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月は君を見ていた  作者: Tohna
月の章
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第三十九夜 復讐の理由

 三つの取調室で語られた真実は、警察署内でまたたく間に一本の線として繋ぎ合わされた。


 三年前に増尾川で起きた「身元不明の男の転落・重体事故」。


 そして今日、富士坂三丁目で起きた麻里奈の拉致事件。


 この二つが、同一人物による復讐劇であるという最悪の構図が、警察の前に浮かび上がったのだ。


 一通りの聴取を終え、俺は山岡刑事に連れられて廊下へ出た。


 そこには、別の部屋から出てきた双葉と、富沢警部補に付き添われた香織の姿があった。


 三人の視線が交差する。誰も言葉を発しなかったが、双葉の憑き物が落ちたような顔と、香織の静かな瞳を見れば、お互いが「すべてを話した」ことは痛いほど伝わってきた。


 ロビーの長椅子には、事情を知らない雄二と奈央、そして柊が青い顔をして座っていた。その端に、俯いて肩を震わせているヒナの姿があった。


「晴矢、双葉、香織。お前たち……」


 雄二が立ち上がりかけた時だった。


「……やっぱり、あなたたちだったのね」


 絞り出すような、ひどく冷たい声がロビーに響いた。


 ヒナだった。


 彼女はゆっくりと立ち上がり、ふらつく足取りで俺たちの前まで歩み寄ってきた。


 その瞳には、いつもの愛らしい笑顔は微塵もなく、ドロドロとした憎悪と深い悲しみが渦巻いていた。


「ヒナ……?」


 俺が戸惑いの声を上げた瞬間、ヒナの手が俺の頬を思い切り張り飛ばした。


 パァン、という乾いた音が署内に響き渡る。


「ヒナちゃん! 何をするの!」


 奈央が慌てて止めに入ろうとするが、ヒナはそれを振り払うように叫んだ。


「何よ! 関さんを攫ったのが私の『お父さん』だからって、被害者ぶらないでよ!」


 その言葉に、俺と双葉、香織は息を呑んだ。


 お父さん? あの男が、ヒナの父親だというのか?


 脳裏に、かつて母さんが言っていた言葉が蘇る。『雛子ちゃんのご両親、離婚したみたい』。じゃあ、あの男の名前は……首藤。


「……どういうことだ、ヒナ。あの男が、お前の……」


 双葉が青ざめた顔で問いかける。


(かなめ)の三回忌の日に、お父さんが言ったのよ!」


 ヒナは堰を切ったように、血を吐くような叫び声を上げた。


(えっ、要って……?)


「『森の中を散歩していたら、昔隣に住んでいた晴矢くんたちに突然襲われて、川に突き落とされた』って! 自分は何も悪くないのに、お前たちのせいで人生をめちゃくちゃにされたんだって!」


「違う! あれは……!」


 俺が反論しようとしたが、ヒナの次の言葉が、俺の喉を完全に凍りつかせた。


「あなたたちが突き落としたせいで! お父さんは頭の骨を折って、三週間も意識不明になった! ……その間、車の中に待たされていた要が、どうなったか分かる!?」


 要。そうだ。あの写真に写っていた、ヒナの弟の事だ。


 写真の中で、ヒナの隣で泣きそうな顔をして見上げていた、あの小さな男の子。


 背筋に、ぞっとするような悪寒が走った。


「真夏の、締め切った車の中よ……! お父さんが戻ってこないまま、要は誰にも見つけられずに……熱中症で死んだのよ!!」


 ヒナの絶叫が、警察署のロビーにビリビリと反響した。


 頭を、巨大なハンマーで殴りつけられたような衝撃だった。


 隣で香織が「あっ……」と短い悲鳴を上げ、膝から崩れ落ちた。双葉も目を見開き、呼吸を忘れたように固まっている。


「要を殺したのは、あなたたちよ……! あなたたちが自分たちの罪を隠して、のうのうと笑って生きている間、私は……私はどれだけ……!」


 ヒナは両手で顔を覆い、子供のように声を上げて泣き崩れた。


 その泣き声は、俺たちの鼓膜を、心を、容赦なく切り裂いていく。


 奈央を助けるためだった。自分たちの命を守るためだった。


 だが、その結果として、何も知らない幼い命が、灼熱の車内でどれほどの苦しみと恐怖の中で死んでいったのか。


 俺たちのついた「嘘」と「隠蔽」が、あの男の発見を遅らせ、確実に一つの命を奪っていたのだ。


(俺たちが、ヒナの弟を殺した……?)


 正当防衛だという言い訳すら、今はもう何の役にも立たない。


 視界がぐらりと揺れた。胃の奥から強烈な吐き気が込み上げてくる。


 俺は膝をつき、冷たいタイルの床に両手をついた。隣で、双葉も力なく壁に寄りかかり、香織は両手で耳を塞いで震え続けている。


 事情を知らない柊も、あまりの凄惨な事実に言葉を失い、ただ立ち尽くすことしかできなかった。


 深い絶望と、決して拭い去ることのできない罪悪感。


 ヒナがこの街に戻ってきた本当の理由。


 俺たちへの復讐の刃は、これ以上ないほど残酷な形で、俺たちの心臓を正確に貫いていた。

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