第五節 帰還への誓い
「……メア。聞こえるか」
声がした。
まぶたを開くと、見覚えのある岩の天井があった。身体がひどく重い。毛布を掛けられていることに気づくまで、少し時間がかかった。
「……ガルトさん?」
「よかった」
すぐそばで、彼が大きく息を吐いた。メアは起き上がろうとして、腕が持ち上がらないことに戸惑った。
「まだ動くな。水、飲めるか?」
「……はい」
ガルトが水筒を支えてくれる。冷たい水を少し飲むと、喉の奥にようやく感覚が戻ってきた。
「私……どうしたんでしたっけ」
「大樹の前で倒れた。あれからしばらく眠っていたんだ」
大樹。手のひらから抜けていった温もり。
途中で足に力が入らなくなったことを思い出し、メアは毛布を握った。
「……大樹は?」
ガルトは少し黙った。
「倒れたよ。根元から、見事にな」
「……本当に?」
「ああ」
その言葉を聞いた途端、胸の奥が少し軽くなった。けれどガルトは笑わない。
「……すまなかった」
深く頭を下げられ、メアは目を見開いた。
「えっ、どうして……」
「俺は、お前の力で『弾撃』が強化されたんだと思っていた」
ガルトは自分の右手を見つめた。
「だが、おそらく、あの時は……俺自身の魂雫だけでなく、お前の魂雫も使っていたんだろう」
「私の……?」
「ああ。お前の魂雫が俺の『弾撃』に流れ込んでいた。そう考えれば、あの威力も、お前が倒れたことも説明がつく」
ガルトは拳を握った。
「俺が、お前の魂雫を使いすぎた」
「でも、私がお願いしたんです」
「それでも、危険にさらしたことに変わりはない」
昨日、聞いた話を思い出す。魂雫を使い切ってしまえば、この世界で生きていくことすらできない。
メアは毛布の上で、自分の両手を見つめた。
見た目は何も変わっていない。傷もない。でも、あの瞬間の、胸の中身を根こそぎ引き抜かれるような冷たさが忘れられなかった。
「……私、死ぬかと思いました」
思わずこぼれた言葉に、自分でも驚いた。
ガルトの顔がこわばる。
「……ああ。俺も、そう思った」
洞窟に沈黙が落ちた。遠くで水が滴る。
ガルトはしばらく考え込んだあと、静かに口を開いた。
「……それにしても、珍しい能力だな」
「そう……なんでしょうか?」
「ああ。まだ正体は分からないが、使い方次第では相当強力な能力になるだろう」
ガルトは少し考え込んだ。
「ただ、仕組みが分からないうちは慎重になった方がいい」
「……はい」
メアはゆっくり頷いた。
怖かった。それでも、自分にも能力が発現した事実が胸の奥に小さな希望を灯した。
「……ガルトさん」
メアが急に何かを思い出したかのように、顔を上げ、彼の名を呼んだ。
「ん?」
「二年間、......お疲れ様でした」
メアは、彼の2年間を何も知らない。ただ、どうしてもその言葉を送りたくなった。
「……え?」
思いがけない言葉だったのだろう。
ガルトは少し面食らったようにメアを見た。
「ずっと倒せなかったんですよね。あの大樹」
「……ああ」
「おめでとうございます。やっと、倒せましたね」
ガルトは一度、口を結んだ。そして、照れくさそうに小さく笑った。
「……そうだな。正直、まだ実感がない」
笑顔はほんの一瞬だったけれど、そこには昨夜から見てきた硬さとは違うものがあった。
「一人じゃ、あそこまで届かなかった」
「私は肩に触っただけです」
「それがなければ倒せなかった。感謝している」
真っ直ぐに礼を言われ、メアは視線を落とした。
嬉しい。でも、胸を張れるほど立派なことをした気もしない。
「……どういたしまして」
照れくさくなって小声で答えると、ガルトは今度こそ自然に笑った。
しばらくして、彼は洞窟の入口を振り返る。
「大樹を倒したからといって、シリュウスに勝てるわけじゃない。むしろ、まだ足りないものばかりだ」
「……そうですよね」
「ただ、ずっと同じ場所で立ち止まっていたことは確かだ。そろそろ、先へ進まないとな」
メアはその言葉を、ゆっくり胸の中で繰り返した。
先へ進む。シリュウスを倒せば帰れるという噂が、本当かどうかは分からない。それでも、目の前には、その可能性に懸けて戦おうとしている人がいる。
「ガルトさん」
「ん?」
「私も、一緒に行っていいですか」
ガルトは少し驚いた顔をした。
「危険な旅になるぞ。あの骸虚とだって、また戦うことになるだろう」
「分かってます。……いえ、全部は分かってないですけど」
メアは自分の手を見て、それからガルトを見た。
「一人でいたら、たぶん怖くて動けません。でも、シリュウスを倒せば帰れるかもしれないなら……私も、そこへ行きたいんです。お母さんに……無事だって言いたいから」
最後の言葉だけ、喉につかえた。
「お母さん、心配してると思うんです。私、何も言わずにいなくなっちゃったから」
ガルトは黙って聞いていた。
やがて、床に置いた水筒の蓋を閉め、メアの方へ向き直る。
「……俺にも待ってる人がいる」
「娘さん、ですね」
「ああ。あいつのもとに必ず帰る」
少し照れたように鼻をこすり、彼は手を差し出した。
「俺はもう一度、シリュウスに挑む。今度こそ勝って......勝って現世に帰るだ」
ガルトは一度言葉を切り、差し出した手を少しだけ前へ伸ばした。
「一緒に倒そう。そして、二人で帰るんだ」
メアはその手を見つめた。
大きな手。さっき、自分を倒れないように支えてくれた手だ。
「……はい!」
まだ力の入らない手で、しっかりと握り返す。
「二人とも、ちゃんと帰りましょう」
「ああ。約束だ」
洞窟の入口から、淡い紫の光が差し込んでいた。
昨日まで恐ろしくて仕方のなかった空が、今日はほんの少しだけ違って見えた。




