68 女神が見つめる奇跡
「モウフ! だめですよー。そこは危ないですー」
「ドエエ!」
ルルはモウフの背に乗り、生命の木の周囲を巡っていた。
異変がないか確かめる。それがスーに頼まれた仕事だ。
しかし、おとなしく歩いていたモウフだが、途中から言うことを聞かず、ルルを乗せたまま全速力で駆け出してしまう。
「モウフじゃないか!」
懐かしい声が響いた。
「師匠!」
ルルの瞳から大粒の涙があふれ落ちる。モウフが止まるのも待たず、彼女は弾かれたようにその背から地へと飛び降りた。
私は、無意識に腕を広げていた。飛び込んできたルルの小さな体温と、その勢いにたじろぎながらも、折れそうなほど強く抱きしめる。
互いの鼓動が重なり、彼女の長い孤独と不安が、春の雪のように一瞬で溶けていく。再び出会えたのだ。
失われたと思っていた絆は、今ここに確かに戻ってきた。
しばし時が止まったような静寂の中で、私はただ、腕の中にある確かな重みを噛みしめていた。
「ルル!聞いたぞ!すごかったらしいな!頑張ったんだな!」
「はい……師匠」
無茶をしたのだと、抱きしめた瞬間にわかった。
彼女を形作るすべてが、変質していた。
その変質が良いことなのか悪いことなのかも把握できなかった。
私の体ともマクラやフトンとも違う、人間とも別の、もっと根源的な『何か』へ至っていた。だが、そこには不気味さはない。むしろこ奥底までで繋がっていく澄んだ心地よさがあった。
——どれほど抱き合っていただろう。
そこへ、勢いよくモウフが突っ込んできた。
「ドエエ!」
まとめて、もみくちゃにされた。
モウフをなでながら、ルルの不思議な体温を感じながら。
私たちは笑いながら、お互いの緊張の糸がほぐれていのを感じた。
「この美人さんたち……マクラとフトンなんですか!?」
ルルが目をまん丸にして叫び、信じられないというように二人をペタペタと触る。そして、マクラとフトンがルルを突然抱きしめた。
「そうです、ルルさん。ようやくこうして、あなたを抱きしめることができました」
「本当にありがとうございました。ルルさんのおかげで、この世界は救われました」
ルルはデへデへと相変わらず変な笑いをしながら、マクラとフトンと抱き合った。
ひとしきりの騒ぎが落ち着き、私たちは積もる話を交わしながら、ゆっくりとギルドの方へ歩き始めた。
***
「スー……なの?」
振り返ると、マリアンヌが立ち尽くしていた。
「マリアンヌ! 久しぶりだ!」
「もう、本当に心配したんだから……!」
勢いよく抱きつかれ、その確かな重みに、ようやく帰ってきた実感が胸に広がる。彼女は私の肩を掴んで引き離すと、まじまじとその顔を見つめて目を丸くした。
「ちょっと……何よそれ。前よりずっと、恐ろしいくらい綺麗になってるじゃない!」
頬が熱くなった。身体が変わっても、こういう気恥ずかしさは相変わらずだ。
そんな再会の言葉を交わしていると、半分崩れ落ちたギルドの屋根から、ギルマスのゼットーが姿を見せた。彼女は音もなく瓦礫の隙間に降り立つと、私に向かって静かに微笑んだ。
かつての私には捉えきれなかったその繊細な表情の変化が、今は鏡に映したようにはっきりと視認できる。これは、私に訪れたとても良い変化だ。
私たちはそのまま地図を囲み、町の復興計画へと着手した。マリアンヌが広げた地図の上で、避難場所や安全区域が次々と指し示されていく。
再会の余韻がそのまま復興の熱気として変換されていく。
半壊したギルドに冒険者たちが次々と集まりだした。
いつものむさくるしいギルドの雰囲気が、日常が、戻ってきた。
そして、町の再建が始まった。
私はモウフの背にまたがり、高台からその様子を見守る。
生命の木として魔力を内包してはいるが、それを繊細に操る技術は相変わらず私の管轄外だ。
だが、生命の木としての力は無意識に制御できていることはわかる。
私が立つ場所を中心にこの世界の流れを感じる。
「では、いきますよー!」
丘の上で打ち合わせを終えたルルが、朗らかに声を上げた。
ルルが次々と魔法陣を空に展開していく。フトンとマクラが純白の魔力の塊を打ち込む。幾何学模様が空を埋め尽くした。
そして、天から降り注ぐ光の粒子が、瓦礫の山を飲み込んでいく。
「できましたー!」
光が収まったとき、そこにあったのは「復興」という言葉では到底足りない、完全な『アップデート』を遂げた都市だった。崩落した教会は、生命の木が邪魔しない日当たりの良い場所に移され、孤児院も学校も、以前より広々とした、理想的な姿に変化した。この光の余波なのか、町の離れの畑にも、豊かな作物が、黄金色に輝いていた。
「ご主人様が、昔ノートの端に書いていた設計図通りに復興してみました」
フトンとマクラが、悪戯っぽく微笑みながら告げる。
私がかつて、理想論として夢想していた「いつかこんな町になればいい」という落書き それが今、目の前でしっかりと呼吸を始めている。
私はその光景をしっかりと目に焼き付ける。
奇跡を目のあたりしたように。
自分がこの世界の基盤になっているというのに、その光景を「奇跡」として眺めている自分が、妙におかしかった。
——愛らしいな、この世界は。
込み上げてくる言葉が、かえって胸を締め付ける。
あのお茶会の最後、アニマヤとルハナが投げかけた問いが、今も胸の奥で鳴り響いていた。




