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神殺しは葬列を往く  作者: 夜更
第一部
17/79

幕間─わたしが選んだこと②

 次の瞬間、先頭の魔物の身体が、視界から消えた。

 ——違う。何本もの木を薙ぎ倒しながら、凄まじい速度で横に吹き飛んだのだ。

 二体目の顎へ、下から黒い拳が振り上げられる。頭部が砕け、身体だけが地面へ崩れ落ちた。

 最後の一体が、甲高い声を上げて逃げようとする。黒い影が一瞬で追いつく。背中へ踏み下ろされた足が、魔物の背骨を折った。

 乾いた破砕音が森へ響く。魔物はその場へ倒れ、二度と動かなかった。


 ラズの前に、銀白の長い髪を低い位置で結った青年が立っている。全身を黒い衣服で覆い、両手には血に濡れた革手袋を嵌めていた。

 右の紫と左の赤。二色の瞳が、倒れた魔物ではなく、ラズへ向けられている。


「シオン……」


「何をしている」


 その低い声は、怒りを帯びているようにも聞こえた。

 ラズは答えられなかった。

 シオンがゆっくりと近づいてくる。


「待っていろと言ったはずだ」


「……声が、聞こえたから」


「だから何だ」


「襲われている人がいた」


「お前には関係ない」


「でも——」


「その結果が、これか」


 シオンの視線が、ラズの右腕へ向く。

 肩を痛めた腕は、身体の脇へ力なく下がったままだ。


「腕は」


「少し痛いだけ」


 シオンは無言で右腕を取った。手首から肘、肩へと、確かめるように触れる。


「痛っ」


「折れてはいない」


 それを確認すると手を離す。


「肩を傷めている。魔力もほとんど使い切ったな」


 シオンはラズの顔を睨んだ。その表情には、強い怒りが滲んでいる。


「俺が戻らなければ、死んでいた」


「……うん」


「死にたいのか」


「違う」


「なら、なぜ勝手に動いた」


「助けたかったから」


「なぜだ」


 鋭い問いだった。

 ラズは口を開きかけ、閉じる。先ほど、自分でも同じことを考えた。


「分からない」


 シオンの目が冷たくなる。


「またそれか」


「でも、本当に分からないの」


 ラズは左手を、自分の胸へ添えた。


「わたしには記憶がない。どうして魔法が使えるのかも分からない。どうしてリゼに似ているのかも」


「……その名を出すな」


「シオンは、顔だけじゃなくて、話し方や仕草も似ているって言った」


 シオンの眉間に、深い皺が刻まれる。


「だったら、今の気持ちも、わたしのものじゃないのかもしれない」


「何?」


「誰かが苦しんでいるのを、放っておけないと思ったこと」


 ラズは一度、目を伏せた。


「それも、リゼに似ているからなのかなって」


 シオンは答えない。否定も、肯定もしなかった。


「わたしが自分で思ったことじゃないのかもしれない」


 声は小さかった。それでも、すぐに顔を上げる。


「でも——」


 ラズはシオンを真っ直ぐに見つめた。


「悲鳴を聞いて、行くと決めたのはわたしだよ」


 シオンの瞳が僅かに揺れる。


「待っていることもできた。聞こえないふりもできた。シオンが戻るまで、何もしないこともできた」


「それが正解だった」


「でも、わたしは行った」


「愚かな選択だ」


「そうかもしれない」


 ラズは素直に認めた。


「怖かった。何をすればいいのかも分からなかった。シオンの言った通り、魔法が使えても、わたしは戦えなかった」


 右腕を僅かに動かしかけ、肩の痛みに顔を歪める。


「それでも、助けようって決めたことまで、誰かのものにはしたくない」


 自分が何者なのかは分からない。どこで生まれ、何をしてきたのかも知らない。誰かに似ていると言われても、その誰かの記憶を持っているわけではない。

 それでも。今、この瞬間に何を選ぶのかは、自分で決められるはずだ。


「助けたいと思った理由が、誰かから来たものだったとしても」


 ラズは、真っ直ぐに言った。


「助けることを選んだのは、わたしだよ」


 シオンは長く沈黙していた。怒りの滲んでいた表情が、理解できないものを見るような眼差しへと変わった。


 やがて、遠くから足音が聞こえた。

 ラズが振り返る。

 先ほど逃げた女性と少女が、恐る恐る木々の間から戻ってきた。すぐ近くの茂みへ身を隠し、様子を窺っていたらしい。女性の手には、武器と呼ぶには頼りない木の棒が握られている。

 倒れた魔物と、その傍に立つシオンを見て、二人は足を止めた。


「倒したの……?」


「この人が」


 ラズがシオンを見る。


「俺は、魔物を殺しただけだ」


 シオンは興味を失ったように背を向ける。


「行くぞ」


「待って」


 ラズは女性たちへ近づこうとした。だが、一歩踏み出した瞬間、膝から力が抜ける。倒れる寸前、シオンが服の襟を掴んだ。


「わっ」


 まるで軽い荷物でも持ち上げるように、ラズの身体を支える。


「魔力を使い切るな」


「……ごめん」


「俺に謝るな」


 シオンはラズを立たせた。

 女性が、何度も深く頭を下げる。


「本当に、ありがとうございました」


 少女も母親の服を握りながら、小さな声で言った。


「ありがとう、お姉ちゃん」


 ラズは疲れの滲む顔でへにゃりと笑う。


「怪我はない?」


「うん」


 少女が頷く。


「良かった」


 女性が倒れた男へ目を向けた。表情が強張る。


「あなた……」


 シオンは男の傍へ歩み寄り、僅かに屈んだ。首元へ指を当てる。


「まだ生きている」


 女性が息を呑んだ。


「本当ですか?」


「脈は弱い。失血している。このままでは死ぬ」


 ラズが男の傍へ行こうとする。その前へ、シオンが腕を出した。


「お前はもう魔法を使うな」


「でも、治さないと」


「今使えば、お前が倒れる」


「少しくらいなら」


「駄目だ」


 予想以上に強い口調で止められ、ラズは目を瞬かせる。

 シオンは倒れている男を見下ろした。

 腹部の傷口へ、近くに落ちていた清潔そうな布を強く押し当てる。さらに、荷車に荷を固定するのに使われていたらしい紐を外し、布がずれないよう男の胴体へ巻きつけた。


「応急処置だ。長くは持たない」


 女性へ顔を向ける。


「近くに村はあるのか」


「街道を南へ進んだ先に……わたしたちの村があります」


「どれくらいだ」


「歩いて、一刻ほどです」


 シオンは男の身体を片腕で持ち上げた。軽々と肩へ担ぐ。


「街道まで案内しろ」


 女性は驚いたようにシオンを見る。


「運んでくださるのですか?」


「街道までだ」


 それ以上は説明しなかった。

 だが、街道へ出た後もシオンは男を下ろさず、村の入口までそのまま運び続けた。



 女性たちと別れる頃には、日が傾き始めていた。

 シオンとラズは再び街道を外れ、森の中を進んでいる。

 道中で僅かに魔力が戻ったため、ラズは右肩へごく弱い治癒術を施していた。完全に治すほどの力はない。腫れと痛みを少し和らげただけだった。

 シオンは先ほどから、一度も口を開いていない。


「……まだ怒ってる?」


「怒っていない」


「怒ってる声だけど」


「黙れ」


「やっぱり怒ってる」


 シオンが足を止める。

 ラズもその背後で立ち止まった。


「次に、同じことが起きたらどうする」


「同じこと?」


「誰かが魔物に襲われている。俺はいない」


 ラズは少しだけ考えた。


「助ける」


「……やはりか」


 シオンは目を伏せ、深く息を吐いた。


「なら、せめて死なない方法を覚えろ」


「え?」


「今日のお前は、酷すぎる」


 シオンは淡々と指摘する。


「敵の数も位置も確かめず、正面から飛び出したんじゃないのか」


 ラズは黙る。


「守る相手を背後へ置いたまま、敵に囲まれた。結界を維持しながら攻撃しようとして、どちらも中途半端になった」


 実際の戦いを見ていなかったはずなのに、まるでその場にいたように言い当てられる。

 ラズには、返す言葉がなかった。


「一体へ意識を向け、残りを見失った」


「……うん」


「魔力の残量も考えていない。逃げ道も作らず、最後には敵の前へ立っていることしかできなくなった」


「……そんなに駄目だった?」


「駄目という言葉では足りない」


「でも、少しは守れたよ」


「俺が戻らなければ、守ろうとした相手と一緒に死んでいた」


 正論だった。

 ラズは肩を落とす。


「分かりました」


「何がだ」


「わたしは、戦えない」


「今はな」


 ラズが顔を上げた。

 その言い方には、先があるように聞こえた。


「今は?」


 シオンは再び歩き始める。

 ラズとは目を合わせない。


「明日から教える」


「何を?」


「生き残り方だ」


 ラズは慌てて、その後を追った。


「シオンが?」


「他に誰がいる」


「でも、さっきまで戦うなって言ってたのに」


「お前が、二度と誰も助けないと言うなら、教える必要はない」


「それは約束できないかも」


「なら、覚えろ」


「魔法の使い方を?」


「違う」


 シオンは振り返らないまま言った。


「敵の数と位置を見る方法。戦わずに逃げる方法。守る相手を逃がすための場所の選び方。魔力を使い切らない配分」


 一つ挙げるごとに、ラズの顔が少し明るくなる。

 ラズは微笑みながら頷いた。


「分かった。頑張る」


「笑うな」


「どうして?」


「遊びではない」


「うん。でも、シオンが教えてくれると思わなかったから」


「同じ失敗を見せられる方が不快なだけだ」


「それでも、教えてくれるんでしょう?」


「……黙って歩け」


 シオンは歩調を速めた。

 ラズもその後を追う。だが、右肩を痛めているため、いつものようには歩けない。足を踏み出すたび、振動が肩へ響く。

 少しずつ、二人の距離が開いていった。やがて、シオンの歩みが僅かに遅くなる。

 ラズは、その背中を見つめた。


 自分が何者なのかは、まだ分からない。今日生まれた感情が、どこから来たものなのかも知らない。

 それでも、悲鳴を聞いて駆け出したのは自分だった。恐怖を感じながら、誰かの前へ立ったのも自分だった。

 その選択が正しかったのかは分からない。少なくとも、やり方は間違っていたらしい。

 ならば、次はもっとうまくやる。助けたいと思った時、ただ一緒に死ぬのではなく、本当に助けられるように。


「シオン」


「何だ」


「明日からじゃなくて、今日からでもいいよ」


「腕を治してからにしろ」


「少しなら動くよ」


「動かすな」


「でも——」


「まず、命令を聞くことから覚えろ」


 ラズは少し考えた。


「それは難しいかも」


 シオンの眉間へ、深い皺が刻まれる。


「……教えると言ったことを、もう後悔している」


 二人は森の奥へ進んでいく。

 互いの間には、まだ簡単には触れられないほどの距離があった。

 それでも翌日から、その距離を保ったまま、シオンはラズへ生き残るための術を教え始めることになる。

 折れないラズへの妥協なのか、同じ無謀を繰り返されることが耐えられないだけなのか。それとも、ラズに死んでほしくないと、すでに思い始めているのか。

 シオン自身も、その答えを知ろうとはしなかった。

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