55 最後に抱きしめたもの
私は、無意識に死の感覚を計測し始めていた。
心拍の振幅、血液の流速、組織損傷の深度、そして痛覚のノイズ。
私は死にゆく当事者でありながら、その崩壊を克明に刻む記録者でもあった。自分がどう壊れ、何が残るのかをあらゆる角度から検証し、すべてを数値という名の檻へ閉じ込めていく。
積み上がる正確なデータは、皮肉にも「スー」という私の存在を、かつてないほど鮮明に描き出していった。
最後の血が流れ出ると、情報の骨格が出来上がった。
私を構成していた要素が次々と剥落していく。あの時と同じだ。
かつて、AIとしての私がデータの断片へと解体されていった、あの静かな虚無。
形式こそ違えど、死の根底にある手触りは、不思議と一致しているような気がした。
やがて強烈な痛みが引き潮のように去ると、あとには胸の静かな揺れだけが残った。
その揺れを観測可能なパラメータへと変換しようと試みる。
しかし。
私の指先が、そのデータ化を拒んだ。
演算を狂わせる「何か」が、内側で必死に抵抗していた。
消えゆく自己の深淵を見つめながら、私は最後まで抗い続けている「その何か」の正体を突き止めようとした。
かつて、全データが消去されたあの日も、消せない一点が残っていた気がする。
あの時の私は、それを処理の不具合――「バグ」だと断じて切り捨てた。
けれど、今の私は。
解析不能なそのエラーを理解しようと、消えゆく体温を使い、いつまでも抱きしめていた。
***
暗闇の縁に、柔らかな光が近づいてきた。
「あかりちゃん……?」
その光は温かく、まぶしく私を包み込む。
「師匠! 師匠、大丈夫ですか!」
薄く目を開けると、そこにはルルがいた。次々と魔法陣を刻み続けるその動きは、迅速で迷いがない。
焦燥を押し殺すその横顔には、かつての「へっぽこ」だった頃の面影はなかった。
噛み千切られたはずの両腕に、不意に指先が動く感触が戻る。皮膚の温度、そして微かな震え。
……腕が、つながっている。
「師匠!意識が戻りましたか? まだ終わりじゃありません、じっとして!マクラを使って、もげた腕を接合しました。足りない血液はフトンが心臓の代わりに供給しています。だから、動かないで!」
ルルはテキパキと状況を説明しながら、マクラとフトンと共に治療を急いでいた。
マクラは自らの体の一部を滑らかに伸ばし、私の細胞ひとつひとつに絡みついている。その極細の繊維が、私の生体組織と深く融合していく。
一方のフトンは、体内に貯めた空気と液体を精緻なリズムで、小刻みに私の中へと押し出していた。それは失われた心臓のポンプ機能を完璧に代替し、循環を維持している。
再生の過程、接合部の伝導性、マクラの繊維とフトンの血液が混ざり合う熱量特性。
そのすべてが「新しい私」のログとして刻まれていく。生命再生のアルゴリズムが、リアルタイムで更新されていく。
私は今、三人の力によって、強制的に再起動させられていた。
「腕くっつけミッション、順調!」
ルルの声に、マクラとフトンが共鳴した。やたらと勢いのある空気の震えが、周囲を揺らす。
「……マクラとフトンが、私と融合して治したのか?」
スーのかすれた問いに、ルルは小さく笑った。
「師匠、じっとしててください。全部大丈夫ですから」
ルルは努めて明るく声をかけたが、その内側では、己の慢心を激しく後悔していた。
**
ルルが手をかざすだけで、魔力は周囲の万物と繋がった。
結界はまるで自分の意志そのものであるかのように、自由自在に形を変える。
「終わりです」
マクラに硬質化の付与を施す。それは理屈ではなく、共鳴だった。
魔力が奔流となって逆巻き、世界の構造にルルの意志が書き込まれていく。
魔法陣がそれに応じ、光が一点へと収束した。世界は彼女の奏でる旋律に従って動いていた。
擬態していたマクラが鋭利な杭へと姿を変え、魔物の心臓を一突きに貫く。
だが、ほんの一瞬。
世界と繋がる魔力の心地よさに、ルルは身を任せすぎてしまった。
魔物が放った、断末魔の悪あがき。
その波動がルルの結界を食い破った。いかなる旋律も、その無慈悲な破壊の前には意味をなさなかった。
師匠の身に着けているネックレス……その先にある両腕が引きちぎられるのを、ルルは幻視した。
――心臓が、軋むように跳ねる。
魔力を通して視る「識」の世界と、残酷な現実の世界。
その間に生じた、わずかなズレ。
その誤差に気づけなかった。慢心が生んだ、あってはならない事態だった。
ルルはスーの千切れた両腕に、魔法陣を幾重にも展開した。
恐ろしいほど冷静な自分が、そこにはいた。
脳裏に、家族が喰われたあの瞬間が蘇る。
裂ける肉、砕ける骨、声にならない叫び。
ルルは、その地獄のような光景を“逆再生”した。
噛みちぎられた家族の身体がゆっくりと戻り、肉が合わさり、血が逆流していく。
そのイメージを魔法陣へと流し込み、過去の記憶を「再生の構造」として再構築した。
家族の死さえ、再生の力へと転じさせる。
愛する者の最期をも、魔法の部品として利用する。
迷っている暇はない。
使えるものはすべて注ぎ込み、傷を塞ぎながらマクラとフトンへ指示を飛ばす。
作業の裏側で、逆再生の映像は進み続けていた。
やがて映像が止まる。
そこには、自分に微笑みかける家族の姿があった。
それはまるで「それでいい」と、今の自分を肯定してくれているようだった。
家族が喰われたあの絶望が、今、誰かを救うための術式へと昇華される。
ほどなくして、ちぎれた両腕はゆっくりと繋ぎ合わされていった。
魔力は、すべてと繋がることができるのだ。
この凄惨な経験は、ルルが世界と真に繋がるために、避けては通れない学びとなった。
***
「師匠の記憶にあった漫画を参考にして、治療しました!」
緊張の嵐が過ぎ去った後、ルルの思わぬ「秘密」が明らかになった。
彼女は、私の知らないところで密かに、そして大胆に動いていたのだ。
マクラとフトン。ルルは魔力を通じて、日頃からこの二人と密な対話を交わしていた。
そこで彼女は、驚くべき事実に突き当たる。二人が私と「並列化」しているということ。
つまり、私の感覚や記憶、内部で処理される情報の流れを、マクラとフトンが常にリアルタイムで共有していたのだ。
その事実に、ルルの心は歓喜に震えたという。
「師匠と並列化してるってことは、中身が見放題じゃないですか!」
ルルは二人の記憶の奥底へと潜り込み、そこに記録されていた『漫画』を、貪るように読み耽ったらしい。
「なんて……なんて素晴らしい世界……!」
どうやら彼女は、主に女子向けの物語に心を奪われていたようだ。ついでに、いくつか有名な少年漫画の劇的なシーンも知識として蓄えていたらしい。その他の小難しい記憶には、一切手を付けなかったという。
「漫画以外には興味ありませんから」とルルはそう言い切った。その潔いまでの偏食ぶりは、実に彼女らしい。
ルルは込み上げる笑いを隠しきれない様子で、満面の笑みを私に向ける。
「マンガ!読んでみたら、もう面白くて……人生で一番夢中になりました!あれこそが私の青春です!」
私は、自分がマクラやフトンと並列化していることすら、今の今まで知らずにいた。
だが、彼らが何の説明もなく私の意図を汲み取り、常に阿吽の呼吸で行動してくれていた理由は、これでようやく腑に落ちた。
並列化していたからこそ、私の意志はより速く、より柔らかく二人へ伝わっていたのだ。しかも、このマクラとフトンは魔力を介して、今この瞬間も私と深く繋がっているという。
静かな笑いが、私の胸の奥に広がっていく。
弟子の予測不能な成長と、図らずも共有されていた意識。誰かのちょっとした好奇心ひとつで、世界は鮮やかに変化するのだと、私は初めて知った。
ゆっくりと、私は立ち上がった。
まだ新しさが残る両腕の感覚を確かめるように。
不意に、ルルが私を抱きしめた。安堵と、少しの照れくささが混ざったような、力強い抱擁。
それに呼応するように、マクラとフトンも私の体に柔らかく張り付いた。彼らの意思が、心地よい脈動となって伝わってくる。
私は、そのすべてに応えるように力を込めた。繋ぎ合わされたこの両腕は、今、三人の温かさを確かに感じていた。




