エピローグ2 ルル編 決断
「ぴよぴよ!!!」
火の大精霊マッチの号令が響く。
火の精霊たちは迷いなく動いた。
光り輝く魔法陣に一斉に飛び込んでいく。
火の粉が爆ぜるような音と共に、ひよこたちは生命の木の一部へ新たな「根っこ」を伸ばし始めた。
その根は、記憶の遺跡の石板へと次々と突き刺さる。
「……あれ? こんなの無かったはずなのに?」
記憶の遺跡の石板のわずかな違和感。
ルルは指先を静かにかざした。ルルが知っている魔力とは違う。
ねっとりとまとわりつくような、異質な力。
慎重にその魔力を紐解いていく。それは意思を持つ粘りのようだった。
その時、指に棘が刺さったような、鋭い痛みを感じた。
何かがおかしい。
その痛みから、時間が勝手に動き出している。
その粘りはルルの指先に噛みつくと、彼女の身体を苗床にしようと、肉の奥深くへと根を生やす。
指先から「ぴちゃり……みちり……」と音が鳴った。
ルルは覚悟を決めた。
その粘りの同化を受け入れながら、その脈動の元へと意識を沈めていく。
ルルの意識の境界線が消えていく。
自分の意思か、それとも『粘り』の意思なのか。
その混沌から、言葉が、ルルの頭に直接語りかけてきた。
『私はね、この世界を。みんなが安心して育つためのやさしい箱として設計した。子どもにも迷わないように、道順を描いてあげるだろう?』
『君たちは、勝手に生きて、勝手に増えて、勝手に育つ、“幸せな家畜”である。私は君たちが無理をしないよう、死にすぎないように、気を付けてこの世界を創造した』
『決まりは一つだけ。私に面倒を起こさないこと。すべての因子を持つものは早々と殺されるように。またピリリと辛い極上のスパイスとなるハイエルフたちは赤子で生成する。けして、全滅しないように。それと、魔物たちも縄張りから出ないように』
『偽の女神の信仰も置いておこう。家畜は虚構の女神から生き方を学ぶとよい』
『私を、親を大事にすること。それは子の務めである。そして、私のために美味しく成熟するように。私は心から君たちを応援する。では、百年後の私の食卓で再開しよう。愛しき子どもたちよ』
***
ルルは冷たい床に座り込んでいた。
遺跡の奥をぼんやりと眺めていた。
思考だけが、妙に静かだった。
無意識に、マクラとフトンが描いた手紙へ指が伸びた。
ぐしゃぐしゃな線。不格好な笑顔。「るるがんばれ」と、震えた文字。
ルルはその手紙をゆっくりとなでた。
「……」
長い沈黙のあと、ルルは静かに片足で立ち上がる。
身体の右側の感覚はない。
ルルは苗床になっている自身の身体を見つめる
――どす黒くうねうねとした右半分。
そして、彼女は動かせる左手で魔力を流し始めた。
その手紙には――『裏ログ調査チェックリスト』と書かれていた。
手紙の文字がルルの魔力と繋がると、ふわりと踊り出す。
意志を持つように走るその足跡が魔力の線となり伸びていく。
その線は一つの幾何学模様を象っていく。
描き出された模様の隙間から伝わってくる。
生きているわけでも、死んでいるわけでもない。
ただ『消えてない』。
それは、異常な残留だった
世界を食らう者に飲み込まれた者たちの最後の断末魔。
その一つ一つが魔法陣にべったりと絡みつく。
世界を食らう者は、飲み込んだすべてを完全には消化しなかった。
その残骸をあえて腹の中に閉じ込めていた。
別の熱がふつりと立ち上がる。
ルルはその熱を知っていた。それは2回目だ。
激情――
ルルを侵食していた『粘り』が一瞬で蒸発した。
どくり、と心臓が跳ねた。
怒りもある。恐怖もある。
その荒れ狂う感情の濁流の奥へ、己の意識をどこまでも深く沈める。
ルルの身体が、真紅の光を帯びていく。
激情の炎ではない。暴走の赤でもない。
世界から承認された魔力。
女神の言葉。
そこへ、ルル自身の感情が静かに重なっていく。
フー、スー。
フー、スー……。
呼吸だけが、ゆっくりと整っていく。
ルルは手紙に描かれた文字を見つめ続けた。
――その時だった。
小さな震えが、肩に伝わる。
ルルはゆっくり視線を向けた。
そこには、大妖精フレアリスがいた。
小さな腕で、必死にルルの肩へしがみついている。
今にも泣きそうな顔だった。
彼女は、最初からそこにいた。
ずっとルルを支えていた。
なのに、気づかなかった。
「……フレアリス、ごめん」
ルルはそっと、彼女を包む。
「ありがとう。もう大丈夫……」
その言葉を最後に、ルルの瞳から色が消えた。
黒いノイズの奥に潜んでいた痕跡を探す。
何かが鋭く一点だけ反応した。
粘つくゆらぎ。
ルルはそれをたどる。
星々が導いた。
――いる
“それ”は、すでにそこにいた。
巨大すぎて、輪郭が曖昧だった。
観測するたび、形がずれる。
常にこちらを見ている。
笑っているようにも、食べたそうにも見えた。
ルルは意識を集中した。
全ての存在が許される領域に片手を添える。
魔力がその一点へ収束した。
――消えろ
だが、届かなかった。
まるで深海に針を落としたように、ルルの魔力が沈んで消えた。
ルルは静かに息を吐いた。
胸の奥の熱が、ゆっくり冷えていく。
「……プロテクト、ですか」
ルルは視線を再び奥へ向けた。
あるのは、血だまりのような赤黒い“ぬかるみ”だけだった。
ルルはその前に膝をつく。
そして、静かに指先を沈めた。
ぬるり、と。
指にまとわりつく。
かつてスーだったもの。
「どうやら師匠の方法が、正しかったようですね」
赤黒いぬかるみの奥で、
ブクッ――
粘つく泡が、ひとつだけ弾けた。
***
「ルルさん、私を使ってください!」
火の大精霊マッチが小さな手を挙げた。
その炎のゆらぎは、どこか心配げに揺れている。
「……ありがとう。だけど、それはダメ」
「マッチ、あなが消えたらこの世界の火が完全に消えます。大精霊なのですから……もっと威厳とか、そろそろ持ってください」
彼の魔力はこの世界と繋がることで存在している。
この世界を離れた瞬間にマッチの魔力は消えてしまう。
「みんな、私がやるから大丈夫です。私はこの世界の外へ手を伸ばせる、ただ一人の術者です」
—— 私は、あの時。
家族と一緒に死ぬはずだった。
それでも生き残った。
なら、この命は—— 今だ。
「私はルル。ここに存在するすべての魔力へ宣言します」
「一つ、この身を捧げ”すべてを食らう者”に——」
——ピシ。
何かが、割れた。
いや。
割れたのは、私の決意だ。
「やあ。久しぶりだね、ルル」
涼やかな声が落ちてくる。
その瞬間、世界の静止に”ノイズ”が走った。
私の覚悟が、軟化していく。
時間が凍結している空間に、足音が響く。
コツ。
コツ。
止まったはずの世界で。
こちらへ歩いてくる。
——傍観者。
すべてを見届けながら、決して干渉しない存在。
そのはずだった。
なのに今、そいつは。
まっすぐと、私を見ていた。




