星を連れて
翌朝。
ラズが目を覚ますと、窓の外はまだ薄暗かった。宿の小さな部屋には、夜の名残を含んだ冷たい空気が満ちている。
室内に、シオンの姿はない。
彼が眠らないことは知っている。夜の間は外にいたか、宿の廊下で周囲を警戒していたのだろう。
ラズが寝台から起き上がり、荷物をまとめようとしたその時、鞄の隣に、見覚えのない布包みが置かれていることに気づいた。
「……何だろう」
手に取る。
簡素な布で包まれ、細い紐で結ばれていた。警戒するほどの大きさでも重さでもない。
ラズは紐を解き、布を開く。
中から現れたものを見て、動きを止めた。
青い星。
昨日、市場で買うことを諦めた髪飾りだった。
金色の細い装飾。透き通った深い青の硝子。角度を変えると、窓から差し込む朝の光を受け、星の内側で小さな白い輝きが揺れた。
「どうして……」
不意に鍵が開き、扉が開く。シオンが部屋へ入ってきた。
「起きたか」
「シオン」
ラズは髪飾りを持ち上げる。
「これ」
シオンの視線が、青い星へ一瞬だけ向けられる。
しかし、その視線はすぐに逸らされ、シオンは椅子に腰掛けた。
「何だ」
「ここに置いてあった」
「そうか」
「シオンが買ったの?」
「知らん」
「でも、昨日わたしがこれを見てたことを知ってるのは、わたしとシオンだけだよ」
「店の人間も知っている」
「お店の人が、わざわざわたしたちの宿を調べて、部屋に入って置いたの?」
「そうかもしれない」
「鍵が掛かってたのに?」
「宿の人間へ頼んだんだろう」
ラズは、シオンの顔をじっと見つめた。
左右色違いの瞳は、ラズの方を見ようともしない。
「ありがとう」
「俺ではない」
「でも、ありがとう」
「礼を言う相手が違う」
「じゃあ、誰に言えばいいの?」
「店の人間にでも言え」
「シオンには?」
「言うな」
「どうして?」
「俺ではないからだ」
不機嫌そうな返事だった。
ラズの口元が、ゆっくりと綻ぶ。
「そっか」
「ああ」
「じゃあ、シオンじゃない誰かに買ってもらったことにする」
「そうしろ」
「でも、シオンにもありがとうって言っておく」
「話を聞いていたのか?」
「聞いてたよ」
ラズは青い星を持ち、窓辺へ移動した。
部屋に鏡はない。代わりに、まだ夜露の残る窓硝子へ自分の姿を映す。
結われた髪の片側へ軸を差し込み、星を留めた。
慣れていないため、最初は少し傾いてしまった。一度外し、今度は髪を軽く押さえながら差し直す。
深い青色の星が、桃色の髪の上で揺れた。
「どう?」
「何がだ」
「似合う?」
「知らん」
シオンは扉の方に視線を向けながら答えた。一度もラズを見ようとしない。
「こっちを見て」
「見る必要はない」
「少しだけでいいから」
「出るぞ」
「まだ見てないよ」
「置いていくぞ」
シオンは逃げるように扉へ向かった。
ラズは青い星が落ちないことを確かめ、小さく笑う。
「待って」
急いで鞄を肩へ掛け、その後を追った。
◇
二人が町を出る頃。東の山際から、朝日が昇り始めていた。
街道には、まだ人の姿が少ない。振り返ると、町の屋根の上で魔導灯の光が一つずつ消えていく。夜を照らす役目を終えた人工の光が、朝の光へ溶けていった。
ラズは歩きながら、髪へ留めた星へ何度も触れていた。そこにあることを確かめるように。指先へ伝わる硝子の硬さを、何度も楽しむように。
「触りすぎると落とすぞ」
前を歩くシオンが、振り返ることなく言った。
ラズの手が止まる。
「見てたの?」
「見ていない」
「じゃあ、どうして触ってるって分かったの?」
「音がする」
「どんな音?」
「鬱陶しい音だ」
ラズはくすりと笑った。
「やっぱり、見てたんでしょう」
「見ていない」
「似合ってる?」
「知らん」
「そればっかりだね」
「質問が無意味だからだ」
シオンは振り返らない。
それでも、ラズの鞄が肩からずれれば、歩調を僅かに緩める。二人の距離が開けば、立ち止まらない程度に速度を落とす。
ラズは青い星をもう一度だけ指先で確かめてから、その背中を追った。
◇
町が見えなくなった頃、シオンはそれまで進んでいた街道を外れた。南へ伸びる広い道ではなく、北東へ続く細い道へ入る。
ラズは周囲を見回し、首を傾げた。
「そっちは、今まで向かっていた方向と違うよ」
「ああ」
「道を間違えたの?」
「違う」
「じゃあ、どこへ行くの?」
「アルミナだ」
聞き覚えのない地名だった。
「アルミナ?」
「魔導具の研究都市として知られている」
「昨日、市場で見た魔導具を作ってる町?」
「すべてではないが、多くの工房と研究所、そして腕利きの職人が集まっているらしい」
「どうして、急にそこへ?」
シオンは歩みを止めない。
「昨夜、酒場で神殿の人間が話していた」
「何を?」
「アルミナの地下に、神殿直属の研究施設があるという噂だ」
ラズの表情から、先ほどまでの明るさが消えた。
神殿直属の研究施設。その言葉だけで、不穏なものを感じたらしい。
「それって……」
ラズは慎重に尋ねる。
「シオンが実験を受けた場所と、関係があるの?」
「分からない」
「同じような実験をしているかもしれない?」
「確証はない」
シオンは淡々と答える。
「地下へ魔核が運び込まれている。治癒術と封印術を扱う神官も送られているらしい。さらには、布を被せられた人間が、荷車で夜中に運び込まれたという話だ」
神殿、地下施設、魔核、治癒術、封印術、密かに運ばれる人間。どれも、ただの魔導具研究では説明しきれない。
「噂だけかもしれないんでしょう?」
「ああ」
「それでも行くの?」
「当然だ」
デウスへ繋がる可能性が、僅かでもあるのなら。シオンがそれを見逃すはずはなかった。
「危険な場所?」
「恐らくな」
「わたしも行く」
迷いのない言葉だった。
シオンが足を止め、振り返る。
「お前には関係ない」
「今さらでしょう」
「遊びに行くわけではない」
「分かってる」
「何があるかも分からない」
「それも分かってる」
「死ぬかもしれない」
「シオンの傍にいれば死ぬかもしれないって、何度も聞いた」
ラズは真っ直ぐにシオンを見る。
「それでも、今ここにいるよ」
「来るなと言えば、来ないのか」
「行く」
やはり、迷いはなかった。
シオンは目を細める。突き放す言葉を探しているようだった。
だが、やがて諦めたように前へ向き直る。
「好きにしろ」
ラズも歩き出す。
「うん。好きにする」
二人は、北東へ続く道を進んだ。
ラズの髪に留められた青い星が、朝日を受けて揺れている。誰かに与えられた役割も、果たすべき使命もない。ラズが、ただ綺麗だと思ったもの。
そして、シオンがそのことを覚えていたという、ただそれだけのものだった。
青い星を髪に留めた少女と、それを買ったことを認めようとしない青年。
二人は新たな目的地——魔導具研究都市アルミナへ向かって、朝の道を歩き始めた。
この話でいわゆる第一章が終了です。話の一旦の区切りとなります。
四話分ほど幕間を挟んだ後、アルミナ編突入となります。少しずつ物語が動いていくので、引き続きよろしくお願いします!
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。よろしければ、感想や評価、ブクマ、リアクションなどいただけますと励みになります!




