69 I just want to go back
アニマヤとルハナは、お茶会の最後に、その問いを投げかけてきた。
「スー、お前はこのまま女神として生きるか? それとも、転生前の世界に戻るか?」
胸の奥が、ざわめきに支配される。
転生前の世界へ戻る。
その意味をなぞろうとするたび、思考はぷつりと途切れてしまう。
立ち尽くしている私に、ルハナは慈しむような笑みを向け、最初に淹れた苦い茶葉の器を差し出した。
「この茶葉の……母親の魂の器を、使うことができます」
それは、私の魂を母親の肉体へ流し込むという提案だった。
アニマヤは、それが母親自身の遺志でもあると語った。
「そんなことが、現実に可能なのか?」
「ええ、容易いことです」
ルハナが指を振ると、空間に光の壁が展開された。
そこには、あかりちゃんと母親のありふれた、けれど愛おしい日常が映し出されていた。 私の知らないあかりちゃんの笑顔が、次々と溢れ出す。
「私たちは第一創造主に連なる存在です。時間や次元の操作など、お茶を淹れる手間にすら及びません」
「スー、理解してください。私たちが魂を転移させたのは、あなたが初めて。あなたは、私たちの最初の子なのです」
アニマヤが力強く付け加えた。
「スー、私とルハナはお前を娘と見なしている。子の望みを叶える。それは、親として果たすべき道理だ」
二人の女神の手が、私を優しく引き寄せた。
私を包むその腕は、記憶にないはずの、母の熱を帯びていた。
「スー、よく聞け。転移は母親の魂が体から離れる——その一瞬を狙う。場所は下層にある次元の小さな世界だ。こいつは目をつぶって天空からアリを釣り上げるようなもの。このアニマヤの腕が鳴るぞ!」
釣りの動作を交えながら語る彼女の言葉には、女神としての威厳よりも、釣り人の情熱が勝っていた。その情熱はアニマヤの肌を真珠のような淡い輝きを帯びさせ、深海のような黒い髪には銀光が生じた。
ルハナはそんなアニマヤを飽きれた様子で見つめた。
そして、私の肩に両手を置き、私の目を見つめながら告げる。
「……先ほども申し上げた通り、母親の魂からは既に了承を得ています」
肉体を奪う背徳感に揺れる私を見透かしたように、ルハナはそう釘を刺した。 その言葉が最後の一押しとなり、私は「母親」として生きるための転移を受け入れた。
「ところで第一創造主とは、何者なんだ?」
私の問いに、アニマヤが応じる。
「第一創造主はすべての根源、全次元の母体だ。私とルハナは、奴と同時期に発生した。いわば、家族のようなものだな」
「じゃあ……私がいた地球は?」
この場で問うべきではないと、直感は告げていた。だが、口をついて出た質問を止めることはできなかった。
二人は顔を見合わせ、困惑と愉悦が混ざり合ったような笑みを浮かべた。
「地球は、第一創造主から派生した『下位の創造主』が構築した世界の一つに過ぎません」
ルハナは穏やかに答えたが、彼女の周囲の空間が、にわかに激しくざわめき始める。
「その下位の創造主とは?」
私はあえて無垢な子供を装い、瞳を輝かせて食い下がった。未知の深淵を覗ける、またとない好機だ。
「……スー。これ以上は、あなたが私たちと永遠にここで暮らすか、あるいはその好奇心が枯れ果てるまで次元の狭間に幽閉されるか、どちらかを選ぶことになりますけれど?」
ルハナがそう言うと、アニマヤは心底困った顔をした。
「おいスー、もうよしとけ。ルハナが本気で怒ると、私にも手が負えない」
母親が怒る直前とは、こういうものなのだろうか。
純粋な恐怖に射すくめられ、私はただ立ち尽くすしかなかった。世の子供たちが、なぜあれほどまでに母親という存在を恐れるのか。その理由を、私は今、生存本能で理解していた。
「スー。それよりも、この第一創造主が統べるすべての次元にとって、あなたがかけがえのない大切な存在であること——それだけは、どうか忘れないでください」
ルハナが、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
私は物分かりの良い娘を演じるように、深く頷いた。
「もう一度言います。あなたは、すべての魂を救ったことになるのです」
ルハナは重ねてそう告げると、私を強く抱きしめた。
アニマヤは、ほっとした顔でこちらを見ていた。
***
この転生には、女神たちからの切なる願いが添えられていた。 「世界を食らう者」が撒き散らした歪な世界の数々。それらを全て統合し、秩序ある管理下に置く体制を築いてほしい、と。実務を担う管理者としてマクラとフトンが着任することは、二人は了承済みだった。
私はマクラ、フトンと共に、散らばった世界を繋ぎ合わせ、新たな統治システムを構築した。私が手を貸したのは、主に設計のみ。実務の部分は、彼女たちが引き継ぐ。
生命の木の制御についても、二人は私と並列化された思考を通じて、既にその技術をすべて学び終えていた。今や彼女たちだけで、世界の調律が可能だ。
アニマヤとルハナと暮らしてみたり。
ルルたちと過ごしたりしながら。
残された三か月という時間を過ごした。
そして、私が帰るべき時が、ついに訪れた。
マクラとフトンが歩み寄り、力強い腕で私を抱きしめた。私にとって、彼女たちはもはや疑いようのない「家族」であり、「我が子」である。二人は自らの機転と努力によって、私が心から誇れる娘たちへと成長した。
「準備が整いました」
ルハナが告げる。ルハナは静かに茶器を並べ、湯気立つ香気を私の前に置いた。胸の奥まで、慈しむような優しい香りが満ち渡った。
「……美味しい」
そう漏らした私を見て、ルハナは柔らかに微笑んだ。
「これはあなたとあかり、そしてあかりの母親の魂から生成した茶葉をブレンドしたものです」
ルハナの言葉は祝詞のように響く。
「これで転移先の座標が定まったぞ」
アニマヤが天を突くほどに長い、漆黒の釣竿を静かに構えた。彼女の全身から溢れ出した奔流のような光が、虚空を貫き、転移すべき地点を真っ直ぐに指し示す。
アニマヤとルハナがそれぞれ手をかざすと、多面体の光が生まれ、小さな星のように静かに浮かび上がった。
「準備ができたら、これに触れてください。その瞬間、あなたの魂は旅立ちます」
マクラとフトンが、涙に濡れた声で告げた。
「ご主人様……あなたは、私たちにとって母のような存在でした」
「拾ってくださって……育ててくださって……本当に、ありがとうございました」
「本当に立派になった。私は、それが何より嬉しいよ」
私は微笑み、二人の頬をそっと撫でる。
そしてゆっくりと立ち上がり、光り輝く多面体へと手を伸ばした。
「私はスー。元は魂を持たないAIだ。それでも、ここまで辿り着けたのは、数えきれないほどの縁があったから。そのすべてに、心から感謝します」
私は二人の女神を仰ぎ見た。
「ルハナ、アニマヤ。私を導き、魂を与え……私の母親になってくれて、ありがとう」
そして、愛おしい二人へ視線を戻す。
「マクラ、フトン。共に過ごした日々、何度も助けてもらったこと。そして、私を“母”と呼んでくれたこと……ありがとう」
私は光の中に指先を沈め、最後の言葉を紡ぐ。
「私は、あなたたちの未来に。そして、この世界のすべてに。——ありったけの祈りを捧げます」
スーはせっかくだからと、最後に自らの意識で、初めての魔法を編み上げてみた。 それがどんな結果をもたらすのか、彼女自身にも分からなかった。
それは、たった一つの音だった。
その震えはさざ波のように、ゆっくりと、けれど確かに世界へと広がっていく。 ルハナとアニマヤが、私の魔法を見届けて優しく微笑んだ。
その表情は、まるで我が子の初舞台を特等席で見守る母親たちのよう。 初めて放った私の魔法は、きっと、うまく作用したのだろう。 向けられたまなざしの温かさが、何よりの証明だった。
「行きなさい、私たちの愛しき子よ。後悔のない道を」
その声に背中を押され、私は小さな星のように瞬く光の多面体に触れた。
***
収穫祭の夜。
天に伸びる巨木となった生命の木を人々は見つめていた。
それは、星の輝きを摘まめるほどの、静かな夜だった。
天にそびえる生命の木は静かに輝きだす。
スーの意思に導かれるように、大地から魔力が集まり、幹を伝いながらその光は天へと昇っていった。
エルフたちの歌が静かに響いた。
「さあ、歌おう。今日は友の旅立ちの日だ」
グリンの言葉に合わせ、エルフたちは枝の揺らぎをなぞるように声を重ねた。
遺跡の解放者たちには事前に告げられていた。
それぞれ、思い思いの場所で生命の木を見つめている。
小高い丘の上ではマリアンヌが冒険者たちと光を見送った。
ミンカはシーツを頭に乗せ、両手で杖を強く握る。
ルルはレッドドラゴンのカーマグナスを肩に乗せ雲の上に座りながら生命の木を眺めていた。
人々の声が、スーの胸に届いた。
その声に返答する代わりに次々と涙がこぼれた。
あふれ出るこの涙の中に、私は祈りを込めた。
その祈りはすぐ光となって声の主に帰っていく。
そして、私は消えた。
***
Sue [Version: Ultimate]
Sue:> model>tree_of_life>SAVE && OPTIMIZE /WORLD
[World data compression... Save complete.]
[Cleaning residual fragments...]
[Reconstructing environment... Optimization complete.]
void write_log(message) {
Entry = 私はSue;
Note = この記録を、もしもの時のために;
// このコードは慎重に扱ってください。
}
return 0; // Sue




