と学生証を一緒に入れている、いつも使っているものだ。
学生証を取り出そうとケースを開いて──。
「…………あ」
手が止まった。
普段はほとんど意識していなかった透明なポケット。
そこには、成瀬の写った一枚の写真が入っている。
「…………」
忘れていた。
(これ、返してないな)
先日、今まで撮った成瀬の写真は、プリントしていないデータの入ったSDカードも含めて、すべて本人へ渡した。そのつもりだったのだが、この一枚だけはパスケースに入れたまま、すっかり忘れていた。
「お客様?」
「あ、すみません」
声をかけられ、オレは慌てて学生証を取り出した。
◇
手続きを終えたあと、改めて写真を見る。
去年、まだ成瀬を撮り始めたばかりの頃に初めて上手く撮れたと思った写真だった。
昇降口の近くで、校庭の方を眺めている成瀬の横顔。
傾き始めた日の光が目元を照らし、風にさらわれた黒い前髪の隙間から、その目が綺麗に覗いている。
初めて上手く撮れたと思った時の高揚まで、この写真を見ると思い出せる。
だからプリントして、ずっとここに入れていた。
(…………まあ、全部渡すって決めたしな)
少し惜しい気はする。
これだけは、他の写真とは少し違った。
それでも、勝手に撮った写真であることに変わりはない。
(明日、成瀬に渡そう)
◇◇◇
翌日の学校。
「成瀬」
「ん?」
休み時間。
次の授業の用意をしていた成瀬へ声をかけると、すぐにオレの方を向いた。
「どうした、小鳥遊!」
「これ、渡し忘れてた写真」
オレはパスケースから一枚の写真を抜き取り、差し出した。
「おお! これは、あのとき俺が拾ったパスケースに入っていた写真だな!」
成瀬は写真を受け取ると、その顔が明るくなった。
「そう。入れっぱなしだったから気づかなかった」
「そうか! ……ふむ、ちなみにこれはいつの俺だ?」
「去年。撮り始めたばっかりの頃で、最初に上手く撮れたと思ったやつ」
「ほう! なるほど!」
成瀬は興味深そうに写真を眺める。
「つまり、小鳥遊にとっては特別な写真というわけだな!」
「……そうなるな」
「そうかそうか!」
なぜか嬉しそうだ。
オレとしては、今まで持っていたものを返しただけなのだが。
「じゃあ、今度こそ全部返したから」
「ああ! ありがとう、小鳥遊! お前の愛はしかと受け取ったぞ」
「……愛?」
「ならば同じように大切にしなければならないな!」
当然のように自分の生徒手帳へ入れようとする。
「……入れるのか?」
「せっかくお前が入れていたのだから、それが自然じゃないか」
「……? 理由になるか?」
「なるとも! お前が気に入って、ずっと持ち歩いていた写真なのだろう?」
「まあ」
「ならば今度は俺が持ち歩こう!」
「……そう」
どうしてそうなるのかは、いまいち分からない。
だが、成瀬が嬉しそうなので、オレはそれ以上何も言わなかった。
自分の席へ戻ろうとした、そのとき。
「ん〜?」
すぐ近くから、間延びした声が聞こえた。
見ると、成瀬のすぐ後の席に座っていた光果が、こちらを見ていた。
「なに〜? またナル君の写真?」
「ああ!」
成瀬が嬉々として見せる。
「小鳥遊がパスケースに入れていた写真一枚を渡し忘れていたそうだ!」
「へえ〜」
小林は納得しかけ──ふと、写真をじっと見る。
「…………小鳥遊君」
妙に改まった声だった。
「……何だよ」
「君、その写真ずっとパスケースに入れてたんだよね〜?」
「そうだけど」
「そのまま?」
「そのまま」
「…………」
小林がすっと目を細めた。
「小鳥遊君。君は写真をデコらないのかね?」
「…………」
妙に重々しい口調だった。
「今度は何の芝居だよ」
「芝居ではないぞ、若者よ〜」
「同い年だろ」
光果は気にせず、成瀬が持っている写真を指差した。
「せっかくお気に入りの写真を持ち歩くなら、可愛くデコった方がいいじゃ〜ん」
「可愛いのは趣味じゃない」
「では、こちらをご覧くださ〜い!」
待ってましたとばかりに、光果が自分の鞄を漁る。
「取り出したるは〜? じゃんじゃじゃ〜ん!」
取り出されたのは、光果の推しアイドルの写真だった。
写真は透明な硬質ケースに収められ、その周囲には落ち着いた濃いピンク色を中心に、ラインストーンやパーツが飾りつけられている。
「見て見て〜! ラインストーン! キラキラして推しがさらに輝いて見える!」
「ゴテゴテしてるの、邪魔じゃないか?」
「え〜?」
「あと、その推しより周りの方が主張強くないか、それ」
写真を見るなら、まず目に入るのは被写体であってほしい。
オレからすれば、周囲がこれだけ光っている時点で邪魔だった。
(んなもん、成瀬が写ってるだけで十分だろ)
「そんなことないも〜ん。これは推しを輝かせるための額縁なの!」
「額縁……」
「それになにより、特別感!」
光果は人差し指を立てる。
「量産されてる写真を、自分好みにカスタマイズするの! 世界に一個だけの推しケースになるんだよ〜!」
「自分で撮った写真だから、量産じゃないが」
「…………」
「…………」
「細かいな〜!」
「事実だろ」
「じゃあ世界に一枚しかない写真を、さらに世界に一個しかないケースに入れられる! もっと特別!」
「強引だな、お前。……でも、そのケースに入れるのはいいと思う」
「おっ?」
光果の目が輝く。
「写真、よれないから」
「でしょ〜!? ほら、分かってるじゃん!」
「ケースの良さはな。飾りはいらない」
「むむむ……」
光果が唇を尖らせる。
すると、横から写真を眺めていた成瀬が顔を上げた。
「だが、面白そうではないか! 俺もやってみたいぞ!」
「さすがナル君! 話が分かる〜!」
「俺ほどの男なら、どれほど華やかに飾っても負けることはないだろう!」
「そういう勝負なのか?」
「むしろ俺を飾るのなら、中途半端では俺の格が下がる! やるなら豪華にいこう!」
「おお〜! 盛ろう盛ろう!」
「盛るなよ」
嫌な予感がしてきた。
そして、その予感はすぐに的中する。
「よし!」
光果が勢いよく立ち上がった。
「じゃあ、明日の放課後! みんなでトレカケースデコしよ〜!」
「おおーー!!」
成瀬が拳を上げる。
「メンバーは〜、アタシとぐるちゃんとナル君と小鳥遊君!」
「…………」
少し離れた席でスマホを見ていた一ノ瀬が驚いたように顔を上げた。
「え? 私も? 確定?」
「勝手に決まったな」
オレも呟く。
「みんな、デコりたい写真を明日持ってきてね〜!」
「オレもやるのかよ」
「もちろん!」
「俺も選りすぐりの写真を持ってこよう!」
「いっぱい持ってきていいよ〜!」
「分かった!」
「いや、一枚でいいだろ」
すでに二人とも聞いていない。
「じゃ、私はデコの準備するから楽しみにしてて〜!」
「準備って何を持ってくる気だよ」
「ふっふっふ〜」
光果が不敵に笑う。
「それは明日のお楽しみ!」
「…………はあ」
どうやら、参加するかどうかを聞かれる段階はとうに過ぎていたらしい。




