↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虚界のヒカリ ―帰還を望む者たち―  作者: 黒天秤
第一章 紫の空と、帰る約束
PR
3/8

第三節 理を統べる者

岩壁に沿って回り込むと、大きな岩と倒木に隠れるように洞窟の入口が見えた。

入口は狭いが中へ入ると、思ったより奥行きがあった。

壁際には水や食糧、丁寧に畳まれた毛布、束ねられた薪が並んでいる。誰かが長く、ここで生活してきたことが分かる。


「ここを拠点にしている。外よりかは安全だろう」


ガルトは入口の外を確認すると、水の入った容器を差し出した。


「まず飲め。かなり走ったからな」

「……ありがとうございます」


メアは両手で受け取ってひと口飲む。

冷たい水が喉を通ると、ようやく自分が息をしている実感が戻ってきた。

ガルトは入口を見張れる位置に腰を下ろした。


「さて。聞きたいことは山ほどあるだろう」

「……はい」

「順番に聞こう。全部答えられるとは限らんが......」


その言い方に、メアはほんの少しだけ肩の力を抜いた。


「じゃあ、まず……ここは、どこなんでしょうか」

「ここは『虚界(きょかい)』と呼ばれ、俺たちが元いた世界とは違う場所だ」

「虚界……」


声に出してみても、聞き慣れない言葉だった。


「私だけじゃないんですか? こうやって、突然ここへ来る人って」

「ああ。俺もその一人だ」

「ガルトさんも?」

「三年ほど前にな」

「……三年」


何気なく告げられたその数字が、メアには重かった。

彼女はこの世界に来て、まだ何時間も経っていない。なのに目の前の男は、ここで三年を過ごしている。


「じゃあ、元の世界には……」


言いかけた途端、夕暮れの道が頭に浮かんだ。

子供の背中を押した感触。迫ってきた車の影。身体を貫いた、あの衝撃。


「……あっ」


メアは自分の腕を見た。

傷一つない。服にも血はついていない。


「どうした?」

「私……車にはねられたんです。確かに、あの時……」


口に出すと、急に怖くなった。


「ガルトさん。私、もしかして……死んじゃったんでしょうか」

「いや」


即座の答えに、メアは顔を上げた。


「お前は死んでいない」

「……どうして分かるんですか?」

「うまく説明できない。俺もここへきた時、最初はあの世かと思ったが……現世に残した身体が、まだ生きている。そう感じるんだ」


ガルトは胸元に手を当てた。


「理屈じゃない。身体の奥に、細い糸が残っているような感覚だ。お前にもないか?」


メアも同じように胸に手を当て、目を閉じた。

かすかな温かさがあった。握れば切れてしまいそうな、小さな温もり。

それがどこへ続いているのかは分からない。だが、なぜか懐かしかった。


「……あります。何だろう、これ」

「俺にも分からん。でも、それがある限り、帰れる気がするんだ」

「帰れる……?」


メアは思わず身を乗り出した。


「本当に、帰れるんですか?」

「ああ。保証はないがな......」


その言葉だけで、こわばっていた胸の奥に少しだけ空気が入った気がした。


「私……帰らないといけないんです」


ガルトは急かさず、続きを待った。


「母が、家に一人でいるんです。身体が弱くて、あまり働けなくて……私までいなくなったら……」


その先が言えなかった。

家の鍵は自分が持っている。夕飯だって、今日は自分が用意するはずだった。

いつも「大丈夫」と笑う母が、突然帰ってこなくなった娘をどんな気持ちで待つのだろう。


「……絶対に、帰りたいんです」

「そうか」


ガルトはしばらく黙っていた。


「俺にも、娘がいる」

「娘さん……?」

「十五歳だ。口だけはすっかり一人前になってな」


わずかに笑ったあと、その表情がすぐに消えた。


「……待たせてる。だから俺も、帰らないといけない」


メアはその横顔を見つめた。

自分のことで精一杯で、考えもしなかった。ガルトにも、現世で帰りを待つ人がいるのだ。


「......ちなみに、帰る方法って……あるんでしょうか」

「一つだけ、噂がある」


ガルトの声が低くなった。


「この世界には、シリュウスという男がいる。虚界を支配している男だ」

「シリュウス……」

「そいつを倒せば、この世界は崩壊し、現世へ帰れる......と、そう言われている」

「……倒す、って」


メアはさっきの骸虚(ガウロ)を思い出した。あれほど恐ろしい怪物を、ガルトは一撃で吹き飛ばした。そのガルトが、こんな表情で話す相手。


「その人と、戦わなきゃいけないんですか?」

「ああ」

「でも……本当に倒せば、この世界が崩壊して帰れるんですか?」

「さぁな。確かめようがない。奴を倒した者は、一人もいないからな。……だから、噂でしかないんだ」

「そんな……」

「だが、可能性があるなら試す価値はある」


ガルトは一度、言葉を切った。


「……それに、俺は奴と決着(ケリ)をつけなければならない理由がある」

「決着(ケリ)......をつける理由、ですか?」

「ああ」


ガルトは自分の右手を見つめた。


「奴は人の魂を喰らう。虚界の住民はみんな奴を恐れて、身を隠すように暮らしているんだ」

「……魂?」

「魂を奪われた者は、二度と元の姿には戻れない。そして残された抜け殻が、さっきの骸虚(ガウロ)だ」


メアの背筋に冷たいものが走った。


「じゃあ……さっきの、顔が真っ黒だった怪物も……」

「ああ。元は人間だった。みんなシリュウスに喰われた奴らさ......」


あの灰白色の手足。何も映さない真っ黒な顔。

それが、かつては誰かだったとは......。


メアは膝の上で指を握った。

魂を奪われた者たちの姿が脳裏をよぎる。


「それと、もうひとつ覚えておけ。この世界の空は、シリュウスの感情によって色を変える」

「……感情で、ですか?」

「ああ。妙な世界だろう?」


ガルトが苦笑する。


「ちなみに、空が赤くなると骸虚(ガウロ)は活発になり、攻撃性を増す」


メアは入口の外を見た。

いつの間にか赤みは消え、空は元の薄紫色に戻っていた。


「ほかにはどんな色があるんですか?」

「普段は紫色、たまに赤色や灰色になったりするな。ああ……あと大昔に一度だけ、空一面が漆黒に染まったことがあるそうだ」

「……真っ黒、ですか?」

「そうだ。だが、その時に何が起きたのかまでは情報が残ってない」


今、森の向こうに広がる紫色さえ不気味なのに、空が真っ黒になる光景など想像もできなかった。


「……恐ろしい人なんですね、シリュウスって」

「.....ああ」


メアは聞きたいことを探すように自分の手を見つめ、ふと先ほどの光を思い出した。


「あの……骸虚(ガウロ)と戦ったとき、手から光を撃っていましたよね」

「あれは俺の能力だ」

「能力……?」

「ここへ来た人間には様々な力が発現する。お前にも、きっとあるだろう」

「私にも?」


驚いて両手を見たが、いつもの手と変わらない。


「ただ、使う前に覚えておいてくれ。能力に不可欠な魂雫(ティア)のことを」

「……魂雫(ティア)、ですか?」

「俺たちの中に蓄えられている力だ。能力を使えば、その分だけ減る」


ガルトは床の小石を指した。


「あれを指先で撃つ程度なら、大した消耗じゃない。だが、威力を上げれば負担も増える」

「なくなったら……どうなるんですか?」

「消耗すれば身体が動かなくなる。休めば戻るが、魂雫(ティア)を使い果たせば命はない」


メアは思わず息を呑んだ。


「だから、無闇に使うな。ちなみに俺の能力は『弾撃』だ。指先からなら一点を狙える。掌から放ったのは『狩神砲(ウル・キャノン)』。威力も範囲も大きいが、その分、魂雫(ティア)を大量に使う」

「さっきの二つの光、全然違いました…… 使い分けてるんですね」

「そういうことだ」


そう言いながら、ガルトは軽く右手を開いてみせた。


「私の能力は……どうやったら分かるんでしょうか」

「人によるな。すぐ分かる者もいれば、そうでない者もいる。......少し試してみるか?」

「はい!」


メアは小石に掌を向け、思いきり集中した。

何も起きない。もう一度。

今度は目まで細めてみる。やっぱり、何も起きない。


「……だめみたいです」


肩を落とすと、ガルトは小さく笑った。


「今日来たばかりだろう。焦ることはない」

「……はい」

「それに、もう限界じゃないか?」


言われて初めて、メアは自分の身体の重さに気づいた。

車にはねられ、知らない世界で目覚め、骸虚(ガウロ)に襲われた。

今さらになって、その一つひとつが全身にのしかかる。


「……ちょっとだけ、疲れました」

「ちょっと、ではなさそうだな。奥に毛布があるから使うといい」

「ありがとうございます」


メアは、奥へ移動して横たわり、目元を擦りながら毛布を引き寄せた。

目を閉じる前に、胸元にそっと手を当てる。あの細い糸のような感覚が、まだそこに残っていた。


(……帰りたいな)


家で待つ母の顔が浮かぶ。


(……お母さん、心配してる......だろう......な)


メアはその顔を思い浮かべたまま、ゆっくり眠りに落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。