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運命婚 白馬の王子様はヤクザ?  作者: トモサン


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13/16

運命婚 白馬の王子様はヤクザ? 13



 「…竹下さん…今、大場が、どこにいるか、知っている?…」


 林から、突然、スマホに、電話があった…


 あの、町中華の女将さんの店を訪れた、二日後のことだ…


 「…知らない…」


 思わず、私は、告げた…


 知っているか?


 知らないか?


 問われれば、知らないから、知らないと、答える…


 それだけだ…


 しかし、いきなり、林から、電話があったのは、驚いた…


 なぜ、林から?


 当たり前だが、気になった…


 疑問に思った…


 だから、


 「…そんなことより、林さん…どうして、いきなり、私に、そんなことを?…」


 と、聞いた。


 私は、大場もそうだが、林とも、親しい間柄ではない…


 あくまで、杉崎実業に、内定した5人の中の一人という間柄…


 要するに、杉崎実業の内定仲間に過ぎない…


 だが、林は、以前、大場とも、繋がっていたことを思い出した…


 いや、


 大場だけではない…


 高雄悠(ゆう)とも、繋がっていた…


 つまり、最初から、高雄悠(ゆう)、大場、そして、この林の3人が、グルだったのだ…


 あらためて、それを思い出した…


 「…大場のお母さんから、電話があったの?…」


 「…大場さんのお母さんから?…」


 私は、ビックリした…


 林は、大場の母親とも、知り合いだったのか? と、思った…


 だから、


 「…知り合いなの?…」


 と、つい、聞いた…


 「…全然…」


 林が、即答する。


 「…大場の自分の部屋の机の中に、私とか、竹下さんの、電話番号が、メモ書きで、残っていて、私は、ほら、お父さんが、色々やらかしているから…大場の母親もなんとなく、その話を大場から、聞いていたらしくて…」


 林が、曖昧にぼかす…


 要するに、今回、杉崎実業が、中国に製品を不正輸出した件で、林の父親が、それに一枚加わり、儲けようとした…


 それが、捜査の過程で明るみになり、林の父親は、逮捕…


 その一部始終を、大場は、自分の母親に話していたに、違いない…


 さすがに、大物政治家の娘…


 やることが、エグいというか…


 抜け目がない(笑)…


 自分の行動を逐一、母親に報告していたに違いない…


 「…それで、大場さん、どうしたの?…」


 「…それが、いなくなっちゃったの?…」


 「…いなくなった?…」


 私は、思わず、大声を出した…


 「…いなくなったって?…」


 「…要するに、失踪というか…連絡がつかない状況らしい…」


 林が、言った…


 「…それで、大場のお母さん、パニクっちゃって…」


 林が、ため息交じりに呟く…


 無理もない…


 私は、思った…


 大場の母親から、したら、夫は、刺され、入院中…


 その上、娘まで、行方不明で、連絡がつかない状態ならば、パニックになっても、おかしくはない…


 「…それで、どこに行ったか…目星というか、当てはないの?」


 私は、聞いた…


 私の質問に、林は、


 「…」


 と、沈黙した…


 答えなかった…


 まるで、ケータイが、突然、故障したように、声が聞こえてこなかった…


 だから、


 「…もしもし、聞いてる?…」


 と、言った…


 「…聞いてるわ…」


 林が、即答する。


 「…どこに、行ったか、当てはないの?…」


 もう一度、繰り返した…


 すると、今度は、


 「…高雄…高雄悠(ゆう)さんのところじゃないかって…」


 と、林が、小さく言った…


 「…高雄…悠(ゆう)さん?…」


 私は、またも、大声を出した…


 そして、考えた…


 これは、焦る…


 焦るに決まっている…


 自分の父親を刺した相手の元に、娘がいるかもしれないと、考えれば、母親も焦るのは、わかる…


 だから、大場の机の中にあったメモの電話番号に、電話をしたのだろう…


 いくら、母親と仲が良くても、友人の電話番号まで、教えている可能性は低い…


 大場の母親は、娘が、高雄悠(ゆう)と、いっしょにいるかもしれないと、思ったから、余計に、パニックになったのかもしれない…


 余計に、焦ったのかもしれない…


 しかし、


 しかし、だ…


 大場の母親は、そう思うというか、確信するなにかが、あったのだろうか?


 私は、思った…


 大場が、高雄悠(ゆう)に呼び出された…


 決定的な証拠があったのだろうか?


 私は、考える。


 「…どうして、大場さんのお母さんは、高雄悠(ゆう)さんと、大場さんが、いっしょにいると、思ったんだろう?…」


 「…それは、私に聞かれても、わからないけど…たぶん…」


 「…たぶん、なに?…」


 「…大場が言ったんじゃないの? 高雄悠(ゆう)さんから、連絡があって、これから、会いに行くとか…」


 そんなにストレートに言うだろうか?


 「…それとも、もしかしたら…」


 「…もしかしたら、なに?…」


 「…大場が怒って、どっかに行ったのかも…」


 「…それって、どういう…」


 「…鈍いな…大場の父親は、高雄悠(ゆう)さんに刺されたでしょ? その高雄さんから、連絡があれば、どうして、そんなことをしたんだと、問い詰めたくなるし、最悪、復讐したくなるかもしれない…その姿を母親に限らず、誰かがが見れば、絶対大場は怒ってるでしょ?…」


 …たしかに言われてみれば、それはわかる…


 だが、復讐って?…


 私はつい、それを口に出した…


 「…復讐って?…」


 「…だって、父親が刺されたんだよ…復讐したくなって、当然…」


 私は、林の言葉に、


 「…」


 と、絶句した…


 林がいきなり、私に電話をかけてきたのも、驚いたが、それよりなにより、大場が失踪して、こともあろうに、高雄悠(ゆう)に、復讐のために、姿をくらましたというのは、驚きだったし、はっきり言えば、私の理解の外にあった…


 理解の範疇を超えていた…


 だが、少し考えれば、その可能性は高い…


 いくらなんでも、父親が刺されて、入院しているのに、どこかに出かけて、連絡がつかないなんて、おかしい…


 普通に考えれば、なにかあったに決まっている…


 そして、そのなにかとは、大場が、高雄と会っている可能性が高いということだ…


 大場は、父親の大場代議士が、その父、つまり、大場にとっては、祖父=おじいちゃんが、国家公安委員長を務めた経験から、ヤクザ界の人間と、親しく接するようになった…


 彼らの動静を見張るためだ…


 その縁から、大場もまた、高雄悠(ゆう)と、子供のころから、知り合った…


 いわば、二人は、幼馴染(おさななじみ)

…


 だから、ある意味、普通の関係ではない…


 普通の関係というのは、見知らぬ他人同士の関係ではないということだ…


 たしかに、父親を刺した憎い相手だろうが、それが、幼馴染(おさななじみ)で、しかも、恋人同士だったら、正直、どうしていいか、わからない…


 どう反応していいか、わからない…


 怒っていいのか?

 

 泣いていいのか?


 どうして、いいか、わからない…


 どう対処していいかわからない…


 だから、私は、


 「…」


 と、黙った…


 なにを、どう話していいか、わからなかったからだ…


 それを察したのか?


 それとも、すでに、話す話題が尽きたのか?


 「…なにか、わかったら、連絡して…」


 と、言うなり、プチっと、いきなり、電話を切った…


 私は、いきなり、電話を切られたから、唖然とした…


 …なんて、わがままな!…


 自分の聞きたいことだけ、聞いて、聞き終わると、一方的に、電話を切るなんて、と、憤慨したが、一方で、それもありかな、とも思った…


 林と話しても、これ以上、話がなかったからだ…


 林は、大場以上に、私と疎遠だった…


 互いに、杉崎実業の内定をもらった仲だが、まだ大場との方が、接点があった…


 だから、冷静に考えれば、これで、よかったとも、思った…


 しかし、大場が、失踪中とは?


 まさにあり得ない展開だった…


 もし、


もし、


大場が、高雄悠(ゆう)と、いっしょにいるとすれば、一体全体、どんな話をしたのだろう?


正直、気になる…


いや、


気にならないはずがない…


 私は、考える…


 が、いつまでも、考えているわけには、いかなかった…


 バイトの時間が迫っていたのだ…


 就職が、未定というか、杉崎実業への就職が、ほぼなくなったと、思われる今、私の生命線というと、おおげさだが、収入源は、ただ一つ…


 コンビニのバイトだけだ…


 あのバイトだけが、私の唯一の収入源…


 だから、今、それを失うわけには、いかない…


 だから、私は、いつまでも、林からの電話の内容を考えているわけには、いかなかった…


 バイト先のコンビニは、自宅近く…


 歩いて、5分強…


 10分もかからない…


 いや、


 10分もかかれば、自宅近くとは、言わないだろう…


 私は、いつもの、Tシャツに、デニムのジーンズ姿で、家を出た…


 これが、この竹下クミの正装というと、大げさだが、普段の姿…


 率直に言って、飾り気もなにもない…


 色気もなにもない…


 おまけに、化粧もしない(笑)…


 完全に、スッピンだ…


 私のこの姿は、自分で言うのも、おかしいが、完全にお子様…


 あの森七菜には、遠く及ばないが、やはりお子様だ…


 明らかに、実年齢以上に、幼く見える…


 これは、私の格好が、おかしいのだろうか?


 だから、実年齢以上に、幼く見えるのだろうか?


 以前、悩んだことがある…


 Tシャツに、ジーンズという格好が、色気がなく、おかしいのだろうか?


 悩んだことがある…


 だが、


 違った…


 それが、わかったのは、以前…ずっと以前、中学時代の同級生が、私のバイトするコンビニに、やってきたことがあったときだ…


 やはり、その同級生は、今の私と、同じく、Tシャツに、ジーンズ、それにスニーカーという飾り気が、なにもない恰好…


 私と同じ格好だった…


 しかも、ノーメイク…


 これも、同じだった…


しかし、


 しかし、だ…


 その同級生は、色気ムンムンだった…


 身長が、168センチぐらいで、ナイスバディの持ち主…


 胸もお尻も大きく、しかも、美形だった…


 このまま、そのTシャツとジーンズを脱いで、いきなり水着姿になって、撮影会に参加してもおかしくはない…


 そう思わせるほど、だった…


 片や、私…


 たぶん、その同級生に負けじと脱いでも、おそらく、誰も注目しない…


 まったくのお子様だった(涙)…


 おそらく、中学生が水着になったぐらいのインパクトしか、なかっただろう(涙)…


 私は、身長が、160㎝…


 決して、小さくはない…


 だが、そうだった…


 お子様だった…


 片や、色気ムンムンのお姉さん…


 片や、中学生と間違われるお子様…


 すでに、勝負は見えた…


 いや、


 勝負になっていなかった…


 つくづく、人間は生まれつき、差があると、思った瞬間だった…


 中学時代から、その同級生は、背が高かったが、大学生になって、それにナイスバディと、色気が加わっていた…


 だが、同じ年齢でも、私に色気が加わることは、なかった…


 なかったのだ(涙)…


 ちなみに、その同級生は、真面目で、勉強もできた…


 性格も良かった…


 そして、美形…


 さらに、ナイスバディと、色気が加わったのだ…


 思えば、つくづく、人間は、平等ではない…


 生まれつき、いかんともしがたい差があると、思わせる出来事だった…


 私は、いつのまにか、林のことも、大場のことも、そして、高雄悠(ゆう)のことも忘れて、その同級生のことを、考えていた…


 その同級生に恨みはない…


 恨みは、ないが、差があった…


 埋めがたい差があった(涙)…


 そんなことを、考えながら、私は、バイトするコンビニに、急いだ…


 すると、偶然、コンビニの駐車場に、どこかで、見たような黒く大きな外車が、止まっていたのを、見た…


 …以前、どこかで、見たような?…


 私は、首をひねった…


 しかし、思い出せない…


 …たしかに、どこかで、見た覚えがある!…


 だが、一向に、思い出せなかった…


 だから、私は、そんなことを考えるのを止めて、コンビニに入った…


 「…おはようございます…」


 挨拶して、コンビニの店内に入る…


 すると、店の中にいた、スーツをバリッと着込んだ長身のサラリーマンの男が、私を振り返るのが、わかった…


 明らかに、首を動かして、私を見た…


 それに気づいた、私もその男を見る…


 私は、その男の顔に、見覚えがあった…


 いや、


 見覚えどころか、因縁の相手といっては、大げさだが、その男の息子が、今、大場敦子と、失踪していると、さっき、林から電話があったばかりだ…


 私は、驚いて、その男…


 高雄組組長を、見た…



 …高雄組組長が、私のバイトする店に?…


 私は、驚いた…


 というより、圧倒されたというか…


 まさか…


 まさか、高雄組組長が、私のバイトするコンビニに現れるとは、思わなかった…


 あまりの衝撃に金縛りにあった…


 一瞬、金縛りにあったように、カラダが動かなかった…


 …どうして?…


 …一体、どうして、高雄組組長が、私のバイトするコンビニに現れるんだ?…


 私の頭が混乱する…


 …一体、なぜ?…


 めまぐるしく頭を回転させた…


 が、


 当然、答えが出るはずもない…


 わずか、10秒、いや、20秒で、答えが出るはずもない…


 私が、焦って、答えを見つけている間に、ツカツカと、高雄組組長が、私の前にやってきた…


 私は、焦る…


 どうして、いいか、わからないほど、焦りまくった…


 その焦る私の前で、


 「…お嬢さん…お久しぶりで、ございます…」


 と、高雄組組長が、丁寧に、その長身を折って、私に頭を下げた…


 すでに、コメディか、ホラーの世界だ…


 役者でいえば、松重豊が、森七菜に、丁寧に頭を下げたようなもの…


 誰もが、何事かと、思わず見てしまう…


 二度見してしまう(笑)…


 190㎝近い長身の五十男が、160㎝の22歳の子供っぽい女に頭を下げるのだ…


 そんな迫力があった…


 「…あの…私は、お嬢さんじゃ…」


 私は、遠慮しながら、小さな声で、抗議した…


 ホントは、大きな声で、抗議したいが、それはできない…


 なぜ、できないと言えば、私は、チャレンジャーではない…


 大物ヤクザに、


 「…私は、お嬢さんじゃ、ありません!…」


 と、大きな声で言えるほど、チャレンジャーというか、身の程知らずではない…


 そういうことだ(笑)…


 だから、私は、小さな声で、


 「…あの…これから、私、この店で、バイトに入るので…」


 と、抗議した…


 それに対して、


 「…わかってます…」


 と、高雄組組長が、即答した…


 「…この前と同じく、外で、クルマの中で、待たせて頂きます…」


 「…でも、これから、バイトに入るから、終わるのは、4時間後です…」


 「…それでもです…いきなり、お嬢さんの元に、押しかけた自分が、悪いんです…」


 高雄組組長が、丁寧に腰を折ったまま、私に告げる…


 店の中では、偶然、居合わせた他のお客様が、何事かと、目を見開いて、私を見ていた…


 いや、


 お客様だけではない…


 気付くと、バイト仲間の当麻さえ、唖然とした表情で、私を見ていた…


 …一体なにが起こったんだ?…


 という目で、私を見ていた…


 私は、どうしていいか、わからなかった…


 衆人環視の中で、しかも、私のバイトするコンビニの中で、高雄組組長に頭を下げられるとは、思わなかったからだ…


 私は、どうしていいか、わからず、その場に固まっていると、


 「…竹下さん…どうしたの?…」


 と、雇われ店長の葉山が、私の元にやってきた…


 「…お客様、この娘がなにか?…この娘はウチで、バイトしているコで…」


 葉山が、口を開く。


 「…いえ、このお嬢さんに用事があったんですが、今日、これから、バイトに入ると言うので、終わるまで、外のクルマの中で、待っていると、言ったんですが…」


 「…でも、お客様、この竹下が、バイトが終わるのは、4時間後ですよ…」


 「…それでも、構いません…」


 「…だったら、竹下さん…構わないんじゃ…」


 「…でも…」


 「…お客様が、こう言って下さるんだ…竹下さんが、OKするか、どうか、だよ…」


 葉山が、強く主張する。


 葉山にこう言われては、渋々だが、私もOKするしかなかった…


 まさか、高雄組組長の頼みを断れないからだ…


 「…バイトが、終わるまで、待っていて下さい…それでいいなら…」


 「…ありがとうございます…」


 高雄組組長は、またも、丁寧に腰を折って、私に礼を言った…


 それから、葉山に向かって、


 「…店長もお口添え頂き、ありがとうございました…」


 と、丁寧に頭を下げた。


 そして、その後、


 「…どこかで、会った覚えが…」


 と、高雄組組長が、続ける。


 「…他人の空似でしょう…世の中、似ているひとは、いっぱいいますから…」


 葉山が言う…


 その言葉に、高雄組組長は、一瞬、戸惑ったが、


 「…そうですね…その通りかもしれません…」


 と、返答した…


 葉山は、いち早く、その場を去った…


 その後ろ姿を、高雄組組長が、鋭い眼光で、睨んだ…


 私は、それを見逃さなかった…


 私は、着替えるために、一度バックルームに入り、それから、コンビニのユニホームを着て、店内に出た…


 すると、バイト仲間の当麻が、私に近寄ってきて、


 「…竹下さん…実は、凄い生まれなんですね? 驚きました…」


 と、言った…


 当麻は、明らかに驚いていた…


 そして、崇拝の目で、私を見た…


 女神を見るような目で、私を見た…


 「…ようやく、気付いたか?…」


 私は、重々しく言った…


 「…実は、私は、皇族出身だ…」


 「…エーッ、竹下さんが?…」


 「…そうだ…私のお爺ちゃんの、そのまたお爺ちゃんの、そのまた、お爺ちゃんが、皇族の閑院宮家で、庭師をしていた縁で…」


 「…庭師?…」


 当麻が当惑する。


 「…バカ…冗談だ…本気にするヤツがいるか?…あのひとは、ただの知り合いだ…誤解しているだけだ…」


 「…誤解?…」


 私は、当麻を、無視して、コンビニで、バイトを始めた…


 …一体、どうして、高雄組組長が、私のバイトするコンビニにやってきた?…


 当たり前だが、その疑問があった…


 やはり、今でも、高雄組組長は、私が、古賀会長の血筋を受け継ぐ、人間だと思っているのだろうか?


 だから、さっき、私のことを、


 「…お嬢さん…」


 と、重々しく、呼んだのだろうか?


 あの言い方は、私をからかっているような感じでは、まったくなかった…


 明らかに、敬意といえば、大げさだが、私を、軽く扱ってなかった…


 そして、それは、恐ろしいことだった…


 なにしろ、私は、人間が軽い…


 ちょうど、重々しさの真逆にある人間だ…


 だから、これまで、どんな人間も、私と親しくなると、


 「…クミ…」


 とか、


 「…竹下…」


 とか、軽く扱った…


 それは、当麻がいい例だ…


 当麻は、2歳年下だから、


 「…竹下さん…」


 と、一応、さんづけで呼ぶが、私を尊敬している姿は、どこにもなかった…


 つまり、そういうことだ(涙)…


 そして、それが、私の日常だった…


 私、竹下クミの置かれた、状況だった…


 それが、あの高雄組組長は、私に敬意を表した…


 …なにか、あるのか?…


 …やはり、なにか、あるのか?…


 私は、コンビニのバイトに励みながら、一生懸命、考えた…


 考え続けた…


 あるときは、レジ打ちをしながら、また、あるときは、バックルームから、品出しをしながら、めまぐるしく考え続けた…


 …やはり、あの高雄組組長は、いまだに、私を、亡くなった古賀会長の血筋を引く者と、誤解しているのか?…


 それとも、


 すでに、稲葉五郎の娘だと、気付いているのか?


 さっぱり、わからない…


 だが、巷(ちまた)の噂によると、すでに、勝負は決したのが、通説というか…


 山田会の後継者争いは、高雄組組長と、稲葉五郎の争いだったが、結果は、稲葉五郎の圧勝に終わった…


 だとすれば、もしかしたら、高雄組組長の中で、私の扱いは、変わらないのかもしれない…


 ふと、思った…


 古賀会長の血筋を引く者にしろ、稲葉五郎の娘にしろ、失礼ながら、今の高雄組組長にとっては、どちらも、自分より上の人間の娘ということにある…


 ならば、どっちにしろ、私の扱いは、変わらないのかも?…


 高雄組組長の中では、変わらないのかも?


 とも、思った…


 考えた…


 そして、それを考えてから、ようやく本命というか…


 高雄悠(ゆう)のことを、思った…


 高雄悠(ゆう)は、今、大場代議士を刺して、どこかに、逃走中…


 身を隠した…


 当然、親である、高雄組組長は、心配しているに違いない…


 心配?


 いや、


 心配どころではないのかもしれない…


 なにしろ、血が繋がってないとはいえ、息子が、次期首相の呼び声が高い、大場小太郎代議士を刺したのだ…


 そして、それは、すでに新聞ダネになっている…


 ネットでも、沸騰している…


 はっきりいえば、炎上している…


 そして、この事実は、高雄組組長にとって、不利…


 とてつもない不利な状況に他ならないのではないか?


 高雄組=高雄総業は、今回の杉崎実業が、中国へ、不正に製品を輸出した件で、思いのほか、穏便な結果に、胸をなでおろしたに違いなかった…


 なにしろ、杉崎実業は、実質、高雄組のフロント企業…


 高雄組の実質、子会社だ…


 その杉崎実業を、普通ならば、潰せるはずだったが、政府は、それをしなかった…


 ことを荒立てたくなかったからだ…


 それは、中国もまた同じだった…


 それゆえ、大場小太郎が実質音頭を取り、杉崎実業を潰すことはせず、杉崎実業の株を政府が、買い取り、実質国有化することにした…


 杉崎実業のような中堅の世間的に無名な商社にとっては、まさに、異例の厚遇だった…


 過去には、ダイエーや日産のように、政府が、直接あるいは、間接に、企業に資金を融通して、倒産を免れることはあったが、それは、日本中に名の知られた大企業であり、倒産すれば、関連会社や、取引先を含めて、多くの人間が失業して、路頭に迷う危険があったから、救ったに過ぎない…


 この場合の間接というのは、政府が直接、企業に金を貸し付けたわけではなく、政府系の金融機関を通じて、融資したということだ…


 いずれにしろ、高雄組=高雄総業は、杉崎実業を国有化するにあたり、高雄総業が、保有していた、杉崎実業の株を、40億円で、政府が買い取った…


 これは、破格…


 ありえない厚遇だった…


 高雄組=高雄総業が、暴力団であり、それを政府が、知った上で、なお、高雄総業が、持っていた、杉崎実業の株を政府が、買い取ったのだ…


 実質的には、政府が、堂々と、暴力団に40億円もの大金を支払ったことになる…


 これもまた、大場小太郎の尽力があっての話だった…


 いわば、高雄組にとって、大場代議士は、恩人のはずだった…


 それを、高雄組組長の息子である悠(ゆう)が刺した…


 どういう理由があるにあれ、これが、いいはずがない…


 下手をすれば、まさかとは、思うが、高雄組に支払う40億円の金が、取り消されるかもしれない…


 まさか、そんなことは、ありえないと思うが、世の中、なにが、どうなるか、わからない…


 一寸先は闇というか…


 私は、そんなことを、思った…


 そんなことを、考え続けた…


 そして、


 そして、今、高雄組組長は、逃亡中の高雄悠(ゆう)が、どこにいるか、知っているのだろうか?


 それを、考えた…


 いや、


 居場所だけではない…


 悠(ゆう)が、おそらく、大場敦子といっしょにいる事実を知っているのだろうか?


 悠(ゆう)が刺した大場代議士の娘と、いっしょにいることを知っているのだろうか?


 私は、考える…


 高雄組組長は、大物ヤクザ…


 これまで、数々の修羅場をくぐってきたに違いない…


 でも、きっと、今回のような修羅場に遭遇したことは、ないに違いない…


 銃弾や札束が飛び交う修羅場に遭遇したことは、一度や二度ではないかもしれないが、さすがに、今回のような事態に遭遇することはありえないだろう…


 だが、だからといって、高雄組組長が、私に相談にくるとかは、当然、考えられない…


 あり得ない(苦笑)…


 …だったら、一体、なんのために、私の元へ?…


 私は、考え続ける…


 そして、そんなことを、考え続けながら、バイトに精をだしていると、4時間なんて、あっという間に、過ぎだ…


 呆気ないほど、すぐにやってきた…


 私は、


 「…店長…今日はこれで、上がります…」


 と、葉山に声をかけると、葉山が、


 「…お疲れ様…」


 と、返した…


 いわゆる、社交辞令というか…


 バイトが上がるときにする、挨拶だ…


 私は、バックルームに入ると、


 「…フーッ…」


 と、大きく息を吐きだした…


 一体、これから、どうなるのか?


 一体、これから、どんな展開が待っているのか、皆目見当もつかなかった…


 それゆえ、その不安を拭うために、大きく息をした…


 深呼吸をした…


 一体これから、どうなるのか、自分でも不安だった…


 まさか、拉致されたり、殺されたりするようなことは、ないに違いないが、とにかく、これから、なにが、起こるか、私の頭では、想像すら出来なかった…


 不安で、不安で仕方がなかった…


 しかし、逃げることはできない…


 だから、どうすることもできない…


 私は、泣きそうになった…


 が、


 泣くわけには、いかない…


 泣いて、どうなるものでもない…


 私は、仕方なく、コンビニのユニホームを脱いで、トボトボと、バックルームから出た…


 正直、メチャクチャ、気が重かった…


 帰りたくなかった…


 このまま、店を出たくなかった…


 すると、私の目の前に、誰かが、立ちふさがっているのが、わかった…


 店長の葉山だった…



 …葉山?…


 …なんで、私の目の前に?…


 思わず、


 「…そこ、邪魔!…」


 と、言ってやりたくなった…


 私が、前を通れないじゃないか?


 私は仕方なく、目の前に立ちふさがっている、葉山をよけるようにして、葉山の横を通り過ぎようとした…


 しかし、なぜか、葉山は、カラダを動かして、またも、私の前に立ちふさがった…


 私の行く手を阻んだ…


 いやがらせ以外の何物でもなかった…


 頭にきた私は、


 「…店長…邪魔をしないでください…」


 と、声を出した。


 かなり怒気を孕んでいた…


 これから、会う高雄組組長に、文句を言えない分、葉山に文句を言おうと思ったのだ…


 いわゆるストレス解消だ…


 私が、怒って、葉山を睨みつけると、葉山が、


 「…竹下さん…高雄組組長さんは、竹下さんを、取って食おうというわけじゃないと思うよ…」


 と、ニコニコしながら、私に語りかけた…


 私は、いきなり、葉山が、私の胸の中を覗いたように、高雄組組長のことを言うから、驚いた…


 「…どういう意味ですか?…」


 思わず、聞いた…


 「…いや、竹下さん…すごく心配そうな顔をしているから、気になって…きっと、高雄組組長さんが、竹下さんに、なにかするのかと、心配しているんじゃないかと思って…」


 葉山の言う通りだった…


 その通りだった…


 「…でも、きっと、竹下さんが、心配することは、なにもないと思うよ…」


 「…どうして、わかるんですか?…」


 「…名のある組長さんが、堅気の大学生のお嬢さんに、なにか、するなんて、ありえないよ…仮に、なにかすれば、ヤクザ社会の笑い者だよ…」


 「…ヤクザ社会の笑い者?…」


 「…ヤクザは面子に生きる…なにが、あろうと、大物ヤクザが、堅気のお嬢さんを捕まえて、なにか、するなんて、ありえないよ…」


 葉山がニコニコして言う…


 私は、思わず、


 「…信じていいんですか?…」


 と、葉山に念を押した…


 葉山は、


 「…ボクは、高雄組組長でもなんでもないから、保証はできないけど、ボクの言うことに、間違いはないと思うよ…」


 と、当たり前のことを言った…


 …たしかに、葉山は、当事者ではないから、保証はできない…


 …だが、葉山の言うことは、間違っているとは、思えない…


 …世間に名の知れた大物ヤクザが、私のような世間的に、無名の小娘を、どうこうしようと思うのが、すでにあり得ないというか…


 葉山の言うことが、理にかなっているというか…


 当たり前のことだった…


 私は、葉山の言葉に納得した…


 だから、


 「…わかりました…」


 と、葉山に言って、ペコリと頭を下げて、歩きかけた…


 その私の背中に、葉山が、


 「…高雄さんと、稲葉さんとの間の勝負はついたんだろ? …今さら、ジタバタするような往生際の悪いひとじゃないと、思うよ…高雄さんは…」


 と、声をかけた…


 私は、ビックリして、葉山を振り返った…


 そんな私の顔を見て、葉山は、


 「…お疲れ様…今日はありがとう…」


 と、微笑んだ…


 雇われ店長の顔に戻ったのだ…


 私は、今さらながら、この葉山は、何者かと、思った…


 …ただのコンビニの雇われ店長ではない…


 もう、何度も考えたことを、考えた…


 もしかして、公安か、なにかか?…


 以前、考えたことを、もう一度考えた…


 しかし、考えてみれば、これもおかしい…


 葉山が公安の関係者ならば、一体なぜ、このコンビニで、雇われ店長をしているのだろう?


 当然、理由が、ある…


 当然、目的が、ある…


 だが、その目的がわからない…


 まさか、私の動静を見張るために、このコンビニの雇われ店長をしているわけではあるまい…


 冗談でも、そんなわけはない…


 そんな可能性はない…


 私は、頭をひねりながら、コンビニを出た…


 すでに、夜は暗かった…


 私は、突如、不安になった…


 これから、一体、なにが、起こるのか、不安になった…


 だから、なにげに、空を見上げた…


 神様に祈るわけでもなかったが、空を見上げた…


 空は、キレイだった…


 満天の星空というわけではないが、星がキレイに光っていた…


 私は、あまり、夜、空を見上げる習慣は、ないが、この夜は、珍しく、空を見上げた…


 私は、しばらく、その場に立って、空を見上げていた…


 すると、いつのまにか、隣に、誰かいるのに、気付いた…


 私は、隣を見た…


 高雄組組長だった…


 「…キレイですね…」


 高雄組組長が言った…


 「…ハイ…キレイです…」


 私は、答えた…


 隣に、すでに高雄組組長が、いたにも、かかわらず、私は不思議と冷静だった…


 葉山のアドバイスがあったからかもしれない…


 「…でも、きっと、高雄さんの方が、私より、星がキレイに見えるかもしれないですよ…」


 「…どうしてですか?…」


 「…だって、高雄さんの方が、私より、30㎝近く、背が高い…だから…です…」


 「…30㎝、背が高い? でも、こんなに離れているのに、30㎝ぐらいの違いじゃ…」


 そこまで、言って、高雄組組長は、私が、冗談を言っているのが、わかった…


 「…お嬢さん…大人をからかっちゃ、いけません…」


 と、高雄組組長は、私を叱った…


 「…スイマセン…」


 私は、すぐに、詫びた…


 「…でも、さすがに、お嬢さんだ…私のような人間相手でも、決して、ひるまない…」

 

 いきなり、核心を突いた…


 「…私は、お嬢さんのような方と、悠(ゆう)が、いっしょになってくれると、嬉しかったんだが…」


 思いがけないことを言った…


 私は、驚いて、高雄組組長の顔を見た…


 私より、30㎝近く背が高く、おまけに、夜だから、高雄組組長の表情がよくわからなかった…


 「…ご冗談…ですか?…」


 おずおすと、聞いた…


 「…いえ、冗談ではありません…」


 高雄組組長が、真顔で言った…


 「…お嬢さんを見ると、ホッとするというか…心が安らぐというか…心の底から、落ち着ける…きっと五郎も、お嬢さんのそういうところに、惹かれたんだと、思います…」


 「…稲葉さんも?…」


 「…次期山田会会長です…」


 高雄組組長が断言する…


 「…決まったんですか?…」


 「…ハイ…」


 「…高雄さんは?…」


 「…私は、とりあえず、これまで通りというか…まだ、五郎も決断できないのでしょう…五郎が、いくら次期会長に内定しても、何事も五郎一人では、決められない…大会社の社長でも、なんでも、同じです…自分一人で、決められることは、案外少ない…」


 高雄組組長が、淡々と話す…


 「…それに、悠(ゆう)のことがあります…」


 「…悠(ゆう)さん?…」


 「…お嬢さんも、ご存知のように、大場代議士を刺して、逃亡中です…当然、私もそうだが、山田会への世間の風当たりが強くなる…五郎も思案のしどころでしょう…」


 私は、なんと言っていいか、わからなかった…


 だから、話題を変えた…


 「…あの…一つ、お聞きしていいでしょうか?…」


 「…なんでしょうか?…」


 「…悠(ゆう)さんが、大場さんを刺したことで、高雄さんに渡される40億円は、一体?…」


 「…わかりません…」


 即答した…


 「…少なくとも、有利には、働きませんね…でも、杉崎実業を買収するのに、ホントは、40億どころか、100億円は優にかかってます…」


 「…そんなに…」


 私は、仰天した…


 「…40億円戻ってきても、三分の一にも、なりません…それでも、戻ってこないより、はるかにいいわけですが…」


 高雄組組長が、苦笑する…


 「…文句を言っても仕方がありません…世の中、なるようになると思うしか、ありません…」


 高雄組組長が、達観したように言う…


 すでに、高雄組組長は、稲葉五郎に負けた…


 山田会での立ち位置が、今後、どうなるか、わからないが、それも含めて、すべてを受け入れているようだった…


 「…今の私の気になることは、悠(ゆう)のことだけです…」


 「…悠(ゆう)さんの?…」


 「…バカなヤツですが、見捨てることはできない…あの男が、ここまで、調子に乗ったのは、私にも、責任があります…」


 「…責任ですか?…」


 「…私が、悠(ゆう)を可愛がり過ぎたのかもしれません…私には、五郎同様、子供がいません…なにより、悠(ゆう)の幼い頃は、私の子供の頃に、よく似ていた…といっても、悠(ゆう)の方が、優秀なのですが…」


 「…」


 「…幼い悠(ゆう)に、子供の頃の自分を見たというと、大げさだが、頭の良い、悠(ゆう)に、キチンと、大学まで行かせ、立派な会社に行って、その能力を生かせる道を作ってやりたかった…それが、夢というか…」


 高雄組組長が、淡々と説明する。


 これは、以前、高雄悠(ゆう)とのやりとりで、明かされたこと…


 若き日の高雄組組長は、頭がよく、成績優秀だったが、家が貧しかった…


 だから、大学に進学できず、いつのまにか、道を踏み外し、ヤクザになった…


 幼い悠(ゆう)を見て、自分と同じようにさせたくないと思った高雄組組長は、悠(ゆう)を引き取り、実子とした…


 悠(ゆう)が、いずれ、有名大学に入り、有名会社に入社して、出世する…


 それが、高雄組組長の夢であり、自分のできなかった夢を悠(ゆう)に託したわけだ…


 「…バカな男です…」


 高雄組組長が繰り返した…


 「…だが、見捨てることはできない…」


 これも、また、繰り返した…


 よほど、高雄組組長は、悠(ゆう)を愛しているのだろう…


 私は、思った…


 だから、


 「…悠(ゆう)さんを、溺愛しているんですね?…」


 と、聞いた…


 が、その質問に、高雄組組長は、戸惑ったようだ…


 「…溺愛? たしかに、ひとは、そう見るかもしれませんが、私的には、ちょっと違うというか…」


 「…違う? どう違うんですか?…」


 「…悠(ゆう)の中に、昔の自分を見たと言いましたね…」


 「…ハイ…」


 「…ですから、今の悠(ゆう)を見捨てることは、自分を見捨てることのように、思うんです…」


 「…」


 「…それに、私は、すでに、ご承知のように、経済ヤクザです…ですから、投資をしたものは、回収しなければ、なりません…悠(ゆう)には、幼い頃から、投資をしました…ですから、その投資を回収しなければ、なりません…」


 「…回収? ですか?…」


 「…回収です…」


 意味深に言う。


 …一体、どういう意味なんだろう?…


 私は、考える。


 すると、高雄組組長が、突然、


 「…悠(ゆう)から、連絡がありました…」


 と、私に告げた…


 「…悠(ゆう)さんから?…」


 私は、驚いた…


 「…ハイ…」


 私は、驚いて、高雄組組長の顔を見上げた…


 「…バカな男です…大場代議士を刺したまではいいが、死ぬことも、逃げることもできない…行き場がなくなって、私に、泣きついて、きました…きっと、ヤクザになっても、この先、使い物にならないでしょう…」


 「…」


 「…中途半端な男です…どこまでも、中途半端な男です…」


 高雄組組長が、繰り返す…


 私は、高雄組組長が、そんなふうに、悠(ゆう)のことを言うと、思わなかったので、驚いて、組長の顔を見続けた…


 だが、組長の顔は、落胆でも、驚きでも、なんでもない、無表情だった…


 極端な無表情というか…


 感情を窺うことができなかった…


 ただ、淡々と、事実のみ、話すといった様子だった…


 「…その中途半端な男が、これから、警察に出頭するにあたり、お嬢さんに会いたいと、言いました…」


 「…私に、会いたい?…」


 思いがけない言葉だった…


 そして、その言葉を聞いて、ようやく、高雄組組長が、今日、私に会いにやってきた理由がわかった…


 「…私も悩みましたが、悠(ゆう)の娑婆(しゃば)での最後の願いとなるでしょう…ですから、ご迷惑でしょうが、お嬢さんの元へ、やってきました…」


 …そういうことか!…


 あらためて、高雄組組長が、私の元へやってきた理由を思った…


 高雄悠(ゆう)は、大場代議士を刺して、逃亡したものの、行き場がなくなり、結局は、父親の高雄組組長に、泣きついた…


 高雄組組長としても、悠(ゆう)を、かくまう気は、ないのであろう…


 よく、映画では、鉄砲玉と化した組員が、敵対する暴力団の組員を殺して、逃走…


その後、ずっと、仲間の暴力団が、実行犯の組員をかくまうシーンがある…


 だが、映画は現実ではないから、そういうシーンを気軽に作ることは、可能だが、現実には、難しいというか、大変だ…


 いわゆる逃走資金が必要になるし、その実行犯をかくまうにしても、ずっと同じ場所に、いさせることはできない…


 居所が、警察や敵対する組織にバレる可能性が高いからだ…


 だから、定期的に居場所を変えることが必須となる…


 なにより、その間に、当たり前だが、外出もできない…


 当然、働くこともできない…


ゆえに、必要な資金を、逃亡中、ずっと払い続けることになる…


 莫大な金額になることは、誰の目にもわかる…


 そして、仲間の暴力団が、借りたアパートの一室に、一日中、ずっと閉じこもる生活が続くことになる…


 それが、下手をすると、十年、二十年と、続くことになる…


 そんなことが、わかっている高雄組組長は、悠(ゆう)に、そんな生活をさせるわけには、いかないと思ったのだろう…


 だから、悠(ゆう)から、連絡があり、警察に出頭する条件として、私に会いたいと言ったことで、それを叶えることで、悠(ゆう)を警察に出頭させたいと思ったに違いない…


 …しかし、なぜ、私に会いたいのか?…


 それが、わからなかった…


 「…一体、なぜ、私に会いたいんでしょうか?…」


 「…それは、私にも、わかりません…」


 高雄組組長が告白する…


 「…ですが、決して、お嬢さんを危険な目に遭わせないことは、この私が、保証します…ですから、これから、いっしょに、来て頂けますか?…」


 私は、高雄組組長の申し出に、一瞬悩んだが、


 「…わかりました…」


 と、答えた…


 いや、


 「…わかりました…」


 と、答えるしか、選択肢はなかった…


 大物ヤクザが、わざわざ、私に会いにやってきた…


 しかも、息子が、警察に出頭するにあたり、最後に私に会いたいという…


 普通なら、当然、躊躇するが、


 「…お嬢さんの身の安全は、私が、保証します…」


 と、まで、大物ヤクザに言われては、もはや、断りたくても、断れないというか…


 「…わかりました…」


 と、答えるしかなかった(涙)…



 …わかりました…か?…


 自分でも、自分が言った言葉に反感を覚えたというか…


 相変わらず、だらしないというか…


 中途半端というか…


 強いものに逆らえないというか…


 強いものに流される…


 そんな自分に、自分自身呆れた…


 …相変わらず、弱っちい!…


 自分自身を呪った…


 すると、そんな私に気付いたのだろう…


 隣の高雄組組長が、


 「…お嬢さん…そんなに心配そうな顔をしないでください…お嬢さんを、危険な目には、一切遭わせませんから…」


 と、私に言った、さきほどの言葉を繰り返した…


 だから、私は、


 「…違うんです…」


 と、返した…


 「…違う…なにが、違うんですか?…」


 「…自分が情けないんです…」


 「…どういう意味ですか?…」


 「…私、弱いんです…」


 「…弱い?…」


 「…ハイ…失礼ながら、高雄さんのように、大物ヤクザに頼まれると、怖くて、断れないんです…」


 私の言葉に、高雄組組長が、


 「…」


 と、絶句した…


 それから、少しして、


 「…お嬢さん…弱くなんて、ないですよ…」


 と、私に優しく声をかけた…


 「…弱くない?…」


 「…ハイ…」


 「…どうして、弱くないんですか?…」


 「…私も同じです…」


 「…同じ?…」


 「…ハイ…お嬢さんの立場なら、私も同じ…いや、私だけじゃない…誰だって、皆、同じです…」


 「…」


 「…長い物には巻かれろと、よく言われるもので、誰もが、同じです…私が、経済ヤクザになったのも、亡くなった古賀会長が、株をやれと、一言、私に命じたからです…私は、古賀会長が、怖くて、逆らえなかった…いわば、お嬢さん同様、長い物に巻かれたわけです…」


 「…」


 「…もっとも、そのおかげで、私は経済ヤクザとして、身を立てることができました…古賀会長は、私が、経済ヤクザに向いていると、見抜いたんでしょう…もっとも、五郎に対抗させる意味もあったんでしょうが…」


 高雄組組長が、言う…


 「…だから、誰もが、同じです…お嬢さんは、決して、弱くはない…いえ、弱いどころか、むしろ、強い…」


 「…私が、強い?…」


 「…ハイ…」


 「…どうして、私が、強いんですか?…」


 「…ひとを味方につけることができるからです…」


 「…私が? …そんなこと?…」


 「…お嬢さんは、ひとに好かれる…男にも、女にも…そして、そんな人間は、どんな局面になっても、誰かが、力を貸してくれる…それが、お嬢さんの強みです…」


 高雄組組長が言う…



 力説する…


 「…私がさっき、悠(ゆう)と、お嬢さんが結婚してくれればと、思ったのは、お嬢さんなら、悠(ゆう)を変えられると思ったからです…」


 「…変えられる…」


 「…お嬢さんといっしょにいると、なにより、ホッとするんです…どんな美人でもイケメンでも、ホッとする雰囲気を出す、お嬢さんには、勝てません…」


 「…」


 「…五郎が、お嬢さんにメロメロなのは、わかります…」


 あらためて、稲葉五郎の名前を出した…


 「…稲葉さんが?…」


 「…ハイ…」


 私は、この高雄組組長が、私が、もしかしたら、稲葉五郎の血の繋がった娘なのかもしれないと、知っているのだろうか?


 ふと、思った…


 だから、それを聞いてみたいと思った…


 しかし、


 しかし、


 やはり、それを聞くことはできなかった…


 すると、それを察したのか、


 「…五郎は、不器用な男です…」


 と、突然、言った…


 「…五郎は、見た目と違い、頭も切れ、度胸もあり、ひとに対する思いやりもある…だが、自分自身に対しては、どうしようもなく不器用です…」


 「…どういう意味ですか?…」


 「…生き方です…」


 「…生き方?…」


 「…私もそうですが、本来、山田会の会長を目指すつもりなど、さらさらなかった…ただ、周りが、私を担ぎ上げ、自分からは、引くに引けなくなった…」


 「…」


 「…五郎も同じです…あの男は、本来、権力欲も、なにもない、男です…ただ、自分の置かれた状況から、逃げないというか…逃げれないというか…」


 高雄組組長は、それだけ言うと、歩き出した…


 「…お嬢さん…行きましょう…悠(ゆう)が、待ってます…」


 私は、高雄組組長に、促され、高雄組組長の後について、歩き出した…


 

 「…さあ…どうぞ…お嬢さん…」


 高雄組組長は、私のために、自分の乗って来たクルマの後部座席のドアを開けた…


 私は、戸惑ったが、高雄組組長が、その長身のカラダを折って、恭(うやうや)しく、私のために、ドアを開けてくれるものだから、それを断ることができなかった…


 「…失礼します…」


 と、小さく言って、クルマに乗り込んだ…


 私が、後部座席に乗り込むと、当然のことながら、高雄組組長が、隣に乗り込んだ…


 「…長い間、待たせて、すまなかった…行ってくれ…」


 高雄組組長が、命じると、ハンドルを握る若い衆が、クルマを発進させた…


 「…どこへ、行くんですか?…」


 私は、不安になった…


 さっき、コンビニのバイトが、終わって、すぐに、家に、電話して、


 「…今日は、帰りが、少し遅くなるから、心配しないで…」


 と、留守電にメッセージを入れた…


 だから、両親は、心配していないと、思う…


 ただ、私は、当たり前だが、不安だった…


 大物組長と、二人きりというわけではないが、ハンドルを握る、若い衆は、除外すると、実質、二人きり…


 この大物ヤクザが、私をどうこうすることは、あり得ないと、わかっているが、やはり、不安になった…


 その不安を打ち消すように、


 「…以前、お嬢さんと、行った場所です…」


 と、高雄組組長が、答えた…


 「…以前、行った場所?…」


 「…ハイ…以前、大場代議士と、松尾の叔父貴と、私とお嬢さんの4人で、会った、料亭です…覚えていらっしゃいますか?…」


 私は、高雄組組長の言葉で、そのときのことを思い出した…


 いや、


 思い出したというよりも、覚えている、いないという、レベルではなく、忘れられないレベルに、覚えていた…


 しっかりと、覚えていた…


 なぜなら、この竹下クミが、生まれて初めて、料亭に足を踏み入れたからだ…


 はっきり言って、分不相応というか、場違いな雰囲気だった…


 普通に見れば、コンパニオンが、ひとり、派遣されて、やってきたと、思われたに違いない…


 いや、


 そうは、思えないのかもしれない…


 私がコンパニオンでは、華がなさすぎる…


 コンパニオンならば、もっと、キレイに違いない…


 若さだけは、まだ22歳だから、あるが、私は、お世辞にも、キレイではない…


 美人ではない…


 すでに、何度も言ったが、クラスで、3番目に可愛いレベル…


 仮に、女のコが、クラスに20人いれば、3番目に可愛いレベルだ…


 あくまで、平均よりは、少しは、可愛いというレベル…


 ただ、華がない…


 まして、キレイというには、ほど遠いレベルだ…


 だから、あの場にいた私を見て、


 「…このコ…なんなんだろ?…」


 と、あの料亭の関係者は、思ったのかもしれない…


 どう見ても、大場代議士や、高雄組組長の娘ではない…


 かといって、あの松尾会長の孫でもない…


 だとすると、一体、この娘は、何者なのか? 


 と、思ったに違いない…


 私は、それを思い出した…


 そして、


 「…あの場所…」


 と、ポツリと小さく呟いた…


 「…ハイ…」


 と、隣の高雄組組長が、反応する…


 「…でも、一体なぜ、そんな場所に?…」


 「…悠(ゆう)が、かくまわれているんです…」


 「…悠(ゆう)さんが?…」


 「…ハイ…まさか、悠(ゆう)が、逃亡して、私の組関係の人間のところに、預けるわけには、いきません…例えば、あり得ない話ですが、それは、五郎のところも同じです…つまり、ヤクザでは、ダメということです…」


 「…」


 「…つまり、警察の目の届かないところ…それが、盲点になるというか…」


 私は、高雄組組長の話で、今さらながら、そんな逃亡犯に、これから、会うんだ、と、実感した…


 これは、以前も書いたが、私は、今回、杉崎実業の内定から始まった、この一連の出来事で、自分の周りに起きた、騒動が、どうしても、実感できなかった…


 この高雄組組長や、稲葉五郎と言った大物ヤクザや、大場小太郎という大物代議士に遭っても、どこか、他人事というか…


 どうしても、現実感がなかった…


 つまり、例えるに、これは、一般人が、テレビに出るひとと、会った感覚というか…


 ミーハーというと、おかしいが、どうしても、自分が、そんな大物たちと、知り合った実感がなかった…


 それは、どうしてかと、思ったが、暴力がないからだ…


 暴力団の組長と知り合ったにも、かかわらず、暴力を目の当たりにすることはなかったからだ…


 あったのは、ただ一度だけ…


 稲葉五郎の若い衆である、戸田が、私を、稲葉五郎に無断で、稲葉一家の事務所に連れて行ったときだけだ…


 あのときは、それを知った稲葉五郎が激怒して、戸田をぶん殴った…


 暴力を目の当たりにしたのは、あのときだけだった…


 しかしながら、今、高雄悠(ゆう)が、大場代議士を刺して、逃亡している…


 これは、明らかに暴力…


 しかも、それまで、唯一目の当たりにした、稲葉五郎が、戸田を殴ったのとは、次元が違うレベル…


 下手をすれば、殺人だ…


 大場代議士の容態は、わからないが、もし、死んだのならば、高雄悠(ゆう)は、殺人犯となる…


 刑務所に行くことは、間違いないが、問題は、何年いくかだ…


 十年、あるいは、それ以上だろうか?


 ボンヤリと考える…


 そんなことを思っていると、隣の高雄組組長が、ふいに、


 「…お嬢さん…今、なにを考えてます?…」


 と、聞いてきた…


 私は、その質問に、一瞬、どう言おうか、躊躇ったが、構わず、ホントのことを言った…


 「…悠(ゆう)さんのことです…」


 「…悠(ゆう)の…」


 「…なぜ、大場代議士を刺したのか? そして、大場代議士の容態は今、どうなのか?

 重症なのか? 軽傷なのか? そして、この後、何年刑務所に行くのか? そんなことです…」


 私は、一気によどみなく答えた…


 私の答えに、高雄組組長は、


 「…」


 と、沈黙した…


 おそらく、どう言っていいのか、わからないのかもしれない…


 長い沈黙の後、


 「…おっしゃる通りです…」


 と、言って、ため息を漏らした…


 「…正直に言いますが、今もって、悠(ゆう)が、なぜ、大場代議士を刺したのか、私にもわかりません…」


 「…高雄さんにも? ですか?…」


 私は、驚いた…


 「…そもそも、悠(ゆう)は、暴力とは、無縁です…暴力団の…ヤクザの息子が、暴力とは、無縁というのも、おかしな話ですが、事実です…」


 高雄組組長が、淡々と話す…


 「…だから、親の欲目かもしれませんが、どうして、悠(ゆう)が、大場代議士を刺したのか、私にも、さっぱり、わかりません…その点は、どうしても、当人に聞かぬわけには、いかないでしょう…」


 「…」


 「…私は、悠(ゆう)が、大場代議士を刺したと聞いたとき、驚天動地の驚きと言えば、大げさですが、本当に、ビックリしました…そして、それを聞いた当初は、バカなことをしたという気持ちが強かったのですが、時間が経つごとに、どうして、悠(ゆう)が、大場代議士を刺したのか? その疑問の方が、強くなりました…」


 当たり前のことだった…


 誰もが、息子が、誰かを刺したといえば、驚くに違いないが、時間が経てば経つほど、そもそも、どうして、刺したのかの方が、重要になる…


 いわば、刺したのは、結果だが、それより、刺した原因の方が、気になるというか…


 当たり前だが、どうして、刺したのかが、知りたくなる…


 そういうことだ…


 「…もしかして?…」


 私は言った…


 「…なんでしょうか? お嬢さん?…」


 「…もしかして、悠(ゆう)さんは、大場代議士のお嬢さんとの結婚というか、交際をしていて、それを、大場代議士に反対されたんじゃ…」


 「…それは、私も考えました…でも…」


 「…でも? …なんですか?…」


 「…悠(ゆう)は、そんなにバカじゃない…」


 「…バカじゃない?…」


 「…悠(ゆう)が、大場代議士のお嬢さんと、どういう関係なのかは、知りません…男と女です…ことによると、男女の関係かもしれません…ですが、身の程というか…立場の違いがあります…」


 「…立場?…」


 「…日本中に知られた大物代議士と、ヤクザの倅です…私と血は繋がっていませんが、ヤクザの息子です…そんな二人が、まかり間違っても、結婚できないことは、十分承知のはずです…それに…」


 言いよどんだ…


 だから、私は、


 「…それに、なんでしょうか?…」


 と、言って、先を促した…


 「…悠(ゆう)と、大場のお嬢さんは、幼馴染(おさななじみ)です…」


 「…幼馴染(おさななじみ)?…」


 「…すでに、ご存知かもしれませんが、古賀会長が、すでに亡くなった大場代議士の父親と、親しく、その縁で、古賀会長の若い衆だった私も、大場代議士や、そのお嬢さんと親しくさせて、頂きました…お嬢さんは、まだ子供だったので、やはり、子供には、子供の遊び相手がいれば、いいと思って、悠(ゆう)を連れて行ったことが、よくありました…それで、二人は、知り合いました…だから、その二人が、恋愛するとは?…」


 首をひねった…


 私は、どうして、高雄組組長が、首をひねるのか、わからなかった…


 「…幼馴染(おさななじみ)が、恋愛をしちゃいけないんですか?…


 私は、言った…


 高雄組組長の話を聞いていると、はっきりとは言わないが、どうも、そんな感じだったからだ…


 「…いけないわけじゃありません…ただ…」


 「…ただ、なんでしょうか?…」


 「…男も女も、今の悠(ゆう)よりも、もっと、若い時期ならば、いいんです…」


 「…どういうことです?…」


 「…例えば、高校時代ならば、それもわかる…男も女も多感な時期というか…身近にいる幼馴染(おさななじみ)の男も、女も、急にカッコよくなったり、キレイになったりするコが出てくる…すると、それに惹かれてとなる…だから、誰もが、十代の若い頃だと、身近な異性に惹かれることが案外多い…子供の頃から知っている幼馴染(おさななじみ)だったり、従妹(いとこ)だったり…つまりは、異性に目覚める時期で、それが、相手としては、一番身近というか、手っ取り早いというか…」


 高雄組組長が、説明する…


 私は、組長の説明が、よくわかった…


 要するに、思春期に、手っ取り早く、身近にいる異性が、幼馴染(おさななじみ)だったり、従妹(いとこ)だったりするわけだ…


 あくまで、異性に目覚めたばかりの思春期だから、そうなるわけで、少し、歳をとってくると、もう少し範囲を広げるというか…


 なにより、男も女も子供の頃から知っていると、ときめかなくなる…


 そういうことだ(笑)…


 「…ですから、悠(ゆう)が、大場のお嬢さんと、恋愛するというのは、どうしても、考えられないんです…」


 高雄組組長が言う…


 明らかに、戸惑った様子だった…


 「…だから…どうして…」


 呻くように、言った…


 苦悩する高雄組組長と、私を乗せて、クルマは、闇の中を疾走した…



 「…悠(ゆう)は、一体、なぜ、大場代議士を?…」


 高雄組組長が、首をひねる…


 私は、どう言っていいか、わからないので、ずっと、黙っていた…


 どんな言葉もかけられないし、かける言葉も見つからなかったからだ…


 高雄組組長が、苦悩する…


 そして、そのことで、この場の雰囲気が、一層、重たくなった…


 やりきれないほどだった…


 私は、ずっと無言のままだった…


 が、


 さすがに、高雄組組長も自分の苦悩が、この場の空気を重くしたのに、気付いたようだ…


 「…申し訳ありません…少々、この場の空気を重くしてしまいました…」


 高雄組組長が詫びる…


 私は、どう言っていいか、わからなかったので、


 「…いえ…」


 と、小さく言って、頭を下げた…


 「…それにしても、大人げない…」


 「…大人げない?…」


 「…私が、お嬢さんのように、自分の娘ぐらいの年齢のお嬢さんを困らせることです…年甲斐もなにもあったものじゃありません…」


 「…」


 「…自分では、大人になったつもりでも、中身は、子供のままです…そんな私に育てられたから、悠(ゆう)も、あんなことをしでかしたのかもしれない…この父にして、この子ありというか…不肖の父に、不肖の息子…まさに似た者父子です…」


 と、言って、高雄組組長は、


 「…ハッハッハッ…」


 と、笑った…


 私は、高雄組組長の気持ちが、痛いほど、わかった…


 本当は、悠(ゆう)のことが、心配で、心配で、仕方がないのかもしれない…


 だが、その気持ちをストレートで、表すことはできない…


 だから、わざと笑い話にして、笑う…


 あえて、笑い話にすることで、自分自身をも笑うことができるからだ…


 自身をピエロ=道化師にしたいのかもしれない…


 高雄組組長は、山田会の後継者争いで、稲葉五郎に負けた…


 この先、どうなるかは、わからない…


 それを言えば、すでに後継者争いの決着がつく前に、稲葉五郎が、


 「…兄貴を山田会から追放しようという動きがあって…」


 と、私の前に告白したことがあった…


 だから、本当は、ずっと以前に、高雄組組長と稲葉五郎の後継者争いは、決着がついていたのかもしれない…


 私は、山田会の関係者でも、なんでもないので、雑誌やテレビやネットを見ることでしか、動きを知ることはできない…


 だから、実際には、内部の動きが、どうなっているかは、わからない…


 報道されてる内容と、実際に起こっていることが、違うことは、よくあることだ…


 そして、それを言えば、なにを、信じていいか、わからない…


 極論を言えば、自分が実際に目にしたこと、耳にしたことを、信じるしか、ないのかもしれない…


 テレビでも、新聞でも、ネットでも、どうしても、その記事を書いた者の主観が入る…


 それが、読む者の目を惑わすというか…


 いつのまにか、それを信じ込み、それを自分の意見としてしまう…


 誰もが、よくある話だ…


 だから、今、冷静になって、振り返れば、失礼ながら、最初から、この隣にいる、高雄組組長に、山田会会長の座は、巡ってくるはずがなかった…


 それは、以前、あの松尾会会長と、大場代議士がいた席でも、この高雄組組長に向かって、


 「…次の山田会会長は、稲葉さんです…」


 と、松尾会長が、伝え、なにより、この高雄組組長自身も、


 「…次の会長は、五郎です…」


 と、二人の前で、断言した…


 だから、あの言葉からは、この高雄組組長が、山田会会長になる可能性は、まるでなかった…


 もし、あったとすれば、それは、私が、初めて、この高雄組組長と会ったとき…


 あのとき、高雄組組長は、


 「…私にも、ようやくチャンスが巡ってきました…」


 と、私の前で言った…


 つまりは、あの時点では、この高雄組組長もまた、山田会会長の座を欲していたということだ…


 別の言い方をすれば、あの時点では、この高雄組組長も、また、もしかしたら、山田会会長になれるかもと、内心思っていたに違いない…


 要するに、あの時点…


 最初、この高雄組組長と会った時点と、その後で、置かれた状況が変わったわけだ…


 そして、それは、一体なんなのか?


 考えた…


 杉崎実業の騒動だ…


 私は、思った…


 どう考えても、あれしかない…


 杉崎実業が、中国へ、不正に製品を輸出したことが、政府にバレて、大目玉を食らった…


 倒産寸前に追い込まれた…


 あの騒動だ…


 あれしかない!


 しかし、おかしい…


 なにが、おかしいかと言えば、杉崎実業が、政府を欺く形で、中国に不正に製品を輸出したのが、バレたのは、あの大場代議士や、松尾会長と、同席したときより、ずっと後だ…


 と、すると、どうだ?


 あの時点で、この高雄組組長は、


 「…山田会の次の会長は、五郎です…」


 と、松尾会長と、大場代議士の前で、断言した…


 要するに、あの言葉は、この高雄組組長の本音か、どうか、だ…


 本音であれば、すでに、あの時点で、稲葉五郎との間で、勝負はついていたわけだ…


 勝負とは、おそらく、杉崎実業を介した資金工作…


 つまりは、中国に不正に製品を輸出することで、得られる莫大な利益…


 それを元に、山田会を束ね、一気に山田会の会長の座を狙う手筈ではなかったのか?


 今さらながら、その可能性に気付いた…


 そして、もし、


 「…次の山田会会長は、五郎です…」


 と、言った言葉が、本音ならば、すでに、この高雄組組長は、杉崎実業が、政府に隠れて、製品を無断で、中国に輸出している事実を、政府が知ったことに気付いたのではないか?


 つまりは、あの言葉は、事実上の敗北宣言に他ならない…


 あの時点で、高雄組組長は、すでに、稲葉五郎に山田会の次期会長を巡るレースで、負けたことを、悟っていたということだ…


 と、なると、どうだ?


 どうして、高雄組組長は、その事実を知ったか? だ…


 誰かが、高雄組組長に教えなければ、ならないからだ…


 私の知った人間の中で、政府の動きを知り、それを、高雄組組長に教えることができる人間は誰か?


 考えるに、それができる人間は、ただ一人しかいない…


 大場小太郎代議士しかいない…


 大場小太郎代議士は、何度も言うように、大物代議士…


 ずっと以前から、次期首相候補の一人と目される大物代議士だった…


 自民党大場派の領袖でもある…


 しかしながら、影が薄かった…


 存在感が乏しかった…


 派閥の領袖であり、次期首相候補の一人と目されているにも、かかわらず、世間的な知名度は、イマイチだった…


 大場小太郎の写真をテレビのキャスターが、一般人に見せて、


 「…このひと、誰だか知ってますか?…」


 と、尋ねても、


 「…知らない…」


 と、大半の人間に回答されるのが、オチだった…


 それが、あの杉崎実業の一件で、それまでとは、一転して、大場代議士の知名度が、けた違いに上昇した…


 大げさに言えば、紀元前と紀元後ぐらい違った…


 杉崎実業の騒動を境に、日本中、大場小太郎の存在を知らぬものがいなくなった…


 ありていに言えば、杉崎実業の一件は、大場小太郎にとって、神風だった…


 神風が吹いたようなものだった…


 だが、それは、同時に、高雄組組長の凋落を招くことになった…


 杉崎実業の株を、高雄組は、100億円以上、投資して、買ったからだ…


 つまり、高雄組組長は、儲かると思って、杉崎実業に投資したわけだ…


 そして、おそらくは、杉崎実業が不正に中国に製品を輸出しているのを知り、その儲けを得ようと画策したに違いない…


 それが、事実なのではないか?


 要するに、高雄組組長は、次期山田会の会長の座を得るために、杉崎実業を買収した…


 巨万の富を得て、山田会内部にバラまいて、自分の支持者を増やす算段だったに違いない…


 だが、すでにあの時点で、その目論見は破綻した…


 そういうことだ…


 そこまで、考えて、気付いた…


 どうして、大場代議士が、高雄組に、40億円もの大金を返すよう手配したかだ…


 大場代議士が、音頭をとって、杉崎実業を国有化するにあたり、杉崎実業の株を実質的に保有する、高雄組に、40億円の返還を決定した…


 高雄組が保有する、杉崎実業の株を政府が買い取ったからだ…


 これは、資本主義の論理からすれば、当たり前のことだが、相手は、暴力団…


 当然のことながら、世間の反発を呼んだ…


 にもかかわらず、大場代議士は、高雄組に40億円を返還することを、曲げなかった…


 強行した…


 これもまた、冷静に考えれば、おかしい…


 大場代議士は、杉崎実業の一件で、国内で、知名度を上げた…


 おそらく、大場代議士にとって、知名度を上げるのは、悲願だったに違いない…


 政界のサラブレッドと知られ、生まれも育ちも良く、長身で、容姿も端麗…


 文字通り、非の打ち所がない…


 にもかかわらず、世間的な知名度が乏しいことに、苦しんだ…


 それが、乾坤一擲(けんこんいってき)というか、杉崎実業の一件で、奇跡的に知名度を上げた…


 ただ、その中で、唯一、世間が反感を覚えたのは、高雄組に40億円もの大金を返還することだった…


 高雄組が、杉崎実業の株を大量に保有していたので、国有化するにあたり、それを政府が買い取るのだから、政府がお金を払うのは、わかる…


 しかし、それが、暴力団相手となると、どうしても、世間が、納得しないというか、波風が立つのは、わかっている…


 にもかかわらず、大場代議士は、強行した…


 これは、冷静に考えれば、おかしい…


 せっかく、知名度を高めた大場代議士の名声に傷をつけることになる…


 だが、大場代議士は、そんな世間の批判を承知の上で、資本主義の論理を訴えて、高雄組に40億円を返すことを決めた…


 つまり、見方を変えれば、せっかく高めた自分の名声に傷をつけるかもしれないにも、かかわらず、そうせざるを得ないということだったのかもしれない…


 と、なると、どうだ?


 ひとつの可能性が、考えられる…


 どうして、高雄組は、杉崎実業の株を買い占めたかという話だ…


 誰かに、そそのかされた…


 誰かに、頼まれた…


 そんな疑惑が浮上する…


 となると、その誰かとは、一体誰なのか?


 もしかしたら、大場小太郎代議士、そのひとではないのか?


 ふと、思った…


 だとしたら、すべての辻褄は合う…


 つまり、最初から、大場代議士は、高雄組組長を騙すつもりで、杉崎実業の買収を高雄組組長に勧めた…


 そして、高雄組組長は、その話に乗った…


 だが、思い出して欲しい…


 杉崎実業は、あの稲葉五郎が、最初から、


 「…あの杉崎実業は、色々噂があって…」


 と、私に会ったときに、ポツリと呟いた…


 「…だから、オレも買おうかと思ったが、やめた…」


 とまで、言った…


 要するに、稲葉五郎も含め、ヤクザ界でも、杉崎実業は、ヤバいという噂が蔓延していたということだ…


 当然、それは、高雄組組長も知っていたに違いない…


 にもかかわらず、杉崎実業に手を出した…


 誰かの口利きをあったと、考えるのが、正しいのではないか?


 そして、その誰かとは、大場小太郎代議士そのひとだ…


 きっと、大場代議士は、あらかじめ、すべてわかっていて、高雄組組長を罠にはめた…


 そして、それに気づいた高雄組組長は、後の祭りというか…


 しかしながら、高雄組組長を完全に怒らせるわけには、いかない…


 なにしろ、相手は、大物ヤクザだ…


 だから、せっかく上げた自分の知名度に水を差すのは百も承知で、40億円を、高雄組に返還したのではないか?


 そう考えれば、すべての辻褄は合う…


 そして、それに怒って、高雄悠(ゆう)は、大場代議士を刺したのはないか?


 いかにヤクザといえども、高雄組組長は、大人だから、はめられた事実に気付いても、落胆することはあっても、報復に出ることは、なかったに違いない…


 なにしろ、相手は首相候補の大物代議士だ…


 相手が悪すぎた…


 だが、


 悠(ゆう)は、違う…


 まだ若い悠(ゆう)は、その事実が許せなかったのではないか?


 だが、これは、あくまで、私の想像…


 確証はない…


 なにより、これは、あの大場代議士と松尾会長と会ったとき、


 「…次の山田会会長は、五郎です…」


 と、言った、言葉が、この高雄組組長が本心から言ったと仮定しての話だ…


 己の野心を隠すために、あえてウソを言った可能性もある…


 私は考える…


 だが、


 もし、


 もし、も、だ…


 あのとき、松尾会長が、


 「…次の山田会会長は、稲葉さんです…」


 と、宣言した裏に、大場小太郎の入れ知恵というか…


 アドバイスがあったとすれば、どうか?


 つまり、あの場で、大場代議士は、暗に、松尾会長の口を借りて、


 「…高雄さんの山田会会長の芽はなくなりました…」


 と、宣言したのではないか?


 その可能性も考えられる…


 つまりは、最初から、この高雄組組長は、大場代議士の掌(てのひら)の上で、踊らされていたのではないか?


 その可能性も考えられる…


 だが、それならば、この高雄組組長が、


 「…なぜ、悠(ゆう)が、大場代議士を刺したのか?…」


 と、首をひねる理由がわからない…


 もし、大場代議士が、高雄組組長を罠にはめたとしたら、それを知った、悠(ゆう)が、怒って、大場代議士を刺したと、すぐに、気付くはずだ…


 高雄組組長が、悩んでいる姿は、演技ではない…


 決して、私の前で、故意に演じているようには、見えなかった…


 本心から、悩んでいるように、見える…

 

 なにより、部外者の私の前で、悩んでいるフリをする必要はない…


 私は、あくまで、部外者だからだ…


 いや、


 本当に、私は、部外者なのか?


 ふと、思った…


 私は、今、高雄悠(ゆう)に、呼び出され、このクルマで、高雄組組長といっしょに、悠(ゆう)の元へ、向かっている…


 悠(ゆう)が、警察に出頭するにあたり、私に会いたいと、願ったからだ…


 条件をつけたからだ…


 だが、冷静に考えれば、悠(ゆう)は、どうして、そんな条件をつけたのか?


 さっぱり、わからない…


 私は、山田会の関係者でも、高雄組の関係者でも、なんでもない…


 もしかして、悠(ゆう)は、私が、古賀会長の血筋を引く人間だと、いまだに、信じているからか?


 それとも、


 私が、稲葉五郎の娘かもしれないと、知っているのかもしれない…


 いずれにしろ、私を呼び出す理由が、わからない…


 まさか、悠(ゆう)が、実は、私に恋をしていて、警察に出頭する前に、


「…一目、私に会いたい…」


と、思ったわけではあるまい…


誰が、どう見ても、悠(ゆう)が、私に恋をしている様子は、これまで、微塵もなかった…


これっぽっちもなかった…


…わからない…


…さっぱり、わからない…


私の悩みは、深まった…


まさに、エンドレスの悩みだった…



 「…着きました…」


 私が、悩みに悩んでいると、クルマを運転する、若い衆が、告げた…


 それは、突然、舞台の幕が上がるときのような緊張感が、私の中で、芽生えた…


 …これから、一体、なにが、起こるのか?…


 それは、言葉は悪いが、これから、ボクシングや格闘技のリングに向かうときよりも、もっとドキドキした…


 ボクシングや格闘技は、これから、なにが、起きるかは、わかる…


 誰もが、予想できる…


 これから、やるのは、ボクシング…


 あるいは、格闘技…


 相手も決まっている…


 しかしながら、今の私の場合は、相手は、高雄悠(ゆう)だが、なにが、起きるのか、さっぱりわからない…


 どんな話になるのか、さっぱり、わからない…


 「…怖い…」


 ボソッと、小さく漏らした…


 「…怖い? どうして、怖いんです?…」


 と、高雄組組長…


 「…これから、なにが起こるか、わからないから怖いんです…」


 私の言葉に、高雄組組長は、


 「…」


 と、絶句した…


 すると、高雄組組長が、


 「…お嬢さん…怖いのは、私もいっしょです…」


 と、意外なことを言った…


 …エッ?…


 …高雄組組長も怖い?…


 …どうして、怖いんだろ?…


 当たり前の疑問が、脳裏をよぎった…


 「…世の中、一寸先は闇…なにが起きるか、わからない…ヤクザをやっていれば、誰しも、その覚悟は、できてくるものです…」


 意味深なことを言った…


 これは、一般論だろうか?


 ヤクザなら、誰でも考える一般論だろうか?


 それとも、これから、なにかが、起きると、高雄組組長自身も、気付いているのだろうか?


 謎が残る…


 が、いつまでも、このクルマの後部座席に座っているわけには、いかない…


 「…さあ、お嬢さん…降りましょう…」


 と、優しく、高雄組組長が、私に語りかけた…


 私は、


 「…ハイ…」


 と、うなずいて、先にクルマから降りた、高雄組組長に、手を差し出され、それに、導かれるように、クルマを降りた…


 すると、偶然、私の目に、満天の星空が、飛び込んだ…


 「…キレイ…」


 思わず、言った…


 声に出した…


 私の手を握った、高雄組組長も、また、私と同じように、星空を見上げた…


 「…ホントですね…さっきもキレイだったが、今の方が、もっとキレイだ…」


 感想を述べる…


 私は、高雄組組長に、手を握られたまま、言った…


 そして、なぜか、このとき、高雄組組長が、緊張していることに、気付いた…


 私の手を握る、掌(てのひら)が、じっとりと、汗に滲んでいたのだ…


 …どうして?…


 …どうして、そんなに緊張しているんだろう?…


 私は、思った…


 …一体、なぜ、高雄組組長は、そんなに緊張するのだろう?…


 考えた…


 が、それは、まもなく、わかった…


 料亭に入り、仲居さんに連れられて、招かれた部屋に入る…


 そこにいた人物を見て、


 「…アッ…」


 と、思わず、声に出した…


 そこにいたのは、高雄悠(ゆう)ではなかった…

 

 大場敦子でもなかった…


 そこにいたのは、なんと、稲葉五郎だった…


 次期山田会会長だった…


 私は、驚いた…


 文字通り、ビックリした…


 「…よく来たな…」


 稲葉五郎が、高雄組組長に言う…


 「…ご無沙汰しています…」


 と、高雄組組長が、稲葉五郎に頭を下げた…


 それは、まさに平身低頭という言葉が、似合った…


 明らかに、五分五分の関係ではない…


 親子の関係だった…


 ヤクザの親分と子分の関係だった…


 そして、気付いた…


 稲葉五郎と高雄組組長…


 この二人が、私の前で、会うのは、初めてという現実に、だ…


 今まで、それぞれの口から、相手のことは、聞いていた…


 稲葉五郎からは、


 「…高雄の兄貴は…」


 という言葉を、もう何度も、聞いた…


 同じように、高雄組組長からは、


 「…五郎は…」


 と、何度も言うのを、聞いた…


 しかしながら、二人が、会ったのを見たのは、これが初めてだった…


 お互いが、お互いを、親しげに、呼んでいたにも、かかわらず、今、高雄組組長は、


 「…ご無沙汰しています…」


 と、稲葉五郎に、丁寧に頭を下げた…


 これは、一体どうしたことだ?


 両者の力関係を表しているということか?


 私は、思った…


 次期山田会会長と、その子分の立ち位置ということか?


 私は、考えた…


 「…座ってくれ…」


 稲葉五郎が、まるで、高雄組組長に、命じるように、言った…


 私は、驚いた…


 この部屋には、稲葉五郎しかいなかった…


 上座に稲葉五郎がただひとり、座っていただけだ…


 その稲葉五郎は、これまで、会った稲葉五郎と、まるで、違った…


 明らかに、それは、威厳のあるヤクザの親分だった…


 いつもの軽い調子ではなかった…


 「…高雄さん…アナタには、ほとほと手を焼きましたよ…」


 稲葉五郎が言う…


 いつもは、


「…兄貴…」


と、高雄組組長を呼んでいたにもかかわらず、一転して、他人行儀だった…


 あくまで、距離を置く…


 そんな姿勢が、稲葉五郎の態度から見えた…


 私と高雄組組長は下座に座った…


 「…いつ、気付いたんですか?…」


 高雄組組長が、低姿勢で、稲葉五郎に尋ねた…


 「…このお嬢さんに、悠(ゆう)を接触させたときからだ…」


 「…悠(ゆう)を?…」


 「…このお嬢さんを、オマエは、ずっと前から目をつけていた…違うか?…」


 …私に目をつけていた?…


 …一体、なぜ?…


 「…このお嬢さんは、ジョーカーだ…オレにとっても…オマエにとっても…」


 …私が、ジョーカー?…


 どういう意味だ?…


 「…高雄…オマエは、オヤジを舐め過ぎたんだよ…」


 稲葉五郎が言う…


 「…オヤジを舐め過ぎ? …どういうことですか?…」


 「…オヤジは、いつも、オレたちの前で、言っていたはずだ…大場小太郎には、気をつけろ…決して、油断するな、と…」


 「…」


 「…あの男は、狸(たぬき)だ…油断も隙もあったものじゃない…下手をすれば、オレたち、ヤクザよりも汚い…汚い世界に生きている…」


 「…」


 「…オマエが、杉崎実業の株を買い漁っていると、聞いたとき、オレは、当然、この話には、裏があると思ったよ…」


 「…裏…ですか?…」


 「…オマエが、誰かにたきつけられて、株を買い占めたと思った…だが、その誰かが、あの大場小太郎だと知ったときは、仰天したよ…」


 「…死んだ古賀のオヤジは、ひとを見抜くのが得意だった…どんな人間でも、オヤジの前では、裸同然だった…そのオヤジが、大場小太郎を評して、一言、食えないヤツ、と、評したのを、オマエも覚えているはずだ…」


 「…」


 「…そして、大場小太郎の目的も、だ…」


 「…目的…ですか?…」


 「…山田会の解体だよ…」


 稲葉五郎があっさりと言った…


 「…今回の絵を描いたのは、すべて、大場小太郎だ…あの男は、杉崎実業が、政府に内緒で、中国に、密かに、不正に製品を輸出していることを掴んだ…だが、ただそれを暴露して、終わりでは、自分には、一文の得にもならない…だから、オマエに、うまく言葉巧みに、杉崎実業の株を買わせた…山田会のトップを目指す、オマエの野心を見抜いて、それを利用したんだ…」


 「…」


 「…そして、山田会の有力組織である、高雄組に大金を出させて、株を買わせてから、不正輸出の件を、世間に公表した…そうすれば、杉崎実業の株は大幅に下落…紙屑同然となる…が、さすがに、それでは、あまりにも、やり過ぎる…当たり前だが、高雄組に報復される危険がある…だから、40億円は、返すことにした…そうすれば、高雄組も面子もある程度は立つ…ただ結果として、経済ヤクザとしての高雄組の力は大幅に下落する…そして、高雄組の力の衰えは、山田会の力の低下に直結する…経済ヤクザのアンタと、武闘派のオレがいて、山田会は両輪として、動いてきた…力が衰えた山田会に、あの大場小太郎は、二の矢、三の矢と次々と仕掛けてくるかもしれないぞ…行き着く先は、山田会の弱体化と、解散だ…」


 稲葉五郎が言う。


 「…そんなことも、見抜けないとは?…欲の皮が突っ張り過ぎて、さっぱり、前が見えなくなったな…兄貴…」


 稲葉五郎が、ため息をつく…


 そして、初めて、これまで通り、


 「…兄貴…」


 と、高雄組組長を呼んだ…


 高雄組組長は、苦渋の表情を浮かべていた…


 稲葉五郎の言う通りなのだろう…


 一言も反論しなかった…


 ここに至って、初めて、私は、高雄組組長が、緊張していた理由がわかった…


 こうなることを、予想していたのだろう…


 高雄組組長が、あんなに緊張していたということは、あらかじめ、こんなことになるのでは?

 

 と、予想していたからではないか?


 あらかじめ、なにが起こるか、察しがついていたからではないか?


 ふと、気付いた…


 だが、


 だとすると、それがわかっていて、のこのこと、なにも手を打たないで、この場にやってくるとは、考えられない…


 なんらかの手を打っているはずだ…


 高雄組組長は経済ヤクザ…


 いわば、頭脳派だ…


 頭脳派のヤクザが、なんの手も打たないで、この場にやって来るとは、考えられない…


 私は、思った…


 「…杉崎実業の一件は、私も下手を打ちました…」


 ここにきて、初めて、高雄組組長が口を開いた…


 「…私も、なにか、裏があるとは、薄々気付いては、いましたが、このような結果になるとは、思いませんでした…」


 高雄組組長が、稲葉五郎に頭を下げた…


 「…ですが、会長がおっしゃるほど、私もバカではありません…」


 「…どういうことだ?…」


 「…悠(ゆう)のことです…」


 「…悠(ゆう)のこと?…」


 「…とぼけないでください…悠(ゆう)は、ずっと以前から、会長に繋がっていたでしょ?…」


 高雄組組長の言葉に、


 「…」


 と、稲葉五郎は、答えなかった…


 「…ごまかさないでください…」


 と、高雄組組長は、迫った…


 が、


 稲葉五郎は、


 「…」


 と、答えなかった…


 「…私が、なにも知らないと思ってるんですか?…」


 「…どういう意味だ?…」


 「…稲葉さん…アナタのことですよ…」


 「…オレのこと?…」


 「…死んだ古賀会長は、アナタを後継者にしたくなかった…だから、私をアナタの対抗馬に仕立てた…私は、武闘派ではない…だから、ケンカでは、アナタに勝てない…それを見抜いた、古賀会長は、私に経済ヤクザとして、アナタに対抗させようとした…ケンカ=抗争では勝てないが、資金力で勝てばいい…そう考えた…」


 「…」


 「…だが、私には、疑問があった…」


 「…どんな疑問だ?…」


 「…なぜ、亡くなった古賀会長は、そこまで、アナタを後継者にしたくなかったのか?

 その疑問です…」


 「…」


 「…古賀会長の本名は、宋国民…中国人です…日本が、戦争に負けて、中国から、命からがら、帰ってきた、その中のひとりだった…古賀会長の肉親が、死んだからです…そのとき、その両親が、働いていた家庭の人間に連れられて、日本にやってきた…」


 「…」


 「…と、これが、古賀会長が、ごく身近な人間に語ったストーリーです…」


 「…ストーリ…? …どういう意味だ?…」


 「…フィクションですよ…」


 「…フィクション?…」


 「…事実は、違う…」


 「…どう違うんだ?…」


 「…宋国民は、アナタだ…」


 「…」


 「…アナタが、宋国民…中国のスパイだ…」


 「…事実は、アナタが、ずっと以前から、古賀会長の動静を監視するために、中国政府から、送り込まれてきたスパイだ…古賀のオヤジは、いち早く、それに気付いた…だから、アナタを側近として、身近に置いた…その方が、アナタの動静を監視できるからだ…」


 「…」


 「…オヤジは、中国から、命からがら、逃げてきた…そこにウソはない…そして、中国人であることにも、ウソはない…ただ、宋国民ではない…」


 「…」


 「…古賀のオヤジは、若い頃、ヤクザとして、勢力を伸ばして、メキメキと頭角を現した…その過程で、中国政府が、接触してきた…オヤジを利用するためだ…オヤジに、積極的に資金を融通した…オヤジは、その金で、武器、弾薬を仕込んで、敵対する組織に、抗争を仕掛けたり、あるいは、その金で、相手を買収して、抱き込んだ…そうして、勢力を拡大した…中国政府は、オヤジに金を融通する代わりに、自分たちにとって、邪魔な人間を始末させたりして、オヤジを利用した…」


 「…」


 「…ただ、中国政府だって、バカじゃない…金を融通している、古賀のオヤジが、実際に、その金を、どう使い、なにを、考えているのか、わからない…いつかは、自分たちを裏切る危険だってある…だから、身近に、自分たちの息のかかった人間を置いて、監視することを考えた…そして、派遣されたのが、アナタだ…稲葉五郎…」


 「…」


 「…だが、オヤジは、早い段階で、それに気付いた…だから、五郎…オマエの弱点を探そうとした…」


 「…弱点?…」


 「…だが、見つからなかった…用心深い、オマエは、決して隙を見せない…弱点がなければ、弱点を作るしかない…だから、オヤジは、製薬会社の社員を脅して、オマエの精子を、手に入れることにした…いつか、オマエがオヤジに、牙を剥けば、オマエの精子から、できた子供を人質にとれるからな…」


 「…高雄…オマエ…随分、詳しいな…」


 「…当たり前だ…オマエの精子を手に入れるために、その製薬会社の社員を脅したのは、このオレだ…」


 高雄組組長が、仰天の告白をした…


 「…な…なんだと?…」


 稲葉五郎の顔色が変わった…


 それまで、なにを言われても、表情をひとつ、変えなかったのが、ウソのように一転した…


 凶暴な素顔…


 鬼のような表情になった…


 「…高雄…貴様!…」


 稲葉五郎が、歯ぎしりした…


 まさに今、高雄組組長に襲い掛からんとする、凶暴なトラのような表情になった…



 …す、すごい、話になった…


 …なんだか、わからないが、すごい話になった…


 私は、唖然として、声も出なかった…


 文字通り、腰が抜けた状態だった…


 本当ならば、這ってでも、この部屋から、出たかった…


 いや、


 この料亭から、出たかった…


 まるで、ボクシングや、格闘技のリング上や、屠殺場のように、ピリピリと緊張した…


 いや、


 ピリピリと緊張したどころではない…


 殺気が充満していた…


 一歩間違えば、この場で、殺し合いが始まるかと、思うほどの殺気が、部屋中に充満した…


 もはや、私は、卒倒する寸前だった…


 でも、逃げれない…


 すでに、腰は砕けた…


 あまりの恐怖に、腰は砕けた…


 だから、這っても、逃げることは、できなかった…


 私は、アワアワと、口から泡を吐き出すような、恐怖が、湧いた…


 私の全身をむしばんだ…


 もはや、どうしていいか、わからない状態だった…


 だから、その場にただ、固まった…


 まるで、置物のように、ジッと固まった…


 そのときだった…


 「…お待たせしました…」


 と、突然、部屋の扉が開いた…


 仲居さんが、料理を持ってきて、くれたのだ…


 仲居さんは、部屋に一歩足を踏み入れるなり、部屋の異様に殺伐とした空気を察したが、なにも言わず、料理だけ、運ぶと、すぐに部屋から出て行った…


 さすがに、二人とも、仲居さんが、料理を運んできたときだけは、いがみあうことは、なかった…


 だから、料理が運び終わり、仲居さんが、部屋を出て行ったときは、寂しかった…


 できるならば、半永久的に、私の傍にいてほしかった…


 そうすれば、第三者が、この部屋にいることで、二人が、いがみあうことはないからだ…


 だが、部屋の異様な空気を察した仲居さんは、そそくさと、すぐに部屋を出て行った…


 私は、これから、どうなるのかと、固唾を飲んで、見守った…


 すると、意外にも、稲葉五郎が、


 「…食おう…せっかくの料理が、冷めては、台無しだ…二人とも、早く食べろ…」


 と、私と高雄組組長に声をかけると、自らが率先して、食べ始めた…


 「…うまい…やっぱり、高級料亭の味は違うな…」


 稲葉五郎が嬉しそうに言う…


 私は、唖然とした…


 これまでの殺伐とした雰囲気とは一転して、今まで私に接したように、フレンドリーというか、アットホームな雰囲気を漂わせた…


 私は、この稲葉五郎という人間がわからなくなった…


 凶暴なヤクザ者の顔を持っているかと思えば、一転して、ごつい顔とは、真逆な、親しみやすい顔も持っている…


 一体、どれが、本当の顔か、さっぱりわからない…


 すると、すでに、出された料理に箸をつけた、高雄組組長が、


 「…五郎…変わらないな…」


 と、声をかけた…


 稲葉五郎は、箸を止めて、高雄組組長を見た…


 「…凶悪なヤクザ者の顔を持っているかと思えば、一転して、誰からも親しまれる顔も持っている…だから、オヤジは、オマエの正体に気付いたんだ…」


 「…オレの正体?…」


 「…ある意味、変幻自在…どこにでも入り込める…どんな職場にも…どんな人間の中にも…一体、コイツは、これまで、どんな生き方をしてきたのか、考えた…そして、オマエの言った経歴を探った…」


 「…」


 「…そして、オマエの言った経歴がウソだと気付いた…いかに中国政府が、ウソの経歴を作ろうと、過去を消すことはできない…どんな人間にも過去がある…それを消すことはできない…」


 「…」


 「…稲葉五郎…いや、宋国民…それも、本名じゃない…」


 高雄組組長が言う…


 そして、それは以前、あの渡辺えりに似た、町中華の女将さんが、言った言葉でもあった…


 「…どうでも、いいじゃないか…そんなこと…」


 ポツリと、稲葉五郎が言った…


 「…そんなことより、飯を食おう…兄貴も…お嬢も…」


 稲葉五郎が言って、再び箸を進めた…


 「…たしかに、そんなことより、食った方がいいな…お嬢さんも、さあ、食べなさい…」


 高雄組組長は私を促して、料理に箸をつけた…


 そして、まだ、箸をつけていない私を見て、


 「…さあ…」


 と、再度、促した…


 私は仕方なく、料理に箸をつけた…


 本当は、料理を食べるどころか、一刻も早く、この部屋から…


 いや


 この料亭から一目散に逃げ出したかった…


 だが、それはできない…


 だから、仕方なく、料理に箸をつけた…


 気が進まなかったが、食べるしか、なかった…


 しかし、一口、口に入れてみると、とんでもなく、おいしかった…


 「…おいしい…」


 私は、声に出して言った…


 それを見て、隣の高雄組組長も、正面の稲葉五郎も、私を見て、楽しそうに笑った…


 まるで、父親が、愛する娘を見るような優しい眼差しだった…


 私は、このときばかりは、自分自身のキャラに感謝した…


 これまで生きてきて、さんざ、


 「…ホント、クミは頼りないんだから…」


 と、言われてきたキャラが功を奏したというか…


 こういうときは便利というか、役に立つ…


 誰も私に、敵愾心を持たないからだ…


 これは、強い…


 普段は、まるっきり役に立たないが、今の場合は最強だった…


 ほぼ、無敵状態…


 竹下無双だ(笑)…


 そんなことを、考えながら、箸を進めていると、


 「…兄貴は、どうして、今日、ここにやって来たんだ?…」


 と、穏やかに、稲葉五郎が聞いた…


 稲葉五郎は、料理に舌鼓を打ちながら、あくまで、雑談をする感じだった…


 「…悠(ゆう)のことだからな…」


 と、これも、高雄組組長は、箸を止めず、料理に舌鼓を打ちながら、雑談するように、稲葉五郎に、答えた…


 「…兄貴は、悠(ゆう)を可愛がり過ぎだ…」


 稲葉五郎が言う…


 「…確かに、な…」


 高雄組組長が応じた…


 「…悠(ゆう)が、自分は、ここにいるから、迎えに来てくれと、言っても、最初から、兄貴は、半信半疑だったんだろ?…」


 「…まあな…」


 高雄組組長は、答える。


 「…アイツの言うことを、すべて鵜呑みにするほど、愚かじゃないよ…」


 「…だが、それが、わかっていて、兄貴は来た…どうしてだ?…」


 「…製造者責任っていうのかな…育てた責任だ…」


 「…」


 「…悠(ゆう)は、アイツは、自分の力を過信しすぎだ…」


 「…」


 「…小さい頃から、ルックスも良く、頭もいい…それを鼻にかけて、調子に乗り過ぎた…その野心を、古賀のオヤジに見透かされ、高雄組をいつかは、堅気の会社にさせたいと、夢見るようになった…いつまでも、極道の時代じゃないと、吹き込まれて…いわば、私と、悠(ゆう)の間にくさびを打ち込んだんだ…」


 「…くさびって?…」


 思わず、私は、声を出した…


 本当は、こんな重大な場面で、口に出しては、いけないことは、わかっていたが、つい、言ってしまった…


 稲葉五郎が、以前、私に見せた同じ表情で、高雄組組長に親しそうに話しかけていたからだ…


 それを見て、つい私も、気安く、声を出してしまった…


 稲葉五郎が、ギョロっと、私を見た…


 その目は、どうひいき目に見ても、私に好意を持つ目ではなかった…


 明らかに、映画で見たヤクザ者の目だった…


 私は、恐怖した…


 箸に料理を持ったまま、その場に固まった…


 私は、


 …スイマセン…


 と、すぐに、詫びようとしたが、恐怖で、声が出なかった…


 が、


 稲葉五郎は、そんな私の様子を見て、


 「…くさびっていうのは、悠(ゆう)と、兄貴の父子の仲を引き裂こうとしたんだ…」


 と、優しく、私に言った…


 それまで、私に見せたヤクザ者の顔から一転して、いつもの優しい顔を見せた…


 だから、私も安心して、


 「…どうしてですか?…」


 と、聞いた…


 「…子分に力を持たせないためだ…」


 代わりに、高雄組組長が答えた…


 「…力を持たせない?…」


 「…子分たちが、団結して、自分を追い出すような真似をしては、困る…子分たちは、あくまで、自分のために団結すればいい…そういう考えのひとだった…」


 高雄組組長が、穏やかに言った…


 「…だから、ひとりひとりは、バラバラというと、大げさだが、有力組織同士は、あえて、距離を置かせるように、仕向けた…私と五郎の組がそうだ…そして、その内部でも、私と悠(ゆう)との間も、わざと距離を置かせようとした…」


 「…そんな…」


 私は、言った…


 …ありえない…


 自分の組の子分の家庭まで、分断させようとするなんて…


 私が、そう思っていると、


 「…用心深いひとだったんだ…」


 と、稲葉五郎が言った…


 「…中国から、命からがら、着のみ着のままで、この日本にやって来た…まわりは、大げさに言えば、すべて敵…裸一貫から、のし上がった…腕っぷしが強く、ケンカに異常に強いかと思えば、まるで、豊臣秀吉のような人たらしで、誰もが、一度会えば、好きになる…そんな魅力があった…その一方で、異常なまでに、猜疑心が強く、いかに、子分が自分に歯向かわないようにするか、気を付けた…だから、有力組織は、互いに競わせ、団結しないように、仕向けた…それは、家庭も同じだ…悠(ゆう)に知恵をつけて、高雄組をいつかは、堅気の会社に、させたいと思わせるようにした…兄貴と対立させようとしたんだ…」


 私は、あまりの言葉に、唖然として、


 「…」


 と、声も出なかった…


 …なんというか?…


 …すべてが、やり過ぎというか?…


 …常軌を逸している…


 ありえない行動だった…


 「…古賀のオヤジの原点は、終戦時の中国からの日本への帰還だ…もっとも、オヤジの場合は、中国人だから、正確には、帰還じゃないけどな…」


 五郎が言う…


 …中国人?…


 …そういう、稲葉五郎も、ホントは、中国人では?…


 私が、思っていると、


 「…まあ、オレも似たようなもんだ…」


 と、言って、稲葉五郎が笑った…


 だが、その笑いは、寂しそうだった…


 それから、


 「…悠(ゆう)は、ここにはいねえ…」


 稲葉五郎がいきなり言った。


 「…やっぱりな…」


 高雄組組長が答える。


 その様子を見て、


 「…親の心、子知らずだな…」


 と、稲葉五郎が呟いた…


 「…兄貴が、命を賭けて、この場にやって来た気持ちが、悠(ゆう)には、わからねえだろうな…」


 …命を賭けて?…


 大げさなことを言う…


 いや、


 大げさではないのかもしれない…


 「…絶縁ですか?…」


 今度は、いきなり、高雄組組長が言った…


 それまでとは、一転して、かしこまった感じだった…


 親分、子分の関係だった…


 「…いや、破門にしておく…」


 稲葉五郎が、即答する。


 それから、突然、2枚の紙を出して、座卓に置いた…


 「…これは?…」


 と、高雄組組長…


 「…破門状と、絶縁状だ…」


 稲葉五郎が答えた…


 「…ただし、まだ日付は入れちゃいねえ…まだオレは、山田会の会長に就いてねえからな…立場上は、今はまだ、高雄さんは、オレの兄貴分だ…」


 私は、破門状と絶縁状の意味がわからなかった…


 違いがわからなかった…


 一体、どう違うんだろう?


 聞いてみたくなった…


 「…あの…破門状と、絶縁状って、一体、なにが違うんですか?…」


 「…破門っていうのは、山田会を追放するってこと…ただし、復活するというか、戻れる可能性もある…絶縁というのは、二度と戻れねえ…その違いだ…」


 「…二度と戻れない…」


 「…兄貴が、今日、この料亭にやって来るかどうか、試したんだ…」


 「…試した?…」


 と、高雄組組長…


 「…悠(ゆう)が、兄貴に迎えに来てくれと連絡したのは、眉唾物と、兄貴だって、わかってるはずだ…それを承知で、やって来るか、どうか、試したんだ…オレがここで、待ち構えてるのは、わかっていたはずだ…それを承知で、やって来た兄貴の心意気に免じて、破門にしとくよ…」


 稲葉五郎が、穏やかに言った…



 「…高雄さん…アンタは破門だ…この先、ヤクザを続けるのか、それとも、足を洗うのかは、好きにすればいい…アンタの判断だ…」


 稲葉五郎が、穏やかに、続けた…


 私は、驚いて、高雄組組長の顔を見るべく、顔を動かした…


 高雄組組長は、私の隣に、座っている…


 顔を動かさなければ、高雄組組長の表情が見えないからだ…


 …まさかのリストラ宣言…


 …山田会を辞めろという、リストラの通告だ…


 「…高雄さん、アナタは、クビです…」


 と、宣告したにも、等しい…


 一体、高雄組組長は、稲葉五郎のこの通告をどう受け止めるのか?


 ずばり、気になった…


 興味津々だった…


 なにより、稲葉五郎は、高雄組組長の弟分…


 つまり、弟が兄に、クビを宣告したのだ…


 一体、兄=高雄組組長は、どんな表情をしているのだろう…


気にならないはずはなかった…


 が、


 以外にも、高雄組組長は、すっきりとした表情だった…


 「…随分、甘い処分ですね…」


 高雄組組長が言った…


 「…私は、稲葉さんと、山田会のトップの座を争ったんですよ…絶縁が妥当でしょう…」


 が、その問いに、稲葉五郎は、


 「…」


 と、答えなかった…


 「…私が絶縁の処分を受けると、高雄組に敵対する組織が、高雄組に抗争を仕掛けると、危惧しているんでしょ? 破門ならば、まだ、山田会に復帰できる目がある…だが、絶縁では、その目はない…だから、敵対する組織は、容赦なく、襲いかかる…それを心配しているんでしょ?…」


 「…」


 「…高雄組は、経済ヤクザ…抗争には、弱い…だから、独立した組織で、一本独鈷(どっこ)で、やってゆくことはできない…それを見越してのご配慮でしょ?…」


 高雄組組長が、稲葉五郎の真意を読み解く…


 それから、高雄組組長は、稲葉五郎に対して、


 「…ご配慮…ありがとうございます…」


 と、言って、深々と、稲葉五郎に、頭を下げた…


 そして、ゆっくりと、高雄組組長が、頭を上げると、


 「…そもそも、兄貴は、ヤクザに向いてない…」


 と、稲葉五郎が声をかけた…

 

 「…これは、兄貴自身もずっと前から、気付いていたことだ…これを機に、さっぱりと、ヤクザから足を洗って、投資の分野で、食っていけばいいんじゃないか?…」


 が、


 その言葉に、高雄組組長は、


 「…」


 と、無言だった…


 そして、二人は、沈黙したまま、ずばり睨み合った…


 真正面から、睨み合った…


 そして、ゆっくりと、


 「…五郎…」


 と、高雄組組長が、語りかけた…


 「…それができれば、苦労はしないよ…オレもオマエも、好き勝手に生きてきたように見えて、その実、いろんなものに縛られてる…」


 「…」


 「…オマエが今、中国政府とどういう繋がりがあるのか、オレは知らない…また組を解散することになったら、その組員の行く末を見守らなければならない…オレもオマエも自分についてきた人間のこれからの生活を考えなければならない…」


 高雄組組長は言う。


 「…オレもオマエもいろんなものを背負い過ぎた…昔のように、なにも考えず、オヤジの元で、ケンカに明け暮れた日々が、懐かしいよ…」


 高雄組組長の言葉に、稲葉五郎は、


 「…」


 と、答えなかった…


 それから、


 「…悠(ゆう)は、今、どこにいる?…」


 と、核心を突いた…


 稲葉五郎は、


 「…」


 と、沈黙したが、やがて、


 「…オレも知らねえ…」


 と、ポツリと、呟いた…


 「…悠(ゆう)は、あっちゃんといっしょにいる…わかってるのは、それだけだ…」


 「…あっちゃん? 大場さんのお嬢さんか?…」


 「…そうだ…兄貴も知ってるだろ…」


 「…でも、なんで、大場のお嬢さんが?…」


 「…悠(ゆう)が、心配なんだろ?…」


 「…心配?…」


 「…兄貴が悠(ゆう)を心配するのと、いっしょだ…悠(ゆう)が、自分の力もわからず、できもしねえことをやろうとしている…それと、同じだ…」


 「…」


 「…もっとも、悠(ゆう)もまた、兄貴を心配していた…その点では、似た者父子だな…」


 「…私を心配?…」


 「…兄貴には、悪いが、兄貴が、担がれ、山田会の会長を目指した…だが、経済ヤクザの兄貴に、会長は務まらねえ…それを心配した悠(ゆう)が、色々、オレに、連絡してきてな…まあ、アイツも一筋縄ではいかねえ…アイツなりの打算はあるんだろうが…兄貴を心配していたことに、間違いはねえ…」


 「…そうか…」


 「…兄貴も悠(ゆう)もまさに、似た者父子だ…血が繋がってねえとはいえ、互いが、互いを心配している…ただ、互いに不器用で、うまく相手の愛情に答えられねえっていうのか…」


 「…」


 「…まあ、羨ましいよ…」


 稲葉五郎が、言う。


 私は、稲葉五郎の言葉を聞いて、高雄悠(ゆう)の言動を今さらながら、考えた…


 たしかに、今、稲葉五郎の言う通りだ…


 以前、高雄悠(ゆう)は、なぜか、私に、電話をかけてきて、山田会の古賀会長が、実は、宋国民という、中国人で、と、暴露話というか、山田会の内幕を告げた…


 私は、唖然として、悠(ゆう)の話を聞いていたが、今、考えると、悠の話に誤りがある…


 宋国民は、古賀会長ではなく、稲葉五郎だった…


 だから、最初から、悠(ゆう)が、稲葉五郎と繋がっていたとしたら、私に、わざとウソの情報を教えたことになる…


 では、なぜ、そうしたのか?


 おそらくは、私に、そう信じ込ませるためと言うのが、真相ではないのか?


 わざと、本当とウソの情報を織り交ぜて、相手に伝える…


 そうすれば、全部がウソではないし、全部が本当でもない…


 話を聞いた相手が、納得する可能性が高いからだ…


 相手を騙せる可能性が高いからだ…


 全部が、ウソだと、相手が容易に、ウソを見破る可能性が高い…


 だから、本当の中に、ウソを入れる…


 そして、その場合は、ホントが、大半で、ウソは、少し…


 例えば、ホントは、8割で、残りの2割が、ウソ…


 そうすれば、大半は、ホントだから、相手も、騙される可能性が高い…


 そういうことだ(笑)…


 私が、そんなことを考えてると、今度は、高雄組組長が、


 「…五郎…オマエは、私が、製薬会社の社員を脅して、オマエの精子をもらったことを、どう思ってるんだ…」


 と、さっきの話を繰り返した…


 …マズい!…


 私は、思った…


 さっき、稲葉五郎が、一番、怒ったポイントだ…


 誰だって、そうだろう…


 稲葉五郎の立場なら、誰だって、激怒するだろう…


 稲葉五郎の弱点を作るために、稲葉五郎の精子を半ば、騙して、提供させ、稲葉五郎の子供を作る…


 そして、将来、稲葉五郎が、逆らえば、その子供を殺すとでも、脅せばいい…


 そんなことをされて、怒らない人間は、いない…


 でも、一体、なぜ、それを、わざわざ、この場で、もう一度、繰り返す?


 なぜ、高雄組組長は、繰り返す…


 それが、謎だった…


 「…どうして、そんなことを聞く?…」


 稲葉五郎が、ヤクザ者の顔で、聞いた…


 当たり前だが、怒っている表情だ…


 「…オマエが、心底、怒っているようには、思えなかったからだ…」


 …エッ?…


 …怒ってない?…


 私は、内心、驚いた…


 ビックリした…


 こんな真似をされて、怒ってないなんて?  


 どうして?


 どうして、怒ってないんだ?


 原因が、さっぱり、わからなかった…


 私が、ビックリして、稲葉五郎を見ていると、


 「…お嬢さん…ビックリしているね…」


 と、高雄組組長が、私に声をかけた…


 私は、無言で、首を縦に振って、うなずいた…


 「…どうして、五郎が、怒ってないか、わかる?…」


 高雄組組長が、優しく、私に尋ねた…


 「…わかりません…」


 私は、即答する…


 「…答えは、お嬢さんだからだよ…」


 「…私だから?…」


 「…五郎も私も、お嬢さんが、好き…嫌いになれない…そんな、お嬢さんが、もし、自分の血の繋がった娘ならば、喜ぶことはあっても、嫌がることはない…そうだな…五郎?…」


 「…それは、兄貴の意見だ…」


 「…隠すな…五郎…バレバレだぞ…」


 高雄組組長が、断言する。


 高雄組組長の言葉に、稲葉五郎は、


 「…」


 と、答えなかった…


 無言だった…


 そして、無言が肯定を意味した…


 私は、唖然とした…


 驚いた…


 私が、娘かもしれないから、稲葉五郎は、嫌じゃなかった…


 怒らなかった…


 そんなことが…


 そんなことが、あるなんて…


 さっぱり、わからない…


 意味が、さっぱり、わからない…


 「…どうして?…」


 気が付くと、いつのまにか、口を開いていた…


 「…どうして、私が、娘ならば、嫌じゃないんですか?…」


 「…お嬢さんは、男にとって、理想の娘なんです…」


 高雄組組長が解説する…


 「…理想の娘?…」


 「…男にとって、理想の娘というのは、美人だったり、色っぽかったりするわけじゃない…可愛くて、ちょっと頼りなかったり、父親が、面倒を見たくなるくらいが、ちょうどいい…失礼ながら、お嬢さんは、すべての条件に当てはまっている…」


 私は、高雄組組長の言葉を聞きながら、以前、誰かに、これと同じことを言われたことを、思い出していた…


 誰だっけ?


 考える…


 思い出す…


 そうだ…


 町中華の女将さんだ…


 あの女優の渡辺えりに似た女将さんが、今、この高雄組組長が、言ったことと、同じことを言ったんだ…


 私は、それを思い出した…


 そして、それを思い出しながら、考えた…


 誰もが、同じことを言う現実に、だ…


 誰もが、同じことを思う現実に、だ…


 やはり、誰もが、思うことは、同じ…


 考えることは、同じだと、今さらながら、思った…


 今さらながら、気付いた…


 「…五郎、私もオマエも血の繋がった子供はいない…だから、余計にオレはオマエの気持ちがわかるつもりだ…」


 それだけ言うと、高雄組組長は、スクッと立ち上がった…


 「…五郎…ありがとう…礼を言うよ…破門に留めておいてくれたこと…そして、今日、私に会ってくれたこと…すべてに感謝だ…」


 そう言って、高雄組組長は、深々と、稲葉五郎に、頭を下げた…


 それを見た、稲葉五郎は、


 「…兄貴…元気で、やってくれ…」


 と、寂しそうに言った…


 そして、それが、高雄組組長との永遠の別れだった…


 数日後、高雄組組長が、自宅で、拳銃自殺した姿が、発見された…



 …高雄組組長が自殺?…


 私は、テレビの報道で、その事実を知った…


 私は、驚いたというより、その事実を受け入れられなかった…


 高雄組組長と会ったのは、数日前…


 わすか、数日前だ…


 稲葉五郎と、高雄組組長と、私の3人で、会食した…


 それが、拳銃自殺なんて…


 ありえない…


 信じられない…


 その気持ちで、いっぱいだった…


 だって、そうだろう?


 数日前まで、いっしょに、会食したのだ…


 それが、いきなり亡くなったなんて…


 あんまりだ…


 私は、驚くと、同時に、ショックだった…


 ショックに打ちひしがれた…


 やはり、身近にいた人間が、死んだのは、ショックだった…


 高雄組組長と、私は、何度か会ったに過ぎない…


 だから、大した知り合いではない…


 だが、会えば、いつも、


 「…お嬢さん…お嬢さん…」


 と、私を持ち上げてくれた…


 私を大事に扱ってくれた…


 そんな人間が、死んだなんて…


 ショックを受けないわけはなかった…


 そして、高雄…高雄悠(ゆう)を思った…


 高雄悠(ゆう)は、今、一体、どこで、なにをしているのだろう…


 考えた…


 父親の自殺を知っているのだろうか?


 もちろん、知っているに違いない…


 だとすれば、一体、悠(ゆう)は、今後、どういう行動を取るのだろうか?


 真っ先に、稲葉五郎の顔が浮かんだ…


 まさか…


 まさか、稲葉五郎の命を狙うとか?


 まさか、そんなバカな真似はするまい…


 まさか、するわけがない…


 自分自身に言い聞かせた…


 そして、困ったのは、この状況を身近な人間に相談できないこと…


 父や母に相談することはできない…


 相談すれば、


 「…どうして、クミが、そんなひとたちと?…」


 という話になり、私が、もしかしたら、稲葉五郎の子供ではないかという話になる…


 根も葉もない、作り話かもしれないし、本当のことは、わからない…


 だが、例えば、


 「…そんなわけ、ないでしょ!」


 と、父や母が、私に言っても、それが本当かどうかは、わからない…


 ウソを言っているのかもしれない…


 だから、疑えば、キリがないというか…


 だから、家では、一切、そんな話はしなかった…


 ところが、バイト先のコンビニに行くと、思いがけず、


 「…高雄さん、亡くなったね…」


 と、葉山が声をかけてきた…


 私は、驚いた…


 と、同時に、やはり、葉山…


 なにか、知っているのか?


 考えた…


 だから、私が、根掘り葉掘り、葉山に色々、聞こうとすると、その前に葉山は、自分から、


 「…やはり、高雄さんは、行き詰ったんだろうね…」


 と、言った…


 「…どういう意味ですか?…」


 「…ボクも、ネットで、見ただけだから、わからないが、高雄さん、破門されるっていうじゃないか? でも、次の会長の稲葉さんは、それで、よくても、周りの目がある…山田会内部で、高雄さんと敵対する勢力の目とか…高雄さんも、それで、悩んだんじゃないか?…それに…」


 「…それに、なんですか?…」


 「…政府から、高雄組に返却する40億円…これで、世間からの反発もやわらぐ可能性も高い…」


 「…どうしてですか?…」


 「…高雄組の組長が自殺したんだ…日本人は、そういう状況に弱いから、だったら、40億円返してやれば? と、世間はなる…高雄組に返した40億円は、組員で、分ければ、当面生活には、困らないだろう…」


 葉山が説明する…


 「…まあ、これは、ボクの推測に過ぎないけど、案外、真相は、そんなところじゃないかな…」


 葉山が、言った…


 私は、葉山の言葉を考えた…


 激しく吟味した…


 その結果、葉山の言葉に、同意した…


 納得した…


 たしかに、葉山の言う通り、高雄組組長が、自殺したことで、世論は変わるだろう…


 高雄組に同情的になる可能性は高い…


 トップが拳銃自殺したんだ…


 許してやれよ…


 という、世論が、形成される可能性が高い…


 そうなれば、すんなりと、杉崎実業の株を政府が買い取る金=40億円を、高雄組に返還することができる…


 その40億円を、高雄組の組員で、分ければ、誰もが、当面、生活に困ることはない…


 おそらく、高雄組組長もそう考えて、自殺したのだろう…


 また高雄組の行く末だ…


 高雄組組長自身も言ったが、経済ヤクザである、高雄組は、抗争に弱い…


 だから、一本独鈷(どっこ)=独立した組織で、ヤクザをやってゆくのは、難しい…


 言葉は悪いが、高雄組は、山田会の金庫番のような存在…


 あくまで、大蔵省というか、金を出す存在…


 金を出す人間は、当然、組織内で、強いが、ヤクザは基本的に、抗争=ケンカに強くて、ナンボの世界…


 それが、独立するのは、例えていえば、独立して、金融会社を設立するようなもの…


 ただ経済ヤクザは、金と暴力がいっしょになっているから強いが、それが、独立しては、暴力が、なくなる…


 暴力は、基本、他の組に任せているからだ…


 経済ヤクザは、基本的に、暴力に弱い…


 そして、暴力が弱くては、ヤクザとしては、やってゆけない…


 だから、高雄組組長は、悩んだに違いない…


 そして、高雄組組長が、生前、稲葉五郎に言ったように、周囲=山田会内部の目がある…


 稲葉五郎は、高雄組組長を破門に留めておきたいだろうが、山田会の内部では、それに、同調する意見もあれば、それに反対する意見もあるに違いない…


 どんな組織も、意見を同じにするのは、大変だ…


 ひとつにまとめるのは、大変だ…


 仮に、公式な会議では、不満は漏れないまでも、水面下で、さまざまな不満が漏れ聞こえるのは、日常茶飯事というか…


 それが、なにかのきっかけで、吹き出して、収拾がつかなくなる恐れは、ある…


 高雄組組長は、それを危惧したに違いない…


 なにより、高雄組組長は、稲葉五郎を好いていた…


 「…五郎…五郎…」


 と、親しげに、呼んでいた…


 これは、稲葉五郎もまた同じ…


 「…兄貴…兄貴…」


 と、慕っていた…


 だから、高雄組組長としては、自分が、破門に留まることで、稲葉五郎を苦境に陥れることになるかもしれないことに、忸怩(じくじ)たる思いがあったのかもしれない…


 絶縁処分ならば、山田会内部で、波風が立つことはないだろう…


 稲葉五郎についた一派は、皆、納得するに違いない…


 しかし、高雄組は、窮地に陥る可能性が高い…


 何度も言うように、経済ヤクザの高雄組は、独立して、一本独鈷(どっこ)で、やってゆくのは、難しいからだ…


 それが、わかっているからこそ、稲葉五郎は、破門に留めた…


 おそらくは、機を見て、山田会に戻す決断をしたに違いない…


 だが、果たして、そうできるか、どうかは、微妙だ…


 いかに稲葉五郎がそうしたくとも、山田会の他の幹部が、それを承知しない可能性が高いからだ…


 すると、当然ながら、波風が立つ…


 そんなことを、すべて、承知で、高雄組組長は、死を選んだのだろう…


 後日、ネットで、高雄組組長の死について、検索していると、そんなふうに、書いてあった…


 私は、落胆した…


 気分が、落ち込んだ…


 率直に言って、この歳まで、身近な人間が死んだことは、あまりなかった…


 まして、自分のお爺ちゃん、お祖母ちゃんと呼べそうな、80代の、高齢者ならば、それも仕方ないかもしれないが、高雄組組長は、まだ50代…私の父親と同世代だ…


 だから、ショックが大きかった…


 そして、高雄組組長が、今さらながら、ヤクザだと思った…


 なぜ、ヤクザかと思ったかと言えば、拳銃自殺したからだ…


 当たり前だが、普通の人間には、拳銃は手に入らない…


 だから、自殺するとしても、首をくくるとか、電車に飛び込むとかが、多い…


 しかし、それが、拳銃を使ったことで、やはり、亡くなった高雄組組長が、今さらながら、ヤクザだと思った…


 ヤクザだと実感した…


 これは、何度か、会った高雄組組長から、ヤクザの匂いが、感じられないせいでもあった…


 稲葉五郎は、見るからに、ゴツイ顔をしたヤクザだが、高雄組組長は、見るからに、スマートで、洗練されていて、銀行員かなにかに見えた…


 だから、ヤクザと言われても、全然、そんな感じはしなかった…


 だが、ヤクザだった…


 当たり前だが、今度のことで、実感した…


 と、同時に、今さらながら、悠(ゆう)のことを考えた…


 悠(ゆう)は、一体、今、どこで、どうしているのだろう?


 大場代議士を刺して、逃走しているのは、わかるが、その足取りは、今だ、不明のままだ…


 少なくとも、高雄組関連の元にはいないに違いない…


 ヤクザの息子だから、ヤクザに匿(かくま)われていると、考えるのは、あまりに早計というか…


 真っ先に、警察から疑われて、居所がバレる可能性が高い…


 それが、わかっているからこそ、悠(ゆう)は、高雄組の関係者の元に、身を寄せなかったに違いない…


 そして、大場…


 大場敦子…


 彼女は、本当に、今も、悠(ゆう)と、いっしょにいるのだろうか?


 自分の父親を刺した男と、今もいっしょに、いるのだろうか?


 そして、


 そして、


 刺された大場代議士の容態は、どうなのだろう…


 入院したのは、わかっているが、続報は、一切ない…


 だから、死んでいないのは、わかっている…


 死亡すれば、当然、世間に発表されるからだ…


 だから、生きているのは、わかる…


 しかし、具体的な容態は、一切、世間に漏れてこない…


 それより、なにより、どうして、大場代議士は、高雄悠(ゆう)…高雄組組長の息子に刺されたのか?


 その疑問の方が、大きい…


 ずばり、大場代議士が、刺されたのは、世間に衝撃を与えた…


 だから、どうして、刺されたのかの方が、大事というか…


 大場代議士が、国会で、音頭を取って、高雄組が実質所有する杉崎実業の株式を、政府が、杉崎実業を国有化するにあたり、40億円で、買い取ることにした…


 だが、それから、まもなく、高雄悠(ゆう)…高雄組組長の息子に、大場代議士は、刺された…


 当然、誰もが、大場代議士と高雄組の関係に目がゆくというか…


 なにか、関係があると考える…


 だから、本当ならば、大場代議士は、一刻も早く、会見をして、身の潔白を世間に訴えなければ、ならない…


 そうしなければ、たとえ、命は助かったとしても、政治生命は、事実上、ついえる…


 政治家としての命は、終わる…


 それは、仮に大場代議士が、会見できない状態でも、大場代議士の奥さんや、秘書たち、大場代議士の身内は、痛いほど、わかっているに違いない…


 だから、どんなことがあっても、一刻も早く、会見をしなければならないのは、わかっているが、やはり、まだ、できないに違いない…


 大場代議士の容態が、会見ができる状態ではないに違いない…


 私は、思った…


 そして、今、この状況の詳しい説明を誰に聞けば、いいのか、考えた…


 真っ先に、稲葉五郎の名前が挙がった…


 しかし、稲葉五郎は、まもなく山田会の会長に就任する…


 たとえ、稲葉五郎と連絡が取れても、私と会う時間はないに違いない…


 また、なにより、稲葉五郎自身が、私に会ってくれるか、どうか、わからない…


 仮に会ったとしても、どこまで、内実というか、内輪の話を私にしてくれるか、どうか、わからない…


 だったら、一体、私は、誰を頼れば、いいのか?


 誰に相談すれば、いいのか、考えた…


 大場…大場敦子は、色々知っている可能性は高いが、今、どこに、いるか、わからない…


 林もダメ…


 林が、そんな内実に詳しいわけはない…


 と、なると、どうだ?


 他に思いつく人間はいるか?


 渡辺えり、だ…


 あの町中華の女将さんだ…


 私は、気付いた…


 あの女優の渡辺えりに似た町中華の女将さんならば、今度の事件の裏を色々知っている可能性が高い…


 なにより、あの女将さんは、死んだ山田会の古賀会長といっしょに、中国から命からがら、戻ってきた家族の子孫だと言った…


 だから、山田会の内幕に詳しい…


 死んだ古賀会長が、唯一、気を許した家族…


 異常なまでに、猜疑心の強かった古賀会長が、唯一、気を許した一族…


 艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えて、共に、日本にやってきた、かけがえのない仲間だからだ…


 その仲間なら、今回の一件の裏を知っているに違いない…


 あの渡辺えりに似た女将さんならば、知っているに違いない…


 そこまで、考えると、居ても立っても居られなくなった…


 今すぐにでも、あの町中華の女将さんに、会いたくなった…


 この事件の謎を知りたくなった…



 あの渡辺えりに似た町中華の女将さんならば、今回の事件の裏を色々知っているに違いない…


 そう考えると、居ても立っても居られなくなった…


 全身の毛が逆立つといえば、大げさだが、身体中の血が騒ぐというか…


 とにかく内実を知りたくなった…


 私は、コンビニで、バイトに精を出しながら、そのことに気付くと、文字通り、心、ここにあらずと言った状況になった…


 すると、そんな私の状態に、葉山が気付いたのだろう…


 「…竹下さん…仕事中は、仕事に集中すること…」


 と、いきなり、私に忠告した…


 「…そうでないと、下手をすると、大けがをするよ…」


 「…大けが?…」


 「…竹下さんは、このバイトが長いから、どうしても、注意力が散漫になるというか…誰もが、初めは、緊張するが、じきになれてくると、油断する…いい例が、交通事故だ…免許取りたての人間より、免許を取って、2、3年目の人間の方が、事故を起こしやすい…それと同じだ…」


 …うまいことを言う…


 私は、思った…


 葉山は、私が、考え事をして、心ここにあらずと言った様子が、手に取るように、わかるのだろう…


 今さらながら、気付いた…


 だったら、どうだ?


 この葉山は、町中華の女将さんではないが、なにか、知っているのかもしれない…


 私は、思った…


 葉山の正体が、なんなのかは、わからないが、どう考えても、ただ者ではない…


 謎がある…


 だから、わざと、


 「…店長は、この後、どうなると、思いますか?…」


 と、聞いた…


 「…この後って?…」


 「…高雄組の組長が、拳銃自殺した件です…」


 「…ああ、あれね…」


 葉山が、軽く言った…


 「…とりあえず、まとまると思うよ…」


 「…どうして、そう思うんですか?…」


 「…あの山田会っていうのは、武闘派の稲葉さんと、経済ヤクザの高雄さんを中心に成り立っていたんだ…だから、一方の高雄さんが、自殺して、いなくなると、核というか、稲葉さんに対抗できる人間が、誰もいなくなる…高雄さんと同じ経済ヤクザの一派が、高雄さんを推していたんだろうけど、その高雄さんが、いない今、とても、稲葉さんを中心とする一派に対抗できない…だから、これまで、高雄さんを推していた一派は、稲葉さんに屈して、山田会に残るか、それとも、山田会を出るかの選択になるけど、とてもじゃないが、割って出て、いけるほど、力のある組はない…だから、残るしかない…」


 葉山が説明する。


 その説明は、私を十分、納得させるものだった…


 「…だから、こんなことをいうと、アレだけど、自殺した高雄さんは、その状況を誰よりもわかっていたと思うよ…変な話、自分さえいなくなれば、山田会はまとまるっていう状況を…」


 「…」


 「…これは、稲葉さんが、悪いってわけでもなく、高雄さんが、悪いって、話でもない…誰が悪いって話じゃなく、二人が、抜きん出ていたんだ…だから、一方が、いなくなれば、核が一つしかなくなるから、それを中心にまとまるしかない…」


 「…それって、もしかして…だったら、高雄さんじゃなく、稲葉さんがいなくなっても、高雄さんで、山田会はまとまったんですか?…」


 「…それは、どうかな?…」


 葉山が、疑問を呈した…


 「…どうして、高雄さんでは、ダメなんですか?…」


 「…高雄さんは、経済ヤクザだから、抗争に弱い…いくら、金を持っていても、ヤクザは基本、抗争に強くないと、ダメだ…だから、高雄さんでは、ムリなんじゃないかな…」


 葉山が言う…


 …たしかに、葉山の言うことは、わかる…


 よく、わかる…


 でも、それじゃ…最初から、どうあがいても、高雄組組長は、稲葉五郎に勝てないことは、わかっていたのだろう…


 だったら、なんで、高雄組組長は、稲葉五郎に対抗して、山田会の会長を狙っていたんだろう…


 最初から、勝てないことが、わかっているのに、どうして、稲葉五郎に対抗しようとしたんだろう…


 私は、考える…


 そう思ったときに、


 「…きっと、高雄さんは、みんなに推されて、断れなかったんじゃないかな…」


 「…みんなに推されて?…」


 「…稲葉さんのやり方に気に入らない人間は、どうしても、稲葉さんに対抗できる人間を担ぐというか…実力が、近い人間を担いで、稲葉さんに、対抗しようとする…それが、山田会では、高雄さんしか、いなかったということだろう…昔、豊臣秀吉が死ぬと、徳川家康が幅を利かせたというか…すると、家康を嫌いな人間は、皆、家康の次に、実力がある前田利家を頼った…それと同じさ…でも、家康と利家には、明確な力の差があった…家康は、250万石の大大名だったが、利家は、90万石だった…つまり、稲葉さんと高雄さんと同じというか…しかも、利家は、高雄さんと同じく、まもなく亡くなった…だから、誰一人、家康に対抗できる人間がいなくなったのさ…」


 葉山が淡々と説明する…


 「…だから、こう言っちゃ、高雄さんには、失礼だけど、最初から、高雄さんに、勝ち目はなかったと思うし…それは、高雄さん自身も、わかっていたんじゃないかな…でも、どうしても自分を頼ってくる人間を断りきれないというか…きっと悩んだと思うよ…拳銃自殺したっていうのは、そういう背景もあるんじゃないかな…」


 葉山がシミジミと言う。


 「…人間誰もが、ひとりきりで、生きてるわけじゃない…誰もが生きてゆくなかで、さまざまなしがらみができるというか…負けるとわかっていても、断れないこともあるし、それで、高雄さんも、悩んだんじゃないかな…」


 「…」


 「…それに、おそらく、高雄さんは、落としどころというか、妥協点を見つけられなかったんだと思う…」


 「…妥協点…」


 「…ほら、八方丸く収まるって言葉が、あるでしょ? …誰もが、納得する解決法…それが見つからなかったんじゃないかな…」


 「…」


 「…高雄さんは、稲葉さんと個人的に仲がいいって言われたし…本当は、互いに争いたくなかったと思うよ…でも、周囲の自分を推す勢力もあって、互いに、引くに引けなくなった…それで、結局…」


 葉山が言う…


 「…冥福を祈るよ…」


 そう言って、葉山は、私の元から去った…


 私は、考えた…


 葉山の言うことは、十分納得できる…


 だが、本当にそれだけだろうか?


 考えた…


 葉山の言うことは、筋が通っている…


 が、


 もしかしたら、今、葉山の言ったこととは、別に、誰かが、高雄組組長に、山田会会長の座を狙うように、強引に誘ったとしたら?


 そんな可能性はないか?


 ふと、気付いた…


 そして、もし、そんな人物がいるとしたら?


 それは、やはり、一人だけ…


 高雄組組長に、そんなアドバイスを与えることのできる人間と言えば、たった一人だけ…


 高雄悠(ゆう)に刺された、大場小太郎しかいない…


 次期総理総裁候補の大場小太郎代議士しかいない…


 そして、もし、それが、すべて、高雄組組長を破滅させる罠だとしたら?


 高雄組組長を破滅させる目的で、大場小太郎が最初から、この計画を目論んでいたとしたら?


 それを知った、高雄悠(ゆう)は、激怒して、大場代議士を刺した可能性がある…


 なにより、稲葉五郎自身、その可能性に言及した…


 大場小太郎の目的は、山田会の弱体化と、解散だと…


 「…兄貴…そんなことも、見抜けねえのか?…」


 と、高雄組組長に訴えていた…


 だが、それも、もしかしたら、織り込み済みで、高雄組組長にとって、引くに引けない状態だったのかもしれない…


 今さらながら、思った…


 現実に、大場代議士が国会で、音頭を取ったからこそ、高雄組は、杉崎実業の株を、政府に40億円で、買わせることができた…


 本当ならば、高雄組は、杉崎実業の株を買い占めるのに、100億円以上、投資したと、高雄組組長は、私に言った…


 40億円は、その三分の一にも満たないと言った…


 しかしながら、杉崎実業の株は、中国への製品の不正輸出が、世間に露見してから、紙屑ほどの価値になった…


 つまり、限りなく、価値がなくなった…


 現時点での価値で言えば、40億円はとてつもなく、高値…


 1億いくか、どうかの価値と言われた…


 それが、40億円戻ってくることになった…


 これは、間違いなく、高値…


 とんでもない高値だ…


 だから、この点には、感謝するしかない…


 だが、最初から、高雄組組長をハメる目的でいたとしたら、到底、許せることではない…


 つまり、大場小太郎にとって、高雄組組長の扱いは、あくまで、高雄組の力を削ぐことであって、組の消滅ではない…


 あくまで、高雄組の力を弱めることであって、それ以上ではなかったということだ…


 そして、それ以上、やれば、間違いなく、大場小太郎自身も高雄組に命を狙われたに違いない…


 だから、微妙な落としどころというか…


 ここまで、やっていいという限度だったに違いない…


 私は、思った…


 そして、その日は、何事もなく終わった…


 私は、心を入れ替え、葉山の言う通り、仕事に集中した…


 そうしないと、やはりケガをするかも? と、思ったのだ…


 私は、そもそも器用な人間ではない…


 はっきり言って不器用で、トロい…


 そんなトロい私が、ほかに考え事をして、仕事をすることが、そもそもの間違い…


 下手をすれば、商品を傷つけたり、自分自身が、ケガをする危険に、あらためて、気付いた…


 結局、その日は、葉山と話をしただけで、終わった…


 ただ、葉山と話をすることで、以前よりは、高雄組組長の死の原因について、色々な可能性があることがわかった…


 三人寄れば文殊の知恵ということわざがあるが、一人より二人、


 二人よりも、三人の方が、色々な意見が出る…


 自分一人では、思いもつかなかった意見が出ることがある…


 これが、最大の強みだろう…


 自分一人では、どうしても限界がある…


 同じ意見しか、出ないからだ…


 私は、高雄組組長の死について、さまざまな可能性を考えたが、それも限界があった…


 ネットでも、さまざまな意見を見たが、葉山の意見は、ネットにもないものだった…


 その点、役に立った…


 一体、葉山は何者なんだろう? とも、思った…


 もう何度考えたか、わからないが、葉山の正体について、考えた…


 そして、その日は、夜も更けて、終わった…



 週末…


 私は、当初の目的通り、あの町中華の女将さんに会うべく、電車を乗り継いで、店に向かった…


 駅を降りてから、記憶を頼りに、店に向かう…


 この通りを歩くのは、もう何度目だろう?


 考えた…


 私の記憶では、3度目…


 いや、


 4度目だろうか?


 考える…


 一度目は、大場に連れられて、訪れた…


 二度目は、自分ひとりで、訪れた…


 そして、3度目は、前回、稲葉五郎を、あの女将さんが、呼び出して、


 「…五郎…ホントは、アンタ、何者だい?…」


 と、訊いた…


 あの緊迫した場面だった…


 だから、今日、ここを歩いて、やって来たのは、4度目だった…


 私は、それを思い出した…


 そして、それを思い出しながら、歩いて、店の前に立った…


 が、


 店は閉じられていた…


 看板はあるが、店は閉まっている…


 …しばらく、都合により、休業します…


 と言う、手書きの張り紙だけがあった…


 私は、それを見て、驚いた…


 ビックリした…


 が、それ以上に、落胆した…


 あの町中華の女将さんだけが、私の希望だったのに…


 私は、その場で、地団駄を踏んで、悔しがった…


 と、言いたいところだが、さすがに、それは、しなかった…


 ただ、心の中では、文字通り、地団駄を踏んで、悔しがった…


 ただ一人の知恵袋というか…


 今回の一件に対して、有意義な意見をくれる可能性の高い、あの町中華の女将さんが、いないなんて…


 と、


 そこまで、考えて、気付いた…


 これは、偶然?


 これは、本当に、偶然なのだろうか?


 偶然、店を閉めたに過ぎないのだろうか?


 気付いた…


 …どう考えても、偶然ではない!…


 私は、思った…


 偶然、店を閉めたとは、とても、思えない…


 店を閉めるのは、おそらく身を隠すため…


 誰かから、身を隠すためだ…


 とっさに、気付いた…


 おそらく、女将さんは、身の危険を感じたに違いない…


 だとすると、一体、女将さんを、脅かす存在は、誰なのか?


 考えた…


 女将さんの敵とは、一体、誰なのか?


 考えた…


 稲葉五郎?


 真っ先に、その名前が、脳裏に浮かんだ…


 稲葉五郎、次期山田会会長…


 たしかに、稲葉五郎に、目の敵にされれば、あの町中華の女将さんは、生きてはゆけないだろう…


 だが、


 本当にそうか?


 稲葉五郎が、あの女優の渡辺えりに似た女将さんを、目の敵にするか?


 稲葉五郎と、あの渡辺えりに似た女将さんは、肝胆相照らす仲というか…


 非常に仲が良かった…


 稲葉五郎と、亡くなった高雄組組長は、互いに、


 「…兄貴…兄貴…」


 とか、


 「…五郎…五郎…」


 と、呼び捨てにして、仲が良かったが、それは、文字通り、兄弟の仲というか…


 たしかに、仲が良いが、明らかに、一線を引いていた…


 互いに、兄、弟という、立場と言うか、身分というか、その違いが、明確にあった…


 しかし、あの渡辺えりに似た、女将さんと、稲葉五郎の間には、そんな身分の違いというか、立場の違いはなかった…


 女将さんは、私と初対面の場面で、稲葉五郎が、


 「…オバサン…」


 と、呼ぶと、


 女将さんが、


 「…お姉さんだろう? いくつ、違うと思ってるんだい!…」


 と、構わず、稲葉五郎に、言い返すほど、仲が良かった…


 これは、誰の目にも、明らかだった…


 だから、仮に、稲葉五郎が、あの女将さんの命を狙うとか?


 そんな事態は、まったく考えられない…


 想像ができない…


 なにより、この店と、あの稲葉五郎のいる、稲葉一家の事務所とは、目と鼻の先…


 距離にして、数分だ…


 だから、稲葉五郎が、気軽に、この店に、やって来て、いたんだ…


 そんな仲というか、距離感の、女将さんを稲葉五郎が、どうこうしようとか、まったく考えられない…


 また、そんなことをすれば、普段の稲葉五郎と、女将さんの仲を知る、関係者からは、警察が、真っ先に、稲葉五郎を疑うに決まっている…


 私は、そう思った…


 だから、稲葉五郎を恐れて、女将さんが、店を閉めたとは、思えない…


 だとしたら、一体、女将さんは、誰を恐れて?


 私が思いつく人間といえば、あとは、今、入院中の、大場小太郎ぐらいだ…


 高雄悠(ゆう)に刺されて、入院中の、大場小太郎代議士ぐらいだ…


 しかし、大場小太郎代議士は、入院中…


 意識があるかどうかも、わからない…


 そんな状態の大場代議士が、まさか、病床で、あの町中華の女将さんを、どうこうしろ、と指示は出せないに違いない…


 だとすれば、一体誰が、いるのか?


 女将さんが、恐れる人間は、一体誰なのか?

 

 考えた…


 しばらく、店の前に立って、考え続けた…


 すると、突然、


 「…あの…」


 と、遠慮がちの声がした…


 「…あの…竹下のお嬢じゃ…」


 その言葉で、私は、声をする方を振り返った…


 そこには、若い男が立っていた…


 私と同世代…


 同じ二十代前半…


 大きなカラダ…


 私は、その男の顔に見覚えがあった…


 その男は、稲葉五郎の若い衆というか、側近の戸田だった…


               <続く>


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