地下へ
研究施設の裏手には、地下へ通じる搬入口があった。
周囲を高い外壁に囲まれ、人通りのある道からは見えない位置に設けられている。夜間に物資を運び入れるためのものらしく、地面には荷車の車輪が通った跡が幾重にも残されていた。
搬入口を塞いでいるのは、シオンの背丈の倍ほどもある分厚い鉄扉だった。中央には、神殿の紋章。その周囲には、幾重にも重なる複雑な魔法陣が刻まれている。淡い白色の光が細い線となり、鉄の表面を絶えず巡っていた。
近くに兵士の姿はない。だが、人が守っていないからといって、無防備なわけではなかった。
ラズは扉の前へ立ち、手をかざす。
「強い結界がある」
掌の先へ意識を集中させる。扉の表面を流れる白い光が、微かに明滅した。
「鍵だけじゃない。無理に壊したら、たぶん警報が鳴るよ」
「鳴らせばいい」
シオンは鉄扉を見据えたまま、右手を握った。
これほど強固な結界と扉でも、シオンであれば拳で殴れば纏めて粉砕できるのだろう。
「駄目だってば」
ラズは慌てて、扉とシオンの間へ入る。
「警報が鳴ったら、正面にいた聖騎士も町の神殿兵も集まってくるよ」
「来た者から殺せば済む」
「それをしないために裏へ回ったんでしょう?」
シオンの眉間に皺が寄った。
「お前のためではない」
「うん。地下にあるものを、先に壊されたくないからだよね」
正面からの侵入を諦めた理由を先回りして答えられ、シオンは不機嫌そうに口を閉じた。
ラズは再び鉄扉へ向き直る。
「少しだけ待って」
「何をするつもりだ」
「開けられるかもしれない」
「……お前が?」
「たぶん」
「たぶんで結界に守られた扉を開けるつもりか」
「シオンが壊すよりはましだと思う」
シオンは何か言い返しかけたが、結局、扉から数歩離れた。腕を組み、ラズの背中を訝しげに見つめる。
「失敗したら退け」
「その後は?」
「壊す」
「失敗しないように頑張るね」
ラズは小さく息を吐き、術式へ意識を集中させた。
◇
鉄扉を守る術式は、ラズがこれまで扱った魔法より遥かに複雑だった。複数の魔法陣が重なり合っている。
扉を物理的に閉ざすもの。登録されていない魔力を拒むもの。強い衝撃を感知するもの。異常を神殿兵へ知らせるもの。一つの術式を強引に断てば、他の術式が異変を察知する仕組みらしい。
それでも、魔力の流れを見つめていると、何をすればよいのかが、自然に頭へ浮かんだ。どこへ触れれば、結界の力が緩むのか。どの流れへ自分の魔力を重ねれば、異常として認識されないのか。どの順番で術式を眠らせれば、警報を作動させず扉だけを開けられるのか。
知識として学んだ記憶はない。術式の名称も、仕組みを説明する言葉も知らない。それなのに、指先は迷わず動いた。
ラズは白い光の線へ、自分の魔力を細く流し込む。
無理に押し破るのではない。扉の術式が元から持っている流れへ馴染ませ、その一部であるかのように潜り込ませていく。
一本。次にもう一本と、光の流れが少しずつ変化した。複雑に絡み合っていた線が緩み、扉の中央にある神殿の紋章から、輝きが薄れていく。
ラズは集中を途切れさせないよう、ゆっくりと息を吐いた。
自分は何者なのだろう。なぜ、こんなことができるのか。火や水の魔法なら、身体が覚えているという説明も、まだ受け入れられた。だが、神殿の施設を守る複雑な結界まで、初めて見ただけで解除できる。これほどの技術を、どこで身につけたのか。
胸の奥に、不安が広がる。しかし、今は考えている場合ではない。
「もう少し……」
最後に残った光の流れへ、慎重に魔力を重ねる。神殿の紋章が、一度だけ明滅した。
その後、すべての光が消えた。
鉄扉の奥から、重い錠が外れるような音が響く。
「たぶん、開いたよ」
ラズが振り返る。
シオンは、扉ではなくラズを見ていた。左右で色の違う瞳が、訝しげに細められている。
「ますます怪しいな、お前は」
ラズは困ったように眉尻を下げて笑った。
「わたしも、自分でそう思う」
「笑い事ではない」
「でも、今考えても分からないから」
シオンはそれ以上何も言わなかった。
シオンが扉へ手をかける。重い鉄扉は、驚くほど静かに内側へ開いた。
◇
扉の先には、地下へ続く石造りの階段があった。等間隔に設置された魔導灯が、白い光で足元を照らしている。
ラズは一歩踏み出す前に、髪へ手を伸ばした。指先が、青い星の硬い輪郭へ触れる。
何の力も持たない、普通の硝子細工。触れたところで、危険から守ってくれるわけではない。
それでも、自分が美しいと思い、自分の意思で髪へつけているものだ。指先で星の形をなぞると、僅かに呼吸が整った。
その時、地下から冷たい空気が吹き上がってきた。
同時に漂ってきた臭いに、シオンの表情が変わる。
血。薬品。焼けた肉。腐敗臭を覆い隠すための、強い香。魔核から漏れ出す、濁った魔力。
そして、それらの奥に、微弱ながら赤黒い気配が混じっていた。
シオンの左胸が、僅かに脈打つ。
ケイオスと同じもの。だが、完全に同一ではない。薄く引き伸ばされ、何度も加工されたような、劣化した力の痕跡。
それでも、自分の中にあるものと同質だと直感できた。
『懐かしい匂いだな。微かだが、俺の力もある』
胸の奥で、ケイオスが笑う。
シオンは何も答えない。
『面白いことになっていそうではないか』
その声を無視し、シオンは階段を降り始めた。
ラズも青い星から手を離し、その後へ続いた。




