知らないままのほうが、幸せなこともある
それはもう何年も前の話。
ある日、一枚のハガキが届いた。
差出人の名前を見て、考えた。
……誰だろう。
一度会ったことがある。
正確には、友人に連れられて行った先で、一度だけ話したことがある人だった。
それはハガキが届く二か月ほど前。
友人に誘われて、その友人が通っている大学へ遊びに行った。
自分が通う大学以外、普段の私にはあまり縁がない。
友人に案内されながら歩いていると、
「ちょっと先生のところ行こう」
と言われた。
友人が尊敬している教授らしい。
教授室へ行くと、先生は気さくな人で、大学のことやら、友人のことやら、私のことやら。
本当に他愛もない話をした。
どんな話をしたのか、まったく覚えていない。
そのくらいの時間だった。
だから、まさか二か月後に、その教授からハガキが届くとは思わなかった。
ハガキには、私について書いたものを「AERA」のコラムに載せた、と書かれていた。
私はしばらくハガキを眺めた。
……私?
あの日、少し話しただけの私を?
どうして?
そして、もう一つ問題があった。
そのコラムが掲載された号は、すでに発売期間を過ぎていた。
今さら探して読むのは難しそうだった。
私は友人に連絡してみることにした。
教授と私をつないだのは、その友人だったからだ。
スマートフォンを手に取り、電話をかける。
返ってきたのは、
「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」
という無機質なアナウンスだった。
何度かかけ直してみた。
結果は同じだった。
そこで、ふと思った。
私は、そのコラムを読まないほうがいいのかもしれない。
もちろん、普通なら読みたい。
自分のことが書かれている。
しかも、雑誌のコラムに。
何を書かれたのか気になる。
でも、もし読んでしまったら、私はきっと何かを知ってしまう。
あの日、教授が私の何を見ていたのか。
どんな言葉を拾ったのか。
どういう人間だと思われたのか。
そして、それを教えてくれたはずの友人には、もう連絡がつかない。
だったら、知らないままでもいいのではないか。
そう思った。
ハガキはしばらく手元に置いていたけれど、その後、コラムを探すことはしなかった。
友人との連絡も、それきりになった。
教授にも、その後会っていない。
考えてみれば、不思議な縁だった。
友人に誘われて大学へ行った。
そこで、たまたま教授と話した。
二か月後、その教授から一枚のハガキが届いた。
でも、その時にはもう、私をそこへ連れていった友人とは連絡が取れなくなっていた。
そして私は、コラムの内容を知らないまま、その縁を終わらせた。
今でも時々思う。
あのコラムには、いったい何が書かれていたのだろう。
もし友人に連絡がついていたら。
もし掲載されたばかりの頃にハガキが届いていたら。
もし、もう少しだけ好奇心が勝っていたら。
私は読んでいたのだろうか。
たぶん、読んでいたと思う。
今となっては、知らないままでよかったのだとも思っている。
知らなければ、想像できる。
もしかしたら、すごく良いことを書いてくれていたのかもしれない。
反対に、たいしたことではなかったのかもしれない。
そのどちらなのかは、もう分からない。
ただ、一枚のハガキだけが手元に残っている。
人との縁は、不思議だ。
たった一度の出会いが、思いがけないところへつながることもある。
そして、つながったと思った縁が、何の前触れもなく途切れることもある。
あの日の教授室で交わした他愛もない会話も。
友人と過ごした時間も。
もう戻ってこない。
だから私は、あのコラムを知らないままでいい。
知らないことが、少し寂しくて。
でも、少しだけ幸せでもある。




