豊饒の海
令和最初の夏、最初の夏休み、その最初の日曜日・・・・・・、菊はデイジーに誘われて豊饒の海を見に行った。
二人は「おまかせ弁当」の経理課の仄明るい一室の末席に机を隣り合わせにしている。二人とも「容疑者Xの献身」に涙して、三十路を踏んでからここに勤めている。
二人にはよく似た特徴がいろいろある。ひとつは、今言ったXの心の頂きに触れたということである。ふたつは嫌いを作らないことである。誰にも固有の風があり、風見鳥のように背びらをかいさず、それを受けたいと思っていた。どうしても虫の好かないものは、深海魚のそのように、海深く沈んでいて、出会わないことを願っていた。
みっつは整理整頓をおはことしていることである。てきぱきと世界を借方と貸方に整理してみたり、古代の遺跡をコンパクト化して宝箱にしまうのだった。
「豊饒の海では、海ガメさんが卵を産みすぎているんですって。海上都市のバラストに使用するパチンコ玉のように」
とデイジーはふざけた口調で言った。
「涙が人間の作る最も小さな海なら、豊饒の海の海ガメさんが流した涙は、海ガメの作る最も大きな海かもしれないね」
と菊は真面目に応えた。
二人は海ガメの産みすぎた卵とそのとき流した涙の、虹のような行方を追った。
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海、過ぎてる・・・
「いつのまにか海、過ぎていたよ」
二人は異口同音に呟いた。
『産み過ぎと海、過ぎ・・・・・・』
二人は仄かに微笑んだ。
二人は虹の消えないうちに、虹の行方を追うのに夢中で、『春の雪』、『奔馬』、『暁の寺』、『天人五衰』を各駅するのを忘れて、追憶だけがあるような庭に快速していた。
海ガメの卵が割れるような微かな音と関節を鳴らすような音がこの庭を領している。その他は何ひとつ音はなく寂蒔を極めている。この庭には追憶しかない。
二人は韻を重ねた。
「庭には二羽の鶏もいない」
とデイジー。
「庭には鰐が輪になってもいない」
と菊。
二人は言葉を重ねた。
「スワン家の方に向かったとしてもこのような所かもしれないね」
二人は記憶を重ねた。
〈あそこにはこぶねがあるよ。乾いた土の上に方舟? 〉
追憶が二人をどこに連れてゆくというのだろう。
さくら色
フリル波打つ
ワンピース
選んでまほろば
せせらぎ小路
時は片割れ時、逆光に眩惑されて顔かたちは分明ではない。しかし二人は春風の便りに分かるのだった。初めて会うのに思い出のような人。古いアルバムに初めから納まっていたような人。おまかせ弁当をDIY弁当の買収から庇護した人だ。
謎かけをしたのである。乾いた土の上に方舟? があるというのである。
二人はありのままを詩的に答えた。
「アリさんが蝶の羽根をひいてヨットのようだけれど・・・・・・」
すると数学者は答えを返すのだった。
「それにしても蟻さんは、いろんな物を運ぶね!」
ポアンカレは語っている。詩とは一つのものに異なった名前を与える技術であり、数学とは多くの異なったものに同じ名前を与える技術である、と。
追憶と情景の庭に、自分たちは来てしまったと二人は思った。
オーロラが宇宙にカーテンを下ろし
北極星のピンでとめるころ
時に凭って友に向かいし眼にわれを納めよ
二人はお互いの目を交換日記のように交換した。
NEVERMORE?
ONCE MORE!
発見とは新しい景色を探すことではなくて、新しい目で見ようとすること。
二人は行き先を変更した。平岡家からスワン家のほうへ。
庭は夏の日ざかりの日を浴びて、今、花が開いている・・・・・・。




