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神殺しは葬列を往く  作者: 夜更
第一部
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怒りの臨界

「貴様の苦しみも、痛みも、心も——この星を救うために必要な代償だった」


 そう静かに告げたデウスの声が、神殿に響く。その瞬間、シオンの周囲から、赤黒い力が爆発するように噴き上がった。


「シオン!」


 ラズは咄嗟に両手を広げる。完全には修復できていなかった封印搬送の膜へ神力を流し込み、シオンの周囲を覆おうとする。しかし、薄い白光が形を成した直後から赤黒い亀裂が走り、一瞬のうちに引き裂かれた。


「っ……!」


 もう一度。また砕ける。さらに神力を注ぐ。それでも、維持できない。シオンから溢れ出している力が、これまでとは比較にならないほど膨れ上がっていた。

 第一の門へ近づいたとき。第二の門で己の心を突きつけられたとき。落神の戦場で神の残滓を前にしたとき。主神殿の姿を見たとき。デウスへ近づくたびに、シオンの中の怒りと憎しみは鋭さを増してきた。そして今、そのすべてを生み出した本人が、父も、母も、リゼも、故郷も、シオン自身の心さえ、星を守るために支払った「代償」だと言った。


『そうだ』


 胸の奥で、ケイオスが歓喜する。


『怒れ』


 心臓と癒着した赤黒い石が、大きく脈打った。


『憎め』


 シオンの拳が震える。


『貴様の苦しみを、この神は代償と呼んだぞ』


 左の赤い瞳が強く輝く。右目の紫の奥では、赤い光が脈打つようにちらついている。

 ラズの背筋に冷たいものが走った。このままでは、デウスと戦う前に、シオン自身がケイオスへ呑まれる。


「デウス!」


 ラズはデウスへ向き直った。怒りで声が震える。


「あなたは……シオンに謝るべきです!」


 デウスの黒い瞳が、静かにラズへ向けられた。


「星を守るためだったとしても、あなたはシオンから全部奪った! リゼさんを利用して、死んだ後まで使って、わたしまで道具として作った!」


 息を吸い、必死に叫ぶ。


「謝ったからって赦されることじゃない。それでも……必要だったって、それだけで終わらせていいはずがない!」


 デウスの口が、静かに開かれた。


「謝罪に意味はない」


 その声からは、感情らしいものを感じ取ることができなかった。


「意味がない……?」


「私が謝罪したところで、失われたものは戻らない」


 何一つ表情を変えない。


「死者は蘇らない。シオンの肉体も元には戻らない。貴様が生まれたという事実も消えない」


「だからって……!」


「そして」


 デウスがラズの声を遮った。


「私は、自らが罪を犯したことも理解している」


 ラズが息を呑む。


「シオンから故郷を奪った。多くの人間を実験材料として用いた。死者の残滓を利用し、貴様をシオン制御のための道具として作った」


 シオンの拳が、さらに強く握られる。それでもデウスは続けた。


「だが——もし再び同じ状況になれば、私はもう一度同じ選択をする」


 その瞬間、神殿から音が消えた。

 ラズは、一瞬その言葉の意味を理解できなかった。


「……え?」


 デウスの様子は変わらない。


「この星を守るために必要ならば、私は再び同じ罪を犯す」


 その瞬間、シオンの中で何かが切れた。

 赤黒い力が、翼のようにシオンの背後へ広がった。拳すら振っていない。それなのに、足元の白い床が砕ける。亀裂が神殿を走り、遠くの柱まで低い音を立てて震えた。


「シオン!」


 ラズが叫ぶ。だが、今度は届かない。シオンはデウスだけを見ていた。父も、母も、リゼも、村も、死者の幻すら、今は意識の外へ消えている。

 目の前にいる。自分からすべてを奪った神が。リゼを一度殺すために利用し、その死後に残ったものまで再び利用した神が。そして、自分がしたことを理解しながら、もう一度でも同じことをすると言い切った神が。


「……もう一度」


 シオンの声が漏れた。その声は低く、震えている。怒鳴り声よりもなお、ラズには恐ろしく聞こえた。


「もう一度、同じことをするだと」


「必要ならば」


 デウスは即答した。


 シオンの拳へ、赤黒い力が集中する。


「——なら」


 紫と赤の瞳が、鋭くデウスを射抜いた。


「やはり、お前はここで殺す」


 ラズが咄嗟に前へ出ようとした、その時だった。


 デウスが片手を上げた。


「え——」


 ラズの足元へ、白い術式が浮かび上がる。見覚えがあった。封印搬送に使ってきたものとは違う。もっと深い、自分自身の身体の構造へ直接触れてくるような術式。


「な……に……」


 身体が動かなくなった。胸の奥が強く脈打つ。ラズ自身が引き出そうとしたわけでもないのに、神力が身体の奥から無理やり引きずり出されていく。


「やめ……て……!」


 抵抗しようとする。だが、身体が命令を聞かない。デウスの神力が自分の核へ直接触れている。ラズを作る際に組み込まれた、デウス由来の神力。そして、シオンへ干渉するために最初から与えられていた楔としての機能。それらが、持ち主であるラズの意思を無視して起動させられている。


「シオンがケイオスに侵食されつつある」


 デウスが淡々と告げた。


「ケイオスによる侵食がこれ以上進行すれば、制御可能な兵器としての運用が困難になる」


「やめて……!」


「楔を起動する」


 ラズの身体から、白い神力が溢れ出した。神力は幾本もの鎖の形を取る。


「対象シオンの精神状態を安定化。干渉経路を再接続する」


「嫌……!」


 白い鎖がシオンへ向かって伸びる。


「やめて!」


 避ける間もなく、鎖はシオンの両腕へ絡みついた。脚へ、胴へ、そして左胸へ。


「ぐ……っ!」


 シオンの身体が大きく仰け反った。デウスの神力。己の中にあるケイオスと相反する力が、身体へ直接食い込んでくる。白い光が触れた場所から、皮膚の奥まで焼かれるような痛みが走った。だが、シオンが最初に見たのは、自分を縛る鎖ではなかった。——ラズだった。

 彼女は泣いている。身体を動かすことすらできず、自分の意思とは無関係に神力を奪われ、シオンを縛るための道具として使われている。


「違う!」


 ラズが叫ぶ。


「シオン、違うの!」


 涙が頬を伝う。


「わたしじゃない!」


 シオンの瞳が揺れる。


「わたしは……こんなこと、したくない!」


 その言葉を聞いた瞬間、シオンの怒りがさらに形を変えた。

 自分を壊された怒り。父と母を奪われた憎しみ。リゼを殺した罪悪感。自分自身への殺意。それらの奥へ、新しい怒りが加わる。——またこいつは、人を勝手に道具にした。


『いいぞ』


 ケイオスが笑う。心臓が、ドクンと激しく脈打った。


『それだ』


 赤黒い力が全身を巡る。


『怒れ』


 白い鎖が軋む。


『憎め』


 シオンは両腕へ力を込めた。


「ぐ、ぅ……!」


 神力の鎖が肉体へ食い込む。抵抗するほど痛みは増す。だが、それでも構わない。


「シオン、駄目!」


 ラズが叫ぶ。だが、シオンは止めなかった。

 鎖を掴む。指先から血が滲む。腕へ赤黒い亀裂のような光が走る。


「ラズを——」


 低い声が響いた。デウスの黒い瞳がシオンを見る。


「道具にするな」


 赤黒い力が爆ぜた。一本、さらに一本と白い鎖へ亀裂が走る。


「……出力が上昇したか」


 デウスが僅かに目を細めた。


「だが、まだ不完全だ」


「黙れ」


 シオンは鎖を引いた。白い神力が激しく抵抗し、全身へ痛みが走る。それでも歯を食いしばる。


「二度とお前の都合で……」


 さらに力を込める。


「こいつを使うなッ!」


 轟音と共に、白い鎖が一斉に砕け散った。無数の光の破片が、雪のように神殿へ舞う。


「……っ!」


 楔としての強制起動が途切れた。ラズはその場へ崩れ落ちる。


「シオン……!」


 名前を呼ぶ。けれど、その声が届くより早く、シオンは床を蹴っていた。今度はラズにも止められなかった。


 爆発音にも似た轟音が響いた。踏み込んだだけで床が大きく陥没する。シオンの身体が、赤黒い閃光となって神殿を駆け抜け、一瞬でデウスの目前へ到達すると拳を振り抜く。

 デウスが片手を上げた。白い神力が集まり、一枚の盾を形成する。

 激突。空間が震えた。衝撃が神殿全体を駆け抜け、遠くに並ぶ柱へまで亀裂が走る。白い盾の表面にも、細い亀裂が一本入った。

 シオンは止まらない。


「ッ!」


 二撃目。盾が軋む。三撃目。亀裂が広がる。四撃目。赤黒い力が、白い神力へ喰らいつく。


 拳を振るうたび、怒りが膨らむ。


 父を殺した。母を殺した。村を壊した。リゼを殺した。そのすべてが、目の前にいる神によって仕組まれていた。そして、その神は、同じ状況になればもう一度やると言った。


「おおおおおッ!」


 シオンが吠え、さらに拳を叩き込む。盾の一部が砕け、白い光が飛び散る。

 しかし、その向こうに見えたデウスの顔は無傷だ。表情一つ変わっていない。それがさらに腹立たしい。


「デウスッ!」


 一撃。


「お前が!」


 二撃。


「父さんを!」


 三撃。


「母さんを!」


 所々が破れた手袋から露出した拳の皮膚が裂け、血が飛ぶ。


「リゼを!」


 盾へ巨大な亀裂が走った。


「ラズまで!」


 拳を振りかぶる。


「勝手に使うなッ!」


 渾身の一撃と共に、白い盾が砕けた。無数の光が散る。シオンはそのまま拳をデウスの顔面へ突き込もうとした。

 だが、寸前で新たな白い光が拳を受け止めた。


「……っ!」


 見えない壁。先ほどまでの盾とは違う。シオンの拳が止まっている。それでも拳を押し込む。赤黒い力をさらに内側から汲み上げ、流し込む。それでも動かない。初めて、シオンの表情に僅かな困惑が浮かんだ。

 デウスは、依然として一歩も動いていなかった。


「シオン」


 静かな声で名前を呼ぶ。しかし、名を呼ぶその声に親しみは感じられない。まるで道具の識別名を呼ぶようだった。


「貴様の怒りが、ケイオスの出力を引き上げることは知っている」


 シオンは答えず、さらに拳へ力を込める。


「その憎悪も、私へ向ける殺意も——」


 デウスの背で、純白の翼がゆっくりと広がり始める。一枚、また一枚と白い羽根が光を受ける。


「すべては力を増幅させる薪となる」


 神殿を満たしていた神力が変わった。それまで静かに流れていた白い光が、一斉にデウスへ集まり始める。


 ラズは床へ膝をついたまま息を呑んだ。

 何かが違う。今までのデウスは、ただ受け止めていただけだった。戦ってすらいなかった。


 デウスの翼が完全に開く。


「それでも」


 黒い瞳が、真正面からシオンを見据えた。


「——今の貴様では、まだ私には届かない」


 次の瞬間。白い神力が、神殿全体を埋め尽くした。

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