第8話:「おじいさんは青年から老人に」
二人は山の中に小さな家を建てました。
夫婦になってからというもの、山姥は献身的な妻になりました。
それは、山の上から長年村を見てきた経験から生まれた、完璧な妻の姿でした。
旦那である青年はというと、山での仕事や行商の合間に、来る日も来る日も、妻である山姥をあの手この手で殺そうと試みておりました。
ある日、
「おーい、五右衛門風呂の用意ができたぞー」と、妻を呼び、外で薪をくべ、百度近くにまで熱した湯に妻が入るのを待っておりました。
しかし、妻は湯に入るやいなや、
「いい湯加減ですね~。ありがとうございます、旦那様。」
と言う始末でした。
「おぉぅ、少し熱くはないかい。」
「いえいえ、少しぬるいぐらいがちょうどいいですよ。」
まるで普通の家の会話が、湯気の向こうから聞こえてきたのでした。
またある日には、
「今日は山に入ってみないか?一人じゃ採れる山菜も少なくなるから、手伝ってほしいんだ。」と、妻を誘い、二人で山道を進みました。
中腹に差しかかると、竹林で休むことにしました。
休憩中、旦那は山道の上へ急いで登り、あらかじめ仕掛けておいた直径二メートルほどの岩を、妻めがけて転がしました。
衝撃音のした方を見ると、岩は真っ二つに割れておりました。
妻は微笑みながら、
「旦那様、この割れ目を見てください。アンモナイトの化石ですよ。」
などと言い、岩から化石部分を素手でくり抜いておりました。
「こ、これは……また立派な化石ですね。私たちも、いつか化石になるのでしょうか。」
旦那が何気ない一言を口にすると、
「旦那様、生きた化石である私に言われても困りますよ。」と、山姥ジョークを返してきたのでした。
――そんな生きてんの、俺の妻。
驚愕の顔を必死に隠しながら、
「あっはは、そうでしたね。」と、生返事を返すのでした。
そんな日々が数十年続きました。
ときには自分の仕掛けに自ら引っかかり、ときには妻の冗談に返り討ちにあいながら、月日は静かに流れていきました。
結局、妻である山姥を殺すことはできず、あの村への復讐の方法も見つけられないままでした。
――俺は、この数十年間、何をやっていたんだろう。
縁側で雲を見ながら、旦那は思いに更けておりました。
そのとき、
「旦那様、ご相談があります。」と、妻が後ろから声をかけました。
「なんですか。」
「私は山姥ですから、人と比べると老いるのが遅いのです。でも、普通は夫婦で老いると『おじいさん』『おばあさん』と呼び合うのでしょう?」
「人は、そうですね。」
「私たちも、もういい歳ですし、『おじいさん』『おばあさん』で呼び合いませんか。」
「俺も年を取りましたから、『わし』とか『~じゃ』とか、一度は使ってみたかったのです。一人だけ早く老いていくのは申し訳ないですが……」
「では今度からは、『おじいさん』『おばあさん』として、ですね。」
少し嬉しそうに、妻は言いました。
「なんだか、人の生活は楽しいですね、おじいさん。」
「そうじゃな、おばあさん。」
縁側から居間を抜け、玄関へと流れる山の風は、二人の頬を撫でながら、新たな呼び名を祝福するかのように吹き抜けていったのでした。




