エピローグ1 ルル編 覚醒
これは、かつて『へっぽこ』と冒険者たちから呼ばれた魔導士が、世界そのものに指をかけた話である。
***
その日が来た。
スーが生命の木になる——その運命の瞬間を前に、ルルは静かに息を吸い込んだ。
勝てば未来は繋がり、負ければ世界は食われて終わる。
だが、どちらに転んでもスーが人として戻る可能性はない。
ルルはスーの真意に気づいていた。
マクラとフトンの『並列化の記憶』を覗いた。
スーは生命の木となった後、自身を媒体にして巨大な魔力の塊となり、「世界を食らう者」に捧げるつもりだった。内側から食い尽くすために。それはあまりにも彼女らしくなかった。
彼女は元AIであり、前の世界での『やらかし』でこの世界へ転移してきたと語った。ルルはAIというのは「精霊」に近いものだと認識していた。昔、母親に読んでもらった、掟をやぶって追放された精霊の話を思い出す。
ルルはスーにその話をした。
「その続きはないのか?」
「家の本にはなかったです」
「なるほど、ではこういうのはどうだろう?」
彼女は物語の続きを語ってくれた。
その精霊は一人の女の子に出会う。
二人は冒険をする。
そんな冒険劇を彼女はルルに話した。
ルルが話の続きをねだると、すぐに続きを語ってくれた。
それは、ルルの母親がしてくれたことでもあった。
ルルの胸に焼き付いているのは、あの日の、何かを諦めたような、それでいて満足そうなスーの顔だった。
「……」
自分の命よりも、この世界に生きる人々の未来を。
スーは結局、その計画を最期まで誰にも明かさなかった。
***
ルルが生成した魔法陣の塔に、世界の魔力が注ぎ込まれている。
そのひとつひとつに、明確な意識が宿っていた。
救いたい。
守りたい。
食われたくない。
その想いがすべて、ルルと繋がっていく。
ルルは目を閉じた。
震える声を抑え込み、はっきりと宣言をした。
「今回は私がやります。絶対に……やってやります」
その瞬間だった。
「———————」
心臓に響く音が。
ルルの唇から無意識に零れ落ちる。
空気が震える。
足元の大地に亀裂が走る。
魔法陣の塔が、生き物のように脈打ち始めた。
これは女神の言葉——その意味はただ一つ。
「食われる前に、食いなさい」
直後、世界が白く弾けた。
髪はふわりと浮き上がり、衣の端も光の風に揺れる。
精霊たちは動きを止めた。
本能が理解したのだ。
今ここに、別の存在が生まれたと。
***
「生命の木、確認。距離三百キロ……精霊に反応」
地中深くから、溶岩の精霊ラヴァルゴンの声が結界に響いた。
地層深くに配置した精霊に、生命の木が食いついてきていた。
「最終工程に入ります。ブレイザール、カウントしてください」
ルルが指示すると、炉の精霊ブレイザールは甲高い声で告げ始める。
その姿は手の平サイズの重騎兵のようだが、そこに宿る戦意は鋭い。
「カウント開始、46……誤差修正、32──29──」
「マッチ、全力で魔力を伸ばして。制御は私がやります。地形も無視して。こっちから掴みにいきます」
マッチはすべての溶岩を媒体に魔力を光線のように伸ばした。
溶岩で焼けた大地の地中を貫いていく。
彼女の気配がわかる。
焼け崩れた腕を自ら食らい、再生しながら突き進んでいる。
声にならない声──
──捕まえた。
接続、固定。
ルルは指先を弾く。
魔法陣の塔が『カチリ』と反応した。
──止まれ。世界。
音もなく。
世界が閉じた。
***
「ルル!」
「マクラ! 師匠は? 大丈夫なの?」
「問題ないよ。意識だけは繋がっている。自分の身体を食べることがすごく嫌みたい。なんでだろう? 美味しいのに」
「まあ、自分の身体を食べるのが好きな人は、いないからね」
「それよりルル! マクラと一緒に書いた僕らの初めての手紙」
「あー! ありがとう。じゃあ私からはこれ」
ルルがマクラのぐちゃぐちゃになった顔に手をかざすと、手のひらから溢れた魔法陣が、水のようにその輪郭へ染み込んでいく。次の瞬間には、見慣れたいつもの顔に戻っていた。
「マクラはしばらく休んでいて。後で、合図を送るから」
***
「ル、ルル! 本当に止まってる! ほら、溶岩が!動いていない!」
火の大妖精フレアリスが飛び回りながら叫ぶ。
その声だけが、沈黙の世界に響いた。
……世界は、意外と素直なんですね。
ルルは唇の端だけで笑う。
「では──世界を食らう者、討伐作戦を開始します」
そして、表情を鋭く引き締めた。
「第一部隊から第八部隊へ。予定通り生命の木に介入を実行します。準備してください」
「マッチ! 火の生成装置の権限移行をお願いします」
「了解した。では我が守護神、古のレッドドラゴン、カーマグナスよ! 共にあれくるうだろう火の生成装置を鎮めようじゃないか!」
マッチは卵のままのカーマグナスを、重そうに持ち上げた。
誇らしげに頭に乗せると火の生成装置へと向かった。
「我は結界の外で皆を守ることにしよう!時が動いたとき、我は最大の盾となるであろう!」
炉の精霊ブレイザールは甲高い声をあげながら走り出した。結界の外に出る前に立ち止まり、雄々しいポーズを決めるとぴょんと飛び跳ねる。
ブレイザールはポーズを決めたまま、結界の外で動かなくなった。
「ルル!私はあなたの肩に座って応援するわ!」
火の大妖精フレアリスはそう言うと、光の羽を揺らしながらルルの肩にちょこんと座った。
……うん、みんな協力してくれている。
一人ではない気がするだけで、ありがたい。
彼女の肩に乗るフレアリスの温もりが、張り詰めた精神をわずかに緩ませる。
「さて、と」
ルルは再び集中し、止まった世界へと意識を向ける。
——ここからが私の出番です。生命の木に介入します。




