第十一話 小鳥遊とカメラ
その日の夜。
自室のパソコンで、今日初めて成瀬の許可を得て撮った写真を眺めていた。
これまでとは違う。
本人に許可をもらって、真正面から撮った、初めての一枚。
こちらを真っ直ぐ見つめる成瀬。
そのあと、嬉しそうに笑った瞬間。
どちらも今まで撮った写真にはなかった顔だ。
(……あいつ、お人好しなのか?)
勝手に撮っていた写真まで喜んで受け取って、そのうえ、これからも撮っていいと言う。
(普通、もっと怒るだろ。……あいつって怒るのか?)
考えてみる。
一年間、成瀬を見てきた。
笑っているところも、騒いでいるところも、得意げに胸を張っているところも、誰かに呆れられているところも見た。
けれど、不機嫌そうにしているところや、怒っているところは──。
(……見たことない気がするな)
少なくとも、オレの記憶にはなかった。
(……やっぱ、お人好しなのか?)
成瀬の写った写真をしばらく眺めてから、ふと机に置いた一眼レフカメラへ目を向けた。
思えば、こいつをまともに使おうと思ったのも、成瀬がきっかけだった。
◇◇◇
一年の五月下旬。
成瀬貴俊という存在を知ってからしばらく。
オレは暇さえあれば、その姿を探すようになっていた。
教室の前を通り、廊下ですれ違えば目で追う。見かければ、行き先が気になって後をついていく。
それだけでも最初は満足していた。
だが、当然ながら成瀬を見られるのは学校にいる間だけだ。
家に帰れば、成瀬の載っている雑誌を見ることはできる。
オレが最初に惹かれたのは、そこに写る成瀬だった。
綺麗に整えられた髪に、撮影用の衣装。プロの手によって魅力を引き出された成瀬は、何度見ても文句なしに格好いい。
けれど、学校で見る成瀬には、それとはまた違った魅力があった。
なんというか、もっと柔らかいのだ。
友人とくだらない話をして笑ったり、授業中にぼんやり窓の外を眺めていたり、眠そうに欠伸をしていたり。雑誌のように飾り付けられていない、普通の男子高校生らしい姿。
それを見ていると、なぜかもっと見たくなる。
一度見れば満足するどころか、知らない表情を見つけるたびに、また次が見たくなった。
(……こういうのも、写真に残せたらいいのに)
そう思ったとき、ふと家にあるものを思い出した。
父親が買った、一眼レフカメラ。
会社の後輩が持っていたものを見て欲しくなったらしい。買った直後こそ頻繁に触り、家族にも自慢していたが、今ではほとんど使われず、リビングの棚に置きっぱなしになっていた。
スマホでも撮れるだろうが、どうせなら良いもので撮りたい。
その日の夜、棚からカメラを取り出した。
とりあえず電源を入れて、近くにあったティッシュ箱へレンズを向けてみる。
ぼやけている。
「……? どうやるんだ?」
スマホとは違い、ボタンやダイヤルが多く、どこを操作したらいいのかが分からない。
説明書も読んでみたが、オートフォーカス、シャッタースピード、絞り、ISO感度──初めて目にする名称が多い。それでも文字を追うことはできるし、書いてある意味もなんとなくは分かる。
だが、それを実際にどう使えばいいのかが分からない。
(触ってみれば分かるだろ)
レンズを回すと、少しだけはっきりした。
「お、ここか」
もう少し回してみる。
すると、またぼやけた。
元に戻す。
「……面倒くさ」
早くも嫌になったが、ひとつずつ、説明書を見ながら扱い方を確認していく。
(……まあ、なんとかなるだろ)
◇◇◇
翌日。
オレはさっそく学校へカメラを持ってきた。
父親はカメラを買った際、周辺用品まで一式揃えていた。その中に、普段通学に使っているリュックにも収まるカメラ用のインナーバッグがあったため、それに入れて持ってきたのだ。
昼休みになると、リュックからカメラを取り出した。
昨夜、一通り使い方は確認した。
止まっているものなら、それなりに撮れるようにもなった。
(写真撮らせてくれって言うか?)
カメラを用意して今更だが、そもそも相手のことを考えていなかった。
だが、オレは成瀬と話したことすらない。
突然、別のクラスの知らない男子に「写真を撮らせてほしい」と言われたら、普通に気味が悪いだろう。
(……無理だな)
それに、オレが撮りたいのは、カメラに向けて作った顔ではなかった。
何も知らずに笑っているところ。
ぼんやり窓の外を眺めているところ。
普段、自分が見ている成瀬を、そのまま残したい。
(気づかれないように撮ればいいか)
一枚くらい、バレなきゃいいだろう。
そう結論づけた。
◇
廊下の先に、友人と話しながら歩いている成瀬を見つけた。
(いた)
オレは少し離れたところからカメラを構え、ファインダーを覗いた。
「…………」
ぼやけている。
(なんでだ。昨日はできたのに)
昨日と同じようにレンズを弄ると、少しずつ輪郭がはっきりしてきた。
しかしその間にも成瀬は歩いていく。
(待て)
焦ってレンズを回すと、またぼやけた。
(違うって)
慌てて戻し、ようやく合いそうになったところで──成瀬が角を曲がった。
「…………あ」
一枚も撮れなかった。
◇
別の日には、なんとかシャッターを切ることができた。
すぐに液晶画面を確認するが、よりによって、一番大事な顔がぼやけている。
なぜか背景にピントが合っている。
「……なんでだよ」
◇
さらに別の日。
今度は窓際にいる成瀬を見つけた。
慎重にピントを合わせ、今度こそいけると思ったところでシャッターを切る。
すぐに確認してみれば──。
「…………暗い」
窓から差し込む光のせいか、肝心の成瀬の顔が暗くなっていた。
液晶画面と、その向こうにいる本人を見比べる。
(全然違うな)
自分が今見ている成瀬は、もっと格好いい。
表情も、光の当たり方も、目で見たときには全部もっと良かった。
なのに、自分が撮るとそれが残らない。
(なんで、こんなに違うんだ)
何度やっても目で見た成瀬の良さを写真に残せないことに、だんだん腹が立ってきた。
(……絶対、綺麗に撮ってやる)
いつの間にか、オレは意地になっていた。
◇
その日、放課後になると校内の案内板の前に立っていた。
部活動一覧の中から目当ての文字を探す。
──写真部。
別に、写真そのものに興味があるわけではない。
風景を撮りたいとも思わないし、カメラについて詳しくなりたいわけでもなかった。
ただ、自分が見ている成瀬を、そのまま写真に残したかった。
(成瀬を、ちゃんと撮りたい)
格好いいと思った瞬間を、格好いいまま、残せるようになりたい。
それだけだった。
◇◇◇
「人が撮りたい?」
写真部の部室。
入部希望だと伝えたオレに、部長の朝霧先輩は眼鏡の奥で目を瞬かせた。
丸みのある黒髪に眼鏡をかけた姿は、いかにも真面目そうな印象だった。
「はい」
「風景とかじゃなくて?」
「人を撮りたいです」
「うーん……」
朝霧先輩は困ったように腕を組んだ。
「俺、ポートレート苦手なんだよな。……お〜い、入江〜。お前が新入部員に撮り方教えてやれ〜」
「マジっすか、パイセン!」
奥から、ひょいと男子生徒が顔を出した。
明るい黄緑色の髪は、短めのマッシュに緩くパーマがかかっている。朝霧先輩とは対照的に、ずいぶんと軽そうな雰囲気の先輩だった。
「俺もまだまだなんだけどな〜」
「俺よりは得意だろ」
「まあ、そりゃそうっすけど」
入江先輩はオレの方へ視線を向けると、にっと笑った。
「ま、俺に任せときな〜、後輩君!」
「よろしくお願いします」
「そういや名前なんてーの?」
「小鳥遊結弦です」
「たかなし君ね〜。漢字どんなの?」
「これです」
さっき記入した入部届を指差す。
「へえ、小鳥が遊ぶって書くんだ。かわい〜。じゃ、ことり君な!」
「小鳥遊がいいです」
「じゃ、ことり君。とりあえず腕前見るから俺のこと撮ってみ〜」
「……分かりました」
名前の呼び方に関してはスルーされたが、まあいい。
オレは持ってきたカメラを構えた。
入江先輩へレンズを向け、ピントを合わせる。
ピントを合わせること自体は、昨夜何度か試している。少し手間取るものの、もうできないわけではなかった。
「撮ります」
「お、どうぞ〜」
シャッターを切り、すぐに液晶画面を確認した。
「どう? イケメンに撮れた?」
「一応、撮れてます」
「一応ってなんだよ〜。見せてみ?」
入江先輩が隣から液晶画面を覗き込む。
「…………なるほどね」
「何か駄目ですか?」
「駄目っていうか……ことり君、俺のこと撮っただけだな」
「撮れって言われたので」
「そうなんだけどさ〜」
入江先輩は苦笑しながら、画面を指差した。
「顔の真ん中に合わせて、そのままシャッター押しただけっしょ?」
「はい」
「やっぱりな〜」
入江先輩は液晶画面を眺めながら、どう説明したものかと顎に手を添えた。
「人物撮るなら、ただピント合わせて写せばいいってもんじゃないんだよ。光とか構図とか、撮る角度とか。あと、相手のどの瞬間を撮りたいかとかさ」
「…………」
撮りたい瞬間なら、いくらでもあった。
「ことり君、最初から人撮りたいって言ってたし、綺麗に撮りたい奴がいるんだろ?」
「います」
「じゃあ、その人が一番良く見える撮り方、覚えないとな」
「……そうですね」
「よし。ならまず、ひたすら俺で練習してみっか!」
入江先輩がにっと笑う。
「ありがとうございます。……入江先輩」
別に、最初から上手く撮れるとは思っていない。
分からないなら教わればいい。
できないなら、できるようになればいい。
オレにとって大事なのは、ただ一つ。
成瀬を、撮ることだ。




