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神殺しは葬列を往く  作者: 夜更
第一部
18/79

幕間─それぞれの戦い方①

 翌朝。

 森には、まだ薄い霧が残っていた。夜露に濡れた葉が朝の光を弾き、風が吹くたび、枝先から細かな雫が落ちる。

 昨夜、二人が休んだ場所には、燃え尽きた焚き火の灰と、踏み固められた土だけが残されていた。


 ラズは火の跡の傍に座り、自分の右肩へ左手を添えていた。昨日、魔物に弾き飛ばされた際に痛めた場所だ。

 夜の間に魔力はある程度戻っている。眠る前と、目覚めた後。二度に分けて治癒術を使ったことで、腕は動かせるようになっていた。

 ただし、大きく回そうとすると、まだ肩の奥に鈍い痛みが走る。


「動くか」


 声をかけられ、ラズは顔を上げた。

 少し離れた木の傍に、シオンが立っている。

 いつもの黒い衣服の上へ毛皮付きの外套を羽織り、長い銀白の髪を低い位置で束ねていた。昨日、魔物の血に濡れていた黒い革手袋も、すでに綺麗になっている。


「うん。まだ少し痛いけど」


 ラズは腕をゆっくりと上げてみせた。

 肩の高さまでは問題なく動く。それより上へ持ち上げた途端、表情が僅かに歪んだ。

 シオンはその反応を見逃さなかった。


「なら、今日はやめるか」


「何を?」


「昨日の話だ」


 ラズは一瞬考え、それから表情を明るくした。


「戦い方を教えてくれるの?」


「声が大きい」


「本当に教えてくれるんだ」


「嫌ならやめる」


「ううん。やる」


 即答だった。

 シオンは露骨に顔を顰める。


「先に言っておく」


 そう告げて、森の奥へ歩き始めた。

 ラズも立ち上がり、その後を追う。


「俺は、お前に戦い方を教えられない」


 ラズは首を傾げた。


「昨日は教えるって言ったよ」


「生き残り方を教えると言っただけだ」


「同じじゃないの?」


「全く違う」


 シオンは振り返らない。


「俺の戦い方を、お前は使えない」


 それは、冷たい拒絶ではなかった。

 シオンとラズの間にある、埋めようのない違いを確認するような声だった。


「どうして?」


「実際に見れば分かる」


◇


 二人は沢沿いを北へ進んだ。昨日とは違う道だった。

 人の気配はなく、獣が何度も通ったことで踏み固められたらしい細い跡だけが、木々の間へ続いている。

 しばらく歩いたところで、シオンが足を止めた。


「いる」


 ラズも周囲を見回す。


「どこに?」


「前だ」


 目を凝らしても、見えるのは木と草ばかりだった。

 だが、少し待つと、茂みの奥から低い唸り声が聞こえた。

 何かが動き、太い枝が折れる。木々を押し退けるようにして現れたのは、四足の大型の魔物だった。

 熊に似た体躯。全身を覆う、濃い灰色の毛。背中には岩のような甲殻が盛り上がり、前脚の先には、人間の腕ほどもある爪が伸びている。


 魔物は二人を見つけると、大きく口を開いて咆哮した。

 空気が震える。

 ラズは反射的に両腕を上げ、魔法陣を作ろうとした。

 その動きを遮るように、シオンが言う。


「そこで見ていろ」


 次の瞬間、シオンの姿が消えた。

 少なくとも、ラズの目にはそう見えた。


 地面を蹴った場所だけが大きく陥没し、土と枯れ葉が遅れて舞い上がる。

 魔物がシオンの姿を捉えるよりも早く、その拳が腹部へ突き刺さった。


 重い衝撃音が響く。

 魔物の巨体が地面から浮いた。腹部が大きく陥没し、背中を覆っていた甲殻が内側から砕ける。

 身体は何本もの木を巻き込みながら吹き飛び、地面へ叩きつけられた。

 森全体が揺れたような錯覚を覚える。

 魔物は一度だけ大きく痙攣し、そのまま動かなくなった。


 戦いと呼べる時間は、ほんの一瞬だった。

 シオンは死骸へ近づき、慣れた手つきで魔核を抜き取ると、魔物の死骸に背を向けた。


「これだ」


 ラズは倒れた魔物を見たまま、しばらく返事ができなかった。


「……何が?」


「俺の戦い方だ」


 シオンは自分の拳を見る。


「見つけて、近づいて、殴る」


 何でもないことのように、淡々と続ける。


「それだけだ」

 

 魔物の身体は、すでに一撃でほとんど原形を失っている。

 そこに技術と呼べるものがあったのか、ラズには分からなかった。

 構えもない。相手の攻撃を誘うことも、防ぐこともない。圧倒的な力と速度を押しつけ、相手が何かをする前に叩き潰す。それだけだ。

 あまりにも単純だった。そして、それ故にシオン以外の誰にも真似できない。


「一回で倒れなかったら?」


「死ぬまで殴る」


「逃げたら?」


「追う」


「速い相手でも?」


「追いつく」


「追いつけなかったら?」


「もっと速く走る」


 あまりにも単純すぎる答え故に、何も知らない人間が聞けば冗談だと思うかもしれない。しかし、シオンは決して冗談を言っているわけではなかった。本気で走った彼から逃げ切れる魔物などまずいない。


「囲まれたら?」


「全部殺す」


「攻撃を避けられたら?」


「もっと速く拳を振る」


「すごく硬い魔物だったら?」


「殺せるまで威力を上げる」


 ラズは口を噤んだ。

 これでは、教わりようがない。シオンも最初から、それを分かっていたのだ。


「この身体になった直後から、魔物を殺すことはできた」


 シオンは倒れた魔物へ視線を向ける。


「力の使い方を覚える必要もなかった。拳を振れば死んだ」


 実験を受ける前のシオンが、戦うことのできる人間だったのかは分からない。そもそも、戦いなど必要としない暮らしをしていたのかもしれない。

 だが、ケイオスを宿した後の彼にとって、普通の魔物は最初から対等な敵ではなかった。


「それから、何年も同じことを繰り返した」


 シオンは静かに続ける。


「飢えれば探す。見つければ殺す。そして喰う」


 魔物の肉しか受けつけない身体。デウスへ復讐するために歩き続けるには、身体を維持しなければならない。そのためには、魔物を殺し続けるしかなかった。

 そこに勝敗を競う余地などない。狩りと呼ぶには荒々しく、戦いと呼ぶにはあまりにも一方的だった。


「拳は使っているが、これは格闘術ではない」


 シオンがラズを見る。


「俺には、人間の戦い方は教えられない」


 人間の戦い方。その言い方は、自分を人間の側へ含めていないようにも聞こえた。

 だが、普通の人間がシオンと同じ方法で戦えないことは事実だった。


「剣の使い方も知らない。体術を習ったこともない。魔法も使えない」


 一つだけ引っかかることがあったラズは、口を挟む。


「魔法は、本当に使えないの?」


「ああ」


「でも、昨日も、わたしの魔力がほとんど残ってないって分かったよね」


「魔力を感じることと、使うことは別だ」


 シオンは徐に片手を空に掲げた。掌の上に、赤黒いものが滲み出す。

 霧にも炎にも似ていない。輪郭の定まらない力の塊が、歪に膨らんでいく。その力の塊を拒むように周囲の空気が震えた。ただそこに存在しているだけで、辺りを押し潰すような異様な圧迫感がある。ラズが普段使っている魔力とは、明らかに異なるものだった。


「外へ出すことはできる」


 赤黒い力が僅かに膨張する。


「だが、それだけだ」


 次の瞬間、力は形を保てず、黒い粒子となって弾けた。周囲へ散り、空気の中へ溶ける。


「術式へ流し込むことができない」


「術式が分からないから?」


「違う」


 シオンは掌を閉じた。


「分かったところで使えない。俺には、魔法を成立させる素養がない」


 人間の魔法は、自身の魔力を術式へ通し、決められた形へ変えることで発動する。炎なら炎、水なら水、治癒なら治癒の術式へと魔力を流し込むことでその効果を得る。

 人によって魔力には異なる性質があり、扱いやすい術も違う。

 だが、それ以前に。そもそも魔力を術式へ流し、魔法として形にできるかどうかにも、生まれつきの素養が必要だった。


 シオンの内側には、途方もない力がある。しかし、その大半はシオンが生まれ持ったものではない。ケイオスを宿したことで与えられた力だ。

 どれほど膨大であっても、シオンという器には、それを魔法へ変える性質がなかった。


「じゃあ、ケイオスは魔法を使えるの?」


 ラズが尋ねる。

 シオンの眉間に皺が寄った。


「知らん」


「でも、今のはケイオスの力なんでしょう?」


「そうだとしても、俺が知る必要はない」


 ケイオス自身が何をできるのか。シオンは、本当に確かめようとしていないらしい。

 膂力だけで、大抵の魔物は一撃で倒せる。シオンにとっては、それだけで十分だった。ケイオスが魔法を使えるかなどどうでもいい。

 ラズも、それ以上は尋ねなかった。


◇


「それで、終わり?」


 沢へ戻る途中、ラズが尋ねた。


「何がだ」


「シオンの戦い方を見せてくれただけ」


「それで十分だろう」


「参考にならないってことは分かった」


「最初からそう言っている」


「でも、昨日は生き残り方を教えるって言ったよ」


 シオンは足を止めた。深く息を吐き、ラズを振り返る。


「お前は、昨日と同じことが起きたら助けると言ったな」


 ラズは、ほとんど考えることなく答えた。


「うん、助ける」


「……迷いがないな」


「昨日も言ったよ」


 ラズは自分の胸へ手を添える。


「助けるって決めたのは、わたしだから」


「その結果、死にかけた」


「だから、今日は教えてくれるんでしょう?」


 シオンはラズを見た。

 自分が何者なのかも分からない少女。なぜ魔法を使えるのかも知らない。

 それでも昨日は、見知らぬ人間を守るために魔物の前へ立った。止めたところで、次も同じことをする。

 シオンには、それが分かってしまっていた。


「……構えろ」


 ラズの顔が明るくなる。


「やっぱり教えてくれるの?」


「騒ぐな」


 ラズは嬉しそうに両腕を前へ出した。右肩にはまだ痛みがあるため、左腕を中心に魔法を使える姿勢を取る。


「何をすればいい?」


「昨日使った魔法を、順番に見せろ」


「全部?」


「今使えるものだけでいい」


 ラズは少し考え、左手の先へ意識を向けた。

 淡い光の線が空中へ走り、円形の魔法陣を作る。中央へ炎が集まり、小さな火球となった。


「あの木に撃て」


 ラズが火球を放つ。炎は離れた木の幹へ当たり、表面を黒く焦がした。

 ラズは少し得意気にシオンを見る。


「どう?」


「遅い」


 即答だった。


「当たったよ」


「木は避けない」


「それはそうだけど」


 ラズは拗ねたように頬を膨らませた。

 シオンは火球が通った場所へ目を向ける。


「撃つ前に、魔力が集まりすぎている」


「集めないと撃てないよ」


「集めるなとは言っていない」


 言葉を探すように、僅かな間が空く。


 シオンは魔法を使えない。術式の組み方も知らない。

 分かるのは、ラズの周囲で魔力がどのように動いているかだけだった。


「お前が撃つ前、手の前で魔力が長く固まっていた」


「魔法陣を作ってたから」


「それが遅い。お前は魔力量が多い。そのせいで、余計な力まで集めている」


「どうすれば速くなるの?」


「知らん」


「……教えてくれるんじゃなかったの?」


「だから、魔法そのものは教えられないと言っている」


 シオンは苛立ったように眉を寄せる。


「ただ、敵から見れば、撃たれる前に分かる。俺が分かったようにな」


「魔物も魔力を感じるの?」


「種類による」


「昨日の狼みたいな魔物は?」


「感じていたはずだ」


 ラズは昨日の戦いを思い返した。

 炎を放つ前、魔物はすでに身体を低くし、避ける準備をしていたような気がする。


「じゃあ、どうしたらいい?」


「もう一度撃て」


「さっきと同じように?」


「今度は違う場所へだ」


 シオンは、離れた場所に生える二本の木を指した。


「右へ撃つように見せて、左へ撃て」


「そんなこと、できるかな」


「できなければ覚えろ」


 ラズは不満そうな顔をしながら、再び魔法陣を作った。身体を右側の木へ向ける。火球が生まれる直前、左へ向けようと手を動かした。

 だが、炎は不安定に揺れ、その場で消えてしまう。


「消えちゃった」


「魔力が散った」


「見れば分かるよ」


「違う」


 シオンはラズの手元を見ていた。


「手を動かした瞬間、術式へ入る前の力が外へ逃げた」


「そんなことまで分かるの?」


「流れが乱れたのは分かる」


「どうすればいいかは?」


「分からん」


「また?」


「俺は魔法を学んだことがない」


 シオン自身も、どう説明すればよいのか分からないのだろう。彼は、魔力の流れを、目や感覚で捉えているだけだ。魔法学として理解しているわけではない。


「もう一度やれ」


 ラズは右肩へ負担をかけないよう、左手の前へ魔法陣を作る。


「今度は手を動かすな」


「じゃあ、どうやって向きを変えるの?」


「目で追うな」


「何を?」


「本当に撃つ場所だ」


 シオンは左側の木を指した。


「最初から、あそこへ力を流せ」


「でも、右へ撃つふりをするんでしょう?」


「身体と視線だけを右へ向けろ」


「魔法は左?」


「ああ」


「難しいよ」


「昨日の魔物を相手にするよりは簡単だ」


 ラズは一度深呼吸をした。

 身体を右へ向ける。視線も、右の木へ。だが、魔法陣へ集めた魔力は、意識して左へ流す。


 火球が生まれた。今度は消えない。

 炎は身体の向きとは異なる方向へ飛び、左側の木へ命中した。


「あっ」


 ラズの顔が明るくなる。


「できた」


「遅い」


「また?」


「もし俺が相手なら、今の間に十回は殺せる」


「シオンを基準にされても困るよ」


「魔物も待ってはくれない」


 それでも、先ほどよりは良かったらしい。シオンはやり直せとは言わず、次へ進んだ。


「昨日、結界を張りながら攻撃したと言っていたな」


「うん」


「やってみろ」


 ラズは自分を覆うように、半透明の結界を作った。その内側から、火球の術式を展開する。

 二つの魔法陣が重なり、淡い光が不安定に揺れる。


「もういい」


「まだ撃ってないよ」


「今ので分かった」


 シオンは結界の周囲を見る。


「両方へ同じだけ魔力を流している」


「そうしないと、どっちかが消えちゃうよ」


「だから昨日は、両方とも中途半端になった」


 ラズは言葉に詰まった。

 シオンは実際の戦闘を見ていない。それでも、その指摘は昨日の状況を正確に言い当てている。


「敵を倒す必要があるなら、攻撃へ流せ」


 シオンが言う。


「時間を稼ぐだけなら、結界へ集中しろ」


「両方しないと守れない時は?」


「一人で両方やろうとするな」


「でも、昨日はわたししかいなかった」


「なら、攻撃するな」


 シオンは迷わず答えた。


「結界だけに集中して、守る相手を逃がせ」


「倒さなくていいの?」


 シオンはラズを見る。


「お前は、何のために戦うんだ」


 ラズは少し考えた。


「人を助けるため」


「なら、魔物を殺すことが目的ではない」


 シオンの口から出た言葉に、ラズは僅かに目を見開いた。


「守る相手を逃がせたなら、それでいい」


「でも、シオンなら、魔物を殺すでしょう?」


「俺とお前は違う」


 シオンの声が僅かに低く、冷たさを帯びる。


「——俺は、殺すことしかできない」


 その言葉が落ちた瞬間、森の空気が、僅かに重くなった気がした。

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