市場の星
ラズは人混みを縫い、シオンの後を追った。
「待って、シオン」
ようやく隣へ追いつく。
「怒ってる?」
「別に」
「でも、急に行っちゃった」
「これ以上、長居する理由がなかっただけだ」
シオンは前だけを見ている。
市場を覆う天幕の隙間から、細い陽光が落ちる。銀白色の髪を照らし、紫と赤の瞳を一瞬だけ鮮明にした。
「魔導具、嫌い?」
ラズが尋ねる。
シオンはしばらく答えなかった。
「魔物を殺して道具へ変えること自体は、どうでもいい」
「そうなの?」
「俺は魔物を殺し、その肉を喰っている」
淡々とした声だった。
「魔核も売って旅の資金にしている。道具にするなと言える立場ではない」
シオンは、先ほどまでいた屋台の方角を一度だけ振り返った。
青い魔導灯が、人々の間で揺れている。
「魔物は人を襲う。肉には毒があり、人間の食用にはならない。魔核まで利用できなければ、人間にとって益のない、ただの危険な生物だということも分かっている」
「じゃあ、何が気に入らなかったの?」
「神殿の許可がなければ、灯り一つ売れないことだ」
ラズは市場を振り返る。
「でも、危険なものが出回らないようにするためでしょう?」
「それ自体は間違っていない」
シオンは否定しなかった。
「力のある魔核を、誰にでも自由に扱わせれば被害が出る。管理する者は必要だ」
「だったら——」
「それが神殿でなければならない理由はない」
シオンの声が冷える。
「危険なものを管理するという名目で、魔核も、工房も、流通も神殿の支配下へ置かれている」
「支配……」
「人間は、便利なものを一度知れば、簡単には手放せない」
魔導具が広まるほど、生活に欠かせないものとなるほど、それを管理する神殿の力も強くなる。
「神殿に逆らえば、魔核を買えない。認可を失えば、工房は物を作れない。町の結界を維持する者も神殿だ」
シオンは、市場を行き交う人々へ目を向けた。
「祈りだけで従わせているわけじゃない」
夜の灯りも、冬の暖房も、町を守る結界も。人々の暮らしそのものが、神殿と深く結びついている。
ラズは少し考え込む。
「でも、神殿がなくなったら、困る人は多いよね」
「そうだろうな」
シオンはあっさりと認めた。
ラズが顔を上げる。
「デウスを殺したら、神殿も今まで通りではいられないかもしれない」
「ああ」
「町の結界も、どうなるか分からない」
「そうだな」
「魔導具は?」
「あれはデウスの力によるものではない。魔核と術式で動くものなら、デウスが死んだだけで直ちにすべて使えなくなるとは限らない」
シオンは、町中にある魔導具の光を見る。
「だが、神殿を中心に作られた仕組みは混乱するだろう」
魔核を管理する者。工房を検査する者。町の結界を維持する者。神殿の権威を前提として成り立っているものは少なくない。デウスを殺せば、無関係な人間の暮らしにも影響が出ることは避けられない。
シオンは、それを理解していた。
「それでも、殺すの?」
ラズが尋ねる。
「当然だ」
答えに迷いはなかった。
神を信じる者がいようと、神殿の仕組みによって生きている者がいようと、デウスを生かしておくつもりはない。
それが身勝手な復讐であることを、シオンは否定しなかった。
「それで誰が困ろうと、俺には関係ない」
冷たい言葉だった。
だが、先日訪れた村で、デウスを信じる人々の頭上へ落ちる岩をシオンは防いだ。今の言葉と、その行動は噛み合っていないように思える。
人を拒みながらも、完全に見捨てきれない。シオンはそういう人物であるということを、ラズも旅の中で薄々感じ始めていた。
しかし、そのことをラズは指摘しなかった。今尋ねても、シオンはきっと否定するだけだろう。
◇
市場の出口へ向かう途中、甘い香りが漂ってきた。
二人の歩く先に、焼き上げたばかりの菓子を並べた屋台がある。小さく切った果実を生地の中に入れ、表面に蜜を塗って焼いたものらしい。籠へ積まれた菓子から、まだ白い湯気が立っていた。
ラズの視線が、屋台へ引き寄せられる。足取りまで僅かに遅くなった。
シオンは数歩進んだ後、立ち止まる。
「食うなら早くしろ」
ラズが顔を上げる。
「いいの?」
「町を出れば、しばらく買えない」
「うん!」
ラズは嬉しそうに屋台へ向かった。
硬貨を渡し、焼き菓子を一つ受け取る。包み紙越しにも、まだ温かい。一口齧ると、柔らかな生地の中から果実の甘酸っぱい味が広がった。
「美味しい!」
「そうか」
「シオンも食べる?」
「要らん」
「少しくらいなら」
「身体が受けつけないと言ったはずだ」
いつもの返事だった。
ラズはすぐに「そうだった」と口を閉じる。
シオンは、ラズの手にある焼き菓子へ一瞬だけ視線を向けた。
そこに食欲はない。代わりに、もう二度と手に入らない、遠いものを見るような色だけがあった。
ラズは、それに気づかなかったふりをした。
◇
焼き菓子を食べながら歩いていたラズは、隣の屋台へ目を向けた。
そこに並べられていたのは、魔導具ではない。硝子や金属で作られた、普通の装飾品だった。
指輪や首飾り、小さな鏡、色硝子を連ねた腕輪。魔核のような鮮やかな光はない。術式も刻まれていない。それでも、陽を受けた硝子細工は、魔導具とは違う穏やかな輝きを放っていた。
その中に、青い星を象った髪飾りがあった。
ラズの足が止まる。
焼き菓子の最後の一口を飲み込むと、吸い寄せられるように屋台へ近づいた。
「綺麗……」
飾りへ、そっと手を伸ばす。
星形へ削られた青い硝子と、その下に金色の細い短冊状の装飾が揺れている。髪に挿して使うもののようで、挿すための軸がついていた。
ラズは老女へ目で許可を求めた。
「手に取ってもいいですか?」
「もちろんだよ」
屋台に座っていた老女が、穏やかに笑う。
ラズは髪飾りを持ち上げ、陽へ透かした。
硝子は、深く澄んだ青色をしている。光の角度を変えるたび、夜空のような濃い青から、沢の水を思わせる淡い色へ変化した。
「気に入ったかい?」
「はい」
ラズは星から目を離さずに答える。
「とても綺麗ですね」
「この辺りで採れる砂には、青い鉱石が少しだけ混じっていてね。それを溶かして作った硝子なんだよ」
「この星の形にも、何か意味があるんですか?」
「意味?」
老女は不思議そうに瞬きをする。やがて肩をすくめた。
「特別な意味なんてないよ」
「ないんですか?」
「ある晩、空を見ていたら星が綺麗だった。それで、同じ形の飾りを作ろうと思った」
老女は、それだけだと言うように笑った。
「ただ、綺麗だと思ったから作った。それじゃ駄目かい?」
ラズは、掌の上にある青い星を見つめた。
「……ううん」
静かに首を横へ振る。
「素敵だと思います」
神殿の象徴ではない。デウスへの祈りを込めたものでもない。魔力もない。身を守る力も、傷を癒やす効果もない。
誰かが夜空の星を見た。綺麗だと思った。だから、その形を硝子へ残した。ただ、それだけのもの。
何のために生まれたのか分からないラズにとって、初めから役割を与えられておらず、ただ美しいという理由だけで存在する青い星は、不思議なほど眩しく見えた。
「いくらですか?」
老女が値段を告げる。
ラズは鞄の中にしまっていた小袋を開いた。中にある硬貨を、一枚ずつ数える。
旅の資金の大半はシオンが管理している。
ラズが渡されているのは、町で自分の食料や、最低限必要なものを買うための金だけだ。
髪飾りを買えないわけではなかった。だが、ここで買えば、次の町へ着くまでの食料が足りなくなる。
森で食べられるものを探すこともできるかもしれない。それでも、見分け方を知らないラズが無理をすれば、毒のある実や草を口にする危険もある。
シオンへ頼めば、代金を出してくれる可能性はあった。だが、旅に必要のない装飾品を買ってほしいとは言いづらかった。そもそも、可能性があるというだけで、本当に買ってくれるのかも分からない。
それに、これは自分が欲しいと思ったものだ。シオンに買わせるのは、何かが違う気がした。
ラズはしばらく、掌の青い星を見つめた。やがて、名残惜しそうに屋台へ戻す。
「やめておきます」
「あら。いいのかい?」
「はい」
ラズは少しだけ寂しそうに笑った。
「見るだけでも、楽しかったので」
「そうかい」
「見せてくれて、ありがとうございました」
老女は残念そうな顔をしたものの、無理に勧めようとはしなかった。
ラズは、もう一度だけ青い星を見る。陽を受けた硝子が、小さく輝いた。
それから振り返る。
シオンは少し離れた場所で待っていた。人混みの向こうを警戒するように見ている。
ラズが何を手にしていたのかなど、興味がないような顔だった。
「お待たせ」
「遅い」
「ごめん」
「必要なものは買ったのか」
「うん」
ラズは小さく頷いた。
シオンの視線が、ほんの一瞬だけ装飾品の屋台へ向いた。しかし、何も尋ねない。
「行くぞ」
それだけ告げ、歩き始める。
ラズは、もう一度だけ屋台へ視線を残した。
透き通る青い星。
次にこの町へ来ることがあるかは分からない。あの髪飾りが、それまで売れずに残っているとも限らない。それでも、食料を減らしてまで買うことはできなかった。
ラズは未練を振り切るように前を向き、シオンの背中を追った。
青い星だけが屋台に残り、陽の下で静かに輝いていた。




