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プロローグ

以前投稿していた小説をリライトしたうえで続きを加えて完結させたものです。

ミステリー仕立てになっていますが、青春群像劇としてお楽しみいただければ幸いです。

「遅いよ、晴矢(はるや)! 何やってたのよー!」


「おい、遅いぞ晴矢」


 旧校舎の二階にある、薄暗い放課後の自習室。軋むドアを開けると、案の定、奈央(なお)双葉(ふたば)から非難の声が飛んできた。


 俺たち六人は、小学校五、六年の時に同じクラスだった。


 中学に上がってからも、約束などしなくても、放課後になれば自然とこの古びた自習室に集まるようになっている。


 他の生徒があまり寄り付かないこの場所は、俺たちにとって誰にも踏み込まれない『安全な箱』だった。


 ただ、今日だけはいつもと少し事情が違った。俺の背中に隠れるようにして、見慣れない『よそ者』が一人ついてきていたからだ。


「あれー? そちらは、D組の小山さんだよね?」


 目敏く気づいた麻里奈(まりな)が、遠慮のない声を上げる。


 俺の背中からおずおずと顔を出した小山 雛子(こやま ひなこ)は、小柄で色白の、ちょっと目を引くような可愛い顔立ちをした女子だった。


「晴矢、小山さん連れてきてどうしたんだ?」


 チビのくせに惚れっぽい雄二(ゆうじ)が、たちまち興味津々な顔になる。


「いや、俺たちと仲間になりたいって言うから。ほら、ここ座りなよ」


 俺は気まずさを誤魔化しながら、雛子に空いているパイプ椅子を勧めた。


 実はさっき廊下で初めて声をかけられたばかりなのだが、彼女の顔を見た時、心の奥底でチクリと妙な既視感が疼いた。


 どこかで会った気がするが、どうしても思い出せない。


「こ、小山 雛子です! みんな幼馴染で仲良い所に、私みたいなよそ者が入ったら……迷惑だよね?」


 雛子は椅子に座ろうとせず、直立不動のまま不安そうに俺たちを見回した。


「そんな事ないよー! 大歓迎だよね? 香織(かおり)?」


 空気を明るくしようと声を上げたのは奈央だ。大きな瞳とボブにした栗毛が特徴的で、いつもコロコロと笑う屈託のなさが男子にも人気がある。


 だが、彼女のその過剰な明るさも、あの林間学校の夜以来、どこか必死に取り繕っているように俺には見えていた。


「だめだという理由はないわ」


 窓際の席で本を開いていた三谷 香織(みや かおり)が、視線も上げずに冷たい声で答えた。


 こんな棘のあることをサラリと言ってのけるため誤解されがちだが、彼女は決して他意があって冷たくしているわけではない。


 他人と深く関わることを極端に恐れているのだ。


 俺たちは皆、その理由を痛いほど知っている。


 案の定、雛子は香織の拒絶するような空気に怯え、肩をすくめた。


「ほらー、香織。小山さん困った顔してるじゃん」


 すかさずフォローに入ったのは雄二だ。実家が酒屋『荒巻酒店』の次男坊で、根っからの「いい奴」である。


「それで小山さん、なんで俺たちなんかに興味あるの?」


 どうやら雄二はすっかり雛子を気に入ったようだが、残念ながら勝ち目はない。


 さっき声をかけられた時の第一声が「但馬君といつも一緒にいるよね?」だったからだ。


 雛子の目当ては間違いなく双葉だった。


 双葉は市議会議員・但馬 一穂(たじま かずほ)の息子であり、地元クラブチームのエースストライカーだ。ベンチを温めてばかりの「秘密兵器」である俺や雄二とは、最初から住む世界が違う。


「小山さんさあ、本当は誰かこの中に好きな人でもいるんじゃないの?」


 突然、麻里奈が核心を突くようなことを言った。切り揃えた前髪の下から、値踏みするような鋭い視線を向ける。


 思ったことをズケズケと言う性格の麻里奈は、こうやって自分たちの「安全圏」を脅かすよそ者に対しては特に警戒心が強い。


「ちちち、違うよぉ! そんなんじゃないってば!」


 図星を突かれたらしい雛子は、顔を真っ赤にして両手を激しく振って否定した。


「小山さん顔真っ赤だよ? 本当のこと言っちゃいなって!」


「ほ、本当に違うよ! 私、D組ではあまり友達がいなくて……だから、この自習室でみんなが楽しそうにしてるのを見て、羨ましかったんだ」


「あそこにD組の人たち歩いてるけど。そんなこと言ってると、余計に孤立するんじゃない?」


 香織が再び容赦のない直球を投げ込んだ。あまりの身も蓋もなさに、俺と雄二は思わず顔を見合わせた。案の定、雛子はすっかり萎縮して俯いてしまった。


「お、おい香織! 言い方ってモンがあるだろ。小山さんが仲間になってくれて俺は嬉しいぜ?」


 雄二が必死にフォローする。俺も慌てて口を開いた。


「そ、そうだよ。せっかく勇気出して、俺たちんところに来てくれたんだし」


 これ以上、誰も傷つけたくない。あの夜から、俺たちは些細な波風が立つことすら極端に恐れるようになっていた。

 

「……小山さん、ごめんなさいね」


 不意に、香織が少しだけ声のトーンを落として言った。


「クラスでは、私『コミュ障』って言われてるの。だからキツい言い方になっちゃったけど、私もあなたと友達になれて嬉しいのよ」


 その不器用な歩み寄りに、緊張で強張っていた雛子の顔が、ふわりと綻んだ。


 香織の本当の心を理解するのは難しい。彼女が他人に壁を作るのは、自らの手でバットを振り下ろしたあの夜の感触が、今も彼女を深く蝕んでいるからだ。


「ところでさ、小山さん……あ、ヒナって呼んでもいいかな?」


 空気が和らいだのを見計らって、奈央が明るく切り出した。


「う、うん」


「ヒナは、なんで晴矢に声かけたの?」


「うーんと、禎元(さだもと)君は覚えてないみたいだったけど……」


「あー、俺のことも晴矢でいいぜ?」


「うん、分かった。晴矢君とはね、実は昔、お隣さんだったんだ。もしかしたら覚えててくれてるかなって思ったんだけど」


「お隣さん? ……だから会ったことがある気がしたのか!」


 俺は目を丸くした。


「マジかよ。ヒナ、俺に声かけた時、そんなこと一言も言わなかったじゃん!」


「晴矢、随分と冷たい男だなあ」とニヤニヤ笑う麻里奈。


「せっかく勇気出して声かけたのに、覚えてないんじゃヒナが気の毒だ」


 腕を組んだ双葉からも、クールなダメ出しが飛んでくる。


 「ヒナ」と呼ばれ、彼女は照れたように顔を赤くしていた。


 見ているこっちが恥ずかしくなるほど純粋な反応だ。


 こいつはきっと、俺たちみたいに醜い嘘なんてつけない、悪いことのできない奴に違いない。


「と、とにかくすまん。小学生より前のことなんて、あまり覚えてなくてさ」


 俺は必死に弁解した。


「でも、確かに隣の家に女の子と、小さな男の子がいて、よく一緒に遊んだような気がする。……でも、確かその子たちの苗字、『首藤』って名前じゃなかったか?」


「あ……私の両親、私が小学生になる前に離婚したんだ。小山は、お母さんの旧姓だよ」


 努めて明るく振る舞うヒナの言葉に、俺たちは少しホッとして、同時に変なことを聞いてしまったと押し黙ってしまった。


「ご、ごめんヒナ。俺、無神経なこと言ったよな」


「ううん、大丈夫だよ。また富士坂に戻ってこれて晴矢君に会えたし、みんなとも友達になれたから」


 ヒナは気にしていないように微笑んだ。良かった、変な空気にならなくて。そう安堵した刹那、ヒナの口からとんでもない爆弾が投下された。


「そう言えば、アタシ、晴矢君とはいーっぱい遊んだよ。お医者さんごっことかして」


 自習室の空気が、今度こそ完全に凍りついた。


 俺は脳内の処理が追いつかず、めでたく社会的に死亡した。


「晴矢ぁ! お前って奴は! ゆ、許せねえぇ!」


 裏切られた雄二が涙目になりながら、俺の制服の襟元を掴んで激しく揺さぶってくる。


「死ねば?」

 

 と、ゴミを見るような麻里奈の目。


「やだー、晴矢、変態っ!」


 と奈央。


 密かに想いを寄せている奈央に言われるのは、精神的にかなりキツい。


「お、俺そんなことした!? え、本当かよ。ヒナ、いや小山さん!?」


 ひっくり返った声で、俺はどうにかそう絞り出した。


 すると、ヒナは耐えきれなくなったようにクスクスと吹き出し、イタズラっぽく舌を出した。


 前言を撤回する。こいつは絶対に、悪いことも平気でできる奴だ。


「お前! そりゃあないぞ!」


 俺も涙目になってヒナの肩を揺さぶってやろうかと思ったが、セクハラの二次被害を防ぐために必死で思い止まった。


「お、もうこんな時間か。晴矢が幼女に手を出す犯罪者予備軍だってことがわかったところで、そろそろ帰るか」


 双葉が時計を見ながら、とんでもなく酷いことをサラリと言い放つ。


「ヒナの家はどの辺なの?」


「私、塔ノ沢。上倉神社の近くだよ」


「えー本当? 奈央の家から近いよ。じゃあ一緒に帰ろうよ!」


 帰り支度をしながら、奈央とヒナはすっかり昔からの友達のように打ち解けていた。


 薄暗くなった駐輪場で、それぞれが自分の自転車に跨がる。


「じゃあな、また明日!」


「それじゃあね!」


「バイバイ!」


 俺たちは手を振り合い、二つの方向へと別れていった。


 西の空では、すでに日が山の稜線に没しようとしていた。


 空には白く薄い月が浮かび、何も知らないよそ者を招き入れた俺たちを見下ろしている。


 まるで、俺たちが抱える真っ暗な秘密を、すべて見透かしているかのように。


 首筋を、冷たい風が撫でていった。

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