その日は、ホテルを信じられなくなった
遠方に住む友人が亡くなった。
知らせを聞いた時、頭の中が真っ白になった。
葬儀に参列するため、会場近くのホテルを予約していた。
遠方だったので、何日か泊まる予定だった。
一日目。
無事に予定を終えて、ホテルへ戻った。
疲れていた。
悲しさもあった。
それでも、明日の葬儀を終えれば帰れる。
そう思っていた。
二日目。
葬儀会場へ向かう前、私は部屋のドアノブに「清掃不要」の札をかけた。
部屋を出る。
そして葬儀を終え、ホテルへ戻った。
そこで、足が止まった。
部屋のドアが全開だった。
しかも、ドアの下にはストッパーまで挟まっている。
中が丸見えだった。
「……え?」
何が起きたのか分からなかった。
もちろん、清掃不要の札は出したままだった。
それなのに、なぜ?
すぐにフロントへ連絡した。
ほどなくして、支配人と従業員の方が部屋へ来た。
そして。
突然、二人が土下座した。
私は土下座をしてほしかったわけではない。
何が起きたのか知りたかった。
「事情を説明してください」
そう伝えた。
すると、
「清掃担当者はもう帰ってしまっていて、連絡がつきません」
と言われた。
そして、
「土下座で勘弁していただけませんか」
というような対応をされた。
私は、そこで余計に不安になった。
土下座をされても、何が起きたのかは分からない。
部屋はなぜ開いていたのか。
なぜ清掃不要の札が出ているのに入ったのか。
なぜ、その状態で放置されていたのか。
何も分からないまま、
「申し訳ありません」
だけを繰り返されても、信用することはできなかった。
私は、そのホテルを出ることにした。
すでに支払っていた宿泊代を返金してほしいと伝え、急いで別のホテルを探した。
その日の夜に泊まれる場所を探すのは、思っていた以上に大変だった。
ようやく新しいホテルが見つかり、荷物をまとめて出ようとした時だった。
一人の女性が目の前に現れた。
そして、そこで初めて事情を聞いた。
「札がかかっていたのに、うっかり勘違いして掃除してしまいました」
「間違いに気づいて慌てたので、部屋を開けっぱなしにしてしまいました」
ここまでは、まだ分かる。
もちろん、納得はできない。
でも、事故だったのだと理解しようとはした。
問題は、その後だった。
女性は続けた。
「謝ろうと思ったんですが、出てくると面倒だから隠れてろ、と言われました」
そして、
「土下座さえすれば解決するから安心しろ、と言われました」
その瞬間、何かが切れた。
私はもう、怒る気力すらなくなっていた。
「……そうですか」
それだけ言った。
もう何を言っても仕方がないと思った。
ホテルの前にタクシーを呼び、新しく予約したホテルへ向かった。
その夜は、ほとんど眠れなかった。
友人を失った悲しみ。
葬儀を終えたばかりの疲労。
そして、自分の部屋が勝手に開けられていたことへの恐怖。
そのうえ、自分が「土下座で済ませられる客」として扱われていたことを、あとから知らされた。
全部が重なっていた。
翌朝。
新しいホテルで精算を済ませ、チェックアウトしようとした。
すると、スタッフの方から言われた。
「こちら、すでに精算済みになっています」
聞けば、前日のホテル側が支払っていたらしい。
どういうやり取りがあったのかは、もう分からない。
ただ、その時は何も嬉しくなかった。
お金の問題ではなかった。
私は友人を亡くして、遠くまで葬儀に来ていた。
その大切な時間の中で、安心して帰れるはずだったホテルで、自分の部屋を無断で開けられた。
そして、事情を知りたいと言った私に、説明ではなく土下座をされた。
その後で、
「面倒だから隠れてろ」
「土下座さえすれば解決する」
と言われていたことまで知った。
私はしばらく立ち直れなかった。
友人を失った悲しみだけでも、十分つらかった。
そこに、ホテルへの不信感と、自分が面倒な客のように扱われたショックまで重なった。
今でも思う。
あの時、私が欲しかったのは土下座ではない。
お金でもない。
ただ、
「何が起きたのか」
をきちんと説明してほしかった。
そして、
「申し訳ありませんでした」
と、誠実に向き合ってほしかった。
それだけだった。




