災厄の萌芽
こうしてキアラは、隣国のシラーニ公爵家へ引き取られた。
公爵夫人パオラの実娘として、何不自由ない生活を送ることになったのである。
私としては、納得できない部分が相当に残っていた。
だが、これ以上キアラに関わっても、父が帰ってくるわけではない。
私は女伯爵としての仕事に専念することにした。
幸い、伯爵家の使用人たちは皆、私を支えてくれた。
友人たちも何かと気遣ってくれたし、侯爵夫妻も息子ダミアノの不始末を詫び、事業上の問題について誠実に対応してくれた。
少しずつ、私は父を失った悲しみから立ち直り始めていた。
ところが。
キアラが隣国へ渡ってから、半年ほど経った頃、またしても信じられない知らせが届いたのである。
キアラが、シラーニ公爵によって処刑されたというのだ。
……はい?
処刑? あの、隣国の公爵夫人の娘として引き取られたキアラが?
私は報告書を読み、絶句した。
なんとキアラは、シラーニ公爵が可愛がっていた孫娘の婚約者に手を出したのである。
しかも、その婚約者というのが、隣国の王子殿下だった。
………………いや、ちょっと待って。
あの娘、今度は王子を寝取ったの!?
伯爵令嬢になりたいと言っていた娘が、今度は王子妃の座を狙ったというのか。
しかも、相手は自分を引き取ってくれた老公爵の孫娘の婚約者である。
何という恩知らず。何という無謀。
――そして何という、学習能力のなさ!
当然ながら、シラーニ公爵は激怒したそうだ。
大切な孫娘を裏切り、王家との婚約関係にまで亀裂を生じさせたキアラを、公爵は容赦しなかった。
公爵家の権限によって身柄を拘束し、私刑に処したのである。
その決断は事態が発覚し、裏付けが取れた当日中に完結したそうだ。
王家を巻き込む醜聞がこれ以上広がる前に、すべてを終わらせたかったのだろう。
……何ということだ。
我が国では外交問題を恐れて処刑できなかった娘が、隣国ではその外交問題を引き起こしかけたために処刑されたのである。
皮肉にもほどがある。
私は報告書を閉じ、長い息を吐いた。
ようやく、本当に、ようやく、何年にもわたって私たちを苦しめた、あの怪物のような娘から解放されたのだ。
後日、私は再び、占い師ハスミンを訪ねて喫茶店へ足を運んだ。
「へえ。とうとう報いを受けたの、あの娘」
私の報告を聞いたハスミンは、驚くどころかあっさりそう言った。
「……ハスミンさんには、こうなることがわかっていたのですか?」
「まあね。あの娘は災厄の萌芽だったもの。新聞で概要読んだだけですぐわかったわ。他国に追い出して正解よ。あちらさんもわかってたから、即処刑したんでしょうね」
「災厄の、萌芽……?」
何やら聞き捨てならない言葉が出てきた。
「ええ。放っておけば周囲を巻き込んで、どんどん大きくなる災厄よ。最初は小さな欲望や嫉妬でも、やがて家を滅ぼし、国を傾ける。そういう類いの人間っているのよ」
「……国を?」
「だって、考えてもごらんなさい。あの娘、最初は伯爵令嬢の地位を欲しがっていたのが、最後には王子を寝取ったんでしょう?」
言われてみれば、その通りだ。
「しかも、相手は自分を引き取ってくれた公爵家の孫娘の婚約者。恩を仇で返すにもほどがあるわ。あのまま放置していたら、取り返しがつかず大騒動になっていたでしょうね」
ハスミンは肩をすくめた。華奢な美女だが役者のように様になった動作だ。
「それにしても、あちらの公爵は判断が早かったわね。さすが年の功ってところかしら」
「……ですが、ハスミンさん。私はあの娘を国外に出したことを、ずっと悔やんでいました。父を殺した罪を、この国で償わせることができなかったのですから」
「そうね。でも、あなたが抱え込む必要はなかったのよ」
ハスミンは私をまっすぐ見つめた。
「あの娘が本当に欲しかったのは、伯爵令嬢の身分なんかじゃないわ」
「え?」
「他人が持っている幸せを、――奪うことよ」
思わず息を呑んだ。
「あなたの地位、あなたの婚約者。今度は公爵の孫娘の婚約者。あの娘は自分に与えられたものには興味がないの。誰かが大切にしているものを奪って、自分の方が上だと確かめたいだけ」
そう言われて、ようやく腑に落ちた。
キアラは父から住む場所も生活費も与えられていた。それなのに満足せず、私の身分を欲しがった。
隣国では公爵夫人の娘という立場を手に入れた。それでも満足せず、今度は公爵の孫娘から王子を奪った。
なるほど、言われてみれば確かに災厄としか言いようがない。
「……恐ろしい人間だったのですね」
「そうよ。だから、あなたはもう忘れなさい。あの娘は自分の欲望で勝手に破滅した。それだけのことよ」
ハスミンはにっこり笑って、紅茶のカップを持ち上げた。
「それにしても、よかったじゃない」
「何がですか?」
「あなたのお父様を殺した犯人が、隣国の公爵家まで巻き込んで自滅したんだから。あなたが手を汚す必要も、この国が外交問題を抱える必要もなくなったでしょう?」
私はしばし呆然とした。
確かに、その通りだ。父の仇を討つことに固執していた私には、思いもよらなかった結末だった。
「……ハスミンさん。もしかして、最初からこうなると?」
「さあ? 未来なんて無数に分岐するものよ。ただ……」
ハスミンは悪戯っぽく片目をつむった。
「災厄っていうのは、抱え込んだ者が一番損をするの。だから、引き取りたいって人がいるなら、ありがたくお任せするのが一番よ」
……なるほど。なんというか、身も蓋もない。
だが、これほど説得力のある解説もなくて、私は思わず笑ってしまった。
「それにしても、シラーニ公爵様はよく決断なさいましたね。いくら孫娘の婚約者を奪われたとはいえ、奥方の実娘だったのに」
「ああ、それね」
ハスミンは何でもないことのように答えた。
「事前に教えておいたもの」
「……はい?」
私は思わず聞き返した。
「私には姉がいるの。姉さんに頼んで、あなたから話を聞いた後、シラーニ公爵のところへ行ってもらったのよ」
「えええっ!?」
思わず貴族令嬢らしからぬ声を上げてしまった。
「ちょ、ちょっとお待ちください! では、ハスミンさんは隣国のシラーニ公爵家にまで手を回しておられたのですか!?」
だとしたら、とんでもない人脈の持ち主だ。
そういえば、この国の陛下のこともよく知ってらした。まだ独身のユーグレン陛下に学園時代からの片想いの相手がいるとか、その相手にまったく相手にされてないとか、あまりにも詳しすぎた。
「手を回したってほどじゃないわよ。ただ、あの娘を引き取るというなら、どんな災厄を抱え込むことになるのか、きちんと知っておいた方がいいでしょ」
ハスミンは肩をすくめた。
「もちろん、どうするか決めるのは公爵本人よ。こちらが勝手に人の運命を決めるわけにはいかないもの」
「……それで、ハスミンさんのお姉様は何と?」
「あの娘がどういう人間なのか、何をしでかしたのかは公爵も調査して知ってたわけね。さらに、放置すればどんな事態になり得るのか。そのあたりを説明したそうよ」
私は絶句した。い、いや、確かに私にも王家からそのことは知らされていた。シラーニ公爵は、ある程度キアラの実態を知った上で迎え入れていた。
そうだ。何と恐ろしいことだったのか。
「だから、あの娘が孫娘の婚約者に手を出したときも、迷わなかったんでしょうね。事前に危険性を知らされていたからこそ、これ以上被害が広がる前に始末した」
ハスミンはそこで、鮮やかな水色の目を細めた。
「勘違いしないでね。私たちは、あの娘を殺せと命じたわけじゃないわ」
「……はい」
「私たちはただ道理を説いただけ。何が正しくて、何が間違っているのか。何を守るべきで、何を手放すべきなのか。それを伝えるのが私たちの役目なのよ」
その言葉に、私はふと疑問を覚えた。
「……ハスミンさん。失礼ですが、あなたはいったい何者なのですか?」
純金色の美しい髪が、窓から差し込む陽光を受けてきらめいた。
ハスミンは私の問いに、にっこりと笑った。
「そうねえ。世間では占い師なんて呼ばれているけれど」
そして事もなげに告げた。
「私も姉さんも、ただの魔女よ。道理を説く魔女。それ以上でも、それ以下でもないわ」
……魔女。
この国にも魔術師や魔法使いは存在するが、数は少ない。まさか自分の人生の中に現れるとは思っても見なかった。
「ハスミンさん。あなたは」
そうか。彼女は恐らく、今の王家の外部相談役の一人だ。昔、母からそういう存在がいると教えられたことを思い出した。
城下のこんな喫茶店で占い師をやっているのは、彼女なりの情報収集だろう。
……そのわりに、楽しそうではあるけれど。趣味と実益を兼ねてといったところか。




