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青い通訳者たち  作者: 久遠レイ


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第十四章 契約の公開


 翌朝、施設内のメールは二種類に分かれた。

 業務連絡と、沈黙の連絡。沈黙のほうが重い。

 大佐からの呼び出しは、後者だった。

 件名がない。本文もない。場所と時刻だけ。


十一時三十分 合同室


 合同室は、会議室より小さい。

 窓はあるが、ブラインドが閉じている。窓があるのに外が見えない場所は、国家の雰囲気を持つ。

 卓上には紙が二枚だけ置かれていた。


「契約書(暫定)」

「公開範囲(案)」


 契約書の冒頭に、見慣れた一行がある。


被験体を道具にしないこと


 だが、その下に“例外”が増えていた。

 安全保障。緊急時。国益。曖昧な語が縫い込まれている。布地が破れやすくなるやつだ。

 大佐が言った。

「公開する」

 佐伯が言う。

「どこまで」

 大佐は二枚目を指で押さえた。

「条件は出した。次は契約の骨子も出す。外部監査官の提案だ」

「監査官が?」

「会見で約束した以上、何かを出さないと炎上が続く」

 炎上、という言葉が軍の口から出る。

 時代が変わったというより、軍が時代に巻き込まれた。

 主任も同席していた。

 主任は紙を見て、眉を動かす。

「契約を出したら、研究が縛られる」

 佐伯が言う。

「縛られるために出すんです」

 大佐は言った。

「縛られないと、世論が敵になる。敵が増えるのは避けたい」

 佐伯は淡々と返す。

「敵を避けるために縛るなら、縛り方を間違えます」

 大佐が目を細める。

「先生、どう縛れと言う」

 佐伯は紙の上にペンを置いた。

「例外を減らしてください。例外は“具体”にしてください」

「具体?」

「どんな状況で、誰が、どの権限で、何をするのか。曖昧な例外は、暴走のための余白です」

 主任が言う。

「それは軍の自由度を奪う」

 佐伯が答える。

「自由度ではなく、責任を増やすだけです」

 大佐は少し考え、紙の“国益”という語に線を引いた。

 そして、その横に短く書く。


国益(削除)


 主任が息を吸う。

 その息だけで、場の温度が変わる。国益は便利すぎる言葉だからだ。

 大佐は言った。

「代わりに“生命の保護”と“施設防護”に限定する」

 佐伯が頷く。

「限定すれば、契約になります」

 主任が言う。

「契約相手は誰だ。彼らか。国家か」

 佐伯は言う。

「相手は“彼ら”です。国家は運用主体です」

 大佐が言った。

「運用主体は責任を負う。だから、縛りが必要だ」

 この一言は、珍しく正直だった。

 国家の口から出る正直は、たいてい遅い。だが遅くても意味はある。

 隔離区画。

 佐伯は契約書の草案を持ち込んだ。紙のまま。画面にすると拡散の匂いが強すぎる。

 AO−2が紙を受け取り、読む。読む速度が速い。速いのに、飛ばさない。

 AO−2は一行ずつ指でなぞる。なぞるのは、人間の癖だ。人間の癖を取り込むと、言葉は社会に入れる。

 読み終えたあと、AO−2が言った。

「例外が減った」

「減らしました」

佐伯が言う。

 AO−1が言った。

「公開は危険だ」

「危険です」

「それでも?」

「それでも。公開しないと、例外が増え続ける」

 AO−3が紙の下のほうを指す。

 そこに“提供停止”の条項がある。


条件違反時、情報提供は停止される

ただし違反が是正された場合、再開は協議する


 AO−3が言う。

「ここを変える」

「どう変える」

 AO−3は淡々と言った。

「協議、をやめる」

 佐伯は黙る。協議は柔らかい言葉だが、柔らかいから利用される。

 AO−3は続ける。

「再開条件を、あらかじめ書く」

 AO−2が頷く。

「運用を明示する。そうすれば暴力は入りにくい」

 AO−1が言う。

「暴力は入りにくくなるが、入るときは入る。入るときに止める装置が必要だ」

 佐伯は聞く。

「装置?」

 AO−1は短く言う。

「第三者」

「外部監査官?」

「外部監査官だけでは足りない。外部監査官も、あなたの国の制度の中にいる」

 AO−2が紙の余白に書いた。

 短い。読みやすい。だが重い。


第三者:国際的な監視者(技術ではなく運用の監視)


 佐伯はその一行を見て、少しだけ肩が重くなる。

 国際、という語は国家を硬くする。硬くすると、割れやすい。

 それでも、これは筋がいい。

 国家だけで縛ると、国家は自分で自分の縛りを外す。歴史がそうだった。


 午後。公開資料は整えられた。

「契約書」と言うと荒れるので、「運用枠組み(暫定)」というタイトルにした。

 言葉を変えると、温度が変わる。

 外部監査官が最終確認する。

「公開範囲は、骨子のみ。例外の範囲も明記。提供停止と再開条件も明記」

 大佐が言う。

「“非人間由来の情報提供者”の具体は出さない」

 監査官が頷く。

「人物の札化を避ける」

 主任が言う。

「技術の詳細も出さない。真似される」

 監査官が淡々と言った。

「真似より先に、暴走が起きます。暴走は内部から起きる。内部に手すりを作るのが先です」

 その言い方は硬い。だが、硬いほうがこの場では信用される。


 夕方。資料は公開された。

 ニュースはすぐに拾う。

「非人間由来の情報提供者」

「被験体を道具にしない」

「到達は保守」

 世論は割れた。割れるのは普通だ。

 割れたままでも、手続きは進められる。割れたまま進めるために、手続きがある。

 SNSでは、二種類の反応が並ぶ。

「綺麗事だ」

「珍しくまともだ」

「結局何を隠してる」

「夢がある」

「夢を言い訳にするな」

 佐伯はモニターを消した。

 反応を見ると、言葉が荒れる。言葉が荒れると、心が荒れる。心が荒れると、運用が雑になる。雑になると、例外が増える。

 運用は、冷たく保つ必要がある。

 冷たいのは、非情ではない。ブレないための温度だ。

 隔離区画の前で、AO−2が言った。

「公開した」

「しました」

「これで条件は、国家だけのものではなくなる」

 AO−1が言う。

「外の人間が条件を読む。読む人間が増えると、守る人間も増える」

 AO−3が淡々と言う。

「守る人間が増えると、破る人間も増える」

 佐伯は頷く。

 淡々と。現実はいつも両方を増やす。

 廊下の端の電話が鳴った。

 内線ではない。外線だ。外線が鳴るのは珍しい。珍しいことは、大抵よくない。

 研究員が受話器を取り、顔色を変える。

 そして佐伯に小声で言った。

「……国外からです」

「誰が」

「“こちらも情報提供者を確保した”と」

 言葉が、細い針みたいに刺さる。

 波が外から来た。最悪に分かりやすい形で。

 AO−2が静かに言った。

「競争が始まった」

 佐伯は答えなかった。答える言葉が、まだ整っていない。

 大佐の「周辺国も動いている」という古い一言が、遅れて現実になる。

 夢の旗が立った。条件も掲げた。

 次は、旗を奪いに来る。旗と条件を一緒に奪いに来る。

 佐伯は、運用枠組みの紙を机に置き、端を揃えた。

 端を揃えるのは、落ち着くための手続きだ。

「次の会議を」

佐伯が言う。

「今夜です」

研究員が答える。

 今夜。

 到達は百年単位なのに、現場はいつも今夜で動く。

 そのズレの中で、倫理はさざ波として残り続ける。


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