第9話「選ばなかったほう」
時計店には、もう一人いた。
待合椅子。
膝の上に、小さな目覚まし時計を置いている。
「あ」
ぱむちゃんを見る。
「前の配達の子」
ぱむ。
◇
「覚えてる?」
ぱむちゃんは時計を見る。
ぱむ。
「私は覚えてるよ。工具が遅れて、修理が次の日になった」
女は目覚まし時計を持ち上げた。
「その夜だけ、スマホのアラーム使った」
裏蓋に、小さな傷が一本ある。
「待ってる間に落とした。これ」
ぱむ。
「消えないけど、動くから」
十二時のベルが鳴った。
作業台の男が工具を置く。
《午後再開》
女が札を見る。
「今はちゃんと昼休み取るんだね」
「取ることにした」
弁当箱の蓋が開いた。
◇
坂上団地。
老人が玄関前で鉢に水をやっていた。
「ぱむちゃん。薬、あの日は助かったよ」
ぱむ!
隣の部屋から、若い男が出てくる。
「俺はあの日、町工場で夜まで残業だった」
ぱむちゃんが振り向く。
「部品が三分前に届いて、機械が止まらなかった日」
男は笑う。
「止まってたら帰れたんだけどな」
「じゃあ、ぱむちゃんが悪かったのか?」
「いや。給料ついたし」
「ならいいだろ」
「子どもとの風呂は逃した」
二人とも笑った。
若い男が腕時計を見る。
「今日は間に合う」
◇
保育園。
あの日、同じ時間に食べられた子が園庭を走っている。
「助かったよ。あの子だけ別室にしなくて済んだ」
調理員が門の脇の連絡表をめくる。
《代替食応援/出発前確認》
「隣の園の先生、あの日は途中まで来てたんだ。引き返してもらったから」
ぱむ。
「次から、出る前に電話することにした」
園庭から声が飛ぶ。
「ぱむちゃーん!」
ぱむ!
◇
店へ戻る。
世達ちゃんが三枚の紙を並べた。
《時計修理 一日遅延/継続使用》
《工場稼働継続/残業発生》
《代替食到着/支援者引返し》
「損害だけには分類できません」
一枚目の端へ、傷の印を足す。
「利益だけにも分類できません」
二枚目へ、今日の退勤時刻。
三枚目へ、《出発前確認》。
ぱむちゃんは三枚を見る。
世達ちゃんが《成功》《損失》の判を二つ出した。
ぱむちゃんは、どちらも取らなかった。
代わりに三枚を重ね、古い用紙の隣へ置く。
◇
閉店前。
向かいの時計店から、目覚まし時計のベルが聞こえた。
ぱむちゃんは顔を上げる。
すぐに止む。
古い用紙には《UNKNOWN》。
ぱむちゃんはその紙を裏返さなかった。




