第十話 光果と巡の結論
ぱしゃり。
小さなシャッター音が、放課後の教室に響いた。
「小鳥遊! 今のはどうだった?」
「んー……ちょっと待て」
小鳥遊がカメラの画面を確認する。
その横から、ナル君が覗き込んだ。
「おお! いいではないか!」
「近い。次、窓際に寄って。カーテンが風で揺れた方が爽やかな雰囲気になる」
「任せろ!」
小鳥遊の指示で、ナル君が嬉々として窓際へ向かう。
少し離れた席に座りながら、私はそんな二人の様子を眺めていた。
写真鑑賞会は、少し前に終わった。
ナル君の写真を確認させてもらう、という名目で始まったそれは、途中からナル君本人まで加わって、なんだかんだで随分と盛り上がった。
そして今は、小鳥遊がナル君の写真を撮っている。
もちろん、今度は勝手にではない。
「小鳥遊! 次はウインクとかしてみるか? ピースもするぞ!」
「ああ、それも順番に撮る」
「どうだ! うまく撮れたか?!」
「少しうるさい。そのままにしてろ」
小鳥遊がカメラを構え、シャッターを切ると、すぐに画面を確認する。
「……お。今のいい」
「見せてくれ!」
「だから近いって」
また二人でカメラを覗き込んでいる。
「楽しそ〜だねぇ」
隣から、のんびりとした声が聞こえた。
見れば、光果も机に頬杖をつきながら二人を眺めていた。
「そうだね」
「なんかもう、普通に撮影会になってるし」
「うん」
「小鳥遊君、さっきより生き生きしてない?」
「それは思った」
先ほどまでは、三人に囲まれて質問されていたせいもあるのだろう。
今の方が明らかに表情が柔らかい。
何より。
「小鳥遊! 今度はどうする?」
「……真面目そうな顔も撮りたい。できるか?」
「俺はモデルやってるからな! 表情管理はお手のものだ!」
そう言った直後、ナル君の表情がすっと変わる。
「……あ、今の顔いい。こっち見て」
「こうか?」
ぱしゃり。ぱしゃり。
「…………」
私は二人を眺める。
少し前まで、小鳥遊は隠れてナル君を撮っていたというが、今は違う。
ナル君は自分が撮られていることを知っている。
小鳥遊も、隠れることなく真正面からカメラを向けている。
レンズ越しに、二人の視線が真っ直ぐぶつかっていた。
「ぐるちゃん?」
「ん?」
「何考えてるの?」
「……別に」
それだけ答えると、自分の鞄へ手を伸ばした。
「そろそろ帰ろ。結構いい時間」
「あ、ほんとだ〜」
光果もスマホで時刻を確認し、慌てて立ち上がる。
「ナル君、小鳥遊君! 帰るよ〜!」
「お? そんな時間か!」
「……もうか、惜しいな」
「小鳥遊! 今度また撮ればいい!」
「そうする」
あっさりと返した小鳥遊が、カメラを鞄へしまう。
その言葉を聞きながら、私はもう一度だけ小鳥遊を見た。
◇◇◇
校門を出て、しばらく四人で歩いた。
駅へ向かう途中で道が分かれ、ナル君と小鳥遊が同じ方向へ、私と光果が反対側へ向かうことになった。
「じゃ〜ね、ナル君! 小鳥遊君もまた明日〜!」
「ああ! また明日!」
「じゃあな」
手を振る光果の隣で、私も軽く手を上げる。
「また明日」
二人が歩いていく。
ナル君が何やら楽しそうに話し、小鳥遊がそれに返している。
その後ろ姿をしばらく眺めていると、隣から声がした。
「さてさて、ぐるちゃん」
「何?」
「小鳥遊君、どうする〜?」
「…………」
隣を見る。
光果はいつものように笑っていた。
「どうするって何」
「分かってるくせに〜。ほら、ストーカーしてた件についてだよ〜。もう大丈夫だと思う?」
「……どうだろ」
そこは、まだ分からない。
昨日、初めて話した相手だ。
今日一日見ていただけで、その人間の全部が分かるわけではない。
そもそも、勝手にナル君の後をつけて、写真を撮っていたのは事実だ。
ナル君が許したからといって、それまでのことが問題なしということになるわけでもない。
「やったことはアウトだと思う」
「うん」
「ナル君が気にしてないからって、勝手に撮っていい理由にはならないし」
「うんうん」
「でも……」
今日は、頼まれた写真を全部持ってきたし、隠すこともなく自分から差し出した。
そして、もう勝手には撮らないと言った。
さっきだってそうだ。
カメラを構える前に、ちゃんとナル君に声をかけていた。
何より。
「ナル君、楽しそうだったね〜」
光果が言った。
「……うん」
「小鳥遊君も」
「そうだね」
それは、私にも分かった。
写真を撮っている小鳥遊も。
撮られているナル君も。
二人とも、楽しそうだった。
「私はもう大丈夫だと思うけどな〜」
「なんで?」
「だって小鳥遊君、ナル君に嫌われることだけは絶対したくなさそうじゃん」
「…………まあ、確かに」
昨日の小鳥遊の様子を思い返しても、それは分かりやすかった。
ナル君本人に嫌がられること。
それだけは、小鳥遊も望んでいないのだろう。
「じゃ、様子見ってことにしとく?」
「そうだね」
私は頷いた。
「また何かやったら、その時また考える」
「おっけ〜!」
「でも、今のところは……」
少し遠くなった二人へ目を向けた。
「小鳥遊!」
「何?」
「見ろ!」
ナル君が夕日の方を指差している。
「今の俺、夕日に照らされてかなり格好良くないか!?」
「分かる。撮っていいか?」
「ああ! シャッターチャンスを逃さず、存分に撮れ!」
ナル君が夕日を背にして立ち、小鳥遊が何度も写真を撮る。
「「…………」」
私と光果は、その様子を少し離れたところから眺めていた。
「ぐるちゃん」
「何」
「私たちが心配する必要、あるかなぁ?」
ナル君が撮った写真を見せろと小鳥遊へ近づいていく。
小鳥遊も普通にカメラを見せている。
また二人で、一つの画面を覗き込んでいた。
「……今のところは、なさそう」
「だよね〜」
光果がくすくすと笑う。
私は小さく息を吐いた。
全部信用したわけではない。
けれど、今すぐ二人を引き離す必要もなさそうだ。
少なくとも、ナル君自身があんなに楽しそうにしているのなら。
「ま、小鳥遊君面白いしね〜。私、結構好きだよ〜」
「…………」
「仲良くなれそうじゃ〜ん」
「アンタ、最初から半分くらい楽しんでたでしょ」
「え〜? そんなことないよ〜?」
「事情聴取とか言い出した時点で分かってた」
「バレた〜?」
光果がへらりと笑う。
「それにさ〜」
「何?」
「なんか、小鳥遊君だったら、悪い虫が出ても跳ね除けてくれそうでしょ〜」
「悪い虫って」
「ほらぁ。ナル君、顔いいし。モデルやってるし。性格もあんなんだし〜」
「……あんなんって」
「頼まれたら、なんだかんだやってあげちゃうじゃん」
「ああ……。ナル君、自分に向けられる悪意には鈍いところあるからね」
それには、私も否定できなかった。
「でしょ〜?」
「でも小鳥遊って、ナル君に近づく人そのものは気にしなさそうじゃない?」
「そうかなぁ」
「だって、ナル君の顔が好きなんでしょ。さっきまで見てた感じでも、独り占めしたいとか、そういう感じではなさそうだったし」
「…………」
「ナル君が普通に話してたら、横で見てるだけじゃない?」
「あ〜……」
光果が少し考え込む。
「じゃあ、ナル君が困ってたら?」
「それなら……助けるんじゃない?」
「だよねだよね〜! じゃあ、ナル君が困ってる時の用心棒にはなるってことだね〜」
「用心棒って……」
「いいじゃ〜ん。あの目つきだよ? 隣に立ってるだけでも効果ありそう」
「本人、普通にしてるだけだと思うけど」
「効果があればいいのだ〜」
少し先では、まだナル君と小鳥遊が写真に夢中になって立ち止まっている。
私はその二人を見て、少しだけ考える。
「……まあ、いざって時は頼りになりそうだし、使えるもんは使っとくってことで」
「それそれ〜! お主も悪よのう〜」
「光果ほどじゃないよ」
光果が楽しそうに笑う。
その声が聞こえたのか、少し先にいたナル君がこちらを振り返った。
「ミツカ! メグル! そこでどうしたんだ?」
「なんでもな〜い!」
光果が大きく手を振る。
「ナル君たちこそ、いつまで写真撮ってるの〜! 帰るんでしょ〜!」
「仕方ないだろう! 夕日に照らされた俺があまりにも格好良かったのだから!」
「はいはい。ナル君かっこいいね〜」
「ああ!」
遠くからでもよく通る声が返ってくる。
光果がくすくす笑った。
「じゃ〜ね! また明日〜!」
「ああ! また明日!」
小鳥遊もこちらへ軽く手を上げる。
私もそれに手を振り返した。
今度こそ、二人が歩き出す。
並んだ背中が、少しずつ遠ざかっていった。
「……じゃ、私たちも帰ろっか〜」
「うん」
私たちも、二人とは反対の道へ歩き出す。
小鳥遊については、しばらく様子見。
何かあれば、そのとき止めればいい。
でも、今のところは。
「ぐるちゃん、駅前寄ってかない〜? 新しい服屋さんができたんだって〜」
「こないだ服買ったばかりでしょ」
「見るだけ見るだけ〜!」
「はいはい」
隣で楽しそうに話す光果に返しながら、一緒に歩いていく。
もう、後ろを振り返ることはなかった。




