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第一夜 帰り道

 駐輪場を出て、俺と双葉、香織、麻里奈の四人は、同じ方向へ自転車を走らせながら他愛のない会話を続けていた。


「このダサいヘルメット、いつまで被んなきゃいけないのかなぁ」


 麻里奈が不満げにぼやく。


「卒業するまでずっとだよ。まあ、女子は髪形が命だもんな。気持ちは分かるぜ」


 俺は適当に相槌を打つ。


「雄二は良かったな。ヒナと同じ方向で」


 双葉がからかうように言うと、麻里奈がすかさず訂正した。


「そうじゃないでしょ。ヒナが気にしてるのは双葉だよ」


「なんでだよ?」


 俺はしまった、と内心舌打ちした。ヒナの目当てが双葉であることに気づいていたからだ。


「あ、いや……ヒナが雄二を好きにならないとも限らないだろ?」


「なんで晴矢、そんなに慌ててんの?」


 麻里奈の観察眼は鋭い。だが、ここで「ヒナはお前に気があるぞ」なんて言って、俺たちの間の微妙なバランスを崩したくなかった。


「ははは、なんでだろうな。そういや双葉、今週末のトレーニングマッチに向けての練習、今日はいいのか?」


 俺はあからさまに話題を逸らした。


「コーチから、これから河川敷のグラウンドに来いって言われてる。お前もだろ? 一緒に来いよ」


「わーったよ。明日から台風が来るって話だし、今日は俺も行く。ずっとベンチを温めてるわけにもいかないからな」


「晴矢もさぁ、そろそろ秘密兵器のままでいるのはどうかと思うよ」


 麻里奈がケラケラと笑う。


「何気にひどいこと言うよな」


「あはは、冗談。怒った?」


「麻里奈だって、そろそろ何か熱中できること見つけないと、つまらない人生になるぞ」


「そうよねえ。あたしと違って、晴矢はお医者様になるんですもの。ねえ、禎元(センセ)?」


「お前なぁ!」


 俺と麻里奈が軽口を叩き合っていると、「先生」という言葉で思い出したのか、前を走る香織がポツリとこぼした。


「ところで……太刀川(センセイ)が言ってたんだけど。明日、ウチのクラスに転校生が来るらしいわよ」


「マジで? 男? 女?」


 俺は聞き返した。


「男だって。東京の中野から来るみたい」


「へー、都会っ子か。この田舎街に馴染めるといいけどな」


 俺が言うと、双葉が前を向いたまま言った。


「晴矢、そいつを俺たちの仲間に誘ってみたらどうだ?」


「そうだな。いい奴だといいけど」


 日が暮れて急に冷え込んできた通学路を、四台の自転車が並んで走る。


「明日からは、五人になるのかな」


 麻里奈が小さく呟いた。遠くには、武蔵山市内のオレンジ色の灯りがぼんやりと滲んで見えた。


 俺たちは皆、新しい風がこの淀んだ空気を変えてくれることを、心のどこかで期待していたのかもしれない。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 一方その頃。雄二は、ヒナと奈央の三人で自転車を漕いでいた。


 ヒナと帰る方向が同じだったことは、雄二にとって幸運だった。


 だがそれは、ヒナという可愛らしい女子に興味があったから、というだけの理由ではない。


 いつもこの帰り道、奈央を送り届けるのは雄二の役目だった。


 だが、奈央は雄二と二人きりになると、きまって深い不安と恐怖に支配されたような顔になる。


 雄二はそれがたまらなく辛かった。


 学校で見せるあの快活な顔とはまるで別人の、凍りついたような表情。


 それを知っているのは、雄二だけだ。


 あの夜以来、奈央の屈託のない笑顔は嘘の皮を被ったものになり、二人きりになるとそれが剥がれ落ちる。


 不安そうに目を揺らし、口を一文字に結んで、ただひたすらにペダルを漕ぎ続けるだけの少女になってしまうのだ。


 以前、そんな痛々しい姿を見るに耐えかねて、雄二は一度だけ口出ししたことがあった。


『なあ、奈央。いつものお前らしくないよ。そういう暗い顔……』


 すると奈央は、泣き出しそうな顔でこう答えたのだ。


『ごめんね、雄二。六人ではしゃいでいる時は、あのことを忘れられるんだよ。でも……二人きりだと、どうしても、あの時のことを思い出して、怖くなっちゃって……』


『あの時のこと』。その言葉が、雄二の胸を鋭くえぐる。


『あの時……俺がもっと強ければ、奈央をあんな目に遭わせずに済んだのに』


『違うよ! 雄二が悪いんじゃない。それは分かってるの。……ただ、私、ずっと雄二に甘えてるんだよね』


『俺になら……別に、どんな顔見せてもいいよ。俺には、お前を守れなかった責任がある。でも、俺以外の奴には、そんな顔絶対に見せんなよ』


 そう言うと、奈央は深い溜め息を吐き、最後には顔をぐちゃぐちゃにして泣き出してしまった。


 事件以来、彼女の心はずっと限界ギリギリのところでひび割れていたのだ。


 弱り切った奈央を見るたび、雄二は己の無力さに絶望する。


 しかし、だからといって彼女を一人にすることなど絶対にできなかった。


 あの日、恐怖に怯える彼女の盾になれなかった負い目が、雄二を強く縛り付けている。


 この半年間、幾度となくその重苦しい帰り道を繰り返してきた。だが、今日は違う。ヒナがいるのだ。


「そ、それでさあ」


 雄二は努めて明るい声を出した。


「俺も、ヒナって呼んでいい?」


 突然の問いかけにヒナは少し驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうに頷いた。


「うん、いいよ。私も雄二くんって呼ぶね」


 その屈託のない笑顔に、雄二は胸が温かくなるのを感じた。


 同時に、ヒナの存在を利用して、奈央のトラウマから目を背けようとしている自分の卑怯さに自己嫌悪を覚えた。


「雄二はすっごくゲームが上手いんだよ? ヒナちゃんはゲームとかやるの?」


 ヒナという緩衝材がいるおかげで、奈央の声も普段通りに明るい。


「私、ゲーム機持ってないからやらないなあ。雄二くん、どんなゲームをやるの?」


「格闘のオンライン対戦だよ。結構強いぜ? 自分で言うのもなんだけどさ」


 雄二はオンラインゲーム『スタリオンサーガ』ではかなりの有名プレイヤーだった。


 酒屋の息子だからという安直な理由で、「スコッチ」というサインネームを名乗っている。


「へー、すごいな! 奈央ちゃんも詳しいみたいだけど、一緒にやるの?」


「ううん、私は見るのが好きなだけだよ」


 和やかな会話を続けているうちに、塔ノ沢の二股の交差点に差し掛かった。


 そこを右へ三十メートルほど進めば、雄二の実家である荒巻酒店だ。


「俺、ここだから。じゃあな、奈央、ヒナ」


「雄二くん、今日はありがとう!」


「どういたしましてだよ! また明日な!」


 雄二は自転車を止め、二人の背中を見送ろうとした。


 その時、ふと奈央が振り返った。


 雄二と目が合った瞬間、奈央の顔から「明るい女子中学生」の仮面がスッと剥がれ落ちた。


 やはり、ヒナと別れて一人になる残りの帰り道が怖いのだ。


 今にも泣き出しそうな、あの脆く壊れそうな『本当の奈央』の顔がそこにあった。


 見なかったフリをして、店に入ろうと思った。でも、できなかった。


「奈央!」


 雄二は大きな声で引き留めた。


「俺、これから双葉たちと河川敷のグラウンドに練習に行くんだ。お前、夜に家から出れるか?」


「えっ!?」


「お前もたまには見に来いよ。な? 一緒に行こうぜ」


 それは、彼女を暗闇の中で一人にさせないための、雄二なりの不器用な優しさだった。


 奈央は少しだけヒナの顔を気にしながら、こくりと頷いた。


「うん……お母さんに聞いてみる。大丈夫だったら電話するね」


「オッケー! 待ってるからな!」


 そのやり取りを隣で聞いていたヒナは、ふと自分だけが蚊帳の外に取り残されたような、冷たい疎外感を感じていた。


(やっぱり私……あの六人の中では、まだまだよそ者なんだね……)


 仲の良さそうに見える彼らの間に、誰も立ち入ることのできない高い壁がある。


 ヒナは奈央に聞こえないように、心の中で小さく呟いた。

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