第九話 誠意
証拠品を確認するはずだった空き教室では、すっかり成瀬貴俊写真鑑賞会が開催されていた。
机の上には、これまで撮りためてきた成瀬の写真が所狭しと並んでいる。
本人は大量の自分を前にして飽きるどころか、先ほどから一枚手に取っては楽しそうに眺めていた。
「小鳥遊、これはいいな! なんだか悩ましげな顔をしているが、俺は何を見ていたんだ?」
「購買の新作のパン」
「パン?」
「二つ並んでるの見ながら、どっち買うか悩んでた」
「そうだったのか!」
成瀬は改めて写真へ目を落とした。
顎に手を添え、わずかに眉を寄せた横顔は、写真だけ見れば何か深刻な悩みを抱えているようにも見える。
「写真だけ見ると、もっと重大なことを考えているように見えるな!」
「ああ、顔は真剣で色気があったから撮った」
「なるほど。何気ない日常でも小鳥遊を魅了していたとは……」
「新作パン選んでるだけなのにね〜」
小林がくすくすと笑いながら、机に並べられた別の写真へ手を伸ばした。
「あ、じゃあこっちは〜……って、何これ!」
小林が一枚の写真を持ち上げた。
そこに写っている成瀬は、頭から派手に水を被っていた。
濡れた前髪は額に張りつき、制服のシャツまでびっしょりと濡れている。驚いたように目を見開きながら、片手で顔についた水を拭っているところだった。
「ナル君、びしょ濡れじゃん!」
「ああ! これは覚えているぞ」
成瀬も写真を覗き込む。
「水道で水を飲もうとしたら、思ったより勢いよく水が出たんだ」
「なんで水飲もうとしただけで全身濡れるの〜?」
「顔を近づけてから蛇口を捻ったら、勢いよく出てきてしまってな」
「加減しなよ……」
「全開にするつもりはなかったんだがな」
「でも、いい写真だろ」
オレがそう言うと、三人の視線が写真へ戻る。
「まあ……確かに」
一ノ瀬が少し悔しそうに認めた。
「水も滴るいい男ってやつだね〜」
「なるほど! ミスさえも俺を引き立てる要因となってしまうのだな!」
「格好良かったぞ」
「なるほどなるほど!」
「…………」
一ノ瀬が何とも言えない顔でオレを見る。
「ちなみに小鳥遊。このあとナル君にタオルとか貸した?」
「いや」
「何してたの?」
「撮ってた」
「撮る前に助けてあげなよ!」
「なんで。絶好の機会だったのに」
「筋金入りだね〜」
小林は楽しそうに笑っている。
「しかし小鳥遊、よく覚えているな!」
「何が?」
「どの写真をいつ撮ったのかだ。俺でも覚えていないものが結構あるぞ」
「自分で撮った写真だからな」
「じゃあこれは〜?」
小林が面白がるように次の一枚を取り上げる。
「去年の十月。昼休み。中庭」
「即答!?」
「これは?」
「体育祭の準備中」
「こっち!」
「一学期の期末試験が終わった日」
「……怖いくらい覚えてるね〜」
「成瀬の顔のことだからな」
「それ理由になってるのかなぁ?」
小林は首を傾げたが、オレにとっては十分な理由だった。
「ほら、やっぱり! 同じ俺でも、その日その日で違う魅力があるということだ! いやはや、小鳥遊によって証明されてしまったな……」
「ああ。それはそう」
「小鳥遊君も肯定するんだ〜」
「当然だろ。昨日と今日じゃ顔が違う」
「いや、同じナル君だよ〜?」
「「…………?」」
オレと成瀬が揃って、不思議そうに小林を見る。
「……って、二人とも不思議そうな顔するじゃ〜ん」
「同じ俺でも、その日によって表情や肌のコンディションは違うだろう?」
「髪型とか光の当たり方でも違うしな」
「う〜ん……」
小林はしばらく二人を見つめたあと、ぽんと手を打った。
「あ、そっか! 私が間違ってたね!」
「認めるの早いな」
「だって推しの写真なんて何枚あってもいいも〜ん。同じ衣装でも表情違ったら別物だし〜」
「分かってるじゃないか」
「でしょ〜?」
「ほら見ろ! やはり俺の魅力は日々更新されている!」
「ナル君のそれはちょっと違う気もするけどね〜」
そんなじゃれあいもありつつ、その後も一枚、また一枚と写真を見ていく。
「う〜ん、私の一押しはこれかな!」
小林がそう言って、一枚の写真を手に取った。
「それ?」
「うん! 笑ってるナル君、いいじゃ〜ん。楽しそうで好き〜」
「なるほど! ミツカは笑顔の俺か!」
「そ〜。見てるこっちまで楽しくなるしね〜」
「ぐるちゃんは?」
「私?」
一ノ瀬は机の上を見渡し、少し迷ってから一枚を選ぶ。
「……これかな」
「お、真剣な顔してるやつ〜」
「普段うるさい分、黙ってれば普通に格好いいから」
「一言余計じゃないか?」
「褒めてるよ」
「そうか!」
「納得するんだ……」
「小鳥遊君はさっきの写真が一押しなんだよね〜?」
「ああ」
「じゃあ、最後はナル君!」
「ああ、俺だな!」
成瀬が意気揚々と写真を見渡す。
「…………」
しばらく経っても、成瀬の手は動かなかった。
「ナル君?」
「……難しいな。どの俺も甲乙つけがたい」
「まあなると思った」
「小鳥遊! お前ならこの気持ちが分かるだろう!」
「分かる」
「やはり!」
「そこで意気投合するんだ……」
一枚手に取るたびに成瀬が感想を述べ、オレが撮ったときの状況を説明する。そこへ小林が面白がって口を挟み、一ノ瀬も呆れながらなんだかんだと写真を眺めていた。
そうして机の上に広げられた写真も、ようやく一通り見終わる。
「いや〜、堪能したね〜」
小林が満足そうに伸びをした。
「なんで小林が満足してるんだ」
「だって普通に写真良かったし〜」
「俺も満足だ!」
「ナル君はそりゃそうでしょ」
「ああ! 小鳥遊がこれほど俺の魅力を写真に収めていたとは知らなかったからな!」
成瀬は満足そうに、自分の写真を見渡している。
「しかし、どれもよく撮れていたな。小鳥遊、やはりお前は写真を撮るのが上手いんだな!」
「どうも」
褒められて悪い気はしない。
「さてさて〜」
小林がぱん、と両手を合わせた。
「それじゃ、楽しい写真鑑賞会も終わったところで〜」
「捜査じゃなかったのか」
「細かいことは気にしな〜い」
小林の視線が、机の端に置かれたSDカードへ向く。
「この大量の証拠品、どうしよっか?」
「ああ、それなら」
オレは迷うことなく答えた。
「成瀬にやる」
「ん?」
「写真。全部」
「…………」
小林と一ノ瀬が揃って目を瞬く。
成瀬も、手にしていた写真から顔を上げた。
「全部、俺がもらっていいのか?」
「ああ」
「おお! それは嬉しいな!」
成瀬の顔がぱっと明るくなる。
「これほど俺の魅力が詰まった写真を、すべて俺がもらえるのか!」
「そこまで喜ばれると、渡し甲斐あるな」
「小鳥遊君、一押しの写真も〜?」
「やるよ」
「へえ〜……」
小林が少し意外そうな顔をする。
オレは机の端に置いていたSDカードも手に取り、それも成瀬へ差し出した。
「これも」
「SDカードもか?」
「プリントしてない写真も全部入ってる」
「いいのか?」
「ああ」
成瀬は差し出されたSDカードを見て、それからオレを見る。
「これを渡したら、お前の手元には残らないぞ?」
「それでいい」
「…………」
「勝手に撮った写真だからな。けじめってわけじゃないけど、一回全部手放した方がいいだろ」
惜しくないわけではない。
どれも自分が成瀬を見て、いいと思った瞬間にシャッターを切ったものだ。
何度も見返した写真もあれば、特に気に入っているものだってある。
それでも、これまで撮った写真はすべて、成瀬の許可を得たものではなかった。
「前に許可取れば撮っていいって言ってただろ。これからは、ちゃんと成瀬に聞くよ」
「そうか!」
成瀬は差し出されたSDカードを受け取った。
「なら、これは俺が大切にしよう!」
「ああ、よろしく」
オレは小さく笑う。
これで、今まで撮った成瀬の写真は自分の手元からなくなった。
(……本当は何枚か残しておきたかったけど)
一枚残したら、たぶん全部残したくなる。
だから、これでいい。
「そうだ、小鳥遊」
「何」
「今日はカメラを持っているのか?」
「持ってるけど」
「なら、今撮ってくれてもいいぞ!」
「良いのか?」
「ああ! これからは俺に許可を取るんだろう?」
「……そうだな」
オレは鞄を開けた。
取り出したのは、使い慣れた一眼レフカメラ。
電源を入れ、レンズを成瀬へ向ける。
「じゃあ、撮るぞ」
「ああ!」
ファインダーを覗いたところで、指が止まった。
「…………」
レンズの向こうにいる成瀬と、目が合っていた。
これまで撮ってきた写真には、一枚もなかった。
自分がカメラを向けていることを知ったうえで、真っ直ぐこちらを見ている成瀬の顔。
「どうした、小鳥遊?」
「いや」
成瀬は不思議そうにこちらを見ている。
その表情を眺めてから、シャッターボタンに指をかけた。
「そのままでいい」
「そうか?」
「うん。今の顔、いいから」
「そうか!」
成瀬が嬉しそうに笑う。
(……ああ、やっぱり好きだ)
その瞬間。
シャッターを切った。




