第十三章 監査と監察
施設の正門が開く音は、研究者の耳にだけ大きい。
普段は閉じているからだ。閉じているものが開くとき、音は“許可”の形をする。
最初に入ってきたのは外部監査のチームだった。
名札、手荷物、タブレット。歩き方が軽い。軽さは、権限の種類を示す。
続いて、軍の監察が入ってくる。
靴音が重い。重さは、質問ではなく結論を持っている人間の重さだ。
佐伯は廊下の端で待つ。待つ位置はカメラの正面。
ここで死角を選ぶと、あとで疑われる。
外部監査官は会見にいた人物だった。
表情は同じ。硬いまま。硬いのは「自分の意見」を隠すためではなく、「自分の意見だけで決めない」ための硬さだ。
「佐伯先生」
監査官が言う。「案内をお願いします」
「規定通りに」
佐伯は言う。
監査官は頷いた。
「こちらも規定通りに」
規定通り、という言葉が二回出た。
それだけで少しだけ安心する。規定は手すりになる。
軍の監察官——階級章を隠さない男が、監査官の横に立つ。
「こちらも同行する」
監査官が言う。
「外部監査の範囲です」
監察官は淡々と言った。
「安全保障例外がある」
例外。出た。出るのが早い。
佐伯は、掲示の追記を思い出す。
“示されない例外は無効”。だがそれは紙だ。紙は銃を止めない。
「例外を適用するなら」
佐伯は言う。「適用理由と範囲を、いまここで明示してください」
監察官が笑う。笑いというより、鼻で息を出す。
「教師か」
監査官が割って入った。
「明示は必要です。会見で約束しました」
監察官は一拍置く。
「……目的は確認だ。被験体が“兵器”でないことを確認する」
監査官が言う。
「“兵器でないこと”の確認は、逆に“兵器の定義”を持ち込むことになります」
監察官は言った。
「定義は持ち込む。定義がないと統制できない」
統制。
昨日の会議室の温度が、廊下にまで来る。
佐伯は、案内を始めた。
最初に見せる場所は決まっている。生活区画、食堂、運動スペース。
最初に見せるものを間違えると、以後のすべてが疑わしくなる。
監査官が、掲示板の紙を読んで止まった。
例外は、例外であることを示す(示されない例外は無効)
監査官は佐伯を見た。
「これは」
「現場の暫定運用です」
監察官が言う。
「勝手な運用は危険だ」
佐伯は淡々と言った。
「勝手な例外は、もっと危険です」
監査官は、タブレットに何かを入力した。
入力は記録になる。記録は後で効く。
効くまでに時間がかかるのが、監査の弱さだ。
隔離区画の前で、監察官が足を止めた。
扉の鍵は二重。外からも内からも、単独では開かない。
「面会する」
監察官が言う。
監査官が言う。
「面会は段階的です。本人の同意が必要です」
監察官は答える。
「本人?」
「被験体、と呼んでも構いません」
「呼び方はどうでもいい。確認する」
佐伯は、インターホンでAO−1に伝えた。
短く。余計な感情を乗せない。
「外部監査と軍の監察が来ています。面会の希望があります」
AO−1の声が返る。
「面会する」
「条件があります」
佐伯が言う。
「同意と撤回可能。記録の選択。暴力の抑制」
一拍置いて、AO−1が言った。
「面会する。記録は“あり”」
佐伯は少し驚く。記録を選ぶのは、彼らにとって武器にも盾にもなる。
扉が開く。
白い部屋の中に、監査官と監察官が入る。佐伯は同席する。
同席しないと、言葉が“統制”の形になる。
AO−1は椅子に座っていた。
姿勢は人間のそれ。だが目は、人間より静かだ。
監査官が言った。
「本日は、生活環境と同意手続きの確認に来ました」
AO−1が言う。
「確認するなら、確認される」
監察官が言う。
「あなたは何者だ」
AO−1は淡々と言う。
「情報提供者」
「出自は」
「墜落した」
「墜落させたのか」
「違う」
監察官が続ける。
「能力は」
AO−1は首を傾げる。
「能力、とは」
「危険性だ」
「危険性は、あなたがたにある」
監察官の目が動く。
怒りではない。危険の所在を外に置けないときの苛立ちだ。
監査官が割り込む。
「質問を整理します」
監査官は淡々と言った。「軍事利用に関する意図はありますか」
AO−1は即答した。
「ない」
「提供する情報が、軍事に転用される可能性は」
「ある」
「それをどう抑制しますか」
AO−1は少しだけ間を置いた。
「条件」
「条件は」
AO−1は言う。
「被験体を道具にしない」
監察官が言う。
「道具は使うものだ」
AO−1が返す。
「使うなら、到達しない」
監察官は、ここで初めて笑わなかった。
笑えると思っていた言葉が、笑えない形で刺さった。
面会の後、監察官が廊下で佐伯を呼び止めた。
「先生」
「はい」
「彼らは我々に命令しているのか」
佐伯は答える。
「命令ではありません。契約です」
「契約?」
「提供の条件です。条件が守られないなら、提供が止まる」
監察官は言った。
「止まるなら、別手段を探す」
佐伯は言う。
「探すでしょう。でも、条件の外で得た知性は、必ず条件を破壊します」
監察官は一瞬だけ、佐伯を見た。
“その確信はどこから来る”という目。
佐伯は言わない。
AOが言ったことを、ここで引用すると“彼らの権威”になる。権威は荒れる。
代わりに、淡々と言った。
「歴史です」
監察官は何も言わずに去った。
靴音が重いまま遠ざかる。
外部監査官は、最後に佐伯へ一言だけ残した。
「今日の記録は残します」
「はい」
「残る記録が増えるほど、例外は出しにくくなります」
監査官は硬いまま言った。「それが狙いです」
その夜、AO−2が言った。
「監査は遅い」
AO−3が言う。
「監察は速い」
AO−1が言う。
「速いものが勝つと、到達は近づいて見えるが、遠ざかる」
佐伯は端末に、会見で出した二行を並べて表示した。
被験体を道具にしないこと
到達は最適化ではなく保守である
紙ではなく、画面に出すと少しだけ現実味が増す。
現実味は、暴力も呼ぶ。だが呼ばないと、何も始まらない。
廊下の掲示板の追記を、佐伯はもう一度確認した。
小さな字は、まだ剥がされていない。
明日には剥がされるかもしれない。
剥がされる前に、次の手順を作る必要がある。
条件は出た。
監査も来た。監察も来た。
次に来るのは、もっと外の波——政治か、企業か、宗教か、世論か。
波は選べない。
選べるのは、波に飲まれないための手すりだけだ。




