第十三話 小鳥遊とカメラ③
それから、オレは写真を撮り続けた。
入江先輩から借りた本を読み、分からないことがあれば先輩たちに聞く。教わったことは実際に試し、失敗すれば何が駄目だったのかを考えて、また撮った。
そうしているうちに、写真部員として過ごす時間も自然と増えていった。
夏休みには写真部の合宿へ行き、入江先輩に誘われた夏祭りでは暗い場所での撮影方法も教わった。秋の文化祭では、写真部の展示会に自分の写真を出した。
放課後や休日にも、風景や電車、人と、いろいろなものを撮った。
最初は成瀬を撮るためだけに始めた写真だったが、気づけばカメラを持って出かけること自体にも、ずいぶん慣れていた。
それでも、一番多くレンズを向けた相手は最初から変わらない。
成瀬貴俊だ。
◇◇◇
写真を撮り始めたばかりのころは、成瀬を見つけてから慌ててカメラを取り出していた。
当然、間に合わないことも多い。
準備をしているうちに通り過ぎてしまったり、せっかく撮れても構図が滅茶苦茶だったりする。
けれど、高尾先輩から教わった。
『その人を撮る前に、ある程度イメージしておくといいですよ』
なら、先に準備しておけばいい。
成瀬がどこにいることが多いのか。
どの時間なら、どの廊下を通る可能性が高いのか。
移動教室のときは、どの道を使うのか。
毎日見ているうちに、ある程度は分かるようになった。
(今日はこっちだな)
昼休み。
オレは成瀬の姿を探すより先に、廊下の端でカメラを準備する。
しばらく待っていると、予想通り、廊下の向こうから成瀬が現れた。
(来た)
すでに準備はできている。
成瀬が友人と話しながら歩いてくる。
その姿をファインダーに収め、タイミングを待った。
成瀬が何かを言われて笑った。
シャッターを切る。
(……撮れた)
以前なら、カメラを構えている間に消えていた表情だった。
高尾先輩の言った通りだった。
◇◇◇
もっとも、先に待っていれば必ず綺麗に撮れるわけではなかった。
「…………邪魔だな」
カメラを下ろす。
今日は人が多い。
成瀬は見えているのに、その前を何人もの生徒が横切っていく。
場所を変えてみたが、今度は柱が邪魔になる。
(ここじゃ駄目だ)
別の場所を探す。
少し離れたところからなら、人に遮られることはない。
だが、今度は成瀬が小さすぎる。
(……そういえば)
父親が揃えていた機材の中に望遠レンズがあったことを思い出した。
後日、オレはグラウンド脇にある校舎の陰にいた。
ここならグラウンドからは目につきにくく、少し離れた場所から正面に近い角度で人を捉えられる。
カメラには、望遠レンズを取り付けていた。
肉眼では遠くに見える成瀬が、ファインダーの中ではぐっと近づく。
(……これ、いいな)
距離がある分、周囲にいる生徒を避けながら成瀬だけを狙いやすい。
体育の授業中らしく、成瀬は友人たちと一緒にグラウンドを走っていた。
動いているところを撮るのは、以前ならそれだけで難しかった。
けれど今は、どちらへ進むのかを目で追いながら、次に来る場所を予測する。
(こっち)
レンズを動かすと、走ってきた成瀬がちょうど正面に近い角度でファインダーへ入った。
シャッターを切り、確認する。
(うん、悪くない。……もう一枚)
再びカメラを構えた。
◇◇◇
撮影場所を探すことも増えた。
どこからなら成瀬が綺麗に見えるのか。
どこなら人に邪魔されないのか。
どの角度なら光がいいのか。
校内を歩き回っているうちに、自然と撮りやすい場所も覚えていった。
ある日の放課後。
オレは校庭にいる成瀬を見つけた。
撮ろうとしたが、今いる場所からでは手前の植え込みが邪魔だった。
横へ移動する。
まだ邪魔だ。
「…………」
オレは足を止め、すぐそばにある一本の木を見上げる。
枝は太いがある程度の高さまで登れば、植え込みを越えて成瀬が見えるはずだ。
(あそこなら撮れるな)
カメラをバッグへしまい、木に手をかける。
登った。
枝に腰を下ろし、落とさないよう注意しながらカメラを取り出す。
「…………お」
予想通り、葉の隙間から成瀬がよく見えた。
むしろ、少しだけ写り込む葉も悪くない。
以前、高尾先輩が言っていた。
障害物も、すべて邪魔になるわけではない。
使い方によっては、それも写真の一部になる。
オレはファインダーを覗きながら位置を調整し、手前にある葉を少しだけ入れる。その向こうに成瀬を置いた。
(……こっちの方がいいな)
シャッターを切り、すぐに写真を確認する。
(悪くない)
少なくとも、最初のころとは比べものにならなかった。
◇◇◇
撮れば撮るほど、分かることが増えていった。
同じ成瀬でも、見るたびに違う。
晴れた日の窓際では、輪郭に光が当たる。
曇っている日は影が柔らかい。
体育のあとは前髪が乱れていることが多く、普段より少し幼く見えた。
友人といるときはよく笑う。
一人でいるときは、思っていたよりぼんやりしている。
朝霧先輩から教わったように、周りの風景まで考えることも増えた。
夏の強い日差し。
秋の色づいた木々。
冬の曇った空。
成瀬だけを大きく撮るのではなく、そのとき、その場所にいる成瀬ごと残したいと思うようになった。
入江先輩に教わったことも、少しずつ分かるようになった。
『ちゃんと見てれば、「今だ」って瞬間が分かるようになるから』
最初は分からなかった。
撮りたいと思ってからカメラを構えていた。
ピントを合わせて、設定を確認している間に、その瞬間は終わっていた。
けれど、何度も撮った。
何度も失敗した。
そうしているうちに、少しずつ変わっていった。
ファインダーを覗く。
成瀬を見る。
前髪が額にどうかかっているか。
どちらから光が当たっているか。
目がどこを向いているか。
口元がどう動いたか。
次にどちらを向くのか。
どんな顔をするのか。
以前はいちいち考えていたことが、少しずつ感覚で分かるようになっていく。
ファインダーを覗けば、自然と成瀬だけに集中できるようになった。
そして時折。
(──今だ)
そう思える瞬間が、訪れるようになった。
◇◇◇
そんなある日の放課後。
オレはいつものように、少し離れたところから成瀬を見つけた。
校舎を出た先、昇降口から少し離れた場所に一人でいる。
誰かを待っているのか、ぼんやりと校庭の方を眺めていた。
傾き始めた日の光が、その横顔を照らしている。
(……いいな)
オレは足を止め、カメラを取り出した。
成瀬はこちらに気づいていない。
ファインダーを覗く。
風が吹き、黒い前髪がわずかに揺れた。
額に落ちていた髪が動き、いつもより目元がよく見える。
すぐには撮らなかった。
光の向き、顔の角度、背景にある木々。
ファインダーの中を確認しながら少しだけ位置を変える。
(違う。……もう少し、右)
再び構える。
成瀬が少し俯き、何かが気になったのか再び顔を上げる。
視線が動き、もう一度風が吹いた。
前髪が揺れる。
傾いた日の光が、その目元に差し込む。
(──今だ)
シャッターを切った。
「…………っ」
すぐに液晶画面を確認して、オレの動きが止まる。
(……これ、いい)
今までだって、上手く撮れた写真はあった。
けれど、これは違った。
自分が目で見て、格好いいと思った成瀬が、そのまま写真の中にいる。
前髪の隙間から覗く目に、頬へ落ちた柔らかな影。風に揺れる髪。
ただ立っているだけなのに、その一瞬に感じた魅力を、ちゃんと捕まえられた気がした。
胸の奥が、ぞわりとする。
さっきまでファインダーを覗いていたときの感覚が、まだ身体に残っていた。
その一瞬を待っている間、周りのものは何も気にならなかった。
目も、髪も、光も、ほんのわずかな顔の動きも。
意識のすべてが成瀬一人へ向かっていた。
そして、自分が欲しいと思った瞬間にシャッターを切る。
それが、こうして残っている。
「…………あぁ、これだ」
もう一度ファインダーを覗いた。
(もっと撮りたい)
今度はどんな顔をするのか。
次はどんな瞬間が来るのか。
さっきよりも、もっといい一枚が撮れるかもしれない。
そう思うだけで、身体の奥が妙に熱くなる。
写真を撮ることが、こんなにも面白いとは思わなかった。
何より──成瀬を撮ることが、こんなにも楽しいとは。
最初は、一枚だけのつもりだった。
気づかれなければいい。普段の成瀬を一枚、綺麗に残せれば、それでいいと思っていた。
けれど、一枚撮れば、また次が欲しくなる。
知らない表情を見つければ、それも残したくなる。
今日より綺麗に。
次はもっと格好よく。
もっと。
「…………」
ファインダーの向こうで、成瀬が笑った。
(──あ)
反射的にシャッターを切る。
また、胸が高鳴った。
※写真部は健全に写真を教えているだけです。
入江先輩
「相手をよく見て、一番いい瞬間を逃すな!」
朝霧先輩
「風景も含めて、その人が映える構図を考えるといいよ」
高尾先輩
「事前準備と行動予測が重要です」
水野先輩
「その人らしさを知るのも大事だよ」
結弦
「分かりました」
先輩たち
(熱心な後輩だなあ)
なお、先輩たちは撮影が無許可であることを知りません。




