運命婚 白馬の王子様はヤクザ? 16
待て…
待て…
待て…
なにか、おかしい…
高雄悠は、この大場小太郎の血を分けた息子だった…
これは、わかった…
だから、大場小太郎の義理の娘である、大場敦子と、高雄悠が、付き合っていることで、大場小太郎が、高雄組の資産を狙っているのでは? と、噂が立った…
要するに、大物代議士が、大物の経済ヤクザと、家族で、仲良くしていたからだ…
だから、そう、勘ぐられた…
だが、事実は、高雄悠が、大場小太郎の実子だったからだ…
要するに、顔見せというか…
きっと、亡くなった高雄組組長が、気を利かせて、大場小太郎に会わせるように、配慮したに違いない…
誰だって、自分の息子ならば、その後の動静が気になるもの…
あの松下幸之助すら、公式には、娘が一人いるだけだが、実は、愛人との間に息子が数人いて、その息子を、松下グループで、雇っていて、幸之助は、ときおり、息子が在籍するグループ会社の幹部に会って、自分の息子の様子を、気にかけていたという…
これは、以前、週刊誌に書いてあったと、父が言っていた…
さもありなん…
やはり、血を分けた、自分の子供が、どうしているか、普通の父親ならば、誰もが、気になるであろう…
高雄組組長は、それを察して、大場元議員に配慮したに違いない…
私は、思った…
そのときだった…
敦子が、まだ怒り狂っていた…
「…まさか…悠さんが、パパの血を分けた実の息子だったなんて…」
敦子が、繰り返した…
たしかに、いきなり、自分の幼馴染というか、子供の頃から、見知った人間が、実は、自分の父の血が繋がった息子だと知って、納得する人間はいない…
敦子は、動揺していた…
それは、ハタから見ても、動揺していたと、いう言葉で、簡単に言い切れないほど、動揺していた…
だから、誰も、なんと声をかけていいか、わからなかった…
敦子が、あまりにも、落ち込んでいたからだ…
それは、普通ではなかった…
すると、町中華の女将さんが、ピンときた様子だった…
「…あっちゃん…アンタ、まさか、悠さんの子供とか、お腹にいるんじゃ、ないだろうね…」
突然の言葉だった…
私も、大場元代議士も、唖然として、敦子を見た…
「…女将さん…どうして、そう思うんですか?…」
私は、聞いた…
すると、女将さんは、
「…今、この大場さんが、実は、悠さんが、自分の血を分けた息子だと言ったとき、あっちゃんが、怒りまくったけど、そのときに、何度か、自分のお腹を見ていたから…もしかしてと、思って…」
と、説明した…
私と、大場元議員は、驚いて、敦子のお腹を見た…
だが、別段、変わりはない…
全然、お腹は大きくなってなかった…
だが、大場元議員は、
「…女将さんの言うことは、本当なのか? 敦子…」
と、優しく言った…
その言葉に、
「…わからない…」
と、敦子が、首を横に振った…
「…わからないって…」
と、女将さん…
「…今、生理が遅れてるの…」
と、大場が告白する…
「…だから、もしかして…」
大場が、悩んだ表情で言う…
「…だから、もしかして、悠さんとの子供が、私のお腹の中に…」
敦子の告白に、私も、女将さんも、大場小太郎も、愕然とした…
…まさか…
…まさか、そんな展開になると、思わなかった…
とりわけ、愕然とした表情だったのは、大場元議員だ…
敦子の告白に、驚愕した表情だった…
そして、同時に、戸惑った様子だった…
「…私は、一体、どうしたら、いいのでしょう…」
小さく、力なく呟いた…
「…怒った方が、いいのでしょうか? …それとも、喜んだ方が、いいのでしょうか?…」
大場小太郎が、戸惑った表情で、言う。
「…まだ、大学生の身で、子供を妊娠するような真似をしてと、怒った方が、いいのでしょうか? それとも、悠クンとの子供ならば、私の孫になる…だから、喜んだ方がいいのでしょうか…」
大場小太郎が、考え込んだ…
しかし、
娘の敦子は、大場小太郎と、真逆だった…
「…悠さんとの間の子供ならば、できてもいい…でも、大場小太郎の孫ならば、いらない…」
敦子が、鬼気迫った表情で、言う…
「…大場小太郎の血が繋がった子供なら、いらない…」
そう言って、いきなり、自分のお腹を、自分で、ボコボコ殴り始めた…
私たち三人は、唖然として、言葉もなく、それを見ていたが、すぐに、女将さんが、
「…あっちゃん…バカな真似はおよし…」
と、言って、敦子の手を抑えた…
「…そんなことをするものじゃないよ…」
女将さんが、敦子をなだめる…
「…子供ができたか、どうかは、わからないけど、生まれてくる子供に罪はないんだよ…」
女将さんが、優しく諭した…
その言葉に、
「…ワーッ!」
と、敦子が号泣した…
「…子供はできても、できなくてもいい…でも、大場小太郎の血の繋がった子供は嫌…絶対嫌…」
敦子が、号泣する…
たしかに、敦子のこれまでの発言から、敦子が、どれほど、養父である、大場小太郎を憎んでいるのが、わかった…
だから、もし、生まれてくる、自分の子供が、憎んでも憎みきれない大場小太郎の血が繋がった孫ならば、自分でも、どうして、いいのか、わからないに違いない…
なにしろ、自分が、産んだ子供が、憎むべき敵の血を引いているのだ…
どうして、いいのか、わからないのは、私でも、わかる…
憎みべき敵?
ふと、思った…
この女将さんは、稲葉五郎と仲が良かった…
一方は、
「…五郎…五郎…」
と、呼び捨てにし、
もう一方は、
「…オバサン…オバサン…」
と、気さくに呼んでいた…
稲葉五郎が、山田会を背負って立つ大物ヤクザにも、かかわらず、だ…
なぜ、この女将さんは、そんな大物ヤクザである、稲葉五郎を、親しげに呼ぶのか?
それは、稲葉五郎を、若い時分から、知っているから、と、説明していた…
それに、なにより、この女将さんは、山田会の古賀会長の事実上の家族と言うか…
この女将さんの祖父母が、幼い古賀会長を、終戦時の満州から、命からがら、日本に連れてきた、古賀会会長の命の恩人だからと、説明していた…
しかし、
しかし、だ…
だったら、なぜ、あのとき…
私と、この大場敦子がいる目の前で、稲葉五郎を呼び出して、稲葉五郎に、
「…五郎…アンタ、一体、何者だい?…」
と、問い詰めたんだ?…
稲葉五郎の正体は、おそらく、あの時点で、掴んでいたに違いない…
おそらく、公安のスパイじゃないかという疑念…
あるいは、確信があったに違いない…
それは、わかる…
それは、理解できる…
が、
問題は、そこではない…
なぜ、私と、大場敦子を呼び出して、そういう行動を取ったのか?
それが、問題なのだ…
稲葉五郎が、本当は何者か?
私に見せたかった?
あるいは、
大場敦子に見せたかった?
私に見せる意味は、わからないが、大場敦子に見せる意味はわかる…
敦子が、義父である、大場小太郎に、その顛末を伝える可能性があるからだ…
そして、もう一方の視点というか…
稲葉五郎の立場に立てば、どうだろうか?
わざわざ、この女将さんに、呼び出され、私と、大場敦子の目の前で、
「…五郎…アンタ、一体、何者だい?…」
と、問い詰められた…
これが、なにを意味するか? だ…
なぜなら、そんなことは、稲葉五郎と、この女将さんが、一対一で、できることだからだ…
誰もいない二人だけの密室で、聞けばいいだけの話だ…
それを、わざわざ、私と大場敦子の二人の前で、言う意味だ…
稲葉五郎の立場に立てば…
大場敦子を通じて、大場小太郎に、自分の正体がバレる危険性がある…
あるいは、
この女将さんが、念を押した可能性もある…
念を押すというのは、
「…五郎…アンタ、一体、何者だい?…」
と、私や、大場敦子のいる前で、聞かれることで、あらためて、自分の任務を確認するということだ…
…任務を確認する?…
もし、それならば、この女将さんの正体は、稲葉五郎同様、公安のスパイということになる…
山田会の会長に上り詰める稲葉五郎…
でも、アンタの本当の役割は、
…公安のスパイ!…
と、念を押したことになる…
だが、果たして、その可能性はあるのだろうか?
この女将さんの事実上の家族である、山田会の創設者である、古賀会長は、中国政府の後ろ盾を背景に、山田会を大きくした…
資金面で、協力してもらい、その金で、武器・弾薬を買い、他の暴力団との抗争に打ち勝った…
いわば、中国寄り…
中国政府は、中国出身者である、古賀会長を援助することにより、日本社会で、山田会を通じて、影響力を、拡大する道を模索したといえる…
だが、古賀会長は、中国政府の言いなりにならなかったと言われている…
山田会の力を背景に、のらりくらりと、中国政府の要求をかわしていたという…
要するに、避けていたのだ…
といっても、まるっきり、力を貸さなければ、資金援助は、してもらえないに決まっている…
普通に考えれば、たいしたことのないことは、応じ、難しい任務や、危険な任務は、受けないで、のらりくらりと、かわしていたのだろう…
そう考えられる…
だから、まるっきりの中国のスパイかというと、それは違うと思う…
要するに、お互いが、お互いを利用する関係だったに違いない…
もっと、ハッキリ言えば、互いの利害関係が、一致しているから、手を握ったに過ぎない…
協力したに過ぎない…
つまりは、生粋の中国のスパイではないということだ…
と、いうことは、どうだ?
と、いうことは、この女将さんも、中国のスパイとは、限らない…
むしろ、
「…五郎…アンタ、一体、何者だい?…」
という言葉は、あらためて、稲葉五郎に、自分の任務を確認させるというか…
立場をわからせたとも取れる…
と、なれば、どうだ?
この女将さんも、公安のスパイ?…
稲葉五郎と、同じく、公安のスパイ?
その可能性もある…
「…五郎…オマエは、公安の人間なんだよ…」
と、わからせるために、あえて、あの場で、ああ言った可能性が、ある…
「…五郎…アンタ、一体、何者だい?…」
といった、
…何者…
は、公安の人間だと、悟らせたかった可能性もある…
山田会という日本で二番目に大きな暴力団のトップに立つことで、本来の自分の任務を忘れてしまうのでは? と、危惧したのだ…
だが、本当に、その可能性はあるのか?
考えた…
この女将さんが、公安のスパイの可能性はあるのだろうか?
考え続けた…
今、同席している大場小太郎元議員は、父が、同じ国会議員で、かつて、国家公安委員長をしていた縁で、ヤクザ界を監視する目的で、山田会の古賀会長をはじめとする、人々と、付き合った…
交際した…
その縁で、知り会った高雄組組長に、自分の息子である、悠を、養子にしてもらうほど、親しい関係を築いた…
国会議員と、ヤクザ…
この関係は、一歩間違えば、危ない…
文字通り、ミイラ取りがミイラになる…
ヤクザに国会議員と付き合って、損はないが、国会議員にとって、ヤクザと付き合うメリットは、表面上は、なにもない…
だが、実際は、選挙の票のとりまとめから、公共工事の発注まで、メリットだらけ…
互いが、互いを利用できる関係だ…
が、
あくまで、互いに利用できる関係であっても一歩、線は引いている…
それゆえ、問題にならなかった…
世間に知られなかった…
だが、
これは、偶然だろうか?
意図的に、マスコミに無言の圧力を加えた人間は、いないのだろうか?
いるとすれば、政府…
あるいは、国家側の人間が関与しているということだ…
なにより、仮に、もし、この女将さんが、公安のスパイだとしても、大場元議員には、わからないと、元議員自身が、言っていた…
稲葉五郎が、公安のスパイか、どうか、わからないように、スパイかどうかは、警察のトップクラスの片手の指よりも、少ない人間が、知っているだけだと、この大場元議員が、口にした…
この大場元議員のように、与党の自民党の派閥の領袖クラスの人間で、なおかつ、警察人脈に詳しい人間ですら、知らないわけだ…
だから、仮に、この女将さんが、公安のスパイだとしても、やはり、稲葉五郎が、スパイかどうか、わからないように、大場元議員ですら、知らないに違いない…
私は、思った…
だが、待て?
仮に、
仮に、だ…
この女将さんが、公安のスパイだとする…
だとしたら、稲葉五郎は、それを知っているのだろうか?
いや、
もっと言えば、スパイ同士、横の繋がりがあるのだろうか?
さっき、この大場元議員が、言ったように、スパイかどうか、知っているものは、警察庁でも、ごく一握りの人間…
片手の指ほどの人数もいない…
名簿もない…
つまり、普通は、誰がスパイかわからない…
ということは、どうだ?
やはり、横の繋がりは、ないに違いない…
なぜなら、どこそこに、誰々が、スパイとして、潜入していると、知っていれば、そのスパイを襲うことができる…
だから、互いに、誰が、スパイか知ることはないに違いない…
知っているのは、警察庁のトップクラスの一握りの人間のみ…
つまり、主人=命令者は、一人で、家臣=部下は、大勢いるが、その部下同士は、互いに、面識すらないに違いない…
私は、そう思った…
ということは、どうだ?
もし、女将さんが、公安のスパイだとしても、稲葉五郎が、スパイだと、知っているわけはない…
もし、稲葉五郎がスパイだと知っていたとしたら、それは、あくまで、女将さんの推測…
あるいは、稲葉五郎が、確実にスパイだと知っている誰かから、教えられたに違いない…
確実に知っている誰か?
だとすれば、それに該当する人物は誰か?
この女将さんの立場でいえば、それは、やはり、古賀会長だろう…
亡くなった山田会の創設者だろう…
だから、古賀会長は、稲葉五郎が、公安のスパイだと気付いて、決して、後継者にしなかった…
そう言っていた…
だが、果たして、それは、事実だろうか?
なぜなら、それはあくまで、女将さんの言葉でしか、ないからだ…
古賀会長自身が、発言したわけではない…
私は、気付いた…
だが、結果として、古賀会長は、稲葉五郎に跡目を譲ることなく、この世を去った…
そして、古賀会長のもう一人の側近…
高雄組組長は、この大場元議員の息子を養子として、迎えた…
これは、なにを意味する…
つまりは、この大場元議員を取り込んだ…
大場元議員の弱みを握ったことに、他ならない…
そして、稲葉五郎…
弱点の見つからない稲葉五郎に関しては、稲葉五郎の精液を手に入れることで、子供を作らせ、その子供を、弱点とすることを、考えた…
つまり、なにか、あれば、
「…オマエの子供が、どうなるか、わからないよ…」
と、脅そうとしたわけだ…
が、
それが、嫌だった、高雄組組長は、命じられたことを無視して、真逆に、古賀会長の精液を、製薬会社のプロパーに渡して、古賀会長の子供を作ろうとした…
古賀会長自身も、同時期に、子供が欲しくて、病院に通っていたのだろう…
それを逆手に取ったのだ…
つまりは、高雄組組長は、古賀会長を裏切り、古賀会長の弱みを握ったことになる…
なぜなら、古賀会長が、大場元議員の息子の悠を、高雄組組長の養子にしたのと、同じく、古賀会長の子供を外に作ったのだ…
いざというときは、古賀会長に、
「…アンタの子供がどうなっても、知らないよ…」
と、脅すことができる…
その可能性に気付いた…
ということは、どうだ?
最初、初めて、私に、高雄組組長が、接触してきた…
あのとき、古賀会長は生きていた…
存命だった…
だから、あのとき、高雄組組長が、私に接触したのは、私を人質に取るため…
稲葉五郎との山田会の跡目を巡り、古賀会長の後ろ盾を得るためでは、なかったのか?
私は、その可能性に、気付いた…
ということは、どうだ?
これは、稲葉五郎も、同じではないのか?
あのとき、稲葉五郎が、私に接触してきたのは、同じ理由からではないのか?
つまり、まだ存命だった、古賀会長の後ろ盾を得ることではなかったのか?
だから、私に接触してきたのではないか?
私は、その可能性に、気付いた…
ということは、どうだ?
どうして、今、私は、この場に呼ばれたんだ?
この場に私が、呼ばれたことに、なんの意味がある?
私になんの利用価値がある?
考える…
ここで、明らかになった事実は、いくつか、ある…
私が、古賀会長の実子に間違いがないこと…
稲葉五郎の正体?
そして、悠が、大場小太郎の実の息子だったということだ…
ここで、私が関係するのは、当然ながら、私が、古賀会長の実子に間違いがないこと…
この一点だ…
だが、それが、一体なんになる?
すでに、古賀会長は、死んだ…
山田会は、稲葉五郎が継いだ…
私が、仮に、古賀会長の娘であるとしても、その価値というか、影響力があるのは、古賀会長が、生きていることが、前提だ…
存命しているのが、前提だ…
もし、仮に、生きていれば、やはり、なにがしかの影響力は、あるだろう…
なにしろ、山田会の創設者だ…
ヤクザ界の秀吉と言われた人物だ…
それに、
それに、だ…
稲葉五郎の山田会二代目就任は、古賀会長が亡くなってから、決まった…
つまりは、稲葉五郎の二代目就任は、古賀会長の承認を得ていない…
仮に、
仮に、
もし、古賀会長が生きていれば、どうなるのだろう?
ちゃぶ台返しではないが、最初から、やり直しの可能性があるのではないか?
いや、
だからこそ、私が必要なのではないか?
ちゃぶ台返しをするために、私、竹下クミが必要なのではないか?
そして、今、私をここに招いた真の理由…
それは、古賀会長の血の繋がった実の子供だと、ハッキリと、わかったから…
この女将さんと、大場小太郎が、稲葉五郎と、敵対するのか、協調するのかは、わからない…
しかし、私に利用価値があると、判断したから…
そして、その利用価値の前提として、古賀会長が、生きていることが、必要になる…
そういうことだ…
私が、そんなことを、考えていると、女将さんが、
「…お嬢ちゃん…どうしたの? …さっきから、難しい顔をして…」
と、聞いた…
だから、私は、言おうかどうか、迷ったが、
「…古賀会長は、どこにいるんですか?…」
と、ハッキリと言った…
女将さんも、大場父娘も、驚いた顔で、私を見た…
「…お嬢ちゃん…なにを言ってるの? 古賀さんは、とっくに亡くなって…」
私は、それを遮るように、
「…ウソですね…古賀会長は生きてます…」
と、断言した…
女将さんの顔色が変わった…
「…お嬢ちゃん…バカなことを、お言いでないよ…古賀さんは、死んで、全国から、有名な親分衆が、葬儀に駆けつけて下さり…」
「…古賀会長は生きてます…」
私は、繰り返した…
「…そうでなければ、私をここに呼んだ意味がありません…もし、仮に、私が、古賀会長の娘だとしたら、古賀会長が、生きていてこその私です…古賀会長が死んでいたら、なんの役にも立ちません…」
私は、自信を持って、言った…
それから、ふと、気付いた…
「…もしかしたら…もしかしたら…今日、私をここに招いたのは、古賀会長に、命じられたからじゃないんですか?…」
私は、思った…
「…古賀会長に頼まれて、今日、私をここに、呼んだんじゃないんですか?…」
私は、続ける…
「…それとも…それとも、もしかして、この部屋の近くに、古賀会長がいらっしゃるんじゃないんですか? …自分の血の分けた子供を見たくて、近くに隠れて、私を見ているんじゃないですか?…」
私は、大声で言った…
わざと、大声で言った…
もし…
もし、別室に、古賀会長がいたとしたら、聞こえるように、わざと、大声を出したのだ…
私の言葉に、大場父娘、そして、渡辺えりに似た、町中華の女将さんの表情が硬くなった…
私の言った言葉が、真実なのでは?
と、思った…
そのときだった…
その瞬間だった…
いきなり、部屋の襖が開いた…
まさに、いきなり、だ…
突然、襖が、開いたのだ…
すると、すでに、80代、後半…あるいは、90代の、ガッチリとした体格の大男の老人が、そこに立っていた…
「…その通りだ…お嬢さん…」
いきなり、現れた、老人が、言った…
「…私が、山田会の古賀だ…」
そう言いながら、大男の老人が、歩いてきた…
天を衝くような大男とまでは、いわないが、90歳近い年齢を考えると、日本人としては、驚異的に大きかった…
180㎝は、優に超えてる…
しかも、まるで、プロレスラーのように、がっちりとした巨体…
戦後、そのカラダを武器に、乱闘を繰り返し、一代で、
「…ヤクザ界の秀吉…」
と、言われるほど、成功した山田会会長であることは、一目で、わかった…
老いてはいるが、老人臭さがまるでない…
しかも、病気で、療養中であったにも、かかわらず、その気配は、まるでなかった…
しかも、威厳がある…
誰が見ても、大物ヤクザ…
山田会の古賀会長だと一目で、わかった…
そして、気付いた…
この料亭にやって来たときに、女将さんを始め、数多くの従業員が、私を出迎えた…
これは、もしかしたら、今日、ここへ、古賀会長がやって来たからではないか?
死んだと思った古賀会長が、突然、やって来たからではないか?
今、考えると、この料亭の女将さんを始め、従業員が、ピリピリと緊張している様子だった…
私は、それを思い出した…
そして、目の前の古賀会長を見ながら、つい、
「…お芝居がお上手なんですね…」
と、皮肉を言った…
私の皮肉に、古賀会長がすぐに、反応した…
「…どういう意味だ?…」
「…悠…高雄悠さんを、通じて、以前、私に向かって、古賀会長は、誰かに、殺されたかもしれない…と、言わせたでしょう? …私を惑わすために…」
私の言葉に、
「…」
と、古賀会長は、絶句した…
心底、驚いた様子だった…
それから、
「…ハッハッハッ…さすがに、私の血の分けた娘だ…」
と、哄笑した…
実に、楽しそうだった…
「…このお嬢さんが、私の娘…私の分身だと知ったことで、これで、悔いなく、地獄でも、なんでもゆける…」
満足そうに、言った…
が、この言葉に、
「…分身なんか、じゃありません…」
私は、即座に反論した…
「…血を分けた間柄でも、分身なんかじゃ、ありません…あくまで、生物学上の父に過ぎません…」
私は、断言した…
言いながら、自分でも、自分が、信じられなかった…
いかに、老人とはいえ、誰が見ても、ヤクザ…
ヤクザの中のヤクザ…
ザ、ヤクザ…
とでも、言える、ヤクザ界の大物に対して、平然と、この竹下クミが、歯向かっているのだ…
この頼りない、竹下クミが、歯向かっているのだ…
まさに、
あり得ない…
あり得ない、言動だった…
私の言動に、大場父娘、そして、町中華の女将さんも、目が飛び上がらんばかりに、唖然とした表情で、私を見ていた…
しかし、なんのことはない…
一番、驚いたのは、大場父娘や町中華の女将さんでもない…
一番、驚いたのは、私…
私自身に他ならない…
自分自身が、自分に一番ビックリしたのだ…
そんな私を見た、古賀会長の姿は、どうかというと…
これが、また、実に楽しそうだった…
「…お嬢さん…追い詰められてるね…」
私の心の内側を見透かすように、言った…
「…追い詰められてるから、牙を剥いて、立ち向かってくる…」
実に、楽しそうだった…
「…まさに、私の娘…追い詰められると、普段は、どんなに、おとなしくとも、牙を剥く…終戦時のゴタゴタで、私が、ヤクザになったときと、同じだ…」
古賀会長が、告白した…
この老人が、古賀会長…
私は、あらためて、思った…
ネットで、その顔は、知っていた…
だが、
会うのは、初めて…
初めてだった…
すでに90歳ぐらいの年齢なのに、プロレスラーのような、ガッチリとした体躯…
しかも、老いは、感じさせない…
まるで、ヤクザ映画ではないが、今でも、先頭を走って、敵対する、組事務所に殴り込みをかけることができるような感じだった…
ある意味、年齢を感じさせない…
私が、そんなことを、考えながら、古賀会長を見ていると、
「…いつまでも、立っているのは、疲れる…」
と、言って、すぐに、私たちの近くの席に座った…
「…この歳だ…生きているだけで、めっけもんだ…」
そう言いながら、笑った…
しかし、その言葉と裏腹に、老いは感じさせなかった…
「…お嬢さんも、そう、ジロジロ、オレを見ないでくれ…恥ずかしい…」
そう言いながら、照れた…
なんだか、出てきたときと、キャラが変わったというか…
ヤクザらしい風貌と、まるで、似合わない言動だった…
「…オレは、女が好きだが、女は抱けない…だから、見るだけだ…」
古賀会長が、笑いながら、言う…
「…だが、それもまた楽しい…若くて、キレイな女を見ると、まるで、高価な美術品を鑑賞しているような気分になる…お嬢さんは、失礼ながら、美人ではないが、愛くるしい…きっと、男からも、女からも、好かれているだろう…それが、いい…それが、お嬢さんの武器になる…」
「…武器?…」
「…そう…武器だ…老若男女、誰からも好かれる…つまり、なにか、あったら、誰かが助けてくれる…味方になってくれる…それが、武器だ…生きてゆくのに、一番大事な武器だ…お嬢さんは、それを備えている…」
古賀会長が、実に、楽しそうに言った…
「…オレの血を分けた子供が、存在するのを知って、驚いたが、お嬢さんを一目見て、安心した…」
「…どうして、安心したんですか?…」
「…きっと、楽に生きれる…」
「…楽に?…」
「…さっきも、言ったように、周囲の人間に好かれる人間は、なにが、あっても、周囲の人間が、助けてくれる…力になってくれる…生きるのに、これほど、楽なことはない…」
古賀会長が実感を込めて、言う…
「…この歳だ…一目、自分の血を分けた子供というのを、見ておきたくてね…顔を出すことに、決めたんだ…」
「…」
「…ホントなら、このえりこがやっている店で、お客さんとして、呼び出して、それを、近くで、オレも客として、見ていれば、よかったんだが…どうしても、もっと正式に会いたくてね…」
女将さんを見て、言った…
私は、それで、この女将さんが、えりこという名前であることを知った…
「…死んだ人間が、生きているのは、おかしいんだが…」
と、自分でも、苦笑した…
「…どうして、死んだことにしたんですか?…」
私は、直球で聞いた…
この眼前の古賀会長が、思ったよりも、親しみやすいというか…話しやすいキャラだったからだ…
「…簡単だよ…」
古賀会長が、ニコニコして言った…
「…簡単?…」
「…今では、オレより、五郎の方が、力がある…このままでは、山田会は、五郎に乗っ取られる…それなら、オレが死んだことにして、消えればいい…」
「…でも、それなら、ヤクザを辞めれば…」
「…引退か…それはできない…」
「…どうして、できないんですか?…」
「…見栄だな…」
「…見栄?…」
「…ヤクザ界の秀吉と言われ、ヤクザ界の伝説のように、持ち上げられた男が、実は、子分に寝首を掻かれる…そんな結末は御免だ…」
古賀会長が、笑う…
「…会社でもなんでも、昔は、実力社長だった男が、今では、ただの老害で、実は、ただのお飾りの会長に過ぎず、力もなにもなかったと、解任されて、世間にバレるのと、同じだ…」
「…」
「…オレも、遅かれ、早かれ、そんな運命を辿った…」
「…でも、稲葉さんは、そんな人間じゃ…」
「…五郎はな…」
「…どういう意味ですか?…」
「…五郎は、一人じゃない…アイツは、操り人形とまでは、言わないが、自分ひとりの力じゃ、抗えない…山田会を獲れと、言われれば、従わざるを得ないよ…」
「…誰が、稲葉さんに、命じるんですか?…」
「…おそらく国家だろう…」
「…国家?…」
「…五郎は、公安のスパイだ…間違いはない…」
古賀会長が、断言した…
「…証拠はあるんですか?…」
「…証拠はない…だが、五郎のこれまでの経歴が、ウソ偽りで、あるにもかかわらず、住民票も、戸籍も、ある…運転免許証も正規だ…これは、国家が背後にいるとしか、思えない…国家が背後になければ、できないことだ…つまりは、状況証拠の積み重ねだ…」
古賀会長が力説する…
「…だったら、古賀会長は、一体、どうしたかったんですか?…」
「…どうしたいって、なにを?…」
「…山田会を、です…」
が、
その答えは、
「…別に、どうするもなにもないよ…」
と、言うものだった…
私は、唖然とした…
「…オレは、オレの人生を生き切った…今さら、山田会でも、なんでもない…会社員が、定年まで、会社に勤めて、会社人生を生き切ったのと、同じだ…ただ、オレが死んだことにしたのは、五郎に追放されるように、山田会を去るのは、避けたかったからだ…要するに、見栄だよ…」
古賀会長は、力を込めて、言った…
「…ヤクザ界の秀吉と呼ばれたのに、その終わり方は、カッコ悪いだろう…」
そう言って、笑った…
が、
私は、ふと、疑問を感じた…
なにかが、おかしい…
なんとなく、軽いというか、言動が、芝居がかっているのだ…
たしかに、カラダは大きく、いかつく、迫力がある…
年齢も、90歳近くの老人にもかかわらず、全然、老いを感じさせない…
つまり、伝説のヤクザと言ってもよい、
…ヤクザ界の秀吉…
と、言われた男にふさわしいのだが、どこか、違う…
胡散臭いというか…
なにかが、おかしい…
そう感じたときだった…
さっき、この古賀会長が、やって来たときと同じく、いきなり、部屋の襖が、開いた…
私たち4人全員、驚いて、その方向を見た…
そこには、見知らぬ男たちが立っていた…
「…警視庁公安部外事第二課の者だ…」
先頭の男は、それだけ言った…
その男の背後には、屈強な男たちが、何人もいた…
ちょうど、この大場敦子のマンションにいたときに、あの葉山を含めた男たちが、乗り込んできたときと、いっしょだ…
あのとき、葉山は、
「…内閣情報調査室…」
と、名乗った…
だが、今、突然、現れた、この男は、
「…警視庁公安部外事第二課の者だ…」
と、自分の身分を名乗った…
これは、一体、なにが、どう違うんだろう?
私は、あまりの予想外の展開に唖然としながらも、一方では、冷静だった…
冷静に、物事を俯瞰していたというか…
が、
私の疑問は、すぐに氷解した…
名乗った男自身が、
「…警視庁公安部外事第二課が、どういうものかは、わかるでしょう…」
と、言ってから、
「…公安部外事第二課は、主に、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国の工作活動、戦略物資の不正輸出を捜査対象とする…」
と、説明した…
「…工作活動?…」
私は、絶句した…
同時に、乗り込んできた男の中に、またも、あの葉山がいたことに、気付いた…
葉山の姿があったのだ…
葉山は、私に顔を背けるように、立っていた…
前回、同様、仕事だから、仕方なく、やって来た…
同行したといった感じだった…
「…竹下クミを、除いた全員、身柄を拘束する…」
と、宣言するや、他の男たちが、古賀会長を始め、全員の身柄を拘束した…
まさに電光石火…
神業だった…
私は、驚いたし、言葉もなかった…
ただ、ただ、目を丸くして、事態を見守っていた…
驚きで、言葉も出なかった…
誰もが、同じだが、あまりにも、想定外の事態に陥ると、どうしていいか、わからない…
過去に経験がないからだ…
文字通り、カラダが固まる…
マニュアルではないが、過去の経験があれば、どうすれば、良いか、わかる…
どう対処すれば、いいか、わかる…
それが、ないから、困る(笑)…
そういうことだ…
そのときだった…
「…オレは、山田会の古賀だ!…」
と、突如、古賀会長が、暴れ出した…
180㎝は、優に超える巨体の持ち主が、暴れ出したのだ…
「…てめえら、ただじゃ、おかねえぞ…」
と、大声で、怒鳴りながら、暴れ出す。
しかしながら、古賀会長の周囲を取り囲んだ男たちの方が、背が高く、屈強だった…
しかも、若い…
突然、暴れ出した古賀会長のカラダを、無理やり、押さえつけた…
「…静かにしろ! さもないと、満州に送り返すぞ!…」
古賀会長を押さえつけた男が、いきなり言った…
…満州?…
どうして、そんな言葉を?…
私は、思ったが、その言葉は、効果てきめんだった…
すぐに、古賀会長は、黙り込んだ…
まるで、魔法にかかったように、簡単に黙り込んだ…
それから、
「…嫌だ…嫌だ…満州には、帰りたくねえ…ご、御免だ…あ、あそこは、地獄だ…女が無理やり犯される姿は、もう見たくねえ!…」
と、言って、突然、泣き出した…
まるで、子供が、泣くように、突然、泣き出した…
私は、呆気に取られた…
こんな場面に接するのは、初めてだ…
一体、この古賀会長は、どうしたんだろう?…
まるで、子供だ…
大きくなった子供だ…
姿形は、90歳でも、堂々とした巨体の持ち主だが、中身は、まるで、3歳や5歳の子供だ…
私が、悩んでいると、
「…ボケてるのさ…」
と、誰かが言った…
私は、その声の主を見た…
葉山だった…
「…ボケて、死んだことにした、古賀の爺さんを、この場に連れてくるなんて、随分、ひでえ真似をしやがる…」
吐き捨てるように言った…
「…どういう意味ですか?…」
私は、葉山に聞いた…
なにしろ、他でもない、葉山だ…
私のバイトするコンビニの店長だった男だ…
だから、私は、聞きやすかった…
「…この古賀の爺さんが、ボケてるのは、ヤクザ界でも、噂に上っていて、知ってるヤツは、知っていた…だから、葬儀でも、故人の闘病で、やつれ果て、別人のような姿に変わった顔を見せるのは、忍びないと、棺桶の中の顔を見せなかった…だから、そのときから、実は、生きているんじゃないかって、噂がずっと、ヤクザ界でも、あったんだ…」
…そんなことが?…
私は、驚いた…
「…だから、今、竹下さんが、見たように、まともなときもあれば、3歳や5歳の子供に戻ってしまうときもある…とてもじゃないが、人前に出せる状態じゃない…」
「…」
「…そして、古賀の爺さんが、わけがわからなくなって、暴れ出したときに、言う言葉が、満州だ…古賀の爺さんが、子供の頃、辛酸を舐め尽くした地だ…それを聞くと、古賀の爺さんは、ビビって、なにもできなくなる…よっぽど、辛い体験だったんだろう…」
「…」
「…そんな古賀の爺さんを、あの女将さんが、無理やり…」
葉山が嘆く…
「…どうして、女将さんは、無理やり、古賀会長を連れてきたんですか?…」
「…中国コネクション…」
葉山が言った…
「…あの女将さんは、古賀の爺さんの中国コネクションを受け継いでる…だが、小者…ただの中華屋の女将だ…たいしたことができるわけじゃない…だから、大場小太郎と、その娘を招いて、自分の陣営に引きずり込もうとしたんだ…大場小太郎は、議員を辞めたが、影響力は、ゼロじゃない…中国関連で、疑われて、議員を辞めたんなら、いっそ、それを逆手にとって、本物の中国のスパイにならないかと誘ったんだ…それには、どうしても、古賀会長が、実は生きている姿を見せる必要があった…」
「…」
「…ついでに言えば、竹下さんを、ここへ連れてきたのも、そのためだ…」
「…どういう意味ですか?…」
「…ボケた古賀の爺さんだが、いつも、ボケてるわけじゃない…正常なときもある…その正常なときに、死んだことになってる自分が、姿を現すのは、マズいと判断するだろう…そのために、竹下さんが、必要だったんだ…」
「…私が、必要?…」
「…自分の娘に会いたくないかと、言えば、嫌でも、顔を出す…竹下さんを、利用したのさ…」
「…そんなことが…」
私は、言った…
「…オレたち、内調(内閣情報調査室)だけじゃなく、公安の外事第二課も、古賀の爺さんが、生きていることは、掴んでいた…ただ、それが、姿を現すとは…言葉は悪いが、古賀の爺さんは、博物館に飾ってある…過去の遺物さ…」
「…」
「…それにしても、竹下さんが、古賀さんが生きてるって、断言したときは、ビックリした…どうして、わかったんだ? …竹下さんが、稲葉五郎や、亡くなった高雄組組長に初めて会ったときは、すでに、古賀会長は亡くなっていたとされていた…それをまるで、生きてるように言って…陰で聞いているオレたちの方が、驚いた…」
私は、葉山の言葉に、自分が、間違っていたことに、気付いた…
私が、稲葉五郎や高雄組組長に会ったときは、すでに、古賀会長は亡くなっていた…
しかし、生きていると、私が、勝手に誤解したのだ…
まさか、それが、功を奏すとは?
あまりにも、色々なことがあり過ぎて、自分自身が、パニクっているというか…
混乱していた…
今さらながら、思った…
同時に、気付いた…
今日、この料亭にやって来たときに、女将さんを始め、従業員が、緊張していた理由を、だ…
アレは、死んだはずの古賀会長が、訪れたこともあるだろうが、葉山たち、公安の人間が、事前に訪れて、この部屋に隠しマイクや、隠しカメラを設置したからに、違いない…
そうでなければ、この部屋にいないにもかかわらず、部屋の中の様子が、手に取るように、わかるはずはないからだ…
おそらく、別室で、この部屋の様子をカメラで映った画面で、見ていたのだろう…
私は、思った…
「…どんな理由があるにしろ、死んだことになってる人間は、表に出しちゃ、いけねえよ…」
葉山の言葉だった…
そして、いつのまにか、部屋には、私と葉山しか、いなくなっていた…
「…この後、どうなるんだろう?…」
ポツリと、私は、呟いた…
あの町中華の女将さんも、大場父娘も、連れていかれた…
まだ、誰も箸もつけていない、料理が、4人分、残っている…
今さらながら、私を除いた3人の行く末が、気になった…
「…どうなるって、あの女将さんと、大場父娘のことか?…」
葉山が聞いた…
私は、
「…」
と、無言で、首を縦に振って、頷いた…
「…あの女将さんは、国外追放、大場父娘は、お咎めなしって、ことで、終わりだろう…」
あっさりと、葉山が答えた…
「…ちょっと、待って…女将さんは、国外追放で、大場父娘は、お咎めなしって、どういうことですか? 大場さんが、大物議員だったからですか?…」
「…それもある…」
葉山が、言った…
「…だが、大場さんは、まだなにも、しちゃあいねえ…」
「…どういうことですか?…」
「…大場さんが、今日、どうして、ここに来たか、わかるか?…」
「…それは、町中華の女将さんに誘われたから…」
「…それさ…」
「…変な、たとえだが、竹下さんが、今、イケメンに誘われたとする…」
「…イケメン?…」
「…あくまで、たとえだ…そのイケメンに、今度、どっかに行こうよと、誘われたら、どうする?…」
「…どうするって?…」
「…竹下さんが、そのイケメンを好きならば、誘いに乗るし、好きじゃないならば、誘いに、乗らない…そうだろ?…」
「…」
「…それと同じで、大場さんは、あの女将さんの誘いに乗ったわけだ…つまりは、下心があったと、みなされる…女将さんだって、辞職したとはいえ、大物代議士だった男だ…どういう用件で、招くのかは、事前に伝えてあったはずだ…それでも、やって来たのは、下心があった証拠だ…」
葉山が説明する。
たしかに、そう説明されれば、わかる…
なにしろ、辞職したとはいえ、大場小太郎は、大物代議士だった男だ…
いくら、あの町中華の女将さんが、
「…一席、設けました…」
と、言っても、名目が必要になる…
どういう用件で、誰が来るのか、説明しなければ、ならない…
そのときに、
「…実は、古賀会長は生きていて…会長も来られる…」
と、でもいえば、会いたいと、考えるだろう…
そして、当然、その先に、なんらかの目的があると、考えるのが、普通だ…
古賀会長が生きていて、ただ、会長に会っても、仕方がない…
まさか、昔話に花を咲かせるだけなんて、ありえない…
当たり前だが、打算=目的がある…
目的=下心がある…
大場小太郎は、それをすべて、承知で、この席にやって来たということだ…
そして、その古賀会長を呼ぶために、私という餌が必要だったわけだ…
しかし、本当に、私が、あの古賀会長の血を分けた娘なのだろうか?
謎があるというか…
どうしても、信じられない…
だが、それを言えば、稲葉五郎の娘と言われても、同じことだ…
実感が湧かない…
「…あの…私は、ホントに、古賀会長の娘なんですか?…」
私は、葉山に聞いた…
葉山は、私の質問に困った様子だった…
「…正直、それは、わからない…」
葉山が、戸惑ったように、答えた…
「…オレは、その情報を確認していない…」
と、それだけ、言った…
肯定も否定もしない…
なんとも、微妙な返答だった(苦笑)…
「…竹下さんにとって、重要なことに間違いはないが、オレたちにとっては、そうじゃない…」
葉山が説明する。
「…オレたちにとっては、あの女将さんが、重要だった…」
葉山が続ける。
「…あの女将さんが、古賀会長の中国コネクションを受け継いでいることは、わかっていた…」
「…わかっていた…どうして?…」
「…あの女将さんが、町中華の店を継いだ目的さ…」
「…目的って?…」
「…店には、いろんな人間が集まる…情報収集には、もってこいだし、また、自分から、出向かずとも、相手が客として、頻繁にやって来るから、誰も怪しまない…まさに、スパイに最適さ…」
「…最適?…」
「…よく昔のテレビや映画で、スパイと言えば、どこかの立派なビルに忍び込んで、こそこそと、情報を取ってくるイメージがあるが、現実は違う…」
「…違う?…どう違うんですか?…」
「…会社でいえば、部長とか、取締役じゃないが、部下が情報を持ってくるようなものだ…日本の江戸時代でいえば、村の庄屋のようなものだ…村人がみな庄屋にさまざまな相談にくる…それらの情報を集めて、誰かに伝える…」
「…それって、じゃ、女将さんの両親や祖父母もスパイだったってことですか?…」
「…その可能性は高いな…」
葉山がポツリと言った…
「…まあ、あの女将さんは、さっきも言ったように、国外追放だろう…まさか、刑務所に入れるのは、なんだし、中国へ返すのが、一番だ…」
私は、葉山の言葉を聞いて、ふと、
「…宋国民…」
と、呟いた…
以前、古賀会長の本名と高雄悠が、言っていたし、真逆に、あの女将さんは、稲葉五郎の本名とも言っていた…
その名前を思い出した…
「…宋国民か…」
葉山が、私の言葉を繰り返した…
「…それは、スパイのコードネームだ…」
「…コードネーム?…」
「…有名なジェームス・ボンドが、007というのと、同じだ…今は、あの女将さんのことだ…そして、おそらくは、女将さんの両親、そして、祖父母と、代々、宋国民という名前を名乗っていたに違いない…」
私は、葉山の言葉に、唖然とした…
だって、そうだろう?
宋国民って名前を出して、稲葉五郎の正体を問い詰めた、女将さん自身が、宋国民だったなんて…
まさか、考えもしないことだった…
稲葉五郎…
そう言えば、稲葉五郎は本当に、公安のスパイなのだろうか?
聞いてみたくなった…
「…あの稲葉さんが、公安のスパイって…ホ…」
私が、話し終わらないうちに、葉山が、私の質問を遮った…
「…それは、オレには、わからない…」
葉山が答えた…
「…さっきまで、オレといっしょにいた公安部外事第二課の連中に聞いても、同じだ…」
仏頂面で、答えた…
「…だから、それが、本当か、どうかは、わからない…」
「…」
「…ただ…」
「…ただ、なんですか?…」
「…山田会のこれからの動きを見れば、わかる…」
「…動き?…」
「…国家に歯向かうのか、それとも、国家に寄り添うのか? 稲葉さんの国家に対する姿勢が、山田会の動きに出る…」
「…」
「…といっても、稲葉さんひとりじゃ、できることは、たかが知れている…いきなり180度、稲葉さんの姿勢が、山田会に現れるわけじゃないだろうが、徐々に、変わっていくだろう…それを見れば、竹下さんにも、稲葉さんが、公安のスパイかどうか、わかるよ…」
終始、微妙な表現だった…
さっき、女将さんも、古賀会長も、言ったように、稲葉五郎が、公安のスパイだという確実な証拠は、ないのだろう…
だから、古賀会長が言ったように、状況証拠…
状況の積み重ねで、判断するしかないということだ…
山田会が、この国に対して、どういう姿勢を取るかで、稲葉五郎が本当に、公安のスパイか否か、わかると、言っているのだ…
逆にいえば、そういうしかないのだろう…
しかし、
しかし、だ…
あの女将さんと、稲葉五郎は、親しかった…
それが、実は敵味方の関係だったなんて…
面白いというか、複雑と言うか…
一体、当人たちは、どう思ってるんだろうか?…
私は、思った…
だから、私は、
「…女将さんが、中国のスパイで、稲葉さんが、日本の公安のスパイだとして、一体二人は、お互いを、どう思ってたんでしょうか?…」
と、葉山に聞いた…
「…どういう意味?…」
「…だって、二人は、仲が良かったから…」
「…ああ、そういう意味…たぶん、なにも思ってないと思うよ…」
「…なにも、思ってない?…」
「…仕事は仕事…自分の好き嫌いの感情は、持ち込まない…おそらく二人とも、そう答えるに違いない…」
あっさりと答えた…
「…現に、女将さんの身の危険を察して、稲葉さんは、女将さんの身を隠したことがあっただろう…」
…そういえば、たしか、そんなことがあったような…
「…アレは、個人的な友情からだろうが、それが、中国政府うんぬんが絡めば、女将さんの身を隠さなかったと思うよ…」
「…」
「…友情と仕事は別って言いたいが、おそらく、それよりなにより、あの二人は、ウマが合ったんだろう…」
「…ウマが?…」
「…どんな美男美女でも、ウマが合わなければ、好きにならないだろう…それと、いっつしょさ…」
…たしかに、葉山の言う通りだ…
あの女将さんと、稲葉五郎は、傍目にも、ウマが合ったのは、わかった…
「…じゃ、竹下さん…オレは、もうこれで…」
葉山が立ち去りかけた…
私は、とっさに、高雄…高雄悠のことを、思い出した…
悠は、今、どうしているんだろう?
いや、
これから、どうなるんだろう?
「…あの、悠さんは…高雄悠さんは…今…」
「…公安が、保護しているよ…」
思いがけない返事だった…
「…公安が保護? …どうして?…」
「…大場小太郎の息子だ…あの女将というか、別の中国の工作員に、人質に取られて、大場小太郎に、スパイになれと、強要でもされたら、困る…だから、手が届かないところへ、隠した…」
「…ちょっと…ちょっと、待って下さい…公安は、高雄悠さんが、大場小太郎の息子さんだと知ってたんですか?…」
「…それは、当然…」
「…当然?…」
「…普通、国会議員になる人間の身体検査というか…素性は、掴んでいる場合が、多い…まして、大場小太郎は、戦前から、代々、国会議員を務めた名門の出身だ…国会議員になる前から、その素性と言うか、行動は、掴んでいるというか…監視されてるというか…」
葉山が曖昧に言葉を濁した…
要するに、名家のお坊ちゃまだから、大げさに、言えば、生まれたときから、監視されてると言いたいのだろう…
だから、若き日の大場小太郎が、外に子供ができて、オタオタと慌てふためいたことも、知っていたに、違いない…
いわゆる、上級国民は、自分たちが、思っている以上に、国家から、監視されてるに違いない…
私は、思った…
と、そこまで、考えたときだった…
「…あのお坊っちゃまは、頭でっかちの理屈屋で、行動がさっぱりだ…頭はいいかもしれねえが、頭の中だけで、現実がわかっちゃいねえ…もっと、コンビニでもなんでもいいから、汗水垂らして、働いて、現実を知らなきゃ、ダメだ…」
と、葉山が吐き捨てた…
私は、驚いた…
葉山が、高雄悠について、評したのが、的確だったからだ…
思わず、
「…悠さんを、知ってるんですか?…」
と、聞いてしまった…
「…いや、直接は知らねえ…ただ、面談というか、公安の連中とやり取りする姿を別室で、見たことがあるだけだ…よく刑事ドラマで、見るだろ? アレだ…」
「…」
「…頭でっかちの世間知らずの典型だ…典型的なお坊ちゃまだ…高雄さんの溺愛のし過ぎだ…」
葉山が、憤る…
「…なんていうか、誰でも、そうだが、自分がした苦労を、自分の子供にはさせたくねえから、苦労した人間ほど、子供を過保護に育てる…豊臣秀吉が、その典型だ…」
「…秀吉?…」
「…あの古賀の爺さんが、ヤクザ界の秀吉と言われて、思い出したが、秀吉は、息子の秀頼を溺愛して、大阪城から一歩も出さなかった…大阪城は、当時最大の防御施設だ…あそこにいれば、安全だ…誰も、秀頼を襲うことはできない…」
「…」
「…親ってものは、案外バカなものだ…苦労はしても、得るものがある…それが、わかっているくせに、自分の子供には、苦労はさせたくない…その結果、頭でっかちの理屈屋になっちまう…高雄さんだって、それが、わかってるくせに、苦労をさせなかった…よっぽど、悠が、可愛かったんだろう…」
葉山が言った…
「…それは、大場小太郎の息子だったからじゃ…」
私が遠慮がちに言った…
「…それも、もちろん、あるが、それだけじゃない…そうでなければ、あんなに溺愛はしないよ…」
「…」
「…ただ、歯車が合わなかった…」
「…歯車?…」
「…お互いが、お互いを好きなんだが、どうにも、合わなかった…あの悠なりに、亡くなった高雄さんのことを、考えて、行動した…失礼ながら、高雄さんでは、山田会の会長の座に就くことは、難しい…だから、稲葉さんや、大場さんに寄り添うことで、会長レースに敗れた後も、高雄さんを、生き残らせようと考えた…アレコレ、工作した…」
「…」
「…そして、これは、オレの想像だが、亡くなった高雄さんもまた、そんな悠の行動を知っていたのだろう…だから、余計に溺愛した…だが、どうにも歯車が合わなかった…」
「…」
「…お互いが、お互いを思っているのに、どうにも歯車が合わない…さっき、言った、ウマが合った、あの女将さんと、稲葉さんとの関係の真逆だ…仮に、二人の歯車が合えば、また違った結末を迎えることができたかもしれない…」
「…それって、高雄さんが、自殺しなくて、良かったって、ことですか?…」
「…それは、わからない…ただ、あの父子がもっと、ウマが合えばよかったと思う…返す返す残念だよ…」
葉山が呟いた…
「…じゃ、オレはこれで…」
と、言って、葉山は去った…
私は、葉山を引き留めて、まだまだ聞きたいことがあったが、さすがに、これ以上、引き留めることはできなかった…
呆気ないほど、簡単に、この場を去った…
残ったのは、私一人…
竹下クミ、一人だけだった…
葉山が去って、しばらくしてから、この料亭の女将さんが、一人で、様子を見にやって来た…
一目見て、部屋に、私だけが残り、その私が、どうしていいか、わからず、ポツンといるのが、わかったものだから、
「…お嬢さん以外、皆さん、お帰りになったんですか?…」
と、私に聞いた…
私は、どうしていいか、わからず、
「…」
と、無言のまま、首を縦に振って、頷いた…
それから、女将さんが、まだ誰も手を付けてない料理を見て、
「…お嬢さん…せっかくだから、この料理を食べてから、お帰りなさい…お腹が空いてるでしょ?…」
と、私に料理を食べることを勧めた…
当たり前だが、私もお腹が空いていた…
ただ、あまりにも、ゴタゴタし過ぎて、料理を食べるどころでは、なかった…
高雄悠が、実は、大場小太郎の血の分けた息子だったり、その悠と、大場敦子が、男女の関係だったりと、これでもかというほど、さまざまなことが、暴露された…
予想外の出来事の連続だった…
極めつけは、死んだと思っていた古賀会長が姿を現したことだろう…
しかも、その古賀会長は、ボケていた…
それを隠すために、死んだことにして、身を隠していたのだ…
そして、それらすべてを見越したように、一連の出来事が起きてから、葉山を含めた、警視庁公安部外事第二課の人たちが、現れた…
そこで、同席した、あの町中華の女将さんが、中国の工作員だと暴露され、大場父娘共々、公安部の人たちに、連行されていってしまった…
こんなことは、この竹下クミの人生で初めて…
まるで、ドラマの主人公のように、めまぐるしく周囲に翻弄されたと、いっていい…
だから、食事どころでは、なかったのだ…
そして、今、この料亭の女将さんに勧められて、ようやく、自分が、お腹が空いたことに、気付いた…
だから、私は、
「…それでは、遠慮なく…」
と、小さく言って、箸を持って、食べ始めた…
料理は、おいしかったが、味わうという感じではなかった…
なにより、料理はすっかり、冷めていた…
が、それを指摘する勇気は、私には、なかった…
が、女将さんは、料理が冷めてしまっていることに、すぐに、気付き、
「…作り直してきます…お嬢さんも、いったん箸を止めて、温めてから、食べなさい…」
と、私に言った…
私は、無言で、箸を休めた…
それから、しばらくして、温め直した料理が運ばれてきた…
一口食べて、おいしかった…
さっきとは、全然味が違う…
思わず、
「…おいしい…」
と、呟くと、女将さんは、にっこり微笑んだ…
「…接客業は、お客様に喜んでもらえるのが、第一…お嬢さんの嬉しそうな顔を見て、私も嬉しいです…」
と、告げた…
うまいことを言う…
私は、思った…
私の食べる姿を見て、
「…お嬢さんも、将来、接客業に就けばいい…」
と、いきなり、私に向かって、思いがけないことを言った…
「…接客業?…」
思わず、箸を止めて、女将さんの顔を見た…
「…お嬢さんは、笑顔がいい…誰からも好かれるでしょう…そういう人間は、ひとと接する仕事が一番…天職です…」
会って間もないのに、断言された…
私は、複雑だった…
社交辞令か否か、判断できなかった…
だから、私は、
「…ありがとうございます…」
と、だけ言って、料理を食べた…
その方が、なにも、言わずに、済んだからだ…
私は、無言のまま、料理を食べ続けた…
そんな私の姿をニコニコと、料亭の女将さんが、見ていた…
結局、杉崎実業の内定を契機に、始まった、この騒動は、これで、終わりになった…
それは、あの後、大場に会って、それを知ったというか…
痛感した…
大場に呼び出されて、ファミレスで、二人きりで、会った…
「…竹下さんには、今度の一件で、ホントに、迷惑をかけて、ごめんなさい…」
と、会うなり、大場が私に、頭を下げて、謝った…
私は、それよりも、大場のカラダのことが、気になった…
本当に、高雄悠の子供を妊娠したのだろうか?
なにより、それが、気になった…
「…そんなことより、カラダ…」
「…カラダ?…」
「…ほら、高雄悠さんの子供を妊娠したっていう…」
私の質問に、
「…ああ、アレね?…」
と、照れ隠しのような、笑いを浮かべた…
「…誤解だったみたい…ちょっと、生理が遅れただけで…」
「…生理が遅れただけ?…」
あまりにも、以外な言葉だった…
「…自分で言うのも、なんだけど、悠さんと、そういう関係になって、ナーバスになり過ぎていたっていうのが、あって…」
大場敦子が、恥ずかしそうに、告白する…
私は、大場の告白に、唖然とした…
「…最近、そういう関係になって、まだ、何回もしてないけど、だから、余計に、気になったというか…これは、男のひとには、わからないでしょうね…」
大場が、顔を真っ赤にして言う…
私は、大場の言葉に、拍子抜けした…
私と同じ歳で、私は、まだ、男のひとと、そういう関係になったことは、一度もない…
だから、もし、大場に子供が出来たら、どうするんだろう? と、漠然と、気になっていた…
大場は、私と違って、大金持ちの娘だから、私とは、生まれついた環境が、天と地ほども、違うけれど、同じ年齢だ…
私と同じ、まだ、22歳の、学生の身で、妊娠して、これから、どうするんだろう? と、いうのが、気になっていた…
それが、ただ、生理が遅れただけなんて、拍子抜けも、いいところだ(苦笑)…
私が、事の顛末に愕然としていると、
「…でも、あの一件で、パパに私と、悠さんの関係がバレてから、パパの態度が変わったの…」
と、大場が楽しそうに、言った…
「…変わったって、どう変わったの?…」
「…まるで、美術品…」
「…美術品って?…」
「…まるで、美術館に飾ってある、高価な美術品を扱うように、私に接するの…いっしょに、ご飯を食べていて、ちょっとでも、私が、顔をしかめたりすると、すぐに、私の傍に来て、大丈夫か、無理しない方が、いいぞって…」
「…」
「…家族の中でも、私とパパ以外は、私が、妊娠したかもしれないことは、知らないの…だから、パパの私への態度が、あまりにも、豹変したものだから、ママも弟や妹たちも、目を丸くして、見ている…それが、面白くて…」
実に楽しそうに、大場が言った…
「…だから、パパには、妊娠なんかしてなくて、生理が遅れただけって、いうのは、しばらく内緒にするつもり…」
いたずらっぽく言う…
「…えーっ? どういうこと?…」
「…だって、どうせ、あと数か月すれば、お腹も大きくならないから、妊娠がウソだって、バレるでしょ? それまでは、私に尽くしてもらうの…」
大場が宣言する…
私は、大場の言葉に、今さらながら、女はしたたかだと思った…
男なら、こうはしないだろう…
打算と言っては、なんだが、巧妙に、自分の取り分を頂くというか…
周囲を手玉に取るというか…
私は、大場の言葉に、ただ、呆気に取られた…
「…それで、悠…高雄悠さんは、今、どうして…」
「…知らない…」
あっさりと言った…
「…知らないって…」
「…ほら、竹下さんも、知ってるように、悠さんは、口ばっかしの頭でっかちだから、実際、汗水働いて、カラダを動かす体験をしろって、言ったら、ウーバーイーツを始めたものの、三日も経たないで、止めちゃって…それで、口げんかになって、それっきり…」
私は、大場のあまりの言葉に、あんぐりと、バカみたいに、口を開けて、驚いた…
「…挙句の果てには、ボクには、肉体労働は似合わない…頭脳労働しかできないって…一体、何様のつもりだってぇの…」
大場が憤懣やるかたないといった表情で、語る…
私は、なんといっていいか、わからなかった…
ただ、
「…どうして、ウーバーイーツ?…」
ということだけは、聞いた…
「…簡単だから…」
大場が答える。
「…今、一番、簡単になれる仕事でしょ? だから、働くのに、一番と思って…」
至極、真っ当な意見だった…
「…でも、まさか、三日で、音を上げるなんて、思わなかった…口先だけの男とは、思っていたけど、まさか、これほどとは…」
大場がため息を漏らす…
「…だから、その怒りを、パパにぶつけてるの…パパは、悠さんの父親だから…」
と、まさに、無茶苦茶な理屈を言う…
私は、文字通り、目が点になった…
「…お父さんは、これから、どうするの?…」
「…さあ…今度の総選挙には、出ないで、次の選挙に出るようなことを言ってるけど、どうなるか? 当選は、できると思うけど、問題はその後よ…」
大場が、ひどく冷静に言う…
それから、話を悠に、戻した…
「…大場さんは、悠さんと、結婚するの?…」
大場は、すぐに、首を横に振って、否定した…
「…わからない…第一、就職もしてないのに、結婚どころじゃないでしょ?…」
これも、ひどく、真っ当な言葉だった…
「…悠さんもどこかに、就職して、私も、就職して、話は、それから…」
これも、また、ひどく、真っ当な意見だった…
私が、思っていると、今度は、大場が、
「…聞いていい?…」
と、遠慮がちに、私に聞いた…
「…なに?…」
「…竹下さん、古賀のお爺ちゃんとか、稲葉のオジサンが、父親かもしれないって…アレをどう思ってるの?…」
「…どうって?…」
「…ほら、私も色々聞きづらいし…」
「…なにも…」
私は、小さく答えた…
「…なにも、思わない…なにも、考えない…そういうことにしている…」
私が、言うと、
大場は、少し、考え込んでから、
「…そう…」
と、小さく言った…
「…それが、一番かも…」
「…それに…」
私は、続けた…
「…仮に、稲葉さんが、私の父親でも、嫌じゃなかった…」
私は、告白する…
私の告白に、大場も、
「…私も同じ…」
と、私の意見に同意した…
「…稲葉のオジサンは、悪いひとじゃない…」
と、だけ言って、後の言葉は飲み込んだ…
本当ならば、稲葉五郎の正体が、公安のスパイか否か、話題にしたいが、話題にしても、仕方がない話だからだ…
それが、本当だか、わからないからだ…
「…で、あの町中華の女将さんは…」
と、今さらながら、聞いた…
大場の妊娠が、真っ先に気になり、あの町中華の女将さんが、どうなったかなんて、すっかり、忘れていた…
「…女将さんは、国外追放よ…」
あっさりと言った…
葉山の言う通りだった…
「…もう二度と会うことはない…」
大場が、苦り切った表情で言った…
大場にとって、あの町中華の女将さんは、黒歴史以外の何物でもないのかもしれない…
稲葉五郎の正体は、日本の公安のスパイかもしれないから、まだ許せるが、中国の工作員=スパイとなると、話は、変わる…
大場小太郎は、父親が、かつて、国家公安委員長をしていた縁で、ヤクザ界を見張る意味で、山田会の古賀会長を始め、他のヤクザとも、交流を持ったが、相手が、中国のスパイとなると、話は変わる…
それは、養女の敦子にとっても、同じなのだろう…
だから、私は、これ以上、女将さんについて、聞かなかった…
女将さんは、古賀会長や、稲葉五郎たちと、同様、大場敦子が、小さいときから、見知ってる人間…
だから、余計に、ショックが大きいに違いない…
そういえば、ヤクザと言えば、松尾聡は、どうなったのだろう?
あれ以来、動静は、聞かないが…
「…あの松尾さん…松尾会会長は?…」
「…さあ…」
と、大場は、首を横に振った…
「…古賀のお爺ちゃんが、あの状態だったから、あの騒動を人づてに、聞いて、引退するとか、しないとか…一時は、山田会の高雄組を筆頭とした経済ヤクザを束ねて、別組織といっしょにさせるとか、息巻いていたというけど、古賀のお爺ちゃんの状態が、他のヤクザにも伝わって、今さら、松尾のお爺ちゃんの時代でもないって、誰もついていかなかったみたい…笑っちゃうね…」
大場は、苦笑する…
やはり、義父の大場小太郎同様、ヤクザ界の動静に長けている…
いや、
これは、あの悠…高雄悠に、聞いたのだろうか?
悠の養父は、高雄組組長…
亡くなったとはいえ、高雄組組長は、大物ヤクザ…
情報のルートは、持っているに、違いない…
私は、思った…
そして、林…
林は、一体、どうなったのだろう?
「…あの…林さんが、あの後、どうなったか、知ってる?…」
「…ううん、知らない…」
大場が、首を横に振った…
「…林のことは、なにも、わからない…」
「…そう…」
小さく、答えた…
思えば、今回の杉崎実業の一件で、林が一番悲惨だった…
全財産、無くしたと言っていた…
今回の一件で、一番、心を痛めたことだ…
だが、残念ながら、私に、どうすることも、できない…
古賀のお爺ちゃんは、あの後、施設に送られたそうだ…
元々、そこへ、隠れ住んでいたらしい…
大場と私は、それから、さまざまな世間話をした…
気が付くと、優に小一時間は過ぎていた…
「…もう、こんな時間…」
大場が、突然、言った…
そして、席を立ち、
「…また、なにか、あったら、連絡するね…」
と、慌ただしく、店を出たときに、大場が私に言って、私に、手を振って、別れた…
おそらく、これが、最後の会話というか…
もう二度と会うことは、ないと、直観的に、わかっていた…
私と、大場とは、住む世界が違い過ぎる…
そもそも、本来、出会うはずがない二人が、偶然、出会ったに過ぎない…
私は、そう思った…
そして、私は電車に乗り、自分の住む街に帰ることにした…
自宅のある駅に着くと、私は、ホッとしたというか…
なんだか、これまで、あった出来事がすべて、夢のような感じがした…
大物代議士、大物ヤクザ、公安警察…
そんな、普段、私が、絶対会えない人間と、出会った…
今さらながら、それを痛感した…
と、そのときだった…
そんなことを、考えていたせいか、駅の階段を下りていたときに、誤って、階段を踏み違えた…
あと数段で、降り終えるところを、誤って、スルッと下に落ちた…
尻もちをついた…
「…いたーい!…」
思わず、声に出した…
私は、慌てて、周囲を見回した…
恥ずかしくて、仕方がなかったからだ…
22歳にもなって、駅の階段を踏み外すとは、思わなかった…
だが、道行く周囲の人間は、私が、階段を踏み外したのに、気付いたが、誰もが、見て見ぬふりをして、通り過ぎた…
私は、慌てて、立ち上がり、その場から、去ろうとした…
恥ずかしくって、仕方がないからだ…
と、そのときに、
「…相変わらず、トロいな、竹下…」
と、いう声が近くでした…
私は、慌てて、その声の主を見た…
見るからに、人の良さそうな女が、そこに立っていた…
身長は、私と、同じ160㎝ぐらいだが、妙に、胸が大きい…
だが、幼児体系…
子供が、そのまま、大人になったような感じだった…
「…満足に、階段を下りることもできないのか?…」
かわいらしい声で、言われた…
「…矢田…」
思わず、私は、眼前の女の名前を呼んだ…
矢田トモコ…
もっとも、出会いたくない相手だった(涙)…
もっとも、こんな場面を見られたくない相手だった(涙)…
矢田は決して、悪いヤツではない…
しかし、
しかし、だ…
「…私と、会って、良かったな、竹下…これが、私以外で、高校時代ならば、次の日、オマエが、学校に行けば、オマエが、駅の階段も満足に歩けなかったことが、学校中に知れ渡ってるぞ…私だから、良かった…武士の情けだ…黙っておいてやる…」
上から目線の言葉だった…
…ウソを言うな!…
…矢田、オマエに見られたから、マズいんじゃないか?…
…オマエのことだ…明日、学校に行けば、まるで、放送局のように、周囲に言いふらしているに違いない…
私は、とっさに思った…
いや、
すでに、スマホで、知り会いという知り合いに、電話をしまくるかもしれない…
そう思いながら、目の前の矢田を見た…
…ン?…
私が、矢田を見ると、なにか、以前と違う…
なにが、違うんだ?
考えた…
目が二重になっている…
矢田の細い目が、二重になってる…
私は、その事実に気付いた…
「…矢田…アンタ…整形したの?…」
「…少しばかりな…」
そう言って、矢田トモコは、自信たっぷりに、笑った…
「…私のこの胸と、この大きな目…もはや、就活に抜かりはないさ…」
矢田が宣言する。
しかも、自分の大きな胸を、わざと揺らしながらだ…
…そういえば、矢田も、私と同い年…
…矢田は、就職が決まったのだろうか?…
「…矢田…アンタ、就職は決まったの?…」
「…決まってないさ…だから、目を二重にしたのさ…これで、就活は、ばっちりさ…」
矢田が自信を持って言った…
相変わらず、甘い…
どこまでも、自分に甘いというか…
見通しが甘いというか…
が、
それが、矢田トモコだった(笑)…
「…竹下…オマエは、ダメなヤツだ…今度、私が暇なときには、オマエの面倒を見てやってもいいぞ…オマエは、頼りなさすぎるからな…」
矢田が、自信たっぷりに言った…
…ウ、ウソだろ?…
…私も頼りないが、オマエは、もっと、頼りないだろ?…
…そのオマエに、どうして、そんな口がきけるんだ?…
…頭は、大丈夫か?…
一瞬、思ったが、それが、矢田だった…
矢田トモコだった…
究極の愛されキャラ…
私など、足元にも、及ばない、愛されキャラだった…
矢田ほど、周囲の人間に愛されたひとは、見たことがなかった…
いや、
金輪際、出会うこともないだろう…
矢田トモコと、ここで、再会することで、ハッキリと、現実に戻ったことを実感したというか…
杉崎実業の内定を始めとした、騒動が、遠い過去のものに、思えた…
私の本来、属する世界に、帰って来たのだ…
私は、それを痛感した…
<完 >




