第四十夜 暴かれた嘘
警察署のロビーは、死者の底に沈んだような静寂と、ヒナの悲痛な嗚咽だけが支配していた。
要を殺したのは、俺たちだった。
あの夏の日、自分たちの罪を隠すために口を噤んだあの瞬間が、灼熱の車内に閉じ込められた小さな命のタイムリミットを決定づけていたのだ。
胃液が逆流するような吐き気に襲われ、俺は冷たいタイルの床に額を擦りつけるようにしてうずくまった。
隣では双葉が虚空を見つめて硬直しており、香織は自らの身体を抱きしめてガタガタと震え続けている。
「……娘さん。少し、いいかな」
重苦しい空気を切り裂くように、低く落ち着いた声が響いた。
顔を上げると、いつの間にか取調室から出てきていた山岡刑事が、泣き崩れるヒナを見下ろすように立っていた。
その手には、先ほどまで俺たちの聴取を記録していた分厚いファイルが握られている。
「あなたは……?」
ヒナが涙に濡れた顔を上げ、すがりつくように山岡刑事を睨みつけた。
「お父さんは被害者なの! この人たちに突然襲われて、要は死んだのよ! 早くこの人たちを逮捕してよ! 私はそのためだけにこの街に戻ってきたんだから!」
そう叫ぶヒナに少なくとも俺は自責の念からヒナの執念に戦慄した。
「お父さんからそう聞いたんだね。『森を散歩していたら、見知らぬ子供たちに突然襲われた』と」
しかし、山岡刑事の声には、事務的な冷たさと、微かな哀れみが混じっていた。
「雛子さん、と言ったね? 君には残酷なことを言うようだが……警察は三年前のあの日からずっと、お父さんの供述を疑っていたんだよ」
ヒナの泣き声が、ピタリと止まった。
俺も、双葉も、息を殺して山岡刑事の言葉に耳を傾けた。
「まず、お父さんの車が停められていた場所だ」
山岡刑事はファイルを一枚めくり、淡々と事実を告げた。
「あの場所は、オリエンテーリングのコースから完全に外れた、相楽橋の下の死角だった。ただ森を散歩して涼むだけなら、あんな人目のつかない場所にわざわざ車を隠すように停める理由はどこにもない」
「それは……たまたま、そこしか停められなかっただけで……!」
「それだけじゃない」
山岡刑事はヒナの反論を遮り、さらに決定的な事実を突きつけた。
「川から引き上げられたお父さんの右手には、何かを力一杯握りしめた痕跡があった。そして爪の間には、青い布地の細かい繊維が残されていたんだよ。
鑑定の結果、それは神阪小学校の女子児童が着る、指定ジャージの繊維と完全に一致した」
その瞬間、ロビーの端で黙り込んでいた奈央が、「あっ」と短く息を呑んだ。
三年前のあの日、奈央は手首を掴まれ、強引に橋の下へと引きずり込まれそうになった。
あの時、男の太い指が奈央のジャージに食い込んでいたのを、俺ははっきりと覚えている。
「警察は当初から、『見知らぬ女児を橋の下に引きずり込もうとし、抵抗された』という未成年者略取未遂の線で捜査していた。
だが、肝心の被害者側の子供たちが名乗り出なかったため、事件化できず『不幸な事故』として処理するしかなかったんだ」
山岡刑事はゆっくりと俺たちの方へ視線を向け、再びヒナの瞳を真っ直ぐに見据えた。
「そして今夜、彼らがすべてを自供したことで、警察が三年間抱えていたパズルのピースがようやく完全に埋まった」
山岡刑事の宣告が、冷酷なハンマーとなって振り下ろされた。
「……お父さんは、被害者じゃない。彼らは、女の子を守るために必死に抵抗しただけなんだよ」
「嘘……そんなの、嘘よ……」
ヒナは後ずさりし、力なく首を横に振った。
「雛子さん。事実は今話した通りだ。もう分かりなさい」
山岡刑事はため息をつき、残酷な真実のトドメを刺した。
「お父さんは、要くんを灼熱の車内に残したまま、身勝手な欲望のために女の子を襲おうとした。そして反撃され、意識を失った。……要くんを死なせた本当の元凶は、お父さん自身の身勝手な犯行なんだ」
「ああぁ……ああああぁぁっ……!」
ヒナの口から、言葉にならない絶叫が漏れた。
復讐の対象だと思っていた相手が、実は父親の卑劣な犯罪から身を守っただけの被害者だった。
そして、愛する弟の命を奪ったのは、彼らを突き落とした少年たちではなく、実の父親のどす黒い欲望だった。
信じていた大前提がすべて反転し、ヒナはその場にへたり込み、ボロボロと涙をこぼしながら床を掻きむしって泣き崩れた。
俺は、その姿から目を逸らすことができなかった。
俺たちは直接要を殺したわけじゃない。
だが、俺たちが嘘をついて逃げたことで、結果的に真実はねじ曲がり、ヒナという一人の少女の心をここまで壊してしまったのだ。
「……泣いている暇はないぞ、禎元くん」
山岡刑事が、床に這いつくばる俺の肩を強く叩いた。
「真実ははっきりした。これで、関さんを連れ去った犯人が『首藤』であることも確定的だ。……心当たりはないか? あいつが関さんを連れ込みそうな、身を隠せる場所だ」
俺はハッとして顔を上げた。
そうだ。今はまだ、終わっていない。
俺たちの嘘が招いた最悪の結末を、これ以上長引かせるわけにはいかない。
麻里奈は今、この瞬間も、弟を死なせた狂気と逆恨みの塊であるあの男と一緒にいるのだ。
「ヒナ!」
俺は立ち上がり、泣き崩れるヒナの両肩を強く掴んだ。
「お前のお父さんが……首藤が、麻里奈を連れて逃げ込みそうな場所、どこか知らないか!? 頼む、麻里奈が殺されちまう!」
俺の悲痛な叫びに、ヒナは涙と絶望でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、微かに唇を震わせた。




