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神殺しは葬列を往く  作者: 夜更
第一部
16/79

幕間─わたしが選んだこと①

 アルミナへ向かう街道を外れ、シオンとラズは深い森の中を歩いていた。

 正規の街道を使えば、アルミナまでさほど時間はかからない。先を急ぐシオンとしても、できることなら整備された道を進みたかった。

 だが、アルミナは神殿と深い関わりを持つ研究都市だ。周辺の街道を神殿兵が巡回している可能性は高い。その中に、シオンの顔を知る者がいないとも限らなかった。

 長い銀白の髪。右が紫、左が赤という特徴的な瞳。全身を覆う黒い衣服。人混みの中でなくとも、シオンの姿は遠目から目立つ。

 結局、二人は人目を避けるため、獣道とすら呼べない森の中を進むことになった。


 先を歩くシオンは、枝を避けることもなく進んでいく。

 顔の前へ張り出した枝は手で払い、邪魔なものはそのまま折る。足元に岩が転がっていようと、歩調を変えることさえない。毛皮付きの黒い外套の背中が、薄暗い木々の間へ溶け込んでいた。

 ラズは、その少し後ろを歩いている。


「シオン」


「何だ」


 ラズの声には、僅かに息切れが混じっていた。


「少しだけ、ゆっくり歩いて」


「なぜだ」


「さっきから何度も枝に引っかかってるの」


「避けろ」


「避けてるよ。一本避けても、すぐ次が来るの」


「なら屈め」


 ラズは前を行くシオンの背中を見上げた。


「シオンの方が背が高いのに、どうして引っかからないの?」


「折っているからだ」


 言われて足元を見る。シオンが通った後には、折れた枝がいくつも散らばっていた。

 ラズは呆れた目でシオンを見つめる。


「もっと自然を大事にしようよ」


「知るか」


 相変わらず素っ気ない返事だった。

 それでも、シオンの歩調は僅かに緩んだ。

 ラズはそのことを指摘せず、少しだけ近くなった背中を追った。



 昼を過ぎた頃。二人は森の中を流れる、小さな沢へ辿り着いた。

 シオンは水辺の手前で足を止め、森の奥へ視線を向ける。

 風に揺れる葉。細い水音。鳥の鳴き声。その中に混じる何かを捉えたように、目を細めた。


「ここにいろ」


「また?」


「近くに魔物がいる」


 ラズも耳を澄ませた。だが、沢を流れる水と、木々のざわめきしか聞こえない。


「どこ?」


「北だ」


「何も見えないけど」


「見える距離まで近づくな」


 シオンは外套の留め具を直し、一人で木々の間へ進もうとする。


「わたしも行く」


「来るな」


「魔法なら使えるよ」


「使えることと、戦えることは違う」


 シオンの声は冷たかった。


「この前も、魔物を燃やせたよ」


「偶然、避けなかった相手に当たっただけだ」


「ちゃんと狙ったよ」


「動きの鈍い一体へ向けてな」


「でも——」


「ここで待て」


 反論を断ち切るように、シオンは告げた。


「俺が戻るまで動くな」


 ラズは不満そうに眉を下げる。


「どれくらい?」


「すぐだ」


「本当に?」


「魔物一体に時間をかける理由がない」


 それだけ言い残し、シオンは森の奥へ消えた。

 黒い外套が木々の向こうへ見えなくなっても、ラズはしばらく同じ場所を見つめていた。


「……子ども扱いしてる」


 むくれたように、小さく呟く。

 もっとも、戦いに関しては子どもと大差ないのかもしれない。

 ラズは魔法を使える。炎を生み出し、水を操り、風を起こす。傷を塞ぎ、簡単な結界を作ることもできた。

 だが、なぜ使えるのかは分からない。誰かに教わった記憶もないのに、身体だけが手順を知っている。シオンに指摘されるまでもなく、奇妙なことだった。


 ラズは沢の傍にある平たい岩へ腰を下ろした。

 シオンが戻るまで待つ。そう決めた直後だった。


 ——森の奥から、甲高い悲鳴が響いた。

 ラズは顔を上げる。

 声が聞こえたのは、シオンが向かった北ではない。街道のある、東の方角だった。


「誰か!」


 今度は、はっきりと聞こえた。

 女性の声。続いて、幼い子どもの泣き声が響く。


 ラズは立ち上がった。

 シオンからは、動くなと言われている。魔物のいる森を、一人で声の方へ向かうべきではない。ここで待ち、戻ってきたシオンへ事情を話す。それが最も安全で、正しい判断なのだろう。


「助けて!」


 もう一度、悲鳴が上がった。先ほどよりも切迫している。

 直後、獣の唸り声が森を震わせた。


 ラズはシオンの消えた方角を見る。

 まだ戻ってくる気配はない。唸り声に続き、何かが地面へ倒れる重い音が響く。

 考えるより先に、ラズは東へ向かって走り出していた。



 枝を掻き分け、悲鳴の聞こえた方角へ進む。ほどなくして、湿った土の匂いに血の臭いが混じり始めた。

 木々の間に、小さな荷車が横倒しになっている。片方の車輪は砕け、積まれていた袋や木箱が地面へ散乱していた。

 その傍に、一人の女性と幼い少女がいる。女性は娘と思しき少女を背後へ庇いながら、折れた木の棒を両手で構えていた。


 二人の正面には、狼に似た魔物が三体。普通の狼よりも遥かに大きい。背中から骨の突起が伸び、耳元まで裂けた口から黒い涎を垂らしている。

 そのうち一体の口元には、赤い血が付着していた。


 少し離れた場所には、一人の男が倒れている。荷車を引いていた者だろう。腹部を大きく裂かれ、血溜まりの中で動かなくなっていた。


「お母さん……」


 少女が泣いている。


「大丈夫」


 女性はそう答えたが、その声も、木の棒を握る手も震えていた。

 狼の魔物が地面を蹴る。


「危ない!」


 ラズは両手を前へ突き出した。指先から広がった光が、空中に魔法陣を描く。

 次の瞬間、女性と少女の前へ淡い光の膜が現れた。

 飛びかかった魔物が光の膜へ激突する。鈍い音とともに弾かれ、地面を転がった。だが、すぐに起き上がる。

 残る二体も、今度はラズを敵として認識したらしい。低く唸りながら、揃って顔を向ける。


「こっちへ来て!」


 ラズは女性たちへ叫んだ。

 二人は戸惑いながらも、ラズの方へ走る。


「あなたは……?」


「話は後で!」


 ラズは二人を背後へ庇い、三体の魔物と向き合った。

 魔物たちは不用意に飛びかからず、距離を取りながら広がっていく。

 正面に二体。残る一体が、ラズたちの側面へ回ろうとしている。


 ラズは呼吸を整えようとした。

 炎の魔法なら使える。一体ずつ狙えば、倒せるかもしれない。だが、相手は止まってくれない。

 複数の敵を同時に相手にした経験などなかった。シオンといる時は、ラズが魔法を放つ頃には、魔物はすでに倒されている。


 一体が横へ走る。正面に残った二体が、ほぼ同時に迫ってきた。


「えっと……」


 どれを狙えばよいのか。正面へ炎を放てば、横へ回った一体が女性たちを襲う。結界を張り続ければ、攻撃へ移れない。

 迷った一瞬の間にも、魔物との距離は縮まっていた。


 ラズは咄嗟に地面へ左手を当てる。魔力を流し込むと、足元から魔法陣が広がった。地面を破り、幾本もの蔓が伸びる。蔓は正面の二体へ絡みついた。

 一体は前脚を取られ、勢いのまま地面へ倒れる。だが、もう一体は身体を捻ると、絡みついた蔓を牙で噛み切った。

 その間に、側面へ回っていた魔物が少女へ飛びかかる。


「駄目!」


 ラズはすぐに結界を展開した。少女の前に現れた光の膜へ、魔物が激突する。大きな音が響き、結界の表面に細い亀裂が走った。


「逃げて!」


 ラズが叫ぶ。

 女性は娘の手を引き、森の奥へ走ろうとする。

 しかし、蔓を噛み切った魔物が二人の進路へ回り込んだ。

 ラズはそちらへ手を向け、炎を放つ。赤い火球が魔物の肩へ命中した。

 毛が燃え、魔物が甲高い悲鳴を上げる。だが、倒れない。怒りに満ちた目でラズを睨み、そのまま一直線に駆けてきた。


 速い。次の魔法が間に合わない。

 ラズは咄嗟に両腕を顔の前へ上げる。淡い光の壁が目の前に現れた直後、魔物が激突した。


「……っ!」


 強い衝撃を受け、ラズの身体が地面を転がる。

 右肩が張り出した木の根へ打ちつけられた。息が止まり、視界が白く明滅する。


「お姉ちゃん!」


 少女の声が聞こえた。

 ラズは起き上がろうとしたが、右腕に力が入らない。

 防御魔法によって牙や爪は防げた。だが、衝撃までは消しきれなかった。

 痛む肩を庇いながら顔を上げる。

 三体の魔物が、ラズを囲んでいた。


 怖い。足が震えた。

 シオンの言う通りだった。魔法が使えることと、戦えることは違う。何をすればよいのか分からない。どの敵から倒すべきなのか、どこを見ればよいのか、どの程度の魔力を残せばよいのか。何一つ分かっていなかった。


 それでも、背後には逃げきれていない二人がいる。ラズが倒れれば、次に襲われるのは彼女たちだ。


「逃げて……」


 ラズは立ち上がった。右腕は力なく垂れ下がっている。

 まだ動く左手だけを、魔物へ向けた。指先に魔法陣が現れる。

 だが、その形は不安定に揺らいでいた。残っている魔力は多くない。


「わたしが止めるから」


「でも……!」


「早く!」


 女性は迷った。それでも、娘の手を引いて森の奥へ走り始める。

 一体の魔物が、二人を追おうとする。ラズは残る力で、その進路へ結界を張った。光の膜が魔物の行く手を塞ぐと、二人を追おうとした魔物は今度はラズに狙いを変えた。

 魔物が何度も体当たりするたび、亀裂が増えていく。

 ラズは歯を食いしばり、結界に魔力を注いで亀裂を修復しながら火球を放つ。

 身体が重い。魔力を使いすぎている。視界の端が、少しずつ暗くなっていく。


 なぜ、自分はこんなことをしているのだろう。名前も知らない人間だ。ここで二人が死んでも、ラズには何の関係もない。シオンなら、そう言うかもしれない。

 動くなと言われた。待っていればよかった。それなのに、悲鳴を聞いた時、放っておくことができなかった。

 なぜなのかは分からない。自分が何者なのかも。自分の中に生まれた感情が、本当に自分のものなのかさえ分からない。

 シオンは、自分はリゼに似ていると言った。顔だけではない。声も、仕草も。

 ならば、今、誰かを助けたいと思っているこの気持ちも、リゼという少女の名残なのだろうか。自分のものではないのだろうか。

 窮地だというのに、そんな悲観的な考えが、ラズの頭の中をぐるぐると駆け回る。


 光の膜が砕けた。無数の破片が宙へ散る。

 三体の魔物が、一斉に地面を蹴った。

 ラズは、動かせる左手を正面へ伸ばす。だが、魔法陣は現れない。魔力を完全に使い切っていた。

 魔物の牙が、ラズの眼前へと迫った。

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