第十二話 小鳥遊とカメラ②
写真部に入ってから、数日後。
「じゃ、今日はことり君が撮られる側な」
「俺がですか?」
「そ。撮る側ばっかやってても分かんないことあるからさ〜」
放課後の部室で、入江先輩はそう言いながらオレのカメラを受け取った。
「そこの窓際に立ってみ」
「ここですか?」
「うん。そのまま動かないで〜」
言われた通り、窓際に立つと、入江先輩は少し離れたところからカメラを構えた。
「まず一枚〜」
シャッター音が鳴る。
「次、顔はそのまま! ことり君、目だけもうちょいこっち見て!」
「はい」
「いいね! 撮るよ〜」
今度は入江先輩自身が位置を変え、少し角度をつけてカメラを構える。
パシャリともう一枚。
「そのままの体勢でいてね。前髪、ちょっと触るぞ〜」
「どうぞ」
「ほんと気にしないな、ことり君」
「撮るためですよね?」
「そうだけどさ。いつかイタズラ仕掛けてやろっかな〜……よし、もう一枚」
三度目のシャッター音。
「ほい。見てみ」
入江先輩からカメラを返され、オレは液晶画面を確認した。
三枚とも、写っているのは自分だ。
だが、印象が違う。
一枚目は、真正面からただ撮っただけの写真。
二枚目は光の当たる位置が変わり、一枚目よりも顔立ちがはっきりしている。
三枚目はさらに角度がつき、整えられた前髪の隙間から目元に光が落ちていた。同じように立っていただけなのに、一枚目よりもずっと印象に残る写真になっている。
「……同じオレですよね」
「当たり前だろ〜」
「全然違う」
「だろ?」
入江先輩が楽しそうに笑った。
「顔ってさ、ちょっとしたことで見え方変わるんだよ。向きとか、光の当たり方とか」
入江先輩は二枚目の写真を指差す。
「あと目な。目は口ほどに物を言うっていうだろ?」
「はい」
「視線がちょっと動いたり、目元が緩んだり。それだけでも結構変わんの。そういう一瞬を逃さないこと」
入江先輩は自分の前髪を指で摘まむ。
「髪だってそう。前髪が額にかかってれば影ができるだろ? それだけで顔の凹凸がはっきり見えたりするし。逆に耳を出せば、すっきりして見えたりさ」
「…………」
もう一度、三枚の写真を見比べた。
(……すごいな。こんなに違うんだ)
同じものを撮っているのに、撮り方ひとつでここまで変わる。
オレにとって、それは結構な衝撃だった。
(だったら、成瀬も……)
前髪が綺麗に整っている日もあれば、体育のあとで乱れていることもある。
窓際で光が当たっているときと、廊下にいるときでも違う。
これまで見てきた成瀬の顔が、次々と頭に浮かんだ。
「ことり君?」
「……もっと知りたいです」
「お」
「どう撮れば、一番綺麗に見えるのか」
「いいね〜」
入江先輩がにっと笑った。
「でも、それならカメラの使い方だけ覚えても駄目だぞ」
「何を覚えるんですか?」
「まず、相手を見ること」
入江先輩は笑いながら、オレの持つカメラを指差した。
「最初のうちはさ、ファインダー覗いたらピントとか設定とか、そっちばっか気にするだろ?」
「……はい」
「でも、撮りたいのはカメラじゃなくて人だから」
オレは入江先輩を見る。
「その人が今どんな顔してるのか。どっちから光が当たってるのか。髪がどうなってるのか。目がどこ向いてるのか」
入江先輩が自分の目元を指差した。
「ちゃんと見てれば、『今だ』って瞬間が分かるようになるから」
「…………」
「ことり君、撮りたい奴いるんだろ?」
「います」
「じゃあ、そいつのことよく見とけ」
「見てます。毎日」
「毎日? ……お、おぉ〜やるね」
入江先輩がわずかに身を引いた。
「ことり君さ。たまに怖いよな」
「そうですか?」
「うん。その撮りたい人の話してるときだけ、圧がすごい」
「普通ですけど」
「本人には言われてない? 見過ぎだって」
「話したことないので」
「…………」
「何ですか?」
「いや……なんでもない。うん。まあ……頑張れ!」
「はい」
「いい顔って、一瞬だったりするしね!」
オレは黙って、自分のカメラへ目を落とした。
思い当たる瞬間なら、いくらでもあった。
ふと笑ったとき。何かに気づいて顔を上げたとき。
撮りたいと思ってからカメラを構えても、その表情はもう消えている。
そんなことが何度もあった。
「どうしたら分かるようになりますか?」
「撮る」
「撮る?」
「いっぱい撮る。いっぱい失敗する。で、なんで駄目だったのか考える」
「……それだけですか?」
「それが一番大事なんだって〜」
入江先輩は部室の棚へ向かうと、並んでいた本を何冊か引き抜いた。
「あと、これ」
「何ですか?」
「構図とか光の使い方とか、人物撮影の本。読んでみ」
オレは差し出された本を受け取る。
「借りてもいいんですか?」
「いいよ。分かんないことあったら聞けばいいし。実際に試したくなったら、俺が付き合ってやる」
「ありがとうございます」
「いいっていいって。せっかく入った後輩だしな〜」
入江先輩はそう言って、軽くオレの肩を叩いた。
「ことり君が撮りたい奴、めちゃくちゃ綺麗に撮れるようにしてやるよ」
「……はい」
その言葉に、オレは素直に頷いた。
「あ、でもさ」
入江先輩が思い出したように付け加える。
「写真って、撮る人によって結構違うからな。何を綺麗だと思うかも、何を残したいと思うかも、人それぞれだし」
「そうなんですか?」
「そ。俺が教えたことが全部ってわけじゃないってこと」
入江先輩は部室の中を見回した。
「せっかく写真部入ったんだし、他の先輩にも聞いてみたら? みんな撮ってるもんも違うし、俺とは全然違うこと言うと思うよ」
「……分かりました」
「使えそうだと思ったもん、ことり君が好きに取り入れればいいんじゃね?」
◇
▪️3年・部長:朝霧先輩の場合
「俺は風景メインだけど、人を入れて撮ることもあるよ」
朝霧先輩はそう言って、自分が撮った写真を何枚か見せてくれた。
「風景の中に人が一人入るだけで、なんかストーリーが生まれるんだよな。ほら、夕焼けの中に後ろ姿があると、ちょっと物寂しく感じたり」
「……確かに」
「逆に青空を背にして飛び上がってる人がいたら、一気に青春っぽくなるだろ?」
オレは、渡された二枚の写真を見比べた。
「だから人を撮りたいっていうんなら、その人が一番引き立つ配置とか構図とか。そういうのなら一緒に考えるよ」
「ありがとうございます」
◇
▪️3年・撮り鉄:高尾先輩の場合
「撮影において、事前の準備は重要ですよ」
高尾先輩は、撮りためた鉄道写真をオレに見せながらそう言った。
「鉄道は街中だけでなく、野原や山、川、様々な場所を通ります。障害物をどう避けるか、どの角度からなら迫力が出るか。何時何分にここを通るのかも事前に把握しておく必要があります」
「……大変ですね」
「それが楽しいんですよ」
高尾先輩は写真を見ながら微笑む。
「障害物も、すべて邪魔というわけではありません。自然の中を走るなら、草木があった方が季節感も出ますからね」
「なるほど」
「ところで、小鳥遊君は人を撮りたいんでしたね?」
「はい」
「ならば、その人を撮る前にある程度イメージしておくといいですよ」
「イメージ?」
「どこで撮るのか。何時頃なら太陽光がどの位置にあり、どう当たるのか。どんな構図にしたいのか。撮影を始めてから全部考えていたら、時間がかかりますからね」
「…………」
どこで、何時頃。
それなら、成瀬がよくいる場所はある程度分かる。
「先に場所を見ておくのもいいかもしれません。ここから撮れば背景に余計なものが入らないとか、こちらからなら光が綺麗に当たるとか」
「なるほど」
「鉄道と違って、人物なら相手にも立ってもらう場所を伝えられますしね」
成瀬に頼むのは無理だ。
なら、成瀬がそこにいるときに撮ればいい。
「分かりました」
「ええ。準備しておけば、落ち着いて撮れますよ。あと、体力」
「体力?」
「はい、重要ですよ」
高尾先輩は真顔で頷いた。
「撮影場所まで移動したり、機材を持って歩き回ったりしますからね。撮りたいものがあるなら、動けるだけの体力をつけておいて損はありません」
「分かりました」
◇
▪️2年・コスプレイヤー:水野先輩の場合
「あ、ごめんね〜。私、今ちょっと忙しくて」
二年の水野先輩は部室の机いっぱいに布やら裁縫道具やらを広げていた。
「イベント近いから、衣装作らなきゃなんだよね〜」
「写真部ですよね?」
「そうだよ?」
水野先輩は手を止めることなく笑った。
「写真撮る方はそんなに得意じゃないんだけど、撮られることなら多いから、そっちからならアドバイスできるよ」
「お願いします」
「たとえば私なら、写真の主役は私にしてほしい」
「主役」
「そ。背景をぼかしたりして、まず私に目がいくようにしてほしいんだよね」
水野先輩は縫いかけの衣装を持ち上げる。
「あとコスプレって、ただ綺麗に撮ってもらえばいいわけじゃなくてさ。キャラになりきってるから、そのキャラらしいポーズとか表情とかを一番いい感じに残してほしいの」
「その人らしく撮るってことですか?」
「そうそう! それ!」
水野先輩がオレを指差した。
「人を撮りたいなら、その人がどういう人なのか知るのも大事なんじゃない?」
「…………」
その人が、どういう人なのか。
成瀬のことを思い浮かべた。
顔なら、よく見ている。
笑った顔も、ぼんやりしている顔も、いくつか知っている。
けれど考えてみれば、オレは成瀬と一度も話したことがない。
(……どういう奴なんだろうな)




