↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神殺しは葬列を往く  作者: 夜更
第一部
33/79

神亡き後

 夜も更けた頃。結界の外から、魔物の咆哮が響いた。

 ラズは目を覚ました。

 部屋の中は暗い。燭台の火は落とされ、窓の外から差し込む白い結界の光だけが、薄く室内を照らしている。


 寝台の上で身体を起こすと、窓の向こうに巨大な影が見えた。猪に似た魔物だった。太い前脚を振り上げ、休息所を包む白い光の膜へ爪を立てている。

 結界に波紋が広がった。だが、破られはしない。

 魔物は低く唸り、何度か爪を叩きつけた後、諦めたように闇の中へ消えていった。


「まだ起きてる?」


 ラズが尋ねる。


「眠れないと言っただろう」


 案の定、窓際からシオンの声が返ってきた。彼は椅子に腰掛けたまま、窓の外を見ている。

 白い結界の光が、銀白の髪と、左右で色の違う瞳を淡く照らしていた。


「結界、強いね」


「そのようだな」


「デウスが残したものなんだよね」


「ああ」


「シオンなら壊せる?」


「わざわざ壊す理由がない」


「そうじゃなくて、壊そうと思えば」


 シオンは窓の外へ視線を向けた。

 魔物の爪を受けても揺らぐだけで保たれている、古い加護の光。それをしばらく見つめてから、淡々と答える。


「この程度ならな」


 強がりでも、驕りでもない。ただの事実としての声だった。


 ラズは毛布の中で膝を抱えた。

 シオンの圧倒的な力を、今さら知らないわけではない。けれど、こうして誰かを守っている結界を前にして、その力の方向があまりにも違うことを改めて思い知らされる。

 デウスの力は、少なくともこの場所では人を守っている。シオンの力は、壊すためにある。

 その差が、胸の奥に小さく刺さった。


「デウスを殺した後、シオンが代わりに守ることはできないの?」


「何をだ」


「この星を」


「できない」


 即答だった。


「でも、シオンは強いよ。力は……申し分ないと思う」


「俺の力は守るためのものではない」


 それは以前、シオンから生き残り方を教わった時にも聞いた言葉だった。


「壊すことしかできない」


「でも、村を助けた」


「落ちてきた岩を壊しただけだ」


「魔物がわたしを襲った時も、倒してくれた」


「魔物を殺しただけだ」


「結界が消えた後で魔物を倒せば、それで助かる人だっていると思う」


「星中のすべての魔物を殺すのか」


 ラズは黙った。


「俺一人で、デウスが守ってきた全域を見張れると思うのか」


「……思わない」


「なら、俺にはできない」


「それでも、目が届く範囲くらいは」


「しない」


 シオンの声は冷たかった。

 できない、ではなく、しない。その違いを、ラズは聞き逃せなかった。


「この星に、俺が守りたいものはもう存在しない」


 シオンは窓の外を見たまま言う。


「守る価値などない。それに、俺はあいつの代わりにはならない」


「なりたくないの?」


「なる資格も、理由もない」


 シオンは自分の拳を見る。白い結界の光に照らされた黒い手袋。そこに包まれた拳が、これまで何を壊してきたのか、ラズは知っている。


「この力は、星を守るために作られた」


 デウスはそのつもりで、シオンへケイオスを埋め込んだ。異星の神々を殺すための兵器。守護神を超える力を宿す、人間の器として。


「だが、俺は星のためには使わない」


「デウスを殺すためだけに?」


「ああ」


「それが終わったら、自分も死ぬから?」


 シオンは答えなかった。その沈黙こそが肯定だった。


 ラズは窓の外の結界を見る。

 白い光が、静かに休息所を包んでいる。神が守った場所の中で、その神を殺そうとする者が夜を明かしている。その矛盾を、シオンは分かっている。分かった上で、何も変えようとしない。


「デウスは、自分がいなくなった後が怖かったのかもしれないね」


「それは記録にあった」


「だから、別の力を作ろうとした」


「それが俺だ」


「シオンを、自分の代わりにしようとしたのかな」


「さあな」


「でも、シオンは拒んだ」


「そうだな」


「神がいなくなった後の星を、守らないんだね」


「ああ」


 ラズは目を伏せた。言葉にするほど、胸が重くなる。

 シオンは星を壊すためにデウスを殺すわけではない。混乱を目的としているわけでもない。けれど、デウスを殺した結果として、この星の守りが揺らぐことを知っている。知っていて、それでも止まらない。

 デウスが最も恐れていたことを、シオンは起こそうとしている。


「シオンは、デウスが一番怖がっていたことをするんだね」


 シオンは答えなかった。

 星の守護神を殺す。その結果、守りが失われるかもしれない。人々が混乱に陥るかもしれない。

 デウスにとって、それは最大の敗北なのだろう。守り続けた星が、自分の死と共に揺らぐ。しかも、それを成すのは、自分が作り出した星を守るための兵器。

 シオンは、そこまで理解している。理解していて選んでいる。


「それも復讐?」


 ラズが尋ねた。

 しばらく、沈黙があった。


「……そうだ」


 やがて、短い答えが返ってくる。


「あいつを殺す。それで、あいつが築いたものも、守ろうとしたものも揺らぐなら——」


 シオンの声は低かった。


「それも、あいつへの復讐になる」


「それを望んでるの?」


「当然だ」


 冷たい声だった。


 けれど、ラズは覚えている。

 寝る前の会話で、自分が「人が死んでも」と尋ねた時。シオンは、ほんの僅かに答えるのが遅れた。迷いと呼べるほどのものではなかったのかもしれない。それでも、あの短い沈黙は残っている。

 シオンの中に、何もないわけではない。ただ、怒りと憎しみと死への願望が、他のすべてを押し潰している。ラズには、そう思えた。


「おやすみ、シオン」


 ラズは小さく言った。


「……ああ」


 珍しく、返事があった。


 ラズは目を閉じる。眠りに落ちる直前、白い結界の光が瞼の裏へ滲んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。