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神殺しは葬列を往く  作者: 夜更
第一部
19/79

幕間─それぞれの戦い方②

 次に、シオンはラズが張った結界の前まで歩み寄った。

 半透明の光へ指先で触れる。それだけで、接触した部分からピシッという乾いた音が鳴った。結界の表面へ細い亀裂が走る。


「あっ」


 ラズが慌てて魔力を送り込む。亀裂は一度塞がったものの、その分、結界全体の光が薄くなった。


「魔力を全体へ均等に流しすぎだ」


 シオンが言う。


「均等じゃないと、結界にならないんじゃないの?」


「形を保つだけの力は必要だ。だが、すべてを同じ強さにする必要はない」


 シオンは再び結界に指先を当てる。今度は先ほどよりも僅かに力を加えた。亀裂が大きく広がる。


「敵が攻撃してくる場所へ、魔力を集めろ」


「そんなこと、攻撃される前に分かる?」


「敵を見ろ」


「三体もいたら、全部は見られないよ」


「だから、全部を同時に相手にするな」


 シオンは結界から手を離した。


「敵の正面へ立つな。守る相手を逃がす方向を先に決めろ。その時間を作るためだけに防げ」


「攻撃は?」


「余裕がある時だけだ」


「でも、結界を張ってるだけじゃ、ずっと攻撃されるよ」


「永遠に耐える必要はない」


 シオンの視線が鋭くなる。


「逃げるための数秒を作れればいい」


 ラズは結界を消し、自身の両手を見る。


「倒さなくても、いいんだ」


「お前の目的が人を助けることならな」


「シオンは違うの?」


「俺には逃がす相手がいない」


 その言葉に、ラズは黙った。

 シオンはすぐに話を切り替える。


「次だ」


◇


 次に命じられたのは、魔法を使うことではなかった。

 シオンは森の中央にラズを立たせる。


「目を閉じろ」


「どうして?」


「いいから閉じろ」


 ラズは言われた通り瞼を下ろした。

 視界が暗くなる。それまで気にしていなかった音が、急に鮮明に感じられた。


「何か聞こえるか」


「……風の音」


「他は」


「沢の水。鳥の声」


「他に」


 ラズは耳を澄ませる。


「葉が揺れてる」


「それは風だ」


「じゃあ、何も分からない」


「右」


 言われて、意識を右へ向ける。

 風、枝葉、遠くの水音。聞こえるのはそれくらいだ。特に変わった音は聞こえない。


「……何も聞こえないよ」


「小さな足音がある」


 ラズは目を開けた。

 右側の茂みを見る。だが、何もいない。

 しばらく待つと、小型の獣が草の間から姿を現した。灰色の毛を持つ、小さな四足の獣だった。

 二人の姿へ気づくと、すぐに森の奥へ逃げていく。


「全然分からなかった」


「今はそれでいい」


「シオンは、いつ気づいたの?」


「ここへ来る前からだ」


「それは真似できないよ」


「する必要はない」


 シオンは獣が通った地面を指す。湿った土に、小さな足跡が残っていた。


「音が聞こえなくても、跡は見える」


 次に、低い位置へ張り出した枝を示した。葉の一部だけが裏返り、付着していた露が落ちている。


「何かが通った後だ」


「そんなところまで、普段から見てるの?」


「意識して見てはいない」


「じゃあ、どうして分かるの?」


「違和感がある」


 それもまた、長年の狩りで身についた感覚だった。

 魔物を食べるために、何年も森を歩いてきた。獣の臭いを辿り、足跡を見つけ、血の跡を追う。

 シオンには、それを技術として順序立てて説明することはできない。それでも、積み重ねた経験は確かに残っていた。


「昨日、お前は魔物に囲まれた」


「うん」


「最初に見た時、三体いることは分かっていたか」


「それは分かってた」


「それぞれの位置は覚えていたか」


「……多分」


「覚えていない顔だな」


 図星だった。


「正面の二体へ気を取られて、横へ回った一体を見失った」


「どうして分かるの?」


「傷の付き方だ」


 シオンはラズの右肩を見る。


「正面から来ると分かっていれば、あの向きには飛ばされない」


 ラズは昨日、側面から飛びかかってきた魔物を思い出した。


「全部の敵を同時に見るのは、お前には難しい」


「じゃあ、どうするの?」


「自分が見なくていい場所を作れ」


「どうやって?」


「木や岩を背にする」


「逃げられなくならない?」


「背後をすべて塞ぐな。逃げる方向だけは残せ」


 シオンは一本の太い木へ背を向け、立つ位置を示した。


「ここに立てば、少なくとも真後ろからは来ない」


「木を壊す魔物だったら?」


「その時は動け」


「……難しい」


「昨日死にかけたことよりは簡単だ」


 反論できなかった。


「それと、守る相手を真後ろへ置くな」


「どうして?」


「お前が押し戻されれば、巻き込む」


 昨日、ラズは女性と少女を真後ろへ庇ったまま、魔物に囲まれていた。自分が倒れれば、そのまま二人へ敵が届く位置だった。


「斜め後ろへ置け」


 シオンは地面へ簡単な位置関係を描くように指を動かす。


「先に逃がす方向を決めて、その道を空けておけ」


「シオン、戦い方は教えられないって言ったのに、結構詳しいね」


「憶測だ」


「憶測?」


「俺なら、そんなことを考える必要がない」


 敵が背後へ回ろうと、何体に囲まれようと、シオンにとっては関係がない。

 攻撃を受けても、容易には傷つかない。包囲が完成する前に、敵をすべて殺すこともできる。逃げる必要すらない。


「だが、お前なら、恐らくそうした方が死ににくい」


 シオンは、自分とは異なる存在としてラズを見ていた。

 自身のやり方を押しつけるのではない。何年も見てきた魔物の習性と、昨日のラズの傷から、彼女でも使えそうな方法を推測している。

 それが正しいのか、シオン自身にも確信はない。ただ、何も教えないよりはましだと判断したのだろう。


◇


 訓練が一段落する頃には、太陽が森の真上まで昇っていた。

 ラズは倒木へ腰掛け、息を整えている。

 実際に魔物と戦ったわけではない。それでも魔法を何度も使い、走り、立ち位置を変え続けたことで、身体には疲労が溜まっていた。


「疲れた……」


「昨日よりは魔力を残している」


 シオンは近くの木へ背を預けている。


「分かるの?」


「ああ」


「どれくらい残ってる?」


「三分の一ほどだ」


 ラズは、自分の内側へ意識を向けてみた。言われてみれば、まだ魔法を使える程度の余力は残っている気がする。


「昨日は?」


「ほとんど空だった」


「じゃあ、昨日も、もう少しくらい使えたのかな」


「倒れるまで使うつもりか」


「治癒術も必要だったから」


「だから、その分を残せと言っている」


 シオンは腕を組んだ。


「お前は、自分が使える魔力の量を把握していない」


「どうしたら分かるの?」


「自分で覚えろ」


「どうやって?」


「あと何回、何を使えるのか数えろ」


 ラズは指を折り、先ほど使った魔法を思い返した。

 火球。もう一度火球。結界。小さな風の魔法。移動を妨げるために使った土の魔法。


「毎回数えるの?」


「最初はな」


「忘れそう」


「忘れれば死ぬ」


「厳しい」


「死ぬよりはましだ」


 シオンの口調は冷たい。だが、言っていることは一貫していた。

 誰かを助けるなとは、もう言わない。ラズがやめないと分かったからだ。

 その代わり、助けようとした相手と一緒に死ぬことだけは、認めようとしなかった。


「シオンは、自分の力がどれくらい残ってるか分かるの?」


 ラズが尋ねる。


「分からん」


「分からないの?」


「俺の力は、お前が使っている魔力とは違う」


「さっきの赤黒いもの?」


「ああ」


 シオンは左胸へ一瞬だけ視線を落とした。


「あれが何なのか、俺にも正確には分からない」


「魔力じゃないの?」


「少なくとも、普通の魔力と同じようには扱えない」


 シオンの内側にある力は、術式へ流し込むことができない。使えば使うほど減っていくという、通常の魔力と同じ感覚もない。底が存在するのかさえ、分からない。

 ただ、力を引き出せば、その分だけ器である身体へ負担がかかる。分かってるのは、それくらいだった。


「だから、お前は自分の魔力を、自分で覚えろ」


「分かった」


「……返事だけは立派だな」


「ちゃんと覚えるよ」


「昨日も、待っていろと言われて動いただろう」


「あれとは別の話」


「同じだ」


「違うよ」


「違わない」


 ラズは少し頬を膨らませた。


◇


 少し休んだ後、ラズは倒木へ座ったまま、シオンを見上げた。


「シオン」


「何だ」


「昨日、わたしを助けに来てくれたでしょう」


「魔物を殺しただけだ」


「それは、助けてくれたんじゃないの?」


 シオンの視線が僅かに下がる。何かを思い出している時の顔だった。


「違う」


「でも、わたしが襲われていたから来た」


「お前が勝手に持ち場を離れたから探した」


「探してくれたんだ」


「話を変えるな」


 シオンは苛立ったように眉を寄せる。


「見つけた時に、魔物がいた。それを殺しただけだ」


「わたしは、シオンが来たから助かった」


「結果がそうなっただけだ」


「それを、守ったって言うんじゃないの?」


「言わない」


 あまりにも頑なな否定だった。


 ラズは、シオンの拳を見る。

 昨日、三体の魔物を瞬く間に殺した拳。今日も、大型の魔物を一撃で屠った。初めて出会った時も。

 シオンの圧倒的な力は、怖いとは思う。しかし、その拳がなければ、ラズはすでに死んでいたかもしれない。


「わたしには、守れる力に見えるよ」


 その言葉を聞いたシオンの表情が突如として消えた。先ほどまで浮かんでいた苛立ちも、呆れもなくなる。

 ラズは、自分がシオンの触れられたくないものへ触れたことに気づいた。それでも、言葉を取り消さなかった。


「最初に会った時も、昨日も。シオンは、その力でわたしを助けた」


「違う」


 凄みのある低い声だった。


「この力は、守るためのものではない」


 シオンは自分の右手を見る。

 黒い革手袋に覆われた拳。今は血などついていない。だが、シオンの目には、常に血に濡れて見えているのかもしれない。


「——殺すためだけの力だ」


 ラズは黙って、その言葉を聞いた。


「俺は、この力で、守りたかった人間を殺した」


 父。母。リゼ。

 詳しい経緯は、まだ聞いていない。それでも、その三人をシオン自身が殺したことはラズも知っている。


「この拳は、殺す相手を選ばない」


 シオンはゆっくりと拳を握る。


「大切な人間も、憎い相手も。同じように壊す」


 その言葉は、ただ過去を語っているのではなかった。

 シオンの中では、今も同じことが繰り返されているのだろう。

 拳を見るたび、力を使うたび、魔物の身体が砕けるたびに、かつて自分が壊した者たちの姿が重なる。


「惨劇の後、人間の食事を受けつけなくなった」


 シオンは淡々と続ける。


「生きるためには、魔物を殺して喰うしかなかった」


 何年も。ただ、それを繰り返してきた。


「今は、憎い相手を殺すために、この拳を使っている」


 デウスを殺すまで、復讐を終えるまで。シオンは自分が死ぬことを許していない。


「守るために使ったことなど、一度もない」


「でも——」


「お前を襲った魔物を殺したのも同じだ」


 ラズが何か言いかけたが、それを遮るようにシオンは言葉を続ける。


「敵だったから殺した。邪魔だったから殺した。それだけだ」


 シオンは、本気でそう思っている。

 少なくとも今の彼にとって、誰かを助けたという結果と、敵を殺したという行為は結びついていない。

 守ったと認めれば、自分にも誰かを守れる力があると、認めることになる。そして同時に、守る力があったのなら、なぜ大切な者たちを守れなかったのか。なぜ、自ら殺したのか。その問いを、さらに強く自分へ突きつけることになる。


「だから、俺の戦い方は教えない」


 シオンは拳を下ろす。


「教えられないだけではない」


 左右で色の異なる瞳が、ラズへ向けられる。


「覚えてほしくない」


 ラズは目を瞬かせた。


「どうして?」


「こんなものは、戦いではない」


 シオンは、先ほど倒した魔物がいる方角へ目を向けた。


「力で押し潰して、動かなくなるまで壊すだけだ」


「それでも、シオンはその力で生きてきた」


「生きたかったわけではない」


 静かな声だった。

 ラズは、何も言えなくなる。


「死ねなかったから、続けただけだ」


 生きるために魔物を喰らう。だが、生きたいわけではない。デウスを殺すまでは死ねないから、身体を動かすために喰らい続けている。

 矛盾した生存の中で、シオンは何年も魔物を殺してきた。


「お前は違う」


 唐突に言われ、ラズは顔を上げた。


「え?」


「お前が誰かを助けたいと言うなら、俺と同じものになる必要はない」


 シオン自身、口にしてから僅かに顔をしかめた。


「寧ろ、なってはいけない」


 ラズが誰かを助けたいという気持ちを、全面的に認めたわけではない。

 ただ、ラズがそう選ぶことを、止められないと理解したのだ。


「だから、俺から教えられるのは、死ににくくする方法だけだ」


「戦い方じゃなくて?」


「俺が話したことが正しい保証もない」


 シオンは魔法を使えない。人間の戦術を学んだこともない。自分とは異なる身体を持つラズが、どう戦うのが正しいのかも知らない。

 それでも、何年も魔物を見てきた。

 どのように獲物へ回り込むのか。弱った者を、どのように狙うのか。魔力へ反応する種類がいること。追う時と逃げる時、どこへ向かうのか。その知識だけは経験としてある。


「昨日より長く生きられるかもしれない。その程度の知恵だ」


「それで十分だよ」


 ラズは答えた。

 シオンは納得していないように眉を寄せる。


「十分なわけがない」


「でも、昨日のわたしよりは上手くできる」


「一日でできると思うな」


「じゃあ、明日も教えて」


 シオンの眉間に、さらに皺が寄る。


「今日だけだ」


「昨日は、明日から教えるって言ったよ」


「言ったことを後悔している」


「じゃあ、後悔したまま教えて」


「なぜそうなる」


 ラズは少し笑った。

 シオンはその表情を見て、さらに不機嫌そうに顔を逸らした。


◇


 二人は、再びアルミナを目指して歩き始めた。

 シオンが前を歩き、ラズが少し後ろをついていく。昨日までと同じ並びだった。

 それでも、ラズの目に映る森は、昨日までとは僅かに違っていた。


 木の根。折れた枝。踏み荒らされた草。鳥の声が不自然に途切れた場所。

 今までは気に留めなかったものが、何かの存在を示す痕跡に見え始めている。


「右」


 前を歩くシオンが、突然呟いた。

 ラズは反射的に右を見る。木々の間で、小さな影が動いた。

 魔物ではない。灰色の獣が二人を見つめ、すぐに逃げていく。


「今の、分かった」


「見えてからでは遅い」


「でも、昨日よりは早かった」


「昨日なら、気づいてもいなかっただろうな」


「じゃあ、少し進歩した」


「一度で調子に乗るな」


 シオンの歩調は変わらない。

 だが、少し進んだ後、低い声が続いた。


「魔力を感じた時だけ、周囲を見るな」


「え?」


「獣は魔力を持たないものが多い」


 ラズは、その背中を見つめた。


「それ、次の教え?」


「違う」


「でも、教えてくれた」


「……黙って歩け」


 ラズは小さく笑い、その後を追った。


 シオンの力は、本人が言うように、殺すためのものなのかもしれない。

 大切な者も、憎い相手も、区別なく壊してしまった拳。

 その事実を、ラズが簡単な言葉で否定することはできない。


 それでも、昨日、自分が生きて帰れたことも事実だった。

 シオンが魔物を殺した結果にすぎないと否定しても、ラズにとっては、確かに助けられたのだ。

 今はまだ、それをシオンへ認めさせることはできない。認めさせる必要があるのかも分からない。

 ただ、ラズは忘れないことにした。シオンがどれほど自分の力を呪っていても、その力によって救われた命が、少なくとも一つはここにあることを。


 二人は森の奥へ向かって、歩き続けた。

 シオンはラズへ、戦い方を教えることはできなかった。代わりに、何年も魔物を殺し続ける中で覚えた、名もない知識を少しずつ言葉へ変えた。

 誰かを守るためではない。ラズが勝手に危険へ飛び込み、勝手に死ぬことを防ぐため。

 少なくともシオンは、そう思うことにしていた。

次回からアルミナ編になります!

感想や評価、ブクマ、リアクションなどいただけますと励みになります。引き続きよろしくお願いいたします!

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