37 どう転ぶ?
21時。消灯まで二時間。非常灯だけの薄暗い廊下を重い気分で歩き、男性居住エリアへの階段を上った時、人影に気が付いた。誰だ? 眼を凝らす。人影もこちらを窺っているようだった。
「伏木くん?」人影から声が発せられた。その声を聞いて、胃の中の晩飯が逆流しそうになった。石動さんの声だ。
「あっ……あぁ、そうだよ。石動さん?」階段を登り切って人影を確認する。やはり石動さんだった。
「うん。ごめんね。疲れている所。あの……今日は本当にすみませんでした……。迷惑かけて。どうしても謝りたくて。ほんとごめんなさい」
「いや、わざわざ謝らなくても……」
(……それより大丈夫?)と言おうとしたが、彼女の顔を見るとその言葉が出なかった。
二人は黙って、しばし見つめ合った。気まずい空気が流れる。
(……どうする? さっきの隊長との話をするか?……彼女にまだチャンスがあるなら、賭けてみて欲しい……あれだけ隊長の事が好きなら……いやいや、もうこれ以上は無理か?これは憶測だけだ……これが間違っていたら……俺と石動さんの傍らには百匹以上の猫の死体が積み上がることになる)
そして、この話題に触れることが、男女の物事の捉え方の違い……男性がよく間違える轍を踏む事になるのも分かっていた。
(『男性は解決策を求め、女性は共感を求める』)……そう。もう石動さんは、今度の事について、更なる解決なんて求めてなんていないかもしれない。一緒に寄り添って気持ちを共感して欲しいだけかもしれない。いや、そっちに違いない。
『解決したい』というのは、俺の男性的思考と……『自己弁護』と『石動さんに対する贖罪』の要素が大半を占めている……。
「あ、あの……言いたかったのは……それだけだから……」石動さんが、沈黙に耐えかねるように言うと帰ろうとした。
「あ、ちょっと良い?」思わず俺は呼び止めてしまった。さぁどうする。俺。
「なに?」
「ちょっと……」と言いながら、階段の傍にある、薄暗い休憩コーナーを見る。休憩コーナーと言っても、椅子が二、三脚とジュースの自販機が置いてある簡素なものだ。
俺は、その休憩コーナーに視線を走らせながら「石動さんが良かったら、少し話したいけど……良い?」
「……」石動さんは無言でかすかに頷くと、休憩コーナーに歩を進めて椅子に腰かけた。俺はポケットから財布を出すと、缶コーヒーを購入し、振り返って石動さんに尋ねた。
「なんか飲む?」
「い、いや、私は大丈夫……」身構えるような表情。俺は思わず苦笑した。
「ジュースくらい付き合ってよ」
「あ、じゃ、じゃぁ、ホットのミルクティーで……」俺は言われた通りの缶飲料を購入すると石動さんに渡した。
「熱いから気を付けて」缶を渡す時、一瞬、石動さんの指が俺の指に触れた。その指は驚くほど冷たかった。
コーヒーの封を切り一口飲みながら、紅茶の缶を両手で包むように持ち、下を向いて黙りこくっている石動さんを見る。
(なんて言おうか……あのまま別れた方が良かったのか? 隊長との会話の内容を伝えるべきか……いや、まだ彼女が隊長の事が好きなら、チャンスがある事を伝えた方が……いや待てやっぱり……石動さんは……そんな事求めて……いやしかし)足りない頭が音を立てて廻る。頭脳の性能が低すぎて耳から煙が吹き出そうだ。
「……大変だったよね」探りを入れる。
「いえ、今日の事は大丈夫です」
「そうでなくて……その……集中力を乱した原因というか……」
ふと、石動さんが顔を上げる。顔には『ああ、やっぱりもう知ってるんだ』と書いてあった。その表情に対して返答をする。
「もう、それしか無いと思って。……俺が、いらなこと言ったせいで……ごめん」
「違うよ。それは。……あれは自分で決めてやったことだから、伏木くんは関係ないよ。そんな風に言わないで」意外とはっきりとした口調だった。
二人は、またもや黙りこくる。(どうする。どうする。言わない方が良いよな。これは絶対言わない方が良い。ただの勘だし……ううん……)
「伏木くん?」
「はいっ?」突然声を掛けられて素っ頓狂な声がでる。
「私に何か言いたいんでしょ?」
「う……んって、なんで分かるの?」
「顔に書いてあるから」石動さんは生気の無い眼でこちらを見る。(早く終わって)という興味の無い顔だった。そうだろう。早く自室に戻って気持ちの整理をしたいだろう……でも、俺に捕まっている。煮え切らない態度の男に捕まって帰れない。
(ああっ……もういいや、やっぱり直球勝負だ。悲しいけど、俺の持ち球はストレートしかない。よし投げ込むか……ストレート勝負だ……!もうどうにでもなれ!)
「石動さん」
「うん」
「これから、憶測だけの話の話をする。でも石動さんにとって大切な話だと思う。取りあえず聞いてくれる?」
「うん……いいよ」少し気だるげな返答。(そんな切り口で、私はどういう返事をすれば良いと?)と表情が物語る。
そんな彼女を見ながら息を吸い込み、心の中でボールを握りしめ、大きく振りかぶる。目を瞑ってど真ん中にボールを放る。
「石動さんは……いまでも隊長の事が好き?」
石動さんは、ぎょっとした顔をする。その後、みるみるうちに表情が曇る。彼女はポツリと口を開く。
「……最低だね」
「……」
「まさか……伏木くんがそういう人だとは思わなかった……」
「…………」
「でも……」
「…………」
「何かあるんでしょ……?」
「はい」
「だから……」
「はい」
「一回だけ……一回だけ我慢する……」
「はい」
「次に、そんな事言ったら……帰るね」
「はい」
(石動さんは、まだ隊長の事が好きだ)聞くまでもなかったかもしれないが、そこは確認しておきたかった。なし崩しにプレイボールは宣告された。試合は始まってしまった。しかも、もう失投は出来ない。だが残念な事に、探りを入れる変化球は持っていない。持ち球はストレートだけ。ただ、ど真ん中は無理だ。コースだ、コースを狙え。
「ごめんね……失礼な事を聞いて……それで……本題だけど、たぶん、たぶんだよ? 隊長は石動さんの事を嫌いとか、興味が無い……とかで石動さんの告白を断ったのではないと思う」
「……どういう事?」石動さんは『何をいまさら』と言った顔をする。石動さんが求める『共感』とは程遠い話題。彼女は俺に対して『なんて気の利かない男なんだ』と思っているだろう。すみません。
それでも話は走り始めたのだ。続けないといけない。俺は、『たまたま食堂で職員達の噂話を耳にした』と少し話を変えて、小隊長室でのやりとり……高岡隊長の『恋愛に対するポリシー』を石動さんに話した。青果主任の話しも裏付けとして強調した。石動さんは身じろぎもせずに、黙って話を聞く。相変わらず生気のない瞳で。
「……それで?」ゆっくりと彼女は口を開く。
「それで、一体なんなの?」
「うん?」
「でも結局は、私は断られたんだよ」
「うん。……でも、まだ続きがあるんだ」
「……」
「隊長は……もしかしたら……今回の作戦が終了したら、異動になるかもしれない……実は電話で、そういった内容の話をしていた。たまたま聞こえてしまったんだ。だから、これはまだ誰も知らないと思うから黙ってて欲しいんだけど」
「……異動……?嘘でしょ?本当なの?」石動さんの顔が驚きの後、みるみる悲しそうに歪む。例えフラれたとしても、傍にいたいんだろう。本当に好きなんだ。隊長の事が。
「分からない……でも、電話で『内示』って言ってたから、よっぽどの事情が無い限り、隊長も拒否できないはず」
「そっか……隊長……いなくなっちゃうかもしれないんだ」石動さんの綺麗な切れ長の瞳から涙があふれてきている。
「いや、逆にチャンスが到来するかも。さっき言ったよね。隊長は同じ職場では恋人を作らない主義だって」
「……うん?」
「だから、違う部署に異動になったら、石動さんの好意を、受け止めてくれるかもしれない」
「……あ」石動さんの表情が少し変わった。だがすぐに顔を曇らせる。
「私、もう……フラれたんだよ。……それに……隊長の、私に対する気持ちなんて分からないし」
「いや、それがそうとも言い切れない……むしろ……」俺は、俺自身が感じた『石動さんに対する、隊長の気持ち』について説明した。石動さんは黙って聞き入る。
「でも、それって結局は伏木くんの勘だよね?」
「うん……まぁ」
「その勘だけで私にこの話をした訳?」
「うん……」
「ちょっと……信じられない」
「でも、曖昧な勘だけで、こんな話すると思う?」
「自信があるの?」
「結構、ある」
「……もし、もしもだよ?その話が本当だったとして……でも、もう終わった話じゃない。私にとっては。この後、どうなるかなんて……どうにもならないでしょ?」
「いや……『終わった』って思っているのは石動さんだけだよ」
「どういうこと?」気が付くと、石動さんの眼がほんの少し光を増している。生気が少しだけ戻ってきている。表情や口調から、それが感じられた。
「『もう無理だ』って状況、そう思うのは本人次第だよ」俺は言葉に力を込める。
「え?」
「……実際、気持ち一つだよ。こんな話がある……赤色と美少女が大好きな、かの有名なエース士官パイロットが、戦闘中、敵の新鋭機二機に追撃され、機体を中破されるという絶体絶命の危機に陥ったことがある。その時、ある名言を残したんだ」
「……なんて言ったの?」
「『まだだ、まだ終わらんよ』って」
「……それ、どこの国のパイロットの話なの?」
「ジオン公国出身で、その戦闘の時は、地球連邦所属だそうです」
「それ、アニメの話だよね?」
「でも、言っている事は事実でしょ?」俺はなおも言葉に力を入れる。
「……でも、私は……その話に例えるなら……もう撃墜されてるよ」
「いや。まだ中破だ」石動さんの眼を見てしっかり告げる。そして、続ける。
「もう一回、チャンスはある。……ラストチャンス……だと思う。でも賭けてみる価値はあると思う……」




