運命婚 白馬の王子様はヤクザ? 2
…林の誘いに乗るべきか?…
それとも、乗らないべきか?…
私は、考えた。
林が、私のバイトするコンビニから出て行った後、ひどく悩んだ…
林の正体は、わからない…
もしかしたら、どこかの大物ヤクザの娘かもしれない…
でも、そしたら、怖い…
何度も言うが、私は、ヤクザもヤンキーも苦手な至って、平凡な女…
絵に描いたような、平凡な女だ…
だから、怖い…
林が、ヤクザの娘ならば、怖い…
だから、私は考えた。
林の誘いに、乗るべきか、どうか、迷った…
すると、私の悩みが、態度に出ていたのだろう…
「…どうしたの? 竹下さん…なに、悩んでいるの?…」
と、誰かが、気安く声をかけてきた…
私は、声をかけてきた相手を見た…
いや、実を言うと、見る前から、誰だか、わかっていた…
声でわかる…
声をかけてきたのは、店長の葉山だった…
葉山は、小柄な男で、三十代だが、独身…
当初は、人の良さだけで、これまで、世の中を生き抜いてきたような、とりたてて、特徴のない平凡な男だと思っていた…
「…なに、悩んでいるの?…」
気安い感じで、繰り返した…
私は、言うべきか、どうか、悩んだ…
そして、葉山のことを考えた。
この葉山は、いつもニコニコと愛想が良い…
私は、最初、葉山という男が、そういう男だと思った…
しかし、いつの頃からか、それが営業用のスマイル=笑みであることに気付いた…
それに、気付いたのは、偶然…
偶然、街中で、葉山を見たときだった…
葉山は仏頂面で、不機嫌そうに歩いていた…
私は、遠くから、チラッと見ただけだったので、葉山は気付かなかったのだろう…
そのとき、私は、今日、林と会ったときと、同じく、慌てて、身を隠した…
そして、驚いた…
いつも、店で会う葉山とは、別人だったからだ…
それから、店で葉山を観察することにした…
すると、ほどなく葉山の笑いは営業用のスマイル=作り笑いであることに、気付いた…
これに、気付いたときは、驚いたが、冷静に考えると、ある意味当たり前だった…
いつも、四六時中、ニコニコとしている人間はいない…
それに気付いた私は、いつしか、葉山を警戒することにした…
葉山が、いつも見せかけるような人間でないことに、気が付いたからだ…
だから、今も、葉山から、
「…なに、悩んでいるの?…」
と、気安く訊かれて、どう答えていいか、わからなかった…
「…いえ、悩みなんて、なにも…」
と、言えば、どう見てもバレバレのウソだし…
かといって、私の就職とは、なんの縁もゆかりもない、葉山にすべて打ち明けることは、できない…
私は、悩んだが、
「…竹下さん、悩んだときは、自分の性格を考えるんだよ…」
と、葉山が以外なことを言った…
意味がわからなかった…
「…自分の性格って?…」
「…ほら…例えば、今、竹下さんが、男に誘われて、デートに行くべきか、行かないべきか、悩んでいたとする…そのとき、自分の性格を考えるんだ…」
「…どういうことですか?…」
「…行ってみて、後悔するか、行かないで、後悔するかの違い…ほら、竹下さんだって、その歳まで好きな男の一人や二人はいただろう…男に告白して、フラれることを恐れるか、それとも、告白しないべきか、どっちにしても、後になって、後悔しない方を選んだ方がいい…自分の性格を考えてと言ったのは、そういうこと…」
なるほど、うまいことを言う…
さすがに、年上だ…
私よりも長く生きてきただけのことはある…
気が付くと、私は、
「…承知!…」
と、いつのまにか、口に出していた(笑)…
私の返答に、葉山は苦笑した。
「…竹下さんが、いると、この店の雰囲気が、一気に明るくなる…」
「…明るくなる? …どういうことですか?…」
「…竹下さんが、この店の雰囲気を作っているといっても、過言じゃない…」
葉山の言葉に、もう一人、同じ時間にシフトに入っていた大学生の男の当麻が、クスッと笑うのが、見えた。
…なんだ? 一体?…
私は、当麻の態度に当惑した。
私が、当麻を睨みつけると、
「…竹下さんって、結構面白いんですよ…」
と、当麻が、笑いながら、言った。
「…面白い? 私が?…」
…どういうことだ?…
…私は、面白くもなんともないぞ!…
私が、再び当麻を睨みつけると、
「…竹下さん、今も突然、承知とか言って…竹下さん以外、誰もそんなこと言わないですよ…」
「…」
「…竹下さんは、自分でも気づいていないかもしれませんが、愛されキャラなんです…」
「…私が愛されキャラ?…」
「…なんていうか、誰もが近くにいてもらいたい存在というか…竹下さんが、身近にいると、その場の空気がなごむんです…」
私は、当麻の言葉に唖然とした。
そして、店長の葉山を見た。
葉山が、どういう顔=表情をしているか、知りたかったからだ…
葉山もまた、当麻同様笑っていた…
私は、二人の言葉に、ショックで、
「…」
と、絶句したが、すぐに態勢を立て直した。
ずばり、反撃したのだ…
「…そんなことはないさ…だったら、就活もここまで、苦戦しなかった…私が愛されキャラなら、就活も楽勝だったはず…」
私の言葉に、当麻が笑った…
「…竹下さん、頼りないんですよ…」
「…頼りない?…」
「…就活って、はっきり言って、使えそうなヤツから採用するじゃないですか? 学歴とか、大したことがないヤツでも、一目見て、使えそうなヤツとかいるじゃないですか? でも、竹下さん、そういうタイプじゃない…だから、就活は苦戦したんです…」
私は、当麻の言葉に、頭にきた…
たしかに、当麻の言うことは、わかる…
はっきり、わかる…
私はひとを率いたり、集団の先頭に立つタイプの人間じゃない…
頼りないと言われたのも、わかる…
否定はできない…
しかし、
しかし、だ…
それを面と向かって、当人の前で、普通、言うか?
私は、それに頭にきたのだ…
「…当麻!…」
私は言った。
「…言っていいことと悪いことがあるぞ…オマエになにができる? …私の真似ができるか?…」
「…できません…」
当麻が笑いながら言った…
そして、続けた。
「…だって、この店に、竹下さん、目当てに、男のコが来ていることに、竹下さん、気付いていないでしょ?…」
「…私を目当て?…」
驚いた。
考えてもいない言葉だった…
それから、すぐに考えた。
「…ウソをつくな、当麻! 私をからかってるんだろ?…」
「…からかってなんかいません…」
当麻が真顔で、反論した。
「…店長だって、知ってますよ…知らないのは、竹下さんだけ…」
私は、当麻の言葉で、店長の葉山を見た。
葉山もまた、当麻と同じく笑っていた…
「…当麻クンの言う通り…」
葉山が続ける。
「…竹下さん、鈍いんだよ…」
「…鈍い?…」
「…もっとも、それがまた竹下さんらしくて、いいところなんだけど…」
「…どういうことですか?…」
「…ほら、さっき、ボクが言ったでしょ?
…この店の雰囲気は、竹下さんが作っていると…竹下さんを見に、この店にやって来るお客様は、確実にいる…」
「…どうして、わかるんですか?…」
「…竹下さんをチラチラ見ている若いコを見れば、誰でもわかるよ…わからないのは、竹下さんだけ…」
「…私だけ?…」
「…そう…」
私は、葉山の言葉に、考え込んだ…
「…でも、私は、お客様に一度でもコクられたりすることもなかったし…」
「…それは、好きが違うからだよ…」
「…好きが違う?…」
「…あんな友達が欲しいとか、バイトだったら、こんなひとがバイト仲間だったら、楽しいとか、あるでしょ?…」
「…竹下さんがいると、さっきも言ったように、一気に店の雰囲気が明るくなる…だから、それに惹かれて、お客様もこの店にやって来てくれる…そういうことだよ…」
私は店長の葉山の言葉に、
「…」
と、言葉もなかった…
…私がいると、店の雰囲気が明るくなって、楽しい…
そんなことを言われても、全然、嬉しくなかった…
いや、
嬉しくないわけではない…
だが、やはり、キレイだとか、可愛いとか、言ってもらいたい…
これは、男も同じだろう…
いっしょにいて、楽しいとか、言われるよりも、カッコイイとか、イケメンとか、言われるほうが、嬉しい…
そういうことだ…
だから、少々複雑な気分だった…
そして、気付いた。
もしかしたら、あの林も同じなのでは? と、気付いた…
ほとんど同じ顔を持つ、五人の女…
その中で、おそらく、私が一番軽いというか、話しやすいキャラに違いない…
だから、林は、私の勤務するコンビニに、やって来たのでは? と、思った…
男と女ではないが、女から見て、この男なら、落とせる!
あるいは、
なんとかなる、と思うのは、直感…
直感だ!
理由などない!
これは、男も同じ…
同じだ!
男から見て、この女なら、落とせると、思っても、それが、どうして、そう思うのか、仮に理由を聞いても、答えなど、ない!
これもまた、直感に他ならないからだ…
そして、直感の内容を、もっと具体的に言えば、それは、相性だったり、する…
いわゆる一目見て、自分に合うかどうか、直感で、判断する…
そういうことだろう…
ヤンキーがごろごろいる場所に、この平凡な、竹下クミが行けば、慌てて、逃げ出す…
そういうことだ(笑)…
話は、それたが、私はそう思った…
林は、おそらく私が、一番話しやすいと思ったのでは? と、考えた…
率直に言って、これもまた、嬉しくなかった…
話しやすいというのは、別の言い方をすれば、軽いということに他ならない…
人間として、重みがないということに、他ならない…
なにより、たった今、バイト仲間の当麻に、竹下さんは、頼りないと、言われたばかりだ…
しかも、当麻は、歳下…
私よりも、二歳は歳下…
そんな当麻に、頼りないなんて、言われるとは?
竹下クミ…一世一代の恥辱…
屈辱に他ならない…
しかも、また、それを否定できないのは、辛かった…
と、同時に、たった今、当麻に指摘されて、この竹下クミが就職に苦戦した理由が、今さらながら、わかった…
就職は、見た目…
見た目に他ならない…
ルックスも含めて、一目見て、相手がその人間をどう思うか、どうかだ…
使えるか、否か…
性格が良さそうか、否か…
協調性がありそうか、否か…
面接で判断する。
これは、誰でも同じ…
同じだ…
そして、その判断は、大抵が同じ…
無論、全部が同じではないが、八割程度は、誰もが同じだ…
アイツは性格が悪いと、思えば、大抵の人間は、同じように、思っている…
思っていないのは、同じように、性格が悪いもの同士に他ならない(笑)…
性格が似ているから、いつも、いっしょにいる…
つるむ…
そして、周囲の人間は皆眉をひそめて、彼ら、あるいは、彼女らを見ている…
そういうことだ…
問題なのは、彼ら、あるいは、彼女らの中で、誰一人、それに気付かないことに、他ならない…
もっとも、気付くぐらいの能力があれば、すぐに、その集団から、離れるだろう(笑)…
それをしないのではなく、できないのだ…
そして、この竹下クミは、やはり、一目見て、使えないというか、頼りないと思われたのだろう…
そう思うと、今さらながら、自分の評価が辛かった…
情けなかった…
ショックだった…
林から、連絡があったのは、数日後だった…
何度も言うが、私は平凡…
絵に描いたような、平凡な人間だ…
身長も160㎝程度だし、胸だって、大きくない…
とりたてて、特技もなにもない、平凡極まりない女…
それが、私、竹下クミだった…
だからというか…
林から、連絡があったときは、正直、緊張した…
メールが、送られてきたのだ…
…メールで良かった!…
これが偽らざる本音だった…
これがLINEで、直接会話でもしたなら、堪らない…
ど緊張!
舌が回らないというか?
活舌が悪くなるというレベルではない…
あの林が、ヤクザの娘であるかどうかは、まだわからないが、金持ちのお嬢様であることは、わかった…
だから、緊張するのだ…
世の中には、自分も他人も同じ人間だと、主張するというか、心の底から、信じている人間が、一定数存在する。
だが、普通に考えれば、そんなことは、ありえない…
もし、本当に心の底から、そんなことを信じていれば、頭がおかしいの一言…
多くの場合は、そう言ってるだけ…
心の底から、思っているのではない…
ただ、たしかに、一定数は、自分と他人の能力の違いが、さっぱりわからない人間も存在する…
わかりやすい事例が、やはり、仕事だろう…
私もそうだが、仕事に学歴は、あまり関係がないと、バイトをして、知った一人と言うか…
要するに、いわゆる、偏差値の高い、世間でいう、いい大学を出ても、使えないヤツは、使えないというか…
例え、偏差値40の工業高校を出ても、使えるヤツは使える…
ただし、それは、なにをやるかだ…
物覚えが早く、手が早い人間が、一番、重宝するというか…
なにをしても素早いし、テキパキと仕事ができる…
ただし、それは、このコンビニとか、例えば、牛丼屋やラーメン屋のスタッフだから…
これが、コンビニでも、牛丼屋でも、本部のスタッフで、例えば、営業本部長とかいうと、当然のことながら、求められる能力が違ってくる…
いわゆる、テキパキと手早く動くことではなく、頭脳を駆使して、営業成績を上げてゆくことになる…
また、それをするためにどうすればよいか、グラフ等を用いて、論理的に、うまく周囲の人間に説明する能力が求められる…
実際に、営業成績を上げられるかどうかではなく、周囲に納得させる説明ができるか、否かだ…
すると、どうしても、学歴が必要になる…
偏差値40の工業高校卒の人間でも、機会を与えれば、もしかしたら、会社の売り上げを伸ばすことができるかもしれないし、その可能性はゼロではない…
ただ、周囲の人間に対して、綿密な資料を作って、どうしたら、売り上げを伸ばすことができるか、プレゼンテーションをする能力というものがない…
これは、仕方がないことだが、致命的…
致命的な欠陥だ…
だから、少人数の会社なら、機会を与えれば、成功するかもしれないが、大企業では無理…
そもそも、機会を与えられないし、仮に与えられても、高学歴なスタッフの中で、学歴が劣る人間は、下に見られてしまう…
これが、現実だ…
私は、父から、そんな現実を聞いたことがある…
話は若干それたが、要するに、人間は平等ではない…
違いがあるということだ…
私と、林は、違いがあるということだ…
ただし、ルックスは変わらない(笑)…
同じような身長に、同じような顔…
姉妹といっても、誰も疑わない…
それほど、似ている…
しかも、それは、私と林だけではない…
あの内定に集まった女、五人が全員似ているのだ…
もっとも、それは、高雄にとっては、当たり前…
そもそも、高雄がなんらかの情報を得て、自分の狙った女のルックスがわかったので、その情報から、女を選んだから…
必然的に、女たちは、誰もが似ている…
しかし、それは、外観=ルックスが似ているだけ…
当然のことながら、中身は違う…
つまりは、頭が良い人間もいるし、悪い人間もいるし、金持ちもいるし、私のような平凡な家庭出身の者もいる…
いや、頭の悪い人間も、性格の悪い人間も、あの場にはいなかった…
だから、それは当てはまらない…
ただ、現時点で、わかったのは、林がお金持ちという事実だけだ…
私は、思った。
結局、私は、林と駅前の店で、待ち合わせることにした…
駅は、私の住む最寄りの駅ではなく、内定した杉崎実業の本社のある駅…
これが、一番わかりやすい…
私は、林が待つ店に行ったが、正直、気が引けた…
何度も言うように、私は、平凡…
平凡、極まりない女だ…
それが、おそらく、お金持ちの林と、待ち合わせている…
正直、身分が違う…
私は思った…
林が、ヤクザの娘かどうか、わからないが、私は、お金持ちの娘じゃない…
周囲にも、お金持ちの娘はいなかった…
皆、平凡だった…
だから、困った…
嫌だった…
林の視点で見れば、この私は一体どう見られているのだろう?
みすぼらしい女に見られているのか?
考える…
悩む…
いや、
そもそも、こんな遠くの店ではなく、私のバイトするコンビニで待ち合わせれば、良かったのではないか?
ふと、気付いた…
林は、偶然を装って、私のバイト先にやって来た…
わざわざ、あの黒塗りの高級車で、やって来たのだ…
ならば、単純に、あのバイト先のコンビニで、待ち合わせて、林と会えば、良かったのではないか?
そう、考えた…
いや、それは、まずい…
それをすれば、バイト先のコンビニの店長の葉山を筆頭とする、バイト仲間に、私が、あの黒塗りの高級車に乗り込む姿を見られる可能性が高い…
すると、どうだ?
「…なぜ、あの竹下が、あんな高級車に乗り込んだんだ?…」
と、なる。
それは、まずい…
この平凡な竹下クミのイメージというものがある…
あんな高級車に乗り込む姿を見られるのは、まずい…
いや、まずいのは、そこではない…
その後、バイト先で、根掘り葉掘り聞かれるのは、困る…
いや、例え聞かれずとも、噂には、上るだろう…
上らないはずはない!
そこまで、考えると、私は、やはり、遠くだが、この駅にして、正解だと思った…
自分の住む家の近くの駅にしても、やはり、自分の見知ってる、知り合いに見られる可能性がある…
しかし、ここなら、その心配はない…
私が、そのコーヒーショップのチェーン店に入ると、林はすでに待っていた…
が、すぐには、林と気付かなかった…
なぜなら、林は当然、私服だが、いつも、私のバイト先のコンビニにやって来るときは、地味な私服だった…
が、今日は、なぜか、派手だった…
一目見て、カラフルな服で、いわば、女の装いだった…
ピンク系で、全身をきめて、春の装いと言うか…
いつもの、サバサバした感じではなかった…
いつもは、泥臭いというと、語弊があるが、地味だった…
また、だから、話しやすかった…
だが、今日は違う…
別人の装いだ…
私は、そんな林を見て、驚いたし、当然のことながら、それが、表情に出た…
「…どう? 驚いた?…」
林が少し、恥ずかしそうに、口に出した。
「…うん、まあ…」
私は、曖昧に、言葉を濁した。
…これじゃ、まるで、デートだ…
私の脳裏に、すぐに、そんな言葉が浮かんだ…
と、同時に、気付いた…
…まさか、この林は、レズじゃないだろううな?…
…私は、そっちの趣味はないぞ…
私は、気付いた…
だが、さすがに、それを直接、口にすることはできない…
「…林さんって、もしかして…」
曖昧に言葉を濁した…
林は、私の意図にすぐに、気付いた…
「…別に、私は、男じゃなく、女が好きとか、そういうのは、ないよ…」
林が、慌てて、否定する。
「…でも、今日はパパに会う日だし…パパは、うるさいの…女は女らしくって…」
…パパだと?…
…パパって、なんだ?…
…普通、お父さんじゃないのか?…
…それとも、そのパパって、実の父親じゃなく、パトロンって、ヤツか…
私の脳裏を、そんな考えがかすめた。
それもまた表情に出たのかもしれない…
「…いやだ? …竹下さん、パパっていっても、パトロンとか、そんなんじゃないよ…
実の父親…私は、実家が少し通いから、パパといっしょに住んでないの…」
林が慌てて、説明する。
「…でも、その服…」
「…パパは職業柄か、服装にうるさいの…男は男らしく、女は女らしく…それが、パパの基本…」
…それって、もしかして、やっぱりヤクザか?…
…いわゆる任侠道かなにか、か?…
私は思った。
「…でも、ホント…竹下さんに会って、助かった…パパに一人で会うのは、嫌だし…」
…パパに一人で会うのは、嫌?…
…どういう意味だ?…
…実の父親に会うのに、どうして、一人で会うのは、嫌なんだ?…
…それって、やっぱり、もしかして?…
私が、考えてると、
「…ホント、竹下さんに会えて、良かった…竹下さんは、杉崎実業の内定者の中で、一番ひとが良さそうだし…」
「…ひとが良さそう?…」
思わず、口に出した…
「…いえ、話しやすいというか…」
林が続ける。
…それって、やっぱり、私が軽いってことか?…
ずばり、ショックだった…
…私は、そんなに軽いのか?…
…そんなに、ひととして、重みがないのか?…
考えた。
悩んだ…
先日も、バイト仲間の二歳年下の当麻に、竹下さんは、頼りないと、指摘されたばかりだ…
それゆえ、就活に苦戦したと、二歳年下の当麻に喝破された。
就活で、必要なのは、ずばり、一目見て、使えるか、否か? だ…
あるいは、
鍛えれば、ものになるか、どうかだ…
それが、ないから、竹下さんは、就活に苦戦したんだ、と、当麻に指摘された…
二歳も年下の当麻に指摘された…
しかも、
しかも、だ…
それまでは、どうして、私が就活に苦戦するのか、さっぱり、わからなかった…
そこそこ美人で、ルックスが他人様よりも、劣るわけではない、この竹下クミが、就活に苦戦する理由がわからなかった…
それを、あっさりと、あの当麻が、喝破するとは?
…ずばり、情けないというか?…
ショックだった…
そして、また今まさに、この瞬間も、この林が、同じように、私を軽いと言うか、話しやすいと言った…
自分でも、わかっていたが、まさか、これほど、他人様から見て、軽いとは、思わなかった…
知り合ったばかりの人間に、指摘されるとは、思わなかった…
しかも、私は、この林と、同じような顔で、同じような身長…
いや、
林だけではない、杉崎実業の五人の内定者全員が、同じような顔で、同じような身長の持ち主たち…
つまり、外見=ルックスが、似ているにもかかわらず、この竹下クミが、一番軽いと思われた…
それが、ショックだった…
「…ゴメン…竹下さん…なにか、竹下さんを傷つけたならば、謝る…」
「…別に、なんでもないさ…」
私は言った。
本当は、なんでもないなんてことはありえないが、とりあえず、言った…
本音は、ずばり、傷ついた…
物凄く、傷ついた…
もしかしたら、一生忘れられない、心の傷となる…
それほどの、ショックだった…
「…でも、ホント、竹下さんが来てくれて、良かった…」
林が、実感を込めて、漏らす。
「…お父さん…いえ、パパは気難しいひとだから、竹下さんならば、誰にも気に入られるから、問題はないし…」
力を込めて、言った…
…私は、誰にも気に入られる?…
…そんなことがあるはずがない…
…きっと、今、私を傷つけるようなことを言ったから、慌てて、私を持ち上げたな…
私は、思った。
思いながらも、やはり、少しばかり、気分が良くなった…
これもまた林の狙いかもしれないが、少しばかり、良くなった…
「…パパも竹下さんなら、きっと気に入ってくれる…」
私に言うというよりは、自分自身を納得させるように、林は、呟いた…
私と林は、店を出た。
そして、駅ではなく、別の方向に二人で、歩き出した。
「…クルマを用意してあるから…」
と、林が言ったからだ…
さすがに、駅前にクルマを駐車させることは、できないので、少し離れた場所に、目立たないように、停まっていた…
それは、当然のことながら、以前、林が降りてくるのを見た、黒塗りの高級車だった…
「…水沢さん…お待たせして、すいません…」
黒塗りの高級車の後部座席のドアを開けて、林が車内に、声をかけた。
「…お嬢様…お帰りになりましたか…」
運転席の男性が声をかけた。
「…ハイ…」
林が当然のように、答える…
…お嬢様?…
テレビや映画の中では、よく聞く言葉だが、実際に生活する場所で、お嬢様という言葉を聞いたのは、初めてだ…
しかも、それを当然のように、受けるというか、受け流すというか…
まるで、映画だ…
この竹下クミが22年間生きて、初めて、そんな場面に出くわした…
要するに、私、竹下クミは、それまで、22年間生きてきて、これまで、一度も金持ちと接したことのないことの裏返しというか、証明だった…
あらためて、いかに、自分が平凡か、わかる出来事だった…
しかも、
しかも、だ…
黒塗りの高級車の後部座席に乗った私と林を、車内のミラー越しに見て、水沢と呼ばれた運転手が、
「…お嬢様から、事前に聞いていましたが、ホント似てますね…」
と、驚嘆した。
私には、これが、ショックだった…
なぜって、こんなにも、自分と似た外観=ルックスの持ち主にかかわらず、林は、こんな運転手付きの黒塗りの高級車に乗っていて、私は平凡…
平凡の極みだ…
私は、生まれて初めて、親を憎んだ…
平凡過ぎる両親を恨んだ…
そして、落ち込んだ…
「…では、発車します…」
水沢が言って、クルマが走り出した…
が、私は、落ち込んだままだった…
そんな私の表情に、気付いたのだろう…
「…竹下さん…なんだか、竹下さんを落ち込ませちゃったわね…」
と、林が優しく声をかけた。
「…騙すつもりとか、全然なかったんだけど…」
林が言葉を続ける。
「…でも、竹下さん…こんなことで、落ち込んじゃダメ…残りの三人の中には、私以上のお金持ちもいるのよ…」
と、林が意外なことを言った…
私は、驚いて、林を見た。
林は、ツンと澄ました表情だった…
「…それって、どういう…」
私は、遠慮がちに、恐る恐る聞いた…
「…言葉通りの意味よ…」
林が答える。
「…言葉通りの意味?…」
私は、オウムのように、林の言葉を繰り返す。
そして、繰り返しながらも、なんだか、このクルマに乗ってから、林の態度がなんとなく大きくなった気がした。
これまで、私のバイトするコンビニで、会った林とは、態度が違っていた…
林の態度が明らかに、尊大になった…
やはり、こんな高級車に乗っているからだろうか?
私は考えた。
が、違った…
「…お嬢様は恥ずかしいんですよ…」
と、いきなり車内に声が響いた…
私は、一瞬、誰が、そんな言葉を発したのか、わからなかった…
しかし、考えてみれば、この車内には、三人しかいない…
私でも林でもない声ならば、当然、運転手の水沢だった…
「…恥ずかしい? …どうして、恥ずかしいんですか?…」
私は、つい聞いてしまった…
ホントは、今知り合ったばかりの他人に、こんなことを聞くのは、おかしいのかもしれない…
でも、気が付いたときには、口に出していた(笑)…
「…お嬢様は、こんな高級車に乗ってるのが、恥ずかしいんですよ…」
水沢がさらりと言った…
「…高級車に乗るのが恥ずかしい?…」
私は、またも、聞いてしまった…
「…だって、そうでしょ? イマドキ、どんなお金持ちでも、いかにもお金持ちって、格好をするひとは、いませんよ…ヤクザでもなんでも、ユニクロの服を着ても、おかしくない時代でしょ?…」
水沢が言う。
しかし、私はむしろ、水沢が例え話にしろ、ヤクザを例に出したことに反応した…
「…やめてよ…水沢さん…」
林が声を上げた。
「…恥ずかしくて、堪らない…」
「…しかし、お嬢様…」
「…そのお嬢様もやめて…林でいい…」
林が言った。
私は林を見た。
林の顔は、羞恥で、真っ赤になっていた。
それに、水沢も気付いたのだろう…
数秒の沈黙があった…
それから、自分自身を納得させるように、
「…わかりました…林様…」
と、言った。
「…様もやめて…」
林は容赦なかった…
「…普通に接して…お願い…」
「…わかりました…」
水沢が言った。
「…では…林さん…」
水沢が言い直した。
すると、林が、満足そうに、頷いた。
「…それで、いいわ…」
納得するように、呟いた。
私は、ただ、驚いた。
なぜって、今まで、そんなやり取りを、間近で、見ることはなかったからだ…
…林って、すごいお金持ちなんだ!…
私は、今さらながら、実感した。
同時に、考えた。
今さっき、この林は、残りの三人の中には、私以上のお金持ちがいるって、言っていたぞ…
…どうして、そんなことがわかったんだ?…
いや、それも、謎だが、そもそも、私を誘ったことも謎だ…
…一体、どういうつもりで、私を誘ったんだろうか?…
私は、考えた。
だから、無口になった…
林も、また、口を利かなかった…
だから、車内が静寂に包まれた…
そして、その静寂は、なんとも、居心地の悪いものだった…
これが、昔からの、学生時代の友人かなにかだったらいい…
しかし、私も林も、昨日今日知り合ったばかりの人間だ…
要するに、気心が知れた人間ならば、沈黙があっても、気まずくないが、やはり、昨日今日知り合った人間は、そうはいかない…
だから、どうしても、なにか、言わなければ、ならなくなる…
なにか、話していないと、気まずくて、堪らないからだ…
私は、そう思って、なにか、話そうとした…
正直、なにを話していいか、わからなかった…
それでも、なにか、話そうと、口を開きかけると、
「…今日は、本当にごめんなさい…」
と、いきなり、林の方が、口を開いた…
…ごめんなさいって、どうして、私に謝るんだ?…
私は、ビックリして、隣に座った、林を見た。
「…いえ、知り合ったばかりの竹下さんに、わざわざ私の実家まで、付き合ってもらっちゃって…」
…そういう意味か?…
私は納得した。
「…とにかく、パパは、気難しいの…だから…」
林が言うと、
「…旦那様は、お嬢様を目の中に入れても痛くないほど、溺愛しています…だから、お嬢様が、心配で、心配で、仕方がないんです…」
水沢が、口を出した…
「…心配…」
私も、つい、口を挟んだ…
「…男にとって、娘は永遠の恋人のようなものと、よく言うじゃないですか…お嬢様は、まさにそれです…」
「…水沢さんったら…また、お嬢様って呼んで…」
言いながらも、お嬢様って、呼ばれて、怒るというよりも、どこか、甘ったるい感じで、抗議した…
「…パパは、いつも、私を心配し過ぎ…パパは、私がやることなすこと、すべてが心配なの…私が頼りなく見えるの…」
林が、水沢に抗弁しながら、チラッと、隣に座る、私を見た…
…そういうことか?…
私は気付いた…
要するに、林は、自分以上に頼りない女が、ここにいると、父親に見せたいのだ…
なにしろ、同じような顔だ…
違うのは、中身だけ…
私は、林が頼りないとは、これっぽっちも思わないが、父親から見れば、違うのだろう…
私は思った…
だから、同じような顔をした私、竹下クミを見れば、
「…パパ…私って、しっかりしてるでしょ?…」
と、言えるわけだ…
私は、ようやく、林の目的に気付いた…
そして、考えた…
この林という女…
見かけと違う…
抜け目ない…
いや、もしかしたら、この林以外の三人の女も同じかもしれない…
あの場で、見た顔と違う顔を持っているのかもしれない…
もしかしたら、私だけ、見かけ通り…
見た目通り、平凡なのかもしれない…
私は思った。
この平凡な竹下クミだけ、見かけ通り平凡なのかもしれない…
「…承知!…」
気が付くと、いつのまにか、口に出していた…
…私だけ、平凡ならば、それでいい…
…わかっていれば、いい…
…自分自身がそれを承知していればいい…
そんな意味での承知だった…
自分自身の置かれた状況を納得させる意味での承知だった…
しかしながら、それは、私だけに、わかる承知…
林も水沢も知らない…
意味が分からない…
「…承知って?…」
林が、ビックリした顔で、聞いた…
私は焦ったが、とっさに、
「…いえ…林さんが、私をお父さんに会わせたいと言ったから、それを承知したって言うか…」
私は、しどろもどろになりながら、口にした。
本当は、そんな意味ではないので、説明も苦手だった…
もはや、林が、そんな私の説明を信じてくれるかどうかも、わからなかった…
だけど、なにか、林を納得させる言葉を言わなければならない…
私は、たぶん、顔を真っ赤にして、林に言ったと思う…
林は、そんな私を見て、
「…かわいい…」
と、突然、言った…
「…かわいい?…」
思いがけない林の言葉だった…
「…竹下さんって、かわいい…」
林が、繰り返す…
「…なんていうか…近くにいると、ほっとけないというか…面倒をみたくなるというか…」
「…面倒をみたくなる?…」
「…とにかく、ほっとけないのよね…」
林が断言する…
…それって、やっぱり、私が頼りないってことじゃないか?…
私は、叫び出したい気持ちだった…
しかしながら、考えた。
承知って、突然、叫んだ意味を根掘り葉掘りされるよりは、ずっといい…
変に詮索されるよりは、ずっといい…
私は自分で言うのもなんだが、説明が苦手…
うまく説明することが苦手だ…
だったら、林にどう思われようと、このままでいい…
根掘り葉掘りされるよりは、ずっといい…
かわいいでいい…
そう思った…
思いながらも、クルマは進んでいった…
黒塗りの高級車が、周囲を威圧するような感じで、走っていた…
ふと、なにげなく周囲を見ると、明らかに、このクルマの前後を他のクルマが、距離を置いていることがわかった…
どうして?
私は思った…
「…このクルマって、周囲から、距離を置かれているような…」
ボソッと、呟いた。
「…このクルマが、高級車だからよ…マイバッハっていう…」
「…マイバッハ?…」
初めて聞く名前だ…
「…ほら、黒くて大きくて、いかにも高級車って感じでしょ? ぶつけでもしたら、大変だし…もしかしたら、その筋のひとが、乗っている可能性もあるわけだし…」
「…その筋のひと?…」
…それって、まさか?…
…まさか、ヤクザ屋さん?…
「…だから、私は、このクルマが好きじゃないけど…パパが…」
と、林は言ったきり、黙り込んだ…
私は、林が黙り込んだので、どうすればいいかと悩んだ…
声をかけるべきか、どうか、悩んだ…
しかし、なにを言ったら、いいか、わからない…
すると、
「…旦那様は、何事も派手なことがお好きなんです…」
と、またも、水沢が声を上げた。
「…派手好きですか?…」
私も、つい口を出した。
「…いえ…というより、他人にどう見られるか、常にお考えの方です…旦那様自身は、本当は、派手好きでもなんでもないと思います…ただ他人に見られてる以上、派手にしなければと考えておられるのだと思います…」
水沢の説明が終わると、
「…パパには、ついていけない…」
林が、甘ったるい声で、叫んだ…
「…イマドキ、こんな黒塗りの大きなクルマに、私は、花柄の服…いつの時代の価値観だか…」
林が不満を述べる。
私は、これから、そんな価値感の人間に会いに行くんだと思うと、なんだか不安になった…
林はなにげなく、自分の父親について、語ったが、私には、不安の種にしか、ならなかった…
マイバッハは進んだ…
最初は、都内を…
そして、地方へ、と、進んだ…
真っ黒な、大きな、高級車…
道行く人間が、つい、見てしまう大きさだ…
首都圏から離れて行くうちに、人通りも、少なくなると、余計に、マイバッハは目立った…
私がなにげなく、窓から、外を見ていると、たまたま目に映った人間が、老若男女を問わず、このマイバッハを見ていることが、わかった…
そんな私の視線に気付いたのだろう…
林が、
「…竹下さん…そんなに窓から、外を見ないで…」
と、小さな声で、私に言った。
私は、窓から、外を見るのを止めて、林を見た。
林の顔は、真っ赤だった…
「…みんな、このクルマを見ているでしょ?…」
と、林が、小さく、呟いた…
私は、
「…ええ…」
と、これも、小さな声で、言った…
林に合わせたのだ…
「…ホント、やんなっちゃう…このクルマで、実家に戻ったことで、林のお嬢様のご帰還って、まるで、旗を振るように、目立っちゃう…」
林が、真っ赤の顔のまま、嘆く…
「…だから、実家に戻りたくなかったのよ…」
林の口から恨み節が、出た。
「…実家に戻るたびに、わざわざ、水沢さんを呼んで、マイバッハを運転させて、帰るなんて、まるで、江戸時代の大名行列じゃあるまいし…」
「…大名行列?…」
「…そう…つまり、パフォーマンス…パパは、それが大好きなの…」
林が吐露する…
たしかに、こんな大きなクルマに乗って、街を走れば、嫌でも目立つ…
でも、それがパフォーマンスとは、恐れ入る…
私は、林の話を聞きながら、一体、これから会う林の父親とは、どんな人物なのだろう? と、考えた。
おそらくは、娘の帰還を大々的に、周囲に周知させる人物…
そんなパフォーマンスを講じる人間とは、一体どんな人物なのだろうか? と、むしろ、興味を持った…
だが、まさか、それを口にすることはできない…
その後は、二人とも、黙った…
黙りこくった…
一言で言って、会話が続かなかった…
知り合ったばかりなので、話すことがなかったことも、大きい…
そして、いつしか、マイバッハは、林の自宅に辿りついた…
「…お嬢様…到着しました…」
水沢が言った。
「…そのようね…」
林が言った。
「…竹下さん…着いたわ…」
そう言って、林は、マイバッハから、降りた…
私も後に続いた…
マイバッハから、降りた…
そして、驚いた…
マイバッハから、降り立った地…
それは、まるで、江戸時代だった…
江戸時代といえば、おかしいのかもしれないが、要するに、だだっ広い庭に、昔ながらの平屋がある…
ただ、その平屋は、あまりにも、広く大きい…
例えて言えば、江戸時代の豪商とかなにかの屋敷…
今では、重文…重要文化財にでも、指定されるような古いが、堂々とした建物だった…
「…このお屋敷が、林さんの実家?…」
私は、口をあんぐりとして、開いて言った…
が、
林からは、なんの返答もなかった…
だから、私は、林を見た…
林は、さっきと同じく、顔を真っ赤にしていた…
それから、小さく呟いた。
「…恥ずかしい…」
「…恥ずかしい? …どうして、恥ずかしいの?…」
「…イマドキ、こんなお屋敷に住むよりも、もっと平凡な家に住みたかった…こんなお屋敷に住んでることで、小学校や中学校で、どれほど、お嬢様とからかわれたことか…私がこの実家から出て、都内に住んだのも、それが原因…」
林が心境を吐露する。
私は、驚いたが、たしかに、こんなお屋敷に住めば、他人からいじられるに決まっている…
下手をすれば、イジメの標的にもなりかねない…
要するに、嫉妬だ…
大人でも嫉妬はあるが、普通は、それを態度に出さないものだ…
それが、子供にはない…
つまり、他人にどう見られるか、考えないのだ…
だから、嫉妬を、行動に出す…
それが、いじるにとどまるか、イジメに発展するかは、わからない…
だが、いずれしろ、林にとっては、いい思い出でないのは、間違いないだろう…
私は、思った。
「…お嬢様…」
水沢が声をかける。
「…私は、このクルマを車庫に止めますので、後は…」
「…わかった…ご苦労様…」
林は、答える。
実に、堂々とした、受け答えだった…
いかにも、慣れている…
私は、目の前の、日本式家屋のお屋敷と、林を交互に見比べて、思った…
…生粋のお嬢様…
ふと、そんな言葉が、私の脳裏に浮かんだ…
そんなことを考えていると、
「…竹下さん…行きましょう…」
と、林が声をかけた。
私は、林の後に続きながら、広い庭を歩いた…
庭は、完全な日本庭園だった…
そして、まもなく、お屋敷に入った…
「…ただいま…今、戻った…」
林が大きな声で、言った…
すると、すぐに、着物を着た一人の中年の女性が現れた。
「…お帰り…康子…」
そう言った、女性は、林そっくりの顔なので、すぐに、林の母親だと、私にもわかった…
「…久しぶり…ママ…パパは?…」
「…奥で、アナタの帰りを今か今かと、待ってるわ…」
「…そう…」
林は、短く答えた。
それから、私を振り返り、
「…杉崎実業に内定した、会社の同僚になる、竹下さん…似ているでしょ?…」
と、母親に、私を紹介した。
が、林の母親は、私が林に似ていることには、触れず、
「…林の母親です…娘のことをよろしくお願いします…」
と、丁寧に、私に頭を下げた。
私は、ビックリして、
「…ハ、ハイ…こちらこそ…」
と、慌てて、頭を下げた。
まさか、着物姿の私の母親と同世代の女性に、頭を下げられるとは、思わなかった…
これでは、まるで、旅館や料亭に、行ったみたいだ…
私も、友達の家に行き、母親を紹介されることは、当然あった…
しかしながら、こんな重要文化財のようなお屋敷で、着物姿の中年女性が、姿を現すような、家には、行ったことがなかった…
これでは、まるで、江戸時代…
江戸時代にタイムスリップした感じだった…
だから、驚いた…
驚いたのだ…
だから、林の母親に、娘のことを、よろしくお願いしますと、言われても、
「…承知!…」
と、いつものように、返すことができなかった…
私が、そんなことを考えていると、
「…竹下さん、こっち…」
と、すでに、家に上がった林が、私を誘った…
私は、
「…お邪魔します…」
と、言って、靴を脱ぎ、用意されたスリッパに履き替え、お屋敷に上がった…
林に続いて、廊下を歩きながら、まるで、時代劇のセットを歩いているような感覚だった…
「…このお屋敷は、一体いつの建物なんですか?…」
私は、つい聞いてしまった…
しかも、いつのまにか、敬語になっていた(笑)…
すでに、このお屋敷を見た時点で、私と林は、対等の関係では、なくなっていた(涙)…
「…さあ、私も正式には、わからないけど、百年やそこらじゃないことは、たしか…間違いなく江戸時代に建てた建物よ…それを改装して、住んでるの…」
「…江戸時代…」
私は、絶句した。
あらかじめ、わかっていたというか、想像がついたことだったが、それでも、そんなことをあっさりと、告白されると、驚くと言うか、ビビるというか…
あらためて、目の前の林が、いかにお嬢様か、納得するというか…
が、そんなことを、いつまでも、考えてるわけには、いかなかった…
林が、スタスタと歩いてゆくものだから、それを追うのが、大変だったからだ…
私が、林を見ると、なんとなく緊張しているのが、わかった…
林にとって、これから会う父親は、そんなに緊張するものなんだろうか?
そう考えると、なんだか、私の方まで、緊張してきた…
やがて、林は、ある部屋の前に立った…
「…ここよ…」
林が告げる。
それから、
「…パパ…康子です…ただいま、帰りました…」
と、告げ、
中から、
「…入りなさい…」
という声が聞こえてきて、初めて、林は、部屋の扉を開けて、中に入ろうとした…
「…竹下さんも…」
部屋の扉を開けたまま、私に告げた。
私は、無言で、頷いて、林に続いて、中に入った…
そこは、日本間…
純然たる日本間だった…
ちょうど、京都の名のある建物…
例えば、二条城などの部屋に似ている…
そして、その奥に、目的の人物というか…
林の父親がいた。
和服を着て、座っていた…
ただし、決して、その和服が似合っているとか、そういうのではない…
はっきり言って、林の父親は、和服を着ていることを、除けば、平凡な人物だった…
とりたてて印象の薄い、どこにでもいる人物といった感じ…
身長も、おそらく170㎝ぐらい…
丸顔で、眼鏡をかけた人物だった…
「…パパ…久しぶり…」
林は、父親の姿を見るなり、開口一番、言った…
「…お帰り、康子…」
林の父親は答える。
そして、私の方を見た。
「…その方は?…」
私は、慌てて、頭を下げて、口を開きかけると、
先に、林が、
「…今度、内定した杉崎実業の同僚となる、竹下さん…」
と、私を紹介した。
「…その方が…」
林の父親が頷く。
私は、慌てて、
「…竹下クミと言います…」
と、だけ言って、頭を下げた。
正直言って、目の前の林の父親は、平凡で、威厳もなにもなかったが、私は、このお屋敷に、そして、この部屋に圧倒されていた…
圧倒され続けていた…
こんなすごい、お屋敷に住んでいる人間は、誰でも、尊敬できるというか、すごい人間に見えた。
それは、例えば、犬や猫でも、同じ…
同じ、犬や猫でも、なんとなく高級に見えると言うか、豪華に見えるというか…
まあ、人間、誰でも、そんなものかもしれない(笑)…
こんなお屋敷に住んでいる人間は、高級で、大学も一流大学を出て、息子や娘も、一流の中学、高校を出ている…
誰もなにも言わずとも、勝手に、自分の脳内で、そう思い込む…
そういうものだ(笑)…
私は、いつのまにか、緊張で、カラダが、ガチガチに固まっていた…
無理もない…
竹下クミ、22歳…
とりたてて、なにもない、平凡極まりない女…
そんな平凡極まりない、竹下クミが、こんな豪華な家に招かれている…
それで、緊張するなというのは、どだい無類…
無理筋だ…
私は、まるで、人形のように、その場に立っていた…
だから、林の父親に促され、
「…どうぞ、お座りください…」
と、目の前の座布団を進められたときも、カラダがガチガチで、うまく足を動かすことができなかった…
まるで、ロボットのように、ギクシャクと動いた…
勧められた座布団の上に座ることはできたが、率直に言って、カラダは、緊張したままだった…
その姿を見て、林の父親は、
「…竹下さん…」
と、私に声をかけた。
「…ハッ…ハイ…な、なんでしょうか?…」
「…康子が笑ってますよ…」
私は、その言葉で、林を見た。
たしかに、林は、笑っていた…
遠慮がちに、笑っていた…
「…竹下さん…緊張しすぎ…」
林が、笑いながら、言う。
それから、一転して、真顔で、
「…でも、これで、竹下さんが、信用できる人間だとわかった…」
と、呟いた…
…信用できる人間?…
…どういうことだ?…
私は、林を見た…
それから、林の父親を見た…
和服を着た、林の父親を見た…
さらに、この豪華な大部屋…
もっと言えば、この壮大なお屋敷を考えた…
これは、もしや、演出…
私が、ここで、どういう振る舞いを見せるか、確かめるために、仕組んだ演出では、ないのか?
ふと、そんな思いが、脳裏に閃いた…
いや、
そもそも、私をわざわざ、都内から、あのマイバッハという、誰もが人目を惹く豪華なクルマで、送迎して、見せたのも、演出ではないのか?
つまりは、あのマイバッハに乗った時点で、私、竹下クミは、林の術中にはまったのではないのか?
マイバッハに乗った時点?
いや、違う…
それ以前、林がいつもと違う派手な服で、私を出迎えた時点で、私を試す、この演出が、始まったのではないか?
私は、今さらながら、そんな現実に気付いた…
竹下クミ…22歳…
あっては、ならない失態だった(涙)…
あらためて、自分の愚かさに、気付いた(涙)…
バカさ加減に気付いた(涙)…
私は、林と林の父親を交互に見た…
そして、二人から、視線をはずした。
考えるためだ…
おそらく、この林は、私、竹下クミを、圧倒しようとしている…
無意識に、私を、支配下に置こうとしている…
私は、そう見た…
私は、そう睨んだ…
そのために、わざわざ、今日、私を招いた…
私は、そう考えた…
思えば、あの杉崎実業の内定式で、集まった五人の女…
すでに、五人が集まった時点で、戦いは、始まっていたのだ…
いや、
そもそも、あのイケメンの高雄が、私たち五人のうちの誰かをお嫁さんにすると言った時点で、戦いが始まっていたのかもしれない…
竹下クミ、22歳…
そんな簡単なことに、今さらながら、気付いた…
相変わらず、とろい…
自分自身のとろさが、腹立たしかった…
そして、私の心の内が、表情に出たのだろう…
「…どうしたの? 竹下さん?…」
と、林が言った。
「…急に、黙って…」
私は、その言葉で、無言で、林を見た。
「…別に…なんでも…」
そう言いながらも、実は、自分に余裕ができた…
余裕ができたことで、私は、再び、林と対等に接することができた…
心の内で、対等になった(笑)…
この、いかにも立派な、お屋敷を抜きに、して、林を見ることができた…
「…竹下さんって、面白いね…」
突然、林が言った。
「…面白い?…」
私は、聞き返した。
私は、決して、面白い人間ではない…
むしろ、平凡…
ビックリするぐらいの平凡な人間だ…
「…どうして、面白い?…」
私は訊いた。
「…考えていることが、すぐに顔に出る…」
林は言った。
もっと、言えば、指摘した。
「…今、どうして、私が、今日、竹下さんを誘ったか、考えていたんでしょ?…」
私は、ビックリした…
たしかに、考えてはいたが、たった今、林が指摘したことは、考えてはいなかった…
だが、面白い…
自分では、そんなことは、これっぽっちも、考えていないことを、林が勝手に思っていたと、考えると、面白い…
そう考えると、むしろ、私は、なにも言わず、黙って、首を縦に振った方が、面白いと、判断した…
林が、勝手に誤解してくれれば、面白い…
一体、なにを言い出すのか?
そう考えた方が、面白いと、判断した…
「…高雄って、イケメンでしょ?…」
いきなり、林は言った。
…イケメン?…
私は、いきなりの言葉に唖然とした。
たしかに、高雄はイケメンだが、まさか、ここで、いきなり、高雄の話題になるとは、思わなかった…
「…私ね…竹下さんに、私の味方になって欲しいんだ?…」
…味方?…
どういう意味だ?
私は考えた。
無言で、黙って、林を見た。
「…私と、高雄さんの仲を応援して欲しいんだ…」
林が、恥ずかしそうに言った。
「…応援?…」
私は、唖然とした。
まさか、そうくるとは、思わなかった…
私は、ビックリして、林の顔を見た…
自分そっくりの林の顔を見た…
それから、林が本気かどうか、考えた。
林が、観測気球ではないが、わざと、心にもないことを言って、私が、どう出るか、試しているのでは? と、考えたからだ…
だが、こう考えると、かえって、相手の心が見えなくなるというか…
疑い出すと、切りがなくなる…
なにか、裏があるのでは? と、考えると、常に、相手の言っていることを、疑ってしまうからだ…
「…私と高雄さんの仲を応援してもらいたいんだ…」
林が繰り返した…
私は、あまりにも、突然の告白に、どう対応していいか、わからなかった…
黙って、林から、林の父親に、視線を動かした。
林の父親もまた、和服で、真剣な表情で、私を見ていた。
私は、考えた。
さっき、林は、
「…竹下さん…緊張しすぎ…」
林が、笑いながら、言った。
それから、一転して、真顔で、
「…でも、これで、竹下さんが、信用できる人間だとわかった…」
と、呟いた…
これは、どういう意味だ?
当然、考えた。
なぜ、私が、信用できる人物なんだ?
私は、思った…
そして、考えた…
つまりは、演出…
この竹下クミの前で、林は、いかに、自分が、金持ちのお嬢様であるかを、わざと見せびらかす…
見せつける…
そして、私が、どう出るか? を、見極めようとしたに違いない…
人間は、緊張したり、追い詰められたり、したときに、その人間の本性が出ると言うか…
私が、この林の実家に招かれて、ど緊張したのを見て、林は、私が、信用できる人間だと、思ったに違いない…
真逆に、例えば、林を褒めまくったり、あるいは、
「…こんな大きな家に住んで…」
とか、嫌みを連発したら、私を信用しなかったに違いない…
手品ではないが、わざと、相手を驚かせることで、その相手がどう出るか? あるいは、どう反応するか、試したに違いない…
そして、また、当初、私が考えたように、私を支配下に置こうとした、疑惑も否定できない…
己の圧倒的な財力を、わざと、私に見せることで、
「…アンタと私は、こんなに違うんだ!…」
と、私に悟らせることを狙っていたことも、否定できない…
私は、考えた…
そして、そう考えることで、冷静になった…
ひどく、冷静になって、己の置かれた状況を、考えることができた。
「…どう…竹下さん?…」
林が続ける。
「…どうって?…」
「…だから、今も言ったように、私と高雄さんの仲を応援してくれる?…」
私は、黙って、林を見た…
私そっくりの林を見た…
林もまた、私の返事を待つべく、ジッと私を見返した。
「…それは、できない…」
私は、言った。
「…できない? …どうして?…」
「…だって、高雄さんは、あのとき集まった五人の中の一人をお嫁さんにするって、宣言した…だから、高雄さんの意志を無視して、私から、高雄さんのお嫁さん候補から、降りることはできないです…」
私は、断言する。
私の言葉に、林は、
「…」
と、絶句した…
目を丸くして、絶句した…
私は、林が、どう出るか、考えた…
が、
以外にも、
「…ハッハッハッ…」
と、笑い声が、部屋に響いた…
豪華な日本式家屋の部屋中に響き渡った…
声の主は、当然のことながら、林の父親だった…
「…いや、失礼…」
私が、林の父親を見ると、林の父親は、私に詫びた。
「…実にうまく断る…失礼ながら、お嬢さんが、どういう回答をするのか、興味があった…」
林の父親が、実に楽しそうに言った…
私は、林の父親のその言葉にウソはないと思った…
表情が実に、楽しそうだ…
心の底から、楽しそうだった…
「…お嬢さんは、信頼できる…」
「…信頼ですか?…」
私は訊いた。
「…そうです…信頼です…」
「…どうして、信頼できるんですか?…」
「…今の答えです…康子に、高雄さんの仲を応援して欲しいと言われ、どう答えるか、興味津々だった…私が言うのもなんだが、こんな大きな家に招かれ、康子の父親の前で、応援してくれと、頼まれれば、その場限りでも、応援すると答えるか、あるいは、考えさせてと、うまく返事を保留するかの、どっちかです…それを、竹下さんは、冷静に、高雄さんの意志を無視することはできないと、答えました…実に興味深い…」
林の父親は、楽しそうに語る…
それから、
「…康子…オマエの負けだ…」
と、林に告げた。
林は、悔しそうな顔をするのかと思いけや、意外にも、サバサバした表情だった…
「…まさか…竹下さんが、そう答えるとは、思わなかった…」
林が答える。
「…失礼だけど、竹下さんって、もっと、頼りないっていうか…ひとの言いなりになる人間だと思った…」
…ひとの言いなりになる?…
「…だから、わざわざ、パパに頼んで、水沢さんにマイバッハを運転してもらって、迎えに来てもらって、パパには、普段着ない和服をきてもらって、威厳を見せようとしたんだけど…」
なるほど、そういうことか?…
やはり、私の思った通り…私を騙す策略だったか…
私は、思った…
そうでなければ、わざわざ、自分の父親が、和服を着て、私たちを出迎えるなんて、普通は、ありえない…
そんなことを、わざわざするのは、私に見せつけるため…
娘を出迎えるのに、わざわざ和服を着る必要はない…
そして、失礼ながら、眼前の林の父親は、平凡な人物…
丸顔で、威厳もない…
だから、和服を着て、現れることで、威厳を見せようとしたに違いない…
普段、日本人が、滅多に着ない和服を着ることで、威厳を作ろうとしたに違いない…
「…竹下さんって、何者?…」
林が、意外な質問をした。
「…何者って?…」
私は、林の質問に面食らった…
「…私は、平凡な家庭の出身で…」
「ウソを言わないで…」
「…ウソって?…」
林が、物凄い剣幕で、私の言葉を否定する。
「…あの内定者は、すべて、平凡な家庭の出身者は誰もいない…」
「…誰もいない? …ウソッ?…」
「…ウソじゃない! ホント…」
「…ホント?…」
私は絶句した。
絶句しながらも、考えた。
「…だったら、なぜ、杉崎実業に内定したんだ? そんなお嬢様ならば、親のコネで、もっといい会社に受かったり、あるいは、働く必要がなかったりするんじゃ…」
私は言いながら、考えた。
そもそも、眼前のこの林自身が、それに当てはまる…
こんな、大きなお屋敷に住むお嬢様が、一体全体どうして、杉崎実業なんて、世間的に無名の会社に入社するつもりなのだろう?
私は、考えた。
「…それは、高雄のせいよ…」
「…高雄のせい?…」
一体どういう意味だ?
「…高雄がイケメンだから?…」
私は訊いた…
「…それもある…」
林が答える。
それから、
「…まずは、今ここにいる、私と竹下さんを除いて、残りの三人は、皆、お金持ち…」
「…お金持ち?…」
…あの三人が?…
…ウソッ?…
「…でも、皆それぞれ、問題を抱えている…」
「…問題?…」
「…そう…親の力を当てにしないで、会社の内定を勝ち取ろうとしたり、あるいは、親が著名な経営者だから、父親の力の及ばない会社に入社しようとしたり…皆、それぞれ、事情がある…」
林が、断言する。
…凄い!…
私は、感嘆した…
林が、どうして、そんな事情を知っているのかは、わからないが、そんな事情を探る林の能力に感嘆した…
私などは、ただボーッとしていた…
ただ、杉崎実業に来春入社するか、どうか考えていたに過ぎない…
ただボーッと生きてきた…
おそらく、22年間生きてきた…
私は、思った…
この林と私とでは、モノが違う…
おそらくは、林は、あの杉崎実業の内定者を見て、個別に接するか、なにかして、三人の事情を調べたに違いない…
それに比べ、私はただ自分のことだけを考えていた…
叶わない!
とっさに、私は思った…
眼前の林の足元にも、私は、及ばない…
そもそも、今、林が、考えたようなことは、私にはできない…
思いつかない…
私は、これまで、22年間生きてきて、実に、平凡だったと、あらためて、考えた…
ただ、学校の成績や偏差値で、ひとを判断してきたに過ぎないと実感した…
性格のいい、悪い、程度で、人間を判断してきたことを実感した…
学校の偏差値とは、違う頭の良さ…それを、今、眼前の林に見たということだ…
叶わない!
あらためて、実感した…
ひょっとすると、私の家と、このお屋敷以上に、私と、林とでは、生まれ持った能力に違いがあるのでは?と、実感した…
…叶わない!…
あらためて、思った…
私と林では、能力に差があり過ぎる…
ひょっとすると、私の方が、頭は良いかもしれない…
高校や大学の偏差値は、高いかもしれない…
だが、ただ、それだけだ…
眼前の林のように、モノを考えることは、私には、できない…
思いつかない…
私は、考えた。
それから、思った…
…どうする?…
…これから、どうする?…
私は、これから、林にどう接する?
林に、どう対応する?
私は、必死に考えた。
私の思考は、そこに集中した。
そんな私の考えを知ってか、知らずか、林が、私をまっすぐに見た…
直視した…
そして、言った。
「…同じ顔の女が、五人…」
静かに、呟いた。
「…身長も同じ…でも、性格は違う…」
「…性格が違う?…」
「…なにを基準に採用したかは、知らないけど、目的があるのは、見え見え…」
林が、これも静かに、呟いた…
…気付いている!…
私は、とっさに思った…
林は、気付いている…
以前、高雄は、私に、今回の採用は、お嫁さん選び…
自分は、この五人の中から、お嫁さんを選ぼうとしている…
そう断言した…
しかしながら、この五人の中には、真逆に、高雄に選ばれることで、高雄の嫁として、高雄の家に入り込み、高雄の会社を乗っ取ろうとしている…
そんな女がいると、高雄は私に言った…
私は、それを思い出した。
林が、どこまで、気付いているかは、わからない…
ただ、なんらかの目的があって、あの五人の女に杉崎実業が、内定を出したのは、わかっているに違いない…
いや、ひょっとすると、すべて、気付いている可能性もある…
で、なければ、私を含め、自分以外の4人の人間に連絡を取ろうとは、しないのではないだろうか?
と、そこまで、考えたとき、
「…竹下さんって、得よね…」
と、いきなり、林は、私に言った…
「…得? …どうして?…」
…一体、私のなにが得なんだ?…
…さっぱり、わからない…
「…竹下さんって、誰からも好かれるでしょ?…」
…好かれる?…
…私が?…
…どうして?…
「…きっと今もパパに、私が実の娘でなければ、私と竹下さんのどちらかを選べと言われれば、躊躇なく竹下さんを選ぶ…」
…私を選ぶ?…
…そんなバカな?…
…似たような顔で、同じ身長…
…その中で、どうして、私を選ぶんだ?…
「…好かれる人間は、どこに行っても、誰からも好かれる…嫌われる人間は、どこへ行っても、誰からも嫌われる…嫌われる人間を好きなのは、同じように、誰からも嫌われる人間…同じ嫌われ者同士だから、波長が合う…もちろん、波長が合わない場合もあるけど…」
林が笑った…
「…竹下さんは、私なんかと違って、誰からも好かれる…一目見て、誰もが、私でなく、竹下さんを選ぶ…」
私は、林が冗談を言っているのだと思った…
だから、私は、林の顔を凝視した…
だが、眼前の林は、真剣だった…
それゆえ、この同じ部屋にいる、もう一人の人間…
林の父親を見た。
丸顔で、和服を着た林の父親は、やはり真剣な表情で、私を見ていた…
「…竹下さん…私が冗談を言っていると思っているでしょ?…」
「…」
「…でも、冗談じゃない!…」
林が語気を強めた…
「…誰にも好かれる人間は、みんなを味方にすることができる…一人では、できないことを、大勢の人間に助けてもらうことができる…生きていて、これほど楽なことはない…私には、竹下さんの真似はできない…羨ましい…」
…羨ましい?…
…冗談でしょ?…
…こんな大きなお屋敷に住み、あんな大きな高級車を持った林が、私を羨ましい?…
…ウソだ!…
…ウソに決まってる!…
私は、叫び出したい気持ちだった…
こんな大きな家のお嬢様が、私を羨ましいなんて…
冗談にも、ほどがある…
私は、思った…
考えた…
「…ひとは、誰でも、自分にないものを、羨ましがるものです…」
林の父親が、ゆっくりと、口を開いた…
「…康子は、ただの金持ちのお嬢様です…金がなければ、ただの平凡な娘です…」
これもまた、ゆっくりと、林の父親が続けた…
「…だから、竹下さんを、羨ましいんです…一目見て、誰からも、愛されるであろう竹下さんが、羨ましいんです…」
「…私が羨ましい?…」
私は、つい口に出した…
「…そんなバカな…」
これも、つい口に出した…
私は、平凡…
絵に描いたような、平凡な人間だ…
平凡な家庭に生まれ、ルックスも人並み…
自分では、ほどほどの美人と思っているが、それだけだ…
幼いころから、男にチヤホヤされたこともない…
至って、平凡な人生を歩んできた女…
それが、私だ…
「…竹下さんは、自分が平凡だと、思ってるでしょ?…」
林の父親が、私に訊いた…
「…ハイ…思ってます…」
私は即答した。
「…たしかに、竹下さんは、平凡です…ですが、愛される平凡です…」
「…愛される…平凡…ですか?…」
私は、林の父親に訊いた…
「…人間は、誰もが平凡な人間が大半です…手前みそで、恐縮ですが、私の家はお金持ちです…ですが、ただそれだけです…とりたてて、他人様に比べて、優れてるものは、なにひとつありません…これは、美人やイケメンに生まれても、同じでしょう…このひとたちの場合は、ルックスがいいだけです…中身は、大半が平凡でしょう…頭もそう…例えば、今、一年間に生まれる出生数が、百万人だと仮定しましょう…その中で、優れているものは、百人に過ぎないとすれば、残りは、皆、平凡です…」
「…皆、平凡…」
「…だから、誰もが、平凡の中で、競争しなくてはいけない…すると、ひとと違う武器が必要になる…そして、竹下さんには、それがある…」
「…私に武器がある?…」
「…誰かも愛される…それが、竹下さんの武器よ…」
林が、口を出した。
「…高雄さんも、それに気付いた…」
…気付いた?…
…どういうことだ?…
「…高雄さんは、真っ先に、竹下さんに接触したでしょ?…」
…私に接触?…
私は、驚いて、林を見た…
「…高雄さんは、真っ先に偶然を装って、竹下さんと、同じ電車に乗り、竹下さんと接触した…」
…まさか?…
…この女、あの光景を見ていたのか?…
…いや、仮に見ていなくても、これほどの金持ちだ…誰か、探偵のようなひとを雇うか、なにかして、高雄を見張っていたに違いない…
私は、それに気付いた…
「…私にとって、驚いたというか、問題だったのは、高雄さんが、誰に最初に接触するかということ…高雄さんは、真っ先に、竹下さんに接触した…それが、一番、驚いた…」
「…どうして、一番、驚いた?…」
「…誰もが、同じでしょ? 誰に真っ先にアプローチするか、それが、問題というか、それを見ている…それに注目している…」
「…」
「…同じ顔…同じ身長の五人の女…なにか、目的があって、選んだのは、わかるというか、想像がつく…」
「…でも、それは、ただ単に私が話しやすいんじゃ…私は、この通り…自分で言うのも、なんだけど、軽いし…だから、高雄さんも、真っ先に、私に声をかけたんじゃ…」
「…それも、考えた…」
短く、林が答えた…
「…でも、それだけじゃない…やっぱり、竹下さんには、魅力があるということ…それは、あの大場さんも認めていた…」
「…大場?…」
思わず、声に出した。
あの大場は、あの内定に集まった五人の中で、一番、強烈というか、キャラクターが立っていた(笑)…
あの大場が、私を認めていたとは?
しかも、
しかも、だ…
あの日、大場とやりあったのは、この林…
林だ…
にも、かかわらず、あの大場とも、すでに連絡をとっていたとは?
恐れ入るというか?
感服する…
この林の行動力と、洞察力に、感服する…
私には、できない…
無理…
無理筋だ…
それを考えると、やはり、今、この瞬間、私を愛されキャラと断言した、この林父子は、油断できない…
私を愛されキャラと持ち上げて、私を油断させて、うまく操ろうとする疑惑は拭いきれない…
なにしろ、私自身が、元々、この林の足元にも、及ばない能力しかないことは、今の林の言葉で、証明済みだ…
何度も言うが、私は、あの杉崎実業の内定に集まった五人の女…
私を含めた五人の女の素性を調べようとする発想すらなかった…
たしかに、私は、林のように、お金持ちでもなんでもないから、もしかしたら、林は、探偵かなにを雇って、高雄の行動を監視したり、あるいは、私を含めた、他の四人の素性を調べ上げたのかもしれない…
しかし、お金のあるなしに関わらず、私は、そんなことは、思いつきもしなかった…
林を含めた、私以外の四人の素性を調べ上げようなんて、考えもしなかった…
まして、内定者同士、連絡を取り合うなんて、発想は、皆無…
思いつきもしなかった…
だから、私と林の能力の違いは、天と地ぐらい、歴然と差がある…
その事実を、自分自身忘れないように、しないと、大変なことになる…
愛されキャラとおだてられ、元々思慮分別が浅い、私が、この林父子に、容易に、利用されたり、はしごを外されかねない…
裏切られかねない…
だから、油断はできない…
…承知!…
私は、心の中で、叫んだ!
自分自身に叫んだ!
うっかり、おだてに乗りかねない、自分自身に警告する意味で、林父子に警戒しろ、と、自分自身に、言い聞かせた…
それをしないと、容易に利用されかねない…
それは、この林父子だけではない…
あの杉崎実業の内定に集まった残りの3人の女…
そして、高雄にも、だ…
誰が、なにを狙っているかは、わからないが、おそらくは、あの中で、一番、とろいのが、この私、竹下クミに違いない…
それを自分自身に言い聞かせないと、大変なことになる…
大変なこととは、なんなのかは、今の時点でわからないが、とにかく、良い状況でないことは、確かだ…
私は、あらためて、自分自身に言い聞かせた…
「…どうしたの? 竹下さん?…」
林が、聞いたことで、私は思考を停止した…
私は、一瞬、考えたが、素直に、
「…いや、林さんって、あの内定に集まった五人の中で、大場さんとやりあったというか、口論したから、その大場さんと、連絡を取っていたというのは、意外というか…」
「…ああ…それ…」
林は、軽く言って、ケラケラと笑った…
「…確かに、あのときは、やりあった…でも、私も大場も大人だから、自分たちの目的が同じならば、協調すると言うか、助け合うと言うか…」
「…目的?…」
「…要するに、内定に集まった女たちの素性…そして、高雄悠の正体…」
「…高雄の正体?…」
「…高雄は、ヤクザの息子よ…間違いはないわ…」
林が、当たり前のように言った…
「…ヤクザの息子?…」
わかっていたことだが、林から、その事実を告げられると、やはり動揺した…
「…高雄総業っていう、大きな組の息子さん…高雄総業は、あの杉崎実業を乗っ取ったの…だから、あの若さで、親会社の専務なの…」
「…」
「…どうしたの? 驚かないの?…」
林が、楽しそうに、私に言った…
楽しそうと言うより、むしろ私をからかうかのようだ…
私は、林にどう言っていいか、わからないので、黙っていた…
うっかり、不用意なことを言うのは、避けるべきだ、という勘が働いた…
うっかり、口をすべらせて、それを林が、どう感じるかは、わからないからだ…
「…まあ、そんなことは、竹下さんも、驚かないわね…あの内定に集まった全員が、承知済み…」
「…」
「…そして、それは、あの高雄悠も承知済み…」
「…高雄さんも承知済み?…」
「…そう…」
「…だったら、高雄の目的って、なんだ? …いや、林さんの目的は? 大場さんの目的は? いや、大場だけじゃない…あの内定に集まった女たちの目的は?…」
「…杉崎実業の業務…」
「…業務?…」
「…杉崎実業は、中国政府に食い込んでる噂があるの…だから、それを皆、狙っている…」
「…」
「…いわば、飯のタネというか、儲けのタネを持っている…」
「…だったら、高雄は、高雄の目的は?…」
「…それはわからない…ただ一つだけ、確かというか、わかっていることは、ある…」
「…なに?…」
「…高雄さんは、おそらくヤクザではない道を模索していると思う…」
「…どういうこと?…」
「…お父様は、有名なヤクザだけれど、自分は、ヤクザから離れ、独り立ちするか、あるいは、マフィアではないけれど、いずれは、会社を正業に衣替えしようとしている…」
「…会社の衣替え?…」
「…つまりは、今はヤクザだけれど、いずれは、ヤクザを辞めたいと言うか、ゴッドファーザーの最後がそうだったのよ…それを目指しているというか…」
「…」
「…要するに、高雄組全員が足を洗ってヤクザを辞めて、いずれは、まっとうな会社に衣替えさせようしている…」
「…そんなこと…」
私は絶句した。
…高雄はヤクザ?…
…やっぱり、高雄はヤクザなのか?…
私は、動揺した…
みっともないほど、動揺した…
あんな、おとなしそうで、真面目な高雄がヤクザだなんて…
驚いた…
ホントに、驚いた…
世の中、なにがあるか、わかったものじゃない…
私は考える。
そんな私を見て、林が、
「…竹下さん…どうしたの?…」
「…どうしたもなにも、高雄がヤクザなんて…」
私は息せき切って、言った…
「…おかしな…竹下さん…」
林が、笑った…
「…最初に、高雄さんが、ヤクザの息子だと聞いたときは、少しも驚かなかったくせに…」
林が指摘する。
…言われてみれば、その通り…
…その通りだ…
さっき林に指摘されたときは、驚かなかった…
それは、自分でいうのも、なんだが、以前、高雄の身元をネットで調べたときに、高雄総業がヒットして、それが、有名なヤクザであることを知っていたから…
だから、驚きはなかった…
なんとなく、気付いていたというのが、正しいというか…
それに、高雄から渡された、電話番号に電話して、
「…ハイ…こちら、高雄組です…」
と、いかにも、その筋のひとのだみ声が、電話口から聞こえてきたこともあった…
しかし、それが、やはりというか、林から、高雄の正体を聞かされて、最初こそ、以前から、薄々気付いていたから、さして、動揺はなかったが、次第に、やはり、大変なことだと、気付いた…
この平凡で、ヤンキーが大の苦手な竹下クミが、そんな大物のヤクザの息子と接していたなんて…
ありえないというか、信じられない出来事だった…
時間が経って、徐々に、その重要性に気付いたというのが、真相だった…
「…あの高雄さんが、ヤクザだなんて…」
ポツリと、私は呟く。
「…あんなに、真面目で、爽やかな高雄さんが、ヤクザだなんて…」
私は、言いながら、ガッカリした…
落ち込んだ…
同時に、やはり、杉崎実業の内定は、辞退しようと、思った…
いくら、他社から内定をもらえないとしても、ヤクザ関連の会社に勤めるのは、堪ったものではないからだ…
内心、そう決意したときだった…
「…高雄さんは、ヤクザじゃないわ…」
意外なことを、林が言った…
…ヤクザじゃない?…
…どういうことだ?…
私は、ビックリして、林を見た…
「…高雄さんは、ヤクザじゃないって、どういうこと?…」
「…ヤクザは、あくまで、高雄さんのお父様…高雄さんは、ヤクザじゃない…」
「…ヤクザじゃない? でも、だったら、どうして、専務なんですか?…」
「…それは、高雄さんのお父様の作った会社の重役をしているだけ…高雄さんは、ヤクザじゃない…」
「…ヤクザじゃない…」
私は、言いながら、少しホッとした…
高雄は好きだ…
あの優しそうなルックス…
あの爽やかな外観…
憧れる…
そんな高雄が、ヤクザじゃないって、わかったことで、少しばかり、ホッとした…
「…高雄さんは、おそらく、さっきも言ったように、将来的に、お父様の会社を正業にしたいのだと思う…」
「…正業って?…」
「…ヤクザじゃない、キチンとした堅気の会社…それを狙ってるのだと思う…」
「…どうして、そんなことがわかるんですか?…」
「…調べたからよ…」
「…調べた?…」
「…さっきも言ったように、高雄さんのことも、あの杉崎実業の内定者もことも…」
意味深に林が言う。
私は、黙って、林を見た…
そして、林の父親を見た…
それから、考えた…
どこまで、本当のことを言っているのか、考えた…
何度も言うように、私は思慮が浅い…
だから、今も、林の言っていることを、鵜呑みにする危険がある…
仮に林が、私にウソをつき、騙そうとしている可能性があるとする…
思慮の浅い私は、簡単にそれに騙されかねない…
私は、考えた…
まるで、3歳児かなにかを騙すように、この竹下クミは、林にとって、簡単に騙せる相手なのかもしれないと、思った…
そして、言った…
話を変えようとしたのだ…
「…さっき、ゴッドファーザーが、どうとかこうとか言ったけど…」
「…ゴッドファーザーが、どうしたの?…」
「…ゴッドファーザーって、なんだ?…」
私は言った。
林が、私の言葉に驚いた。
私によく似た顔が、驚きに変わった…
まるで、テレビや映画で見るように、わざとらしいまでに驚いた顔になった…
そんな、わざとらしいまでに、驚いた顔を間近で見たのは、初めてだった…
「…ゴッドファーザーを知らないの?…」
林が、いきなり、素っ頓狂な声を上げた。
「…知らない…」
私は、小さく答えた。
本当ならば、もっと、堂々と、大きな声で、言いたかったが、さすがに、この雰囲気では、言えなかった…
「…まさか、ゴッドファーザーを知らないなんて…」
林は、一転して、当惑した表情になった…
「…それは、なに?…」
私は訊いた。
「…映画よ…」
林が答える。
「…映画?…」
「…アメリカで、マフィアのことを描いた映画?…」
「…マフィア? …マフィアって、なんだ?…」
私は、聞いた。
事実、私は、マフィアって、言葉は、これまで、聞いたことがなかった…
「…マリファナかなにかか? それなら聞いたことがある…」
私の言葉に、目の前の林が、まるで、発狂しそうな表情になった…
今すぐ、頭を抱えんばかりの苦悩の表情になった…
他人のそんな表情を、間近で見たのも、初めてだった…
娘のそんな姿を見かねたのか、林の父親が、
「…お嬢さん…マフィアというのは、日本のヤクザのようなものです…」
「…ヤクザのようなもの?…」
「…日本では、暴力団は、ヤクザと呼びますが、アメリカでは、当然そうではない…違う呼称と言うか、違う呼び名です…」
林の父親が、優しく穏やかな口調で、丁寧に説明する。
別の言い方をすれば、優しく子供に諭すようだった…
「…それで、そのゴッドファーザーが、どうかしたんですか?…」
「…その映画が、昔、大ヒットして、いくつもシリーズが作られました…ちょうど、今でいえば、名探偵コナンですね…実写とアニメの違いはありますが…」
と、これも、林の父親が、穏やかに説明した。
「…そのゴッドファーザーは今も言ったように、日本で言えば、ヤクザの物語なんです…ですが、そのゴッドファーザーのシリーズの最後で、主人公は、ヤクザを辞めて、日本で言えば、堅気の仕事に就こうとするんです…これは、主人公がヤクザを辞めて、堅気につくという話ではなく、要するに、組織全体で、ヤクザを辞めて、暴力団ではなく、真っ当な堅気の会社として、生まれ変わることを目指したわけです…」
林の父親が、仰天の言葉を言った。
なぜ、仰天の言葉かと言うと、林の父親が言った言葉は、到底現実にできることとは、思えないからだ…
私は、
「…それは、コメディかなにかですか?…」
と、つい、言ってしまった。
「…いえ、コメディではありません…」
林の父親が、真顔で、返した。
「…でも、そんなこと、できるわけ…」
私はつい口を滑らせた。
…できるわけがない…
…この前まで、暴力団…ヤクザだった組織が、真っ当な堅気の会社に生まれ変われるわけがない…
私は、思った…
「…お嬢さんが、おっしゃることは、正しいというか、当たり前です…」
林の父親が言った…
「…ただ、やはりイマドキのお嬢さんだ…コメディと言うとは…」
林の父親が苦笑する。
それから、一転して、
「…たしかに、コメディと言われれば、コメディかもしれない…誰もが、考えもしないことだ…ヤクザが生まれ変わって、正業に就く…それ自体は、目新しいものでもなんでもないが、いわゆる昨日まで暴力団だった組織が、簡単に、例えば、建設会社や、運送会社に衣替えできるわけがない…」
林の父親が言った。
「…でも、それを高雄さんは、目指しているわけ…」
林が、口を挟んだ…
「…ウソ?…」
私は、これもつい言ってしまった…
「…ホント…」
林が短く答える。
「…それって、本気?…」
と、私。
「…もちろんよ…」
林が言った。
私は、林の顔を見た。
私によく似た、林の顔を見た。
林は、本気だった…
本気で、言っていた…
私は、頭がおかしいのでは? と、思った…
そんなこと、できるわけがない…
そんなことを、本気でできるなんて、考えるのは、頭がおかしいに違いない…
頭がどうかしているに、違いない…
私は、思った。
ということは、やはり、あの高雄と私は距離を置くべきか?
やはり、自然と、話は、そこにいった…
そんな、できもしないことを、本気で考える人間と、付き合うわけには、いかないからだ…
まして、結婚するかもしれない…
私を含めた五人の女の中の一人と結婚すると、断言した高雄…
つまりは、私、竹下クミも高雄と結婚する可能性が、五分の一あるということだ…
だが、そんな頭のおかしな人間とは、さっさと距離を置くに限る…
いかに、爽やかで、性格が良く、ルックスもいい高雄でも、これ以上、付き合うわけには、いかない…
付き合うわけには、いかないのだ…
私は、頭の中で、繰り返した。
そんな私の心の内を知ってか、知らずか、
「…高雄さんは、高雄組を、すべて、衣替えして、正業にしたいわけじゃないと思う…」
と、林が、口を出した。
…なに?…
…どういうことだ?…
私は、慌てて、林を見た…
「…高雄さんは、おそらく、ベンチャー企業を目指してるんだと思う…」
「…ベンチャー企業? …どういうこと?…」
「…つまりは、お父様からの資金の提供を受けて、会社を作る…それを、高雄組の事業の一環というよりは、高雄悠個人の設立した会社という立ち位置で、あくまで、会社は、高雄さんの個人事業というか…」
「…」
「…要するに、高雄さんにとって、父親は、スポンサーに過ぎないということ…」
林が、断言する…
…なるほど、辻褄は合う…
私は、思った…
たしかに、いわゆる暴力団=ヤクザが、衣替えして、正業に就く…
つい昨日まで、高雄組と呼ばれたヤクザが、今日からは、全員が、高雄建設や高雄運送ですと、名乗れるほど、世の中は甘くないというか…
だから、そんなことは、無理筋というよりも、ありえない選択…
映画や、テレビ、漫画の中では、あっても、現実には、ありえない物語だ…
そんなことは、この竹下クミにも、わかる…
このとろい、竹下クミにもわかる…
だから、ゴッドファーザーが、堅気になろうとするのは、コメディなのだ…
画面では、いかに、重厚で、重々しく、見せようと、やってることは、まるで、バカ殿だ…
そんなことは、一歩引いてみれば、誰にもわかることだ…
それは、現実ではなく、架空の物語に過ぎない…
ありえない話を、重々しく見せることで、いかにも、本当のことのように、見せているだけだ…
世の中には、できることと、できないことがある…
今も林が言った、高雄組全員が、堅気になって、高雄建設や高雄運送を名乗ることは、できないこと…
しかしながら、高雄が、資金力のある、実の父親から、金を借りて、自分の会社を立ち上げて、独り立ちすることは、それほど荒唐無稽のことではない…
それは、できることだからだ…
ただし、いずれ、遅かれ早かれ、高雄組との繋がりは、世間にバレる…
そのとき、高雄はどうするのだろうか? ということだ…
私は思った。
考えた…
しかし…
しかし、だ…
今さらながらというか、よくも林は、こんなにも、高雄のことを調べ上げてるな、と思った…
…まったく、もって、油断できない…
そう強く思う…
それが、偽りのない本音だった…
私にとって、林にしろ、高雄にしろ、いずれも、来春入社する予定の、杉崎実業の同僚とか、つまり、杉崎実業の関係者に過ぎないと、思っていた…
その程度の関係に過ぎないと思っていた…
事実、私は、これまで、そう見ていた…
しかし、林は違った…
最初から、違った目で、私たちを見ていた…
いや、
林だけではない…
残りの内定者、3人もまた、林同様、単純に、来春、杉崎実業に入社する予定の同期とは見ていなかったに違いない…
私だけ、それに気付かなった…
この竹下クミだけ、気付かなかった…
その可能性が高い…
相変わらず、とろい!
あらためて、思った…
率直に言って、自分がとろいのは、わかっている…
いかに、とろい、私でも、すでに22歳…
小学生の子供ではない…
お子様ではない…
いかに、とろくても、自分自身を客観的に評価できる…
しかし、相変わらずというか、自分が、思っていたよりも、自分は、とろかった…
それが、今回の一件で、わかった…
普通なら、
…承知!…
と、ここで、言いたいところだが、それもできなかった(涙)…
とろすぎる…
バカ過ぎるのだ…
そう考えると、自然に気持ちが落ち込んだ…
それが、表情に出たのだろう…
「…どうしたの、竹下さん?…」
林が私に声をかけた…
私は、しばし、悩んだが、
「…いや、みんな私と違って、優秀だと思って…」
と、小さく言った…
まさか、自分がとろすぎて、嫌になるとはいえない…
また、林は、そんなにも、高雄のことを調べ上げていたのか、なんてことも言えない…
だから、
「…いや、みんな私と違って、優秀だと思って…」
と、わざと曖昧に言葉を濁した…
「…そうね…その通りかも…」
林は、あっさりと言った。
…なにっ?…
私は、驚いた。
普通は、誰でも、こんなときは、
「…そんなことない…」
と、いうものだ…
わかっていても、
「…そんなことない…」
と、否定するものだ…
慰めるものだ…
それを、この女は!
私は、ジッと、林を見た…
凝視した…
「…いえ、竹下さんに言っているわけでないの…」
慌てて、林は否定した…
「…これは、私、私自身に言っているの…」
…なにっ?…
…私自身?…
…どういうことだ?…
「…きっと、残りの3人は、すでに動いている…」
「…動いている?…」
「…おそらくは、すでに高雄さんに接触している…いえ、全員ではない…でも、高雄さんに接触している者は、間違いなくいる…そして、それ以外の行動を起こしている者もいるに違いない…」
「…それ以外の行動?…」
どういう意味だ?
私は考える。
「…高雄さんのお父様に接触している者もいる可能性がある…」
…高雄のお父様?…
…たしか、高雄組という有名なヤクザの組長のはずだ…
「…でも、高雄さんのお父様は…」
私は言った。
「…高雄組の組長と言うのでしょ?…」
私は、黙って、首を縦に振って、頷いた。
「…もちろん、高雄さんのお父様に接触するといっても、高雄組ではないわ…」
「…高雄組じゃない? …それってどういう…」
「…フロント企業…」
いきなり、林は言った…
…フロント企業?…
…たしか、以前、大場が口にした名前だ…
私は、考える。
「…つまり、高雄組が、実質、経営する、会社に接触している可能性もある…」
林が断言する。
私は、林のその顔を見て、林の言っていることは、本当だろうと、思った…
少なくとも、ウソを言っているようには、思えない…
あるいは、私相手に、ウソを言っている可能性は、ゼロではないが、それを疑えば、切りがなくなるというか…
だから、私は、林を信じることにした…
しかし、
しかし、だ…
私と林を除いた、3人の女…
その女たちが、もしかしたら、高雄の父親にまで、接触している可能性があるなんて?
…
私は、考える。
たしか、さっき、杉崎実業は、中国政府に食い込んでる可能性があると、林は言っていたな…
狙いは、そこか?
つまりは、杉崎実業の持っている中国ルートが、欲しいがために、この目の前の林も、高雄に接触しようとしていた…
この林は、当たり前だが、お金持ち…
こんな豪邸に住むお金持ちだ…
目の前の、この林の父親もまた、会社を経営しているに違いない…
そして、この林の父親もまた、杉崎実業の持つ、中国ルートというか、中国政府とのパイプが欲しいに違いない…
おそらく、商売の儲け…
莫大な儲けを、そこに見たに違いない…
…承知!…
私は、内心、自分自身に叫んだ…
声にこそ、出さないが、自分自身に叫んだ…
ようやく、高雄の目的が見えてきた…
いや、高雄ではない、私を除いた4人の女の目的が見えてきた…
わかってきた…
しかし、
しかし、だ…
わからないこともある…
どうして、私が選ばれたか?ということだ…
そんなお金持ちの娘たちの中に、どうして、この平凡な竹下クミが、いるのかということだ…
私は、思った…
と、そこまで、考えて、あの高雄悠の言葉を思い出していた…
高雄は、この林が、指摘したように、以前、偶然を装い、あの電車の中で、私に近付いた…
接触した…
そして、そのときに、高雄は私に言った…
「…自分もまた、別の家庭に育ったと…」
つまりは、高雄は、幼少時は、高雄組の組長の息子ではなく、どこか、別の家庭に育ったに違いない…
それが、運命のいたずらというか、変遷で、高雄組の組長の息子になった…
そして、あのとき、高雄は、こうも言った…
「…ボクが、こんな生活をするのは、その当時は想像もできなかった…」
と…
そして、同じような環境の女が、私たち5人の中にいるとも言った…
つまりは、私、竹下クミは、それで、選ばれたに違いない…
要するに、本人は知らないが、本当は、別の家庭で育って、今いる家庭にもらわれた…
そう言っていた…
だから、私は選ばれた…
私の両親は否定したが、少なくとも、高雄は、そう見たに違いない…
そう、睨んだに違いない…
いや、
高雄ではない…
私、竹下クミを選別した人間は、そう判断したに違いない…
同時に、高雄は言った…
高雄自身が、幼少時に、その娘と出会っていると…
2、3度に過ぎないが、出会っていると…
面識があると、語っていた…
つまりは、もしかしたら、その娘は、高雄同様、有力ヤクザの娘である可能性が高い…
もしかしたら、私も、有力ヤクザの娘かもと、高雄は、睨んだに違いない…
同時に、また考えた…
高雄もまた、この5人の女に食われる可能性があると、以前、私に語っていた…
要するに、自分は、相手を利用しようとしているが、相手もまた高雄を利用しようとしている…
そう、ほのめかした…
高雄は、おそらく、その有力ヤクザの娘と結婚することで、高雄組の勢力拡大を画策しているのだろう…
高雄組の所属する山田会は、日本で二番目に大きなヤクザ組織だそうだ…
その山田会は、今、会長が倒れて、次期会長が誰になるか、大騒ぎになっているらしい…
高雄組と、稲葉一家というのが、山田会の二大勢力で、高雄組の組長は、山田会の会長になる可能性がある…
そのときに、高雄組が今以上に、勢力を拡大すれば、当然、高雄の父親は、山田会の次期会長になれるだろう…
しかし、同時に、高雄の足元をすくおうとするというか…
それをチャンスに、高雄と結婚して、高雄組を乗っ取ろうとしている勢力があると、高雄は言っていた…
いや、たしか、高雄組とは、名乗っていないが、実質上、高雄の父親の会社を乗っ取ろうとする勢力があると、高雄は私に言っていた…
高雄の父親の組織を乗っ取ろうとする勢力…
これは、普通に考えれば、高雄の父親と、対立する勢力ではないのだろうか?
つまり、山田会内部の争いではなく、もっと大きな組織…
そして、それは、高雄の父親の組織よりも、大きな組織では、ないのだろうか?
そうでなければ、高雄の父親の組織を乗っ取ることなど、普通はできない…
大が小を飲むのは、道理だが、小が大を飲むことは、普通はできないからだ…
つまりは、それを承知で、高雄は、お嫁さん選びに動いている…
別の見方をすれば、高雄もまた追い込まれているというか…
切羽詰まっているともいえる…
そうでなければ、高雄自身もまた、そんな危険な、お嫁さん選びなど、しないだろう…
まさに、イチかバチかだ…
成功すれば、いいが、失敗すれば、目も当たられない…
すべてをなくす危険もある…
それでも、それを実行するのは、それだけ、高雄もまた追い込まれてるのでは? と、私は考えた。
そして、もしかしたら、今、目の前にいる、林父娘…
この林父娘もまた、高雄を食おうとしている一人なのかもしれない…
私は、ようやく、そのことに気付いた…
油断はできない!
私は、悟った…
私以外の4人に隙を見せてはならない…
私は深く、肝に銘じる…
自分自身に、悟らせる…
承知!
私はいつものように、内心、呟いた…
いつものように、声を出さずとも、自分自身に、呟いていた…
それから、まもなくだった…
林父娘と、会って、数日後…
高雄の父親の組、高雄組の所属する、山田会の会長が亡くなったことが、テレビや、新聞、ネット等で、報じられた…
私は、唖然とした…
事態が大きく動き出すに違いない…
そんな予感がしたからだ…
事実、大きく動き出した…
そして、それは、なぜか、この竹下クミの人生をも、大きく変える出来事になった…
この平凡な竹下クミの人生を変えることになった…
ありえない展開だった…
神様のいたずらに違いなかった(涙)…
…山田会の会長が死去した…
それは、激震だった…
日本の極道会において、山田会は、あまりにも大きく、有名だった…
当たり前だ…
山田会は、日本で、二番目に大きな組織…
その会長が亡くなれば、当然、騒動になる…
そう思っていたし、事実、騒動になった…
しかしながら、その騒動は、期待したほど、大きくはなかった…
いや、期待したといっては、語弊があるが、ヤクザ映画ではないが、もっとドンパチの抗争があって、血を血で洗うといえば、オーバーだが、少なくとも、そんなド派手な抗争が繰り広がれるものと思っていた…
だが、違った…
ネットや週刊誌で、話題になったのは、やはりというか、山田会の次期会長は、稲葉一家か高雄組のどちらかの組長だろうということばかりで、抗争のこの字もなかった…
これは、以外と言うか…
やはり、今のご時世、抗争は御法度…
そんなことをすれば、ヤクザは生き残れないと、世間で、言われている通りなのだろう…
私は、思った…
当然、私、竹下クミは、一般人…
ヤクザのヤの字も知らないし、ヤクザの業界の事情なんて、もってのほか…
全然、知らない(笑)…
だから、実際には、テレビやネット、新聞等で、話題にならないだけで、小さな抗争は起きているのかもしれないが、そんなことは、私には、わからない…
当たり前だ(笑)…
ただ、私にわかったというか、興味を引いたのは、高雄組の組長という人物の写真を見れたことだ…
今回以外でも、ネットを探せば、すぐに、高雄組の組長の写真を探すことはできるだろうが、正直、そこまではしなかった…
関心がないわけではないが、なんとなく、そこまでするのは、ちょっと? と、思ってしまっていた…
ちょうど、怖いもの見たさの反対…
…真逆の感情といっては、おかしいのかもしれないが、高雄組の組長の写真を見ることで、なんとなくではあるが、より、高雄と親密になると言うか? …近付くというか?…
高雄は好きだが、そこまですることで、より私、竹下クミが、高雄に距離が近付き、いずれは、高雄と結婚ということにもなるかもしれない…
だが、それは、困る…
高雄は好きだが、結婚は困る…
いや、高雄自身は、好きだが、ヤクザの組長の息子では、困るということだ…
だから、高雄の父親の写真を、ネットで探さなかった…
これ以上、高雄を好きになるのは、困る…
困るのだ…
ゆえに自分にブレーキをかける意味でも、高雄の父親の写真をネットで探すような真似はするべきではない…
そう、思った…
そう、考えた…
もしかしたら、高雄は将来、高雄組の組長になるかもしれない…
私は、自分の夫が、ヤクザになることは、嫌だ…
なにしろ、私、竹下クミにとって、ヤンキーやヤクザは、大の苦手…
蛇も、ムカデも苦手だが、ヤンキーもヤクザも苦手だった…
とにかく、暴力が苦手なのだ…
もっといえば、暴力の匂いのする相手が、苦手なのだ…
これは、男女の区別なく、苦手だった…
とても、この平凡な竹下クミに、対抗できる相手ではないからだ…
だから、私は、高雄の父親の写真も見なかった…
これもまた、私が高雄の父親の写真をネットで、探さない理由のひとつだった…
きっと、ゴツイ、ゴリラのような、いかにも獰猛というか、悪そうな顔をした男に違いないからだ…
しかし、偶然、目にした姿は、まったく違っていた…
テレビで、偶然、目にした姿は、すらりとした、長身のサラリーマン風の男だった…
暴力のぼの字もない…
むしろ、穏やかと言うか、優しそうな雰囲気の男だった…
そして、その穏やかな雰囲気は、どこか、高雄に似ていた…
無論、他人のそら似ではない…
最初から、高雄の父親と、知らなければ、高雄と比べることもなかっただろう…
だから、当然、気付かなかった…
だが、高雄の父親と知ってみれば、どこか、共通点を探してしまう…
当然のことだ…
その長身と、優しく穏やかな表情は、やはり高雄の面影があった…
やはり、父子だ…
血の繋がりは、隠せない…
同時に、こんな穏やかな雰囲気の男が、ヤクザなんて? と、思った…
あまりにも、これまで、私が思い描いてきたヤクザとは、違った…
私が、想像したヤクザとは、違った…
ヤクザといえば、もっとゴツイ、凶暴な男だと思っていた…
これが、今風のヤクザなのかなとも、思った…
やはり、ヤクザも時代の雰囲気は読むと言うか、掴む…
いや、ヤクザだけではない…
どんな業界もそうだろう…
時代は変わる…
世の中は、変わる…
その中で、変わることで、世の中で、生き残るものと、変わらないことで、世の中で、生き残るものがある…
世の中の大多数は、変わることで、生き残る…
ヤクザも例外ではないのだろう…
しかし、ごく少数だが、変わらないことで、生き残るものもある…
その代表が、相撲や歌舞伎、茶道や、華道だろう…
いつの時代でも、変わらないことで、大衆の人気を集めることができる…
また、下手に変われば、大衆から見捨てられる…
例えば、大相撲に人気に陰りが出たときに、現代風のラップの音楽でもかけて、入場したりするとしよう…
だが、それでは、まるで、プロレスだ…
仮に、そんなことをすれば、一時は、目新しさに、観客が増えるかもしれないが、それまで大相撲を支えてきた大多数のファンが離れ、いずれ、消滅の危機を迎えることになるに違いない…
私は、思った…
ただ、ヤクザに関して言えば、いわゆる、シノギ=収入を得る手段も、変化しているのだろう…
昔と今とは、違う…
その代表が、いわゆるフロント企業だろう…
ヤクザが、自分の名前を表に出さす、企業を経営する…
高雄組が、杉崎実業を実質、経営しているのも、それだろう…
そして、今、杉崎実業を舞台に、なんらかの騒動が起きる気配がある…
その代表が、あの林だろう…
あんな大金持ちの超がつく、お嬢様が、世間的に無名な杉崎実業に入社しようとしているのが、その証拠だろう…
私は、考える。
そして、思った…
やはり、このまま、来春、あの杉崎実業に入社してもいいのか、どうか、迷った…
やはり、ヤクザが関係していると思うと、怖い…
それが、偽らざる本音だった…
と、同時に、興味も沸いた…
あんな世間で、無名な杉崎実業なんて、会社に、あんな林のような大金持ちの娘が入社するという…
しかも、
しかも、だ…
林に言わせれば、自分=林以上のお金持ちも、残りの三人の中にいるという…
一体、それは、どういうことだ?
林が言うには、杉崎実業には、密かに、中国ルートというか、中国政府と繋がっているルートがあって、それを皆、密かに狙っているという…
そう言われれば、納得できる話でもある…
そして、実は、私、竹下クミは、そんな話に興味津々というか、非常に惹かれる…
心惹かれるのだ…
だって、そうだろう?…
杉崎実業なんて、世間的に無名の会社に、林のような大金持ちの娘が入社して、しかも、それ以上の大金持ちが、残りの三人の中には、いるという…
しかも、杉崎実業を舞台に、ヤクザ業界、№2の山田会の次期会長になるかもしれない、高雄組が絡んでいる…
これ以上、血沸き肉躍る展開はない…
私は、ヤクザやヤンキーは苦手だが、ボクシングも、ホラー映画も苦手ではない…
いや、
苦手どころか、好き…
ハッキリいって、バトルが好き…
戦いを見るのが、好きだ…
暴力やケンカは嫌いだが、テレビで、格闘技を見るのは好き…
それも、超がつくぐらい好きだ(笑)…
そして、思った。
自分勝手な理屈だが、私が、来春、杉崎実業に入社しても、私に害は及ばないのでは?と、思った…
なぜなら、私以外の四人は、あの林を筆頭に超がつくお嬢様…
お金持ちのお嬢様だ…
その四人が、入社するのだ…
まさか、身の危険を感じるかもしれないのに、入社するわけがない…
親が、入社させるわけがない…
当然、当時者である、私と同じ内定者4人は、難しいことは、わからないかもしれないが、四人を入社させようとした親は、わかっているに違いない…
そもそも、自分の娘に危険が及ぶかもしれないのに、入社させる親はいない…
別の言い方をすれば、自分の娘に危害が及ばないとわかっているからこそ、入社させるに違いないということだ…
すると、どうだ?
私は、思った…
もしかしたら、私は、最前線で、その争いを見ることができるのではないのだろうか?
ボクシングでいえば、リングサイドの特等席で、その争いを見ることができるのではないか?
不意に、気付いた…
そして、それは、私にとって、願ってもない出来事…
大好きなボクシングを見るように、リングサイドの特等席で、ボクシングを生で、見ることができるのだ…
これ以上、楽しいことはない…
それに、もしかしたら…
私は気付いた…
何度も言うように、私以外の四人の杉崎実業の内定者は、お金持ち…
だから、入社後に仲良くなれば、杉崎実業よりも、もっと大きな会社を紹介してくれるかもしれない…
私は、その可能性に気付いた…
…承知!…
そこまで、考えた私は、来春、杉崎実業に入社することを決めた…
だから、声に出して、
…承知!…
と、呟いた…
考えに考えた結果、杉崎実業に入社することは、メリットだらけで、デメリットは、なにもないことに、気付いたからだ…
これは、もしかしたら?
もしかしたら、私に大きな風が吹いている…
とんでもなく、大きな風が、吹いている…
私のカラダに幸福の風を吹いている…
私のカラダを、その大きな風が、どこか、幸運の地に、一気に運ぶかもしれない…
突如、そんな気がした…
それから、まもなくだった…
私の身に、幸運の風が吹いた。
文字通り、幸運の風が吹いた…
あの高雄が、私にプロポーズをしたのだ…
高雄のプロポーズ…
それに、最初は、私は気付かなかった…
というのは、プロポーズの形をとっていなかったからだ…
後年、このときのことを振り返ると、私は赤面する…
とろい…
とろすぎる…
あまりにも、とろすぎるのだ…
きっかけは、やはりというか、私のバイトするコンビニでの店長の一言だった…
「…竹下さん…」
「…ハイ…なんですか?…」
私はバイト中だったので、当然、店長の言葉は、この商品を棚に置くのを手伝ってなど、コンビニのことだと思っていた…
「…竹下さんって、今度、結婚するの?…」
いきなり、店長の葉山が、私に訊いた…
一瞬、なんのことだか、わからなかった…
自分でも、一体、なにを言われたのか、わからなかったので、ポカンとした表情になった…
それを見て、店長の葉山もまた、繰り返した…
「…竹下さん、結婚するんじゃないの?…」
「…けっ…結婚?…」
私は、驚いて、口に出した…
どうして、いきなり、結婚になるんだ?
いや、問題はそこじゃない!
どうして、いきなり、葉山は、私が結婚なんて、言い出したんだ?
問題は、そこだ!…
私は、少し、悩んだが、
「…それって、就職の間違いじゃないんですか?…」
と、葉山に訊き返した…
今度は、葉山が唖然とする番だった…
「…いや、違う…結婚だ…」
葉山が断言する。
「…結婚なんて、まだまだ…まだ就職もしていないんですよ…」
私は、冷静に返した…
そして、私の返答に、葉山は首をひねった…
「…たしかに、言われてみれば、その通りだけど…」
葉山が、ぶつぶつとこぼす…
私は、一瞬、考えた。
「…それって、どこから、聞いたんですか?…」
「…どこからって?…」
私の質問に、
「…数日前に、長身のイケメンが、この店にやって来て、言ったんですよ…」
と、いきなり、背後から、声がした。
私は声の主を振り返る。
声の主は、私同様、アルバイトの当麻だった…
「…長身のイケメン?…」
高雄だ!
私はすぐに気付いた…
長身のイケメンと言っても、普通は、気付かない(笑)…
だが、私の場合は、高雄しかいない…
この竹下クミが知っている、長身のイケメンといえば、高雄悠しかいないのだ…
だから、私は、
「…それって、二十代後半の優しそうな男のひと?…」
と、当麻に訊いた…
私の質問に、当麻は、首を横に振って、否定した…
「…もっと上?…」
「…もっと上?…」
「…そう、ちょうど、竹下さんのお父さんぐらいの年齢じゃないかな?…」
「…私のお父さんぐらいの年齢?…」
「…おそらく五十代ぐらいだと思うよ…」
店長の葉山が、説明する。
私には、覚えのない話だった…
一体全体、どういうことだろう?
「…そのお客さんが、この店でバイトをしている竹下さんは、今度、うちの息子と結婚するかもしれないんです…と、いきなりボクに言うから、慌てちゃって…」
私は、悩んだが、
「…それって、店長…見た顔のお客さんですか?…」
私は訊いた。
以前にも、言ったが、私のバイトするコンビニは、地元のお客さんが大半…
お客様の9割がリピーターの土地柄のコンビニだ…
当然、お客様が、どこの誰で、なにをしているのかまでは、知らないが、全然見たことのないお客様が、店にやって来ることは、あまりない…
だから、聞いたのだ…
「…いや、初めて見た顔…」
店長の葉山が答える。
「…初めて、見た顔?…」
私は、繰り返す。
同時に考えた。
一体全体、その男は、どうして、そんなことを言ったのだろう?
私が悩んでいると、店長の葉山が、
「…竹下さんにも、思い当たるフシがないのなら、どうして、あのお客さん、そんなことを言ったのだろう?…」
と、口に出した。
当たり前のことだ…
「…そのお客さん、冗談を言ってたんじゃないんですか?…」
私は言った。
不意に、閃いたのだ…
「…冗談?…」
と、店長。
「…だって、そうでしょう? 私が全然知らないとこで、そんなこと言うなんて…」
「…いや、冗談じゃないですよ…」
と、当麻が口を挟んだ。
「…どうして、当麻クンにわかるの?…」
と、私。
「…冗談だったら、わざわざ、この店に来て、竹下さんが、自分の息子の嫁になるなんて、言わないでしょ?…」
「…」
「…いや、そもそも、竹下さんが、いなくても、この店にやって来たというのは、竹下さんが、この店で、バイトしていることを知っているということでしょ? だから、変な言い方かもしれないけど、そのひとは、きっと確信犯ですよ?…」
「…確信犯?…」
私は、当麻の言葉に考え込んだ…
たしかに、当麻の言葉には、一理ある…
なにより、筋が通っている…
だが、だとしたら、どうだ?
私、竹下クミを息子のお嫁さんにもらうと言った人物…
その人物に当てはまる人間はというと、一人しかいない…
ずばり、高雄の父親…
高雄組組長だ!
あのテレビで、見た、どことなく、高雄に似た長身の人物…
高雄に似た、穏やかで、優しそうな紳士…
誰が見ても、とても、ヤクザには、見えない長身の紳士だ…
しかし、
しかし、だ…
そこまで、考えて、ハタと、気付いた…
高雄の父親は、大物…
もしかしたら、ヤクザ業界№2になるかもしれない大物だ…
そんな大物が、果たして、この竹下クミのバイトするコンビニにやって来るものだろうか?
そんな大物が、この平凡な竹下クミのいる店にやって来るものだろうか?
考える。
悩む。
たしかに、条件は合っている。
っていうか、私を息子のお嫁さんになるかもしれないと語る人物は、普通に考えれば、高雄の父親しかいない…
高雄組組長しかいない…
だが、本当に、そんな大物が?…
そんな大物が、この竹下クミに会いに来たのか?
考える。
そして、思った。
もしかしたら、
もしかしたら、高雄の父親は、私以外の4人の女にも、同じように接している可能性が高い…
いや、きっと、間違いなく、接しているだろう…
しかも、それは、同じく、息子の高雄悠も同じではないのだろうか?
不意に気付いた…
あの日、杉崎実業の内定から帰って、ひとりで、電車に乗って、杉崎実業に入社するか否か、悩んでいた…
あの内定で、私を含めた5人の女たちが、杉崎実業が、ヤクザのフロント企業では? と言い出したからだ…
それを聞いた私は、不安だった…
ようやく、企業から内定をもらえたのに、内定を出した企業は、ヤクザのフロント企業かもしれない…
突然、そんなことを言われて、文字通りパニックった
…動揺した…
きっと、誰もが、同じだろう…
私と、同じ立場なら、同じだろう…
ようやく就職が決まったのに、決まった先は、ヤクザのフロント企業かもしれない…
だが、そこを辞退すれば、後はない…
残りはない…
要するに、ヤクザのフロント企業でも、就職するか、あるいは、就職せずに、留年して、来年就職活動をするか、それとも、就職未定で、卒業するかの三択…
三択のいずれか、だ…
だから、私は悩んだ…
だが、結局、留年は、お金がかかるから、できない…
学費がかかるから、できない…
すると、残るは、杉崎実業に入社するか、否かの二択になる…
すると、どうしても、お金のことを考えると、杉崎実業に入社するしかないという結論に傾いた…
ヤクザのフロント企業かもしれない、杉崎実業に入社するしかないと考えた…
そんな内心の動揺を見透かしたように、高雄は現れた…
突然、電車に乗った私に、近付き、その後、駅のプラットフォームで、私に内定を辞退しないで、欲しいと懇願した…
頼み込んだ…
私は高雄のようなイケメンに頼まれたことで、
「…承知!…」
と、声に出して、了承した…
つまり、認めたくはないが、高雄の策にはまった可能性が高い…
いかにも、内定を辞退しそうな私を見て、急遽、説得に赴いた可能性が高い…
と、すると、どうだ?
高雄の父親もまた同じではないのか?
息子同様、杉崎実業の内定を辞退しそうな私を説得するために、私のバイトするコンビニに現れた…
その可能性が高い…
いや、
違う…
高雄の父親は、私が、息子のお嫁さんになるかもしれないと言ったのだ…
結婚するかもしれないと言ったのだ…
結婚すると言ったのではない…
この竹下クミと結婚すると、断言したわけではない…
つまりは、息子の高雄悠同様、私を含めた5人の女に、高雄の父親もまた、同じことを言っている可能性が高い…
私は思った…
そして、考えた。
私が、バイトするコンビニに現れた以上、遠からず、高雄の父親は、このコンビニにやって来るのではないだろうか?
まさか、私の不在の時を狙って、このコンビニにやって来て、
「…ここで、バイトする竹下さんは、今度うちの息子と結婚するかもしれないんですよ…」
とは、言わないはずだ…
普通は、私を目当てにやって来たはずだ…
もし、そうでなければ…
つまりは、私の不在時を狙って、やって来たのだとすれば、それは、周囲の者に、わざと知らせるため…
自分の息子と、私、竹下クミが、結婚するかもしれないと、わざと、周囲に宣言するためだ…
だが、普通に考えれば、その可能性は低い…
普通に考えれば、純粋に、私に会いに来た可能性が高い…
純粋に私に会いに来た可能性が高いのだ…
ということは、どうだ?
遠からず、高雄の父親は、私に会うために、再び、このコンビニにやって来るのではないだろうか?
私に会うために、会えるまで、何度も足を運ぶのではないだろうか?
私は、そう考えた。
事実、その通りだった…
高雄の父親は、また、やって来た…
<続く>




