第97話 第十王子シン・フェイの視点18
追いかけてくるソフィが可愛い。出来れば、もっとくっ付いていたかったが、今はそれどころではない。どうにもこの姿だと本能に負けて、ずっとくっ付いていたくなる。
外に出たら今まで以上に、抱きしめて「好き」だと伝えよう。それからデートのやり直しもだ。
「なあ、なああ(精霊たちよ、頼む)」
昼間、太陽が出ている湖の水面は、白銀色に輝いておりとても美しい。精霊たちへの合図として、付与魔法のついた首輪を湖へと放り投げた。
瞬間。
風もないのに水面が揺らぎ、水面に幾何学模様の紋様が浮かび上がった。
どうやらこれで道は繋がる。
「なー(ソフィ)……!?」
そう呼んで振り返った瞬間、ソフィはその場に倒れ込んでいた。その姿を見て背筋が凍りつく。慌てて彼女の元に駆け寄り、頬に触れる。
ソフィはきつく目を瞑ったまま、蹲って体が小刻みに震えていた。こんな時、人の姿だったら、抱きしめて安心させてあげられるのに。
「なー、なー(ソフィ、ソフィ!!)」
「ん……痛っ……」
ソフィの顔は、苦悶に耐えていた。よく見ると彼女の体に、棘のような黒紫色の紋様が浮かび上がる。これは呪いだろうか。禍々しい邪気が、ソフィの柔肌に刻まれていく。
『記憶の改竄が上手くいかなかった時のために、呪縛魔法をかけておいてよかったわ。フフ♪』
「なあ、ああ!(原初の魔女、お前か!)」
木々の影から、人の形をした何かが浮かび上がる。赤紫色の外套を羽織った老婆は品のない笑い声をあげて、ソフィを睨みつけた。
それを見た瞬間、今まで我慢して、抑えていた感情が堰を切ってあふれ出す。
憤怒。
愛する者を傷つける輩を前に、体中の熱が沸騰し、爪と牙が感情の高鳴りに合わせて鋭くなる。
『あひゃはは、これは面白い。ここまで来る馬鹿がいるなんて。ああ、でも駄目だよ。それは私のモノなのだからお前にくれてやるものか♪』
「なあ!(死ね!)」
魔女に飛び掛かり、爪で切り裂こうとしたが手ごたえがない。残像──実体ではないのだろう。効果があるとすれば、精神攻撃か光魔法だろうか。
感情のままに爪を振るえば風が逆巻き、老婆の幻影を切り裂く。
これではダメだ。もっと強い力、強い感情があれば──。
そう例えば、失われた吸血鬼の力。
『その怒り、苛立ち、殺意──心地いいじゃないか。そうだよ、もっと思うままに理性を振り切り、アタシを殺すことだけを考えてごらんよ♪』
(ああ、耳障りな声だ。言われなくても──ソフィを傷つける者は、全て、殺す。殺す。ころ──)
「ダメッ!」
魔女に向かって飛び出そうとした私を、ソフィが無理やり抱きかかえて止めた。鋭い爪や牙が彼女の柔肌を傷つける。
「なあ!?(ソフィ!?)」
「──痛っ」
真紅に濡れる血の匂いに、背筋が凍った。ソフィを傷つけたかったんじゃない。
守りたかったのに、私はまた傷つけた。
「なあなうう(ソフィ、すまない)」
「あなたが遠くに行ったら私、泣いてしまうもの」
「!」
「傍にいてくれるのでしょう?」
私を抱きしめるソフィの瞳が、ぶつかる。揺らぐことない琥珀色の瞳は、呪縛魔法に囚われていても美しかった。そう彼女は、普段ふわふわして、愛らしくて、可愛らしいけれど、いざという時、とても強い目をみせる。その姿が凜として美しい。
「なー(ソフィ)」
「一緒に……帰るの」
「なあ(ああ)」
いつだってソフィの声は、私を導いてくれる。
そして忘れていた『とっておき』を、妖精王オーレ・ルゲイエの言葉を思い出す。
『獣の姿から戻るには、私が解かなければならないね~。ただ一時的に人に戻る方法がなくもない。ほら、よくある御伽噺と同じ~獣が人に戻る方法は、愛しい者とのキスだよ~』
後ろ脚を伸ばして、私はソフィの唇にキスをする。獣の姿で唇へのキスは躊躇っていたが、今はそんなことを言っている場合ではない。
触れるほどキスだったが、十分だった。
突如、金色の光と突風が魔女を襲う。
『アヒャアアアア!?』
「!!」
それは今までと異なり、魔女を怯ませた。
突風でソフィの体が木の葉のように浮き上がり、私はその小さな体を抱きしめる。やはり人の姿の方がいい。愛しい人を抱きしめられるのだから。
服装は妖精王オーレ・ルゲイエたちが用意した加護付きの魔法服。黒の外套は風によって翻る。
「え、なっ」
「ソフィ、一緒に帰ろう。光の精霊よ、繋いでくれ!」
『やっと──に、道を繋げ──湖に飛び──。そうすれば──』
精霊の声が微かに聞こえる。
脳裏に直接語り掛けるような酷く優しく、切なく──長年待ち焦がれるような歓喜の声。
「フェイ様、私を連れて湖に飛び込んでくださいませんか!」
「ああ。私にも聞こえた」
『おのれぇえええええ、逃すものか!』
ソフィを庇うため、抱き上げて走る。両足を一時的に強化させ、漆黒の棘を回避しながら湖へと駆けた。
あと数歩、しかしその距離があまりにも長い。
その間にも、漆黒の棘が束になって襲い掛かる。風を切り、周囲の木々を蹴散らし、棘は矢の如く私とソフィ目掛けて突っ込んで来た。直撃したら無事では済まないだろう。
あくまでも直撃したら、だが。
子犬の眷族たちが光となって、光の精霊の力を底上げする。
『光よ、在れ』
眩い光に、漆黒の棘が音を立てて崩れ去った。
『おのれぇ、また、またお前がぁあああああああああああ』
老婆の姿は枯れ、細い茨へと姿を変える。
世界を白く染める光の輝き。この空間に亀裂が入り、人間二人分ぐらいの道が開いた。
「ソフィ。帰ろう」
「はい。……フェイ様、迎えに来てくれて、ありがとう」
湖の水面が白銀色の煌めき、ソフィを抱えたまま飛び込んだ。
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