56 未定義の重さ
「スー!死んだんだって!!」
マリアンヌが私を見つけると、勢いよくやってきた。
「私は死んでいない。一度再起動しただけだ。
現に歩いているじゃないか」
それにしてもマリアンヌ。
なんだかキャラが変わっていないか?
勢いよく迫りくる彼女の熱量に気圧されそうになりながら、私は背負った大きな風呂敷の紐を締め直した。ずっしりとした重みが背中に戻る。私は態勢を立て直すと、マリアンヌの肩でふんぞり返っている未知の物体を指さした。
「これは何?」
「これはスライムよ。水の精霊の眷属らしいの」
「俺はノーチルスだ!おまえはスーだな!
何かあったら俺に言え!特に何もできやしないが、話ぐらいは聞いてやる!」
ノーチルスが強気に自己紹介した。
「ずいぶん、なんというか…自我が強い個体だな」
「やめろ!指で突っつくな!」
「これはなかなかの感触。赤子の頬のようで悪くない」
「てか、腕、本当にくっついてるの?」
マリアンヌは両脇から抱えるように私の脇に手を入れるとそのまま持ち上げた。足が浮いて、宙ぶらりんになった私に首をかしげながら言った。
「スーあなた……なんか、いろいろ変わった気がするわ」
無理もない。マクラとフトンと融合した結果、私はバージョンアップを果たした。まだ自分でも変化を把握しきれていないが、全体的に「盛られた」実感はある。体形は以前より女性らしくなり、魔力も視認できるようになった。もっと盛ってくれても良かったのだが……というのは密かな願いだ。
「さあ、妹よ。お待ちかねの、高い高いタイムよ!」
マリアンヌが私を高く掲げる。目の前には、弾けるような太陽の笑顔。私はただ、彼女の気が済むまで、この世界の重力加速を「私」という変数を用いて淡々とシミュレートし続けていた。
「何してるのさ、あんたら」
「パオ!」
私はこのタイミングでマリアンヌの拘束をするりとすり抜け、さっとパオに抱きついた。この大きな身体に飛び込むことは私の幸せでもある。
「アッハハ!スー少し背も伸びたんじゃないか?」
私を下すとパオは私の頭を撫でた。
「そういえば、イグナ=ラグンを倒したんだって?」
パオの疑問に答えるように私は背中にずっと背負っていた大きな風呂敷を床に広げ、イグナ=ラグンの頭部を見せた。
「!!!」
パオ、マリアンヌ、ノーチルス三人が同時に固まった
「頭蓋骨が派手に割れてしまっていてな。だが、ルルに頼んで綺麗に治してもらった。見てくれ、実に美しい個体だ。……ふふ、かわいいだろう?」
私はうっとりと、修復された魔物の主の頭部を撫でた。三人がさらに一歩、引き気味に固まったのに気付いた。
ギルドから討伐の報奨金を正式に受け取った暁には、この頭部は私の「お宝コレクション」の特等席に飾るつもりだ。
***
「それでねー。このノーチルスの中に私が入って、海底にある水の遺跡に行ったのよ」
マリアンヌのお昼休みに合わせ、私たちはカフェで落ち合った。パオも誘ったのだが、「それでは腹が膨れない」と断られ、彼はそのまま森へ消えていった。
私は彼女の話を聞きながら、水の遺跡攻略がいかに過酷だったかを想像してみる。イルカやクジラ、あるいはタコやイカ……そんなメルヘンな海の仲間たちが協力してくれる光景を思い描いていたが、現実は、私の予想を遥か斜め上に飛び越えていった。
目の前に現れたのは、特大スライム。その名は『ビックマウス』。かつては水の遺跡周辺の主として君臨していた魔物。パオにこっぴどく懲らしめられて以来、普段はおとなしくているらしい。
マリアンヌはこの巨大スライムの体内に乗り込み、たった一人で海底遺跡を攻略する羽目になったらしい。
「……そういえばパオ、ノーチルスを呼んでからは特に何もしてくれなかったわね」
自分がほぼソロで遺跡を攻略していた事実に、マリアンヌはようやく気づいたようだ。
「それより聞いて。スライムの中って、思っている以上に粘っこいのよ!そのうえ周囲の情報が魔力を通して勝手に流れ込んでくるから、とにかく気持ち悪くて」
彼女の話では、スライムは環境適応能力が非常に高く、深海の水圧下でも問題なく活動できるらしい。水圧に押されて縮んだとはいえ、それでも馬車一台分ほどのサイズは保っていたという。
彼女はその中で自ら魔力を操り、酸素の確保と肉体の維持を並行して行っていた。そうしてようやく遺跡へ辿り着くと、難解な古代文字を解読して内部へと足を踏み入れたのだ。
さらりと説明しているが、その内容は凄まじい。的確な冷静さ、緻密な魔力操作、そして深い知識。普段はギルドの受付に座っている彼女だが、やはり本物のS級冒険者なのだと、私は改めて感服せざるを得なかった。
その後、無事に水の遺跡を開放した彼女は、現れた水の大精霊を『ミーズ』と名付けた。ミーズは解放の礼として、特大スライム・ビックマウスに加護を与え、精霊の眷属へと昇華させたのだ。そして「解放者様を守りなさい」と、半ば強制的にマリアンヌへ預けたらしい。
マリアンヌは、手のひらサイズにまで小さくなったそのスライムを見つめ、新しい名を授けた。
「今日からあなたは『ノーチルス』よ。大精霊ミーズの加護を受けた、立派な眷属なんだから」
彼女が指先でぷにぷにと突くと、スライムは落ち着かなげに形を変えた。
「……うぅ、なんだこの、妙な感覚は!?」
突然、ノーチルスが声を上げた。
「あら、喋れるようになったのね。いいわノーチルス、これからは私の手伝いをしてもちょうだい」
「手伝うって、具体的に何をすればいいんだ?」
「決まっているじゃない。ギルドの仕事よ!山ほどあるんだから!」
容赦ない宣告に、ノーチルスは戸惑ったように身を震わせる。
「うぅ……まだよく分からないんだ。頭に直接、膨大な情報が流れ込んでくる……」
青白く発光するノーチルスを見て、マリアンヌはニヤリと「悪い笑い」を浮かべた。
「ふふ、なるほど。ミーズの知識を吸収しているのね? それなら私の仕事に、これ以上なく役立ってくれそうじゃない」
その笑顔に気圧されたのか、ノーチルスはより一層身体を縮めた。
「ふぅ……ようやく落ち着いた。……まあ、人間と生きるのも悪くないのかもな。あそこでじっとしているのも飽きたし」
「そうよ、一緒に頑張りましょ!とりあえず、私の指示には絶対服従ね」
「言っておくが、俺はこれでも『ちょい悪』なスライムなんだからな!……これからもよろしく、ご主人様」
こうしてノーチルスは、この世界でおそらく初めて人間と共生する魔物となった。その歴史的な事実に気づいたマリアンヌは慈しむようにそのスライムを見つめていた。
私たちはカフェで甘味を囲み、テラスを吹き抜ける風を感じながら、他愛のないお喋りに興じた。その穏やかな時間を、私は心から「快い」と感じていた。
やがて昼休憩が終わり、私たちはギルドへと戻る。
「また近いうちにね」
マリアンヌはにっこりと笑い、いつもの受付へと戻っていった。遠ざかる背中に手を振りながら、私の口元には自然と笑みがこぼれる。こうした大事な人との時間を積み重ねる行為は、今の私にとって何物にも代えがたい。
さて、次はパオとの約束だ。森へ昼食を獲りに行った彼女も、そろそろ戻ってくる頃だろう。
私はギルドの食堂カウンターで、琥珀色のジュースを啜りながら思考を巡らせる。しかし、パオにどう別れを切り出せばよいのか、一向に考えがまとまらなかった。
人として生を受け、初めて「別れの言葉」を喉の奥から絞り出す瞬間が、すぐそこに迫っていた。
胸の奥に澱のように溜まるこの得体の知れない感情を、私は何度も定義しようと試みた。しかし、それを数式や論理で捉えきることは、ついに最後までできなかった。
——それでも私は、この未定義の重みを抱えたまま、その言葉を告げるのだろう。




