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運命婚 白馬の王子様はヤクザ?  作者: トモサン


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15/16

運命婚 白馬の王子様はヤクザ? 15



 …高雄組の資産に目を付けた?…


 あまりにも、意外な言葉だった…


 正直、意味がわからなかった…


 高雄組の資産を大場代議士が狙っていたのは、わかる…


 大場代議士は、父親が、国家公安委員長を過去に勤めていた…


 その関係で、ヤクザ界に目を光らせる役どころとなり、山田会の古賀会長や、稲葉五郎、高雄組組長たちと、交流した…


 彼らを監視するためだ…


 しかし、朱に交われば赤くなる、の例えではないが、ヤクザの資金力に圧倒された…


 文字通り、目を奪われた…


 そして、いつのまにか、彼らの資金力を自分のモノにしたい欲望にかられた…


 その結果、杉崎実業の一件を利用した…


 政府に極秘裏に中国に不正に製品を輸出したことを知った上で、高雄組組長に、杉崎実業の株を買わせ、不正が明るみに出たことで、杉崎実業の株が暴落して、高雄組組長は、大損…


 しかし、国会で、あろうことか、杉崎実業を一時的に国有化する案を提出し、クズ株に成り下がった杉崎実業の株を、40億円で、高雄組から、政府が買い取る案を出し、了承させた…


 ヤクザ組織が、投資した株を事実上、政府が、補填したわけだ…


 前代未聞の珍事だった…


 しかし、杉崎実業を潰せば、中国との関係が悪化すると、説明し、半ば強引に、国会で、了承を取り付けた…


 それを思い出した…


 しかし、いくなんでも、その騒動に、この大場敦子が関わっていたというのか?


 私の頭の中は、混乱した…


 文字通り、混乱した…


 「…敦子…オマエだったのか?…」


 高雄が繰り返す。


 高雄の言葉に、敦子の表情が、変わった…


 文字通り、能面のように、冷ややかな表情になった…


 「…おかしいとは、思っていたんだ…大場さんも、オヤジとは、仲が良かったが、決して、高雄組の金を狙うとか、なんとか、そんな感じじゃなかった…」


 高雄が言う。


 「…でも、ある時期から、なんとなく、大場さんの動きがおかしくなったというか…」


 高雄が続けた…


 「…つまり、冷静に考えれば、誰かに入れ知恵されたんだと思う…それで、オヤジの金を狙うようになったんだ…」


 高雄が、説明する…


 謎解きをする…


 「…要するに、大場さんは、オマエに入れ知恵されて、オヤジの金を狙うようになったわけだ…そして、オレをそそのかして、今度は、大場さんと会わせ、オレが大場さんを刺したことにさせた…そんな絵を描いた上で、オレを匿った…いや、違う…大場さんは、明らかに、オレに刺されたと言っていた…だとすれば、刺したのは、やっぱり、オマエか?…」


 高雄が、大場を追い詰める…


 その間、大場は、身動き一つせず、大きく目を開けて、高雄を凝視した…


 一言も反論しなかった…


 高雄もまた、一通り、話し終えると、


 「…どうなんだ…敦子?…」


 と、言って、黙った…


 大場が、どう反論するか、待った…


 が、


 大場は、すぐには、反論しなかった…


 少しして、


 「…パパは、高雄悠(ゆう)に刺されたと言ったのよ…これは、どう説明するの?…」


 と、ゆっくりと口を開いた…


 「…悠(ゆう)さん…アナタが、パパを刺した…事実は、なにも変わらない…」


 「…ボクは、大場さんを刺してない…」


 高雄が、強い口調で、否定した…


 「…絶対、やってない…」


 高雄が、断言する。


 私には、なにが、なんだか、わからなかった…


 高雄は、絶対に、大場代議士を刺してないと、断言している…


 が、


 刺された、当事者の大場代議士は、高雄に刺されたと、言っていたと、報道にあった…


 つまり、ここでも、互いの証言が、食い違っている…


 どちらかが、ウソを言っている…


 だったら、ウソを言っているのは、どっちだ?


 考える…


 そして、私は、大場代議士の立場になったつもりで、考えた…


 もし、


 もし、


 私が、大場代議士で、娘の敦子に刺されたとして、それを、誰かに言うことができるだろうか?


 考えた…


 普通に考えて、それは、躊躇するに違いない…


 まさか、自分の娘に刺されたことが、公になれば、はっきり言って、自分の政治生命に影響を及ぼしかねない…


 一体、なにが、あったんだ?


 と、世間が訝(いぶか)しがるに決まっている…


 その結果、大場敦子が、血が繋がってない、妻の連れ子であることが、暴露され、ネットや週刊誌に、あること、ないこと書かれて、炎上することが、目に見えてる…


 もはや、政治生命は風前の灯火になるに違いない…


 だったら、その直前に会った、高雄悠(ゆう)に刺されたと言えばいい…


 おそらくは、大場は、高雄悠(ゆう)が、父親の大場代議士と会う時間を、知って、その直後に、大場代議士に会って、刺したのではないだろうか?


 なにしろ、二人の会談は、大場がセッティングしたのだ…


 会う時間も、場所もわかっている…


 突然、脳裏に閃いた…


 あるいは、大場が、


 「…悠(ゆう)さんに刺されたと言えばいい…」


 と、でも、言ったか?


 捨て台詞を吐いたか?


 そうも、思った…


 と、そこまで、考えて、気付いた…


 肝心の動機が、わからない…


 もし、大場代議士を、娘の敦子が、刺したとしても、その動機がわからない…


 まさか、自分だけ、大場代議士と血が繋がってないから、普段から、家族からハブられていた…


 なんてことが、動機であるはずがない…


 もし、本当に、大場が、父親を刺したのであれば、なにか、別の動機があるはずだ…


 もっと、切実な動機があるはずだ…


 私は、ようやく、その事実に気付いた…


 私が、そんなことを考えている最中に、いつのまにか、二人とも、黙り込んでいた…


 結局、どちらかが、やったことを認めるか、あるいは、確実に、言い逃れのできない証拠が見つからない限り、


 …やった!…


 …やってない!…


 の、水掛け論になる…


 二人とも、その事実に気付いたようだ…


 二人が、無言で、睨み合った…


 …一体どうすれば?…


 …どうすれば、この水掛け論に終止符を打つことができるのか?…


 私は、考え込んだ…


 私を含め、三人で、睨み合っても、埒(らち)が明かない…


 当たり前だ…


 なにか、決定的な証拠が必要だ…


 仮に、もし、大場が父親を刺したとしても、なにか決定的な証拠が必要だ…


 私は、思った…


 だから、私は、高雄悠(ゆう)に、


 「…仮に…仮に、大場さんが、大場代議士を刺したとしても、普段から、大場さんは、家族から、冷たい仕打ちとか、受けてたの?…」


 と、聞いた…


 「…冷たい仕打ち?…」


 高雄が返す。


 「…だって、大場さんだけ、父親の大場代議士と血が繋がってないって、聞いたから…」


 私の質問に、高雄は、考え込んだ…


 「…いや、ボクの見るところ、それはなかった…家族水入らずっていうか、大場さんの家族だけで、いるときは、知らないけど、ボクが、オヤジと、大場さんの家族といるときは、半端にされてるところは、見てなかった…」


 高雄が、考えながら、ゆっくりと、言う…


 「…でも、ボクは、所詮、他人だから…本当のところは、わからない…」


 そんな高雄に大場は文字通り、冷笑を浴びせた…


 「…そんなお坊ちゃまだから、ダメなのよ…」


 大場が、高雄を冷笑する。


 「…どういう意味だ?…」


 と、高雄…


 「…悠(ゆう)さん、アナタとの結婚…それが、差別じゃなくて、なんなの?…」


 「…どういう意味だ?…」


 「…ヤクザの息子と結婚させる…これが、差別じゃなくて、なんなの?…」


 大場が激白する…


 「…パパの血が繋がった私の弟や妹ならば、絶対にヤクザの息子となんて、結婚させようと、なんて、思わない…」


 大場のあまりの勢いに、今度は、高雄が圧倒された…


 「…ちょっと、待て…いつ、ボクが、敦子と結婚することになった?…」


 「…どういう意味?…」


 「…ボクは、オヤジから、そんな話、聞いてないぞ…」


 「…聞いてない?…」


 「…そうだ…オヤジは、敦子と結婚しろ、なんて、一度も言ったことがない…オヤジは、基本的に、ボクの生活に、アレコレ口を挟むことは、なかった…」


 高雄の告白に、大場は、唖然とした表情になった…


 文字通り、言葉を失った…


 そして、しばし間を置いて、


 「…そういうこと…」


 って、小さく呟いた…


 「…そういうことって、どういうことだ?…」


 「…パパの…大場小太郎の独り相撲だったってこと…」


 大場が、小さく呟く…


 私は、二人のやりとりに驚愕した…


 一方は、結婚させるつもりでいて、もう一方では、そんな話は全然聞いてないなんて…


 これは、一体どういうことだ?


 私が、悩んでいると、


 「…そういうことだったんだ…」


 と、再び、大場が繰り返した…


 「…どういう意味だ?…」


 高雄も同じセリフを繰り返す。


 「…パパは、高雄のオジサンに絶対に伝えたわ…でも、高雄さんは、悠(ゆう)さんに、言わなかっただけ…」


 「…どうして、ボクに言わなかったんだ?…」


 「…バカね…だから、お坊ちゃまなの! アナタが可愛いからに決まってるでしょ?…」


 「…可愛いから?…」


 高雄が絶句する…


 「…大物ヤクザの息子と、大物政治家の娘の結婚なんて、最初からうまくいかないことはわかってる…高雄組の資産目当てだって、わかってる…だから、高雄さんは、悠(ゆう)さんには、なにも、伝えなかった…それだけ、アナタが、溺愛されてる証拠よ…」


 大場の言葉に、高雄悠(ゆう)は、絶句した…


 今さらながら、いかに自分が、高雄組組長から、溺愛されてるか、わかった瞬間でもあった…


 「…オヤジが、そんな大事なことをボクに伝えなかったなんて…」


 高雄が呟く。


 「…はっきり言って、大場さんが、高雄組の資産に目をつけていたのは、ある時期から、わかっていた…敦子、オマエとボクを結婚させて、高雄組の資産を狙っていたのは、知っていた…でも、オヤジに直接、敦子と結婚しろって、言われたことは、一度もない…」


 高雄が仰天の告白をする…


 「…ない!…」


 大場が目を見開いて、驚いた…


 「…あんなにパパが言ったのに?…」


 「…ボクは、オヤジに一度だって、敦子との結婚を勧められたことはないよ…もちろん、周りに、そういう空気と言うか、噂というか、そんな雰囲気があったのは、わかっている…でも、一度だって、オヤジから直接、敦子と結婚しろ、なんて、言われたことは、一度もない…オヤジは、ただ、オマエの頭の良さを生かして、生きろと、口癖のように言っていただけだ…」


 「…頭の良さを生かして、生きろ?…」


 私は、つい、口を挟んだ…


 「…オヤジは、以前も言ったが、貧しくて、大学へいけなかったから…でも、頭は良かった…だから、ボクを養子に引き取ってくれたんだ…ボクも自分で言うのもなんだけど、頭はいい方だった…でも、父親はいないから、あのままでは、とても、大学なんていけなかったから…」


 高雄が、私に向かって、言う…


 その言葉で、この悠(ゆう)は、ホントは、自殺した高雄組組長が、昔、付き合っていた女の息子で、あることを思い出した…


 そして、悠(ゆう)の母親は、亡くなった高雄組組長に、


 「…アナタのコよ…」


 と、迫ったが、一目見て、高雄組組長は、自分の子供ではないことがわかった…


 だが、悠(ゆう)は、子供ながら、見るからに利発だった…


 このままでは、自分同様、いかに悠(ゆう)が、優秀でも、家庭が貧しく、大学に進学できないだろうと、思った高雄組組長は、悠(ゆう)を養子に引き取った…


 自分と同じ道を歩ませないためだ…


 要するに、高雄組組長は、幼い悠(ゆう)に、過去の自分を重ねたのだ…


 それゆえ、敦子との結婚を、大場代議士に勧められても、悠(ゆう)に、直接告げることは、なかったのだろう…


 大場代議士の狙いは、見え見せだったし、血が繋がらないとはいえ、溺愛する悠(ゆう)に、そんな結婚をさせるのは、嫌だったのかもしれない…


 だから、


 「…頭の良さを生かしていきろ…」


 と、だけ、言ったのだろう…


 そして、それは、亡くなった高雄組組長の生き方でもあった…


 経済ヤクザとして、名をはせた高雄組組長の生き方でもあった…


 私が、そんなことを、考えていると、


 「…まったく、お坊ちゃんなんだから…」


 と、大場が、冷笑した…


 「…そんな世間知らずだから、騙されるのよ…」


 「…騙される? どういう意味だ?…」


 「…高雄組の資産…今、どうなっているか、わかる?…」


 「なにを言いたい?…」


 「…松尾会の松尾会長…あのお爺ちゃんが、山田会の経済ヤクザに接触して、高雄組の資産を分捕ろうとしているなんて、全然、知らないでしょ?…」


 「…松尾会長が?…」


 「…アナタは、ただのお坊ちゃま…今、自分の周りが、どう変化しているのかもまったく知らない…たぶん、死んだ高雄組組長が、私との結婚を、悠(ゆう)さんに、伝えなかったのも、それが原因…私と結婚すれば、たやすく、パパと私に、高雄組の資産を、横取りにされると、判断したからよ…」


 「…敦子…オマエ、一体、なにを?…」


 「…そして、高雄悠(ゆう)…アナタを、高雄さんが、ヤクザから遠ざけたのは、アナタが経済ヤクザとしても使い物にならないからよ…」


 大場が断言した…


 「…どういうことだ?…」


 「…まだ、わからないの…高雄さんが、どうして、自殺したか? パパが、どうして、悠(ゆう)さんに刺されたと証言したか? すべては、アナタを守るためよ…」


 「…ボクを守る?…」


 「…宋国民…アナタを…」


 仰天の事実を言った…



 …宋国民?…


 その名前は聞いたことがある…


 たしか、以前、この高雄悠(ゆう)が、電話で、亡くなった古賀会長の本名が、宋国民という名前の中国人だと言った…


 また、あの女優の渡辺えりに似た、町中華の女将さんが、稲葉五郎を指して、宋国民と呼んだこともある…


 そして、今、この高雄悠(ゆう)が、宋国民と、大場に呼ばれた…


 これは、一体、どういうことだ?


 私は、考えた…


 「…悠(ゆう)さん、アナタこそ、中国政府のスパイ…アナタは、中国政府に情報を売って、うまく、やっているつもりかもしれなかったけど、周囲は、みんな気付いていた…」


 「…」


 「…アナタは、うちにも出入りするし、いずれは、高雄組を、真っ当な会社にしたい夢を持っていた…そこへ、中国政府が近づいた…アナタは、中国政府を利用して、杉崎実業、そして、高雄組を、映画のゴッドファーザーのように、正業にしたかった…その野心を、中国政府が利用した…」


 「…どういうこと?…」


 と、私が、つい口を挟んだ…


 「…宋国民というコードネームを与えられて、いろんな情報を流した…パパや、高雄組の内部情報、そして、山田会内部のゴタゴタもね…悠(ゆう)さんとしては、中国政府との実績を作って、いずれは、高雄組が、正業に生まれ変わるときに、後ろ盾になってもらう心積もりというか、打算があってのことだったけど、真逆に、中国政府に利用された…」


 「…利用された?…」


 「…パパも高雄さんも、ある時期から、悠(ゆう)さん、アナタを疑い出した…でも、子供の頃から、高雄さんは、溺愛しているから、今さら、叱ることもできない…それに、悠(ゆう)さんの目的が、高雄組が、いずれは、真っ当な正業に衣替えを目指しているのも、わかっていた…だから、叱れなかった…」


 …そうか?…


 …だからか?…


 私は、今さらながら、気付いた…


 以前、この高雄悠(ゆう)は、亡くなった古賀会長が、宋国民という名前の中国人で、命からがら、終戦時に満州(中国東北部)から、逃げてきたことが、ヤクザになった原点だと言った…


 私は、それを信じたし、正直、真に受けたが、今、冷静に考えると、おかしい…


 内容うんぬんをいうのではなく、どうして、高雄悠(ゆう)が、それを知ったか、だ…


 高雄は、古賀会長から聞いたと言っていたが、古賀会長本人ならば、言わないようなことまで、言っていた…


 それは、自分が、中国のスパイだったということだ…


 たとえ、古賀会長から見れば、孫同然の存在だったかもしれない悠(ゆう)だったが、いくらなんでも、当事者が、孫同然の存在だったとはいえ、自分が、スパイであることを告げるのは、おかしい…


 冷静に考えれば、スパイだという人間こそ、怪しい…


 誰それが、スパイだという人間こそ、自分が、スパイだという可能性が高い(笑)…


 はっきり言えば、自分がスパイの疑いをかけられれば、アイツこそスパイだと告発するのが、一番の逃げ道に他ならない…


 他者を告発することで、自分が、スパイだと、怪しまれないためだ…


 私は、ようやく、その事実に気付いた…


 「…だったら、大場さんが、刺されたのは?…」


 「…アレは、事実よ…私が刺した…」


 「…敦子が?…」


 「…アナタが、高雄さんの自殺について、パパを罵って、部屋を飛び出した後、パパの部屋に行った…それで、悠(ゆう)さんとの結婚を、持ち出されて、こっちも頭にきて、…血が繋がった娘ならば、ヤクザの息子と、結婚なんて、させないでしょって、啖呵を切って…近くにあったカッターで、軽く、父を切りつけたの?…」


 「…どうして、そんな?…」


 思わず、私も呟いた…


 「…パパを試す意味もあった…」


 大場がしんみりと言った…


 「…パパに切りつけたら、どういう反応をするか、試す意味もあった…」


 「…でも、どうして、それが、高雄さんが、切りつけたことにしたの?…」


 「…やはり、私が可愛かったこともあるだろうし…それに、悠(ゆう)さんのせいにすれば、悠(ゆう)さんを救える…」


 「…ボクを救える? どういうこと?…」


 「…警察に捕まれば、身の安全が、保障される…アナタ、だいぶまずいのよ…」


 「…マズい?…」


 「…やり過ぎたっていうか…用済みなのよ…」


 …用済みって?…


 すごいことを言う…


 私は、思った…


 「…中国政府はアナタを見切ったの…だって、アナタを利用するつもりならば、杉崎実業の一件で、裏から、もっと手を回せるはず…もっと、事を荒らげることなく、着地点というか、落としどころを探すことも可能だった…」


 大場敦子の言葉に、高雄悠(ゆう)は、黙りこくった…


 しばし、沈黙した後、


 「…たしかに、そう言われれば、そうだ…」


 と、自分自身を納得させるように、言った…


 「…杉崎実業が、実は、中国に不正に製品を輸出していると、世間に暴露する前に、うまく手を打つなり、方法は、あっただろう…結果、高雄組は、100億円以上、投資したにもかかわらず、戻ってくる金は、40億円…三分の一にも、満たない…まさに、大損だ…」


 高雄が力なく呟く。


 「…アナタはお坊ちゃまなのよ…悠(ゆう)さん…」


 大場は容赦なかった…


 「…以前、林も言っていたけど、悠(ゆう)さん…アナタはルックスも良く、頭もいい…でも、その自分の能力を過信しすぎてる…」


 「…過信? …ボクが?…」


 「…自信を持ちすぎている…調子に乗り過ぎている…だから、周囲の人間は、ハラハラと、悠(ゆう)さんを見ていた…」


 「…どういう意味?…」


 「…悠(ゆう)さん、アナタは、アナタなりのやり方で、高雄のオジサンと、稲葉さんの仲を取り持とうとか、あるいは、うまく事を荒立てることなく、うまく二人の関係を修復と言うか、溝を深めないようにしようしていたというか…」


 「…どうして、それが、わかる?…」


 「…この竹下さんよ…」


 なんと、私?


いきなり、大場が私を名指しした…


 「…この竹下さんが、キーマンであることに、気付いたアナタは、竹下さんを取り込もうとした…その動きに、おそらく、みんな気付いた…」


 「…みんな?…みんなって、誰だ?…」


 「…稲葉さん、高雄さん、うちのパパ、その他諸々よ…」


 大場の指摘に、高雄は、


 「…」


 と、言葉もなかった…


 私は、それで、気付いたというか…


 あの稲葉五郎が、初めて、私と会った当初から、


 「…悠(ゆう)は見た目と違う…」


 と、警告した…


 つまり、あのときから、すでに、稲葉五郎は、この高雄悠(ゆう)を警戒していたわけだ…


 悠(ゆう)は、今、この大場が言ったように、高雄組を真っ当な会社に変貌させる…


 映画のゴッドファーザーのように、ヤクザから、実業家に転身する…


 それを夢見ていた…


 そして、それを知った中国政府が、悠(ゆう)を利用した…


 でも、なんで、悠(ゆう)なんだ?


 突然、思った…


 なんで、悠(ゆう)をスパイにしたんだ?


 どうして、悠(ゆう)が、スパイなんだ?


 当たり前の疑問が、私の脳裏に浮かんだ…


 だから、


 「…どうして、高雄さんは、中国のスパイに?…」


 と、聞いた…


 やはり、この状況だから、小声と言うか、遠慮した感じで、聞いた…


 本来ならば、私がしゃしゃり出る場ではないとも、思ったから、余計に声が小さくなった(笑)…


 「…古賀の爺さんさ…」


 「…古賀さん?…」


 私と大場が、同時に声を上げた…


 「…爺さんの後継者というか、爺さんの代わりに、ボクが選ばれたというか…目をつけられた?…」


 「…どういうこと?…」


 大場が聞いた…


 が、


 高雄は大場ではなく、私に向かって、


 「…以前、竹下さんに、亡くなった山田会の古賀会長は、中国のスパイと言うか、中国政府からの資金を後ろ盾にして、山田会を大きくしたと、電話で、説明したことがあったね…覚えてる?…」


 「…ハイ…覚えてます…」


 「…アレは、事実だ…」


 高雄が、断言した…


 「…爺さんは、中国政府の金の力で、山田会を大きくした…が、爺さんは、したたかで、決して、中国政府の言いなりにならなかった…」


 「…どういう意味?…」


 と、大場…


 「…要するに、利用することは、利用するが、やりたくないことは、のらりくらりとかわして、やらなかった…爺さんには、そういう芸当ができた…それは、爺さん自身の力もあるし、やはり、山田会の会長という力も大きかった…いざとなれば、中国政府と戦争とまではいかないが、容易に言いなりにならない力を持っていた…」


 高雄がしんみりと、続ける…


 「そうは言いながらも、爺さんと中国政府は、互いが、持ちつ持たれつの関係だった…が、その爺さんが、歳をとり、中国政府は、山田会で、爺さんの代わりになる人間を必要となった…山田会はなんといっても、日本で、二番目に大きな暴力団…その影響力は大きい…だから、その内部で、爺さんの代わりになる存在を探した…でも、稲葉さんも、うちのオヤジも首を縦に振らなかった…そこで、中国政府は、ボクに目を付けた…」


 「…高雄さんに?…」


 つい、言ってしまった…


 「…ボクが、高雄組を解散して、将来は、堅気の会社にしたいという夢を、あちこちで、話していたから、それをどこかで、聞いたんだろう…ボクを利用できると思ったに違いない…一方、ボクは、ボクで、高雄組を解散して、堅気の会社にする夢を実現するときに、中国政府とのパイプがあれば、なにかと有利だと思った…なにより、古賀の爺さんの成功例が、身近にあったからね…」


 「…古賀さんの成功例?…」


 と、大場…


 「…爺さんは、山田会を大きくするのに、中国からの資金で、武器・弾薬を買って、武装強化した…その成功を聞かされたし、同じように、自分もできると思った…」


 高雄が言った…


 「…でも、できなかった…」


 高雄が悔しそうに言う…


 「…爺さんとボクとでは、時代も違う…器も違う…ボクは、ただの勉強ができる人…それだけの人間だった…」


 私は、高雄の告白を聞きながら、考えた…


 だから、高雄は私に連絡をしてきたんだ…


 今さらながら、考えた…


 どうして、部外者である、私、竹下クミに、高雄は、電話をしてきたのか?


 それが、謎だった…


 どうして、私に亡くなった古賀会長が、中国のスパイだったことまで、伝えたのか、意味がわからなかった…


 わざわざ、そんなことまで、私に伝える必要はないからだ…


 おそらくは、古賀会長が、中国のスパイだったと伝えることで、自分が、スパイでないことを偽装できると思ったのではないか?


 さっきも言ったが、自分が、スパイだと疑われたときに、真っ先に、アイツこそ、スパイだと、相手に告げることが、もっとも、効果的な自己防衛に他ならない…


 日本共産党の野坂参三が、その好例だ…


 スパイだと疑われた、野坂は、真っ先に、共産党の自分の仲間をスパイだと讒言(ざんげん)して、自らの身を守った…


 結果、スパイでもなんでもない人間が、スパイとして処刑された…


 自分が、スパイだと疑われないようにするには、どうすればよいか、その好例だ…


 私は、思った…


 が、


 疑問がある…


 今、この高雄悠(ゆう)は、中国政府が、古賀会長の代わりに、稲葉五郎や、高雄組組長を、後継者として、スパイにしようとして、断られたと言った…


 しかし、以前、あの女優の渡辺えりに似た、町中華の女将さんは、稲葉五郎のことを、宋国民と呼んだ…


 アレは、一体、どういう意味なんだろう?


 私は、思った…


 だから、


 「…宋国民って、たしか、あの町中華の女将さんも、稲葉さんのことを、そう呼んでいたけど…」


 私は、遠慮がちに言った…


 すると、すぐに、私の言葉に、大場が反応した…


 「…たしかに、言った…でも、あの意味は、おそらく…」


 今度は、大場が遠慮がちに言った…


 大場はあの場に、私と女将さんと、稲葉五郎と、いっしょにいた…


 だから、あの場所にいた、当時者の一人だ…


 ゆえに、鮮明にあの光景を覚えているのだろう…


 「…おそらく、なに?…」


 私は、大場を促した…


 「…女将さんは、稲葉のオジサンに鎌をかけたんだと思う…」


 「…鎌をかけたって? …罠に嵌めようとしたってこと?…」


 私の言葉に、大場は、無言で、首を縦に振って、頷いた…


 「…宋国民は、古賀のお爺さんの本名で、間違いはない…だから、わざと、女将さんは、稲葉のオジサンに、宋国民という名前を、ぶつけたんだと思う…」


 遠慮がちに、大場は説明した…


 「…どうして、女将さんは、そんなことを?…」


 私は、聞いた…


 「…稲葉のオジサンの正体がわからない…」


 大場が、考え考え、告白した…


 「…正体?…」


 「…亡くなった古賀会長も、稲葉さんの正体が、謎だったみたい…だから、女将さんは、わざとあの場で、宋国民と、稲葉のオジサンを呼んだ…どういう反応を示すのか、知りたかったみたい…女将さんは、古賀会長の身内も同然だから、古賀さんが亡くなって、稲葉さんが、山田会の会長に就任するのが、確実になって、それまで、古賀さんが、持っていた中国コネクションとか、その他諸々のこともあって、どうなるか、心配だったみたい…」


 「…それって、あの女将さんが、中国のスパイだったってこと?…」


 「…それは、わからないけど…古賀さんのことを、誰よりも心配していたのは、あの女将さんだった…結局、古賀さんも、稲葉さんの正体は、わからずじまい…だから、おそらく、最後の最後になって、稲葉さんの正体を知りたくなったのが、あの行動になって、現れたんだと思う…古賀さんが、最後まで、後継者を稲葉さんに決定しなかったわけも、それだった…言葉は悪いけど、どこの馬の骨だか、最後まで、わからなかった…」


 大場が告白する…


 私は、大場の告白に仰天した…


 文字通り、仰天した…


 稲葉五郎の正体が、わからない?…


 まさか?…


 そんなことが?


 そんなことがあるなんて?


 いや、


 そもそも正体って、なんだ?


 それが、わからない…


 「…正体ってなに?…」


 私は、聞いた…


 私の質問に、大場は、驚いた…


 しばし、考え込んだ…


 それから、ゆっくりと、口を開いた…


 「…そうね…正体といっても、意味がわからないでしょうね…そう…たとえば、竹下さん…」


 「…私?…」


 「…竹下さんの経歴を追えば、どこそこの小学校、中学校を出ている、そういう足跡がある…」


 「…どういうこと?…」


 「…つまり、卒業名簿や、同級生がいて、竹下さんが、そこにいた足跡が残っている…」


 「…それは、当たり前じゃ?…」


 「…当たり前じゃない!…」


 大場が強く言った…


 「…当たり前じゃない?…」


 「…その足跡というか、痕跡というか、見事になにもない人間がいた…それが、稲葉さん…」


 「…稲葉さん?…」


 「…おそらく、古賀さんも、山田会のひとたちだけじゃなく、中国政府の力を借りて、稲葉さんの正体を探ろうとしたけど、できなかった…正体不明の人間…」


 「…」


 「…どこの中学校を出て、どこの高校を出たと言っていたけど、そんな人間は、いなかった…あるいは、いても、別人だった…稲葉のオジサンじゃなかった…」


 「…そんなこと?…」


 私は、大場のあまりにも、意外な話に、言葉を失った…


 だったら、一体、あの稲葉五郎は、誰なんだ?


何者なんだ?


 まるで、過去のない人間のようだ…


 「…だったら、一体、稲葉さんの正体って?…」


 私の質問に、


 「…おそらく、稲葉のオジサンの正体は?…」


 大場が言いかけたときだった…


 突如、


 ピンポン


 と、チャイムが、鳴った…


 誰かが、来た合図だった…


 私も、大場も高雄も思わず、顔を見合わせた…


 「…誰か、来た…」


 大場が、言った…


 「…誰だろう? こんな時間に…」


 大場は戸惑いながら、玄関に行き、モニターを見た…


 私と高雄も大場に続いた…


 モニターはカラーで、数人の男が映っていた…


 ひとりを除いて、どれも見るからに、屈強そうな男たちだった…


 それを見て、


 「…あ…管理人さん…」


 と、大場が言った…


 ただ一人の屈強そうでない人物が、管理人なのでは? と、私は、思った…


 私も大場も、高雄も、ジッと目を凝らして、モニターを見ていた…


 すると、意外にも、その屈強そうな男の中に、私の見知った人物がいた…


 葉山だった…



 …葉山?…


 …ウソ?…


 …葉山が、なんで、ここにいるんだ?…


 私は、驚いた…


 ビックリした…


 その一方で、


 …やっぱり!…


 という思いもあった…


 葉山が何者だか、知らないが、ただのコンビニの雇われ店長ではない…


 それは、ずっと、前から、わかっていた…


 薄々感じていたことだ…


 いや、


 薄々どころか、はっきりと、感じていた…


 しかし、このタイミングで、この場所に現れるとは、思わなかった…


 まさに、絶好のタイミング…


 いいとこどりだ…


 ドラマでいえば、終盤の一番の見どころだ…


 ずるい!


 とっさに、思った…


 このタイミングで、登場するのは、ずるい…


 私が、そんなことを考えている間に、


 「…出なきゃ…」


 と、大場が言った…


 すると、


 「…敦子…ドアを開けちゃ、ダメだ…」


 高雄が、怒鳴った…


 「…中国の工作員かもしれない…」


 高雄が、怯えた表情になった…


 たしかに、高雄が、そう言うのは、わかる…


 つい、さっき、大場から、


 「…アナタは、中国政府にとって、用済み…」


 と、告げられたばかりだ…


 ドアの向こうにいるのが、中国の工作員だとしても、不思議ではない…


 が、


 ということは、どうだ?


 葉山は、中国の工作員なのか?


 とっさに、思った…


 中国の工作員の葉山が、仲間を連れてきたんだろうか?


 考えた…


 大場は、大場で、


 「…その可能性はあるかもしれない…」


 と、小さく呟いた…


 「…でも、管理人さんが、いっしょにいるから、私が、ドアを開けずとも、管理人さんに、鍵を借りて、開けるに決まっている…」


 「…だったら、チェーンで、ロックをして…中に入られないように…」


 高雄が焦って言った…


 その高雄の言葉に、


 「…バカね…そんなのただの時間稼ぎよ…」


 と、大場…


 「…時間稼ぎ?…」


 「…だって、ドアのチェーンなんて、道具があれば、すぐに切れる…この部屋から、どこか、外へ、逃げる、時間稼ぎなら、それもありだけど、ここは8階よ…どこへ逃げるの?…」


 大場の言葉に、高雄は、


 「…」


 と、絶句した…


 文字通り、万事休す…


 お手上げだった…


 「…わかったよ…」


 高雄が投げやりに、言った…


 「…敦子…開ければいい…」


 その言葉を待っていたかのように、大場が、玄関のドアを開けた…


 ドアを開けると、真っ先に、小柄な管理人の姿があった…


 そして、その後ろに、屈強そうな男たちが数人いる…


 その中には、モニター越しに見た葉山の姿もあった…


 「…どうしたんですか? …こんな夜中に?…」


 大場が作り笑顔で、聞く…


 すると、管理人の男性が、申し訳なさそうに、


 「…この人たちに、大場さんに、用事があるからと、言われて…」


 と、言った…


 「…でも、こんな時間ですよ…」


 と、大場が、嫌みを言った…


 「…一体、どういうご用件で…」


 大場が言ったところへ、


 「…お嬢さん…アナタの正体は、わかってますよ…」


 と、屈強な男の一人が言った…


 「…正体?…」


 「…大場代議士の娘さんでしょ?…」


 おそらく、大場が、この後、


 「…私の父親は誰か、わかってる? 国会議員の大場小太郎よ…」


 と、凄むのが、わかっていたのだろう…


 大場の機先を制した形だった…


 大場が悔しそうな顔をするのが、わかった…


 「…刑事さん? 令状は、持っているんですか?…」


 「…我々は、刑事では、ありません…」


 あっさりと、否定した…


 「…刑事じゃない? だったら、一体、アナタたちは、誰?…なんの権限で…」


 大場が言い終わらないうちに、


 「…内調(ないちょう)…内閣情報調査室の者です…」


 と、相手が、答えた…


 「…内閣情報調査室?…」


 大場が絶句するのが、わかった…


 そして、同時に、男たちの中に、葉山がいることを見つけたようだった…


 「…そう…アナタは、今、内閣情報調査室にいるの?…」


 葉山は、無言だった…


 あるいは、大場が誰に言っているか、気付かなかったのかもしれない…


 いや、


 気付いていないフリをしているのかもしれない…


 だからだろう…


 大場が、


 「…竹下さんの近くにいたのも、仕事の一環だったってこと…」


 と、はっきり言った…


 葉山は、仕方なく、首をすくめた…


 「…以前は、公安で、見た顔だと思っていたけど、それが今は、内閣情報調査室にいるなんて、大した出世ね…」


 大場の言葉に、再び、葉山が、無言で、首をすくめた…


 大場と対峙したくない様子だった…


 現に、葉山を含めた8人の屈強な男たちの中で、葉山だけが、少し離れた位置にいた…


 仕事で、仕方なく、この場にやって来たが、本当は、関わり合いたくなかった…


 そんな葉山の気持ちが、わかるように、他の男たちから、ポツンとひとり距離を置いて、立っていた…


 「…お父様はすでに逮捕されましたよ…」


 葉山ではない、男の一人が、言った…


 「…逮捕? 国会議員には、不逮捕特権があるはずでしょ?…」


 「…それは、国会が会期中の場合です…今、国会は、閉会しています…」


 男の言葉に、大場が悔しそうな表情をした…


 そして、そのやりとりで、男たちが、中国の工作員ではないこと…


 そして、なにより、自分が目当てではないことを、高雄が、わかった様子だった…


 だから、ホッとしたというか…


 そして、自分が、目当てではないことが、わかると、今度は、一体、どうして、大場の父が逮捕されたのか、不思議になった…


 「…どうして、大場代議士は、逮捕されたんですか?…」


 「…刑法第81条…」


 そっけなく、男たちの一人が口にした…


 「…刑法第81条…それが、なにか?…」


 「…外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者は、死刑に処する…」


 男が答える…


 「…いわゆる、外患誘致罪だ…外国と、共謀して、日本の国家の転覆を目指す…法定刑は、死刑のみ…まだ、この刑法第81条の規定を適用して、死刑になったものは、過去に存在しない…大場代議士が、その記念すべき第1号になるかもしれない…」


 男が答えた…

 

 文字通り、皮肉だった…


 私は、唖然とした…


 同時に気付いた…


 大場敦子の正体に、だ…


 おそらく、この女こそ、中国の工作員に他ならない…


 その可能性が高い…


 そして、そうであれば、色々納得がゆく…


 高雄との結婚もそうだ…


 高雄悠(ゆう)と結婚することで、高雄を見張ることができる…


 そして、なにより、大場の父親に、影響を与えることができる…


 いや、


 逆か?


 大場の父が、中国のスパイで、この敦子が、大場の父の命で、スパイになったのか?


 いわゆる、卵か先か鶏が先かの問題だ…


 それから、なにより、さっき高雄悠(ゆう)に、


 「…アナタは中国政府から、用済みになった…」


 と、言ったのは、内情に通じていたからだ…


 私は、思った…


 「…とにかく、ご同行願う…」


 男が言った…


 そして、こう付け加えた…


 「…大場代議士も、ひでぇ、養女を迎えたもんだ…この娘のために、代議士も辞職…身の破滅だ…」


 そういったときだった…


 「…アンタになにがわかる?…」


 と、大場が一言いうなり、その男に向かって、飛びかかった…


 っていうか、いきなり、蹴りを入れた…


 が、


 相手は、屈強な大男…


 大場の蹴りに、微動だも、しなかった…


 まるで、大場が大木を蹴ったように、微動だもしなかった…


 「…アンタになにが、わかるっていうの?…」


 言いながら、まるで、キックボクシングの選手のように、何度となく、その男に蹴りを入れた…


 が、


 やはり、その男は微動だも、しなかった…


 周りの男たちが、


 「…いい加減にしろ…」


 と、言って、大場のカラダを押さえつけようとしたが、蹴られた男が、軽く手を振って、


 「…構うな…好きにさせよう…」


 と、周囲の男たちに告げた…


 その結果、大場の蹴りは続いた…


 それは、まるで、3歳や5歳の子供が、大人に思いっきり、ケンカを挑むようなものだった…


 が、


 蹴られた男は、微動だも、しない…


 そのうちに、大場は、今度が、両手で、ボクシングのように、男に殴りかかった…


 しかし、結果は、同じだった…


 微動だも、しなかった…


 「…アンタなんかに…アンタなんかに、私の気持ちが、わかってたまるか!…」


 言いながら、いつのまにか、大場は、大粒の涙を流していた…


 見る見る、大場の顔が、涙でグシャグシャになった…


 私と、高雄は唖然として、言葉もなく、その光景を見守っていた…


 それは、また、蹴られ続け、殴られ続ける、男を除いた、他の男たちも、同じだった…


 22歳の身長、160㎝の女が、180㎝は優に超える、屈強な大男を蹴り続け、殴り続けている…


 異様な光景だった…


 そして、大場の攻撃は、まるっきり、効かなかった…


 それは、誰の目にも、明らかだった…


 やがて、大場は、力尽きた…


 ハアッー


 ハアッー


 と、大きく息をつき、大きく肩を揺らして、その場にへたりこんだ…


 すると、男が、


 「…気が済んだか?…」


 と、一言、大場に声をかけた…


 大場は、無言だった…


 首も振らず、なんの反応も示さなかった…


 「…じゃ、行こうか…」


 男は言った…


 そして、周囲の男たちに、


 「…このお嬢さんに、手を貸してくれ…」


 と、告げた…


 すると、


 「…自分で、歩ける…」


 大場は、


 ハアッー


 ハアッー


 と、大きく息をしながら、言った…


 男は、


 「…そうか…」


 と、だけ言って、大場が歩き出すと、小柄な管理人と、葉山以外の男たち、全員が、大場を取り囲むようにして、どこかへ連れて行った…


 私は、ただ唖然として、その光景を見守った…


 高雄も同様だった…


 私は、残った葉山に聞いた…


 「…大場さんは、一体なにを?…」


 葉山だけ、この場に残ったのは、私と、高雄悠(ゆう)に説明するために、残されたと、思ったからだ…


 「…スパイだよ…」


 短く、葉山が言った…


 「…中国の…」


 と、続けた…


 「…中国の?…」


 高雄が、仰天した…


 なにを隠そう、高雄もまた中国のスパイだった…


 そのスパイの高雄にとってみれば、大場もまたスパイだったのが、驚きの事実だったに違いない…


 が、


 私に驚きはなかった…


 やはり、思った通りだった…


 でも、どうして、大場が、スパイになったのかが、わからなかった…


 高雄悠(ゆう)の場合は、山田会の中で、古賀会長の後継者というか、高齢の古賀会長に代わる人間を探す中で、これといった有力者が、首を縦に振らなかったからだ…


 それゆえ、高雄組組長の息子である、悠(ゆう)が選ばれた…


 が、


 大場の場合は、わからない…


 「…どうして…どうして、大場さんは、スパイに?…」


 と、つい、口を開いた…


 相手が、見知った葉山だから、余計に聞きやすかったのかもしれない…


 「…大場代議士と、うまくいってなかったからさ…」


 葉山が答えた…


 「…その情報を掴んだ、中国に利用されたんだ…」


 「…利用された?…」


 高雄が言った…


 「…そう…利用された…あのお嬢さんは、大場代議士の養女…大場代議士は、代々、代議士を務めている政界の名門だ…そんな名門の家系は、誰でも、身辺調査される…」


 「…身辺調査?…」


 と、私…


 「…まあ、身辺調査っていやあ、言葉はいいが、要するに、あら捜しっていうか、あらを探して、弱みを握ろうとする…政界の名門で、娘は、母親の連れ子となれば、なにか不満があるんじゃないかと疑う…その結果、あの娘は、父親に不満を持っていることが、わかった…それで利用されたんだ…」


 「…利用されたって、どんなふうに?…」


 と、高雄…


 「…身近な家族の情報とか…大場代議士は政界の名門出身だから、あちこちにパイプがある…どんな情報でも、知りたかったに違いない…なにより、大場代議士は、政界屈指の名門の一つ…中国政府が、もっとも近付きたい人間の一人でもある…」


 「…でも、大場代議士は、父親が、元国家公安委員長で、スパイには慎重なはずじゃ…」


 と、私…


 「…それがいけなかった…ミイラ取りがミイラになった典型だ…」


 「…どういうことですか?…」


 「…大場代議士は、自分は、絶対に、敵の手に落ちない自信があったんだろう…あの娘が、中国政府の手先となっているとわかると、かえって、なにも知らないフリをして、相手の懐に入った…その結果、クズ株になった杉崎実業の株を、高雄組に40億円で、買い取る保証をした…」


 「…大場さんが?…」


 高雄が驚きの声を上げた…


 「…まあ、大場代議士が、どこまで、中国から利益供与を受けたのは、正直、わからない…ただ、政府に内緒で、中国政府の人間と、密会を繰り返していたんじゃ、なんらかの取引があったと見るのが、普通だ…」


 葉山が説明する…


 それから、


 「…ボクも、大場さんを知らない仲じゃない…残念だよ…」


 と、付け加えた…


 だからか、葉山は最後まで、大場の逮捕に消極的だった…


 いや、いっしょに、行かなくて、この場に残ったのは、私と高雄に説明するためだけではなかったのかもしれない…


 きっと、見知った大場が、逮捕されるのを、見るのが、嫌だったのだろう…


 そのために、残ったのかもしれない…


 なんとも、後味の悪い結末だった…



 「…それじゃ…オレはこれで…」


 葉山は、私に言って、歩き出そうとした…


 はっきり言えば、一時も早く、この場から、去りたい気持ちだったのだろう…


 ただのコンビニの雇われ店長ではないと、思っていたが、まさか、その正体が、内閣情報調査室の人間だとは、想像もつかなかった…


 そして、大場が、中国のスパイであることも…


 いや、


 それを言えば、残った高雄悠(ゆう)も、中国のスパイだと、はっきりと、わかっているはずなのに、なんで、逮捕しないのだろう…


 私は、疑問に思った…


 それは、やはり、高雄も同じだったようだ…


 同じく疑問に思ったようだ…


 「…あの…ボクは、どうして、逮捕されないんですか?…」


 高雄が聞くと、


 「…坊ちゃんは、大物じゃないからだろう…」


 と、葉山が肩をすくめて、答えた…


 「…難しいことを、オレに聞かれても、困る…オレは、あくまで、上の指示に従って、動いているだけだ…」


 葉山が説明した…


 「…とにかく、坊ちゃんは、自分が思ったほど、大物じゃないってことだろう…考えてみろ…あの大場敦子は、政界屈指の名門、大場小太郎の養女…父親の大場小太郎と共に、政府に、内緒で、中国政府の要人と、密会を重ねているんじゃ、この日本に、なにか、損害を与えてるんじゃないかも、とも、思える…だから、我々、内閣情報調査室が、動いた…国家に損害を与えては、困るからだ…でも、坊ちゃんは、山田会の有力組織の養子に過ぎない…いかに、大物ヤクザの養子でも、国家になにか、損害を与えることができるほど、大物じゃない…」


 葉山が断言した…


 そして、それは、事実だが、同時に、高雄悠(ゆう)のプライドを木っ端微塵(みじん)に吹き飛ばすものだった…


 「…オレは、大物じゃない…」


 悠(ゆう)は、葉山の言葉を繰り返した…


 「…まあ、我々も、必ずしも、警察といっしょになって、動いているわけじゃない…これから、坊ちゃんを逮捕に警察が動くかもしれない…」


 「…どういうことですか?…」


 と、私は聞いた…


 意味がわからなかった…


 内閣情報調査室が、警察といっしょに、動かないなんて…


 「…情報漏れだよ…」


 葉山が言った…


 「…情報漏れ?…」


 「…警察は、お偉いさんが、国会議員になったりして、情報が、漏れやすい…大場議員を逮捕なんて、事前に、知らせれば、今、国会議員になってる元の警察官僚の中には、大場派の人間も数人いる…それが、大場議員に知らせれば、困る…」


 葉山が説明する…


 「…いい例が、ロッキード事件の田中元首相逮捕だ…あのときも、検察は、一切警察には、知らせなかった…警察官僚上がりの田中派の代議士に事前に知られて、元首相に筒抜けになっては、困るからだ…当時の、警視総監が、田中逮捕の一報を聞いて、オレたちは、除け者か!…って、叫んだのは、もはや伝説だよ…」


 葉山が、説明する。


 私は、葉山の言葉に納得したが、隣の高雄は、そうではなかった…


 「…ボクは、大物じゃない…」


 「…ボクは、大物じゃない…」


 繰り返し、ブツブツ呟いていた…


 無理もない…


 さっき、大場にも、高雄は、


 「…自信を持ち過ぎ…」


 と、揶揄(やゆ)されていたのだ…


 そして、その大場敦子も、今、目の前で、内閣情報調査室の人間に連れて行かれた…


 にもかかわらず、自分は、逮捕もされなかった…


 指名手配中であるにも、かかわらず、だ…


 ある意味、これ以上の屈辱はない…


 要するに、相手にされてないのだ…


 自分の能力に自信を持ち、本当は、鼻持ちならない自信家だった、高雄悠(ゆう)のプライドは、木っ端微塵(みじん)に吹き飛ばされた…


 ズタズタにされた…


 一言で、いえば、相手にされてなかったのだ…


 これは、辛い…


 「…それじゃ、オレはこれで…」


 葉山が言った…


 一時も早く、この場を去りたいのだろう…


 なにより、私に正体を知られた以上、これ以上、ここにいるのは、気まずいに違いない…


 また、この高雄もそう…


 誰が見ても、激しく落ち込んでいる…


 外見は、花屋や図書館が似合うおとなしめの草食系の男子だったが、その実、異常なまでの自信家だった…


 ルックスも、学力も、他人よりはるかに、優れていると、自負していた…


しかし、実は、誰もが、彼の能力を評価していなかったのが、今回の件で、わかった…


 これ以上の屈辱はない…


 なにより、大場敦子といっしょに、内閣情報調査室の人間に連行されないのが、一番の屈辱だろう…


 高雄が、たいした人間ではないことの証明に他ならないからだ…


 「…ちょっと、待ってくれ…」


 いきなり、高雄が、葉山に声をかけた…


 「…これから、警察に出頭する…ボクは、指名手配犯だ…いっしょについていって、くれませんか?…」


 高雄の言葉に、葉山は、ウンともスンとも、答えず、黙って、肩をすくめた…


 「…オレの管轄外だが、指名手配中の人間を、目の前にして、警察に連れていかないとなれば、上から嫌みを言われるかもしれない…出世はとうに諦めたが、嫌みは、もっと嫌だ…」


 葉山は、遠回しに言って、高雄の提案を受け入れた…


 「…いっしょに行くよ…」


 「…ありがとうございます…」


 高雄が言って、すぐさま、二人で、歩き出した…


 私は、呆然と、二人の背中を見送った…


 そして、ハタと気付いた…


 この部屋の主である、大場敦子は、内閣情報調査室の人間に連行され、いなくなった…


 また、大場敦子に匿われていた、高雄悠(ゆう)も、今、いなくなった…


 残されたのは、私一人だけ…


 竹下クミ、だけだった…


 いや、


 もう一人、残っていた…


 このマンションの管理人だ…


 この部屋にやって来た中で、ただ一人の小柄な老人だった…


 私と、管理人は、思わず、顔を見合わせた…


 「…お嬢さんは?…」


 と、管理人が、私に聞いた…


 「…この部屋の持ち主の大場敦子さんの友人です…今日、初めて、このマンションにやって来ました…」


 私は、管理人に説明する…


 「…そうですか…」


 管理人のお爺ちゃんが、戸惑ったようだった…


 「…だから、私もこれで、失礼します…」


 そう言って、帰ろうとした…


 が、


 管理人のお爺ちゃんが、止めた…


 「…こんな時間で、帰るといっても、きっと電車も途中で、なくなっちゃうかもしれませんよ…どうせなら、この部屋で、一晩、過ごして、明日の朝になってから、この部屋を出れば、いいんじゃないですか?…」


 と、提案された…


 いわれてみれば、このお爺ちゃんの言う通り…


 が、


 他人の部屋で、勝手に一晩過ごして、いいのだろうか?


 大場の両親に了承を得ないで、この部屋に泊まっていいのだろうか?


 当たり前の疑問が浮かんだ…


 が、


 直後に、大場家では、今、それどころじゃない状態にあることに、気付いた…


 大場小太郎は、内閣情報調査室に呼ばれ、養女の敦子も同じ…


 大場一家がてんやわんやの大騒動になっているのは、見ないでも、わかる…


 だから、私が、今、電話をかけても、繋がらないか、繋がっても、なんで、そんなことを、と言われるのが、オチだ…


 ハナから、わかっている…


 そこまで、考えると、


 「…わかりました…今日は、この部屋に泊まって、明日、朝になって、この部屋を出ます…」


 と、答えた…


 「…それが、一番いい…明日、部屋を出るときに、連絡を下さい…」


 そう言って、管理人のお爺ちゃんは、この部屋から去った…


 後には、私一人が残った…


 

 翌日、私は、この部屋を出た…


 管理人のお爺ちゃんに、


 「…昨日はありがとうございました…ゆっくり過ごせました…」


 と言って、マンションを後にした…


 本当は、ゆっくりどころか、大げさに言えば、一睡もできなかった…


 なんとなく、うつらうつらして、一晩を過ごした…


 他人の、しかも、主がいない家で、主の了承も得ずに、勝手に一晩過ごしたのだ…


 そんな状況で、爆睡できるほど、私は、図々しくない…


 神経も太くなかった…


 だから、なんとなく、うつらうつらしている間に、夜が更けて、朝がやってきた…


 そんな感じだった…


 考えることは、山ほどあった…


 大場敦子は、これから、どうなるのだろう?


 大場の父である、大場小太郎は、これから、どうなるのだろう?


 なにしろ、内閣情報調査室だ…


 公安の比ではない…


 国家の情報の要(かなめ)だ…


 その機関に連行されたのだ…


 おそらくは、大場小太郎は、中国への利益供与に関わっているのだろう…


 どこまで、関わっているかは、わからないが、真っ白ではないだろう…


 潔白ではないだろう…


 国会議員の辞職は、避けられないだろう…


 あんなにも、次の首相に近い人物と言われていたのに…


 まさに、天国から地獄…


 真っ逆さまに、落下した感じだった…


 本当は、電車に揺られながら、スマホを見れば、今、どんな状況だか、わかるかもしれなかったが、あえて、私は、見なかった…


 なぜ、見なかったと言われれば、頭の中を整理したかったのだ…


 情報は、必要だが、その情報ばかり、追うと、今度は、自分の頭の中で、考えられなくなる…


 以前、父が言っていた…


 長年、会社員をしていると、誰が出世する、とか、誰々が、次の部長だという話が嫌でも耳に入ってくる…


 そういう情報を得ることは、たしかに必要だが、その情報に、振り回されると、今度は、自分の頭の中で、考えることができなくなる…


 具体的には、その人物を自分が、どう評価しているとか、そういうことが、できなくなる…


 おろそかになる…


 他人から聞いた評価が、すべてになる…

 

 自分で判断できなくなる…


 本当に、その情報が正しいか、否かも大切だが、それに振り回されて、自分なりの判断を下せなくなる…


 それが、困る…


 父は、転職経験者なので、余計に、そう思ったそうだ…


 とりわけ、人物評価…


 具体的には、この会社だから、通用する人、と、どこへいっても、通用する人の二つに大きく分かれる…


 が、


 普通のひとで、どこへいっても通用する人はいない…


 大抵は、10か所の職場があれば、7か所の職場で、通用すれば、良しとすべきだろう…


 それが、仮に、一つか二つしか、通用しなければ、なにか、その人間に大きな問題があると思えばいい…


 稀に、どこへいっても、無理だろうと思える人間もいるが、それは、論外…


 ただし、そういう人間も老若男女を問わず、一定数いる…


 それもまた事実だ…


 父は、ときおり、そんなことを、私に話してくれた…


 そして、その話は、私も十二分に納得できるものだった…


 だから、今も、電車に揺られながら、あえて、スマホを見ずに、自分の頭の中で、これまで、起こった出来事を整理しようと考えた…


 真っ先に、脳裏に浮かんだのは、やはり、稲葉五郎だった…


 山田会二代目会長…


 誰が見ても、武闘派のヤクザ者だった…


 だが、私に優しかった…


 これでもか、というほど、優しかった…


 最初、稲葉五郎は、私が、先代の亡くなった古賀会長の血筋を引く者だからと言っていたが、それは、ウソだった…


 実は、私が、自分の娘かも知れないから、近付いた…


 それが、真相だった…


 と、いっても、別に、昔、私の母の恋人だったとか、そんな話ではない…


 亡くなった古賀会長が、稲葉五郎の弱点を作るために、稲葉五郎の精液を、製薬会社の営業社員に金を与えて、買い取らせるように、仕向けた…


 そして、その結果、生まれたのが、私ということだった…


 いわゆる、不妊治療で、夫とは、別の男の精子を提供されて、生まれたのが、私であり、その精子の提供者が、稲葉五郎ということだった…


 不妊治療で、男性側に問題があった場合は、誰か、別の男性の精液が、必要になる…


 当たり前のことだ…


 そして、当時は、その精液は、どこから手に入れるかとなると、精子の提供者は、大学病院の若いインターンの学生か、大学病院を担当する製薬会社のMR(営業社員)が、多かった…


 だから、製薬会社のMR(営業社員)は、稲葉五郎の精液を手に入れて、母にその精子を提供して、私が、生まれた…


 ただし、真偽は、不明…


 本当か、ウソか、さっぱり、わからない…


 そして、それが、事実か否かは、両親に聞くこともできない…


 さすがに、問題が、大きすぎるからだ…


 かといって、稲葉五郎といっしょに、DNA検査をすることもできない…


 私は、嫌だし、稲葉五郎も同じだろう…


 世の中には、知った方がいいこともあれば、知らなかったことの方がいいこともある…


 仮に、稲葉五郎が、私の生物学上の父親だとすれば、今の父親は、私とは、血縁上は、赤の他人となる…


 そして、もし、そうならば、やはり、父とのこれからの関係が、心配になる…


 これまで、当たり前だが、血の繋がった父娘として、やってきた…


 関係を築いてきた…


 それが、崩れるかもしれない…


 崩壊するかもしれない…


 ならば、私と父が、本当に血が繋がった父娘かどうか、なんて、知らない方がいい…


 一生、知らない方が、よっぽどいい…


 私は、思った…


 一方、稲葉五郎が、どう思ったか、わからない…


 稲葉五郎は、私と本当に血が繋がった父娘かどうか、知りたいかもしれない…


 あるいは、知りたくないかもしれない…


 はっきりと、血が繋がった父娘であると、わかる…


 あるいは、はっきりと、血縁関係がないとわかる…


 いずれにしろ、結果がわかることで、その後の行動というか、態度が変わる…


 血の繋がった娘であれば、やはり、可愛いし、血が繋がってなければ、どうしても、疎遠になるというか…距離ができる…


 当たり前のことだ…


 私にとっても、悩みどころだが、稲葉五郎にとっても、同じだろう…


 文字通り、父娘ほど、歳が、違うし、日本で二番目に大きな暴力団の会長と、ただの女子大生に過ぎない私とでは、立場も、天と地ほども、違うが、同じように、悩んでいるに違いない…


 そう考えると、人の悩みというものは、歳が違っても、身分というか、社会的な地位が雲泥に違っても、大差ないんじゃないかと、考えてしまう…


 それが、大きな発見だった…


 悩みながら、私は、早朝、まったく、行ったことのなかった、大場のマンションから、自宅に向かって、電車に揺られていた…



 その後は、文字通り、日本中、大騒ぎだった…


 今、もっとも、次の首相に近い男と言われた、大場小太郎代議士の逮捕…


 議員辞職が、文字通り、日本中の波紋を呼んだ…


 そして、なにより、議員辞職の理由が、中国からの利益供与というのが、国会を始めとして、永田町、霞が関を始め、日本の中枢部に衝撃が走った…


 杉崎実業が、政府に内緒で、中国に、不正に製品を輸出したことを掴んで、暴露した男が、こともあろうか、実際は、中国に通じていた…


 これは、国家に対する重大な背信行為であり、あってはならないことだった…


 と、同時に、見方を変えれば、まさに、コメディ…


 正真正銘のコメディだった…


 なにしろ、杉崎実業の中国への不正な製品輸出を指摘して、一躍有名になった大場小太郎代議士…


これまで、国会を除けば、世間では、無名に近い人物であった、大場小太郎代議士…


 それが、実は、告発した自分自身も、中国政府から、利益を得ていたなんて…


 まさに、コメディ以外の何物でもない…


 単純に言えば、


 「…アイツは、悪いことをしている…不正な行為をしている…」


 と、告発した人物もまた、不正な利益供与を受けていたのだ…


 要するに、


 「…アイツは悪いヤツだ…」


 と、暴露した当人も、また悪いヤツだったということだ(笑)…


 まさに、コメディ…


 コメディ以外の何物でもない…


 大場小太郎議員の逮捕に、文字通り、日本中、騒然となった…


 なにより、永田町は、凄かった…


 大場小太郎という派閥の領袖が、中国から、金をもらっていたのだ…


 だったら、他の議員は、どうなのか? と、言いたくなる…


 聞きたくなる…


 まるで、アメリカの50年代の赤狩り(マッカーシズム)=共産党狩りを見るようなものだった…


 当時、アメリカにおいて、共産主義者の排除が行われたが、それを再現するようなものだった…


 いわゆる、民衆主義は、選挙によって、成立している…


 そして、選挙に立候補するには、金がかかる…


 それゆえ、中国のような非民主国は、候補者に金を握らせて、傀儡(かいらい)=操り人形とすることができる…


 もちろん、中国政府が、直接、候補者に金をばらまくわけではない…


 トンネル会社といえば、聞こえは、悪いが、ダミーの会社を経由して、議員に金を届ける…


 そして、金をもらった、議員は、国会でも、なんでも、中国に、不利益な法案に賛成することは、できなくなる…


 民主主義最大の弱点だ…


 どうしても、金をもらえば、金をくれた人間に、配慮をしなければ、ならなくなる…


 当たり前だが、そんな民主主義の弱点もまた議論に上がった…


 そして、中国は、これもまた、知らぬ存ぜぬで、一切無視した…


 中国は、共産主義国家であり、他国に干渉は、一切しないと、報道官が、真顔で語った…


 完全なブラックジョークだった…


 話を大場小太郎に戻そう…


 大場代議士は、逮捕されたが、利益供与は、一貫して、否認した…


 「…自分は、自民党、大場派の領袖であり、代々、国会議員を輩出する家柄…国家に奉仕こそすれ、国家に反逆するが真似を、することはありえない…」


と、自信満々に証言した…


が、だったら、なぜ、中国の工作員と密会を重ねていたと、問われると、


「…敦子のためです…」


と、即答した…


「…娘のためです…娘が、よからぬ交友関係というか、いかがわしい者たちと接触していると聞いたもので…」


大場代議士が、告白するには、家で、たびたび、軽い雑談をしているときに、妻から、敦子が、よからぬ人たちと、交流していると、密かに相談されたのが、きっかけだった…


敦子は、養女…


家族の中で、妻を除けば、ただ一人だけ、自分と血が繋がってない…


だから、普段から、余計に気にかけていた…


そう、告白した…


「…それだけではないでしょう…」


相手の追及に、渋々と、


もっと、はっきり言えば、世間の目もあった…


と、自白した…


やはり、自分の立場上、娘の交友関係が、世間に知られて、変な話題になると困る…


それもあったと、言った…


そして、娘の敦子が、懇意にしている、いかがわしい女性と会った…


それが、あの杉崎実業の藤原綾乃だった…


人事部で、部長だった人見の部下だった女性だった…


日本の往年?のセクシー女優、藤原紀香に似た、セクシー美女だった…


大場代議士は、藤原綾乃と何度か、会っていて、相手の素性は、読めた…


狙いもわかった…


だから、いかに相手が、藤原紀香似の美女でも、ハニートラップにかかるほど、愚かではなかった…


ただ、問題は、杉崎実業にあった…


すでに、その時点で、杉崎実業は、高雄総業が、株を握っていた…


そして、高雄総業は、当たり前だが、高雄組の別名義の団体…


そのトップである、高雄組組長とは、懇意の仲…


そんな油断もあった…


なにかあったら、高雄組の力を借りて、藤原綾乃をなんとかすればいいと軽く考えた…


同時に、それは、すでに、藤原綾乃の見抜くところでもあった…


いや、


藤原綾乃ではない…


中国政府の見抜くところだった…


君子危うきに近寄らず…


これは、人間関係の基本…


自分を守るための基本だ…


大場代議士は、藤原綾乃のハニートラップにも、引っかからず、金を得ることもなかった…


しかし、結果的に、相手が、中国の工作員だと知っていて、密会を重ねた…


これが、文字通り、命取りとなった…


自分は、中国から、一切の金品を得ていないと、徹頭徹尾、証言したが、その証言が、信用されることはなかった…


それは、おおげさに言えば、女とホテルに入ったが、あくまで、休憩のためだったと、言い張るに等しいと、世間は、判断した(笑)…


事実は、どうあれ、世間の逆風を打ち消すことはできなかった…


まさに、高をくくっていたのだ…


君子危うきに近寄らず…


これを実践すれば、よいだけだったのだ…


大場代議士は、結局、議員を辞職した…


世間の逆風をはねのけることができなかったからだ…


しかし、政界引退は、頑なに、拒絶した…


自分は、やましいことは、なにもしていない…


この一点だった…


だが、周囲の見方は、まるで、違った…


完全に、終わったひと…


過去のひと扱いだった…


仮に、次の選挙で、当選しても、もはや、かつての力を取り戻すのは、不可能…


完全に、政界で、終わったひと扱いだった…


そして、この大場小太郎の現在の境遇を招いた原因である、大場敦子は、というと、こちらは、ひどく冷静だった…


自分が、仮にも、義理の父親が、逮捕されるきっかけを作ったにも、かかわらず、どこか他人事というか…


関心がない様子だった…


要するに、自分がしたことへの、処罰が気にいらないのだった…


藤原綾乃が巧妙に、大場敦子に近づき、敦子を窓口にして、父親の大場小太郎を紹介され、知遇を得た…


はっきり言えば、それだけだった…


金銭のやりとりも、セックスの関係もなにもない…


大場敦子としては、藤原綾乃は年上の友人という位置づけだった…


だから、気軽に、父親のこと、家庭のことをあけすけに語った…


それが、罪になるのが、許せなかった…


だから、腹が立った…


しかし、父親に対しては、微妙だったようだ…


やはり、議員辞職という事態にまで、追い込んだ意識があった…


そして、これは、大場代議士にとっても、別の意味で、衝撃だった…


すべての原因は、大場家における敦子の不満が、きっかけだったと聞かされたからだ…


大場小太郎が語るには、自分は、決して、敦子を差別したことがない…


常に血が繋がった自分の子供と分け隔てない育て方をしたと自負していた…


それが、敦子が不満を持っていたというのが、以外と言うか、信じられなかった…


が、


当の敦子に言わせれば、それは、見せかけだった…


例えば、食事のときに、名前を呼ぶ行為ひとつとっても、差別があったと主張した…


要するに、大場小太郎は、甘ったるい声で、血の繋がった自分の子供の名前を呼ぶのだ…


が、真逆に、自分の名前を呼ぶときは、そっけないというか…冷たいというか…


そんな感じだった…


一方は差別していないと主張し、もう一方は、差別されたと、主張する。


まさに、水掛け論だった…


要するに、受け取り方の問題だった…


仮に、同じ場にいる、大場の種違いの妹や弟、そして、母親が、どう思うのか聞いても、また違う意見があるかもしれない…


差別されてるか、否か、は、わからない…


どう受け取るかは、感じ方が、ひとそれぞれ、微妙に違うからだ…


まさに、人間関係の難しさだった…


結局、大場父娘は検察から、不起訴に終わった…


起訴しなかった…


いわゆる、マスコミや市民団代は、検察に不起訴の理由を尋ねたが、検察は答えなかった…


というより、検察が不起訴の理由を語ることは、稀だ(笑)…


実際には、大場父娘が、あの藤原綾乃と接触した事実は、掴んだが、大した情報を与えてないと判断したのだろう…


ネットや週刊誌では、そう分析していた…


事実、スパイと言われても、本人にスパイをしている自覚は、ないことも多い…


有名なところでは、江戸時代のシーボルト事件が、そうだ…


蘭学医、シーボルトに、輸出禁止の日本地図を送った、幕府天文方、高橋景保に、スパイをしている意識があったかといえば、ないだろう…


が、シーボルトは、医師以外の肩書がなにかと高野長英に問われて、


「コンテンス・ポンテー・ヲルテ」


と、ラテン語で答えたと渡辺崋山が書いている…


しかし、これは「コレスポンデントヴェルデ」であり、内情探索官と訳すべきものである…


内情探索官=スパイ…


つまり、シーボルト自身は、自分が、スパイの自覚があったわけだ…


一方、日本地図を送った、幕府天文方、高橋景保に、当然のことながら、スパイの自覚はない…


それと同じだった…


大場父娘は、藤原綾乃と接していても、たわいもない世間話が中心だったと言った…


だが、それを聞いた藤原綾乃は、大場父娘の話から、例えば、国会議員の世間で、知られてない素顔…


例えば、男なら、アイツは、ロリコンで、若い女が、無性に好きだという話から、その国会議員の性癖を知ることができた…


そして、それを、中国政府に送った…


なにも、重大な企業秘密や、特許等を知らせるのが、スパイではない…


いわゆる、たわいもない、話を集めて、分析すれば、それが、膨大なデータになる…


例えば、今、例に挙げた、ロリコン好きの国会議員をハニートラップにかけるには、広瀬すずのようなタイプの女を用意すれば、よいか、藤田ニコルのような女を用意すれば、よいか、参考になる…


一口にロリコンと言っても、好みは千差万別…


年齢は、どれぐらいで、どんなタイプが、好みなのかは、よほど、親しい人間でないと、わからないからだ…


そして、藤原綾乃は、そうしたデータを中国政府に送り続けた…


それが、彼女の仕事だった…


そして、その事実を、あの葉山も在籍する、内閣情報調査室が掴んでいた…


それゆえ、大場父娘は、不起訴だったのだ…


が、


いくら、不起訴でも、一度付いたスパイ容疑を晴らすのは、至難の業だった…


大場父娘は、数週間の拘束で、釈放されたが、釈放された時点で、これまで、持っていた世間的な知名度=イメージは、文字通り、地に堕ちた…


二度と回復は、困難なダメージを受けた…


ある意味、自業自得といえば、自業自得だが、さすがに、哀れだった…


大場敦子は、また、父親を刺した容疑もあったが、これは、不問とまでは、言わないが、たいした容疑ではなかった…


身近にあったカッターナイフで、父親に切りつけたのだ…


たいしたケガを負うはずもなかった…


ただ、大場代議士は、その直前に会った高雄悠(ゆう)を逮捕させるために、大げさに、騒いだに過ぎなかった…


子供の頃から、知る悠(ゆう)の身が心配だったのだ…


悠(ゆう)が、実力以上に、自分自身を評価しているので、危なっかしくて、見ていられなかった…


中国の工作員と接触して、うまくやっているつもりでも、使い捨てにして、殺されるのでは?


そう危惧した大場代議士が、悠(ゆう)に刺されたことにして、警察に捕まえさせれば、悠(ゆう)の身の安全が保障されると、とっさに考えたからだ…


一方、悠(ゆう)はと言うと、


高雄悠(ゆう)は、杉崎実業をベースに、立ちまわっていたが、たいしたことはできなかった…


いわゆる、言っていることと、やっていることが違う人間の典型だった…


口では、高雄組を将来は、解散して、堅気の会社に衣替えさせたい…


それを知り合った人間に、熱っぽく語っていたが、具体的な展望は、なにもなかった…


杉崎実業を買収する…


それだけで、満足したわけではないだろうが、具体的な進展はなかった…


それゆえ、養父である、高雄組組長は、悠(ゆう)が、心配だったのだろう…


才能はあるが、まだ若く社会経験に乏しいゆえに、現実と理想の乖離(かいり)が激し過ぎた…


それを誰よりも憂いていた…


言葉は悪いが、経済ヤクザとして、身を立て、成功した高雄組組長は、社会の底辺を嫌というほど、見ていた…


身を持って知っていた…


それゆえ、悠(ゆう)の見る夢が、いかに地に足がついたものではないことを感じていた…


しかし、それをいくら悠(ゆう)に説いても、わかる悠(ゆう)ではないことも、また見抜いていた…


時間が経ち、いずれは、地に足がついた状態になるまで、待つつもりだったが、そうはならなかった…


山田会の分裂騒動で、心ならずも、自分自身が、周囲に推されて、先頭に立たざるを得なくなった…


これは、まったく予想外の事態だった…


結局、悠(ゆう)を諭す時間もなく、高雄組組長は、逝ってしまった…


おそらくは、高雄組組長にとって、唯一の、そして、最大の心残りであろう…


高雄悠(ゆう)も、また不起訴、嫌疑不十分で、釈放された…


これは、大場父娘と同じだった…


そして、高雄悠(ゆう)もまた、養父である、高雄組組長が、いない今、すでに、なにもなかった…


高雄組組長あっての悠(ゆう)だった…


これは、大場以下…


大場敦子は、力を失ったとはいえ、大場小太郎が、存命している…


しかし、悠(ゆう)には、なにもなかった…


財産以外、すべてを失ったと言っていい…


人脈もなにも、養父の高雄組組長あっての悠(ゆう)だった…


文字通り、身ぐるみ剝がされた状態だった…


すべてを失った状態で、釈放されたのだった…



 一方、私はと言うと、


 一言で言えば、平常運転の日々だった(笑)…


 高雄悠(ゆう)も、大場敦子も、まったく関係がなくなった…


 あの騒動以来、一度たりとも、会ってなかった…


 私は、毎日、いつものコンビニで、バイトに明け暮れていた…


 店長は、突然、変わった…


 葉山は、突然、辞めたいといって、店に顔を出すことは、なくなった…


 コンビニのオーナーによれば、一身上の都合というより、なにか、ホッとしたような表情だったという…


 事件が済んだというような、なにか、目的を達成したような感じだったという…


 普通ならば、突然の退職なので、慌てるところだが、それは、なかった…


 実は、大きな声ではいえないが、葉山を、この店の店長に推薦したのは、オーナーが、常日頃、お世話になってる方の紹介だった…


 そして、葉山を紹介したその人もまた、別の誰かに、頼まれて、葉山を、このコンビニの店長にしてもらいたいと頼まれてのことだったそうだ…


 そして、その人も、また、別の誰かに頼まれて…


 つまり、簡単に、誰が、葉山をこのコンビニに押し込んだのかは、知られないように、用心していた…


 要するに、すべては、あらかじめ、私、竹下クミを監視するために、あの店に店長として、やってきたのだ…


 私のバイトするコンビニのオーナーを調べ、その人脈を探り、葉山を押し込んだ…


 それだけだった…


 そして、葉山を店長として、雇う際に、


 「…この方は、突然、退職されるかもしれませんので…」


 と、あらかじめ、念を押した…


 雇ってくれと、突然、迫り、もしかしたら、突然、辞めるかもしれない、なんて、普通、ありえないというか、ある意味、バカにしている…


 しかし、それを断ることはできなかった…


 なにより、オーナーに話を持ちかけるときに、銀行の融資担当者を、同席させていた…


 つまりは、金を握っていたというか、ちらつかせていた…


 場合によっては、今後、おたくには、うちの銀行は、一切、融資しない、という、暗黙の脅しでもあった(笑)…


 つまりは、事前に用意周到に、オーナーが断れないよう、画策していた…


 だから、葉山が、突然、退職しても、オーナーは慌てなかった…


 とりあえず、自分が、店に出て、店長をやるつもりだった…


 しかし、すぐに、後任が見つかった…


 やはり、葉山を紹介した人間が、すぐに、後任の人間を連れてきた…


 すべては、葉山が突然、退職したときのことを考え、あらかじめ、内閣情報調査室が、用意していたシナリオだった…


 無論、誰も、私に、そんな内情は伝えない…


 ただ、オーナーの話から、なんとなく、わかった…


 もちろん、私は、葉山が、実は、内閣情報調査室にいたと知っていたから、容易に、内情を喝破(かっぱ)したに過ぎない…


 そんな内情をなにも知らない、同僚のバイト仲間の当麻なんて、


 「…葉山さん…どうして、いきなり、辞めたんだろ?…」


 と、首をひねっていた…


 だから、私が、当麻に、


 「…葉山さんのこと、好きだったの?…」


 と、聞くと、当麻は、


 「…別に、好きでも、なんでもないけど、あの人、うるさく言うタイプじゃなかったから…」


 と、答えた…


 「…とにかく、いっしょに働いていて、いちいち指図するようなタイプは、御免だから…」


 当麻が、口を尖らせて言う…


 しかし、当麻の悩みは、杞憂に終わった…


 今度来た、店長もまた、アレコレなんにでも口を出したり、ひとに頻繁に指示を出すタイプでもなかった…


 至って、平凡な人物というと、語弊があるが、とにかく、口やかましいタイプでもなんでもなかった…


 だから、私も当麻も安心した…


そして、ただ、コンビニのバイトに励んでいた…


 相変わらず、同じ店で、店長が、葉山から他の人物に変わったに過ぎなかった…


 とにかく、必死になって、働き、お金を貯める…


 それだけだった…


 他のバイトも考えたが、当面は、従来通り、このコンビニで、働くことにした…


 なぜって、今さら、他の時給がよいバイト先を探すのも、億劫…


 面倒くさい…


 それよりも、コンビニのバイトを続けながら、どこか、良い就職先があれば、応募しようと、虎視眈々と狙っていた…


 杉崎実業への就職は、すでに断念…


 だから、次の就職先を探すしかない…


 ただ、おいそれと簡単に見つかるものでもなかった…


 だから、私は、常に、スマホやパソコンで、求人情報を探しながら、コンビニのバイトに励んだ…


 なにやら、杉崎実業への就職の内定が決まる前と、なにも変わらなかった…


 びっくりするほど、なにも変わらなかった…


 つまりは、バイトをしながら、就職先を探している…


 まったく依然と同じ日常だった(笑)…


 すでに、笑っていいのか、泣いていいのかも、わからない状態だった…


 大学には、当然、いっている…


 これも同じ…


 日本中を驚かせた、あの大場小太郎父娘の逮捕の内幕や、日本で、二番目に大きな暴力団の会長である、稲葉五郎を知った…


 そんな凄い人間と知り合った…


 身近に見た…


 ある意味、稀有な人間だと自分自身を思う…


 まだ22歳になって、まもないのに、つい最近まで、次に首相になるのでは? と、世間に噂された人物や、日本で、二番目に大きな暴力団の会長と知り会ったのだ…


 さぞかし、大きな人間的な成長があったと、ひとは、思うかもしれない…


 だが、なにもなかった…


 ビックリするほど、なにもなかった(笑)…


 あんな大きな経験をしたにも、かかわらず、なにもなかった…


 それを示すエピソードがある…


 つい最近、大学に通う際に、偶然、駅で、高校時代の友人に会ったときだ…


 その友人は、私を一目見るなり、


 「…クミは、全然変わってないね…相変わらず、頼りない…」


 と、開口一番、私に告げた…


 再会するなり、告げた一言がそれだった…


 私は、唖然としたが、言い返せなかった…


 事実、その通りだったからだ…


 そして、その言葉で、私の黒歴史が、脳裏に蘇った…


 杉崎実業以外、一社も内定を得られなかった黒歴史が、脳裏に、蘇った…


 なぜなら、


 「…竹下さん…誰が見ても、頼りないから、ダメなんですよ…だから、内定が一つも取れないんですよ…」


 という当麻の言葉が、脳裏に蘇ったからだ…


 まさに、思い出したくない、黒歴史のオンパレードだった…


 辛い経験は、ひとを成長させる…


 世間では、よくそんなことを言うが、私に至っては、そんなことはまったくなかった…


 まったく、あてはまらなかった…


 なにしろ、出会うなり、いきなり、


 「…クミは、相変わらず、頼りない…」


 だ…


 内面的成長もなにもあったものじゃなかった…


 よく内面を磨けば、外見に現れるというが、これも、私には、当てはまらなかった(笑)…


 そもそも、あの騒動は、私にとって、迷惑以外の何物でもなかった…


 私の属する社会と言えば、おおげさだが、私の属する階級とは、まるで、別次元の階級…


 いわゆる上級階級のひとたちだ…


 私とは、まるで関係がない…


 私が、後、80年生きても、なにも関係がないだろう…


 これは、別段、私が強がっているとか、皮肉を言っているとか、そういう話ではない…


 とにかく、自分とは、なんの関係もないのだ…


 住んでいる世界が、違うのだから、交流を持つ、必要もない…


 ハナから、違う世界に住んでいるのだ…


 以前、父が言っていた…


 例えば、誰もが、道を歩いていて、もの凄くイケメンだったり、美人だったりするひととすれ違うことは、稀にある…


 誰もが経験することだ…


 思わず、二度見、三度見、してしまう…


 振り返るほどの、イケメンや美人…


 それはある…


 だが、例えば、自分と同じ年齢で、学力が、上から100番以内の人間に会うことは、たぶんない…


 仮に、今、同じ年に生まれた日本人が、100万人いるとする…


 その上位、100人の人間と知り合う機会は、大抵の人間は、まずないだろう…


 そういうことだ…


 それと同じで、私の人生で、たまたま、起こった僥倖(ぎょうこう)と言うか…


 そんな感じだった…


 たまたま、東大で、トップクラスの人間と知り合ったのと、同じような出来事だった…


 でも、残念ながら、そんな秀才と、私が知り会っても、私には、そのひとが、どれほど、頭がいいのか、さっぱりわからない…


 それと同じで、はっきり言って、大場父娘や、稲葉五郎との出会いは、私に身にならなかった…


 世界が違い過ぎるからだ…


 それは、ちょうど、普通の小学生が、東大に通ったようなもの…


 あまりにも、学力が違い過ぎて、違いがわからないのだ(笑)…


 身になるというのは、あくまで、自分より、少し上の世界…


 手を伸ばせば、届く世界に他ならない…


 あまりにも違うと、それは、別世界…


 例えば、政界で言うと、麻生太郎の家に招かれたと思えばいい…


 福岡県飯塚市の麻生邸は、


「本家だけで2万坪、離れが2000坪」


「廊下の全長は100メートル」


 と、言われている…


 そんな大豪邸に招かれたところで、


 「…本物のお金持ちって凄いんだ…」


 という感覚しか、普通は持てない…


 それと同じだ…


 あくまで、本人の身になるというのは、その本人が理解できるレベル…


 麻生邸のような大豪邸に招かれても、さっぱり、麻生氏の懐具合はわからない…


 庶民の想像をはるかに、超えてるからだ…


 それでは、身にならない…


 役に立たない…


 身につくというのは、あくまで、本人が理解できるレベル…


 そうでなければ、ならない…


 ただ、わかるのは、麻生氏が、とんでもないお金持ちだということだけだ…


 それも、身になるというのなら、なるだろう…


 しかし、それだけではダメだ…


 その大豪邸を作るには、どれほどの収入が必要なのか、それが、即座にわかるレベルの人間が、ベスト…


 それが、手が届くレベルの人間だからだ…


 当然、私に、そんな芸当ができるわけがない…


 若干、話が、それたが、そんな感じだった…


 要するに、自分と住む、世界が違い過ぎる人間と出会っても、まったく身にならないということだ…


 ただ、凄い人…


 ただ、凄いお金持ち…


 と、出会ったに過ぎない…


 私は、そう思った…


 ただ、大場敦子は、実は、一度だけだが、会った…


 電話があったのだ…


 私のスマホに連絡があった…


 私は、留守電にしていたので、電話があったときは、電話に出なかったが、


 「…元気? 竹下さん…お久しぶり…」


 と、伝言が入れられていた…


 その声は、思ったほど、落ち込んだ様子でもなかった…


 「…いろいろあったけど、全部終わっちゃった…」


 と、むしろ、サッパリした感じだった…


 「…竹下さんと、いっしょに、杉崎実業に入社できなかったのが、残念というか…もっと、ずーっと、竹下さんと、いっしょにいたかった…」


 思いがけない告白だった…


 …一体、どうして、私といたいんだろう?…


 私は、思った…


 と、その疑問は、次の言葉で、解決した…


 「…だって、竹下さん…最後まで、自分のことをわかってなかったんだもの…」


 …自分のことを、わかっていない?…


 …一体、どういう意味だ?…


 「…たぶん、杉崎実業に入社しても、ずーっと、そのまま…」


 …ずーっと、そのまま…


 「…竹下さん…いえ、古賀さん…」


 突然、大場が言った…



 …古賀さん?…


 一体、どういう意味だ?


 これでは、私が、亡くなった古賀会長の血筋を引く者と思われた当初と同じ…


 最初と同じ、だ…


 私は、もしかしたら、稲葉五郎の娘では、なかったのか?


 一体、どういうことだ?


 私は、混乱した…


 一体、どういうことなんだ?


 私は、怒鳴りたい気持ちになった…


 だが、相手は、録音した音声に過ぎない…


 なにを言ってもダメ…


 届かない…


 電話の向こうにいないのだ…


 私が、悩んでいると、


 「…なんてね?…」


 と、いたずらっぽく笑った…


 「…とにかく、一度会いたいわ…連絡を下さい…」


 と、言って、メッセージが終わっていた…


 私は、驚いた…


 と、同時に、頭にきた…


 いきなり、電話をかけてきて、私を竹下さんでなく、古賀さんと、呼んだ…


 これが、まだ、稲葉さんなら、わかる…


 だが、古賀さんは、ない…


 それは、最初、私が亡くなった古賀会長の血筋を引く者と、思われていたから…


 だからだ…


 しかし、今、すでに、その疑いは、晴れた…


 なにより、亡くなった古賀会長は、女を抱けなかったと、古賀会長の実質的な家族である、あの女優の渡辺えりに似た町中華の女将さんが、言っていた…


 終戦のゴタゴタで、中国からの引き揚げ時に、さんざ、女が無理やり犯されるのを見た…


 強姦されるのを、目の当たりにした…


 それは、幼少時の古賀会長に、甚大な心の傷を負わせた…


 それが、トラウマになり、生涯女を抱くことができなかった…


 これと、同じような経験は、かつて、俳優の宝田明が言っている…


 ソ連兵に撃たれた経験や、満鉄の社宅にいた女性がソ連兵に強姦される現場を目撃した経験などがトラウマになり、現在もロシアに対して嫌悪感を抱いている、と…


 幼少時の経験は、誰もが大きい…


 下手をすれば、一生、それに縛られることがある…


 亡くなった古賀会長も、俳優の宝田明も、それは、同じ…


幼少時の経験に一生縛られた…


 だから、古賀会長は、女を抱けなかった…


 ゆえに、子供ができなかった…


 だから、私が、古賀会長の血筋を引く人間であることは、ありえない…


 子供のいない、古賀会長にとって、子孫が存在することは、ありえないからだ…


 そんなことは、大場もすでに、承知のはずだ…


 それが、一体なぜ?


 私は、疑問に思った…


 ひょっとして?


 ひょっとして?


 これは、罠?


 私に会いたいための罠?


 …トラップ?…


 そうも思った…


 もはや、私が、大場と会う必要はない…


 大場もそれは、わかっている…


 私自身は、大場に誘われれば、その誘いは、断らない…


 顔を出すだろう…


 しかし、大場の周囲の人間は、そうではないのかもしれない…


 すでに、大場の最大の庇護者であり、後ろ盾だった大場小太郎は、議員バッジをはずした…


 ただのひとになった…


 いや、


 サルは木から落ちてもサルだが、議員は、バッジをはずせば、ただのひと以下…


 という名言?を残した人物もいる…


 だから、もしかしたら、私が、大場と、会うのを拒否すると思って、わざと、私を、


 「…古賀さん…」


 と、呼んだのかもしれない…


 ある意味、謎かけだ…


 その謎の答えを知りたければ、私に会いなさいと、言っているわけだ…


 私は、そう思った…


 私は、そう信じた…


 が、そうではなかったのが、後日、わかった…


 あれから、大場に連絡して、後日、会った…


 しかも、


 しかも、だ…


 大場と会ったのは、料亭だった…


 あの大場の父、大場小太郎と、亡くなった高雄組組長…そして、松尾会長と会った、あの高級料亭だった…


 当初、呼び出された私は、大場の意図が、まったく読めなかった…


 大場はただ、


「迎えのクルマを出すから、竹下さんは、それに乗って…」


と、だけ言った…


私は、断るのも失礼かと思ったので、大場の言う通りにした…


別段、大場に会いたかったわけでも、なんでも、なかった…


ただ、大場の誘いを断ることで、もしかしたら、大場が落ち込んでしまうと、可哀そうだと、思ったからだ…


いや、


私ふぜいに、同情されているとわかれば、かえって、大場は落ち込むかもしれない…


しかし、そんな私の目論見は、すべて、吹っ飛んだ…


それは、私の家の前に、見たこともない高級車が、やって来たことで、気付いた


もしかしたら、私が、間違っているかもしれないと、思い直した…


なぜなら、迎えに現れたクルマは、黒塗りのロールス・ロイスだったからだ…


 私は、ただ凄いクルマだと思ったが、クルマから降りた、執事が、


 「…お待たせしました…お嬢様…今日は、ロールス・ロイスで、お迎えに上がりました…」


 と、言ったからだ…


 もはや、私には、意味不明…


 なにが、なんだか、わからなかった…


 なんで、ロールス・ロイスがやって来なければ、ならないのか?


 意味不明だった…


 だから、ただ、ただ、唖然として、ロールス・ロイスに乗り込んだ…


 そして、着いたのが、あの料亭だった…


 「…いらっしゃいませ…お待ちしていました…」


 私は、料亭の女将以下、従業員に見守られ、ロールス・ロイスから、降りた…


そして、女将以下、従業員に、用意された部屋に案内された…


 そこには、大場父娘、そして、あの女優の渡辺えりに似た町中華の女将さんがいた…


 正直、意味不明…


 さっぱり、わからなかった…


 どうして、ここに、あの町中華の女将さんがいるんだ?


 それが、謎だった…


 大場父娘がいるのは、わかる…


 いや、


 そうではない…


 大場敦子は、この女優の渡辺えりに似た町中華の女将さんと、親しかった…


 だから、この女将さんと、大場敦子がいるのは、いい…


 問題ない…


 問題なのは、大場小太郎…


 あの失脚した大場小太郎が、この場にいることだ…


 どうして、この場にいるのか?


 それが、謎だった…


 「…これは、一体?…」


 思わず、そんな言葉が口をついて出た…


 「…お嬢ちゃんは、私たちの希望なのさ…」


 女将さんが、突然、言った…


 「…希望?…」


 「…そう…古賀会長の血筋を引く…」


 女将さんが、嬉しそうに言った…


 私には、なにが、なんだか、わからなかった…


 私は、もしかして、母親の不妊治療の結果、稲葉五郎の精液をもらって生まれたのでは、なかったのか?


 その可能性については、考えた…


 だから、古賀会長の血筋うんぬんは、なくなったのではないか?


 私は、思った…


 それに、


 それに、


 どうして、この場に、大場父娘と、この町中華の女将さんが、いるのか?


 さっぱり、わからなかった…


 いや、


 そうではない…


 考え直した…


 この3人には、共通点がある…


 中国コネクション…


 とっさに、その言葉が浮かんだ…


 町中華の女将さんは、亡くなった古賀会長の実質的な家族だった…


 そして、古賀会長は、中国政府と繋がりがある…


 中国からの資金で、山田会を大きくした…


 ということは、この女将さんは、実質的に、古賀会長の持っていた中国コネクションを引き継いでる可能性が高い…


 つまり、古賀会長の後継者の可能性が高い…


 一方、大場父娘というと、やはり、中国からのスパイ容疑で、失脚した…


 つまりは、この女将さんと、大場父娘は、すべて、中国繋がり…


 中国をバックに、繋がっている…


 そういうことだ…


 と、ここまで、考えて、気付いた…


 女将さんが言った希望という言葉の意味だ…


 私が、古賀会長の娘ならば、文字通り、それは、希望なのかもしれない…


 しかし、そんなことは、ありえない…


 私が、稲葉五郎の娘ならば、わかる…


 だが、古賀会長の娘であるはずがないからだ…


 私が、そこまで、考えつくと、いきなり、


 「…高雄さんのおかげだよ…」


 と、町中華の女将さんが言った…


 …高雄さん?…


 …高雄組組長?…


 …亡くなった?…


 …一体、なにが、高雄組組長のおかげなんだろう?…


 私は、思った…


 そのときだった…


 「…高雄さんは、心配していた…」


 と、これも、いきなり、大場小太郎が、口を開いた…


 「…心配って、一体なにを心配なんですか?…」


 「…山田会の行く末です…」


 大場小太郎が答える。


 それは、ある意味、不思議な光景だった…


 父親が、国家公安委員長を務め、その縁から、ヤクザ界を監視するために、山田会の重鎮たちと、親交があった、大場小太郎が、口にするセリフではなかった…


 なぜなら、大場小太郎は、あくまで、政府寄りの発言…


 国家寄りの発言をすべき立場…


 それが、今、山田会の立場に立っている…


 これは、ありえない…


 まさに、ミイラ取りがミイラになった格好だ…


 だが、私が、大場小太郎の発言に口を挟むことなど、できない…


 大場小太郎は、大物代議士…


 つい、最近まで、次期首相の座にもっとも、近いと言われていた人物だ…


 その人物の発言に、私ふぜいが、口を挟めるわけがない…


 私は、ただ、唖然とした…


 唖然として、部屋に入ってから、ずっと、立ったままだった…


 立ち尽くしたままだった…


 さすがに、座る間がなかった…


 ようやく、私の置かれた状況に気付いたのだろう…


 女将さんが、


 「…ゴメン…ゴメン…お嬢ちゃんを立たせたままだったね…さあ、この席に座って…」


 あろうことか、渡辺えりに似た女将さんは、空席の、床の間を背にした一番いい席…


 いわゆる、上座(かみざ)を指した…


 私は、仰天した…


 この席に座るのは、この面子では、大場小太郎に決まっているからだ…


 「…わ…私が?…その席に?…」


 唖然として、言った…


 「…その通りです…」


 真っ先に、大場小太郎が答えた…


 「…お嬢さんこそ、その席にふさわしい…」


 大場小太郎が、一段と大きく声を張り上げて言った…


 …夢?…


 …これは、夢?…


 …まさかの夢の中?…


 ここで、目が覚めて、現実に戻る…


 …まさかの夢オチ?…


 そんな予感があった…


 だから、小さく、


 「…これは、夢?…」


 と、呟いた…


 すると、即座に、


 「…いいえ、夢ではありません…」


 と、大場小太郎が答えた…


 「…お嬢さんは、私たちの希望です…」


 「…希望?…」


 「…古賀会長の血を引く、ただ一人の後継者…」


 町中華の女将さんが、続ける…


 「…一体、なにを根拠に、そんな根も葉もないことを?…」


 私が、言うと、


 「…根拠? …根拠ならある!…」


 と、今度は、大場…


 娘の大場敦子が言った…


 「…DNA鑑定の結果がある…」


 断言した…


 「…DNA鑑定?…」


 私は言った…


 「…でも、どうやって?…」


 「…お嬢ちゃんが、うちの店に来た時に、お嬢ちゃんが、口をつけたグラスやら、落ちた髪の毛を検査機関に送って、亡くなった古賀会長のグラスやら、髪の毛やら、残った私物からとったDNAと比べたのさ…その結果、父子であることが、わかった…」


 女将さんが、思いもかけないことを言う…


 私は、女将さんの言葉に唖然とした…


 文字通り、絶句した…


 声が出なかった…


 そして、どうして、そうなったのか?


 なにが、なんだか、わからなかった…


 私が、稲葉五郎の娘なら、わかる…


 だが、


 どうして、亡くなった古賀会長の娘なんだ?


 私が、疑問に思ったというか、悩んでいると、


 「…高雄さんよ…」


 と、大場敦子が言った…


 「…高雄さん?…」


 私が、オウム返しに、返すと、


 「…高雄さんが、五郎の精液ではなく、古賀さんの精液を入れた容器を渡したの…」


 と、女将さんが、種明かしをした…


 …古賀さんの精液?…


 たしかに、それならば、私が、古賀会長の娘でも納得がゆく…


 しかし、なぜ、高雄組組長は、そんなことを?…


 私は、考えた…


 だが、その問いかけをする前に、女将さんが、答えた…


 「…五郎に、山田会の会長の座を渡さないためさ…あの公安の犬に…」


 渡辺えりに似た、町中華の女将さんが、苦々しげに、答えた…



 …公安の犬?…


 あの稲葉五郎が、公安の犬

?


 ありえない!


 稲葉五郎は、誰が見ても、ヤクザ者…


 正真正銘のヤクザ者だ…


 コンビニに置いてある、実話系の雑誌を見ても、


 …ヤクザ界のスター…


 と、書いてある…


 まるで、プロレスラーと見間違えるような大きなカラダに、ゴツイ顔…


 誰が、どう見ても、正真正銘のヤクザ…


 本物のヤクザにしか、見えない…


 それが、こともあろうに、公安の犬なんて…


 ありえない!


 ありえない!


 公安と、ヤクザ…


 文字通り、真逆の存在…


 しかも、稲葉五郎は、今、日本で二番目に、大きな暴力団の会長…


 押しも押されぬ、ヤクザ界の大物だ…


 その稲葉五郎を指して、公安の犬だ、なんて…


 悪ふざけにも、ほどがある…


 と、言いたいところだが、誰もが真剣だった…


 真剣な表情だった…


 大場父娘、そして、町中華の女将さんも、真剣な表情をして、私を見ていた…


 とても、冗談を言っている雰囲気ではなかった…


 私は、考えた…


 だったら、もし、稲葉五郎が、公安の犬だとして、その証拠はあるのだろうか?

 

 それは、目の前にいる、大場小太郎に聞けば、わかるはず…


 大場小太郎は、父親が国家公安委員長をしていて、その縁で、ヤクザ界に目を光らせていた…


 だから、当然、公安について、詳しいはずだ…


 「…証拠は…証拠はあるんですか?…」


 「…証拠…なんの証拠だい?…」


 渡辺えりに似た町中華の女将さんが、口を開く…


 が、


 女将さんには、悪いが、女将さんを無視して、大場小太郎を見た…


 「…稲葉さんが、公安の関係者だという証拠です…」


 私が、言うと、


 「…なんだい…お嬢ちゃんが、古賀さんの娘だという話じゃなく、五郎のことかい?…」


 と、女将さんが、肩を落とした…


 が、


 私は、そんな女将さんを無視した…


 自分が、古賀会長の娘うんぬんは、本当か、どうか、わからないが、稲葉五郎が、公安の犬と、呼ばれたことの方が、はるかに、関心があった…


 それは、やはり、稲葉五郎の精液と、古賀会長の精液を亡くなった高雄組組長が、すり替えたと言った説明を聞いたことが大きい…


 その説明が、本当か、ウソか、わからないが、とりあえず、納得のできる説明には、なっている…


 DNA鑑定の話もそうだ…


 その話が、本当か、嘘っぱちかは、わからない…


 でも、とりあえず、納得できる説明には、なっている…


 しかし、稲葉五郎が、公安の犬だという話には、なんの説明もない…


 だから、聞いた…


 いや、


 もしかしたら、私にとって、私が稲葉五郎の娘か否かよりも、稲葉五郎が、公安の犬と、呼ばれたことの方が、実は、はるかに関心が高いことなのかもしれない…


 私自身、気付いていないが、もしかしたら、そうなのかもしれない…


 私が、そんなことを考えていると、


 「…証拠はありません…」


 と、大場小太郎が答えた…


 「…証拠がない? だったら、どうして?…」


 私は、呟いた…


 証拠がないにも、かかわらず、稲葉五郎を公安の犬、呼ばわりする理由が、わからない…


 そんな私の疑問に、答えるように、


 「…でも、それは、確実な証拠がないというだけです…」


 大場小太郎が、続けた…


 「…確実な証拠?…」


 「…公安の職員名簿とか、そういう確実な証拠がない…だから、こちらとしても、公安の関係者と、推測するしかない…」


 大場小太郎が、ぶっちゃける…


 「…名簿がない…」


 あまりにも、意外な言葉だった…


 「…でも、だったら、どうして、公安のスパイなんて…」


 と、私。


 「…スパイに名簿はありません…」


 大場小太郎が、告白する…


 「…なぜなら、もし、名簿があるならば、どこそこの組織に潜入している誰々は、スパイだと、その名簿を見れば、すぐにわかってしまう…」


 大場小太郎が、説明する。


 「…だったら、なぜ、稲葉さんが、スパイだなんて?…」


 「…状況証拠だよ…お嬢ちゃん…」


 町中華の女将さんが、口を挟んだ…


 「…五郎が、どこそこの小学校や、中学校を出てると、口にする…でも、そこには、稲葉五郎が、在籍した記録がなかったり、あったとしても、五郎とは、別人…つまり、五郎は、過去を消している…といっても、稲葉五郎という人間は、明らかに存在するし、その証拠に、運転免許証も、住民票も、戸籍も存在している…それも、偽物なんかじゃない……本物だ…そんなことができるのは、国家機関の関係者だけ…つまりは、国家の力を借りて、過去を消している…そして、そんなことができるのは、公安のスパイ以外考えられないのさ…」


 町中華の女将さんが、理路整然と、説明する…


 たしかに、そう説明されれば、わかる…


 そう説明されれば、納得する…


 でも、いくらなんでも、日本で、二番目に大きな暴力団の会長が、公安の関係者だなんて…


 ありえない!


 いくら、なんでも、ありえない…


 私は、思った…


 それが、私の表情に現れたのだろう…


 「…その顔じゃ、信じられない様子ね…」


 と、大場敦子が、私に声をかけた…


 「…でも、それは、わかる…正直、私も信じられない…」


 大場が続けた…


 「…あくまで、状況証拠…確実な証拠はない…でも…」


 「…でも、なに?…」


 「…以前、私は、竹下さんに言った…覚えてる?…」


 「…覚えてるって、なにを?…」


 「…稲葉のオジサンの正体を、竹下さんに聞かれて、答えようとして…」


 私は、大場の言葉で、あのときを思い出した…


 私の質問に答えようとして、


 「…稲葉のオジサンの正体は、たぶん…」


 と、言いかけたところで、終わった…


 邪魔が入ったからだ…


 私は、それを思い出した…


 しかし、


 しかし、だ…


 私は、考える…


 あくまで、状況証拠…


 稲葉五郎が、公安の関係者だとしても、それは状況証拠…


 確実な証拠はない…


 いや、


 だとしたら、誰が、確実な証拠を持ってるのだろう…


 いや、


 そうではない…


 もう一歩話を進めて、誰が、公安のスパイだと知っているのだろう…


 今、目の前の大場小太郎は、公安にスパイの名簿はないと言った…


 これも、たしかに、当たり前かもしれない…


 そんな名簿があれば、どこそこに、潜入している誰々は、公安のスパイだと、たやすくバレる…


 だから、名簿はない…


 存在しない…


 でも、だったら、一体誰が、公安のスパイだと知っているのだろうか?


 だから、それを聞いた…


 「…だったら、一体誰が、稲葉さんが、本当は、公安のスパイだと知ってるんですか?…」


 「…それは、稲葉さんに、スパイを命じた人間でしょう…」


 大場小太郎が言った…


 「…スパイを命じた人間ですか?…」


 「…その通りです…ただし、もし仮に、稲葉さんがスパイだとしても、それを命じた人間は、すでに亡くなっている可能性もあります…」


 「…亡くなってる? だったら、誰が、稲葉さんをスパイだと知ってるんですか?…」


 「…警察庁のトップクラスの数名…片手の指の数もいないと思います…」


 「…」


 「…彼らは、どんなことがあっても、政治家に、その手の情報は、与えません…例え、国家公安委員長の要職を与えられてもです…」


 大場小太郎が、断言する…


 「…頻繁に変わる、政治家に、そんな貴重な情報は、与えられません…そして、それは、警察官僚上がりの政治家もまた同じです…彼らもまた、警察に、影響力はありますが、貴重な情報は、与えられません…」


 大場小太郎が続ける…


 つまりは、この話では、稲葉五郎が、本当に、公安のスパイなのかは、わからないということだ…


 だが、それでか?


 私は、思った…


 亡くなった古賀会長が、稲葉五郎に跡目を渡さなかった理由を、だ…


 稲葉五郎が、もし、公安のスパイだとしたら、当然、山田会の跡目を譲ることはできない…


 なにより、山田会は、というより、古賀会長は、中国の資金援助を受けて、山田会を大きくした…


 ということは、山田会は中国寄り…


 それが、稲葉五郎が、会長になれば、嫌でも、日本寄りになる…


 もしかしたら、亡くなった古賀会長は、それを嫌がったのかもしれない…


 だが、もう一つ、疑問がある…


 なぜ、亡くなった、高雄組組長は、古賀会長と、稲葉五郎の精液をすり替えたか? という疑問だ…


 どうして、そんなことをしたのか?


 「…どうして、高雄さんは、稲葉さんと、古賀さんの精液をすり替えたんですか?…」


 私は、町中華の女将さんに聞いた…


 町中華の女将さんは、私の直球の質問に考え込んだ…


 そして、


 「…たぶん、五郎を好きだったからだと思うよ…」


 と、答えた…


 「…好きだったから?…」


 「…だから、精液をすり替えた…古賀さんも、五郎も、高雄さんも皆、子供がいない共通点があった…」


 「…」


 「…それゆえ、シンパシーというのかな…子供がいないことで、お互いを理解できることがあった…女を抱けない古賀さんだったけど、やはり自分の子供には、興味があってね…それで、不妊治療じゃないけど、自分の精液で、子供を作ろうとしたことがあった…高雄さんは、それを利用した…逆手に取ったんだ…」


 …そんなことが?…


 驚いた…


 たしかに、そう言われれば、納得できる…


 女を抱けない=子供を作れない…


 だが、


 女を抱けない=子供が欲しくない…


 では、ない…


 言葉は、悪いかもしれないが、


 ゲイ=子供が欲しくない…


 というのと、同じなのかもしれない…


 女ではなく、男が好きな男が、稀にいる…


 存在する…


 しかし、


 ゲイ=子供が欲しくない…


 では、ない…


 いわゆる、自分の性癖が、ゲイならば、子供ができるはずがないが、子供が欲しいゲイもいる…


 仮に、男であれば、女とセックスをしなければ、子供はできないということを知りながら、女とセックスはしない…


 できない…


 だが、


 子供は欲しい…


 そういうことだろう…


 矛盾するが、そういうことだ…


 「…でも、その事実を、古賀さんや、稲葉さんは、知ってるんですか?…」


 私の質問に、渡辺えりに似た町中華の女将さんは、首を横に振って、否定した…


 「…知らないに決まってるよ…古賀さんも、知っていれば、真っ先に、私に言ったはずさ…」


 女将さんが答える…


 「…古賀さんは、五郎を警戒していた…」


 女将さんが、続ける…


 「…警戒していた?…」


 「…稲葉五郎は、ヤクザとして、優秀だった…半端なくね…だから、すぐに、側近として、取り上げた…でもね…過去が読めなかった…」


 「…」


 「…さっき、お嬢ちゃんに、言ったように、五郎が告げた、小学校や、中学校に行っても、稲葉五郎という人間は、存在しても、別人…

明らかに、あの稲葉五郎じゃない…だから、古賀さんは、後ろ盾の中国政府に頼んで、五郎の過去を洗ってもらった…でも、なにも、出てこない…そうこうするうちに、五郎は、山田会内部でも、力をつけ、会長の古賀さんですら、おいそれと、五郎に口出しすることができなくなった…」


 「…」


 「…もっとも、それを見越してか、古賀さんは、事前に手を打っていた…」


 「…どういうことですか?…」


 「…さっき言った、五郎の精液さ…製薬会社の社員に、五郎の精液を渡して、五郎の知らないところで、五郎の子供を作り、いざというときは、その子供を人質にとるつもりだった…」


 「…そんな?…」


 「…汚いといやあ、汚い…でも、古賀さんは、満州から、アタシの祖父母と、命からがら、逃げてきた…そのときに、さんざ、汚いことを見ている…文字通り、嫌というほどね…だから、そんなことを思いついたというか…正直、ノホホンと生きてきた、アタシなんかには、なにも、そこまでって、思うことを、平然とやった…生きてきた…くぐってきた修羅場が、半端ないというか…地獄を見てきたんだ…」


 私は、唖然として、町中華の女将さんの話を聞いていた…


 「…もっとも、これは、中国から引きあげてきた日本人は、大なり小なり、経験していることさ…あの三船敏郎も、宝田明も同じ…満州からの引き揚げ者だ…」


 女将さんが、説明する…


 「…でも、その五郎の弱点も、高雄さんが、拒んだことで、なくなった…」


 「…でも、どうして、高雄さんは、古賀さんの命令を拒んだんですか?…」


 「…それは、さっきも言ったように、高雄さんが、五郎を好きだったからだろうね…それと、いくらなんでも、そこまでするのは?…と、躊躇ったんだろう…いかに、ヤクザ者といえでも、所詮、高雄さんと、古賀さんじゃ、生まれた時代が、違うし、くぐってきた修羅場が、違う…だから、どうしても、高雄さんは、ぬるくなる…」


 女将さんが、説明する…

 

 「…五郎や高雄さんと同じ時代に生まれた人間と、古賀さんとじゃ、生まれた時代も、くぐってきた修羅場も違い過ぎる…」


 女将さんが、ため息を漏らした…


 「…だから、五郎の精液と古賀さんの精液を替えるなんて、ことをしたんだろう…これが、古賀さんが、命じられる立場ならば、そんなことは、絶対しなかった…」


 女将さんの説明を聞きながら、ふと、疑問が湧いた…


 だったら、


 だったら、


 もし、


 もしかして、


 稲葉五郎が、そのことを知っていたら?


 本当は、高雄組組長が、自分の精液と、古賀さんの精液をすり変えた事実を知っていたら…


 そもそも、最初に、私に会ったときに、すでに、私が、古賀さんの娘だと知っていたとしたら?


 そんな可能性が、ふいに、私の脳裏に浮かんだ…



 もしかして、稲葉五郎が、最初から、すべてを知っていたら?


 私が、本当は、亡くなった古賀会長の娘だと、最初から、知っていたとしたら?


 いや、


 神様ではないのだから、その可能性は低い…


 限りなくゼロに近い…


 神様ではないのだから、そんなことを知る由もない…


 人間ひとりの力は、たかが、知れている…


 そんなことを、できるはずがない…


 私は、思った…


 が、


 人間一人の力?


 果たして、稲葉五郎は、一人なのだろうか?


 考える…


 否…


 答えは、否だ…


 もし、


 もし、だ…


 稲葉五郎が、公安のスパイだとすれば、当然、公安の関係者に接触している…


 その公安の関係者が、高雄組組長や、古賀会長を見張っていれば、誰が、なにをしているのか、手に取るように、わかる…


 稲葉五郎に、その情報を伝えるのは、簡単だ…


 なにより、山田会に潜入した公安のスパイは、稲葉五郎だけとは、限らない…


 他に、数人いても、おかしくはない…


 そこまで、考えたときだった…


 「…お嬢ちゃん…」


 と、突然、町中華の女将さんが、私に、声をかけた…


 「…運命婚って、知ってる?…」


 「…運命婚?…」


 とっさに、オウム返しに、同じ言葉を言った…


 口にした…


 運命の結婚…


 だから、運命婚…


 あらかじめ、この人と結婚するのが、運命だと決められている…


 そんな運命によって、導かれた結婚…


 だから、運命婚…


 私は、そう、思った…


 そして、なにより、それは、高雄…


 高雄悠(ゆう)が、口にしていた言葉だ…


 だから、


 「…悠(ゆう)さんが、よく、口にしてました…」


 と、言った…


 私の言葉に、女将さんも、大場父娘も驚いた様子だった…


 ここで、いきなり、悠(ゆう)の名前が出てくるとは、思わなかったに違いない…


 「…悠(ゆう)が…」


 驚いた様子で、大場敦子が、声を出した…


 「…ハイ…悠(ゆう)さんが、初めて、私と会ったときに、私に言った言葉です…」


 「…竹下さんに?…」


 「…杉崎実業の内定をもらって、電車で、帰るときに、私の後を追って、悠(ゆう)さんが、言いました…」


 「…なんて、言ったの?…」


 「…私に杉崎実業の内定を辞退しないで、欲しいって…」


 「…」


 「…あのとき、大場さんや、林さんと、初めて会ったときに、誰かが、この杉崎実業は、暴力団のフロント企業じゃないかって、言いだして、それで、私は、内定を辞退するか、どうか、悩んでました…そのときに、悠(ゆう)さんが、私を追いかけてきて、内定を辞退しないで、欲しいって、私に言いました…そのときです…」


 「…そのとき?…」


 「…悠(ゆう)さんは、杉崎実業の内定に決まった5人の女のコの中で、ボクを食おうとしている者が、一人、いる…真逆に、ボクが、そのひとと結婚することで、ボクの力が増すというか、ボクが有利になるものがいる…それが、誰だか、わからない…でも、5人のうちの誰かに違いないから、ぜひ、竹下さんには、辞退はしないでもらいたいと、言いました…」


 「…」


 「…でも、今になって考えると、それは、ウソだった…最初から、悠(ゆう)さんは、知っていた…悠(ゆう)さん…いえ、高雄組の財産を狙っていたのは、大場さんで、私が、古賀会長か、稲葉さんのどっちかの娘で、私を手に入れることで、悠(ゆう)さんは、高雄組…いえ、自分の育ての親である、高雄組組長を助けられると、思っていた…力になれると思っていた…そして、後日、運命婚という、大げさな言葉を使って、私を引き留めた…」


 私は、言った…


 そして、自分自身に、驚いた…


 まさか、面と向かって、大場父娘の前で、アナタたちが、高雄組の資産を狙っていたと、断言するとは、思わなかった…


 いかに、大場小太郎が、議員を辞職して、ただのひとになろうと、その大場小太郎の目の前で、アナタが、高雄組の資産を狙っていたと、断言するとは、思わなかった…


 だから、自分自身に驚愕した…


 そんな私の言葉に、大場父娘は、うつむいて、しまった…


 文字通り、私の言葉通りだったからだろう…


 私の指摘が、間違ってなかったからだろう…


 私の言葉に、町中華の女将さんが、


 「…お嬢ちゃんも、案外言うね…」


 と、感嘆した…


 「…まさか、私が、運命婚って、言葉を聞いただけで、そんな話を、お嬢ちゃんが、するとは、思わなかったよ…」


 私は、女将さんの言葉に、


 「…」


 と、沈黙した…


 自分でも、自分が、よくわからなかった…


 私は、本来、気が強い性格でも、なんでもない…


 むしろ、いつも、


 「…まったく…クミは、頼りないんだから…」


 と、いじられるキャラだ…


 それが、まさか、大場父娘、当人を前にして、そんな、だいそれたことを言うとは、思わなかった…


 そして、それは、もしかしたら、私の父にあると、思った…


 本当か、嘘っぱちかは、わからないが、私の父が、古賀会長か、稲葉五郎かで、熱くなってる…

 

 熱く、議論をしている…


 誰もが、そんな話をされて、平然としていられるわけがない…


 しかも、


 しかも、だ…


 私は、それを、誰にも、話せなかった…


 相談できなかった…


 まさか、自分が、試験管ベイビーだとは、思わなかったし、それが、事実であれ、事実でないであれ、他人に相談できる話ではなかった…


 そして、家族にも、相談できなかった…


 だから、自分では、極力、自分を抑えてるつもりだったが、限界だったのかもしれない…


 だから、嫌みというか、普段、絶対、口にしないことを、言ってしまったのかもしれない…


 自分でも、自分が、わからなかった…


 一言で、言えば、爆発してしまったのかもしれない…


 これまで、貯め込んでいた、不満が、まるでマグマのように、一挙に噴き出たのかもしれない…


 自分でも、自分を、そんなふうに、見ていた…


 もう一人の自分が、冷めた目で、そう分析していた…


 と、そのときだった…


 女将さんが、


 「…運命婚って、お嬢ちゃんに聞いたのはね…」


 と、口を開いた…


 「…要するに、この人だって、思う人と、結婚できる幸せっていうか…」


 女将さんが、ゆっくりと口を開いた…


 「…死んだ、古賀さんも、そうだったけど、子宝に恵まれなかった…古賀さんは、女を抱けなかったから、当然だけど、五郎も、高雄さんも同じ…五郎は結婚しないけど、古賀さんも高雄さんも、結婚したけど、うまくいったかというと、微妙だった…だから、高雄さんは、血が繋がってない悠(ゆう)を養子にして、溺愛したし、古賀さんは、アタシの両親と、本当の家族のようだった…つまりは、古賀さんは、家庭に恵まれなかった…だから、いつまでも、終戦時に、いっしょに満州から、逃げてきたアタシの祖父母を含めた一族を、本当の家族のように、思っていた…大切にしていた…そして、その古賀さんの口癖が、運命婚だった…」


 「…古賀さんの口癖?…」


 「…ヤクザ界の秀吉と言われるほど、裸一貫から成功した古賀さんだったけど、家庭には、恵まれなかった…まあ、いつの時代でも、ヤクザが家庭に恵まれるというのも、おかしな話だけど、それで、アタシの祖父母が、理想だったらしい…」


 「…どういうことですか?…」


 「…いわゆる家族さ…汗水垂らして帰ってきても、自分がなんとなく理想とする、温かい家庭がない…だから、それを理想とした…古賀さんは、アタシの祖父母に手を引かれて、満州から、命からがら帰ってきて、祖父母が、協力する姿に理想の家庭を見たんだろうね…それを、晩年、よく口にしたんだ…運命婚って…」


 「…」


 「…アタシの祖父母が、夫婦力を合わせて、生きる姿が、理想と思ったんだろう…この二人は、運命に導きかれて、結婚した…だから、運命婚って…悠(ゆう)も、子供の頃から、古賀さんに、可愛がられていたから、それが、脳裏に残ったんだろう…お嬢ちゃんが、悠(ゆう)に、運命婚って、言われたのは、そういうわけだと思うよ…」


 …なるほど…


 …そういうことだったのか?…


 私は、思った…


 たしかに、男のひとが、


 …運命婚…


 なんて、言葉を口にするのは、おかしい…


 誰かに、影響されていると、考えるのが、普通だ…


 これが、女ならば、わかる…


 女ならば…


 ふと、気付いた…


 高雄悠(ゆう)は、亡くなった、高雄組組長の養子…


 溺愛されて、育った…


 高雄組組長は、子供の頃から、頭が良かった…


 しかし、家が貧しく、大学に進学できなかった…


 だから、いつのまにか、道をはずし、ヤクザ者になった…


 だが、生来の頭の良さから、それを生かし、経済ヤクザとして、頭角を現した…


 要するに、経済ヤクザが、適職だったのだ…


 だが、本当は、例えば、東大を卒業して、官僚になるとか、三井や三菱のような大会社に入社して、出世するのが、夢だった…


 経済ヤクザとして、押しも押されぬ、地位に就いたにも、かかわらず、本音は、そうだった…


 だから、悠(ゆう)を、引き取った…


 悠(ゆう)は、高雄組組長が、若い頃に付き合った女の息子…


 生活に困った、その女が、悠(ゆう)を、高雄組組長の元に、連れて行き、


 「…アナタのコよ…」


 と、迫った…


 が、


 高雄組組長は、一目見て、自分の子供では、ないことを悟った…


 しかし、同時に、悠(ゆう)を見て、利発な子供だと、思った…


 それゆえ、もし、このまま、


 「…バカを言うな…オレの子供であるはずがねえ…」


 と、突き放せば、この子供の未来が、閉じられるのでは? と、思った…


 そして、かつての自分同様、道をはずすのでは? と、心配した…


 要するに、せっかく、頭が良く生まれても、その頭の良さを生かすことができない人生を送ることになるのでは? と、危惧した…


 つまりは、高雄組組長は、幼い悠(ゆう)に、かつての自分を見たのだ…


 シングルマザーでは、息子を大学に上げるのは、難しい…


 金銭面の負担が大き過ぎる…


 だからこそ、自分が、悠(ゆう)を引き取り、満足な教育を施すことで、自分のできなかった夢を、悠(ゆう)に果たして、もらいたいと、考えた…


 悠(ゆう)に、できなかった、自分の夢を託したのだ…


 以前、そう言っていた…


 しかし、


 しかし、だ…


 よくよく、考えると、この説明には、無理がある…


 話としては、辻褄が合っている…


 どこにも、瑕疵(かし)がない…


 誤りがない…


 だが、


 しかし、だ…


 どうして、高雄組組長は、一目見て、悠(ゆう)が、自分の子供でないことを、知ったのだろうか?


 冷静に考えれば、おかしい…


 なぜなら、自分に似ていない、息子や娘は、世の中に、ごまんといる…


 たとえ、血が繋がっていても、両親どちらにも、似ていない息子や娘は、ごまんといる…


 それが、どうして、一目見て、悠(ゆう)が、自分の血が繋がった息子ではないと、わかったのだろうか?


 冷静に考えれば、おかしい…


 ありえない…


 もし、最初から、わかっていたとすれば、たとえば、悠(ゆう)の母親が、付き合っていた男を知っているか?


 つまりは、悠(ゆう)の父親が、誰か、最初から、特定できたか?


 あるいは、


 あるいは、高雄組組長自身が、子供のできないカラダ…


 無精子症か、なにかで、自分に原因があり、最初から、自分に子供ができないことを知っていた…


 そのいずれかだ…


 そして、


 そして、


 もしかしたら、その両方か?


 それとも、最初から、その話が、嘘っぱちだったのか?


 と、そこまで、考えて、気付いた…


 この大場小太郎元代議士…


 私の眼前に座る、大場元代議士…


 この元代議士は、一体、なんなのだろう?


 悠(ゆう)との関係が、おかしい…


 以前、悠(ゆう)が、大場元代議士と私を会わせようとした…


 しかし、いくら、悠(ゆう)が、子供の頃から、大場元代議士と親しいといっても、悠(ゆう)の呼び出しで、多忙な大場元代議士がやって来るだろうか?


 悠(ゆう)が、大場元代議士を刺した一件もそうだ…


 悠(ゆう)は、交際していた、大場元代議士の敦子から、父親のスケジュールを聞き出し、大場元代議士に面会したと言った…


 しかし、いかに、高雄組組長の息子といっても、大場元代議士が、悠(ゆう)に会うのは、おかしい…


 亡くなった大物ヤクザの養子と、現役の大物代議士だ…


 いくらなんでも、身分が、違い過ぎる…


 それが、どうして、そんなに悠(ゆう)のために動くのか?


 時間を割くのか?


 それが、わからない…


 もしかして、


 もしかして、


 悠(ゆう)の父親は?


 と、そこまで、考えたとき、私は、すでに、口にしてしまった…


 「…大場さん…悠(ゆう)…高雄悠(ゆう)さんの父親は、大場さん…アナタじゃないんですか?…」


 と…


 私の言葉に、


 大場元議員の表情が、硬く、凍り付いた…



 私の言葉に、他の二人…


 大場敦子と、女優の渡辺えりに似た、町中華の女将さんも、唖然とした…


 二人とも、驚いて、私の顔を見た…


 「…ちょっと…お嬢ちゃん…一体、なにを、わけのわからないことを…」


 町中華の女将さんが、私をたしなめるように、言った…


 「…お嬢ちゃん、いくらなんでも、失礼だよ…」


 町中華の女将さんが、言う…


 だが、


 私は、止めなかった…


 「…高雄さんは…悠(ゆう)さんは、大場さんの息子じゃないんですか?…」


 と、繰り返した…


 が、


 大場元議員は、なにも言わなかった…


 代わりに、娘の敦子が、


 「…竹下さん…なにを根拠に…」


 と、戸惑いながら、言った…


 あまりにも、突然と言うか、敦子にとって、考えられない…


 あるいは、考えもしない事態だったからだ…


 「…なにを、バカなことを言ってるの? …悠(ゆう)さんと、私は…」


 あまりの想定外の言葉に、大場敦子は、戸惑いながら、私に、抗議した…


 あまりにも、想定外の話だったので、どう反論していいか、わからない様子だった…


 これは、誰もが同じ…


 あまりにも、想定外の事態に陥ると、誰もが、どうして、いいか、わからない…


 過去に経験したことがないからだ…


 だから、対処のしようがない…


 「…ちょっと、お嬢ちゃん…」


 町中華の女将さんが、私を止めようとした…


 「…いい加減に…」


 女将さんが言いかけたところで、


 「…どうして、そう思うんですか?…」


 と、大場元議員が、ゆっくりと、口を開いた…


 「…お嬢さん…どうして、そう思うんですか? そう思う理由を聞かせて、頂けませんか?…」


 丁寧に、私に聞いた…


 だから、私も、


 「…大場さんは、悠(ゆう)さんを、優遇し過ぎるんです…」


 と、答えた…


 「…優遇…ですか?…」


 「…ハイ…優遇です…」


 「…それは、どういった優遇でしょうか?…」


 「…多忙な大場さんが、なぜ、悠(ゆう)さんのために、時間を割いたのか? それが、不思議だったんです…」


 「…不思議…ですか?…」


 「…ハイ…そうです…いくら、昔から知っている高雄組組長の息子さんでも、おかしいです…」


 「…それは、敦子に頼まれたから…」


 「…それでもです…いくらなんでも、優遇のし過ぎです…それに、そう考えれば、色々、納得します…」


 「…なにが、納得するんですか?…」


 「…杉崎実業の一件です…」


 「…杉崎実業?…」


 「…亡くなった高雄組組長は、100億円以上、お金を出して、杉崎実業の株を買ったと、私に言いました…ですが、それを、国会で、大場さんが、先頭に立って、高雄組に40億円返すことを決めました…本当ならば、中国へ不正に製品を輸出したことが、バレて、杉崎実業の株は、紙切れ同然にまで、価格が、下落しました…世間でも、どうして、暴力団に、40億円返さなければ、ならないんだと、話題になりました…大場さんは、中国との間に波風を立てたくないから、あえて、穏便に済ますんだと、あちこちで、説明していました…でも、本心は、高雄組組長に対する義理立てじゃないんですか? …自分の息子を育ててもらった恩義のために、世間が、どう批判しようと、金を返そうとしたんじゃ、ないんですか?…」


 私の言葉に、大場元議員は、


 「…」


 と、黙った…


 反論しなかった…


 考え込んでいる様子だった…


 私は、さらに、付け足した…


 「…そして、そう考えれば、どうして、敦子さんと、高雄組組長の息子である、悠(ゆう)さんと、結婚させようとしているか、わかるんですよ…敦子さんは、大場さんと血が繋がってない娘…そして、悠(ゆう)さんは、自分の血が繋がった実の息子…互いに、血縁関係はない…赤の他人…二人が結婚するのは、万々歳じゃないんですか?…」


 私の説明に、


 「…」


 と、大場元代議士は、反論しなかった…


 代わりに、娘の敦子が、


 「…バカなこと!…」


 と、文字通り、吐き捨てた…


 「…そんなバカなこと、あるわけない!…」


 敦子が激高した…


 「…悠(ゆう)さんが、パパの血が繋がった息子であるはずがない!…」


 「…DNA鑑定…」


 私は、言った…


 「…さっきも、話題になったDNA鑑定をすれば、わかります…」


 私の返事に、敦子は、一瞬、驚いたが、すぐに、その顔は、喜びに変わった…


 「…そうよ…パパ…DNA鑑定よ…DNA鑑定をすれば、竹下さんが、今、わけのわからないことを言ってるのが、ウソだと、断言できる…DNA鑑定よ、パパ…」


 が、


 大場元代議士は、


 「…」


 と、返事をしなかった…


 真逆に、深刻な表情に、変わった…


 「…どうしたの? パパ?…」


 敦子が、不安がった…


 それから、


 「…まさか、竹下さんが、言っていることが、本当じゃ…」


 敦子の言葉に、なおも、


 「…」


 と、大場元代議士は、沈黙を貫いた…


 「…どうしたの? …パパ…返事をして!…」


 敦子が、懇願する…


 その言葉で、ようやく、大場元代議士が、


 「…DNA鑑定は、困る…」


 と、弱々しく、言った…


 「…それは、できない…」


 「…それは、できないって…パパ…」


 大場が、激高した…


 「…どうして、できないの!…」


 大場が激しく、父親をなじった…


 「…どうして、できないの?…」


 「…だって、悠(ゆう)クンと、私が、血が繋がった父子だということが、バレてしまうじゃないか…」


 力なく、語った…


 その顔は、憔悴しきっていた…


 いや、


 憔悴と言うと、違うかもしれない…


 憔悴と言うと、随分前から、悩んでいるふうだが、これは、突然…


 突然の暴露だからだ…


 「…私が、高雄さんに遠慮というと、聞こえは悪いかもしれないが、高雄さんに配慮せざるを得なかったのは、その恩もあった…」


 大場元代議士が、穏やかに語った…


 「…悠(ゆう)は、私が若い時分に、遊びで、出来てしまった子供だ…相手の女が、私の身分を知り、強引に、認知しろ、と迫った…私は、それまで、その女性が、妊娠した事実も知らなかった…だから、幼い悠(ゆう)クンを連れて来られて、焦った…そして、どう対応しようか、悩んでいたところ、子供のいない高雄さんが、私の息子として、育てますと、仰ってくれた…だから、定期的に、息子の顔を見る意味もあって、高雄さんと悠(ゆう)クンと、我が家は、親しく付き合った…」


 「…ウソ?…」


 敦子が叫んだ…


 「…ウソよ…ウソに決まってる!…」


 「…これは、残念ながら、本当のことだ…」


 大場元議員が、力なく、語った…


 「…まあ、ホントは、対応に困った私は、古賀さんに、相談したんだ…すると、その席にいた高雄さんが、自分が、なんとかしますと、言って、女の元に乗り込んだ…それで、悠(ゆう)クンに会ったんだ…その悠(ゆう)クンに、高雄さんは、昔の自分を見たって、後に私に、言ってくれた…金がなく、大学に行くのを、断念した、若き日の自分を見たって…ホント、高雄さんは、私の恩人だった…」


 大場元議員が、しんみりと、呟く。


 「…私にとって、悠(ゆう)と、敦子の交際は、晴天の霹靂(へきれき)というか、思ってもみない話だった…でも、今、お嬢さんが、言ったように、敦子が、悠(ゆう)と、結婚することで、私が、高雄さんの財産を狙っていると、世間から、思われたとしたら、それもまた、皮肉と言うか…まさに、運命の皮肉だな…自分の蒔いた種を、高雄さんに、押し付けた報いなのかもしれない…」


 大場議員が、力なく語る…


 私は、驚いた…


 自分自身に驚いた…


 まさか…


 まさか…


 自分の言ったことが、こうも的を得ているとは、思わなかった…


 この、頼りない、竹下クミが、言ったことが、こうも的を得ているとは、思わなかった…


 まるで、別人…


 まるで、仮面ライダーか、ウルトラマンに変身したようだった…


 が、


 それは、あくまで、私について…


 大場は、違った…


 大場敦子は違った…


 明らかに、動揺していた…


 と、いうよりも、今の話を受け入れられない様子だった…


 「…悠(ゆう)さんが、パパの血の繋がった息子?…」


 敦子が呟く…


 「…あの悠(ゆう)さんが、パパの血の繋がった息子なんて…」


 どうしていいか、わからない様子だった…


 「…ありえない…」


 大場が叫ぶ…


 「…そんなこと、ありえない!…」


 大場が号泣した…


 「…悠(ゆう)さんは、好き…好きだった…でも、パパの血の繋がった息子だと知っていれば、好きにはならなかった…」


 「…あっちゃん…それは、どういう意味?…」


 町中華の女将さんが、口を挟んだ…


 「…私は、パパが嫌い…」


 敦子が断言した…


 「…この大場小太郎という人が嫌い…」


 敦子が憎々しげに、言った…


 「…家でも、私は、この大場小太郎に、ずっと差別されて、生きてきた…それが、今、悠(ゆう)さんが、大場小太郎の血が繋がった息子だと知って、一気に嫌いになった…」


 「…あっちゃん…それは、どういう…」


 町中華の女将さんが、遠慮しながら、聞く…


 「…この大場小太郎という人は、とにかく、自分の血が繋がった人間のみを、大事にする…私の弟も、妹も、自分と血が繋がっているから、大事にする…そして、今、悠(ゆう)さんが、やはり、自分と血が繋がった息子だから、大事にしたと、わかった…だから、余計にそれが、許せない…」


 敦子が、喚(わめ)いた…


 私も、女将さんも、どうしていいか、わからなかった…


 止められるのは、大場小太郎だけ…


 血が繋がってないとは、いえ、この敦子を止められるには、義理の父親である、大場小太郎だけだった…


 だから、私も、女将さんも、大場小太郎を見た…


 大場小太郎が、うまく、敦子を止めると、期待したのだ…


 が、


 そんな期待は、木っ端みじんに、吹き飛んだ…


 「…当たり前じゃないですか?…」


 大場小太郎が、あっさりと、言った…


 「…なにが、当たり前なの?…」


 と、女将さん…


 「…だって、血を分けた自分の子供ですよ…赤の他人とは、違います…」


 あっさりと、大場小太郎は告げた…


 私と女将さんは、呆気に取られた…


 たしかに、その通りだが、それを、ここで、口にするのは、マズい…


 まさか、そんなことを、あっさりと、口にするとは、思わなかった…


 大場敦子を見ると、鬼のような形相で、大場小太郎を睨んでいた…


 「…これは、おそらく、私の職業が、影響しているのでしょう…」


 「…どういう意味ですか?…」


 と、私。


 「…政治家という職業です…政治家は、代々、世襲制…血の継承です…だから、自分と血が繋がってない人間は、どうしても、信用できない…これが、私の子供の頃からの性(さが)と、なってます…」


 大場小太郎が、穏やかに説明する…


 「…だから、ハッキリ言って、敦子は嫌いではない…むしろ、好きです…でも、敦子から見れば、私の血が繋がった子供たちと、自分の扱いに差があると、思うのでしょう…私自身は、意識はしていませんが、こればかりは、仕方がありません…これは、私の本能です…」


 大場小太郎が、説明する…


 が、


 当たり前だが、敦子は納得しなかった…


 「…仕方ない…仕方ないって、そんな簡単に言わないでよ…」


 敦子が怒った…


 「…仕方ないって、そんな簡単な言葉で、差別される私は、堪ったものじゃない…」


 敦子が激高した…


 たしかに、敦子の怒りは、わかる…


 自分だけ、血が繋がってないから、差別されるのは、仕方がないと、自分の義理の父親が認めたのだ…


 たしかに、その通りなのだが、それを言っちゃ、おしまいと言おうか…


 だから、この大場小太郎も、大物政治家だが、中身は、思ったよりも、子供かもしれないと、思った…


 いくら、血が繋がってないとはいえ、父娘だ…


 父娘の関係で、言っていいことと、悪いことが、ある…


 まさか、その区別ができないとは、思えないが、それが、わかっていて、平然と口にするのが、やはり、お坊ちゃまというか…


 私は、思った…


 思いながら、ふと、気付いた…


 と、いうことは、どうだ?


 もし、私が、亡くなった古賀会長の精液を使って出来た子供だとすれば、私は、古賀会長の娘…


 血の繋がった娘となる…


 と、いうことは、私は、この女優の渡辺えりに似た、町中華の女将さんの家族になる…


 が、


 町中華の女将さんが、私を家族として扱っているかといえば、否…


 決して、悪い扱いではないが、家族ではない…


 すると、どうだ?


 そもそも、女将さんは、私を家族として見ていないということになる…


 それは、なぜ?


 それは、どうして?


 古賀さんが、女将さんの家族ならば、その娘の私も、女将さんの家族なのではないか?


 どうして、違うのか?


 ふと、疑問に思った…


               <続く>

        


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