第8話「ぱむちゃんを売り出そう」
開店前の広場に、黄色い星が一つ貼られた。
「ぱむちゃんは、ここ☆」
憧憬ちゃんが両手で床を示す。店先に組まれた小さな舞台の、ど真ん中だった。
ぱむちゃんは星の上に乗った。右を向く。左を向く。星から片足が出る。
「そこまで自由にしなくていいの。今日は、そこにいるのがお仕事☆」
片足が戻った。
広場の入口には、ぱむちゃんの絵入りの旗。配布台には丸いシール。撮影用の枠には《PANDEMONIUMへようこそ》と書かれている。
冥理ちゃんが舞台袖から黒い帽子を掲げた。
「では検証手品です! この帽子から、開店記念の紙吹雪を出します」
「まだ出しちゃだめピョン。合図のあとですピョン」
幸夢ちゃんが帽子を押さえた途端、底が抜けた。紙吹雪ではなく、予備のシールが何十枚もぱらぱら落ちる。
「タネはあります。たぶん」
「成功の途中ピョン!」
世籟ちゃんがマイクを軽く叩いた。低い一音が広場を渡り、旗の端を震わせる。続いて短い旋律を歌うと、ばらばらだった呼び込みの声が一つの拍へ揃った。
「せーの☆」
「ぱむ!」
開店を待っていた客たちがつられて答えた。
ぱむちゃんは星の上で両手を上げた。
今度は、最初より大きな「ぱむ!」が返った。
憧憬ちゃんが撮影枠を持って、人の流れを舞台の正面へ移す。通り過ぎるはずだった親子が止まり、向かいの店から出てきた二人連れも足を止めた。世籟ちゃんの短い旋律が角を曲がり、少し遅れてまた人を連れてくる。
「見て見て☆ 列、曲がった!」
配布台のシールが減る。撮影枠が休みなく人の手へ渡る。ぱむちゃんが右手を上げれば右側で歓声が上がり、左手を上げれば左側の端末が一斉に持ち上がった。
ぱむちゃんは星から出なかった。
星の縁ぎりぎりまで寄って、小さな子の端末に収まる。後ろの客には身体の向きを変える。前列で帽子を落とした子には、星の上から両手で拾って渡した。
「完璧☆ 次、全員で記念写真! この一枚、今日の告知に使うからね」
憧憬ちゃんが舞台前へ百人分の視線を集めた。
冥理ちゃんが背景幕を引く。幸夢ちゃんは新しい帽子を持って走る。世籟ちゃんの旋律が、写真の合図に向かって細く絞られていく。
そのとき、舞台裏で何かが倒れた。
帆布の鞄だった。
《音響・右袖》と書かれた札が、持ち手からぶら下がっている。開いた口から、束ねたケーブルと交換用の小さな機械が見えた。
右袖では、音響係が片手を伸ばしていた。足元には抜けかけた接続具。もう一方の手で卓上のつまみを押さえている。声を出したが、客席の「ぱむ!」に消えた。
舞台裏を横切ろうとしたスタッフは、引かれてきた背景幕に道を塞がれた。
ぱむちゃんの顔が、右袖を向いた。
次に帆布の鞄を見る。
正面では、憧憬ちゃんが撮影枠の角度を直した。
「ぱむちゃん、真ん中☆ あと十秒!」
ぱむちゃんは足元の黄色い星を見た。
靴の先が、星の外へ出た。
世籟ちゃんの合図が始まる。
「みんな、いくよ――」
ぱむちゃんは鞄の口を閉じた。両手で持ち手をつかみ、床から持ち上げる。鞄の底が膝に当たり、一歩が小さくなる。
「さん、に、いち☆」
背景幕の裏を、ぱむちゃんが横切った。
記念写真の中央には、黄色い星だけが写った。
右袖まで三歩。鞄が脚にぶつかるたび、金具が鳴った。
音響係は卓から手を離せない。空いた手を鞄へ伸ばすが、持ち手までは届かなかった。
ぱむちゃんは鞄を床へ下ろした。渡す代わりに留め具を外す。
中の交換用機械を持ち上げ、卓の縁へ押し上げた。
「それ!」
係の空いた手が機械をつかむ。
ぱむちゃんは鞄を抱えたまま、抜けかけた接続具の横へしゃがんだ。
係が片手で機械を差し替える。
世籟ちゃんの旋律が一瞬だけ途切れ、それから広場全体へ戻った。音は落ちなかった。
ぱむちゃんは空になった両手を下ろし、中央へ向き直った。
撮影枠はもう畳まれていた。
「今の一枚、撮り直しは?」
幸夢ちゃんが尋ねる。
憧憬ちゃんは端末の時刻と、店の入口まで伸びた列を見比べた。
「開店。撮影枠は返却時間。無理☆」
「失敗から次の――」
「これは撮影だけ失敗。イベントは大成功☆」
配布台のシールは一枚も残っていなかった。店内へ吸い込まれていく客の手や服に、丸いぱむちゃんがいくつも貼られている。限定の紙袋を持った客も、次々に扉から出てきた。
冥理ちゃんが端末の写真を開く。
大勢の笑顔。揃って上がった手。中央だけが空いていて、床の黄色い星がよく見えた。
「消失手品としては、かなり高度です」
「タネ、写ってるピョン」
写真の右端、背景幕の隙間に、帆布の鞄を抱えたぱむちゃんの背中が半分だけ入っていた。
憧憬ちゃんはその写真を閉じた。宣伝用に選んだ別の写真では、開店前のぱむちゃんが星の上で両手を上げ、広場じゅうから「ぱむ!」を受けていた。
「売り出しは成功☆ 予定数、ぜんぶ出た。店の列も過去最高」
ぱむちゃんが黄色い星へ戻る。
憧憬ちゃんは剥がしかけていた星の端から手を離した。
「もう撮影は終わりだよ?」
ぱむちゃんは星の上に立たなかった。
しゃがんで、床から星をゆっくり剥がす。折れないように両手で持ち上げると、右袖の音響係のところまで運んだ。
係は鞄を肩に掛け、今度は両手を空けて待っていた。
ぱむちゃんは黄色い星を渡した。
「これは、僕の?」
ぱむちゃんは首を横に振った。
それから鞄の札を指し、舞台中央を指した。
「ああ。戻しておくよ」
係が星を受け取る。
ぱむちゃんはその手が星をつかむまで待ってから、店の扉へ向かった。
広場のあちこちで、丸いシールのぱむちゃんが揺れていた。
床にはもう、ぱむちゃんを立たせておく印はなかった。




