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神殺しは葬列を往く  作者: 夜更
第一部
58/79

神へ至る道

 白い光の中を、二人は落ちていた。上も下もない。足を置く場所もなければ、見上げる空もない。ただ、星明かりにも似た無数の光が巨大な奔流となって闇の中を走り、その流れに二人の身体が運ばれていく。

 ——星脈。

 地中を巡り、この星の隅々へ神力を運ぶ経路。記録の中で存在を知っただけだったものの内部を、今、二人は通っている。


 本来の巡礼者ならば、もっと穏やかに進めるのだろう。デウスの加護印に守られ、三つの門で認められた神官が、祈りを胸に主神殿へ導かれる。そのために作られた道なのだから。

 だが、シオンとラズは違う。


「っ……!」


 光の流れが大きく乱れ、シオンの身体が弾かれた。


「シオン!」


 ラズは咄嗟に手を伸ばし、その腕を掴む。


「離せ!」


「嫌だって言ってるでしょ!」


 引き寄せた瞬間、掌に焼けつくような痛みが走った。ラズの神力と、シオンから漏れ出すケイオスの力。二つが触れるたびに反発し、白と赤黒の火花が散る。


 第三の門を越えた時点で、封印搬送の術式はすでに限界に近かった。シオンを覆っていた薄い膜には無数の亀裂が走り、ラズが神力を流して塞いでも、その直後から再び破れ始めている。

 それでも、手は離さなかった。シオンも、強く振り払うことはしなかった。


 二人はそのまま、光の奔流へ押し流されていく。やがて、遥か前方に、巨大な影が浮かんだ。


「あれ……」


 ラズが息を呑む。


 白亜の神殿。どこかの大地に建っているのではない。星脈が集まる光の中へ、現実から切り離されるように浮かんでいる。雲を貫くほど巨大な白い柱。神殿を囲う幾重もの結界。星脈の光そのものから作られたような長い階段。人間が住むための建造物ではない。神のためだけに作られた場所。デウスの主神殿。

 それが視界に入った瞬間、握っていたシオンの手が強張った。


「……デウス」


 掠れた声だった。低く、獣の唸り声のようだ。

 ラズは咄嗟に、その手をさらに強く握る。


「まだだよ」


 シオンは答えない。紫と赤の瞳が、白亜の神殿だけを見つめていた。


「……いる」


「分かるの?」


「ああ」


 即答だった。


「いる。あの奥に」


 あの日から、何年も探し続けた。夢に見ることもなく、眠ることさえできない夜を幾度も越え、デウスへ辿り着くためだけに歩き続けてきた。その相手がもう、手の届く場所にいる。


『そうだ』


 胸の奥で、ケイオスが笑う。


『いるぞ、シオン』


 赤黒い力が膨れ上がる。


『貴様を壊した神が』


 シオンの拳が握られる。


『父を』


「……黙れ」


『母を』


「黙れ」


『リゼを奪った神が』


「黙れッ!」


 赤黒い力が一気に噴き上がった。星脈の光が激しく反応し、シオンの身体を異物として弾こうとする。


「シオン!」


 ラズは慌てて封印搬送の膜へ神力を注ぎ込んだ。しかし、もう修復が追いつかない。


「お願い、今だけ抑えて!」


「分かっている」


「分かってない!」


 ラズは叫んだ。


「今にも全部壊しそうな顔してる!」


 シオンがゆっくりラズを見る。その口元が、僅かに歪んでいた。笑っているようにも見える。けれど、喜びではない。


「壊しに来た」


 ラズの胸が冷えた。


「デウスを殺す。そのために来た」


「……うん」


「あいつが作ったものも、俺を縛ったものも、全部壊す」


 シオンの声に迷いはなかった。


「それで何が悪い」


 ラズは一瞬、言葉を失う。それでも、問いかけた。


「その後は?」


 シオンの表情が固まる。


「デウスを殺した後、シオンはどうするの」


 返事はない。分かっていた。だからこそ、聞いた。


「わたしは止めるよ」


「……またそれか」


「何度でも言う」


 光の流れが激しく揺れた。主神殿が近づいてくる。もうすぐこの光を抜ける。その先でデウスと会う。そうなったら、シオンはもう止まらないかもしれない。ラズはその恐怖を振り払うように続けた。


「あなたがデウスを殺した後、自分も死のうとするなら、わたしは邪魔する」


「邪魔をすれば、お前も巻き込まれる」


 シオンの声が冷たくなる。


「それでも——」


「俺は止まらない」


「止める」


「お前に何ができる」


 ラズの声が詰まった。何ができるのか分からない。自分は、シオンを制御する楔として作られた。そのための力が自分にはある。もし、その機能を完全に使えば、シオンを縛ることができるのかもしれない。けれど、それは嫌だった。デウスがシオンを道具として扱ったのと同じように、自分の意思を押しつけてシオンを縛ることはしたくない。それでも、死なせたくない。


「……分からない」


 ラズは答えた。シオンが僅かに眉を動かす。


「まだ、分からない。でも考える」


「……」


「最後まで考えるよ。あなたを縛る以外の方法を。あなたを道具として扱わずに、それでも死なせない方法を」


「無駄だ」


「無駄でもやる」


 シオンは目を逸らした。その横顔を見つめて、ラズは思う。きっと、もう時間はほとんど残っていない。


 神殿を囲う結界が、目前へ迫った。その瞬間、ひび割れていた封印搬送の膜が、ついに限界を迎える。甲高い音と共に、白い膜が砕けた。


「っ!」


 ケイオスの気配が星脈へ剥き出しになる。同時に、主神殿を囲っていた幾重もの結界が一斉に反応した。空間へ無数の白い槍が形成される。それらはすべて、シオンへ向いていた。


「来るぞ」


 シオンが拳を構えた。


「待って!」


 ラズはその前へ飛び出した。


「どけ!」


「嫌!」


 結界に示すように、身体の奥から神力を引き出す。デウスから与えられた力であり、自分を楔として作るために使われたもの。そのことを思うだけで、今も胸の奥には嫌悪がある。けれど、この力を何に使うかはもう、自分で決める。


「封印対象、到着!」


 ラズは声を張った。

 白い槍が止まる。


「搬送者ラズ! 対象シオンの外周隔離は破損! 対象内部のケイオスは完全封印不能!」


 神殿の結界が激しく明滅する。


「でも、対象の意識は残っています!」


 ラズは振り返る。視線の先にはシオンがいる。赤黒い力を漏らしながら。それでもまだ、シオン自身の目でこちらを見ている。


「主神殿への搬送を完了します!」


 ラズは結界へ向き直った。


「この人は、破棄物でも、研究材料でもない!」


 シオンの瞳が僅かに揺れた。


「デウスに会いに来た——シオンです!」


 瞬間、すべてが静止した。光も、槍も、星脈の流れさえ、一瞬だけ止まったように感じた。

 そして、結界の向こうから何かが二人を見た。


「……っ」


 ラズの身体が強張る。

 圧倒的な神力。静かで冷たい。なのに、この星そのものに触れられているような、途方もない存在感。


「デウス……!」


 シオンの声が憎悪で震えた。直後、赤黒い力が爆発する。白い結界へ叩きつけられ、神域全体が軋んだ。


「今はまだ駄目!」


 ラズがシオンの腕へしがみつく。


「離せ!」


「離さない!」


 結界が二人を呑み込む。白い光が弾け、次の瞬間、二人の身体は硬い床へ投げ出された。


「……っ」


 ラズは身体を強く打ちつけ、息を詰まらせた。視界が揺れる。それでも、最初に確認したのは自分の手だった。まだシオンの手を掴んでいる。

 彼もすぐ隣に倒れていた。だが、ほとんど間を置かず、身体を起こそうとする。


「シオン、待って」


 ラズは痛む身体を起こし、その手を軽く引いた。シオンが振り払おうとする。しかし、その動きは途中で止まった。


 二人の前には、白い神殿が広がっていた。外庭。空はない。雲もない。代わりに、無数の星脈が光の川となって神殿の周囲を巡っている。

 巨大な柱が整然と並んでいた。柱の表面には、彫刻が刻まれている。異形の存在と戦う白い翼の神。人々の前に降り立つ神。大地へ手をかざす神。祈りを受ける神。デウスがこの星を守護してきた歴史なのだろう。だが、ある場所を境に、彫刻は不自然に途切れていた。


 シオンはそれを見ることもなく立ち上がる。紫色の右目。赤い左目。身体からはまだ赤黒い力が漏れている。それでもまだ、ケイオスではない。シオンだった。

 そのことを確認し、ラズはようやく小さく息を吐いた。


「……着いた」


 シオンは本殿を見る。


「いる」


 短い声だった。しかし、これまで聞いた中で最も冷たい。


「この先だ」


 ラズも立ち上がる。脚が震えた。

 三つの祈祷門を越え、星脈を通り、限界まで封印搬送の術式を維持した。身体の奥にある神力も、大きく消耗している。しかし、休む時間はなかった。


 シオンが歩き出そうとする。


「シオン」


 声をかけたが、彼は止まらない。


「デウスを殺すことを、今ここで止められるとは思ってない」


 歩みが僅かに鈍る。


「止めるべきなのかも、まだ分からない」


 やがて、シオンの足が止まった。


「でも」


 ラズはその背中を見る。


「その後、あなたが死ぬことは認めてない」


 沈黙。


「わたしは最後まで——」


「ラズ」


 言葉は遮られた。

 シオンがゆっくりと振り返る。その顔に、先ほどまでの激しい憎悪はなかった。寧ろ、ひどく静かだった。


「引き返せ」


 ラズは目を瞬かせた。


「……え?」


「ここから先には来るな」


「何言って——」


「最後の忠告だ」


 声は低い。けれど、怒鳴ってはいなかった。


「星脈を戻れば、三つの門を逆に辿れるかもしれない。今ならまだ間に合う」


「嫌だよ」


「聞け」


 珍しく強い声でラズの言葉を遮る。


「この先で、俺はデウスと戦う」


「分かってる」


「分かっていない」


 シオンの拳が握られる。


「今までとは違う」


 ラズは黙る。


「デウスを殺すためなら、俺は出せる力をすべて使う」


 その声には、迷いがなかった。


「身体がどうなろうが関係ない。ケイオスの力も、使えるものはすべて使う」


「シオン……」


「俺自身がどうなるかも、どうでもいい」


 ラズの表情が強張る。分かっていたはずだった。それでも、本人の口から聞かされると息が苦しくなる。


 シオンは一度、ラズから視線を逸らした。


「そうなれば、俺がお前まで守れる保証はない」


「……」


「それどころか——」


 声が僅かに重くなる。


「俺の力で、お前を巻き込むかもしれない」


 ラズは何も言えなかった。


 シオンの拳は、魔物を容易く砕く。人間なら一撃で原形すら残さない。ただでさえ圧倒的な力なのに、デウスを殺すためにその力をさらに解放すれば、どれほどの被害が周囲へ及ぶのか。シオン自身にも分からない。


「だから帰れ」


 ラズを見る。


「お前まで死ぬ必要はない」


 その一言に、ラズの胸が強く締めつけられた。自分は死ぬつもりなのに、ラズには死ぬなと言う。その矛盾を、シオン本人はおかしいとも思っていないのだろう。


「……じゃあ」


 ラズは震える声で尋ねた。


「シオンは死んでいいの?」


 シオンは、動揺する様子もなく平然と答える。


「俺とお前は違う」


「何が違うの」


「全部だ」


「そんな答えじゃ分からない」


「分からなくていい」


 シオンは冷たく言う。


「——お前は生きろ」


 ラズの瞳が揺れた。

 シオン自身も、言った後で僅かに顔を歪めた。それは、自分が口にしていい言葉ではないとでも思ったような表情だった。

 ラズは、ゆっくり首を横に振る。


「嫌」


「……」


「帰らない」


 シオンの眉間へ深い皺が寄る。


「死ぬかもしれないと言っている」


「聞いたよ」


「俺がお前を殺すかもしれない」


「それも聞いた」


「なら——」


「それでも行く」


 ラズは一歩近づいた。声が僅かに震える。


「だって、シオンが一人になったら……本当に、自分まで全部捨てるでしょう?」


 シオンの瞳が揺れた。


「わたしがいても止められないかもしれない。あなたの戦いに巻き込まれて、本当に死ぬかもしれない」


 一度息を吸う。


「怖いよ。すごく怖い」


 ロイエを殺したシオンを思い出す。精神世界で暴れたケイオスを思い出す。三つの門を越えるたびに膨らんでいった、彼の憎悪を思い出す。


「でも、それでもここまで来たの」


 澄んだ海面のような碧の瞳が、真っ直ぐにシオンを見る。


「最後だけ一人で行かせるためじゃない」


「……馬鹿か、お前は」


「うん。そうかも」


「死ぬぞ」


「死なないように頑張る」


「そういう話では——」


「シオンもね」


 シオンの言葉が止まる。


「シオンも、死なないようにして」


「……」


「約束してなんて言わない。今のシオンが約束してくれないことくらい分かってる」


 ラズは小さく息を吐いた。


「でも、わたしは諦めないから」


 長い沈黙が流れた。やがて、シオンがラズから目を逸らす。


「……好きにしろ」


 いつもの言葉。けれど、今までで一番苦しそうに聞こえた。

 ラズは小さく頷く。


「うん」


 髪に留められた青い星へ触れる。


「好きにする」


 シオンの視線が、一瞬だけその手元へ落ちた。自分が留め直した、小さな星。それを見て、何を思ったのか。何も言わない。ただ、今度こそ離れろとは言わなかった。


「行くぞ」


「うん」


 二人は並んで、本殿へ足を踏み入れた。白い廊下の奥から、静かな神力が流れてくる。冷たく、圧倒的で、この星そのものに触れられているかのような力。

 歩くほどに、シオンの身体は硬くなっていく。拳が握られる。左胸の奥で、ケイオスが歓喜している。


『もうすぐだ』


 シオンは答えない。

 ラズはその隣を歩きながら、必死に考えていた。どうすればシオンを死なせずに済むのか。どうすれば彼を縛らず、道具として扱わず、それでも彼が自分自身を捨てようとしたとき、止められるのか。答えはまだない。それでも、探すことをやめるつもりはなかった。


 二人の前で、巨大な白い扉が、音もなく開いていく。

 その奥。広大な神殿の最奥に、一人の男が立っていた。白い翼を持つ神は、長い間待っていた者を迎えるように、静かに二人を見ていた。

ここまでが第六章的な立ち位置のお話でした。

次回はいよいよデウスと対峙します。クライマックスになります!

シオンの復讐の行く末とは?もう少しだけお付き合いいただけましたら幸いです!

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