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神殺しは葬列を往く  作者: 夜更
第一部
54/79

誰がための道具

 記録が途切れた。空中に浮かんでいた地図の光が薄れ、古びた小屋の中へ静寂が戻る。


 ラズは記録媒体を両手で握ったまま、何も言わないシオンを見つめた。

 彼の表情には、静かな怒りが滲んでいる。

 ——封印対象。危険物。物。

 ロイエの記録がシオンを指して使った言葉が、ラズの耳にも冷たく残っていた。


 デウスによって人間ではない身体へ作り替えられ、ケイオスを宿した星を守る兵器として利用され、今度はデウスのもとへ辿り着くためにさえ、人間として門を通ることを許されない。それはまるで、シオンが何を考え、何を望んでいるかなど最初から存在しないものとして扱われているようだった。


 しばらくして、シオンが自嘲するように口を開く。


「……結局、俺は道具か」


 左胸へ手を当てる。衣服のさらに下にある心臓には、赤黒い石が埋め込まれている。そこでケイオスは、今もシオンの身体へ深く根を張っている。


「ケイオスという危険物として扱われなければ、神殿へ入ることすらできない」


「違う」


 ラズは咄嗟に否定した。シオンが冷たい目を向ける。


「何が違う」


「門がそう判断することと、シオンが本当にそうなのかは違うよ」


「結果は同じだろう」


 シオンの声には苛立ちが混じっていた。


「俺はお前の術式で覆われ、封印対象として運ばれる。門にとっては人間ですらない。ケイオスそのものと同じだ」


 ラズは言葉に詰まった。

 仕組みだけを見れば、否定できない。封印搬送とは、危険な異物を主神殿へ持ち込むための方法だ。シオンはその「異物」として門を通ることになる。

 ——けれど。


「……それでも、違うよ」


 ラズは記録媒体を床へ置き、ゆっくり立ち上がった。


「わたしは、あなたを荷物として運ぶんじゃない。ケイオスを神殿へ持ち込むために行くんでもない」


「言葉を変えただけだ」


「そうかもしれない」


 ラズは素直に認めた。シオンが僅かに眉を動かす。


「でも、その違いを諦めたくない」


「……」


「門があなたをどう見るかは、わたしには変えられないかもしれない。ケイオスの気配を感じて、危険物だって判断するなら、そうするのかもしれない」


 それでもラズはシオンから目を逸らさなかった。


「でも、わたしにとってシオンはケイオスじゃない」


 紫色の右目に、赤い左目。かつての青とはまるで違う瞳。銀白へ変わった髪。人間離れした力を宿した身体。そのどれもが、デウスによってシオンへ刻まれた傷であり、彼がケイオスへ近づいている証だ。——それでも。


「ケイオスを身体の中に抱えていても、あなたはシオンだよ」


 紫色の瞳が、僅かに揺れた。


「だから、わたしが門を通す。封印対象として扱わなきゃいけないなら、その仕組みは使う。でも、わたしまであなたを物だと思ったりしない」


「門がお前の理屈を聞くとは思えん」


「それなら、聞かせる」


 ラズは即座に答えた。


「わたしが聞かせる」


 力強い言葉だった。

 だが、シオンの表情から怒りは消えなかった。寧ろ、別の苛立ちが深くなっていく。


「……お前はそれでいいのか」


「何が?」


「デウスは最後まで、お前を道具として使うつもりだった」


 ラズの表情が僅かに強張った。


「俺を縛るためにお前を作った。リゼの残滓を使って、俺の心へ入り込ませるために。今度は、そのお前の神力がなければ、主神殿へ至ることすらできない」


 シオンの拳が握られる。


「あいつがどこまで意図していたのかは知らない。だが、結果だけ見れば同じだ。お前は最後まで、俺をデウスのところへ運ぶための道具として使われる」


 ラズは何も言えなかった。それは、彼女自身が先ほどから考えないようにしていたことでもあった。自分は楔として作られた。シオンを安定させ、制御し、デウスが兵器として利用し続けるために。そして、その神力が今度は主神殿へ至る鍵になる。何をしてもデウスの手のひらの上にいるようで、気分が悪くなってくる。


「……お前は来るな」


 シオンが短く告げた。

 ラズが顔を上げる。


 その言葉は、これまでにも何度も聞いてきた。出会った頃から、シオンは繰り返しラズを遠ざけようとしてきた。

 だが、今の言葉は少し違っていた。偽物だから離れろ。自分に関わるな。そういう拒絶ではない。ラズをデウスの道具として使いたくないからこその言葉だった。その違いが分かったからこそ、ラズの胸が少しだけ痛んだ。

 ——それでも。


「ううん」


 首を横に振る。


「わたしも行く」


「お前を鍵として使う気はない」


「わたしは鍵じゃないよ」


 ラズは一歩、シオンへ近づいた。


「でも、わたしにしか開けられない道があるなら、わたしが開ける」


 シオンが睨むようにラズを見る。


「それではデウスの思惑通りだ」


「そうかもしれない」


 またラズは否定しなかった。


「わたしが楔として作られたことは変えられない。わたしの中に神力があることも、リゼさんの残滓から作られたことも、なかったことにはできない」


 胸へ手を当てる。そこには、ケイオスに喰われた残滓の空白もまだ残っている。


「でも、デウスのために作られたからって、この先までデウスに決めさせたくない」


「……」


「わたしの身体も、力も、もうここにある。だったら、それを何に使うかはわたしが決めたい」


 シオンは黙って聞いていた。


「あなたを縛るためじゃない。あなたと一緒に、デウスのところへ行くために使う」


 ラズははっきりと宣言した。話を黙って聞いていたシオンがゆっくりと口を開く。


「俺と来れば、また傷つく」


「もう傷ついてるって、昨日も言ったよ」


「今回は今までとは違う」


 シオンの声が低くなる。


「この先にはデウスがいる。戦いになれば、お前を守れる保証はない。俺自身がどうなるかも分からない」


 最後の言葉に、ラズは僅かに目を伏せた。

 分かっている。シオンが何のためにデウスを探しているのか。デウスを殺す。実験に関わった者たちへ復讐する。その後、自分も死ぬ。精神世界でラズを守ったからといって、その目的まで変わったわけではない。寧ろ、主神殿へ辿り着く道が見つかった今、その瞬間は急速に近づいている。


「……わたしは」


 ラズは少しだけ言葉を探した。


「あなたがデウスを殺すことを、止めるべきなのか分からない」


 シオンの瞳が動く。


「デウスがしたことを知ったら、簡単に復讐なんてやめてって言えない。でも、あなたがデウスを殺したあとに死のうとしてることは止めたい」


「無駄だ」


「うん。今のシオンには、何を言っても無駄なのかもしれない」


 敢えて否定しなかった。


「それでも、一人で行くのを黙って見送ることはできない」


 シオンの奥歯が噛み締められる。


「わたしが行くって決めたの」


「……」


「楔の力を使うのも、わたしが決めた。だから、シオンが勝手にわたしを守るために置いていくのも駄目」


「誰がお前を守ると言った」


「今言ってること、ほとんどそういう意味でしょう?」


 シオンが露骨に顔をしかめた。

 ラズはほんの少しだけ笑った。昨日までなら、こんな言葉を口にする余裕はなかったかもしれない。けれど、今は自分を道具としてではなく、ラズとして見ようとしてくれているからこそ、シオンが遠ざけようとしているのだと分かる。それなら、ラズにも選ぶ権利がある。

 長い沈黙の末、シオンが低く吐き捨てた。


「……好きにしろ」


 以前から何度も聞いてきた言葉。けれど今は、突き放す響きよりも、諦めと苦しさの方が強かった。

 ラズは小さく頷く。


「うん。好きにする」


 記録板から放たれていた最後の光が弱まっていく。空中には、三つの祈祷門の位置だけが淡く残っていた。星見の山頂。真実の鏡湖。落神の戦場。そして、そのすべてを越えた先に、外界から切り離されたデウスの主神殿がある。

 シオンは、その残光を睨みつけた。

 何年も探し続けた。何の手掛かりもないまま、復讐だけを抱えて歩き続けた。ようやく、道が見えた。


『良いではないか』


 胸の奥で、ケイオスが囁いた。


『門を開け。進め。その先に、貴様があれほど憎んだ神がいる』


 シオンは答えない。


『だが、随分と皮肉なものだな』


 笑い声が滲む。


『神域は貴様を人間として認めん。どれほど貴様が自分をシオンだと言い張ろうと、あの門が見るのは貴様の中にいる俺だ』


 シオンの眉が寄る。


『貴様は俺の器だ』


「……黙れ」


『俺という影から、どこまで逃げられるか見ものだな』


 ケイオスが嘲笑う気配だけが残る。シオンは左胸を押さえた。ケイオスは自分ではないと、そう言い続けてきた。だが、身体はすでにこれほど変わった。眠れない。人間の食事を受けつけない。魔物の肉を喰らい、怒りと憎悪によって人間にはあり得ない力を振るう。そして、神の門さえシオン自身ではなく、その中にあるケイオスを見る。

 それでも。


——わたしにとってシオンはケイオスじゃない。


 つい先ほど聞いたラズの声が、頭の片隅に残っていた。

 シオンは胸元から手を離す。


「行くぞ」


 小屋の外へ目を向けた。夜は終わり、森の向こうから朝日が差し始めている。


「まずは星見の山だ」


「うん」


 二人は荷物を整え、小屋を後にした。外へ出ると、朝の冷たい空気が頬を撫でる。木々の間から差し込む光が、濡れた地面へ細長い影を落としていた。


 シオンが歩き始める。ラズもその後を追った。けれど、ラズが歩いたのは昨日のように半歩後ろではなかった。数歩で追いつき、その隣へ並ぶ。

 シオンはすぐに気づいたようで、ほんの一瞬、横目でラズを見た。

 桃色の髪の中で、青い星が朝の光を受けて揺れている。ロイエを殺す前までは、当たり前のようにそこにいた。あの惨劇を見た後、ラズは初めて、シオンの隣から半歩下がった。怖かったから。それでも離れなかった。そして今、また自分から隣へ戻ってきた。

 シオンは何も言わなかった。隣に来いとも、離れろとも、もう言わなかった。ただ、ラズが遅れずに歩いていることを一度だけ確かめると、前へ向き直った。


 二人の前には、まだ見えない主神殿への道が続いている。神官たちにとっては、神へ近づくための巡礼路。シオンにとっては、自分を物として扱わなければ進めない道。ラズにとっては、デウスから与えられた楔としての力を、自分自身の意思で使うための道。その先に、デウスがいる。


 神を憎む青年と、神によって作られた少女が、神へ祈るために作られた道を逆に辿り、神を殺すために歩き始める。

 長い間閉ざされていた道は、ようやく二人の前へ開き始めていた。

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