●5 ビューティフルネーム
日はすっかり沈んでいるが、まだ暑い。家を出て駅の向こう、アーケード街へ向かう。
ペットボトルの水は持って出た。自分で飲む用、だけど、あの人がまた倒れていたら、今度も間接キスさせてあげるのだろうか。昨日の出来事が思い出に変わっているのを感じる。確信は持てないが、おそらく良い方の思い出。
アーケード街に着くが人通りがない。漠然と不安になる。寂しさのせいもあるだろうが、あの人に会えるのだろうかという不安。あの店は営業しているのだろうか?あんな店があったこと自体知らなかったし、昨日もあの人についていっただけだから、シャッターが閉じられていたら見つけられないかもしれない。もし閉まっていたらどうする?叩いてみる?営業時間外だったらいないのではないか?うるさくて近所の人から怒られて、警察とか呼ばれて、母にも伝わって…考えたら怖くなってきた。こんな時間にわたしはいったい何をしているのだろう。そんな気持ちに足を取られながら、好奇心を糧に前へ進む。
少し歩くとその不安は解消された。軒先が一際明るく光る建物が目に入る。その前に人が立ってこっちを見ている。あの人だろうか?そうであって欲しい。近付いてみる。
「何か違くない?」
髪の毛は丸刈りとまではいかないけれど短めで、ヒゲも剃ってある。背格好はあの人と同じくらい。
「おーい!嬢ちゃん!早かったな?まだ11レース終わってへんで!」
声は間違いない。あの人の声だ。
「昨日のあの人、ですよね?」
「どっからどう見てもそうやろ?」
「髪短いし、ヒゲないから」
「言うたやろ?わざと行き倒れたって。あの方がリアリティあるやろ?演出や」
「良かった、あの人で」
「あの人って、言い方」
「おじさん」
「それはやめて」
「でも名前言わないし、こっちのは知ってるのに」
「みよしつねはる、これは当て字やけど」
店に掲げられた車のナンバープレートくらいの大きさで『御代史堂』と記された看板らしきものを指差しながら、店の中に入って行く男。わたしも追って、何のためらいもなく自然に入る。人に聞かれたくない話をするから。聞いたところで誰も信じるとは思えないのに、男もわたしも滑稽だ。
店の中、昨日と同じ、だけどどこか懐かしい気もする。
「みよしつねはるは競馬界の黒幕ですか?」店に入るやたまらずに話しかけた。
「競馬見たんか?おもっしょかったか?」
「よくわかりませんけど、全部…は見てないですが9レースまで、当たってましたね?」
「せやな」
「何でですか?」
「昨日言うた通り、前に見て知っとったんや。11レース始まるで?」
競馬のライブ中継を映したスマートフォンを見せられる。
「人生を繰り返してるから?」
「ああ」
「前の人生と同じことが起こるの?」
「わしの振る舞いが直接影響するような場合は以外はな。競馬とか天気とか世界情勢とかは基本変わらん。けど、不人気の馬にオッズが大きく変わるくらいの大金を賭けたりすると、結果に影響する場合もあるけどな。何か気ぃみたいなもんが伝わってまうんかな」
「儲けるすべって、このことですか?」
「せや。競馬、競輪、競艇もやし、やり過ぎなければ、株とか為替とか、そういうのも大体いけるな」
「ズル、ですよね?」
「まあな」
「みよしつねはるとわたしが前に会ってるっていうのも本当なんですか?」
「そうや。ここんとこの人生何周か、この辺りで暮らしてんやけど、その最初んときな、ほんまにわし、あっこで行き倒れて死にそなって、そんときにほんまに助けてくれたんがりかおんでな。今回もまた、やな」
「わたしが…また」
「相変わらずのお人好しや」
『最終レース、1着は3枠3番ドクターチューブ』
レース結果を伝えるアナウンスが聞こえるが、もう気に留めはしない。それは知っていることだから。
「じき9時なるで、もう遅いから帰り」
「あの、昨日はごめんなさい…」
「別に謝ることやないで。結果オーライや。前はもっとボロクソ言われたりしたこともあったしな」
「それは知らないですけど」
「そらせやな」
「でも蹴っちゃったし」
「あんなとこで寝とるやつが悪いんや」
「ふふっ、そう…ですね。わざとだし」
「ほな、送ってくで」
「はい」
うなずき、店を出る。こんな時間に急に押しかけたのに相手してくれて、わたしと歩いていたら不審者に思われるかもしれないのに送ってくれるなんて、そっちこそ、お人好しなんじゃないの?もし職務質問されても、庇ってあげるかわからないよ。
店を出て、家への道を二人で歩き始める。アーケード街から出て、駅前の大通りを通る。行き交う人々の会話の端々が耳に入る。
無言の時間が続く。
何か話してくれたらいいのに。気を使っているのだろうか?こっちから話しかけようとも思うが、うまく伝わるだろうか不安になる。
「ありがとう」
わたしが口火を切る。無理やりひねり出した、でも伝えたい言葉。
「いんや」
「鍵、閉めなくていいんですか?」
「誰も来んやろ?盗るもんもないし」
「不用心ですね?」
「こんな時間に一人で出歩くのも不用心やで」
「ふふっ、はい」
「それにしてもな、叫ぶって言うて全然叫ばんかったな?」
「はい」
「もしかして、実はわしのこと知っとったん?人生2回目か?」
「そんなんじゃないです」そんな記憶はない、と思う。
「なら、我慢してたんか?」
「あ、んと…大きい声出すの苦手で、声が裏返ったり、喉が痛くなるのも怖くて。あと、もし大声出して、周りの人たちがよってたかってみよしつねはるを取り押さえたりして、大ごとになったらいやだなって。そもそも自信がないっていうか、緊張するっていうか。今だって」
「…そうやったんやな。ごめんな」
「い、いえ…前にもこんな話したんですか?」
「いや、聞いたんは初めてやわ。もっと気ぃ使えたら良かったな」
「あ、でも昨日は、どこかで大丈夫って思ってたっていうか。それに、何かあっても自分で対処できるならそれがいいかなって」
「ほう、なら誰にも言えんくて抱え込んだりするタイプか?」
「かも…そういう意味だと、今日も母には本を買うって嘘ついて出てきちゃって」
「本屋なんかこんな遅くにやってへんやろ?さっき通り過ぎたけどミツコも7時で終いやし」
「でも気になっちゃったから」
「そない急いで来んでもえかったやろ?緊急性ないし」
「何か、謝りたくて」
「謝ることやないやろ、って。何遍も言わすな」
「はい、す…はい」
「よろしい」
駅前を過ぎて、城跡のそばを歩く。人通りは少なくなっている。
「あの…ひとつ言わせてもらってもいいですか?」
「お、おう」
「何か…すっごい来ますよね?…デリカシー?がないっていうか」
「そう、か?」
「みよしつねはるは前の人生でわたしに会ってるのかもしれないですけど、今のわたしはそんなこと知らないんですから!」
「ごめんな。こっちも毎回手探りなとこあんねんけど、ちょっと行き過ぎたな。埋め合わせするわ」
「もういいです!!」
「何や結構声出るやん」
「打ち明けたら気が楽になったんです!」
「そら良かったわ」
城跡から離れ、あたりには住宅が立ち並ぶ。数々の灯りが目に入るものの、人の姿は見当たらない。
「わしからもいっこお願いしてええか?」
「いやです」
心に入って来られるような質問をされたせいか、反撃したくなった。
「何でや?そないな難しいことやあらへんて」
「条件があります」
「何でも聞いたるわ、何や?」
足を止める。男の目を見ると、向こうもこちらを見つめてくる。
「わたしに嘘は絶対つかないでください」
「ええで。けどな、言われへんことも…」
「その場合は、言えないって言ってくれたらいいです、鬼じゃないです」
「なら全然かまへん。ちなみに、昨日からいっこも嘘ついてへんで?」
「わかってます」
今ならわかる。荒唐無稽な話の全部、この男が本気で本当と思っていることなのだ。人生を繰り返していることを完全に信じたわけではない。この男が何らかの理由で思い込んでいるだけなのかもしれない。それでも、信じたいと思った。
「で、わしのお願いやけど」
「いやです!」とわたしは顔を背け、再び歩き出す。じらし。
「まだ何かあんのか?」
トートバッグから勾玉を取り出して見せる。
「これ、いただいてもいいですか?」
「おう、もうあげたもんやし」
「わたしがもらうって承諾するのが成立の要件なんです!」
「せやな、もうてください」
「はい!いただきます!ありがとうございます!」
機械的に、はきはきと返事をする。
「これで成立やな」
「はい」次に予想が書いてある紙を取り出し「これは返します」と紙を差し出す。
「おう、今となったら単に終わったレースの結果を書いた紙やけど、中学生が持ってたらおかしいもんな。あとで捨てとくわ」とひょいとつまみ上げ、再び歩き始める。
「はい。見られたくないんで」
「ほなわしからやけど」
何を言われるのだろうか。少し緊張する。
「どうぞ…」
「フルネームで呼ぶのやめてや?何か恥ずいねん」
「そうですか?歴史上の人物みたいでいいと思いますよ。まあ、言いづらいけど」
「せやろ?」
「そうですね、なら…」
考えながらしばらく無言で歩き続ける。前の人生では何と呼んでいたのだろう。聞いてみようかと思ったが、何だかこそばゆいし、自分でできることは自分でしたい。けれど、呼び方を決めるということは、その名を呼ぶということ。
「家、もうすぐやな。そない真剣に考えんでもええのに。呼んでくれる人が好きに決めたらええんや」
わたしの名前は父と母がつけてくれた。父が呼んでくれることはもうないけれど、母は毎日呼んでくれる。当たり前だけど呼ばれると嬉しい。『りかおん』という呼び方はまいちが考えてくれた。姓名を略したものだけど、イヌ科の哺乳類と同音。変にかわいらしい呼び方よりわたしに合っていると思うし、結構気に入っている。
もうすぐ家が見える。母と二人で暮らす小さな一軒家。今日は一日あの家で勉強する予定だったのに、思いがけない一日になった。全部…
「…よしつねのせいです」
「え何て?」
「よしつね!」
視界に入ったわが家に向かって小走りする。
「ほな、気ぃ付けや!」
10メートルくらいの距離のところで、いったん足を止め振り返る。
「よしつね!また話聞いてもいい!?」
「おやすみ。りかおん」
「おやすみ!よしつね!」
手を振るあの男…よしつねの顔は、暗くて離れていたのではっきりとは見えなかったが、泣いているように感じたのは気のせいだろう。
家に帰り、母に声をかける。
「本屋さん営業時間終わってた」
これは本当だ。




