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運命婚 白馬の王子様はヤクザ?  作者: トモサン


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14/16

運命婚 白馬の王子様はヤクザ? 14



 「…お嬢…」


 目の前の戸田が、私の顔を見て繰り返した…


 私は、驚いた…


 まさか、


 まさか、


 この渡辺えりに似た女将さんの店の前で、戸田に、声をかけられるとは、思わなかった…


 …これは、偶然?…


 …これは、偶然なのだろうか?…


 ずばり、疑問だった…


 偶然にしては、出来過ぎている…


 私には、その思いの方が強かった…


 …偶然ではない!…


 考えた…


 そのときだった…


 「…やっと、お嬢に会えた…」


 安堵の声が漏れた…


 声の主は、目の前の戸田だった…


 「…やっと?…」


 私は、戸田の言葉尻を捉えて、言った…


 「…ハイ…やっとです…ずっと、お嬢に会えるのを、待ってました…」


 「…私に会えるのを?…」


 「…ハイ…」


 戸田が元気よく答える…


 まさか、私に会えるのを待って、ずっと、ここで、立って私を待っていたんじゃ…


 一瞬、そんな考えが、脳裏をよぎった…


 だから、


 「…あの…戸田さん?…」


 「…なんですか? …お嬢?…」


 「…ずっと、この場所に立って、私が、ここにやって来るのを、待ってたんですか?…」


 私の質問に、


 「…まさか…」


 と、戸田が、屈託なく笑った…


 それから、


 「…あの店です…」


 と、指で、向かいの店を指した…


 「…あの店のテーブルに座って、ずっとお嬢がやって来るのを、待ってたんです…オヤジの言いつけで…」


 「…稲葉さんの?…」


 「…高雄のオジキが、あんなことになって、たぶん、お嬢は、この店に、女将さんに会いにやって来るだろうから…と、オヤジが言って…」


 私は、その言葉で、稲葉五郎が、私の行動パターンを読んでいることに、気付いた…


 「…稲葉さんが、そんなことを…」


 私は、唖然とした…


 「…オヤジはああ見えて、結構、周囲に気を遣うんです…」


 「…気を遣う?…」


 「…お嬢が、この店にやって来るのを、あの店で、見張ってろと、言っても、一日中じゃなく、朝の10時から、夕方の6時までで、いいとか…」


 「…どうして、その時間なんですか?…」


 「…お嬢は、夜、訪れるようには、見えないから、日が暮れるまでに、やって来なければ、それまででいい…気軽に雑誌でも、スマホでも、見ながら、ぼんやりと、外を見ていろと…」


 私は、唖然とした…


 そこまで、読まれているとは、思わなかった…


 私が、なにか、言おうとすると、戸田が、


 「…こんなところで、立ち話もなんだから…」


 と、言って、


 「…お嬢も、オレが、さっきまで、いた店に来て下さい…」


 と、私を誘った…


 私は、迷うことなく、


 「…ハイ…」


 と、言った…


 それから、二人して、ついさっきまで、戸田がいたという向かいの店に向かって歩き出した…


 私は、戸田の後ろを歩いた…


歩き出すと、戸田の背中が大きく、見えた…


 この戸田も、稲葉五郎や、亡くなった高雄組組長同様、大男だと、今さらながら、思った…


 180㎝は、優に超えている…


 やはり、ヤクザは、カラダが大きくなければ、いけないのだろうか?…


 威圧感というか、相手を圧倒する、ものがなければ、いけないのだろうか?…


 考えた…


 それには、まず、なによりガタイがよくなければ、ならない…


 カラダが大きくなければ、ならない…


 そんな当たり前のことを、今さらながら、思った…


 

 店に入り、私と戸田、二人が、共に、席に着くと、すぐに、戸田が、


 「…ホントに良かった…」


 と、言った…


 「…良かった?…」


 「…オヤジがずっと心配してたんです…あの女将さんは、いち早く、連絡をしたから、店を閉めましたが…」


 「…どういう意味ですか?…」


 「…高雄のオジキの死です…」


 「…高雄さんの?…」


 「…オヤジは、高雄のオジキが大好きだった…それが、あんなことに…」


 「…どうして、高雄さんは、亡くなったんですか?…」


 私は、戸田に直球の質問をした…


 戸田は、私と同世代だから、話しやすかった…


 だから、つい直球で、訊いた(笑)…


 戸田は、どう言おうか、一瞬、迷った様子だったが、


 「…罠にかけられたんたと思います…」


 と、はっきりと言った…


 「…罠?…」


 「…ホントは、高雄のオジキは、うちのオヤジに対抗する気はまったくなかったんです…でも、大場代議士にそそのかされて…」


 「…大場代議士に?…」


 「…大場代議士は、うちのオヤジとも、高雄のオジキとも、付き合いが長かったんです。でも、それは表面上だけで、ホントは、山田会の消滅を狙っていたんです…」


 「…消滅?…」


 「…大場代議士は、高雄のオジキに、杉崎実業は儲かるからと、杉崎実業の株を、買わせ、それから、しばらくして、杉崎実業が、政府の目を盗んで、中国と不正な取引を行っていると、世間に暴露した…これで、杉崎実業の株は、大暴落した…高雄のオジキは、大損です…ですが、それは、すべて、最初から、大場代議士の目論見通りでした…」


 戸田は、私が、考えていた通りのことを言った…


 「…でも、大場代議士は、やり過ぎないというか…お嬢も知っているように、政府から、高雄組に40億円返すように、仕向けた…自分の命を狙われないためです…高雄のオジキは、罠に嵌められたことに、激怒したが、鉄砲玉に狙わせないように、手を打ったというか…具体的には、水面下の話し合いで、40億円返して、くれれば、良しとしようとなった…」


 「…」


 「…でも、これは、なにも、高雄のオジキのことを考えてだけのことじゃないんです…」


 「…どういう意味ですか?…」


 「…大場代議士は、高雄のオジキの金を狙っていたんです…」


 「…狙っていた…」


 「…言い換えれば、だから、40億円返した…」


 「…どうやって、狙っていたんですか?…」


 「…大場のお嬢さんと、悠(ゆう)さんの結婚です…」


 「…結婚?…」


 「…二人が、結婚すれば、文字通り、大場代議士と、高雄のオジキが親戚になる…そうすれば、大場代議士は、かなり大胆に高雄のオジキに金を無心できるというか…」


 …そういえば、以前、大場代議士が、娘の敦子と、悠(ゆう)を結婚させることで、高雄組の金を狙っていたと聞いた…


 今さらながら、それを思い出した…


 「…大場代議士は、ずっと以前から、高雄組に興味を示していたというか…狙ってました…」


 「…狙ってた?…」


 「…大場代議士もバカじゃありません…ヤクザの息子と、自分の娘が結婚できるなんて、ハナから、思ってません…だから、高雄組を武装解除と言うか…ヤクザから、うまく足を洗わせて、そのうえで、堅気になった高雄組の資産を狙ったというか…そうすれば、仮に結婚するとしても、世間からのハードルが下がるというか…世間の見る目も厳しくなくなる…ヤクザを辞めたんだから、いいじゃないかとなる可能性も高い…」


 「…」


 「…大場代議士も迷ってたんだと思います…」


 「…迷ってた?…」


 「…一方で、武装解除というか、高雄組にヤクザの看板を下ろさせてまで、自分の娘と結婚させる…そんなことが本当にできるのか、悩んでいたんだと思います…でも、そう思いながらも、それを実行した…それは、高雄のオジキも同じ…」


 「…高雄さんも同じ…」


 「…大場代議士の言葉が、自分を騙していることも、わかっていた…でも、このまま、ヤクザを続けていくべきかどうか、悩んでいた…高雄のオジキは、金融ヤクザ…ヤクザを辞めるのも、比較的ハードルが低いというか…武闘派のうちのオヤジに比べれば、低いっていやあ、低い…」


 …たしかに、そんなふうに説明されれば、わかる…


 以前、大場代議士が、高雄組の資産を狙っていたという話は聞いた…


 しかし、この戸田が言うまで、政府から、高雄組に返還する40億円に、そんな意味があるとは、思わなかった…


 つまり、この戸田の話を極論すれば、高雄組に40億円返還するから、ヤクザから足を洗えということだ…


 そして、ヤクザから、足を洗った高雄組は、投資家として、独立…


 堅気となった…


 それを契機に、大場代議士は、娘の敦子と、悠(ゆう)を結婚させる…


 そうすれば、敦子を通じて、高雄組の資産を手に入れられる…


 そう、目論んでいたということか?


 私は、今さらながら、大場代議士のしたたかな目的に気付いた…


 そして、あまりのしたたかさに、舌を巻いたというか…


 …ありえないことを考える…


 そう、思った…


 常人とは、違う発想に他ならない…


 私は、思った…


 考えた…


 しかし、大場代議士は、果たして、自分一人で、そんなことを考えたのだろうか?


 ふと、疑問が湧いた…


 そして、この戸田は、どうして、そこまで、知っているのだろう…


 稲葉五郎から聞いたのは、想像できるが、やはり、これは、稲葉五郎の英才教育というか…


 この戸田が、将来、山田会を背負って立つかもしれない逸材だから、稲葉五郎は、身近に、側近として、置いて、育てようとしているのだろうか?


 考えた…


 だから、


 「…戸田さんは、随分、そんな内情にお詳しいんですね…」


 と、訊いた…


 すると、


 「…すべてオヤジの受け売りです…」


 と、戸田が照れたように、言った…


 「…オヤジは、ああ見えて結構、おしゃべりで、よく状況を説明してくれるんです…」


 「…説明…ですか?…」


 「…物事の成り立ちっていうと、大げさですが、オレが、この先、ヤクザを続けるかどうかは、さておいて、ものの見方っていうか…誰が、どんな目的で、どう動いているかとか…そんなことを、ことこまかに説明してくれるんです…」


 「…どうして、稲葉さんは、そんなことを?…」


 「…オヤジは、以前も言いましたが、結構、ひとを育てようというか…これは、高雄のオジキもそうでしたが、ヤクザを続けるか、どうかは、いったん置いて、ヤクザを辞めても、どこの世界でも、食える人間を目指しているんだと思います…」


 「…そんなことを…」


 「…どんな仕事も長く続けるのは、結構しんどいでしょ? …オヤジは、とりあえず、自分の若い衆を、数年続ければ、どんな世界でも、すぐに音(ね)を上げない男に育つ…いつも、そう言ってます…」


 「…」


 私は、この戸田の口ぶりから、稲葉五郎を、この戸田が、好きだと言う事実に、あらためて、気付いた…


 「…それで、今、稲葉さんは?…」


 あらためて、思った…


 今、稲葉五郎は、どこにいるのだろう?


 あの稲葉一家の看板のある、事務所にいるのだろうか?


 「…オヤジは今、山田会の会長就任で、忙しくて…」


 「…そうですか?…」


 私は、言った…


 たしかに、山田会の襲名披露となれば、色々忙しいに違いない…


 そんなことは、素人の私でもわかる…


 すると、この戸田は、


 「…あの女将さんに、当面の間、店を閉めろと言ったのは、うちのオヤジなんです…」


 と、予想外のことを言った…


 「…稲葉さん?…」


 「…ハイ…なにが、起こるか、わからないからって…」


 「…どういう意味ですか?…」


 「…大場代議士です…」


 「…大場さん?…」


 「…大場代議士の容態が、さっぱり掴めないんです…生きているのか、死んでいるのかを含めて、今、どんな状況なのか? 重症なのか? 軽傷なのか? それとも、ひょっとすると、入院はしていないで、どっかから、指示を飛ばしているかもしれない…そんな話もあります…」


 「…どうして、稲葉さんは、そんなに、大場さんのことが、気になるんですか? いえ、大場さんと、あの町中華の女将さんが、身を隠すのと、一体、どういう関係があるんですか?…」


 「…大場代議士は、さっきも言ったように、高雄のオジキをハメました…高雄のオジキは、大人だし、さまざまな事情と言うか、しがらみもあって、返し=報復は、しませんでしたが、それに納得しない組員もいて、大場代議士もその状況は、掴んでいて…」


 「…それって、仮病っていうか…実は、大したケガじゃないのに、大げさに騒いで、身を隠したってことですか?…」


 「…ハイ…」


 戸田が頷く…


 「…でも、あくまで、可能性です…実際は、重症かもしれないし、大場代議士の容態は、さっぱりわかりません…」


 「…あの女将さんは、どうして、身を隠さなければ、ならないんですか?…」


 「…女将さんは、色々知り過ぎているんです…」


 「…知り過ぎてる?…」


 「…稲葉のオヤジとも、大場代議士とも、親しい…大場代議士の娘のあっちゃんなんて、子供の頃から知っている…だから、オヤジは、身を隠すように勧めたんです…実際、物事は、なにが起こるか、わからない…どう転ぶか、わからないが、オヤジの口癖なんです…それに…」


 「…それに、なんですか?…」


 「…松尾のオジキです…」


 「…松尾さん?…」


 松尾会会長…松尾聡(さとし)…


 もう七十代か、八十代の、高齢のお爺ちゃんだ…


 私は、思い出した…


 たしか、私の記憶だと、杉崎実業が、中国に不正に製品を輸出している事実を知ると、自分もまた、儲けようと思い、それに一枚加わろうとした…


 しかし、それが、中国政府の知るところとなり、松尾会の組員が、機関銃で、中国政府の差し向けた殺し屋から、銃撃されて、文字通り、蜂の巣にされた…


 それに、仰天した松尾会長は、たしか、どこかの病院に逃げ込んで、入院したはずだ…


 病院に入院することで、中国政府の殺し屋から、身を隠したのだ…


 私は、それを、思い出した…


 「…あの松尾のオジキ…オレにとっては、稲葉のオヤジのオジサンなんだから、ホントは、大叔父なんですが、あの大叔父の言動が気になるというか…」


 「…どういうことですか?…」


 「…稲葉のオヤジが言うには、大場代議士が、高雄のオジキの資産を狙ったのは、あの松尾の大叔父が、そそのかしたんじゃないかと、疑ってるんです…」


 「…松尾さんが?…」


 「…ハイ…しかも、今、大場代議士が入院している病院と、松尾の大叔父が、入院している病院が、同じ…同じ病院なんです…」


 ありえないことを、言った…


 とんでもないことを、言った…


 「…そんな…」


 私は、絶句した…


 これまでにもまして、混沌とした…


 未来が、混沌とした…


 そんな予感がした…



 …松尾…


 …松尾聡(さとし)…


 今さら、そんな人物の名前が出てくるとは、思わなかった…


 そして、その松尾聡(さとし)が、今回の杉崎実業に関する一件と言うか…


 高雄組の資産を、大場代議士が狙った一件というか…


 それに関わっているとは、思わなかった…


 大場敦子と、高雄悠(ゆう)の結婚にかかわっているとは、思わなかった…


 私は、仰天する…


 そんな仰天した私に、


 「…あの大叔父は、狸(たぬき)です…」


 と、追い打ちをかけた…


 「…狸(たぬき)?…」


 「…うちのオヤジが、一番警戒してました…大場代議士も策士ですが、あの大叔父も狸(たぬき)…あの二人が、手を組んだとなると、うちもヤバいというか?…」


 「…ヤバい? …どうヤバいんですか?…」


 「…山田会の追い落としです…」


 「…追い落とし?…」


 「…うちのオヤジが襲名披露するのに、わざと他団体の人間が来ないように、仕向けるとか…山田会で、高雄のオジキについた一派を離脱させて、他の組と合併させようとするとか…事態は、色々考えられます…」


 戸田が説明する…


 そして、その説明を聞いて、あらためて、稲葉五郎が、私を待っていた理由がわかった…


 この戸田を使って、私を待っていた理由が、わかった…


 要するに、用心したのだ…


 あの町中華の女将さん同様、この先、なにが、起こるか、わからない…


 策士の大場代議士と狸(たぬき)の松尾会長が、タッグを組めば、なにをしでかすか、わからない…


 それに、用心したのだ…


 何事も、用心するに、越したことは、ないからだ…


 「…お嬢も、この先、色々気を付けて下さい…」


 戸田が、そう言ったときに、頼んだケーキがやって来た…


 私と戸田は、ウエイトレスが、


 「…お待たせしました…」


 と、言うと、会話を中断した…


 さすがに、ウエイトレスの前で、こんな会話を続けることはできない…


 ウエイトレスが立ち去ると、


 「…食いましょう…」


 と、戸田が言い、真っ先に、ケーキをパクついた…


 私は驚いた…


 正直、ヤクザの大男とケーキは、似合わない…


 しかし、目の前の戸田は、稲葉五郎同様のゴツイ顔にもかかわらす、実に、嬉しそうに、ケーキにかじりついたといおうか…


 そのギャップに萌えるというか(笑)…


 衝撃が強かった(笑)…


 私が、唖然としていると、


 「…どうしたんですか? お嬢?…」


 と、戸田がケーキを食べる手を止めた…


 それから、


 「…しまった…」


 と、顔をしかめた…


 そして、


 「…スイマセン…」


 と、いきなりテーブルに両手をついて、私に頭を下げた…


 「…客人のお嬢より、先に食べてしまいました…」


 私は、戸田の言葉に、


 「…」


 と、唖然とした…


 …そんなこと、大したことない…


 …別に、構わないのに…


 私は、思ったが、いつまでも、戸田が、私に頭をさげたままだった…


 だから、私は、


 「…どっちが先に食べても、いいじゃないですか…」


 と、戸田に言った…


 「…そんなこと、別に…」


 が、


 戸田は、


 「…いえ、大したことじゃないじゃありません…」


 と、言い張った…


 「…オヤジが、いつも言ってます、客人をもてなすことは、礼儀の一歩…どうやって、もてなすかに、知恵を絞れと…」


 「…そんな…おおげさな…」


 私は、空いた口が塞がらなかった…


 が、


 いつまでも、戸田は、頭を下げたままだ…


 「…いい加減に頭を上げてください…ひとが見ます…」


 私が、言うと、初めて、戸田が、


 「…ひとが?…」


 と、言いながら、頭を上げて、周囲をキョロキョロして、見た…


 「…やっと、頭を上げてくれました…」


 私が、笑うと、


 「…お嬢…オレをひっかけましたね…」


 と、戸田がへそを曲げた…


 「…そんなことはないです…このまま、ずっと、戸田さんが、頭を下げてれば、何事かと、周囲の人間が見ます…」


 私は、反論した…


 「…だって、私のような小柄な女に、戸田さんのような大男が、ずっと頭を下げていれば、誰だって、なにが、あったんだと、気になるでしょう…」


 私の言葉に、戸田は、


 「…」


 と、なにも、言わなかった…


 「…そんなことより、ケーキを食べましょう…」


 私は、言って、ケーキを食べだした…


 その方が、戸田が、気にすることがなくなると思ったからだ…


 「…おいしい…」


 私が、一口食べて、言うと、戸田が、


 「…この店のケーキは絶品なんです…」


 と、嬉しそうに、声を上げた…


 「…オヤジも、この店のケーキは、お気に入りで…」


 「…稲葉さんが?…」


 ありえない言葉だった…


 「…オヤジは、ああ見えて、すごく健康に気を使っていて、酒も付き合い程度しか飲みませんし、タバコなんて、もってのほかです…でも、甘いものには、目がなくて…」


 ありえない言葉の連続だった…


 「…だから、オレも、その影響と言うか…元々、甘いものが、大好きなんで…」


 戸田が言う…


 言いながら、戸田の顔が、真っ赤になった…


 ヤクザの大男が、ケーキを食べながら、顔を真っ赤にする…


 考えてみれば、これほど、おかしな話はなかった…


 だから、つい、ニヤッと笑ってしまった…


 それに気付いた戸田が、


 「…お嬢…一体、なにが、おかしいんですか?…」


 と、顔を真っ赤にしたまま、私に食ってかかった…


 「…だって、戸田さんとケーキって、まったく似合わなくて…」


 私が、苦笑すると、


 「…そうですね…オレもそう思います…」


 と、あっさり、戸田が認めた…


 「…でも、好きなものは、好きなんです…」


 そう言って、再び、戸田は、ケーキを食べだした…


 そんな戸田の姿を見て、私は、なんとなくホッとしたというか…


 あの高雄組組長が、自殺してから、もやもやした気持ちと言うか、なんとなく、気分が、落ち込んでいた…


 正直に言って、滅入っていた…


 やはり、なんといっても、自分の見知った人間が、自殺したと聞いて、平然としていられる人間は、いない…


 どんな人間も大なり小なり、動揺するものだ…


 私もまた例外ではない…


 大した付き合いではないにも、かかわらず、動揺した…


 気持ちが滅入った…


 そして、その気持ちは、まるで、水槽の下に、澱がたまるように、気持ちが落ち込んだ…


 しかし、今、この戸田と会って、心の底から、笑えた…


 やっと、普段の自分に戻った…


 そんな感じがした…


 まさに、戸田に感謝…


 感謝だった…


 

 事態は、まったく動かなかった…


 あれから、二週間…


 私が、日々、ネットを検索していると、初めて、動きがあった…


 松尾聡(さとし)…


 松尾会会長が、退院したというニュースだった…


 だが、それは、正直、真偽不明…


 フェイクニュースかもしれなかった…


 なによりツイッターで、拡散されている現状が、怪しかった…


 しかし、今は、ヤクザもツイッターを使う時代…


 どこそこの組に、銃弾を撃ち込んだと、ツイッターに拡散する時代だ…


 しかも、それは、真偽不明…


 本当か、ウソか、わからない…


 そんな真偽不明の情報が、ネット上に大量に行き交う…


 ただ、私は、あの松尾会会長が、退院したというのが、引っかかった…


 すでに、あの戸田が言ったように、大場代議士と、松尾会長は、同じ病院に入院していた…


 そして、一方の松尾会長が、退院…


 なにか、あると、考えるのが、普通だ…


 ちょうど、時を同じくして、中国の駐日大使の交代が、アナウンスされた…


 私は、この記事に釘付けになった…


 なにしろ、松尾会長は、自分の配下の組員が、杉崎実業が、中国に、不正に製品を輸出するのを、見て、自分も、儲けようと思い、杉崎実業にちょっかいを出した…


その結果、中国政府の差し向けた殺し屋から、自分の組員が、機関銃で、蜂の巣にされて、慌てて、病院に逃げ込んだのだ…


 病院に逃げ込んで、中国政府から、身を隠したのだ…


 それが、中国の駐日大使が、交代すると、同時に、病院を退院…


 なにか、あると思うのが、普通だ…


 一方、山田会は、無事、稲葉五郎が、二代目山田会会長に就任した…


 紆余曲折が、一部に、報道されたが、そんなことは、まったくなかったようだった…


 ただ、前述の、松尾会長は、出席しなかった…


 まだ、入院中だったからだ…


 ただ、それが、意図的だったのか、どうかは、わからない…


 しかし、私がネットで、検索すると、稲葉五郎と、松尾会長の不仲の証拠というか、明らかに仲が悪いであろう言葉が、いくつも、並んでいた…


 極めつけなのが、二人は、公の場で会っても、決して、目を合わさないというものだった…


 人間関係を評価するのに、さまざまな物差しが、存在するが、目を合わさないというのは、まさに致命的だ(笑)…


 稲葉五郎と、松尾会長は、よほど仲が悪いのであろう…


 そういえば、稲葉五郎の口から、松尾会長を褒める言葉は、聞いたことがなかった…


 稲葉五郎の若い衆である、戸田の口からも、同様だった…


 互いに犬猿の仲なので、あろう…


 私は、思った…


 ただ、私に関しては、動きがなにもなかった…


 私は、大学に行き、講義に出て、その合間に、いつものコンビニで、バイトに励んだ…


 すでに、就活は、全敗…


 今さらジタバタしても、仕方がない状態だった…


 後は、このまま、大学に留年して、翌年、再び、就活=就職活動に励むか…


 あるいは、


 このまま卒業して、無職のまま、社会人となり、就職に励むのか…


 その二択だ…


 もう何度も、考えた二択だった…


 それ以外の選択肢はない…


 頭がおかしくなるほど、考えたことだが、最近は、すっかり、それも忘れていた…


 何度も繰り返すが、あの高雄組組長の自殺は、私にとって、そんな普段の日常を忘れさせるほどの衝撃だった…


 本当は、普通に就職して、社会人になる…


 そんな当たり前のことを忘れさせるほどの衝撃だった…


 何度か、会ったに過ぎないが、私の心に、これまで感じたことのない衝撃を感じた…


 当たり前だ…


 ヤクザの大物で、それが、こともあろうに、拳銃自殺したのだ…


 忘れろと言われても、容易に忘れられない出来事だった…


 ただ、私が、口にせずとも、ボンヤリと、そんな思いを胸に抱いていると、


 「…稲葉さん…無事に、山田会の二代目に就任したね…」


 と、葉山が私に声をかけた…


 私が、ビックリして、葉山を見ると、


 「…妨害があるかと思ったけど、どうやら、杞憂に終わったようだ…よかった…よかった…」


 「…妨害?…」


 「…松尾会長が、山田会の友好団体の一部に、襲名披露の席をボイコットしろ、と、呼びかけているって、噂があって、一時はどうなることかって、思ったけど、無事、襲名披露が終わって良かった…これで、稲葉さんは、名実ともに、立派な山田会二代目会長だ…」


 葉山が断言する…


 私は、そんな葉山の言動に、あらためて、疑問を抱いた…


 一体、葉山は、どうして、そんなことを知っているのだろう?


 疑問を抱いた…


 「…店長は、稲葉さんを知ってるんです?…」


 「…ボクが? 稲葉さんを? そんなことあるわけないじゃない…山田会二代目会長だよ…いわば会社で言えば、大会社の社長…雲の上のひとだよ…」


 「…雲の上のひと…」


 「…ボクはヤクザウオッチャーというのかな…素人だけど、そんなヤクザの話題が好きなんだ…」


 葉山が説明する…


 しかし、一体誰が、そんな説明を真に受けるのか?


 私は、思った…


 「…でも、本当に良かったよ…まさかとは思うけど、襲名披露をボイコットでもされたら、大恥を掻く…そんなことは、他の組の親分衆もしないと思うけど、今の世の中、なにが起こるか、わからないからね…」


 葉山がしたり顔で言う。


 「…まあ、とにかく、良かった…」


 葉山が言った…


 そして、


 「…よかった…よかった…」


 と、言いながら、私の前を離れた…


 まさに、嵐の前の静けさだった…



 松尾聡(さとし)…


 松尾会会長…


 病院を退院してからの、松尾会会長の動きは、素早かった…


 まさに、電光石火と言ってもいい動きだった…


 すぐに、日本中、あちこちの松尾会の友好団体に、顔を出し、自身の健在ぶりを、示した…


 要するに、顔見せだ…


 あちこちの、松尾会と友好関係にある、暴力団に、顔を見せ、それを、実話系のヤクザ雑誌に撮らせる…


 そうすることで、自身の健在ぶりを示した…


 …嫌なヤツが出てきた…


 ネットでは、早速、そんな話が載っていた…


 松尾聡(さとし)は、松尾会会長ではあるが、すでに、実質引退状態だった…


 それまで、滅多に、表に出ることはなかった…


 それが、世間に出まくっている…


 一体、どういう風の吹き回しか?


 誰もが、思う…


 誰もが、考える…


 稲葉五郎もその一人だった…


 「…あのオジキは、どうして、今頃になって、ノコノコ世間に顔を出すんだ?…」


 と、激怒したとまでは、言わないが、不満を漏らしたと、実話系の雑誌に書かれていた…


 しかし、松尾聡(さとし)本人は、例え、そんな話が、本人の耳に届こうが、どこ吹く風…


 稲葉五郎の神経を逆なでするが如く、あちこちの友好団体に顔を出しまくった…


 最初のうちは、


 「…あの爺さん…なんで、今頃、ノコノコ出てきたんだ? …この前、代替わりした、山田会の初代会長の古賀さんと五分五分の盃を交わした親分だというのは、わかってるけど、その古賀の親分も鬼籍に入った…なんで、今さら…」


 と、いう声が、ヤクザ界でも大半だったが、松尾会長が、積極的に、あちこちの友好団体に、顔を出しまくることにより、そんな声も下火になった…


 要するに、既成事実を作ったのだ…


 誰もが、最初は、なんで? とか、おかしいだろ? と、声を上げることも、何度も繰り返すことで、それが、おかしくなくなるというか…


 最初の頃は、半ば引退同然だった、松尾会長が、あちこちの友好団体を訪問することに、懐疑的だった、ヤクザ界の声も、いつのまにか、立ち消えになった…


 それどころか、いつのまにか、山田会の分裂騒動が、週刊誌のネタに上がっていた…


 きっかけは、当たり前だが、高雄組組長の自殺…


 経済ヤクザである、高雄組組長が、自殺したことで、同じ立場である、山田会内部の経済ヤクザである組が、一致して、山田会を抜けるのでは?


 という情報が、業界を行き交った…


 武闘派の稲葉五郎が、山田会の会長に納まった今、経済ヤクザの組たちは、やりづらくなるというか…


 肩身が狭くなる…


 だから、一致団結して、山田会を抜けて、他団体といっしょになるか? 


 独立して、自分たちだけで、あらたに組織を立ち上げるか?


 そんな真偽不明の情報が、飛び交った…


 そして、それは、いつのまにか、あの松尾聡(さとし)に行き着いた…


 つまりは、あの引退同然だった、松尾聡(さとし)が、現役復帰したのも、同然に、精力的に、あっちの組、こっちの組と顔を出しているのは、山田会の経済ヤクザから頼まれて、自分たちの引受先というか…


 いっしょになって、やってゆく同士を探しているという噂が広まった…


 さらに、その噂には、尾ひれがつき、松尾会長は、先代の古賀会長から、生前、


「…五郎が、組を継いだら、山田会の経済ヤクザは、居場所がなくなるから、兄弟、なんとか、面倒をみてやってくれ…頼む…」


と、頼まれたとか?


頼まれなかったとか?


そんな噂まで、流れた…


あまりの、真偽不明な噂の出まくりに、山田会の幹部会議でも、話題になり、


「…会長…松尾のオジキをなんとか、せにゃあなりませんよ…」


という声が、続出したが、


「…構うな…ほおっておけ…」


と、一言、稲葉五郎が、吐き捨てた…


本当は、誰よりも、稲葉五郎が、一番頭に来ていたが、それでは、松尾聡(さとし)の術中にはまる…


まさに、そんな心境だった…


稲葉五郎は、実は、松尾聡(さとし)の、心中を察していたといえば、大げさだが、なんとなく、動きは見えていた…


それは、中国の駐日大使の交代だ…


それが、松尾聡(さとし)の動きの背景にある…


それは、読めた…


おそらくは、駐日大使が、交代したことで、松尾会が、杉崎実業の、中国への製品の不正輸出したことに、横やりを入れ、自分も儲けを得ようとして、中国政府の怒りを買ったが、それが、帳消しになったか、なにか、したのであろうことは、読めた…


おそらくは、駐日大使が離日前に、松尾聡(さとし)が、金を積んだか、なにかして、話をつけたというのが、真相だろう…


要するに、なかったことにしたのだ…



その証拠に、堂々と、松尾会長は、世間に顔を出して、その健在ぶりを世間にアピールした…

 

松尾会と、中国政府との事実上の手打ちだった…


中国政府としても、大使が交代する前に、話をつけたかったというか…


いつまでも、この話題を引っ張りたくなかったに違いない…


だから、松尾聡(さとし)の提案は、渡りに船だったのだろう…


それが、無事、済まされたことで、松尾聡(さとし)は、堂々と、社会復帰できた…


それをヤクザ界にアピールする上での、あちこちの友好団体への顔見せだった…


が、


疑問が残る…


なぜ、松尾聡(さとし)が、中国政府と、そんなやりとりができたかという疑問だ…


松尾聡(さとし)は、日本を代表する大物ヤクザのひとり…


たしかに、ヤクザ界では、その名を知らないものは、誰もいないと言われる有名人だ…


だが、ヤクザはヤクザ…


所詮はヤクザに過ぎない…


一介のヤクザに過ぎない松尾聡(さとし)が、どんなに、その世界で、大物であろうと、中国政府にパイプを持つことは、容易ではない…


中国政府にパイプを持つ者と、いえば、普通は、大物政治家や、大物財界人だ…


大物政治家?


松尾聡(さとし)と、大場代議士は、同じ病院に入院していた…


ということは?


ということは、もしかして、大場代議士が、中国政府に、松尾聡(さとし)の一件を、話をつけたのか?


私は、思った…


が、


確証はない…


しかし、


しかし、だ…


ほかに誰がいるのか?


あるいは、いるかもしれないが、当たり前だが、私は、知らなかった…


当たり前だ…


私は、一般人…


ただの女子大生に過ぎない…


杉崎実業を別にして、就活に、全敗した、惨めな女子大生に過ぎない…


ただ、それらの出来事も、すべて、私になんの関係もなかった…


あくまで、実話系の雑誌をバイトするコンビニの休憩時間で、バックルームで、読んだり、ネットで検索して、調べただけだったからだ…


私とは、直接、何の関係もなかった…


ただ、その直後、あの大場が、なんの前触れもなく、ふらっと、私のバイトするコンビニにいきなり、やって来たときは、驚いた…


いや、


驚いたという、簡単な言葉では、言い表せない…


びっくりした…


肝を潰したといっていい…


だって、そうだろう?


大場は…大場敦子は、自分の父親を刺した、高雄悠(ゆう)から、連絡があって、身を隠したというか…


逃走中の高雄悠(ゆう)から、連絡があって、どこかに、悠(ゆう)の身柄を隠すべく、動いたと思っていた…


それが、何事もなく、私の前に姿を現した…


これは、一体、どういうことだ?


私は、考える…


それとも、


それとも、


大場代議士が、高雄悠(ゆう)に刺されたのは、お芝居?


本当は、刺してない?


これは、あの戸田も言っていた…


あの稲葉五郎の若い衆である、戸田も言っていた…


大場代議士の容態が掴めない…


具体的な容態が掴めないと、嘆いていた…


こんなにも、あっさりと、私の前に現れたことで、当たり前だが、お芝居の可能性が高まった…


私は、思った…


だから、私は、


「…お久しぶり…元気?…」


と、大場が、私に気安く話しかけても、


「…ええ…元気…」


と、曖昧に、言葉を濁した…


大場の狙いが、わからなかった…


大場が今、なにを狙ってここにやって来たのか、わからなかった…


だから、用心した…


大場敦子に対して、用心した…


大場の狙いがわからなかったからだ…


皆目、見当もつかなかったからだ…


「…大場さん…高雄…高雄悠(ゆう)さんは?…」


私は、直球で、聞いた…


曖昧に、言葉を濁して聞こうか、考えたが、そんな面倒臭いことは、したくなかった…

 

「…ああ…アレね…」


大場が、軽く言った…


「…逃げたわ…」


「…逃げた?…」


「…こっちの目論見に、気付いたみたい…」


「…目論見…どういうこと?…」


私は、言った…


意味がわからなかった…


だって、高雄悠(ゆう)は、大場代議士を刺して、逃亡中ではなかったのか?


いや、


もしかしたら、それは、ウソなのか?


あるいは、


傷がかすり傷程度で、たいしたことのない軽傷だが、わざと大げさに騒いだのか?


色々、考えた…


「…パパが、悠(ゆう)に、襲われるのまでは、読めたというか…予想できた…ああ、見えて、悠(ゆう)は、熱いというか…自分の父親が、コケにされたというか…罠にはめられた事実に、激怒して、なにか、仕掛けてくることまでは、読めた…でも、まさか、パパを刺すとは、思わなかった…」


大場が、あっけらかんとした口調で、語った…


私は、驚いた…


文字通り、目が点になった…


自分の父親が刺されたことを、こんなにも他人行儀と言うか、他人事のように、言うとは、思わなかったのだ…


「…大場…アナタは一体?…」


私は、唖然として、聞いた…


自分の父親が刺されたのに、あくまで、他人事…


しかも、その父親を刺した犯人である、高雄悠(ゆう)が、逃亡したことも、他人事…


これは、一体、どういうことだ?


私は、考える…


私が唖然としていると、いつのまにか、葉山が近くにやって来ていた…


すると、思いがけず、大場が、


「…お仕事…ご苦労様…」


と、葉山に声をかけた…


が、


葉山は、大場には、なにも、言わず、ペコリと、頭を下げて、その場から去った…


いや、


去りかけた…


去りかけて、踵を返して、舞い戻り、


「…今は、仕事中ですから、仕事が終わってから、お願いします…」


と、言って、再び、この場から去った…


その背中に、


「…使える男ね…余計なことを言わないのが、いい…」


わざと、葉山に聞こえるように、大場が言った…


…どういうことだ?…


私は、思った…


やはり、大場と葉山は知り合い?


面識がある…


が、


今のやり取りでは、まるで、上司と部下…


決して、深い関係ではない…


それは、わかった…


「…今日、お仕事は?…」


大場が、私に聞いた…


「…あと、3時間、ちょっとかな…」


私は、答える…


「…なら、外で、クルマの中で、待ってる…」


軽く、言って、コンビニを出た…


私には、なにが、なんだか、わからなかった…


一体、どうして、大場は、私の元へ、やって来たんだ?


さっぱり、意味がわからなかった…


しかも、いっしょにいるはずの、逃亡中の、高雄悠(ゆう)は、大場から、逃げ出したと言った…


これは、一体、どういうことなんだ?


なんで、高雄悠(ゆう)は、大場から、逃げ出したんだ?


さっぱり、わからない…


悩んでいる私の耳元で、


「…大場のお嬢さんが、姿を現したとなると、いよいよ…終盤だな…」


と、誰かが、囁いた…


いや、


誰かではない…


振り返る前に、その声の主は、わかっていた…


店長の葉山だった…


葉山は、当たり前だが、大場と面識はない…


いや、


あるはずがない…


いや、


例え、面識があったとしても、大場敦子が、あの大場代議士の娘であることを、葉山が知ってるはずがない…


だが、


今の葉山の言動から、察するに、明らかに、葉山は、大場敦子の素性に気付いている…


これは、一体、どういうことだ?


私は、思った…


私は、考えた…



 …大場…


 …大場敦子?…


 …あの女は一体?…


 私は、悩んだ…


 悩み抜いた…


 すると、私の耳元で、


 「…あのお嬢さんも、実子じゃない…母親の連れ子だ…だから、あんなふうに、他人事なんだよ…」


 と、いう声がした…


 私は、その声の主は、振り返る前に、わかった…


 葉山に間違いはなかったからだ…


 「…連れ子?…」


 私は、呟いた…


 それをきっかけに、さまざまなことが読めたというか…


 わかってきた…


 なぜ、自分の娘をヤクザの息子である、高雄悠(ゆう)と、結婚させて、高雄組の資産を、分捕ろうとしているのか、読めた…


 所詮は、自分の血の繋がらない娘だからに、他ならない…


 血の繋がらない娘だから、愛情が薄い…


 もちろん、世間では、血の繋がらない娘でも、血の繋がった実の娘のように、育てる親は、いるが、残念ながら、それは少数派…


 どうしても、血の繋がった自分の子供に比べて、愛情が薄れがちだ…


 だから、大場小太郎は、半ば、駒のように、娘の敦子を扱ったのだろう…


 まるで、将棋の手持ちの駒のように、扱ったのだろう…


 自分の政治活動を有利にする上での駒のように、扱ったのだろう…


 そうでなければ、自分の娘をヤクザの息子と、結婚させたいとは、思わない…


 そして、大場敦子自身、それを痛感していたのだろう…


 私は、思った…


 そこまで、考えたとき、


 「…大場代議士は、あのお嬢さん以外に、お子さんがいらっしゃるが、あのお嬢さんだけ、父親が別だそうだ…」


 葉山が続けた…


 葉山の言葉が、私の胸に沁みた…


 …それでは?…


 …それでは、もしかして、最初から除け者?…


 …最初から、家族から除け者?…


 考えた…


 そして、そう考えると、色々な謎が解けたというか…


 最初、私と会ったとき、大きな外車に乗り、ロック歌手のような革ジャンに、していた意味がわかった…


 アレは、小心者の私と会うために、わざとしたと思った…


 ヤンキーやヤクザが大の苦手な私を脅すというか…


 私に対して、優位に立つために、わざとあんな恰好をしているのだと思った…


 大場は、私とよく似た外観…


 はっきり言って、おとなしめの外観だ…


 だから、ヤンキーやヤクザが似合う野生派ではないから、革ジャンは似合わない…


 おとなしめの顔に、革ジャンは似合わない…


 が、


 それは、もしかしたら、大場の精一杯の反抗ではないのか?


 自分の置かれた現状に対する、精一杯の反抗ではないのか?


 ふいに、思った…


 自分だけ、父親の血を引いてない…


 その結果、ヤクザの息子と結婚させられるかもしれない…


 高雄悠(ゆう)という人物の人間性は、別として、血の繋がった、自分の娘ならば、そもそもヤクザの息子と結婚させようとは、思わなかったに違いない…


 そう、大場が、考えても、不思議ではない…


 そして、それが、自分の父親が、高雄悠(ゆう)に刺されても、動じないというか、他人事の態度に結びついたのだろう…


 そう、思った…


 そして、気付いた…


 高雄悠(ゆう)と、大場敦子の関係だ…


 高雄悠(ゆう)もまた、死んだ、高雄組組長と血が繋がっていない…


 しかし、


 しかし、だ…


 悠(ゆう)は、明らかに、高雄組組長に、溺愛されて、育った…


 それは、傍から見ても、わかる…


 血が繋がってないにも、かかわらず、杉崎実業の取締役にまで、させてもらった…


 単に手持ちの駒ではない…


 高雄組組長の正真正銘の息子としての扱いだった…


 それを、一体、大場はどう思ったのだろう?


 二人とも、父親と、血が繋がっていない…


 にもかかわらず、大げさに言えば、扱いが天と地ほども違う…


 おそらくは、大場も表面上は、悪い扱いではないに違いない…


 なぜなら、大場は、あんな立派な外車を、自分のクルマとして、乗りこなしている…


 父親にお金をもらえなければ、あんな外車を買ってくれるわけがない…


 だから、表面上は、他の兄弟と差別されていないのかもしれない…


 それは、身近に見なければ、わからない…


 はっきり言って、大場の家庭に、足を踏み込んでみなければ、わからない…


 あるいは、表面上は、同じ扱いでも、家庭の中では、半端にされているかもしれないからだ…


 それになにより、大場小太郎は、公人だ…


 選挙で、選ばれる、公人だ…


 だから、どうしても、プライベートも話題になる…


 プライベートも詮索される…


 だから、立場上、誰もがわかる形で、自分の子供を差別することなどできない…


 まして、一人だけ、自分と血が繋がってないなら、なおさらだ…


 あるいは、表面上は、平等に扱っているのかもしれない…


 が、


 真実は、違うに決まっている…


 ヤクザの息子と結婚させて、そのヤクザの資産を分捕ろうとしている…


 あくまで、手駒の一つにしか、考えていない…


 そんな目論見が、大場には、手に取るようにわかるのであろう…


 そして、


 そして、


 大場がなにを考えているのか、わからなかったが、今、思えば、大場が、なにを心配したのか、よくわかる…


 大場は、自分の父親が刺されたとき、父親の大場代議士ではなく、高雄…高雄悠(ゆう)のことを心配していた…


 だから、冷静に考えれば、あのとき、気付くべきだった…


 大場にとって、大事なのは、父親の大場代議士ではなく、悠(ゆう)だった…


 おそらく、悠(ゆう)は、大場と同士だったに違いない…


 男と女だから、男女の関係か、どうかまでは、わからない…


 しかし、同じく、血の繋がらない父親に育てられたという共通点はある…


 しかも、二人とも、お金持ち…


 ヤクザと政治家の違いはあれ、話が合うに違いない…


 同じく、父親が、血が繋がっていなくても、やはり、お金持ちと、貧乏人というと、語弊があるが、家庭環境があまりにも違うと、話が合わない場合が多い…


 そもそも、自分の置かれた環境がまるで、違うから、話が合わない…


 例えば、世帯年収500万円の家庭と、5000万の家庭では、話が合わない…


 もっと言えば、皇族と、一般人では、意思疎通が、困難な場合があるに違いない…


 どうしても、互いに経験のないことは、わからないからだ…


 環境は、人間を作る…


 環境は、人間を支配する…


 お金持ちは、やはり、ガツガツしない人間と言うか、おっとりとした人間が多い…


 貧乏人は、その逆…


 チャンスを逃さないというか…


 どうしても、物事に貪欲になる…


 焦らないということができない…


 若干、話が逸れたが、だから、同じ金持ち同士だから、大場と悠(ゆう)は、話が合ったに違いない…


 ただ、二人には、決定的な差があった…


 父親から溺愛されているか、どうかの差だ…


 これは、大場にとって、悠(ゆう)が、羨ましかったに違いない…


 それが、さっきの


 「…こっちの目論見がバレて、逃げた…」


 という言葉に繋がったのではないか?


 私は、考えた…


 が、いずれにしろ、これは、私の妄想と言うか、考えに過ぎない…


 真実は、これから、コンビニのバイトが、終わって、大場に聞いてみなければ、わからない…


 私は、そう思った…


 

 3時間後、きっちり、バイトが終わって、私はコンビニのユニホームを脱いで、店のバックルームを出ようとした…


 すると、その背中に、


 「…竹下さん…」


 と、いきなり、誰かが、声をかけた…


 私は、その声の主を振り返った…


 声の主は、当たり前だが、葉山だった…


 「…なんですか? 店長?…」


 私は、聞いた…


 葉山が、一体、なにを言い出すのか、と、思った…


 「…運命婚って、言葉、知ってる?…」


 いきなり、葉山が聞いた…


 「…運命婚…ですか?…」


 私は、言った…


 運命婚…


 この出会いは、運命…


 この結婚は、運命…


 そういう意味だ…


 高雄悠(ゆう)が、使っていた…


 「…この結婚は、運命…だから、運命婚って…」

 

 葉山が続ける…


 だから、私も考えた…


 高雄に出会って、そうそう、プロポーズされたというわけではないが、運命婚の言葉を使われた…


 ある意味、口説かれたのかもしれない…


 ただし、私は高雄に口説かれたと、思ったことはない…


 あるいは、これは、高雄も同じかもしれない…


 傍から見れば、私を口説いているように、見えても、本人に、そんな自覚はないことも、結構ある…


 天然と今は、よく言われるが、要するに、本人に、その自覚がない場合だ…


 だから、あのとき、高雄と初めて、二人きりで、会ったとき、駅のプラットフォームで、話した…


 私は、高雄が私を口説いているとは、思ってなかったし、高雄もまた、私を口説いている自覚はなかったと思う…


 しかし、見方によっては、あれは、口説いていたのかもしれない…


 見る人がみれば、あれは、口説いていたのかもしれない…


 そう思った…


 思い出した…


 そんなふうに、一人、トリップと言うか、自分のことを、考えていると、


 「…別に、竹下さんのことを言ってるわけじゃないよ…」


 と、葉山が言った…


 …エッ?…


 …私のことじゃない?…


 …だったら、一体、誰のことだ?…


 私は、思った…


 すると、私の顔を見ながら、


 「…あくまで、一般論だよ…一般論…」


 と、葉山が言った…


 「…一般論?…」


 「…そう…一般論…」


 言いながら、葉山が続けた…


 「…ある家庭があって、別の家庭のひとたちと、子供の頃から、交流がある…ほら、よく父親同士が、学生時代の友人だったり、会社の同僚だったりして、いっしょに、キャンプに行って、バーベキューをしたり、互いの家を訪れたりして、定期的に会ったりする…そして、ある時期に、その家庭の子供同士が、実は、自分は、父親の実の子供ではないという話をする…すると、どうなると思う?…」


 「…どうなるって?…」


 私は、いきなり、そんな話を振られて、戸惑った…


 少し、考えて、


 「…仲良くなる…」


 と、答えた…


 すると、葉山は、満面の笑みで、


 「…正解だ…」


 と、言った…


 「…互いに、境遇が似ている…だから、どうしても、互いに親近感が生まれる…そして、それが思春期の男と女ならば、恋愛に発展する場合が多い…あのひとは、私のことを、誰よりも、わかってくれる…アイツは、誰よりも、オレのことを理解してくれるって…」


 葉山が真顔で、言う…


 …それって?…


 私は、口には出さないが、高雄悠(ゆう)と、大場敦子のことじゃ?


 と、考えた…


 名前こそ、出さないが、明らかな匂わし…


 バカでも、わかる…


 「…だから、運命婚…互いに、このひとと出会ったのは、運命って、思う…互いに、置かれた境遇が、同じ…環境も似ている…互いに金持ちで…だから、話が合う…どんな人間と話すよりも、話が合う…」


 一体、なにを言いたいのだろう?


 この葉山は、一体なにを、私に伝えたいのだろう?


 私は、思った…


 私は、考えた…


 「…しかし、しかし…だ…」


 葉山が続ける…


 「…子供の頃は、それでいい…でも、大人になって、いろんな話をすると、なにかが、違う…最初、それが、なんなのか、気付かない…だが、次期に、それは、父親の愛情の違いであることに気付く…一方は血が繋がっていないにもかかわらず、愛され、一方は、それほど、愛されてない…」


 「…」


 「…すると、どうなると思う?…」


 私は、葉山の質問を考えた…


 が、


 わからなかった…


 答えが出なかった…


 だから、


 「…わかりません…」


 と、答えた…


 すると、葉山は、


 「…妬む…」


 と、短く、言った…


 「…妬む?…」


 「…あるいは、嫉妬…一方は、血が繋がってない父親に、溺愛され、一方は、冷遇されてる…もっとも、冷遇されてる方も、普段は、自分が、冷遇される事実に気付かない…だが、ここぞって、大切なときに、それに気付く…」


 「…どういうことですか?…」


 「…例えば、結婚さ…男でも女でも、とりわけ、家柄がいいと、相手の家柄が問題になる…大げさに言えば、血が繋がった実の娘には、大物政治家の息子と結婚させようとし、血が繋がってない娘には、ヤクザ上がりの男の息子と結婚させようとする…」


 もはや、誰の話をしているか、痛いほど、わかった…


 なにを言いたいのか、わかってきた…



 私は、唖然として、葉山を見た…


 もはや、誰の話をしているか、痛いほど、わかる…


 そして、そのオチも、だ…


 お笑いではないが、そのオチもわかる…


 いや、


 私だけではない…


 この物語を読んでいるひと、すべてが、わかる…


 …裏切り?…


 とっさに、そんなワード=言葉が、脳裏をかすめた…


 脳裏を駆け巡った…


 「…妬みは、ひとを変える…ゆっくりと、ね…」


 葉山が意味深に言う…


 「…最初は、互いに誰よりも、信頼でき、信用していた人物だったが、それが、虚構というか…同じような、境遇だと思っていた人間と、自分とは、決定的に違うことが、わかってくる…例え、それが、結婚相手としても、だ…」


 葉山が断言する。


 「…結婚相手?…」


 「…そう…親が、それとなく薦めてくるというか…まあ、狙いがあって、薦めるわけだけど…だけど、いろんな事情がわかってくると、親を裏切ってやれとなる…」


 「…裏切る?…」


 「…あるいは、騙してやれとなる…そして、交際相手も、そんな相手の態度になんとなく、気付いてくる…」


 「…どうして、わかるんですか?…」


 「…なんとなく、距離感というか…態度で、わかってくるものだよ…なんか、以前と違うって?…」


 「…」


 「…そして、それが、わかってくると、後は、キツネと狸の化かし合いというか…普通ならば、素直に別れれば、いいんだろうけど、そうはいかない…だから、問題が、余計にこじれる…こじれにこじれる…」


 私は、葉山がなにを言わんとしているのか、よくわかった…


 つまりは、大場敦子と、高雄悠(ゆう)だ…


 二人は、幼馴染(おさななじみ)…


 それが、思春期になり、恋愛に発展した…


 だが、


 同じ境遇かと、思われた二人だったが、二人には、決定的な違いがあった…


 血が繋がってない父親に愛されているか、否か?


 それが、決定的な違いだった…


 そして、その違いに気付いた大場敦子は、父親の意向を汲んで、高雄悠(ゆう)と、付き合っているように見せて、実は、違う動きを見せていたに違いないからだ…


 だが、


 その動きが、なんであるかが、わからない…


 具体的な動きが、わからない…


 葉山は、それを知っているのだろうか?



 私は、考える…


 私が、考え込んでいると、


 「…たとえ…たとえ…あくまで、たとえだよ…」


 と、言って、目の前で、葉山が笑った…


 「…たとえ?…」


 「…そう…たとえ…世の中、そんなひともいるというたとえさ…」


 葉山が、あくまで、たとえで、あることを強調する…


 私は、考えた…


 どうして、葉山は今、私に、そんなたとえを、言った意味を、だ…


 もちろん、私が、これから、大場敦子に会うからなのは、わかっている…


 でも、もしかしたら、それ以外に、なにか、葉山の意図があるかも、知れないからだ…


 だから、


 「…それって、その後、どうなるんですか?…」


 と、葉山に聞いた…


 「…どうなるって?…」


 「…恋人同士だと思った、男と女…実は、父親と血が繋がってない男と女の話です…」


 「…さっきも、言ったように、一方が、もう一方を妬む…つまり、血の繋がってない父親に、溺愛されて、育った人間を、血の繋がってない父親に冷遇された人間が、妬む…しかも、なまじ、二人は、それまで、どんな人間よりも、お互いにわかりあえると、思っていたのが、実は、そうじゃない現実に気付く…だから、余計にタチが悪い…」


 「…タチが悪い?…」


 「…ほら、よくあるでしょ? たとえば、仲のいい姉妹だったり、親友だったりする場合、二人とも結婚した後、明暗が別れたりすることがある…」


 「…どういう意味ですか?…」


 「…わかりやすい例だと、一方が、金持ちだったり、もう一方が、平凡な家庭の出身だったとする…すると、どうしても、比べてしまう…これが、やはり、一方が、東大出の財務省のキャリア官僚だったり、もう一方が、平凡な大学出身のサラリーマンでも、同じ…つまりは、誰もがわかる明確な差ができてしまう…すると、一方が、もう一方に嫉妬することが、結構ある…自分の姉妹だったり、親友だったり、要は、自分とたいして変わらない人間だと思ったのが、結婚相手は、天と地ほども違った…そして、それが、許せなくなるというか…」


 「…許せなくなる…」


 「…自分と同じ…あるいは、自分と近いと思っていた人間が、実は全然自分と違うレベルの人間と結婚する…当たり前だが、相手は、自分と違う生活…違う未来を持っている…それが、許せなくなる…なまじ、それまで、自分と大差ないと思っていたから、余計に、タチが悪い…」


 葉山が延々と、説明する…


 私は、葉山の言わんとすることが、よくわかった…


 たしかに、葉山の言う通り、自分の姉妹だったり、親友だったりする人間が、なまじ、自分の付き合っている人間とかけ離れた人間と、結婚するとしたら、素直に祝福できないかもしれない…


 姉妹や、友人は、身近な存在…


 そして、大抵は、その能力は大差ない…


 ルックスもそうだが、頭の場合は、それ以上に、似通っている場合が大半だ…


 東大出の人間は、やはり、友人は、東大出身か、それに近いレベルの大学出身が、多い…


 そうでなければ、話が合わないからだ…


 それに、尽きる…


 男女の結婚も、頭の程度が、同じ場合が、大半だが、そうでない場合も多い…


 すると、やはり、今、言ったように、妬みが生じる可能性が高い…


 自分と同じ、レベルの人間と思っていた姉妹や友人が、東大出身のエリート官僚と結婚する…


 片や、自分は、自分と同じ程度の一般のサラリーマン…


 明らかに格差が生じる…


 そして、それが、許せないのだ…


 なまじ、自分と同じだと思っていたのが、実は、違った…


 だから、余計に許せなくなる…


 高雄悠(ゆ)と、大場敦子の場合も、これと同じ構図に違いない…


 私は、思った…


 「…まあ…あくまで、たとえだから、そんなに深刻になる必要はないよ…」


 葉山が笑いながら、言う…


 「…ただ、それが、わかっていれば、事前に準備ができる…」


 「…準備? …なんの準備ですか?…」


 「…心の準備さ…」


 「…心の準備?…」


 「…例えば、船に乗っていて、それが、ボロかったり、波が想像以上に激しくて、もしかして、沈没するかもと、思っていたら、やはり、沈没したのと、最新の船に乗っていて、まさか、そんなことはないだろうと思っていたのが、いきなり沈没するのとは、心の準備が違うだろ?…」


 「…」


 「…要するに、まさか、そんなことがと、思うか、やっぱりそうだったんだの違いさ…」


 葉山が、うまいことを言う…


 そして、なにより、葉山は、これから、私が、このコンビニの外に出て、大場敦子と会うが、それからなにが起こるかわからないから、警戒しろと、言っているのが、痛いほど、わかった…


 だから、


 「…ご忠告、感謝します…」


 と、言って、ペコリと頭を下げて、葉山の前から、立ち去ろうとした…


 その私の背中に、


 「…とにかく、気を付けることだよ…」


 と、言った葉山の言葉が響いた…


 コンビニの外に出ると、私は、真っ先に、大場の姿を探した…


 大場は、クルマで、来ていると言った…


 だとすれば、このコンビニの駐車場に、大場はあのベンツGクラスと言った大きなクルマか、真っ赤なマツダ3セダンのどっちかが、停まっているに、決まっている…


 そう、思った…


 だから、真っ先に探した…


 が、


 見つからなかった…


 …一体、大場は、どこにいるのだろう?…


 私は、悩んでいると、


 「…竹下さん…こっち…」


 と、突然、大場の呼ぶ声が聞こえた…


 私は、驚いて、声のする方を見た…


 そこには、たしかに、大場が立っていた…


 ただし、


 ただし、だ…


 大場の横にあったクルマは、ベンツGクラスでも、真っ赤なマツダ3セダンでもなかった…


 シルバーの軽自動車だった…


 ただし、車体に派手なステッカーが貼ってある…


 そのステッカーを見て、そのクルマは、かつて、大場の父である、大場小太郎代議士が、一度、私を乗せたことがある、アルト・ワークスと呼ばれたクルマだと、思い出した…


 だから、私は、大場に走って近づくと、


 「…大場さん…そのクルマ…」


 と、大場に言った…


 「…ああ…このクルマね…パパのよ…」


 と、軽く、大場が答えた…


 「…いつもは、パパの専用だけど、今は入院しちゃっているから…」


 大場が短く、説明する…


 私は、そうなんだと、納得した…


 大場の父親、大場小太郎代議士は、高雄悠(ゆう)に刺されて、入院中…


 これは、わかっている…


 すでに、報道されているからだ…


 ただし、それが、本当なのか、どうかは、だいぶ、怪しい…


 いや、


 怪しくはないかもしれない…


 刺されたのは、事実に違いない…


 ただし、軽傷か、重症かが、わからない…


 さっぱり、わからない…


 それだけだ…


 私が、そんなことを、考えていると、


 「…乗って…」


 と、大場が言った…


 私は、当たり前だが、頷いた…


 このために、やって来たのだ…


 あの、高雄悠(ゆう)を、裏切ったかもしれない、大場に会うためにやって来たのだ…


 自分の父親を刺した男と、同士であり、仲間であった高雄悠(ゆう)を、裏切った女に会うためにやって来たのだ…


 私は、それをしっかりと、肝に銘じた…


 しっかりと、心に刻んだ…


 そうでないと、ただでさえ、頼りないというか、しっかりしない私は、たやすく、ひとに騙されやすいというか…


 私は、見た目通り、頼りないし、騙されやすいからだ…


 だから、しっかりと、葉山のアドバイスを肝に銘じた…


 そして、大きく深呼吸をした…


 …神様…どうか、私をお守り下さい…


 ホントにいるかどうか、わからない神様に願った…


 苦しいときの神頼みというヤツだ…


 普段は、神頼みなど、滅多にしないのに、こういうときだけは、頼む…


 要領のいいヤツだ(笑)…


 だから、神様も、願いを聞いてくれないのかもしれない(涙)…


 守ってくれないのかもしれない…


 私が、そんなことを考えていると、


 「…竹下さん…なにをしているの?…」


 と、すでに、アルト・ワークスに乗り込んだ、大場が、私の名前を呼んだ…


 「…早く…乗って…」


 大場が命じる…


 いきなり、私のバイト先にやって来て、そんな言い草はないだろう…


 随分、自分勝手なヤツだ…


 私は、内心、頭にきたが、なにも言わなかった…


 気の弱い私は、思っていても、それを言葉に出すことはできない…


 態度に出すこともできない…


 代わりに、


 「…ごめんなさい…」


 と、わざと、一オクターブ高い声で、謝った…


 可愛いフリをしたのだ…


 わざと、可愛いフリをして、この難を逃れようとした…


 が、


 大場は、そんな私の言動に騙されなかった…


 「…竹下さん…そんな猫を被ったような声を出さないで…」


 と、不機嫌に呟いた…


 「…ごめん…」


 反射的に謝った…


 我ながら、弱っちい…


 実に、弱っちい…


 惨めなほど、弱っちかった…


 私は、思った…


 思いながら、アルト・ワークスの助手席のドアを自分で、開けて、クルマに乗り込んだ…


 と、同時に、密室に、大場と二人きりになったと、あらためて、思った…


 これから、なにが、始まるか、わからない…


 ただ、ドキドキした…


 息が苦しくなるほどだった…


 大場が、ずばり、悪人に見えた…



 …大場がずばり、悪人に見えた…


 だから、警戒しなければ、ならない…


 とっさに、思った…


 肝に銘じた…


 固く心に誓った…


 そうしなければ、飲み込まれてしまうというか…


 流されてしまうというか…


 私が、そんなことを考えながら、シートベルトをセッティングしようとしていると、大場が、強引にクルマを動かした…


 私は、ドスンと、シートにカラダが叩きつけられた…


 頭にきて、ハンドルを握る、大場を睨んだ…


 すると、


 「…ごめん…ごめん…」


 と、大場が、私に謝った…


 「…このクルマに慣れてなくて…」


 「…慣れてない?…」


 「…このクルマは、パパが、メチャクチャ大事にして、家族の誰にも触らせないの…それが、今は入院しているでしょ? …だから、その隙を縫って、このクルマに乗ったんだけど、ちっとも、慣れなくて…」


 大場が説明する…


 私は、そういうものかと、思った…


 私自身、クルマの免許は持ってないから、わからない…


 「…それって、やっぱり、クルマの大きさが、違うから…」


 「…やっぱり、それが、大半かな…」


 大場が即答する。


 「…排気量が…エンジンの大きさが違うと、アクセルを踏んで、どう動くか、わからないというか…アクセルの踏み具合がわからない…ぶっちゃけ、どこまで、踏んでいいか、わからない…ほら、竹下さんも知ってるように、あのベンツGクラスとか、大きなクルマから、この軽に変わったから、アクセルを踏まないと、力が出ないと思って…それで、つい必要以上に、踏み過ぎてしまうっていうか…」


 大場が説明する。


 私は、そんなものかと、思った…


 たしかに、大場の説明は、わかる…


 大きなクルマに普段乗っていて、それが、今日のように、小さなクルマに乗り換える…


 すると、いつものように、アクセルを踏んだら、必要以上に、力が出てしまうと思って、わざと、アクセルを踏まない…


 結果、力が出ない…


 だから、今度は、必要以上に、アクセルを踏む…


 その結果、今度はアクセルを踏み過ぎる…


 そういうことだろう…


 私は、思った…


 すると、突然、大場が、


 「…何事も、やり過ぎって、まずいのよね…」


 と、言った…


 …どういうことだろう?…


 私は思った…


 だから、


 「…それって、どういう…」


 と、私が、大場に聞くと、


 「…鈍いな…竹下…」


 と、いきなり、呼び捨てにされた…


 「…鈍いって…」


 「…高雄よ…高雄…高雄悠(ゆう)…」


 苛立ったように、言う…


 「…パパを刺して、とんずら…挙句に私に助けを求めて、電話をかけてきたかと、思ったら、そこからも逃げ出して…ホント、お子ちゃま…手に負えない…」


 大場は憤懣やるかたない表情だった…


 私は、恐る恐る、


 「…大場さんって、高雄さんと、仲がいいの?…」


 と、聞いた…


 その質問に、大場が激怒というか、一気に怒りが爆発したというか…


 「…いいって、いえば、良かったときもあるし、よくなかったときもある…」


 まさに、激白した…


 が、


わかったような、わからないような答えだった…


 私が、戸惑っていると、


 「…要するに、付き合いが長いの…」


 と、一言、言った…


 「…子供の頃…ほんの2、3歳の頃から…いや、もっと前からかな…とにかく、親戚の子じゃないけど、気が付くと、周囲にいたっていうか…」


 大場が説明する。


 「…だから、好きとか、好きじゃないとかじゃなく、なんて言っていいのかな…幼馴染(おさななじみ)というだけじゃなく、もっと、言えば、身内っていうか…」


 大場が、じれったそうに、説明する…


 「…とにかく、そういう間柄よ…」


 大場が、面倒臭そうに、言った…


 「…子供の頃は、歳が離れているから、お兄ちゃんで、それが、中学生とかになると、親戚のカッコイイお兄ちゃんになり、それが、続いたけど、最近というか…今となっては、それも色褪せたって、言えば、正しいのかな…」


 「…どういうこと?…」


 「…自分の見たい夢と言うか、未来しか見ない…」


 「…見ない?…」


 「…できるとか、できないじゃなく、できると信じ込んでいる…どんなことも、できると思ってやらないと、できないことは、たしかだけど、それも可能性があってのこと…できない可能性が高いんじゃ…無理でしょ…」


 力を込めて言う…


 …それって、高雄組のことじゃ…


 私は、思った…


 高雄組を、いずれは、真っ当な会社にする…


 杉崎実業を買収したのを、契機に、正業に衣替えする…


 映画のゴッドファーザーのように、マフィアから足を洗い、正業に就く…


 それを高雄が、夢見ていたことは、わかった…


 だが、それが、できるか、否か…


 できないと考えるのが、大半だろう…


 映画と現実は違う…


 なにより、世間の目がある…


 元ヤクザ者が経営する会社が、堂々と、一般の企業に生まれ変われると考えるのは、愚の骨頂だろう…


 あり得ない話だからだ…


 「…でも、それを後押ししたひとが、いるんじゃ…」


 私は、遠慮がちに言った…


 「…ああ、パパね…」


 あっさりと、返した…


 「…竹下さんの目論見通りというか…パパは、私と悠(ゆう)さんが、結婚して、高雄組を継ぐっていうか…その上で、高雄組を解散して、投資会社か、なにかに衣替えして、もらいたかった…堅気になって、投資会社になれば、堂々と、パパの選挙を応援できる…資金もこれまで以上に、提供してもらえる…」


 「…これまで以上?…」


 「…バカね…政治家とヤクザがつるんで、お金の関係がないわけないじゃない…政治家は、公的存在だから、公共工事を、指定の業者に、発注させるのが、定番…ヤクザは、自分の息のかかった会社…土木とか、道路とか、を作るとき、その会社を使えと、依頼できるし、それで、いっしょに、自分も儲けてる…でも、高雄組の場合は、ヤクザを辞めれば、もっと堂々とできる…高雄組は、経済ヤクザだから、公共工事なんて、しみったれた、小さなことじゃなく、株を動かして、楽に、何十億って、稼ぐことができるから、その分け前と言うか…パパに渡る金も多いと思った…」


 大場が、あっけらかんと説明する…


 私は、唖然とした…


 そこまで、大場が、ぶっちゃけるとは、思わなかった…


 すでに、ほぼ、わかっていたことだが、大場の口から、それを直接聞くとは、思わなかった…


 一体、どうして?


 どうして、大場は、私にそんなことをぶっちゃけるんだろう


 …まさか?…


 …まさか?…


 この後、私を殺すとか?


 知り過ぎた女として、殺すとか?


 まさか、そんな?


 そんなバカなことが?


 私は、ゾッとした…


 杉崎実業に関わって、実に、色々なひとたちと知り合った…


 ヤクザの稲葉五郎、亡くなった高雄組組長…


 この大場や林もそうだ…


 その大場や林の父親たち…


 そして、高雄悠(ゆう)…


 あの女優の渡辺えりに似た、町中華の女将さんも、そうだ…


 そして、その共通点…


 それは、町中華の女将さんを除けば、みんなお金持ち…


 平凡な私のような家庭出身者は、見当たらない…


 誰もいない…


 だから、極論すれば、私は、シンデレラ…


 まるで、王子様に見初められたシンデレラだ…


 突然、思った…


 突然、気付いた…


 私は、高雄悠(ゆう)に見初められた、シンデレラだった…


 私は、高雄悠(ゆう)に見初められたことを、きっかけに、杉崎実業に関わったというか…


 そんな感じだった…


 そして、今、この大場があけすけに、内実を私に晒している…


 手の内を晒している…


 これは、見方を変えれば、私は、用済みというか…


 変な話、大場はシンデレラを妬む、シンデレラの継母とその娘たちと、同じ…


 私を憎んでいるのか?


 そうも、思った…


 もしかしたら、高雄悠(ゆう)は、私に気があり、それを、この大場が妬んでいるのか?


 そうも、思った…


 それもあって、用済みとなった私=シンデレラを殺す…


 そういうことだ…


 そう、考えると、ゾッとした…


 今すぐ、この場から逃げ出さなければ、ならない…


 そう、気付いた…


 すると、ハンドルを握る、大場が、


 「…竹下さん…なにを焦った顔をしているの? 別に竹下さんを取って食おうなんて、思ってない…」


 と、言って、爆笑した…


 「…思ってない?…」


 「…ええ、思ってない…もしかして、竹下さん、私が竹下さんに、なにかすると思った? …」


 直球の質問に、私は、無言のまま、首を縦に振って、頷いた…


 それを見た、大場が、


 「…竹下さん…考えすぎ…」


 と、笑った…


 「…でも、竹下さんが、そう思うのも、わからないわけじゃない…」


 一転して、真顔で言う…


 「…竹下さんの最大の庇護者、高雄組組長は、自殺してしまったもの…」


 …最大の庇護者?…


 …高雄組組長が、最大の庇護者?…


 それは、どういう意味だ?


 もし、私に庇護者がいるとすれば、それは、稲葉五郎…


 あの稲葉五郎のはず…


 稲葉五郎のはずだ…


 私は、思った…


 が、


 そんな私の思惑とは、別に、


 「…高雄さんは、ホントは、竹下さんと、悠(ゆう)さんを結婚させたかったんだと、思う…」


 思いがけない言葉を投げた…


 私は、唖然とした…


 思わず、


 「…ウソォ!…」


 と、呟いた…


 「…ホント…」


 大場が笑いながら、返す…


 だが、


 その笑いは、引きつっていた…


 「…稲葉さんの娘である、竹下さんと、高雄さんの養子である、悠(ゆう)さんが、結婚する…山田会の有力組長同士の子供が、結婚すれば、山田会をうまくまとめられるし、自分の地位も安泰…これも、また、亡くなった高雄さんの望んだ一つの夢だった…」


 私は、その話を聞きながら、どうして、あんなにも、高雄組組長が、私を大切にしたのか、わかった…


 自分の息子の嫁にしたいから、あそこまで、私を大事にしたんだ…


 大場の言葉から、そんな、高雄組組長の思惑と言うか、意図がわかった…


 「…なんてね…」


 大場がいきなり、笑った…


 「…冗談よ…冗談…」


 「…冗談?…」


 「…冗談に決まってるでしょ? …第一、竹下さんが、稲葉のオジサンの娘のわけがないじゃない…」


 大場が笑う…


 …試している?…


 私は、とっさに思った…


 私は、気付いた…


 私が、どこまで、知っているか、試している?…


 私は、考える…


 なにも、知らない人間が、たとえ冗談でも、私が稲葉五郎の娘だなんて、言うわけない…


 口にするわけがない…


 私が、どこまで、知っているか、試している?

 

 私の反応を見ている…


 そう、思った…


 しかし、


 しかし、だ…


 今、大場が言ったことが、本当だとすると、


 …高雄組組長は、私と高雄悠(ゆう)が結婚すればいい…


 そう、望んでいたことになる…


 それは、結果として、わかるというか…


 溺愛する悠(ゆう)と、稲葉五郎の娘である、私が、結婚すれば、さっきも言ったように、山田会は、まとまる…


 互いの娘と息子が結婚するのだ…


 政略結婚に他ならないが、これで、山田会がまとまるならば、文句はないはずだ…


 と、ここで、ひとつ気付いたことがある…


 ということは、どうだ?


 最初から、誰も、私が、亡くなった古賀会長の血筋を引く者と、思ってなかったということか?


 その事実に気付いた…


 稲葉五郎も、高雄の父子も、口では、そう言いながら、本音では、誰も、そう信じてなかったということか?


 私は、思った…


 ということは、どうだ?


 そもそも、山田会において、古賀会長とは、一体なんだったのか?


 なにを言いたいかと言えば、稲葉五郎はもとより、私が、稲葉五郎の娘だと知って、高雄組組長も私に近づいてきた…


 ということは、誰も、古賀会長うんぬんは、最初から、思っていない…


 最初から、古賀会長は、スルー=無視されている…


 相手にされていないということだ…


 ということは、別の言い方をすれば、古賀会長は、山田会の最高権力者ではない…


 すでに、私が、稲葉五郎と、高雄組組長と知り合った時点で、事実上、失脚していた…


 あるいは、失脚はせずとも、山田会で、力がなくなっていたのではないか?


 名目上の会長に過ぎなくなっていたのではないか?


 私は、気付いた…


 ということは、どうだ?


 あの女優の渡辺えりに似た、町中華の女将さんだ…


 あの女将さんは、亡くなった古賀会長といっしょに、女将さんの祖父母が、命からがら、満州から、逃げ戻ってきたといっていた…


 それゆえ、家族…


 亡くなった古賀会長にとって、唯一、心を許せる家族だと言った…


 ということは、どうだ?


 あの女将さんにとって、大切なのは、稲葉五郎じゃない…


 古賀会長に決まっている…


 その古賀会長が、実は、ハブられてる…


 半端にされてる…


 山田会のトップであるにも、かかわらず、事実上、力を失っている…


 これが、愉快なはずはない…


 面白いはずはない…


 だから、あのとき、稲葉五郎を呼んで、私が、稲葉五郎の娘だと、暴露したのではないか?


 私は、突然、思った…


 要するに、敵対行為だ…


 あの町中華の女将さんが、稲葉五郎に対して、大げさにいえば、宣戦布告したのと、同じだ…


 それゆえ、


 「…稲葉五郎は、本名じゃない…宋国民という名前も偽名…アンタ…ホントは何者だい?…」


 と、問い詰めたに違いない…


 私は、気付いた…


 ということは、どうだ?


 あの女将さんは、最初から、稲葉五郎や高雄組組長と敵対していたのではないか?


 その可能性に気付いた…



 …あの女将さんが敵?…


 …稲葉五郎と敵対しているかもしれない…


 考えられない話だった…


 だが、冷静に、事態というか、状況を考えれば、その可能性が高い…


 稲葉五郎と敵対している可能性が高い…


 そもそも、女将さんは、亡くなった古賀会長の陣営…


 稲葉五郎と、古賀会長のどちらかを選べと言えば、古賀会長を選ぶに決まっているからだ…


 私の頭の中を、さまざまな思いが駆け巡る…


 どれも、これまで、考えてもいなかったことばかりだ…


 実は、私を高雄悠(ゆう)と、結婚させたかったとか?


 あの女優の渡辺えりに似た町中華の女将さんが、実は、稲葉五郎と敵対していたかもしれない…


 なんて話は、完全に想定外…


 思ってもみないことばかりだった…


 だから、私の頭の中は、完全に、混乱した…


 混乱して、なにも、考えられなくなった…


 これまで、ぼんやりと、考えていたことが、すべて、否定された感じだった…


 それほど、ショックが大きかった…


 「…なにを、考えているの?…」


 突然、ハンドルを握る、大場が、聞いてきた…


 私は、一瞬、悩んだが、


 「…なんか…最近になって、色々予想外のことが多くて…」


 曖昧に返答した…


 言い終わった後、私は、あまりにも、曖昧な返答をしたことを、後悔したというか…


 「…抽象的過ぎて、わかんない…もっと、具体的に言って…」


 とか、言い返されそうだと、思った…


 しかし、大場は、意外にも、


 「…それは、わかる…」


 と、言って、大きく、私に同意した…


 「…竹下さんの立場ならば、それもわかる…」


 と、まるで、自分自身に言い聞かせるように、言う…


 「…誰もが、そう…同じ…相手の立場に立てば、見えてくるものがある…」


 と、意味深に言う…


 私は、驚いて、大場を見た…


 大場が言う意味はわかるが、どういうつもりで、そう言ったかまでは、わからない…


 私が、関わったこと、すべてに言っているのだろうか?


 ふと、思った…


 思えば、この大場とは、最初、杉崎実業の内定式で、会ってから、ずっと会っている…


 唯一の人間と言うか…


 いや、


 それを言えば、あの高雄悠(ゆう)も同じ…


 同じだ…


 悠(ゆう)もまた、あの杉崎実業の内定式で会って以来、たびたび会ってきた…


 いや、


 高雄悠(ゆう)こそが、私にとって、王子様だった…


 仮に、私が、シンデレラとすれば、シンデレラ=私を選んだ、王子様だった…


 と、思った…


 だが、


 違った…


 悠(ゆう)は、最初から、王子様でも、なんでもなかった…


 高雄組組長の息子だが、血が繋がってない…


 その高雄組組長もまた、山田会の実力者だが、稲葉五郎には、叶わない…


 だが、高雄組は、金を持っている…


 経済ヤクザだからだ…


 だから、悠(ゆう)は、王子様といっても、中途半端な王子様というのが、正直なところかもしれない…


 いや、


 そうではない…


 悠(ゆう)が、もし、最初から、私を稲葉五郎の娘だと知っていたとして、私を狙っていたとしたら、それは、私が、王子様…


 そして、悠(ゆう)が、シンデレラとなる…


 つまり、立場が逆となる…


 いわゆる、逆玉…


 身分の低い男が、身分の高い女を狙っているのと、同じ…


 ありえないことだが、これが、真実だ…


 つまりは、最初、あの駅のプラットフォームで、私に、この内定を辞退しないでくれと、言ったときに、本当は、別の意味で、私を狙っていたことになる…


 あのとき、高雄悠(ゆう)は、杉崎実業の内定を出した5人の中には、


 「…ボクを食おうとしているもの…」


 ぶっちゃけ、杉崎実業に入社して、ボクに近づき、結婚して、ボクの家の財産を乗っ取ろうとするもの…


 と、


 ボクが結婚することで、ボクが、有利になるというか…


 たしか、まあ、そんなふうなことを言っていた(笑)…


 ただ、5人の中で、それが、誰だか、わからない…


 だから、誰が敵で、誰が味方だか、わからない…


 しかも、5人の女は、皆、似たような顔に、似たような身長…


 はっきり言えば、姉妹のように似ている…


 だが、この5人の中には、自分が、結婚すれば、有利なのもいるし、真逆に、自分の財産を狙う危ない敵もいる…


 そういう話だった…


 しかし、それは、ウソだった…


 今さらながら、気付いた…


 いや、あのときの高雄悠(ゆう)の話がウソなのではない…


 あのとき、すでに、あの時点で、高雄悠(ゆう)は、最初から、敵は、誰で、味方は、誰とわかっていたということだ…


 敵は、この大場敦子…


 そして、


 味方は、私、竹下クミ…


 つまりは、あのときの悠(ゆう)の話は、ほのめかし…


 すべてをわかった上でのほのめかしだった…


 あるいは、匂わしだった…


 本当は、あの時点で、自分の敵は、大場敦子で、自分が、狙った味方は、本当は、この私、竹下クミと、わかっていたということだ…


 わからないのは、この私、竹下クミだけ…


 遠回しに、告白されたようなものだ…


 本当は、ボクは、アナタと結婚したいと、コクられたようなものだ…


 だが、だ…


 もし、そうなら、どうなる?


 この大場の狙いが、最初から、すべて、悠(ゆう)に読まれていたなら、どうなる?


 つまりは、最初から、悠(ゆう)の目的、行動、すべてが、大場に読まれていたなら、どうなる?


 当然、その動きを阻止しようということになる…


 大場敦子の父、大場小太郎代議士は、高雄組の資産を狙っているし、そのために、悠(ゆう)と、敦子が、結婚することが、必要と思っている…


 一方、悠(ゆう)は、稲葉五郎の娘である、私と、結婚したいと思っていると、する…


 父親である、高雄組組長が、それを望んでいるからだ…


 だから、それに気付いた大場父娘は、悠(ゆう)の行動を阻止しようと思うに決まっている…


 強引にでも、娘の敦子と悠(ゆう)を結婚させようと、父親の大場代議士は、思うに違いない…


 と、普通は、考える…


 いや、


 誰もが、そう考えるに、決まっている…


 が、


 こと、ここに至って、葉山が言った新たな要因が明らかになった…


 ずばり、この大場敦子が、父親の大場代議士と、血が繋がってない事実だ…


 大場は母親の連れ子…


 そして、それが、本当ならば、話が変わってくる…


 つまりは、自分が、ヤクザの息子である、悠(ゆう)との結婚を父親が望んでいることを、どう思うかということだ…


 普通は、いくら、物心つかない子供の頃から、付き合いがある、親戚同然の人間といえども、いざ、結婚となると、話は変わる…


 なにしろ、結婚だ…


 誰もが、自分の人生にとって、一番重要なことのひとつだ…


 これは、学校や会社を選ぶ比ではない…


 会社は、転職しても、×がつかないが、結婚は離婚すれば、戸籍に×がつく…


 それほどの違いだ(笑)…


 その重要な結婚を、父親の言いなりで、決める…


 大場敦子は、政治家の娘だから、それも理解できるが、結婚相手が、ヤクザの息子で、それを命じた、父親とは、実は、血が繋がってないといえば、どうだ?


 だったら、血が繋がっていれば、ヤクザの息子と、実の娘を結婚させるかと、いうことになる…


 ずばり、そういうことだ…


 それが、一番の問題だ…


 そして、普通は、血が繋がっていれば、そんなことは、させないということになる…


 私が、そんなことを、考えた…


 考え続けた…


 私が、無言で、真剣な表情で、考え続けていると、


 「…どうしたの? 竹下さん…そんな難しい顔をして?…」


 と、ハンドルを握る大場が聞いてきた…


 私は、ちょっと、悩んだが、


 「…大場って、お父さんと、仲がいいの?…」


 と、それとなく聞いた…


 探りを入れたというか…


 私の質問に、一瞬、ほんの一瞬だが、大場の顔が明らかに引きつったというか…


 明らかに顔をしかめた…


 しばし、沈黙した…


 それから、覚悟を決めたように、


 「…難しい質問ね…」


 と、口を開いた…


 「…難しい質問?…」


 エッ?


 そんなに難しい質問なのか?


 かえって、そんなふうに返された方が、動揺したというか…


 驚いた…


 「…そんな質問をしたってことは、私が、父親と血が繋がってない母の連れ子だと、誰かに聞いた?…」


 私は、大場の直球の質問に、黙って、首をコクンと縦に振って頷いた…


 そして、今さらながら、気付いた…


 この大場敦子は、あっちゃん、あっちゃんと、稲葉五郎や、あの渡辺えりに似た町中華の女将さんに、親しみを込めて、そう呼ばれていた…


 しかし、


 しかし、だ…


 父親の大場小太郎代議士といっしょに、私の前に、現れたことは、一度もない…


 あの高雄悠(ゆう)ですら、一度だけだが、私の前に、亡くなった高雄組組長といっしょに現れた…


 だが、この大場敦子は、ただの一度も、父親の大場小太郎といっしょに、現れたことはない…


 私が会うのは、いつも、大場敦子か、大場小太郎のどちらか…


 どちらか、一人だ…


 つまり、普通に考えて、仲の良いはずはない…


 仲が良ければ、いっしょに現れるに決まっているからだ…


 私が、そんなことを考えていると、


 「…差別はない…普段は…」


 とっさに、大場が口を開いた…


 「…差別?…」


 「…そう…パパと血が繋がった、私の妹や弟との差別…たとえば、食事のメニューが違ったり、妹や弟が、名門の私立中学や高校に入っているのに、私だけ公立とか…そんな差別は一切ない…」


 「…だったら、別に…」


 私が、遠慮がちに言うと、


 「…それは、母が名家出身だから、母に遠慮しているっていうか、できないだけ…母の家系も政治一家で、総理や、大臣を輩出している…だから、いかに、私が連れ子でも、無下にはできないというか…まあ、パパも母の家柄目当てに結婚したこともあるし…」


 大場が言葉を選びながら、言う…


 「…でも、とっさのときというか…」


 「…とっさのとき?…」


 「…ほら、たとえば、火事とか地震とか、そんなのが、起こったとき…真っ先に、誰を助け出すとか、優先順位があるでしょ? そういうときは、やっぱり、妹や弟が先…まあ、血が繋がってないから、仕方がないといえば、仕方がないんだけど、ショックっていやあ、ショック…なまじ、普段は平等に扱われてるから、肝心のときに、そういう態度を取られると、凹むというか、ああ、やっぱりって、なる…」


 …うまいことを言う…


 私は思った…


 たしかに、この大場の言う通り、なまじ普段は、差別はなく、平等でいるのに、肝心のときに、差別されるのは、かえって、イタいというか…


 凹む…


 つまりは、肝心のときに、その人間の本心がわかるというヤツだ…


 私のような若い娘なら、もっとも、ありがちなのは、妊娠だろう…


 付き合った男との間で、おなかの中に、子供ができる…


 が、


 それをきっかけに、女から逃げ出す男も少なからずいる…


 それは、ずばり遊びだからだ…


 結婚は、別…


 この女とはしない…


 そういうことだ…


 だから、逃げ出す…


 それと同じで、この大場も、肝心のときに、父である、大場小太郎が、自分を除け者と言うか、扱いが雑というか、優先順位を低くされた経験があるのだろう…


 私は、思った…


 「…そこが、イタい…」


 と、突然、ケラケラと、大場が笑った…


 笑いながらも、どこか、悲しそうだった…


 当たり前だ…


 自分がハブられているのだ…


 愉快なはずはない…


 「…でも、竹下…やっぱり、アンタ、鈍いわ…」


 と、いきなり、私を再び、呼び捨てにした…


 「…鈍い? …どうして?…」


 「…このクルマよ…クルマ?…」


 「…クルマ?…」


 「…このアルト・ワークス…パパのお気に入り…普段は、絶対、家族の誰にも触らせもしない…もちろん、私なんて、論外…さっき、それを言ったでしょ?…」


 …たしかに、言った…


 「…つまりは、そんな大事にしているクルマを、私が今、乗っている事実…はっきり言って、復讐よ…」


 「…復讐?…」


 「…パパがいない間に勝手に乗ってる…小さなことだけど、これも、復讐…」


 大場が笑う…


 「…きっと、生きていれば、激怒するに決まっている…」


 大場が、突然、言った…


 

 「…生きてれば?…」


 私は、思わず、声に出して、叫んだ…


 じゃ、それって、もしかして?


 もしかして、すでに、死んでる?


 世間に公表してないだけ?


 私は、呆気に取られて、ハンドルを握る、大場を見た…


 しばし、言葉を忘れて、唖然として、見た…


 私そっくりの横顔を見た…


 「…冗談よ…」


 ポツリと、言った…


 「…冗談?…」


 「…そう、冗談…ホントは生きてるらしい…」


 「…らしい?…」


 「…基本、面会謝絶だし、こういうときって、私、ハブられるのよ…」


 「…どういうこと?…」


 「…ほら…さっきも言ったでしょ? …私は、母の連れ子…私だけ、パパの子供じゃない…だから、こういうときって、妹や弟は、団結するけど、私だけ、ハブられる…アイツは、父親と、血が繋がってないからって…だから、私も、生きているらしいって、聞いているだけで、病院にも、行かなかったし…いえ、最初は、行ったけど、面会謝絶だから、会えなかったし、そのうちに、妹や弟たちが、私に、内緒で、コソコソしているものだから、頭にきて、それっきり、行ってない…」


 大場が、ハイテンションで、告白する…


 たしかに、大場にそう言われれば、わかる気もする…


 父親が刺されて、家族全員が、ドタバタしている…


 だが、実際は、自分だけ、蚊帳の外というか…


 肝心のときには、外される…


 相手にされない…


 これは、イタい…


 凹む…


 当たり前だ…


 「…まあ、今日は、そんなこともあって、竹下さんに、会いに来たわけだけど…」


 大場が説明する…


 それで、納得がいった…


 どうして、いきなり、私に会いにきたか、納得した…


 たしかに、そんな目に合わされれば、家にいたくないに、違いない…


 と、思った…


 いや、


 ホントに、そうか?


 気が付いた…


 ホントに、それだけで、今日、私の元に、やって来たのか?


 おかしい…


 それは、おかしい…


 なぜなら、私と大場は、それほど、親しい間柄ではない…


 だから、大場が、家で、ハブられてるから、凹むのは、わかるが、それだけで、私に会いに来るだろうか?


 会いに来るとすれば、もっと親しい間柄の友人や、恋人に決まっているはずだ…


 私は、思った…


 それゆえ、私は、意を決して、


 「…大場さん、これから、どこに行くの?…」


 と、聞いた…


 まさに、今さらだが、私は、大場といっしょに、このクルマに乗ってから、大場がどこに向かってるか、聞いたことがなかった…


 「…ナイショ?…」


 「…ナイショ?…」


 「…着いてからのお楽しみ…」


 大場が意味ありげに言う…


 大場は一体、私をどこへ連れてゆく気だろうか?


 今さらながら、心配になった…


 …まさか?…


 …まさか、高雄悠(ゆう)と、私を会わせるとか?…


 とっさに、思った…


 脳裏に閃いた…


 高雄悠(ゆう)は、大場の父、大場代議士を刺して、逃走中…


 警察に追われる身だ…


 いや、


 それはないか?


 大場は、その高雄悠(ゆう)に呼び出され、どこかに、行ったが、そこで、高雄悠(ゆう)は、逃げ出したと、大場は、さっき、私に告白した…


 だから、大場が、高雄悠(ゆう)の居場所を知るはずがない…


 まさか、再び、高雄悠(ゆう)が、大場に連絡をするはずがないからだ…


 と、ここまで、考えて、気付いた…


 どうして、高雄悠(ゆう)が、大場に連絡をしたか? をだ…


 普通、誰もが、刺した相手の娘に連絡を入れるのは、おかしい…


 って、いうか、考えられない…


 連絡を入れた相手の父親を刺したのだ…


 にもかかわらず、それをしたというのは、なにか、裏があると、考えて、いい…


 つまりは、当たり前だが、高雄悠(ゆう)は、大場が、自分と同じように、父親と血が繋がってないことを知っていたからに他ならない…


 高雄悠(ゆう)と、大場敦子は、幼馴染(おさななじみ)…


 子供の頃からの知り合い…


 家族を通じての知り合いだからだ…


 そして、当たり前だが、大場の立場…


 家族の中での大場敦子の立場を知っていたからに他ならない…


 だから、連絡した…


 大場が、家族の中で、ハブられてる事実を知っていたからだ…


 大場が、父の大場小太郎代議士とうまくいってない事実を知っていたからだ…


 だが、大場と会った高雄悠(ゆう)は、結果的に、大場の元から逃げ出した…


 大場の言葉で言えば、トンズラをしたわけだ…


 と、なると、どうだ?


 どうして、高雄悠(ゆう)は、大場の元から、逃げ出したということだ…


 謎がある…


 そもそも、高雄悠(ゆう)と、大場代議士は、知り合い…


 子供の頃から、面識がある…


 だから、高雄悠(ゆう)は、大場代議士に会うことができた…


 次期総理総裁候補にも、名前が挙がる大物代議士だ…


 普通ならば、容易に会える人間ではない…


 にもかかわらず、会えたのは、要するに、昔からの知り合いだから…


 SPもつけずに、会えるほど、距離が近いというか…


 親しい…


 だから、刺せたのだ…


 私は、今さらながら、思った…


 考えた…


 そして、刺した後、大場に連絡を入れた…


 おそらく、刺したことを伝えたかったのかもしれない…


 あるいは、逃亡先を確保してもらいたかったのかも?…


 突然、思った…


 高雄悠(ゆう)は、当たり前だが、高雄組組長の息子…


 逃亡先と言うか、隠れる場所は、高雄組関連というか…


 ぶっちゃけ、ヤクザ関係…


 山田会関係だ…


 当たり前だが、亡くなったとはいえ、高雄組組長は、大物ヤクザ…


 高雄悠(ゆう)が頼めば、事前に、逃亡先を容易に確保できるに違いない…


 なにより、彼らは、その道のプロだ…


 逃亡先を確保することは、手慣れてるはずだ…


 が、


 それでは、警察にたやすく発見される…


 誰もが、考える逃亡先だからだ…


 むしろ、誰もが、考えられない逃亡先…


 例えば、この大場敦子が、逃亡先を作ればいい…


 用意すれば、いい…


 ふと、思った…


 まさか、刺された相手の娘が、逃亡先を用意するとは、思わないからだ…


 あり得ない話かもしれないが、それが、一番、意外な逃亡先だ…


 いや、


 待て?


 そもそも、高雄悠(ゆう)は、どうして、大場代議士を刺した後、この大場に連絡をしたんだ?


 いくら、血が繋がってないからって、父親を刺したんだ…


 その娘に連絡をするのは、誰が考えても、おかしいだろう?


 ということは、どうだ?


 その娘に連絡を入れるというのは、可能性としては、いくつか、ある…


 ひとつは、事前に、大場が、父親の大場小太郎と高雄悠(ゆう)が、会うのを知っていた可能性…


 つまり、二人が会うのを事前に知っていて、その結果、なにか、トラブルが起きて、悠(ゆう)が、大場代議士を刺してしまった…


 だから、慌てて、大場敦子に連絡を入れた

…


 その可能性が考えられる…


 もう一つは、可能性としては、あまり考えたくないが、この大場が、高雄悠(ゆう)に、父親を刺すことを依頼した場合だ…


 あり得ないとは、思うが、事前に父親の殺害を依頼すれば、成功したか、失敗したか、いずれにしろ、依頼した大場に連絡を入れるからだ…


 私は、思った…


 いや、


 そもそも、どうして、高雄は、大場の父親を刺したんだ?


 怨恨か?


 自殺した高雄組組長は、大場代議士の尽力で、40億円、高雄組に返還されることになった…


 高雄組組長が、私に語ったのは、その3倍は、杉崎実業に投資したと言ったが、40億円でも、戻ってくることに、納得している様子だった…


 っていうか、そもそも、大場代議士に騙されて、杉崎実業の株を買って、大損したに違いないが、高雄組組長が、大場代議士を恨んでいる様子は、微塵もなかった…


 いや、


 たしか、あったと聞いたが、早々に諦めたのが、真相だった…


 あるいは、これは、立場の違いかもしれない…


 大物代議士と、大物ヤクザ…


 二人とも、その世界では、大物に違いないが、やはり、世間的には、互角の関係ではない…


 当たり前のことだ…


 立場の違いもあったのだろう…


 自殺した高雄組組長は、一度たりとも、大場代議士を恨む言葉を発しなかった…


 が、


 悠(ゆう)はわからない…


 悠(ゆう)が、大場代議士をどう思ったのかは、わからない…


 激怒した悠(ゆう)が、大場代議士を刺しても、おかしくはない…


 私は、考える…


 そして、大場だ…


 大場敦子だ…


 この大場が、高雄悠(ゆう)に父親の殺害を強要しても、おかしくはない…


 私は、思った


 私は、考えた…


 それから、徐々に不安になった…


 やはり、大場が私をどこへ連れてゆくか、不安になった…


 まさか、私が、殺されるとか、そんなバカげたことはないだろうが、一体、どこへ連れてゆく気なのか?


 やはり、気になった…


 「…あの…大場さん…これから、一体、私をどこへ?…」


 遠慮がちに聞いた…


 私が、不安そうに、聞くものだから、


 「…そんなに心配?…」


 と、楽しそうと言うか、私をからかうような笑みを見せた…


 ハンドルを握る大場の顔が、まるで、無邪気な子供のように、見えた…


 私は、どう言っていいか、わからず、


 「…」


 と、黙っていた…


 まさか、


 …ええ、心配…


 と、返すわけには、いかない…


 「…そんなこと…」


 と、曖昧に返答しようかとも、思ったが、考えている間に、時は過ぎたというか…


 返す間もなく、


 「…そんなに、心配しないで…私の家に連れてゆくだけだから…」


 と、突然、大場が、目的地を明かした…


 「…大場さんの自宅?…」


 私は、あまりにも、意外な目的地に、呆気に取られた…


 あまりにも、意外な場所だった…


 同時に、冷静に考えれば、意外でも、なんでもない場所だった…


 友人を自宅に招待する…


 ひどくありがちな展開だった…


 誰もが、友達を自宅に呼んだ経験はあるだろう…


 当たり前と言えば、当たり前すぎる場所だった…


 ただ、どうして、大場が、私を、大場の自宅に招きたいのか、わからなかった…


 理解できなかった…


 何度も言うが、大場は私と親しい間柄ではない…


 あくまで、あの杉崎実業をきっかけに、知り合ったに過ぎない…


 私が、稲葉五郎の娘からかもしれない…


 でなければ、そもそも、それほど、親しい間柄ではない…


 もっとも、それを言えば、大場が、今、こうして、私を誘って、ドライブと言うか、いっしょに、クルマに乗っているのも、おかしい…


 私は、考えた…


 しかし、


 それにしても、大場の自宅とは?


 いや、


 大場の自宅って、当然だが、大場小太郎代議士の自宅でもあるだろう…


 すると、今、大場代議士が、入院中でも、自宅には、大場の父親違いの、弟や妹、それに母親が、いるに違いない…


 そんな場所に、私を招くのだろうか?


 私は、思った…


 すると、突然、私は、不安になった…


 きっと、大場の自宅ならば、豪邸に違いない…


 きっと、ビックリするような豪邸に違いない…


 当たり前だが、大場はお金持ちだからだ…


 が、


 私は、庶民…


 そんな豪邸は、これまで、生きていて、テレビや映画を除いて、実際に見たこともなければ、当たり前だが、招かれたこともなかった…


 それが、今、初めて、招かれる…


 それを、考えると、正直、ビビった…


 怖くなった…


 私のような身分の人間が、そんな豪邸に招かれるなんて…


 正直、帰りたくなった…


 いや、一度だけ、そんな豪邸に招かれたことはあった…


 林の実家だ…


 しかし、あのときも、林は、事前に、私を実家に招くことは、言わなかった…


 あんな豪邸に招くとは、言わなかった…


 だから、ビビらなかった…


 それに、大場は林の比ではない…


 次期総理総裁候補にも名前が挙がる大場代議士の娘だ…


 その大場の家に上がり、大場の家族の前で、なにかマナー違反でもすれば、笑われるかもしれない…


 いや、


 笑われるに決まっている…


 これまで、生きていて、林を除けば、お金持ちと交流したことは、一度もない…


 ただの一度も、だ…


 考えれば、考えるほど、不安になった…


 めっきり口数が少なくなり、黙り込んだ…


 そんな私の様子に気付いた大場が、


 「…どうしたの、竹下さん?…」


 と、聞いてきた…


 私は、一瞬、言おうかどうか、迷ったが、


 「…なにか、言いたいことがあったら、言って…」


 という、大場の声に促されて、


 「…怖いっていうか?…」


 と、小さく答えた…


 「…怖い? なにが、怖いの?…」


 「…大場さんの自宅?…」


 「…私の自宅? なにが、怖いの?…」


 大場が驚いた様子だった…


 「…私は、庶民だから、大場さんのようなお金持ちの家には、行ったことがないし、マナーも知らないし…」


 消え入りそうな声で、言った…


 本音だった…


 怖くて、怖くて、仕方がなかった…


 「…そんな、平気よ…」


 大場が、豪快に笑い飛ばした…


 「…平気って、言われても…」


 私は、消え入りそうな声で返答する…


 「…平気っちゃ平気…」


 大場が私を励ました…


 「…だって、これから、行くのは、実家じゃない…私のマンション…」


 「…大場さんのマンション?…」


 …予想外の言葉だった…


 「…ほら、私だけ、パパと血が繋がってないから、家に居づらくて…だから、大学入学と共に、実家を出て、マンションを借りたの…さすがに、高校を出るまでは、ダメだったけど、大学生にでもなれば、許してくれて…


 「…そうなんだ…」


 私は、ホッとして、返した…


 大場の母親や、弟や妹がいるかもしれない、お金持ちの大場の実家に行くのは、どうしても、嫌だったが、大場の住むマンションならば、ハードルは低かった…


 心理的ハードルは、低かった…


 私のホッとした表情を見て、


 「…竹下さんって、案外、気が弱いのね…」


 と、大場が言った…


 私は、驚いて、大場を見た…


 「…いえ、竹下さん、うちのパパや、亡くなった高雄さんのお父様に普通に接しているのに…」


 大場が説明する。


 しかし、大場は間違っている…


 私は、普通に接してはいない…


 大場の父も、高雄悠(ゆう)の父親も大物…


 だから、一般庶民の私が、普通に接することができるわけがない…


 もし、大場が、そう思ったとしたら、それは、大場の間違い…


 勘違いに他ならない…


 そんなことを、考えながらも、アルト・ワークスは、闇の中を失踪した…



 「…さあ、着いた…」


 いきなり、大場が言った…


 到着してみれば、長いような、短いような時間だった…


 はっきり言って、いつ、この大場の運転するアルト・ワークスに自分が乗ったか、覚えていない…


 だから、時間がわからなかった…


 いや、


 そうではない…


 バイトが上がるのは、9時だった…


 今は十時…


 だから、一時間弱で、着いたということだ…


 私は、思った…


 そんなことを考えてる間に、大場は、マンションの地下駐車場に、アルト・ワークスを乗り入れた…


 手慣れてる様子だった…


 それから、私を伴って、マンションに入った…


 私は、ただ、黙って、大場の後について、歩いた…


 実は、私は、マンションに入ったのは、初めて…


 友人の中にも、マンションに暮らしている友人はいない…


 だから、興味深いというか…


 怖いというか…


 とにかく、初めて尽くしだった…


 だから、興味はあるが、怖い?から、ただ黙って、大場の後について、歩いた…


 もちろん、大場は、私がそんなことを考えてることなど、知る由もない…


 私と大場は、ほぼ無言で、ツカツカと、マンションの廊下を歩いた…


 エレベーターに乗り、8階のボタンを大場が押した…


 だから、これから向かうのは、8階だと思った…


 大場は、8階に住んでいるのだろう…


 私と大場は、ほぼ無言だった…


 エレベーターの中でも、そうだし、廊下を歩いている最中も、無言だった…


 ただ、ツカツカと、二人が歩いている足音だけが、聞こえた…


 やがて、大場が、ある部屋の前で、立ち止まり、部屋のドアを開けた…



 「…ここよ…」


 大場が小さく言った…


 「…ここが、私の家…さあ、中に入って…」


 私は、大場に促され、部屋に入った…


 マンションの中は、暗く、当たり前だが、人の気配はない…


 私は、ふと不安になった…


 この時間に、大場の家を訪れるということは、今夜、大場といっしょに、この部屋に泊まることになるのではないか?


 例えば、この後、大場と2時間話して、大場が、あのアルト・ワークスで、私を家まで、送ってくれるとは、普通、考えられない…


 と、なると、今から、家に電話するべきではないのか?


 そうしないと、父も母も、心配するに違いいない…


 私は、箱入り娘ではないが、あまり外泊の経験はない…


 私は、そう考えて、


 「…大場さん…」


 と、声をかけた…


 大場はすでに、真っ暗な部屋の電灯のスイッチを入れている最中だった…


 「…なに?…」


 「…今日、これから、ちょっと、電話していい…両親に、今日、帰りが、遅くなりそうだからって、連絡したいから…」


 「…そうね…」


 大場が軽く返した…


 私は、大場に告げたから、安心して、家に連絡しようとした…


 スマホを取り出し、家に連絡を入れようとした…


 と、


 そのときだった…


 なにか、いる気配がした…


 大場は、もちろん、いるが、それ以外に、近くに誰か、いる気配がした…


 いわゆる、第6感と言うヤツだ…


 例え、真っ暗闇の中でも、同じ部屋に誰かいれば、気付く…


 それは、音や、相手の呼吸といったものではない…


 なんとなく、誰かが近くにいる、感じがするのだ…


 以前、


 ずっと以前だが、父が、昔、本を読んで、面白いことが書いてあったと言ったことがあった…


 それは、第二次世界大戦で、戦場をくぐった歴戦の勇士といえば、大げさだが、幾度となく、戦場を経験した兵士の話だ…


 その兵士が言うには、例えば、アメリカ兵と戦っていて、相手が攻めてくるときは、勘でわかると言っていた…


 …来る!…


 と、直観で、わかるというのだ…


 そして、来ると、思った直後に、実際に、敵が攻撃してくる…


 おそらく、幾度となく死地をくぐり抜けることで、感覚が、鋭くなったのか?


 あるいが、それが、人間本来が、備わった能力なのかはわからない…


 しかし、事実として、そういうことがわかるらしい…


 要するに、私でいえば、真っ暗闇でも、近くに誰かいれば、なんとなくわかる…


 その延長線上だ(笑)…


 要するに、目でも耳でもなく、心で、相手の気配を悟るというヤツだ…


 前置きが長くなったが、ふと、そんな気配を感じた…


 私と、大場以外にも、この部屋に誰かいる…


 そんな予感がした…


 私は、それを確かめるべく、


 「…大場…さん…」


 と、言いかけたところで、その人物が、いきなり、私の前に現れた…


 思わず、心臓が止まった…


 いや、


 止まりかけた…


 それは、高雄…


 高雄悠(ゆう)だった…


 私は、驚いたと、同時に、


 …やっぱり…


 と、思った…


 やっぱり、高雄は、大場に匿われていた…


 大場敦子に匿われていた…


 それが、わかった…


 驚いたと、同時に、納得だった…


 が、


 やはり、驚いたことは、驚いた…


 「…高雄…」


 私は、いつのまにか、高雄の名前を口にしていた…


 が、


 高雄のトーンは低かった…


 「…やっぱり、連れてきたんだ…」


 むしろ、悲しそうだった…


 その高雄の後ろから、


 「…出てきちゃ、ダメ…」


 という声がした…


 長身の高雄の陰に隠れて、見えなかったが、その声の主は、大場だった…


 「…アンタは、隠れていなきゃ…」


 大場が言う…


 「…一発逆転か…」


 高雄…高雄悠(ゆう)が、自嘲的に呟いた…


 …一発逆転?…


 …どういう意味?…


 私は、思った…


 私が驚きで、言葉をなくしていると、高雄の背後から、大場が顔を出した…


 そして、


 「…私たち、嵌められたの…」


 と、小さく言った…


 「…嵌められた?…」


 私は、言い、


 そして、


 「…誰に?…」


 と、付け加えた…


 「…大場小太郎…」


 間髪を入れずに、二人が同時に答えた…


 …大場小太郎に嵌められた?…


 意味がわからなかった…


 たしかに、大場小太郎が、杉崎実業の中国への不正輸出を知ってから、それを亡くなった高雄組組長を罠に陥れるために、杉崎実業の株を買い占めさせたことは、わかった…


 杉崎実業の経営権を握るほどの大量の株を買い占めた高雄組組長は、その後、杉崎実業が、中国へ不正に製品を輸出している事実が、暴露されたことにより、杉崎実業の株価が暴落…


 大変な損害を被った…


 高雄組組長の自殺の遠因だ…


 だから、高雄悠(ゆう)が、大場小太郎に嵌められたというのは、わかるが、大場の娘の敦子が、大場小太郎に嵌められたというのが、わからなかった…


 「…高雄さんが、大場さんのお父様に嵌められたというのは、わかる…杉崎実業の一件があるから…でも、大場さんが、お父様に嵌められたと言うのが、わからない…」


 私は、率直な思いを口にした…


 疑問を口にした…


 「…私は、利用されたの…」


 大場が吐き捨てた…


 「…利用? …どういうこと?…」


 「…この高雄悠(ゆう)…この悠(ゆう)を通じ、杉崎実業の株を高雄さんに買わせる一端を担ったのが、私だったの…」


 「…どういうこと?…」


 「…ほら、私は、昔から、高雄さんとも、悠(ゆう)さんとも、付き合いが、長いでしょ? だから、杉崎実業の株を高雄さんが、買い占めると言ったとき、この悠(ゆう)にも、そうすればいいと、私が吹き込んだというか、説得したというか…悠(ゆう)の夢が、いつかは、高雄組をまともな会社にしたいっていうのは、知っていたし…パパから、そうすれば、杉崎実業を通じて、悠(ゆう)君の夢も実現できるって、後押しされたの…」


 …そういうことか?…


 たしかに、杉崎実業の株を買うには、100億以上は優に使ったと、自殺した高雄組組長は言った…


 いかに、経済ヤクザとして、有名な高雄組組長とて、100億を超える金を投入するのは、判断に迷う…


 だから、大場代議士は、高雄組組長を嵌めるために、娘の敦子を使って、悠(ゆう)を説得したわけだ…


 悠の夢は、高雄組組長の夢でもあった…


 ヤクザではなく、一般の投資家と生きるというか…


 投資会社として、存続するというか…


 その夢を大場代議士は、利用したわけだ…


 なにより、自殺した高雄組組長は、この悠(ゆう)を溺愛していた…


 だから、大場代議士は、高雄組組長の弱みは、悠(ゆう)だと、喝破していたに違いない…


 ずばり、見抜いていたのだろう…


 その悠(ゆう)に、杉崎実業の株を、買えばいいと、父の高雄組組長は、言われて、大いに、気持ちが揺れ動いたに違いない…


 誰もがそうだが、信頼する身内に言われると、弱いというか…


 普通ならば、けんもほろろに断ることが、それができなくなる…


 また、判断力も鈍る…


 そんなこと、あるわけない!


 と、断言することが、


 もしかしたら、できるかも?


 と、まで、大きく心が揺れ動くというか…


 正常な判断が下せなくなる…


 以前、これも父が言っていたが、大昔に、牛丼の吉野家が、倒産したときに、当時、ダイエーの中内功が、吉野家を買おうかどうか、悩んでいたときがあったそうだ…


が、溺愛する娘が、


 「…パパ…いまどき、牛丼なんて…」


 と、否定的なことを言ったので、買わなかったと言われている…


 やり手の経営者でも、娘には、弱かったといえるし、別の見方をすれば、娘にそれほど、力があったとも言える…


 溺愛する家族には、優れた経営者でも判断を狂わせる力がある(笑)…


 そういうことだ…


 無論、中内功が、当時、吉野家を買収しなかったのは、娘のアドバイスだけではなかったろうが、買収しないと、決断する遠因には、なっただろう…


 私は、それを思い出した…


 「…だから、大場代議士を刺した?…」


 「…いや、刺してない…」


 悠(ゆう)が、即答した…


 「…刺してない?…」


 「…ボクは、大場さんと会ったけど、刺してない…ただ、オヤジを嵌めたことが許せなくて、大場さんを怒鳴ったというか…とにかく、言わずには、いられなかった…」


 高雄が言う…


 たしかに、高雄の言う通りかもしれない…


 誰が、どう見ても、眼前の高雄が、ひとを刺すようには、見えない…


 「…でも…だったら、どうして?…」


 「…それは、ボクにも、わからない…ただ、テレビや新聞やネットでは、ボクが大場さんを刺して逃亡しているように報道されて…」


 眼前の高雄悠(ゆう)が、戸惑ったように、言う…


 私は、その高雄悠(ゆう)の表情を見て、ウソを言っているようには、見えなかった…


 私は、考える…


 テレビや新聞やネットでは、この高雄悠(ゆう)が、大場代議士を刺したように、報道している…


 と言うことは、当然、情報のソースがある…


 普通に考えれば、刺された大場代議士が、誰に刺されたと、聞かれて、


 「…高雄…高雄悠(ゆう)…高雄組組長の息子だ…」


 と、答えたに違いない…


 だから、この高雄悠(ゆう)が、大場代議士を刺したと、報道されたに違いない…


 だが、それを今、この高雄悠(ゆう)は、否定した…


 そして、それを信じるならば、犯人は別にいる…


 その犯人は、やはり、この高雄悠(ゆう)同様、あの大場代議士がSPを身近に置かずに、会うほど、身近な人間に違いない…


 報道によると、刺された大場代議士は、一人で、部屋から出てきた…


 部屋には、大場代議士以外、誰もいなかった…


 そして、この高雄悠(ゆう)は、間違いなく、大場代議士に会っている…


 それは、SPも見ているに違いない…


 チェックしているに、違いない…


 それこそ、家族のような身内でもない限りは、どんな人間も大場代議士と会う前に、身元をチェックされるからだ…


 家族?


 ふと、思った…


 この大場敦子は、たしか、以前、


 「…高雄…悠(ゆう)さんから、パパを刺したと連絡があって…」


 と、私に告げた…


 だが、今、その当人である、高雄悠(ゆう)は、刺してないと、否定した…


 これは、一体、どういうことだ?


 つまり、あのとき、大場敦子は、私に、ウソを言ったことになる…


 だったら、なぜ、私にウソを言ったのか?


 疑問ができる…


 もしかして?


 もしかして?


大場代議士を刺したのは、この大場敦子?


 大場代議士と血が繋がってない、娘の敦子?


 突如、私の脳裏に、そんな考えが浮かんだ…



 もしかして、この大場敦子が、父親の大場代議士を刺した?


 私は、その可能性に気付いた…


 それは、驚きだった…


 そして、次に、恐怖が襲ってきた…


 このマンションという密室で、大場代議士を刺したかもしれない、娘の敦子といっしょにいるのだ…


 下手をすると、私も刺されるかもしれない…


 そんな恐怖だった…


 そして、思った…


 この高雄…


 高雄悠(ゆう)は、その可能性に気付いているのだろうか?


 もしかしたら、自分を今、匿っている、娘の敦子こそ、父親の大場代議士を刺した犯人かもしれない事実に気付いているのだろうか?


 私は、思った…


 そして、それを考えると、心臓が、バクバクした…


 当たり前だ…


 父親を刺したかもしれない犯人と、いっしょに一つ部屋にいるのだ…


 密室にいるのだ…


 これから、どうなるか、わからない…


 下手をすれば、殺されるかもしれない…


 一体、私は、どうすれば?


 ふいに、気付いた…


 というか、


 悩んだ…


 大場の過去の発言から、大場がウソをついたことを、追及することはできる…


 問い詰めることはできる…


 しかしながら、ここは、密室…


 私は、逃げ出すことができない…


 ここには、私と、大場、そして、高雄悠(ゆう)の3人しかいない…


 しかも、


 しかも、だ…


 仮に、私が、大場こそ父親を刺した犯人だと問い詰めて、大場が認めたとする…


 が、


 その後はどうなる?


 私と大場のつかみ合いのバトルになるのではないか?


 そして、問題は、高雄…高雄悠(ゆう)の存在だ…


 仮に、私と大場が、この場で、バトルを繰り広げた場合、高雄が、どっちにつくか? だ…


 普通に考えれば、昨日、今日、知り合った私よりも、大場を優遇するというか、大場の味方になる確率の方が、遥かに高い…


 なにしろ、高雄と大場は幼馴染(おさななじみ)だからだ…


 すると、どうだ?


 高雄と大場がタッグを組んで、私とバトルを繰り広げる…


 一対二


 誰が、どうみても、私に勝ち目はまるでない(涙)…


 私は、考える…


 だったら、一体、どうすれば?


 私は、悩んだ…


 文字通り、悩みまくった…


 そんな私を見て、


 「…どうしたの? 竹下さん、黙っちゃって…」


 と、大場が聞いてきた…


 そして、高雄悠(ゆう)を見て、


 「…そうよね…逃亡中の悠(ゆう)さんが、ここにいるなんて、想像もつかないものね…」


 と、笑った…


 私は、なんと言っていいか、わからなかった…


 ホントは、怖いのは、この悠(ゆう)ではなく、アンタ…


 大場敦子、アンタだ!


 そう言ってやりたかった…


 でも、できなかった(涙)…


 どうすればいい?


 私は、悩んだ…


 電話だ…


 とっさに、思った…


 ここに、逃亡犯の高雄悠(ゆう)がいる…


 そう、警察に電話をすればいい…


 そうすれば、すぐに、警察が来てくれるに違いない…


 なにしろ、大場代議士を刺した逃亡犯の高雄悠(ゆう)がここにいると、言えば、警察もすぐに飛んでくるに違いない…


 そして、その後に、私が、思った疑問…


 つまり、高雄悠(ゆう)は刺してなくて、刺したのは、娘の敦子かもしれないと言えばいい…


 そう思った…


 が、


 やはり、それは、できない…


 なぜなら、今、私は、高雄悠(ゆう)と、大場といっしょにいる…


 だから、仮に、私が、家に電話すると言っても、二人とも、電話を許さない可能性が高い…


 警察に通報されると困るからだ…


 もし、電話をかけるにしても、二人の目の前で、かけてくれと、言われるに決まっている…


 二人の立場ならば、当たり前だ…


 警察に通報でもされたから、困るからだ…


 私は、思った…


 だったら、一体どうすれば?


 どうすればいい?


 考える…


 そんな私を見て、


 「…竹下さん…そんな心配そうな顔はしないで…悠(ゆう)さんは、パパを刺してないって言っているんだから、例え、逃亡犯でも犯人じゃない…パパを刺された娘の私が言ってるんだから、信じて…」


 大場が、真顔で言う…


 バカ!


 お前が言うから、信じられないんだ!


 お前のパパを刺したのは、お前じゃないのか?


 ホントは言ってやりたかったが、この状況では、とても言えなかった…


 なにしろ、私の身がどうなるか、心配だ…


 文字通り、進退窮まった(涙)…



 どうしていいか、わからない状況だった…


 どうしていいか、わからない…


 さっぱり、妙案が思い浮かばなかった…


 が、


 なにか、言わなければ、ならない…


 なにか、行動を起こさなければ、ならない…


 私は、高雄悠(ゆう)に、


 「…高雄さん…ホントに、大場代議士を刺してないの?…」


 と、聞いた…


 「…刺してない…」


 悠(ゆう)が、即答する…


 「…だったら、どうして、逃げたの? 逃げれば、犯人の思うツボでしょ?…」


 「…そうかもしれないけど…気が動転して…そこに、この敦子から、連絡があって…」


 「…あっちゃんから…」


 私は、言って、大場を見た…


 大場は、慌てることなく、


 「…ほら、私は、この悠(ゆう)さんが、パパに会いに行くと、言うから、事前にお膳立てしなくちゃいけないでしょ?…」


 「…お膳立て?…」


 「…だって、パパは忙しいから、いつ時間が空いているか、事前に調べて、パパに面会の予定を入れないと、会えるわけないでしょ? 娘の私が言うのも、なんだけど、大物政治家よ…スケジュールはいつも一杯…空いている時間を探して、悠(ゆう)さんに、会わせたの…」


 …そういうことか…


 …なるほど、それなら、辻褄が合う…


 たしかに、日本中に名の知れた大物政治家だ…


 スケジュールはいつも一杯なのかもしれない…


 ただ、以前、明らかに、この大場は、


 「…悠(ゆう)さんから、パパを刺したと連絡があって…」


 と、言った…


 今、高雄が言った、


 「…敦子から、連絡があって…」


 ではない…


 要するに、高雄悠(ゆう)から、連絡があったのか? …大場敦子から、連絡があったのか?


 その違いだ…


 それは、大きい…


 どちらかが、ウソをついている…


 そして、普通に考えれば、ウソをついているのは、大場敦子に他ならない…


 なぜなら、今、高雄悠(ゆう)が言った、

 

 「…敦子から、連絡があって…」


 を、否定しないからだ…


 明らかに、以前、私に話したことと、内容が、違っている…


 私は、思った…


 ということは、やはり、この大場が犯人なのだろうか?


 この大場が、父である、大場小太郎を刺したのだろうか?


 考える…


 今のところ、その可能性が大…


 大きい…


 だが、この場で、それを指摘してもいいのだろうか?


 今、言った、高雄から聞いた話と、大場から聞いた話が、違うことを指摘しても、いいのだろうか?


 考える…


 悩む…


 どうして、いいか、わからない…


 どうして、いいか、わからなかった…


 すると、突然、大場が、


 「…稲葉さんもうまくやったわね…」


 と、言った…


 …なにをうまくやったんだろう?…


 私は、思った…


 だから、


 「…なにをうまくやったの?…」


 と、大場に聞いた…


 「…高雄さんのお父様の自殺…稲葉さんは、きっと、パパと組んで、高雄さんのお父様を追い落とすのに、一枚噛んでいたに違いない…」


 大場敦子が仰天の言葉を言った…


 「…稲葉さんが?…」


 私は、驚いた…


 たしかに、結果だけ見れば、その可能性は高い…


 稲葉五郎が、事前に、大場代議士と組んで、高雄組組長を嵌めた可能性は、否定できない…


 でも…


 でも、私には、信じられなかった…


 稲葉五郎は、いつも、


 「…兄貴…兄貴…」


 と、高雄組組長を慕い、


 片や、高雄組組長は、


 「…五郎…五郎…」


 と、親しみを込めて言っていた…


 二人は、誰がどう見ても親密…


 仲が良かった…


 それが、一方が相手を陥れるとは?


 どうしても、信じられなかった…


 もちろん、稲葉五郎はヤクザ…


 大物ヤクザだ…


 だが、私に接する姿を見る限り、他人を陥れるような人間には、どうしても、見えなかった…


 だから、私は、


 「…稲葉さんは、そんな人間じゃないんじゃ…」


 と、言おうとしたところへ、高雄が、


 「…敦子…いい加減にしろ…」


 と、いきなり、血相を変えて、怒った…


 「…稲葉さんは、そんな人じゃないよ…」


 高雄悠(ゆう)が、断言する。


 そして、私は、初めて、高雄悠(ゆう)が、怒った姿を見た…


 高雄悠(ゆう)は、いつも、おっとりとして、いかにも、図書館や、花屋が似合う草食系のイケメン…


 声を荒らげることなど、想像もできなかった…


 それが、今、初めて、血相を変えて、大場を叱った…


 見方を変えれば、それほど、精神的に追い詰められているからかもしれない…


 普段のクールな平静の態度を保てないのかもしれない…


 当たり前だ…


 大場代議士を刺した逃亡犯として、指名手配中…


 そんな状態で、精神が、平常でいられれば、普通ではない…


 「…稲葉さんは、そんな人じゃない…」


 高雄が繰り返す。


 「…たしかに、オヤジと、稲葉さんは、山田会の次期会長を巡るライバルだった…だが、オヤジは、一度たりとも、稲葉さんのことを悪く言ったことはないし、それは、稲葉さんも同じはずだ…たまたま、運の巡り合わせで、山田会の次期会長の座を争ったに過ぎない…敦子の言うことは、間違ってる…」


 悠(ゆう)が、自信たっぷりに言う…


 「…それに、もし、仮に、敦子が言う通りだとしても、オヤジは、文句ひとつ言わないと思う…オヤジは、稲葉さんを好きだったからね…」


 悠(ゆう)が、しんみりと言った…


 「…それより…」


 悠(ゆう)が続けた…


 「…どうして、オマエは、そう思うんだ?

 …うちのオヤジと稲葉さんが、仲がいいのは、オマエも知ってるはずだ…そんなことするわけないのを、知ってるはずだ…」


 矛先が、大場敦子に向けられた…


 「…どうして、オマエ、そんな…」


 言いかけて、表情が変わった…


 「…まさか…まさか…オマエ? …オマエが、仕組んだとか?…オマエが、大場さんに頼まれて、仕組んだとか?…」


 高雄が、追及する…


 「…仕組んだ? …なにを仕組んだの?…」


 「…オマエは、うちのオヤジとも、稲葉さんとも、子供の頃からの顔見知りだ…二人とも、娘同様に、オマエを可愛がってた…そんなオマエが、二人に、あることないこと吹き込まれれば、信じてしまう可能性がある…誰だって、子供の頃から知っていれば、ガードが緩くなるというか…」


 高雄が言った…


 私は、驚いて、大場を見た…


 大場が、どういう反応を見せるのか、知り立ったからだ…


 大場の顔が明らかに引きつった…


 顔色が変わった…


 いや、


 正確には、怒った表情になった…


 「…バカなこと、言わないで…」


 すぐに、高雄に反論した…


 「…どうして、私が?…」


 「…敦子…オマエだったのか?…」


 いきなり、高雄が言った…


 「…なにが?…」


 「…オレを嵌めたのは?…」


 「…嵌めた?…」


 「…オレは、ずっと、オマエに匿われながらも、疑問だった…どうして、オマエが、オレを匿ったのか? …オマエが、大場代議士の実の娘じゃないことは、わかっている…でも、いくらなんでも、自分の父親を刺したと世間で、報道されて、指名手配を受けている人間を隠すのは、おかし過ぎるだろ?…」


 高雄が言う…


 もっともな理屈だった…


 が、


 その次の言葉はさらに衝撃的だった…


 「…敦子…オマエだったのか? 高雄組の資産に目を付けたのは?…」


 あまりにも、意外な言葉だった…


 私は、驚きで、文字通り、言葉を失った…


               <続く> 


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